森羅万象、政治・経済・思想を一寸観察 by これお・ぷてら
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「朝日」よ、精神は何処に。「あらたにす」発足
朝日が、読売、日経とともに共同ポータルをたちあげました。
それにふれた社説をきょう、載せました。格調高い「平民新聞」の創刊宣言を冒頭でとりあげたものです。
しかし、当の朝日。こんな記事を書いています。こんたさんは、自らのブログで厳しく批判されています。
ジャーナリズムの精神はいったいどこにいってしまったのでしょうか。この由々しき事態を天国の先人たち、「平民新聞」の言論人、もちろん運動家たちはどう思うのでしょうか。
coleoの日記;浮游空間のエントリから転載します。
====
きょうの朝日社説は、あらたにす発足―言論の戦いを見てほしいというもの。
朝日・読売・日経の共同ポータル始動にともなう主張だ。
「平民新聞」の創刊宣言を冒頭でとりあげている。
吾人(ごじん)は人類をして博愛の道を尽(つく)さしめんが為めに平和主義を唱道す。故に人種の区別、政体の異同を問はず、世界をあげて軍備を撤去し、戦争を禁絶せんことを期す |
当時の発行スタッフの、言論人として屹立した精神と朝日のそれを比べざるをえないので、そうすれば、おのずと落差の大きさを嘆かざるをえない。
たとえばぬるまゆにつかってすごす日々のこの記事の指摘。
ごもっとも。同感。
管理人さんは、対立をあおるものと記事を指弾されている。
外来の初診料は、前回06年度改定で開業医、勤務医とも2700円に統一された。だが、同じ病気での2回目以降の診察にかかる再診料は、勤務医570円(ベッド数200床未満)に対し、開業医は710円。 |
という表現は、指摘にあるように正しくない。
再診料は、勤務医と開業医で区別されているというわけではないし、勤務医と開業医に入るものでもない。病院あるいは診療所として届けられている医療機関に入るにすぎない。アメリカならば、制度的に、ドクターフィー(doctor fee)、ホスピタルフィー(hospital fee)というものがあって、それぞれ医師と病院に支払われるのだが。
記者は、中医協関係の会見配付資料かあるいは発表者側のレクチャーをそのまま記事にした可能性がある。だとするとこんどは発信者側の恣意性が問われる。
「無責任で不正確な情報があふれる中では、きちんと裏付けを取った正確な情報を発信する新聞の役割がますます重要になる」と社説はいうのだが、そっくり朝日に返さなきゃ。
制度を把握せず不正確な情報を発信する非常識を疑う。不正確を通り越して、意図的な記述を流すのであれば、いよいよジャーナリズムとしての価値はない。
(「世相を拾う」08020)
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国会を動かしているのはだれか。
自公の無策が明らかになった。国会をないがしろにする運営のあり方に審判が下ったわけである。
「つなぎ法案」というものを撤回したという事実は大いに評価されるべきものだ。委員会採決をした法案が取り下げられるという前例は衆院にはないという。前代未聞。
昨日、官邸からメルマガが届いていたが、そのヘッダーをみると、
【福田内閣メールマガジン 第16号】丁寧に、ねばり強く、話し合う。福田康夫です。 |
とある。
しかし、衆参議長あっせんに至るまでの経過をみると、首相のこのかけ声は空ろに響くし、彼は二枚舌かと思わせるほどの対応ぶりだった。
国会は議論をたたかわせる場のはずだから、首相があえてのべなくともそうあるべきだ。
冒頭のエントリーを公開して以後、自民と民主の2党だけの協議がおこなわれたことが報じられ、率直にいえば(2党の)妥協案が出される可能性もあると疑っていた。前の臨時国会で、新テロ法案にかかわって民主党が継続審議を他の野党に提案し、引っ込めはしたものの、民主党案を継続審議にするという事態があったからだ。二度あることは三度ある。この民主党のガソリン税にたいする態度も二転三転している。だからよけいに、そう疑いたくなる。
当初、政府追及の柱を暫定税率のみに絞ったようにみえた。ガソリン値下げ隊なるものを議員で組織し大々的に宣伝した。しかし、他の野党が、そもそもの道路特定財源を一般財源にし、暫定税率は廃止すべきだという正論を主張するなかで、値下げ隊を強調することを取り下げ、一般財源へという主張をしはじめるという経過をたどっている。ブログ言説では今、何かにつけポピュリズムという言葉を投げつけることがブーム のような気がして仕方ないのだが、民主党がそうよばれるゆえんもこんな言動の変転にある。
したがって、通常国会がはじまって10日余りでみえてきたことは、①言葉とは裏腹に数を頼りに強引な国会運営に終始し、国会を形骸化する手段をとることも厭わない、自公政権の民主主義に反する姿勢、②議論をリードすべき民主党にその力はなく、政策的な対応でぶれていること-であるだろう。
何よりも、今回の法案の撤回は、世論が厳しく国会と各政党を監視したところにある。世論が動かしたといえる。
自民党に法案を撤回させ、民主党に他の野党と協調し頑張らせたのも、国民の世論である。(「世相を拾う」08019)
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税をめぐる攻防-企業優遇か、国民を温めるか
一つ前の記事を補足しておきます。
税の負担がどのように変化しているのか。企業の税負担はどのように推移しているのでしょう。
以下の図はそれぞれ国民負担率、企業の税負担の推移を示しています。厚労省(上図)、共産党(下図)のホームページから。
前者は、国民の負担割合が高くなっていることが一目で分かるグラフです。
企業の経常利益の変化と税負担率、法人税率の推移を示すのが後者です。そのなかの法人税率が徐々に引き下げられています。その結果、税負担率は上下するものの、抑えられほぼ一定だともいえるでしょう。もちろん全体の税負担は、ときどきの経常利益に左右されますので、利益が低下したときには全体の税負担もさがっています。
しかし、ここ数年の経常利益の伸びは著しいことにも着目してよいと思います。
税をめぐる議論はこの間、明確に企業・財界・大資産家の意向を沿うものになってきていると私は思います。その攻防は、企業優遇か、国民を温めるかという形で展開される、すぐれて明確な階級的対立といえるのではないでしょうか。
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社会保障国民会議は何をねらう。
基礎年金 税方式転換も議論 社会保障国民会議初会合3分科会を設置 政府は29日、年金、医療、介護といった社会保障制度の将来像や、負担と給付の在り方などを検討する「社会保障国民会議」の初会合を首相官邸で開いた。 福田康夫首相は、冒頭のあいさつで「わが国は世界に類をみない(早さで)少子高齢化が進行しており、今までの社会保障制度でやっていけるか心配がある」と、現行制度の持続可能性に強い危機感を表明。抜本的な改革を検討すべきだとの考えを示した。 |
