森羅万象、政治・経済・思想を一寸観察 by これお・ぷてら
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一つの曲がり角だろう、日本の政治。。
内閣改造を契機に、支持率の上昇が取り沙汰された菅直人内閣でしたが、中国との外交をめぐって、その軟弱な、筋の少しもとおらない態度で批判が強まったようです。事態はしかし、どうみても中国に非があるようにしかみえないものでしたから、国際的な視線は中国にとっては厳しいものとなったようです。したがって、菅民主党政権にはそれがむしろ有利に働く気配をみせるものとなっているようです。そうなのかしら。
でも、やはり事態を横目でみながら考えたことは、民主党政権の未熟さ。外交における拠り所がまったく定かではないのですから、対応は、首尾一貫とはとてもいえないものではなかったでしょうか。私にとっては、仙石の命を受けた細野の動向が、あえて言及すればほとんど意味のないものであるかにみえるものであって、むしろそれに鼻白む思いを強くしたものでした。どこまでもパフォーマンスを追求するのですね、民主党という政党は。
こういうからといって、これまでの自民党政権がよりよい外交に臨んできたかといえばそうではない。そう民主、自民両党にちがいはなく、常に宗主国の意向を慮らざるを得ないと考えている、現にそう行動しているという点で変わりはない、こういいきることが可能だろうと私は思います。
中国が国際世論の動向に気を配りながら、若干の譲歩を示したといってもカードを持っているのは現時点で事実なのでして、むしろ菅政権には「毅然たる態度」が求められているともいえます。それを貫くことが現政権に可能か否かといえば、残念ながら消極的態度を予想せざるとないことろにあるのではないでしょうか。菅が、あるいは仙石が、いわゆる自主的態度を言行、2つの面で貫けるのか。そうとはいえない。可能性は少ないといわざるをえないと私は思います。
いいかえると、政権を担う民主党がどの階層をもっとも重視しているのかとそれはつながっている、わけですね。そう、少なくとも国民の目線が徹底されているとはいいがたい。むしろ、民主党のいう政策的方向は、たとえば消費税増税にたいする態度にみられるような、財界に有利に働く方向が明確であって、一方であれほどの県民の反発をうけながらも、公式には米国の思惑を重視せざるをえない菅現権の姿勢にこそ、それは鮮明になっているといってよいでしょう。
消費税導入のもっともらしい政府の言い草はそれを端的に指摘するものでしょう。国内の米国軍事基地にたいする、米国と日本のあまりにもはっきりした主従関係もまた、日本の諸外国依存の態度が現れているといっていいすぎではない。
尖閣列島問題おける日本の態度、それはフジタ社員の解放問題での対応に如実に現れているでしょう。
予想されることは、未熟な民主党政権だからこそ、財界や米国を重視する政治を志向する勢力にとっては、いよいよ再編も含めて財界・米国を優先できる政治の保持こそが抜き差しならぬ時代に立ち至っているということです。その保持のためには、再編はいよいよ避けられない課題となっている、そう私には思えます。傍目には、国会の「攻防」に端的に象徴されるように、対立をしているかのようにみえる民主党と自民党、実はちがった方向から、財界や米国を重視する政治をその旨としてようとする点で共通している。新しい国会で、それがどのように作用するのか、たとえば民主・自民両党をふくめた再編が少しも非現実的とはいえない状況にあるとそう思える。
その意味で、日本政治は曲がり角といえるのかもしれません。(再開005)
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菅第二次内閣の色って?
久しぶりの更新とあいなりました。当分はこの程度の更新でいくつもりです。ご了承ください。
民主党党首選で菅直人が再選されました。投票日が近づくにつれ、マスコミはほぼオザワに厳しい姿勢でした。このことは、国会内での支持がどうやら拮抗しているという状況が一方で伝えられる中では、大きな意味をもちます。党員・サポーターの支持が勝敗を決することになるからです。その結果(もあって)、党員・サポーター票では菅がオザワを圧倒した。しょせん菅とオザワが選挙をたたかったといっても、両者の政策的な立場について、党内でも、報道でも、深まることはなかった。マスメディアが伝えるのは、せいぜいこれまでの自民党の党首選と同様、支持者の集会をかけまわり、やあやあといって握手し、頼むよといってその場を去っていく、その水準のものでした。もっとも、この2人の間に本質的な政策的な差異があるのかどうかは別の話でしょう。
内閣がどんな顔ぶれか、毎度のことながらメディアがそろって紹介しています。顔ぶれから、オザワ色排除内閣だといわれています。菅自身も、終わればノーサイドみたいなことを語っていたことからすると、言行不一致といえるのでしょう。党内からも、たとえばこんな意見がある。
「何が挙党一致か」 菅改造内閣に岩手県選出議員反発 |
はっきりしたのは、消費税増税を推進する立場、それに普天間基地問題に象徴されるような親米路線です。選挙戦の最中に、機をみるに敏なオザワが基地(沖縄)県内移転問題で県民、国民の支持と関心を奪おうとしたのも、この裏返しの表現です。
この重要な二つの問題で、日頃、日和見的な言動がうずまく民主党内は、少なくとも磐石とはいえない。沖縄県知事選がひかえていますが、県民の意思は多少のことで動きそうもないわけですから、政権と国民のずれは大きいといわざるをえません。内閣の姿勢は次の発言に端的にしめされています。かねてからの県内移転推進主張者・岡田克也がこうのべています。
外相の離任会見では、外相として普天間移設問題への対応には「鳩山さんが(県外移設を)強調したからではなく、今まで抑えられてきたものが政権交代をきっかけにより強くなって、非常に対応が難しい問題だった」と振り返った。自身が掲げた嘉手納統合案については「県外(移設)はない、難しいと言って嘉手納統合も一例だと言った。県外はないとどこかで言わざるを得ず、反発はある程度想定して言った」と述べた。 「心残りは、普天間移設の問題がしっかりとした展望がないまま代わらざるを得ないことで、なお幹事長としてかかわっていきたい」と述べた。ただ「政策には口を挟まない」とし、政策の政府一元化も強調した。 |
つまり第二次内閣はスタートから難問を背負って進まざるをえない。党内の亀裂は、解消するか、深まるかかどちらかと問われれば、私は深まると答えるでしょう。消費税増税も、親米、いいかえれば日米軍事同盟にも親和的であったのが、これまでの民主党、さらには自民党政権でした。