特に、年金制度については「(現行の保険料方式から)税方式に転換したらどうかという意見もあり、懸案となっている」と述べ、基礎年金の税方式への転換を主張する民主党への歩み寄りも視野に、踏み込んだ議論を求めた。 初会合では(1)雇用と年金(2)医療と介護、福祉(3)少子化対策と仕事と生活の調和-の三分科会を設置し、テーマ別に議論を掘り下げることを決定。 6月に中間報告、秋に最終報告を取りまとめる方針を確認した。 |
東京新聞本日30日朝刊の記事です。
この記事で、はっきりするのは、社会保障を支えるためにという口実で消費税増税は不可避という世論をつくっていこうという意思でしょう。
ふりかえれば、安倍前総理が参院選では争点からはずして、税制論議を秋口からすすめるといって、国会の攻防もあって、福田首相は先送りにしてきました。
しかし、いまやどうでしょうか。朝日が消費税増税やむなしといい、日経が1月7日、つぎのように消費税増税を年金財源にと提言しました。日経の主張は、それだけでなく明確に企業の負担を減らすことを主張している点で際立っています。
日経の主張は、①基礎年金の財源を保険料から全額消費税に置き換える、②消費税率引き上げ幅は5%前後と明記し、さらに上げざるを得ないとみられる-と露骨そのものです。この立場は、おそらく財界・大企業のそれと寸分もちがわないでしょう。それを裏付けるかのように、御手洗経団連会長が同日、「(日本の税制は)直接税に偏り過ぎており、消費税上げを真剣に考えざるを得ない」とのべたのです。経済同友会、日本商工会議所の経済三団体の首脳がそろって恒例の年頭記者会見をおこなったときのことです。
財界もメディアも、そして政府与党ばかりでなく、民主党までも消費税増税の大合唱をしている感は否めません。
そこに、この社会保障国民会議の議論。いよいよはじまりました。
福田首相の挨拶自体がすでに失笑ものだと私は思います。日本の膨大な国債残高は何によってふくらんだのでしょうか。いったい社会保障費の比率が諸外国にくらべて、どれほど高いというのでしょうか。
首相の言葉だけを耳にすると、社会保障費が増え、日本の財政を圧迫している。そこで、何らかの財源が必要となる。消費税以外にない。と、まあ、こんな短絡的な思考を迫られそうです。
たとえば、下記のエントリーですでに言及し、日本と米国の国家財政に占める社会保障費の割合を比較しています。日本はアメリカに遠く及ばないのです。
この首相の挨拶から出発し、出口で国民に求めるものは消費税増税にほかなりません。
だから、この国民会議は、合意を形成するための地ならしにすぎないと思えるのです。
もっとも、先にのべたように、民主党もすでに消費税増税をうちだしています。しかも、記事にあるように年金財源を税でというのは年来の同党の政策でもありました。この点を最大限利用し、国民の同意をとりつけようというものでしょう。
基本にたちかえなければなりません。
繰り返し当ブログでふれているように、消費税という税の形態は社会保障になじまない。
社会保障が所得を高い人から低い人へ分配する機能をもつものだと考えるのならば、所得の低い人の負担率が高くなるという消費税のしくみは、まったくそれに反するものでしょう。
それ以前に歳入、歳出も見直さなければなりません。
社会保障を口実に消費税増税をもちだしてくることは、国民の納得がえられやすいとの判断でしょうが、増税分が社会保障にあてられるなどと、お人よしに受け取ってはならないでしょう。
橋下新大阪府知事のように、弱者切り捨てを公言してはばからない人物ならいざしらず、社会保障が必要だという人は消費税増税に反対する以外にとるべき態度はありません。
しかし、橋下氏を選ぶ風潮があるものまた事実で、それだけに私はこの議論の行方にも無関心ではいられません。(「世相を拾う」08018)
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【関連エントリー】
朝日社説「希望社会へ…」-国の言い分を検証すべき。
消費税を考える
【関連記事】
世界の片隅でニュースを読む;
現行の社会保障制度は弱者を排除している~「社会保障国民会議」発足を前に
「つなぎ法案」というレトリック。
私たちは、新テロ法案で一つの学習をした。
つまり、参院で法案が否決されても、それを覆すために衆院の再可決をおこなうやり方があるということを。
それと同じ理屈で、自公はまた、ガソリン税の暫定税率を2カ月間延長しようとしている。そのために法案をつくる。称して「つなぎ法案」。
ようするに、暫定税率を延長する租税特別措置法などの改正案が3月末までに成立しなくても、1月末に「つなぎ法案」を衆院通過させておけば、3月末には「つなぎ法案」を成立させることができ、時間を稼いで延長のための租税特別措置法改正案を成立させようという寸法だ。
新テロ法案では、以下のとおりの流れだった(第168回臨時国会。9月10日召集)。
テロ特措法の期限切れ(11月1日) 会期延長(当初11月10日までを12月15日に延長) 再延長(1月15日までさらに延長) 衆院再可決 (1月11日) |
いずれも、延長法案が期限の3月末に成立していなければ、法案が参院に送付されて60日たっても採決されていないときにはその法案が否決されたとみなすという規定をつかって、衆院で再可決をするもの。ただし、3分の2以上の賛成が条件となる。
きわめて特例となるような規定を2度つかうこと自体が問題にされないといけないだろう。これを国会の形骸化というのだろう。
新テロ法案の際は、会期延長という手続きが60日という時間を稼ぐための手段となったが、今回は「つなぎ法案」が時間稼ぎの手段となるわけだ。
しかも、この暫定税率を延長する租税特別措置法は予算にかかわる法案だけれど、予算案の審議がはじまらないうちに、関連法案の通過をもちだすわけだから本末転倒だともいえる。
数は力というが、政府案をとおすために再三繰り返される横暴は糾弾されて当然だろう。
国会が、立法の府として議論をたたかわせ、国民の利益にかなう法案をつくり上げるところだとすれば。
自公政権がつなごうとしているのは、道路建設という権益確保だけでなく、自らの政権保持のための時間だといよいよみえてくる。
民主党は、新テロ法のような醜態を再びみせてはならない。野党は結束して数の横暴とたたかうべきだ。
世論の喚起はいうまでもない。(「世相を拾う」08017)
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なぜ共同戦線か。
当ブログでは、医療や社会保障にかかわってのべることも少なくないためなのか、医師や医療従事者の方々にもお立ち寄りいただいているようである。
先日、患者・国民と医師の関係は双方向か。という記事を公開した。これにたいして、ぬるまゆにつかってすごす日々;こんたさんからTBをいただき、以後、いくつかコメントを頂戴した。このエントリーでいいたかったことをすでに公開されていて、とくに医師とそれをとりまく関係を的確に図示されている。