だとすると、菅内閣もまた、これら古い政治の枠組のなかにある。これが鮮やかに映しだされたということでしょう。(再開004)
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盛り上がらない選挙戦。。
こんな発言もありました。が、菅の弱点をつくという意味でいえば一面をいいあてているのでしょうが、これまで当の民主党と連立を組んできた社民の党首・福島瑞穂がいうのでは、その値打ちもさがろうというもの。さらにいえば、菅の相手が真っ黒なオザワでは、そんな立場(であったはず)の彼女がこう語る意味を見出すのはしごく困難でしょう。
首相の政策は新自由主義的=社民党首 社民党の福島瑞穂党首は8日の記者会見で、菅直人首相が民主党代表選で掲げた政策について「新自由主義的な色彩が出てきている。小泉構造改革との決別を(社民党などと)合意してからまだ1年もたっておらず、問題だ」と批判した。 |
問われるのは、菅の政策が新自由主義的でまずいと判断する一方で、ではオザワはどうかというイシューに福島はどう応えるのかということです。それを抜きにしては、ほとんど彼女の発言は意味をもちません。
私には、争う二人が繰り返しのべている挙党体制という言葉が気にかかります。一つの政党の党内の選挙(にすぎないはず)なのに、この国の行方を占うか、または決めるかのよう。
民主党内もしかし、イラ菅も、オザワも、どちらも胸を張って押し出すという雰囲気ではどうもなさそうですが。。日本の不幸がここにもあるようです。(再開003)
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民主党党首選など、蹴って葬り去れ。。
ようするに、私が思うのは、党首選に名を借りて今の政治の土台を立て直そうという意思がみてとれるのではないかということ。参院選で問われた普天間基地移設問題に象徴されるような米国追従という現状、そして消費税増税で現下の局面をくぐりぬけようとする財界の意向に沿う姿勢、このたとえば2つの重要な現実で民主、自民ともにあらためて同じだということが確認されたのではないかと思うのです。まあ、路線の対決などではさらさらありません。米国と財界のために奉仕する、この姿勢では寸分もたがわない2人の候補者の対決などありえない。こう思える。
嗚呼、日本の政治の貧困。いいかえれば、政治が日常の国民の生活といかに乖離しているかということでしょう。イラ菅とオザワの「対決」などより、日本経済の空洞化を防ぎ、若者の就職難を打開する具体的手立てを提案できる政治家と政党の存在こそが求められているといえるのでは。民主党の党首選など、蹴りまくれ。蹴って葬り去れ。(再開002)
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危機を覆い隠すマヌーバー=与謝野新党?
党内では長老に近い位置にあるだろう与謝野馨が自民党をでるそうです。何やらふお~んな感じがしないでもありません。が、下野した自民党についてはいわば没落の一途という感想をもたざるをえない現状にあるわけですから、自民党の内部からこうした動きがでてくるのは不思議ではありません。すでに離党しているあの鳩山邦夫とちがって、少なくとも現在の自民党のなかで占める与謝野馨の位置は軽くはありませんから御家の一大事といえなくもありません。こんな動きは、二大政党制をめざす勢力にとって一端は民主党による政権交代でその意図は保持されたかのようにみえるのですが、あにはからんや、思惑どおりに事がすすんでいないことの証左でもあるのでしょう。第一、すでに自民党が再び政権につくだけの勢いをもっているのかといえば、どうみてもそうは思えない。
かたや民主党。政権について磐石な運営に近づくには程遠いだけでなく、すでに政権運営そのものが危うい事態ともいえるでしょう。それは、前エントリーで少しふれたように亀井と菅がテレビ放映中であるにもかかわらず、見苦しいまでのやりとりをくりかえしたことに象徴されています。すでに民主党の、もっと厳密にいえば鳩山政権の余命はどこまでか、こうした関心が現実のものとなっているように私には思えます。
こうしてみれば、保守支配層が願っていた、二つの政党による権益を保持する範囲内での政権の交代は、ほぼその目論見がはずれたといえるのかもしれません。逆にいえば、与謝野馨の自民党離党も、この現状があればこその動向です。本質的にいえば、自民、民主以外の政党が力をつける条件を今のうちに摘みとろうというわけです。もちろん私は、渡辺喜美の「みんなの党」をここでいう自民、民主以外の政党に位置づけているわけではありません。与謝野の今回の動き同様に、渡辺の党もまた、自民、民主と同じ枠組に入っているといってよい。つまり、従来の自民党政治の基本線をふまえ、その枠内の政治をめざすのか、そうではなくその枠組から抜け出して新しい政治を模索するのか否か、これが今のわが日本国に問われているのではないあでしょうか。与謝野も渡辺も、自民党政治の転換を唱えているわけではありません。
現民主党政権の余命の話をしましたが、まだ誕生後半年にすぎないのにこの現状です。小泉後の政権動揺、鳩山由紀夫政権も先がみえてきたという思いをぬぐえません。すでにアポリアに直面する現政権について、ここでふれました。このアポリアは、依然、難問として民主党政権に立ちはだかっています。そこであげたのは、2004年分の政治資金収支報告書の内容を小沢が報告を受けていた、小沢「黒人を選んでまで」発言の波紋、鳩山首相、寄付に関与、野田財務副大臣発言「選挙権ほしいなら帰化すればいい」の4つの問題でした。その上で、いよいよ普天間基地移設問題は解決を迫られる、鳩山由紀夫にとっては待ったなしの難問です。すでに米国に返答する基本方向は、もれ伝えられているところです。その方向は、まさに公約違反の何物でもありません。
民主党の普天間基地移設問題の対応は、民主党が旧来の自民党政治の枠組を抜け出しえないことを示すとともに、現在の連立の基盤そのものをも自ら揺るがしている、そうせざるをえないことを示しています。もっとも社民党がはたして国内・県外移設の立場を堅持できるかどうか危ういものですが。つまり、5月には、社民党のこれまで態度を翻し社民党が民主党に妥協するのか、それとも連立から離脱するのか、社民党にも問われている。
日本の政治にとって、いよいよ米国追随をどうするのか、また大企業奉仕ともいえる政治のあり方をどうするのか、これが厳しく突きつけられているという感想を強くもちます。
それを覆い隠すための策動は、まさにあの手この手という具合にすすめられています(参照)。その際のキーワードが新党ということでしょう。が、これまでも新党がいくつもできてきた経過がありますが、どうでしょうか。はたして新しかったでしょうか、その思想は。私は少しもそうは思いません。最近の新しいものをつくろうとする動きのなかには、小沢一郎がほとんどからんでいます。しかし。現状をみれば、それが欺くための手法にすぎないことが手に取るように分かるのではないでしょうか。ましてや与謝野は、自らつくろうとする新しい政党の何たるかも語らないのですからね。推してしるべし。
新党とは彼らの危機を覆い隠すマヌーバーにほかなりません。
(「世相を拾う」10041)
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新しいものがほしい=参院選にむけた保守派の策略
たとえば普天間基地問題。いっこうに先にすすみません。昨年の選挙戦でいたずらに、いわば思わせぶりな態度をみせたものの、自民党とは異なる結論を引き出してくれるだろう、引き出してほしいという有権者の期待に少しも応えることができないでいる民主党政権。そして、鳩山首相が言い出したタイムリミットが間近に迫って、あちこちに現政権の出す(だろう)方向が暗示されています。基本線は、日米合意の線にできるだけ近いところで決着するというただ一点です。鳩山首相の発言は、これまで何度も繰り返されたように少しも信頼に足るに値しません。彼の今日いったことは明日、自らの手で否定されるわけですから。そんなことはいっていない、という弁解の山。これが民主党政権の一端でしょう。
300人を超えるという議員集団を抱える民主党は、その前提に確固とした綱領、指針をもちえない政党だということと無関係ではありません。ひとたび、まそんなことはないにしてもたとえば基地問題で明確な方針をとろうもんなら、少なくない議員の頭の中では自らの「信念」とその方針との抗争がはじまる。そればかりか、いろんな考えを持っているのが所属する政党だという認識があるものですから、帰属意識がぐらつきはじめる議員も少ないとはいえないのかもしれません。小沢選挙あるいは選対戦術の恩恵を受けた新人議員はともかく、したがって、小沢の恩をそれほど感じない部分は、反発する姿勢を露骨に示すことになる。たとえば、首を切られた生方幸夫副幹事長副幹事長のように。こうしたもれきこえてくる党内事情と混迷を深める政権運営は、いよいよ有権者の同党からの離反を招いていると言い切ってよいでしょう。
一方の、つぎの参院選で民主党から政権を奪い返すことが課題であるはずの自民党は、民主党への(的確な)批判もおこないえないどころか、こちらもまた低レベルの議員たちの言動があって、ようするに自民党とはこんなものかという有権者の認識をさらに加速させたと私には思えます。有権者の支持を回復することはおろか、自民党は消え去る可能性すら感じさせる昨今の事態です。
ですから、危機感を抱くものは少なくありません。そう、保守の建て直しを図らなければならないと考える連中です。そもそも自民、民主による二代政党制を思考してきた連中は、片方の失政があっても、もう一つの政党が政権につく。この繰り返しで、権益を保持するために発想されてきた代物です。つまり、今日の事態は、こうした日本国の政治と経済を支配してきた勢力の思惑から外れてきているということです。少なくとも二大政党政治というものは軌道にすら乗りえていない。大々的に宣伝されてきた政権交代も、この減所ですからね。二大政党制をかねてから提唱してきた山口二郎は、今日の事態をどうとらえているのか。
最も不幸なことは、小沢と検察の闘争によって、本来の政治がまったく機能不全に陥った点である。政権交代以後、鳩山政権の歩みは実に多難であり、迷走気味でもあった。それにしても、民意を背景に時代遅れとなった政策の廃止と、子ども手当てなど時代を切り開くための新機軸を打ち出して、これから本格的な予算審議を始めようとする矢先である。曲がりなりにも政権交代によって実現した政策転換の意義を具体化するはずの通常国会が、小沢資金問題で一色に塗りつぶされたことは、日本の政党政治にとっての痛恨事である。 |
これは3月9日付のエントリーですが、こう嘆いてみせるのが精一杯の態度表明というところでしょうか。
いよいよ日本の議会政治は混迷の深みにはまった。でも、深みにはまっているのは、保守政治を小選挙区制という選挙制度によって補完させようと志向してきた路線そのものでしょう。つまり、今日、もっともひらたくいってしまえば、有権者の心は、自民党も、民主党もだめだ、これはということでしょう。
そうなると、代替物が必要になる。先ののべた自民党の低レベルの騒動もまた、受け皿を視野にいれたものにほかなりません。そして、渡辺喜美の「みんなの党」もまた、当然、この範疇に入れてよい。有権者の意識が各社の世論調査で、民主党にも、自民にも、あえて言葉をえらべば民意はないということが要諦されるやいない、メディアはつぎを追っていく。新自由主義的対応をさらに深化させようというのがこの党の主張ですから、「みんなの党」がクローズアップされる。しかし、渡辺のおよそ体系だたとはいえない主張や発言が、いつまでも人の心をとらえつづけるとは私には思えません。
考えてみると、民主党がメディアにもちあげられたのも、今今日の事態と少しもかわりありません。自民党に変わる政治を、民主党は主張し、時にはかつての自らの主張も曲げて大衆に迎合した態度を優先させてきたではありませんか。渡辺喜美が自民も民主もだめだというのも、当時の民主党と通底しています。いずれも、長年の自民党政治が基本においてきた、財界や大企業の意向を受け、米国との不平等な関係にも忍従するという政治、これを否定しえないところが民主党も渡辺もかわりません。今日の政治の混迷があるとすれば、この政治のあり方の混迷だといえるでしょう。
そこにふれず、あるいは覆い隠して、あたかも旧来の政治とは異なる同じ器の中の政党とその政権があるかのような一種の幻想がふりまかれてきました。その際、わが日本国のマスネディアは重要な役回りを担い、参院選を控えた今日、これからも担おうとしています。
自民党に代わる政治を唱えてきた民主党政権は、はや半年でその正体がみやぶられようとしています。有権者の心を、それとは遠くないところにつなぎとめるための戦略が、すでに大々的に展開されているということです。
冒頭の動きもその延長線上にあると私は考えます。従来と少しもかわらないのに、新しいことを強調する点で。