紹介したい。敵の敵‐共同戦線‐というエントリーである。
こんたさんの主張しておられる共同戦線は、社会的な連帯とか、より発展した場合の(医療)統一戦線に置き換えることが可能だろう。その基本の着想だと思える。
必要な医療をどこでもだれでも受けられるようにという患者・国民の願いにこたえられるものにするためには、あるいは社会保障を充実させ文字どおりセーフティネットが機能するようにするためには、この共同戦線が不可欠である。そう思うのは、以下の理由によっている。
デーヴィッド・ハーヴェイがいうように、新自由主義は、それを推進していく上で、国民の中に必ず推進していくためのしかけを構築する。それは端的にいえば分断と差別という形で、弱者に牙を向けてくる。医療においては、医師と国民、あるいは医療従事者と国民、さらには社会保険加入者と国民健康保険加入者などのように。加えていえば、老人と現役世代、生保受給者とそのほか、という具合に枚挙に暇がない。政府・厚労省、財務省は、自らの医療費抑制、社会保障切り捨てを守備よく成し遂げるために、階層間の対立と軋轢を生み出す宣伝と組織に血道をあげてきたといっても過言ではない。因みに、税制の面では、いわゆるクロヨンという、裏づけのない政府の宣伝が長らく中小零細業者を苦しめてきたことも我われは知っている。
このように政権につく側は、国民にたいする収奪や負担を強いる場合、必ずといってよいほど国民のなかに「味方」をつくってきたといえるだろう。だから、分かりやすくいえば、敵の味方をも、われわれの味方にしなくては医療も社会保障の充実ものぞめない。
分断と差別は、思想的には自己責任論という衣をかぶって説かれてきた。
厄介なことに、この自己責任論は、ブログ言説のなかでもさまざまな場面で幅をきかせ、広く浸透しているように私には思えてならない。ブログ言説でしばしばみられる、キャス・サスティンのいう集団極化は、自己責任論の変形だととらえられるのではないか。
以前に、こうのべたことがある。
インターネットを直接民主主義(の場)と受け取るのはあまりに素朴だが、同じ意見がいいたいことをいって言葉を競い、いよいよ過激になり、そして、少しでも異なる意見は排除する。先がしだいに尖がってしまう。しまいには、相互に分裂してしまうだろう。 coleoの日記;浮游空間 集団極化とメディア |
いいたいことは、意識しようとしまいと、差別を強いる側、排他する側にわれわれは常に立ちうるということである。共同戦線や社会的連帯という立場は、これとは対極の態度だといえる。
社会保障をよりよいものにするという立場に立つ以上、こんたさんがいわれるように真の敵は何か、これを選び取るリテラシーがどうしても必要になる。
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【関連エントリー】
ハーヴェイは新自由主義をどうみたか。
朝日社説;「希望社会…提言」への逐条的コメント
1.社説のいう「「皆保険」は安心の基盤」というのは同感。国民皆保険というシステムのベースがあってこそ、医療への国民のアクセスが確保されてきた。
日本では、すべての人が職場や地域の公的医療保険に入る。いつでも、どこでも、だれでも医者に診てもらえる。「皆保険」は安心の基盤である。シッコの世界にしないよう、まず医療保険の財政を確かなものにする必要がある。 |
2.国民健康保険制度の財政は、加入者の保険料、地方自治体の拠出金、国庫負担から成り立っている。しかし、指摘されているように、貧困化のなかで加入者の負担が重くなっていて、保険料滞納額の増加につながっている。
そのため、提言にあるように、税金の投入が不可欠だと私も考える。その際、国の積極的な支援が必要なのはいうまでもない。
試算では、サラリーマンの月給にかかる保険料率は平均して約1ポイント上がる程度だが、自営業者や高齢者が入る国民健康保険は、いまでも保険料を払えない人が多く、限界に近い。患者負担を引き上げるのはもう難しかろう。皆保険を守るためには、保険料と患者負担の増加を極力抑え、そのぶん税金の投入を増やさざるを得ないのではないか。 |
3.後段の文章のとおり、医療は優先されるべき分野。どこが守備範囲とするのかが問題となる。医療にたいする国の責任ははっきりさせておくのが妥当。
ただ、前段の「社会保障を支えるためには消費税の増税も甘受」は無条件に受け入れるわけにはいかない。一つは、消費税というしくみがそもそも、再分配の機能をもつ社会保障と合致しない。消費税の逆進性を無視はできない。
第二に、社会保障の財源確保のために欠かせないという宣伝がふりまかれている。だが、国家予算の歳出構造を見直すことはできないのか。聖域を見直すことが先決ではないか。税制のあり方、思いやり予算に手をつけられずに低所得者ほど重い消費税を増税しようとする見識を疑わずにいられない。
因みに日本では、社会保障費の国家予算に占める割合は、アメリカよりずっと低いほどだ。
社会保障を支えるためには消費税の増税も甘受し、今後は医療や介護に重点を置いて老後の安心を築いていこう、と私たちは提案した。医療は命の公平にかかわるだけに、優先していきたい。 |
4.一部のムダをとりあげて、全体が「治療が済んでも入院を続けて福祉施設代わりにする。高齢者が必要以上に病院や診療所を回る。検査や薬が重複する」であるかのように聞こえる議論でもある。
現実には、多くの老人はいくつもの疾病を患っているわけで薬の量は他の世代と比較し多くなるのは当然だろう。
「福祉施設代わりにする」とか、老人にたいする医療について「枯れ木に水をやるようなもの」という悪罵は、老人の入院医療費を削るためのキャンペーンにつかわれてきたものだ。病院と福祉施設等、社会的資本の整備を重視し、その解消を図ることが第一義的な課題のように思える。特別養護老人ホームの待機者はどこでも数えきれないほど多いのが実情ではないのか。
在宅で、といっても所詮、かつてとは異なる家族構成に加えて最近の格差、貧困の拡大で在宅で老人をみる条件はなくなっているように思える。限界は目にみえている。
もちろんムダもある。治療が済んでも入院を続けて福祉施設代わりにする。高齢者が必要以上に病院や診療所を回る。検査や薬が重複する。こんなムダを排していくことが同時に欠かせない。 |
5.医師の絶対数が不足しているのが医療崩壊の根本の要因。欧米諸国と比較しても少ない。
医師は毎年4000人ほど増えているが、人口1000人当たりの医師は2人だ。このままいくと韓国やメキシコ、トルコにも抜かれ、先進国で最低になるともいう。先進国平均の3人まで引き上げるべきだ。医師の養成には10年はかかる。早く取りかからなければならない。 |
医師が充足するまではどうするか。産科や小児科など、医師が足りない分野の報酬を優遇する。あるいは、医師の事務を代行する補助職を増やしたり、看護師も簡単な医療を分担できるようにしたりして、医師が医療に専念できる環境をつくることが大切だ。 |