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夢のない国・日本から脱出するには。。
大学生65%、日本の将来に夢・希望持てず 資産運用会社調査 大学生の65%が日本の将来に夢や希望を持てないと感じていることが11日、資産運用会社フィデリティ投信の調査で分かった。デフレ不況が長期化し、明るい未来像を描けない若者の不安意識を浮き彫りにしている。 |
もとは共同通信が配信した記事です。
将来を不安視する人が多いのは、たとえば不安社会という表題の本が出版されることからも容易にうかがえるわけです。それぞれの人を取り巻く環境がその人にとって心地よいのか否かで考えると、心地よいといえないと考える人は多くはない。将来は明るいか、明るくないかといえば、よって明るくないといわざるをえないと考えるのでしょう。
わが日本国。いわゆる働き盛りの人を取り巻く環境といえば、端的にいえばその一つが賃金であるのは疑いをいれないでしょう。人は、まず生きていけなくてはならない。つまり、食わざるをえないのですから。働いて食って生きていけるだけの賃金をまず得ることが前提だといえるでしょう。ですが、労働者を取り巻く環境は、賃金の目減りに象徴されている。生きづらくなっている。現役がこの事態なら、リタイアした高齢者はどうか。高齢者医療制度に端的に示される高齢者を扱う社会の態度は、新しい政権ですら持て余している事態といえないでしょうか。そればかりか、高齢者が引き上げる要因となっていると考えられている社会保障費の増嵩を前に、新しい政権も庶民増税を視野に入れ、選択肢のなさを国民に迫る今日にいたって、明るい将来を考えようということ自体がまず無理があるというものでしょう。
ですから、若者が冒頭の調査で将来に夢がないと考えたとしても、それは何の不思議もないといってよいでしょう。何より、彼らは、先にのべたまず食うこと、その条件すらも奪われかねない立場にあって、日々それを実感している人も少なくないのが今日の日本国でしょう。彼らのなかにはは職につこうと思ってもつけない人がいるというのですから。第二の氷河期を迎えているともいえましょう。
先の総選挙で、これ以上、自民党政権に託せないと考えた人がそうではない人より上回ったのは、選挙の結果による限り多かったと推測されるわけです。が、託した結果、何か長年の自民党の政権か前にうごきだしたかどうか、この視点でとらえた場合、そう断定するほどに事態は動いていない。というか、ほとんど自民党自体とかわらないというのが、政権交代後の半年だったと私なんかは考えるわけですね。事態は大きくはかわらない。
とはいえ、国民の気分・感情を自民党時代以上にくまざるをえないということもたしかではないでしょうか。それが、結果的にあらゆる課題での政権の右往左往に表現されているといえるのではないでしょうか。
まず食っていく。その点で厳しい環境にあるということでいえば、日本国の将来は、調査結果にあるように暗い、夢はないといってもよいのかもしれません。つけくわえれば、私が考えるのは、この事態は、戦後長い間、政権をほしいままにしてきた勢力が選択肢をなくしつつあるということを同時に示しているのではないかということです。しばしば、最近、当ブログでは保守勢力の最後のよりどころが新自由主義だとのべていますが、そのことが最近の情勢が示してくれているように私には思えます。たとえば「みんなの党」がもてはやされ、それにしたがい支持率をあげているという事実。
これから自分の仕事をもとうとする生涯のうちの一つの重要な時期がこんな事態のなかにあることに正直、気の毒な思いを抱かざるをえません。それでも競争を強調する勢力は依然、少なくないようですが。だからなおさら、この機会を多くの階層がわがものにするということがかえって必要なのかもしれません。当面、控えている参院選で、今日の延長線しか描けない勢力か、そうでないのか、それを見極めることが日本の将来を占うことになると私は思います。
夢のない日本。ここから脱出する可能性そのものは横たわっているのではないでしょうか。
(「世相を拾う」10038)
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新政権の予算案=自民党政権との差異とその継承
小沢一郎と鳩山由紀夫の政治とカネにからむ疑惑はほったらかしの状態ですから、それだけに、自公の対応もふくめて予算案の通過は問われなくてはならないのでしょう。何しろ予算案についての審議ははじまったばかりといえるほどのものなのですから。
さて、その予算案。
コンクリートから人へというスローガンを政権は強調してきました。その結果、いくつか自民党政権とは毛色の異なる方向が今回の予算案に盛られたことは認めなければなりません。
たとえば、母子加算の復活、高校教育の無償化など。しかし、国民・有権者に約束しておきながら、踏みにじったともいえる後期高齢者医療制度廃止は見送られました。大々的に宣伝された事業仕分けですが、結局、軍事費は4兆8000億円を見込んでいるのですから、これは自民党政権時代の継承といえるものでしょう。空母や戦車を買う内容をふくむ予算です。自民党政権の継承という点であげざるをえないのは、税の取り方です。大企業や金持ちにたいする配慮、減税はやはり保持されました。庶民にとっては、扶養控除、15歳以下の子どもの扶養控除を国税、地方税で廃止するというのですから、この非対称について強く指摘しないわけにはいかない。18歳の高校生にたいする特定扶養控除も減額される。こうした対応の口実は、子ども手当てを出す、高校を無料化するからというものですが、これでは本来の所得再分配の機能という点でみれば、おかしな話。圧倒的多数の所得下位の者にたいして、一部の工学所得者や大企業からの増税でまかなうというのではあれば納得するのですが、たとえば子ども手当ての財源には2兆5000億円かかるといわれているものの、そのうち1兆円は同じ階層からまかなうという図式なのです。
ですから、証券優遇税制や株の売買にかかる税率はこれまでの優遇10%税率を保ったままなのですから、短気な私などは怒りを抑えがたいわけです。こうした税の取り方は、少しも自民党政権の域を越えてはいない。
予算は92兆円を超える最大規模になったことが伝えられています。
一方で、税収はみこまれているのは37兆円程度。すると、その差を何で埋めるのか、それが問われる。政権の考えでは、まず、国債の発行。44.3兆円が予定されていて、なにしろ税収を国債発行が上回るのは史上はじめてということ。ようは、軍事費も減らさず、法人
税減税を維持した結果のこの事態といえるでしょう。