6.国が医療という分野は責任を負うべきものという認識を一致させる必要がある。
その上で、国民健康保険制度など自治体が運営主体という現状をふまえて、どう支えるのかという議論になる。保険制度である以上、単位を小さくすればするほど財政上は不安的になる。ようは大数の法則が成り立たない。
朝日の主張はこの点で首をかしげるものだ。政府の政策に引きずられている感が否めない。
以上の制度ができたとき、医師を計画的に養成するのは中央政府の仕事だ。しかし、それ以後は思い切り分権を進め、地域政府にまかせるべきだ。
前述した配置も、都道府県が地元の病院や医学部、医師会、市町村などと相談しながら決める。医師の多い県から出してもらう必要も生じるだろう。 |
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NHKスペシャルの「リアリズム」と日米同盟の今日
昨年の参院選を経て、日本の給油活動が休止。国会会期の延長、再延長ののちに衆院再可決で給油活動が再開したことはいうまでもない。この一連の、変化の激しい経過をふまえると、旬なテーマだといえる。昨年8月以降今日までのこの半年は、日本の領袖だった人物が約束を果たせず、この日本の対応にたいして米側が懐疑的になり、日米の間に溝が生まれ緊迫した局面もはらんだという意味で、日米関係の歴史のなかで切り取って峻別できるほどの、かつてないものであったのかもしれない。
★1
「NHKスペシャル」は3回シリーズで「日本とアメリカ」をテーマに放映するという。初回の昨日27日は、日米同盟そのものに迫った。
海自の給油活動をめぐって国会の攻防がつづくなかでも日米同盟のあり方について双方の協議がすすみ、日米関係が変化していることを、ナビゲーターを務める三宅民夫が強調していた。米軍横須賀港をバックにしたこの映像そのものが、すでに日本と米国の関係の深さと異常さを暗示している。
Nスペの視点は、番組の構成そのものからも伺いとることができる。そして番組の最後で、日本が主体的にとりくまないと、かじを失った船のように流されてしまうのではないか、という三宅の語りからも推測される。その視点は、今日的に日米同盟を強化する方向で見直されなければならないというところにある。こうみて、まちがいないだろう。
三宅がのべた文脈でいえば、番組のなかでもアーミテージ元国務副長官ら米側関係者が繰り返し発言していたように、米国の世界戦略のなかで、財政的な面だけでなく、実際に軍事的に日本が役割を果たす、その役割を相対的に拡大するのが、米国の明確な要求にほかならない。
三宅が映し出された映像を、すでに日本と米国の関係の深さと異常さを暗示していると私はいったが、それは、たとえば首都東京の真ん中に広大な横田基地を米軍がもち、しかも東京湾の入り口の横須賀に米軍空母母港をもつ現実があるからだ。世界の先進国のうち、首都に広大な米軍基地と空母母港をもつ国がいったいどこにあるだろうか。強調したいのは、日本のこの異常さである。日米関係のいびつさである。
★2
この異常な日米関係のあり方を、戦後日本の政治のなかで幾度となく国民は見せつけられてきた。それは、直近の、海自の給油活動をめぐって、約束不履行によって一国の首相が首脳会談ののちに一転して辞任さざるをえないほどの劇的な事態にも、端的に表れている。しかも、その後を引き継いだ政権担当者が、あらためて盟主のもとに詣でて忠誠を誓うという念のいれようが求められるほどの、日本の隷従的関係だといってよい。福田首相の忠誠の誓いは、会期再延長、衆院再可決というきわめて異様な国会運営によってのみ実現されたのである。日本の政党政治という枠組みでみれば、二大政党というつくられた構図のなかにおいても、対する野党党首もまた日米同盟強化という点で共通の認識だということを、私たち国民は再確認することができたわけである。
日本政治のこんな現況の一方で、日米関係は確実に変化している。ある意味でなし崩し的に、日本の役割は深く、かつ大きく変化している。番組も紹介していたが、それは、米軍横田基地に日米共同の戦争作戦指令部が設置されたことに象徴されている。「共同統合作戦調整センター」(BJOCC)という。06年2月にすでに横田基地に創設されていたらしい。さかのぼれば、横田基地への設置は、在日米軍再編の日米合意(2005年10月)で打ち出されていたものだ。
こうなると、誰もが思い浮かべるように、事実上、自衛隊が米軍の指揮のもとに置かれるということだ。したがって、それは、憲法違反の集団的自衛権の行使につながる重大な動きと指摘せざるをえない。Nスペも、従来の政府見解を紹介してはいたが。
米国のいう「テロとのたたかい」というスローガンが少しもテロをなくすわけでなく、むしろ現実には戦闘が激化していることだけでも、海自の給油活動再開の理由はない。そもそも米軍の戦闘行為に直結する平坦活動を行うこと自体が憲法に反するものだ。
★3
番組は、日米の軍事的共同の新たな展開としてミサイル防衛計画を紹介していた(*1)。
防衛省が、首都圏に配備を進めるミサイル防衛システムの地対空誘導弾パトリオット(PAC3)について、日本に向かう弾道ミサイルを撃ち落とす航空自衛隊入間基地(埼玉県)の部隊の展開場所として、晴海ふ頭公園(東京都中央区)を検討していることがすでに報じられているくらい、具体化はすすんでいる。昨年7月、北朝鮮のミサイルが発射された際、日本と米国の間で共同の情報収集にもとづき迎撃体制が構築されていたことにも、Nスペは言及していた。
日米関係のあり方が時とともに、次第に変化していることを以前にエントリーでのべた。この傾向は、さらに加速しているように私には思える。いうまでもなく、その方向は、日本の米世界戦略へのいっそうの加担に向いている。
給油活動の再開はその意味で重要な意味あいをもっている。それは、派兵恒久化で二大政党が一致し、集団的自衛権行使の明文化にも道が通じているという意味である。
Nスペの立場は、この到達にたって、むしろ日米同盟を見直せと加速を迫るものだといえるだろうが、番組でもふれざるをえなかったように、国民の意識と合致したものではまったくない。日本国憲法の存在は大きいのである。
戦後という言葉は日米関係と表裏でもあり、日米関係はさまざまな面で影を落としている。このままでよいのか否か、日米関係のあり方そのものを問う時期にきている。
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*1;「ミサイル防衛」(MD)はブッシュ米政権が推進しているもので、相手国の弾道ミサイルを無力化することで、報復の心配なく先制攻撃を可能にするシステム。PAC3を含め、技術的には完成していません。日本政府は、地上配備型のPAC3と、洋上のイージス艦から発射する新型ミサイル(SM3)を組み合わせた形で導入を進めており、当面の経費だけでも、約1兆円をつぎ込む計画。
【関連エントリー】
「日米同盟」って何?
和田中の有料特別授業-新自由主義の試み
話は、発案者の冒頭の一言に尽きている。
校長のこの発案は、「よい高校をめざす」受験競争に勝ち抜くことに価値を置くだけでなく、公立中にたいする偏見なしには、それが成り立たない。
この記事をみて、即座に例の混合診療解禁をもとめる東京地裁の判決のことを思った。その際、混合診療解禁を主張する人たちは、たとえば(反対する立場にたいして)「消費者・患者側の視点が見事に欠けている」(松井道夫氏)といった。
記事の「有料特別授業」も混合診療解禁も、たとえると二階建ての構造をめざそうとする点で一致している。混合診療の場合、保険でできる診療の範囲を一階だとすると、それ以上の-質のよいといってよいかもしれないが、診療は、自費の自由診療という二階なのである。同じように、「有料特別授業」の場合は、カリキュラムで定めている公立の授業を一階、校長のいう「受験サポート」が二階と考えればよい。
平屋より二階建ての方がもちろん建築費は高くなるのは当たり前である。お金の有る無しで差異が生じるわけだ。
このたとえで明らかなように、欠落しているのは、すべての人を視野に入れるということだ。同時に、ことは力の有無、つまるところ金の話になるわけで、「公立学校と進学塾の新たな連携」と記事にあるように、市場の拡大がねらいでもある。混合診療解禁では、民間の生命保険会社、この「有料特別授業」では塾会社というように。
以前に混合診療にふれた際、このようにのべた。
この「有料特別授業」には、松井氏と同じような市場開放を願う勢力の意思があるのを強く感じる。そして、それを後押しするのは、自己責任論という考えである。
と、記事は父兄らの言葉を紹介しているが、この言葉の中にさえ私はそれを感じてしまう。
話を元に戻すと、発案者の校長が冒頭の言葉を発したときから、教育と擬似教育の接合がはじまったと私は思う。私は、教育とは、すべての人々が「個人の尊厳」、基本的人権を尊重し、お互いを人間として大切にすることを基礎としないといけないということをどこまでも原則とすべきだと考えている。端的にいえば個人の間にくさびを打ち込むことになる、記事が伝える動きは、これとは真っ向から対立するもので反対だ。(「世相を拾う」08016)
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混合診療解禁と松井道夫氏の言説。
coleoの日記;浮游空間に同文を公開しています。
古舘伊知郎よ。再び怒れ-「思いやり予算」で日米合意
思いやり予算調印 3年延長協定 見直し協議、難航必死 日米両政府は25日、3月末で期限切れとなる在日米軍駐留経費の日本側負担(思いやり予算)を3年間延長する特別協定を締結した。昨年12月の日米合意に基づいて年間約1400億円にのぼる日本側の負担をほぼ維持する内容。今後、日本側は総額3兆円とされる米軍再編の負担がのしかかるため、4月以降、米側との包括的見直し協議で負担構造にメスを入れたい考えだが、削減に難色を示す米側との交渉は難航しそうだ。 今回の改定協議で日本側は、光熱水費(07年度253億円)の段階的全廃を求めたが、米側がイラク戦争の戦費増などを理由に反対。08年度から3年間で総額8億円の減額にとどまった。労務費(同1150億円)と訓練移転費(同5億円)は現状水準の維持で合意した。 その一方、日本側は、特別協定の枠外となる米軍住宅などの提供施設整備費を95億円削減して08年度は362億円とし、米軍施設で働く基地労働者の上乗せ給与(同102億円)の段階的廃止を打ち出した。 (朝日新聞電子版1・25) |
何とも情けない話です。
3年間でわずかに8億円の減額ですから。米側の要求は基本的に貫かれたといってよい。
以前に、古舘 伊知郎と「思いやり予算」-頭をあげ、全廃せよ。というエントリーで、報道ステーションが「思いやり予算」を取り上げたことについて言及しました。彼は番組のなかで、日本の異常な対米追従にふれたのでした。
そのとき、3月で期限切れになる「思いやり予算」に関する特別協定をどうするのか、日米で協議が開始されていた時期です。
ですから、その協議が今回、終わり、またもや日本はほぼ米側のいいなりになったというものです。
申し訳のように、記事は、日本が米軍住宅の整備費削減や基地労働者の給与の段階的廃止を主張したことにもふれています。それとて、全体にあたえる影響は微々たるもの。
そもそも金丸信が言い出してはじまったのが、この「思いやり予算」。この29年間で累計で実に5兆円を突破しているのです。
政府は、米軍が「日本防衛」の任務にあたっているということを「思いやり予算」を正当化する理由にしてきました。それももはや通用しません。在日米軍がイラク戦争やアフガニスタンなど海外の戦争を実施するのが最大の任務であることは明白で、米海兵隊は日本を防衛する任務などもちあわせていません。
上の記事はどう伝えているでしょうか。
今回の改定協議で日本側は、光熱水費(07年度253億円)の段階的全廃を求めたが、米側がイラク戦争の戦費増などを理由に反対。 |
まさに米側は、米国のおこなう泥沼化したイラク戦争の費用増の穴を埋めるために日本を利用していることを認めているではありませんか。「思いやり予算」が、結果的に米軍の戦費調達に回るのは明らかです。
政府与党、そして民主党までも消費税導入を口にし、消費税導入があたかも避けられないかのようにのべています。
しかし、その前に、この「思いやり予算」という聖域にきちんと手をつけるべきではないでしょうか。
古舘伊知郎よ。再び怒れ!