その上、閣内から消費税増税を臆面もなく言い出す始末です。5%据え置きを選挙対策でいったことはそっちのけで。社会保障にああてるという口実をまたぞろ仙谷由人が言い出していますが、そんなものなんの保証もないのですから。だいいち社会保障と税金と同じてんびんにかけるものなのかどうか、これを考えなくてはならないのではないでしょうか。社会保障を拡充させることと消費税をあげることとは同じことではもちろんありませんし、社会保障が応能負担を原則にしてきたことをかんがえるのならば、所得税・法人税という累進性をふまえた税制で支えるのがふさわしいといわなければならないというのが私の考えです。
仕分け、仕分けといいながら肝心のところへの「仕分け」にはいっこうに踏み込めない。この点で、自民党政治の継承者として現政権があることをみておかねばならないのでしょう。
(「世相を拾う」10034)
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民主党はなぜ抜け穴をつくる= 湯浅誠氏の辞任とかつての赤木氏
湯浅さんが参与になって、ワンストップ・サービスが実現しましたし、公設派遣村がすすんだ。その仕事をとおして、湯浅さんが感じたものが詳しく記されています。国公一般のブログ・すくらむから引用します。
壁というと、たくさんの壁があります。壁だらけですね。貧困問題をなんとか改善しなければいけないという認識が広がってきているという感じを運動を通しては持っていたのですが、政府や行政の中に入ってみると、まったく動いていないと感じました。応急処置的な年末対策ですから、大きな構造上の問題に手をつけることにはもちろんならないわけですが、構造上の問題に手をつけようとすると、国と自治体の費用負担の問題とかにからめとられていきかねない危険があります。どんどん大きな話にからめとられていきかねない。大きな流れ自体は、国の責任でナショナルミニマム、社会保障をきちんと実施するというよりは、地方分権という話の方に流れていますから、結局、大きな構造上の問題を持ち出すと、地方分権の流れにからめとられてしまって、さらにバラバラにされかねない危険を感じています。工夫しなければいけないと感じていますが、政府の中に入ってそんな程度の意見なのって言われるかも知れませんが、やっぱり社会的な運動が大事です。自治体は、住民の理解が得られないからできないというわけです。「自分たちの払ってきた地方税をなんでそんな奴らのために使うんだ」という住民の声があるというのを自治体は理由にしているわけです。そうしたときに、いやそうじゃないという声を大きくする社会的な運動が広がらない限り前へは進めない。結局、社会的な運動が広がらないとダメだということです。 |
民主党政権下の太い流れを湯浅さんは以上のように表現しているわけです。そして、その壁は厚いと。そして、湯浅氏は、今後の政権との距離をどのように埋めていくのかについて、つぎのように見立てています。その視点に私は賛成します。
湯浅 年末対策はその構造上の話までいかないので、矛盾を抱えたまま、いかざるを得ないわけです。 民主党は2007年の参院選から「国民の生活が第一」と言わざるをえなかった。それで総選挙でも勝ちました。ですから、この「国民の生活が第一」という側面をのばせるのか、それとも今回の「事業仕分け」で福井秀夫氏が事業仕分け人になってしまうような新自由主義の側面がのびていくのか、そこが拮抗点です。私たち運動の側が、「国民の生活が第一」という側面がのびていくように働きかけを続けていくしかありません。 大内(大内和裕・松山大教授=引用者) もともと新自由主義政党である民主党が、私たちの運動の力などもあって、「国民の生活が第一」という個別政策を入れざるを得なかった。ところが、構造的な話に持っていくと、「地域主権国家」というさらなる新自由主義に持っていかれて、さらなる貧困が広がる危険性があります。 湯浅 ハローワーク職員にしても毎年減らされて、毎年ハローワークのひとつ分が無くなるぐらいの職員が減らされているわけです。ところが雇用情勢は大変で仕事は増えるばかりですから、結局、非正規の職員を増やさざるを得ない。地方自治体もまったく同じで、いわゆる「官製ワーキングプア」が増えていく。この「官製ワーキングプア問題」もやっと最近マスコミでも取り上げられるようになってきました。ですが、「公務員は甘えている」、「既得権益にしがみついてる」という公務員バッシングはまだ非常に激しいものがありますし、キャリア官僚の「天下り問題」なども利用して一般の現場の公務員までたたくという構図も根深い。この問題も、もっと拮抗点を押し上げていかないといけないと思っています。これも社会的な運動で押し上げていかないといけません。 |
湯浅氏も大内氏ものべているように、政権についてのち、民主党は国民の要望に応える態度とその逆の態度を使い分けています。その意味で、湯浅氏がいうように、「「国民の生活が第一」という側面がのびていくように働きかけを続けていくしか」ないのでしょう。私の考えは、このエントリーでのべましたが、つまるところ、今年7月の参院選挙までは、とりあえず政治的イニシャチブを国民が握っているといえるだろうということです。
この湯浅氏が、冒頭でふれたように参与を辞任しました。時期が労働者派遣法「改正」にからんで具体的に動き出すのと重なるために、そこに何かしら関連づけようとする言説もあるようです。まったく無関係というわけでなく、湯浅氏には適当な時期を選択したということでしょう。すでにすくらむの記事の時点で、先行きをある意味で暗示しているのですから、なおさらそう思えます。
しかし、湯浅氏ならずとも、今回の民主党が諮問した労働者派遣法改正要綱案は、でたらめなものといえる。湯浅にならって、まさに社会的な運動で押し返さなければならない代物だと私なんかは考えるわけです。
そう思う理由の1つは、政府は製造業派遣を原則禁止といってきたのですが、世間でいう常用型派遣を禁止の例外としているということです。短期の雇用契約でもそれが繰り返され1年を超えるものは、常用型派遣と定義づけられています。現実の派遣労働者の半数を超える部分がこの常用型派遣といわれているのですから、だとすると、例外という名でこれは規制なしを意味しているということです。例外の適用部分が5割を超えるのですから、まったくナンセンス話です。現状を追認する以外の何ものでもないといえるでしょう。
2つ目には、登録型派遣について。現状では、登録型派遣では期間制限のない26業種が定められています(参照)。今回の「改正」案はこれもまた、禁止の例外として現状を容認しているのです。26業種とは、