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【「思いやり予算」の関連エントリー】
古舘 伊知郎と「思いやり予算」-頭をあげ、全廃せよ。
石破防衛相の及び腰。「思いやり予算」は全廃すべき。
米追随を考えてみよう
谷垣氏の発言をめぐって。
coleoの日記;浮游空間 ガソリン税は環境税?
連立の引き金にもなる? 道路特定財源
【ガソリン国会】道路財源堅持で決起大会 民主党議員も出席 道路特定財源堅持を求める都道府県議会議員総決起大会が23日、東京・永田町の憲政記念館で約500名が参加して開かれた。大会には、自民、公明の与党幹部のほか、暫定税率維持を求める民主党の大江康弘参院議員(党道路特定財源に関する小委員会座長)も来賓として出席。 大江氏が「一緒にがんばりましょう」とあいさつすると、会場は大きな拍手にわいた。 自民党を代表してあいさつした伊吹文明幹事長は「法案を3月末までに通さなければガソリンは下がる。安い方がよいに決まっているが、(それは)そこで話が終わればという話だ」などと述べ、暫定税率を廃止すると地方に1兆6000億円の歳入欠陥が生じ、道路を造ろうとすると教育や社会保障などにも影響が出ると主張。 伊吹幹事長が「どんなことがあっても3月末までに法案は通さないというのか、教えてほしい」と民主党の方針を質したのに対し、大江氏は「細川内閣で、野党の自民党は日切れ法案に賛成した。これがまさに、国民に対する政治家としての責任だ。(日切れ法案を通さずに)国民を苦しめる党は、生活者優先の党ではない」と述べ、「もう少し時間を頂きたい」と理解を求めた。 大会にはこのほか、石原慎太郎東京都知事、亀井郁夫国民新党副代表、冬柴鐵三国土交通相らも出席し、あいさつした。 |
この一件が波紋を投げかけています。
民主党では議員辞職を求めるという声まであがっている模様。
道路特定財源をめぐっては、自民党も、民主党も、慎重な対応を議員に求めるほど、両党内にそれぞれ党の公式な態度とは異なる意見が存在するなど、何が事が起こりそうな予感する感じられる、いわゆる波乱ふくみといえる。要は、この問題が新たな段階に移ったということでしょう。
その道路特定財源ですが、成り立ちを考えてみると、国道と都道府県道の舗装率が5%しかなかった半世紀前に、「整備が急務だ」という理由で「臨時措置法」としてスタートしています。いまやその舗装率は97%。そもそも特定財源を続ける理由すらありません。
しかし、巨額の税収に目をつけて無駄な道路をつくり続け、浪費の温床となってきました。これには国民の強い批判もあって、小泉元首相、安倍前首相は、道路特定財源の一般財源化を国会で明言してきたのです。
一方で、小泉氏は、無駄な高速道路をつくり続けながら、「道路公団民営化」を強行し政治家と企業、官僚の癒着は温存されたままになりました。「一般財源化を前提とした道路特定財源全体の見直し」を安倍内閣は閣議決定したのですが、それも「道路歳出を上回る税収は一般財源とする」という効力がほとんどないもの。無駄な道路づくりはなくならず、むしろ、特定財源の税収を超えるまで道路建設費を増やる。そうすれば一般道路特定財源はこのように、かつて土建国家とまで表現された、日本の浪費と深く結びついて今日に至っています。
先の記事が示すのは、道路特定財源の巨大な既得権益を死守しようとする勢力の姿です(*1)。
同時に、この問題でも連立の火種がくすぶっているということが明らかになったと私は思います。おそらく大江氏という一議員のとった跳ね返り行動ではないでしょう。21日の衆院本会議では、自民党も、民主党も社会保障の財源に消費税をと主張し、いやがおうでもその可能性を推測させるのです。
まずやるべきは、国土交通省が発表した「道路の中期計画」素案を撤回することです。同計画案によると、今後10年間の道路建設費は68兆円、1年当たり6.8兆円に上る。道路特定財源は国・地方合わせて6兆円程度で、今後10年間はすべて道路建設に使い切るというもの。ここにメスを入れるべき。
①特定財源をやめ、一般財源に、②暫定税率は廃止-を当ブログはあらためて主張します。一般財源化し、税金のつかいみちを家計を温める方向にあらためるべきです。(「世相を拾う」08015)
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*1;以前のエントリーで、町村官房長官が、「ガソリンの値段を下げたら、日本は『環境問題に不熱心な国』という烙印(らくいん)を押される。国際的な評価は取り返しがつかないものになる」と発言したことを取り上げました。
今度は、谷垣禎一氏がつぎのようにのべたと伝えられています。
欧州では、ガソリンに税金をかけて、消費を抑えるのが環境税。その意味では道路特定財源も立派な環境税の一種
目的を達すためには、どんな言葉でも利用しようというものですね。環境問題に不熱心と烙印を押されるほどの日本なのに。彼らが死守しようとするのは、財源の特定化、つまり権益を維持しようとするところにあります。
福田首相の愚-道路特定財源が医師不足解消に必要?
参院本会議では昨日も代表質問がおこなわれています。
メディアは「ガソリン国会」などとはやし立てていますが、焦点の道路特定財源問題にかかわって、政府の言い分のでたらめさがあらためてはっきりしてきました。共産党の市田書記局長の代表質問と政府の答弁でそれが浮き彫りになっています。
政府は、道路特定財源問題を維持する理由の一つに、救急病院への交通の利便性確保をあげています。
私は直接的には医師不足問題という形で現れている、医療崩壊ともよばれている今日の日本の医療をめぐる諸問題に関心をもっていますが、政府のこの理由づけは奇妙なものです。
というのも、医師不足の要因は、政府がとってきた医師養成削減策にあることは論を待たないからです。医療費を抑制するために、閣議決定という方法をもちいてまで医師養成数を減らしてきた。その結果、日本の医師数の現状は、OECD平均の3分の2程度です(下図参照、クリックすると拡大します)。日本では、医療機関で働く医師の数は26万人といわれています。OECD加盟30カ国の平均と比べて14万人も不足しているのです。
政府は、医師不足問題を語る際、決まって医師の偏在を問題にします。しかし、昨日の代表質問では、医師の偏在が原因というなら、一体どこに医師の余っている都道府県があるというのかという市田氏の質問に、福田首相は答えられなかったわけです。
その上に、救急病院への交通の利便性を道路をつくるための理由にあげるのですから、本末転倒もはなはだしいといわざるをえません。
この一連のやりとりで、道路づくりが先にあるのか、それとも医療崩壊の根本原因を見定めて医師養成を急ぐのか、どちらに政府が軸足をおいているのか、はっきりしたのではないでしょうか。冒頭で、尾辻代表質問にふれましたが、尾辻氏があのような質問をせざるをえなかったのは、かねてから自民党の支持基盤となってきた日本医師会ですら、欧米の比較において数字で示される隔たりの大きさが共通の認識になって、現場から日本の医療のあり方、医療費抑制策に痛烈な批判が広がっているからにほかなりません。日本の医療を支えてきた開業医たちは、このままでは患者・国民を守れないのです。
加えて、勤務医たちが立ち上がりました。病院の医師という緊密な労働と過酷な労働環境のなかで、医師をふやしてくれなければ、患者は守れないという切実な要求が一つの大きな流れとなってきつつあります(参照)。いうまでもなく、患者数に対する看護師数が欧米と比較して極端に少ないことは、国会でもとりあげられ、昨年7月、増員請願が採択されたのです。
日本の医療はこれほど、様々な問題を抱えています。
道路づくりでは医療崩壊、医師不足は打開できない。医師をただちに増やし、だれもが医療にかかれるアクセスのよさを取り戻すことこそが、福田首相の言葉を借りると、喫緊の課題なのです。(「世相を拾う」08014)
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尾辻秀久氏の代表質問-「乾いたタオルを絞っても水は出ない」
尾辻氏の質問で2つのことを思います。一つは、これまでの自民党政権の医療費抑制政策が各方面でほころびをみせ、国民各層から強い批判と反発を受けている。これを反映したものであるということです。
いま一つは、社会保障の財源問題が急速に浮上し、消費税増税のキャンペーンがはられるだろうと推測されるということ。
社会保障費はこの間、自然増分についても毎年2200億円が削減されてきました。尾辻氏の発言はその結果であるということです。長年、自民党を支えてきた日本医師会でさえ、明確に医療費抑制策に反対の意思を示すようになっています。日本の医療費が他の先進国と比較してもけっして高くはないことがOECDの指摘などによって明らかにされてきました。あわせて、国内をながめれば、必ずといってよいほど貧困の実態がある。ワーキングプアの広がりだけでなく孤独死やホームレスの死など、国民がふれる報道の背後には、日本社会の貧困化の進行がある。医療などのサービスを提供する側は、医療費抑制策のもとで、経営的な困難にも直面し、たとえばそれは、病院の倒産件数にも端的に表れています。
厚生労働省の「医療施設調査」によれば1990年に1万96もあった病院が07年には8883(5月末現在)に減った。それでも世界最多の病院数だが、最大の減少要因は倒産とされる。帝国データの分析では、かつては放漫経営がトップを占めていたが、前述したように近年は販売不振――診療報酬の減少に変わってきている。きちんと経営をしているにもかかわらず、収益が悪化し、倒産に追い込まれたケースだ。 FACTA online;「倒産続出」病院ビジネスに明日はない |
90年からの17年で81%に減少してしまったというわけです。
加えて、医師の過重な労働環境を主な要因とする医師不足。過酷な医療従事者の環境にも深く診療報酬制度がかかわっています。要するに、欧米並みの従事者を配置することもできないような医療費、診療報酬の体系になっているからです。
だから、「乾いたタオルを絞っても水は出ない」と言い切った尾辻氏の発言は、医療現場の実態を抑えた上でのもので、その意味で積極的な側面をもつものだといえるでしょう。したがって、議場では、「質問の途中、野党議員の席からも大きな拍手がたびたび起こった」(1・22、キャリアブレイン) のでした。
反対に、重大な負の側面を尾辻質問はもっています。
氏はおおむね、つぎのようにのべました。
社会保障費をいかに抑制するかではなく、総理の言う『消費者』『生活者』の視点から、どのようなサービスが必要なのか、それを支えるために政府や国民がどのような役割を負うべきかについて広く議論してほしい。 |
抑制はやめよ、と氏はいうのですが、(サービスを支えるための)国民の役割を強調しています。氏は津島派に所属していますが、私は、国民の役割といった前提には社会保障の財源として消費税を視野に入れていることはまちがいないだろうと思います。領袖の津島雄二氏は自民党の税調会長を務め、社会保障目的税としての消費税増税をすでに打ち出しています。
社会保障だけでなく、財源となる税をどのようにとるのかについてはもちろん議論が必要です。しかし、社会保障を支えるには消費税しかないと選択肢をしぼってしまうことと、それはむろん異なる議論でしょう。
消費税を導入しなくても、いわゆる「聖域」とよばれるところに着目すれば、財源は生み出せると考えるのです。尾辻氏は、ここでもこういうべきでした。
「乾いたタオルを絞っても水は出ない」。貧困がすすむなか、これが庶民の実感ではないでしょうか。
社会保障を今後どう充実させるか、それを支える財源をどうするのか、について国民的な議論が必要です。(「世相を拾う」08013)
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方便のつかいみち-社会保障目的の消費税増税
coleoの日記;浮游空間 ; 朝日社説があおる消費税増税