ソフトウェア開発、機械設計、放送機器等操作、放送番組等演出、事務用機器操作、通訳・翻訳・速記、秘書、ファイリング、調査、財務処理、取引文書作成、デモンストレーション、添乗、建築物清掃、建築設備運転・点検・整備、受付・案内・駐車場管理等、研究開発、事業の実施体制の企画・立案、書籍等の制作・編集、広告デザイン、インテリアコーディネータ、アナウンサー、OAインストラクション、テレマーケティングの営業、セールスエンジニアの営業・金融商品の営業、放送番組等における大道具・小道具 |
であって、このうち5号業務(事務用機器操作業務)が全体の約4割を占めるといわれています。大方察しがつくように、これでは派遣野放しに近いと実感されるでしょう。少なくない企業で派遣導入しているところは、いわゆるCPオペレーティングなどですから。
ほとんど何も手をつけないに等しい改正要綱案。すでに労働界から強い批判があがっています。改正の名に値しません。
以前に私は、そのころヨイショされていた赤木智弘氏の所説を批判しました(下記)。それはおおむね、正規労働者が非正規労働者を差別するという彼特有の構図からいまだに脱しきれない姿にたいしてのもので、彼の言葉からは何も労働者は励まされることはないとのべました。つまり、派遣労働者の現状を打開する上で、矛先を正規労働者にむけるのではなく、連帯してこそその可能性が広がるだろうと指摘しました。その意味で、湯浅氏らの実践と日本社会への発信は、確実に社会を動かしてきたと私は思います。
その上で、氏の辞任が示す意味は、民主党政権が常に体を国民・有権者、労働者の側に向けるのではなく、企業や財界の側に向こうとする力を受け続けているということでしょう。それを逆に国民・有権者、労働者の側に向けるのは相当の力を要するでしょう。が不可能ではない。湯浅氏はそれを先の言葉で強調しているように思えます。
これから参議院選挙までの期間は、それがあらためて問われる時期ということになるのではないでしょうか。
(「世相を拾う」10033)
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【関連エントリー】
赤木智弘氏の着眼のおかしさ
内部留保をめぐって=新自由主義の末路をみる
まあた池田大先生が煽っています(参照)。ぎょっとするようなタイトルですが、結論めいたことを先にいってしまえば、その可能性はほとんど無いに等しいでしょう。
逆にそれほど、この先生がいっているように、共産党の民主党政権への提案のインパクトが大きかったということでしょうね。私は八方美人の鳩山由紀夫を少しも信用していませんから首相の一言一言の重みを少しも感じませんし、今さら首相の発言の意味を解釈する気にもなれません。
支持率の低下に苦しむ鳩山内閣は、いよいよ共産党と手を組むのだろうか。 |
こういってのける人物の目は節穴かと指摘したい。だいいち民主党は今、どちらを向いているのか。それはここ数日の国会動向をみても、一目瞭然といわざるをえないでしょう。たとえば、消費税増税をあれほど繰り返し閣僚たちがもちだすのはなぜか。民主党は4年間、封印するといってきたにもかかわらず。2つの面がある。その一つは、4年間封印論が単なる選挙戦術であったにすぎないこと。2つ目は、何よりも消費増税が財界・大企業の既定路線であって、閣僚たちの消費税増税不可避論や議論せざるをえないという発言は、その意向を受けているといってよいでしょう。また、労働者派遣法の改正案要綱を検討してきた労働政策審議会が答申しました。その答申を是認する政府の態度は財界・大企業に抜け道を保証する内容といっても過言ではありません。それをあえて扇情的なものいいをすることで池田信夫氏は、そのデマゴーグぶりをいかんなく発揮しています。
核心は、池田氏のいう「共産党の提案は磯崎さんも指摘するように単純なナンセンスで、企業に「内部留保」という現金がうなっているわけではない」というところにある。でも、共産党が「『内部留保』という現金がうなっている」といったことはおそらく一度もないでしょう。共産党がいったのは、内部留保を取り崩し、内需を温めよということ。内部留保=現金などという理解を示したことを私は知りません。池田氏は、狡猾にも、磯崎哲也という人物を引用してこういったのですね。共産党がいうのは、大企業が内部留保をとり崩して株式配当をやっているという事実。それならば、その内部留保の一部を労働者や中小企業に還元することは可能だろうという、至極当然のこと。さすがの池田氏も貯め込みぶりを指摘せざるをえなかったようですが。
この池田氏をふくめた体制擁護派は、共産党の提案に民主党政権が、心の中でどのように思っているかは別にして、反論はいっさいできずに、鳩山氏のごとく検討すると答えざるをえなかったという事実がよほど癪にさわるとみえます。池田氏も、磯崎氏も、あえて沈黙しているのは、この大企業の内部留保の蓄積の一方で、労働者の賃金がいかに抑制されてきたかという事実です。当ブログではそのことについて再三のべてきましたのでここで繰り返しません。その内部留保は、もちろんすべてが現金化できるものではないとはいえ、その6割は換金できる性格のものだといわれています(しんぶん赤旗が2月21日付で全般的に論評しています)。
それでも、貯め込みを是正するための方途として池田氏がもちだすのは、投資減税。わらっちゃいます。平たくいえば、労働者への分配を少なくして、内部留保を貯め込んできたわけですし、そのことが日本社会の内需を冷たくしてきたのは多くの人が認めるところでしょう。還流すべきは労働者。
赤旗の指摘によれば、キヤノンの09年度12月決算は最終利益1314億円。しかし、キヤノンはこれを上回る1358億円を株式配当にあてた。つまり不足分44億円は、貯め込んできた内部留保の一部、利益剰余金を取り崩しているのです。これができるのなら、労働者に還元すべし。44億円は、年収500万円の労働者の880人分にあたるのですから。
当ブログでは、このエントリーで、資本主義の最後の選択肢として新自由主義はあるとのべました。池田氏はいうまでもなく新自由主義を信条とする人物です。その彼が、民主党政権が共産党化するというセンセーショナルな言い回しでもって、保守回帰を図ろうとするのも、いよいよ新自由主義という運動が追い込まれていることを示すものでしょう。
舛添要一氏などが「小泉改革の継承」をとなえて新グループを結成したことは、この状況を変えるきっかけになるかもしれない。舛添氏自身は、必ずしも「小さな政府」派ではなく、厚労相だったころは派遣労働規制の旗を振ったりしていたが、少なくとも次の選挙で生き残るには「大きな政府」では危ないと気づくぐらい目先はきくのだろう。 |