「クローズアップ現代」の警鐘-国民健康保険が崩壊する
世界に冠たる日本の国民皆保険制度。だれもが同じように医療の提供を受ける枠組みをつくりえたのだから。
しかし、全国民を何らかの保険で網羅するためには、社会保険でない、それでくくられない階層を保険制度に組み込む必要が当然あった。それが国民健康保険(以下、国保)制度だった。
小規模という概念ですらくくれないような事業所で働く労働者や零細な商工業者などが加入する保険制度だ。無職の人もこれに加入する。一定規模の事業所で働く労働者は社会保険か(健保)組合保険にくくられるわけだから、この国保制度の財政基盤はもとより脆弱であったといえる。
その国保に、NHK「クローズアップ現代」(1・21放映)が焦点をあてた。題して「命が守れない ~国民健康保険・滞納急増の裏で~」。
そう。今、国保制度が、本来の加入者の健康を守る保険制度としての機能を事実上、果たせない事態に直面している。ここに迫った事情について、「クロ現」はこう番組を紹介している。
日本の社会保障の根幹をなす国民健康保険。いま、貧しくて保険料を支払うことができず、医療費10割負担の「資格証明書」を交付される人が急増し、その結果、命を落とすケースが全国で相次いでいる。実は、「病気の人々は保険証を維持できる」というセーフティネットがあるにもかかわらず、それが機能していないのだ。背景には、滞納世帯が増え続ける中、「資格証明書」を積極的に交付し、徴収率を上げることに躍起になっている自治体の姿がある。どれほどの命が、なぜ失われているのか。NHKでは始めて500余りの医療機関を対象にアンケート調査を行うとともに、資格証明書の交付率が全国で2番目に高い広島県の事例を徹底ルポ。命を守るための制度の裏側で何が起きているのかを明らかにするとともに、どうすればいいのか、様々な事例から考える。 |
国保制度の財政基盤は脆弱であったと先にいった。
保険が制度として成り立つには、大数の法則が成り立たねばならない。ある試行を何回も行えば、確率は一定値に近づくという法則が大数の法則だが、何歳で死亡する割合は何%かとか、何歳でガンにかかる可能性は何%かなどは、契約者数が多数の場合には、ほぼ一定の水準に収斂する。この前提があって、保険料などが計算され、制度を成り立たせることができる。
そうすると、容易に推測がつくことだが、この集団がもともとリスクの高い集団である場合とリスクが分散される場合では、結果に差異が認められるだろう。国民健康保険は、自治体ごとの制度である。その点では加入者数に限度があって大数の法則も利きにくい。しかも加入者の構成の点で明らかにリスクの高い集団から成り立っている。零細自営業者、不安定雇用の労働者などの割合が多くなれば、疾病罹患率も相対的に高いと推測され、それが財政基盤をさらに悪化させるといえるだろう。
番組は、NHKがおこなったアンケート調査にもとづき、無資格であるという烙印を押された資格証明書を交付され、受診できずに死亡に至ったケースにも焦点をあてていた。資格証明書とは、「平成12年度以降の国民健康保険税から、特別な事情もなく1年以上滞納すると、保険証を返還していただき、代わりに資格証明書を交付します」と公式には説明されている。その前に、更新時において、国民健康保険税を一期以上でも滞納していれば短期保険証が交付される。番組によれば、全国では34万世帯が資格証明書の交付を受けているという。
番組が追った広島市では、アンケートで明らかになった資格証明書の交付を受けて受診できなくなって死亡した41例のうち、18人が同市で発生しているという。死亡した40歳代の男性の死を番組は追いかけている。彼は事業に失敗し、アルバイトなどで生計をたてるしかなかった。しかし、そんな境遇であっても年間8万円にのぼる保険料が彼を追いかけてくる。払えない彼は、安佐南区役所に相談にいき、保険料減免制度の適用を受け年額3万円ほどに減額されたという。短期保険証が交付されるが、不安定な身分では安くなった保険料でさえも払えなくて、ついに資格証明書の交付を受けることになる。資格証明書という名の無資格であることの証明。10割全額を窓口で負担しなくてはならない。経済的に困窮しているから短期保険証、さらに払えなければ資格証明書ということになるわけだから、もともと医療費全額を窓口で払えることなど、不可能なはずである。理不尽ともいえるしくみなのである。保険加入者のセーフティネットがまったく機能していないことがこの道筋で明らかではなかろうか。
最も弱い部分に、「構造改革」という名の新自由主義的施策が牙をむけた結果だといえる。
私の住む県の、自治体ごとの滞納世帯割合が示された資料が手許にある。
その資料によれば、県全体で国保の加入世帯数は約98万6000。そのうち滞納世帯は15万1000を上回る。滞納世帯の割合は実に15.4%である(いずれも数字は、07年6月1日現在)。
番組で紹介された短期保険証、資格証明書を交付されている世帯数は、それぞれ6万5500、2万6500にのぼっている。県全体の国保加入世帯の6.6%、2.7%を占めている。あわせると10%近くになる。要は、短期保険証かあるいは資格証明書を交付された世帯は国保加入世帯の1割に及ぶわけである。事態は深刻である。「クロ現」のいう「命が守れない」事態に少なくともこの1割は直面していることを意味している。
番組はまた、自治体の本旨にもとづき、住民のいのちを守ろうとする独自のとりくみを紹介していた。
しかし、私が思うのは、これら自治体の自主性に委ねる、あるいは任せるのでなく、根本のところでの国の明確な方向づけが不可欠だということだ。
資格証明書や短期保険証の交付をあらためて、滞納せざるをえない世帯への弾力的な対応を国が示し、自治体行政を指導すべきではないか。
冒頭で、世界に冠たる日本の国民皆保険制度とよんだ。その皆保険制度が機能不全に陥っている。事実上、保険でカバーされない人たちが私たちの周りには多数、存在しているということだ。本来の保険証をとりあげ、無資格であることを証明するともいえる資格証明書や短期保険証の交付の制度化がそれを生み出してきた。
そして、社会の貧困化に拍車をかけた構造改革は、もともと制度的にもろさを抱えてきた国保制度の基盤をさらに危ういものにしている。
医療を提供する側の医師の過酷な労働環境とそれにともなう地域の医療崩壊がようやくクローズアップされてきた。一方で、医療保険制度への全員加入が前提とされるはずの日本で、医療を受ける側は、国保加入者のように、制度から締め出される状況がしだいに広がっている。これもまた、医療崩壊といえないか。
つまり、今回、「クローズアップ現代」は、国保の実態を浮き彫りにし、日本の医療が制度的にどんな事態にたち至っているのか、その機能不全を明らかにした。
このままでは日本の医療がなりたたない。そう警鐘を鳴らしているのではないか。(「世相を拾う」08012)
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