彼がこういう表現でしか小泉改革を扱えなくなっている現状は、つまり新自由主義への国民の反発がいかに大きいのかを表わす尺度となっているのではないでしょうか。
(「世相を拾う」10032) *応援をよろしく ⇒
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政権交代後5カ月をふりかえる=民主党政権の性格
鳩山由紀夫内閣が成立して5カ月が経ちました。
発足直後から右に揺れ左に揺れて、有権者からみると、まさに右往左往している政権という実感が拭い去れないような毎日でしょう。その上、かねてから引きずってきた小沢金権疑惑が土地購入をめぐって再浮上し、そのことが要因で民主党の支持率の凋落ぶりが取り沙汰されている今日です。
現実は政権交代後わずか5カ月で、交代という「熱い」雰囲気が吹っ飛んでしまうほどの変化を日本政治は今、迎えているといえます。この夏の参院選でどのような議席配置になるのか、現時点で明確に予見できる人物を私は知りません。が、ともあれ、ここでは、従来の自民党政権を政権交代という形で政権の座から引きず降ろし、取って代わった民主党の性格付け、評価を少々、試みようと思います。
国民・有権者の目でみれば、少しは期待に応えてくれるだろうという思いが民主党の政権を生んだ直接的要因とみてとれる。それに応えてくれるという保証は明確ではない、そして果たしてやってくれるかどうか、それすらも不確かながら、それでも少しは自民党よりましだろう、そんな思いがおそらく民主党の大幅議席増を生んだ主因だろうと理解されます。ですから、政権について、民主党は自ら政権党として、国民・有権者の期待に応えなければならないだろうという意思から免れえない。そこにある種の責任を背負わざるをえない立場になったということです。政権誕生後の、いくらかの国民寄りの施策はそれを反映しています。これを国民・有権者の側からみて、民主党の顔が国民寄りのほうを向いているとすれば、民主党の体は複雑です。体も国民の側にむいているというわけではありません。
たとえば、昨日報じられているように、普天間基地移設問題では、いよいよ民主党政権は混迷を深めています。政権内の不協和音が聞こえてきます。もともと基地問題では、連立をくむ政党間で少なくともこれまでの各党の主張で判断すれぼ、相当の開きがあったのは誰もが知るところでしょう。なので、今日の混迷ぶりは一面でいえば、来るべくして来たといえるでしょう。何よりも、冒頭にのべた国民の期待という、政権についた民主党の背負わざるをえない重荷をにべもなく無視するわけにはいかない事情がある。いよいよもって深みに嵌り、あとがないところまで来たという感じです。そして、昨日、混迷打開をめざそうということなのでしょうが、またまた平野官房長官が登場し、仲井真沖縄県知事と会談(参照)。そこでの発言が話題を呼んでいる。官房長官は、調整することこそが最大の任務なのかもしれません。が、この人物ときたら、登場するたびに問題がむしろ拡大していくというのですから、その限りではミスキャストといってよい。ともあれ、彼が語ったことはベターを選択するかもしれないということ。この記事の文脈では、ベストは県外移設ということであって、ベターはもちろんそれ以外の選択を指しています。それがどの案なのか定かではありませんが、その内容のいかんにかかわらず、沖縄県民の感情を逆なでする発言であることは論をまちません。
しかし、彼はそう発言しておかざるをえなかったわけです。民主党の体は、この問題でも移設問題における県外移転は取りえない、おおもとの日米関係、安保条約に関する態度がそれを許さないからです。
現下の政治的重要課題である基地移設問題でも、このように顔と体とがそれこそ一体のものではなく両者の間に矛盾があり、ねじれているのが、政権についてのちに露になっている事態でしょう。先の平野発言につけくわえると、(平野氏とは異なる)八歩美人的な発言で世間をこれまた騒がせてきた鳩山首相が、平野氏の発言を打ち消し、あくまでもベストをめざすと。顔と体の分離が明らかな一例でしょう。それだけではありません。労働者派遣法の抜本改正も、後期高齢者医療制度の即時廃止も、それぞれ期待を込めて民主党に投票した人が少なからず存在するだろうと思えるわけですが、今日までの政権の対応は、どうみてもその期待に応えているとは思えないものです。
民主党政権は、このように国民の期待に寄り添うような態度や施策を一面でとりながら、本来の主張とそれが異なるところから、いよいよ矛盾を深めつつあるというのが、政権発足後のこの5カ月の特徴でしょう。
ですから、逆にいえば、今年7月の参院選挙までは、とりあえず政治的イニシャチブを国民が握っているといえなくもありません。政権交代後の、国会での自民党の批判が民主党の政策の全体像に迫るものでは少しもなく、いわば重箱の隅っこを衝く程度のものであることがはっきりした今、なおさらだといえいるでしょう。
そもそも民主党には、大きく3つの流れがある。当ブログでもそのことについてふれてきました。一つは、小沢一郎に代表される流れ。彼が同党代表になった06年7月以降の民主党は、選挙に勝つという一点のために、上記の顔を国民に向けてきました。それまでの同党の主張と合致しようとしまいとかかわりなく、国民の要求にこたえるためのマニフェストづくりをやってきた。しかし、こうした手法そのものが(民主党の)体との間の矛盾をはらんでいます。その意味で場当たり的で一貫性をもたないといえる。
もう一つは、国家ビジョンでいえば新自由主義路線を推進しようという流れ。岡田外相に代表されるでしょう。岡田克也が同党代表のとき、(民主党がやれば)自民党以上に改革がすすむとのべたほどです。
しかし、この路線もまた矛盾をはらむ。そもそも先の総選挙で自民党と大敗し、民主党が大勝したのは、自民党が構造改革で自らの支持基盤も掘り崩し、自らの墓穴を掘り起こしたことが最大の敗因です。民主党は逆に、自民党から離れた反構造改革の有権者の関心を生活第一といって準備し、その受け皿となることに成功したといえるでしょう。議席配置上の劇的な変化をもたらしたものは、いうまでもなく小選挙区制です。ただし、自民党と民主党の得票率がここ数回の選挙でほぼ一定していることをみておく必要があります。このことは逆に、旧来の自民党支持者が先の総選挙で民主党に回ったことを裏付けているのではないでしょうか(参照)。
そして3つ目の流れは、[第三の道」路線をめざそうというもの。最近では、菅直人が経済における第三の道なんて語りましたね。第三の道は英ブレア政権に代表される流れでしょう。
一時期、新自由主義的構造改革のアンチテーゼとして、「西欧型福祉国家」を志向する言説が目立ちました。モデルとしての西欧型福祉国家というわけです。ブログの中にもそれを主張するものが見られました。その西欧型福祉国家というものの多くは、新自由主義と社会民主主義が混在したようなものであって、福祉国家とはいえないものでしょう。たとえば、日本では宮本太郎や神野直彦などに代表される主張は、福祉国家などとは呼ばず、最近では福祉ガバナンスなどと強調しているようです。新自由主義と福祉国家の中間的なものをめざす潮流といえるでしょうか。日本国憲法にてらしてみれば、これは25条および26条、27条の生存権、教育権、労働権の保障は不徹底にならざるをえません。
資本主義の残された最後の選択肢として新自由主義はあります。これに代わる保守思想の代替案はないといわれています。
ですから、逆にいえば、今年7月の参院選挙までは、とりあえず政治的イニシャチブを国民が握っているといえなくもない。政権交代後の、国会での自民党の批判が民主党の政策の全体像に迫るものでは少しもなく、いわば重箱の隅っこを衝く程度のものであることがはっきりした今、なおさらだといえいるでしょう。
国民の政治的イニシャチブと先にいいましたが、その際は、日本国憲法を軸に暮らしを守れる政党か否か、政策か否かという観点で選択しなければならないのではないか。政権の顔と体が一体となっていない今はまさに参院選での変化を準備する好機だといえるでしょう。
(「世相を拾う」10031)
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嗚呼、社民党はどこへ行く。
県外・国外移転の同党の方針と今回の提案はどのように整合するのか。しない、のは明らかではないでしょうか。護憲の社民党がなきます。
社民、期限付き九州北部案で調整=国民新にシュワブ陸上案-普天間移設 社民党は14日、米軍普天間飛行場(沖縄県宜野湾市)の新たな移設案として、従来の米領グアムへの移設案に加え、九州北部に5~10年の期限付きで移転する案を17日の沖縄基地問題検討委員会に提示する方向で調整に入った。一方、国民新党は米軍嘉手納基地(同県嘉手納町など)への統合案に加え、米軍キャンプ・シュワブ陸上部(同県名護市)への移設案を提起する方針を固めた。 両党関係者がそれぞれ明らかにした。ただ、社民党内では、国内の地名を挙げれば支持者の離反を招きかねないとの懸念も根強い。同党は国内への移設案を提示する場合、検討委員の「私案」と位置付ける方針だ。 社民党は九州北部について、米海兵隊が遠征時に使う強襲揚陸艦の母港(米海軍佐世保基地)があり、米側の理解も得やすいと判断。具体的には海上自衛隊大村航空基地(長崎県大村市)や佐賀空港(佐賀市)などの活用を想定している。 ただ、同党はグアムや米自治領北マリアナ諸島のサイパン、テニアン両島への国外移設を最優先で要求。九州に移す場合でも期限を設け、最終的にはグアムなどへの移設を目指す方針だ。 一方、国民新党が提示する嘉手納統合案とシュワブ陸上案には、地元の強い反対が予想される。このため、同党は大村基地や陸上自衛隊東富士演習場(静岡県御殿場市など)、サイパン、テニアン両島などへの訓練移転も合わせて提案する。 |
当ブログでは、社民党が民主党との連立を決定するときの福島瑞穂の弁明について、疑念を強くもち、そのことにふれてきました。ことここにいたって、ひょっとしたら、後世に、福島は同党最低の党首として語り継がれることになるのかもしれません。というのも、彼女は、連立合意の際、閣内から政治をかえるといったのですから。けれど、この記事が伝えるところから察するに、歩み寄っているのは明らかに社民党。民主党に擦り寄っているという表現が的確なのかもしれません。この伏線として想定されるのは、田村耕太郎を引き込み、単独で過半数に到達したことを念頭においた、社民の対応だろうということです。袖にされるのはたまらないというそれです。その意味で、社民党は民主党のご機嫌をこれでうかがうという魂胆でしょう。
しかし、これは同党の支持者を納得させるものでしょうか。
先に護憲の社民党といいましたが、そこにいわば原点を抱き続けてきた支持者は、自らの頭の中を一度、空白にした上で、今日の事態を考えざるをえないでしょう。それほどに前後が断絶している同党の態度だからです。たとえば、このくだり。「社民党は九州北部について、米海兵隊が遠征時に使う強襲揚陸艦の母港(米海軍佐世保基地)があり、米側の理解も得やすいと判断具体的には海上自衛隊大村航空基地(長崎県大村市)や佐賀空港(佐賀市)などの活用を想定している」。視点はもはや、国民の側にあるのではなく、まさに米国にあるというものですね。
結局、先の福島の弁明は、限りなく理念を曲げてしまうことを暗示していたし、それにほかならなかったといわれても仕方ないでしょう。だから、福島が最低の党首とよばれる可能性があるというわけです。
困るのは、支持者でしょう。社民党の連立参加と、政権についてのちの民主党政権の、ほとんどこれまでの自民党政権とかわらぬ実態がつづく中で、それを弁護しようとする余り、政権の中に入ってこそ存在価値があると主張するブロガーもいる。こう主張するブロガーの一人は以前に社民党を支持するといっていたと記憶するのですが、その是非にかかわらず、政権にいてこそ意義があるという主張のナンセンスを、このたびの社民党の態度であらためて感じるのです。理念を曲げてまで、政権に留まる意義はいったいどこにあるのか。福島のいってきた政権の中から変えるという言葉の空虚さ。連立に限りなく埋没する。それを強く感じるのが、今日の社民党の姿です。
沖縄県民の意思が明確な今、私たちは、あらためて日米安保条約の是非をみつめ直してみる必要があると思うのです。
社民党の「理念」(社会民主党宣言)には、「日米安全保障条約は、最終的に平和友好条約へと転換させ、在日米軍基地の整理・縮小・撤去を進めます」と明記されていますが、その立場に立つならば、今こそその是非を問う国民的な運動の先頭に、社民党はたってしかるべきです。いったい、いつのことをこの文書はのべているのか。
少なくとも社民党の現在は、連立政権参加以後、徐々に支持者の信頼を失わざるをえないと私には思えてなりません。
(「世相を拾う」10029)
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小沢権力闘争論のおかしさ= 小沢疑惑の中間的感想
不起訴決定以前
小沢権力闘争論などと、しかつめらしい表題をつけました。いうまでもなく、これまで繰り返されてきた小沢疑惑にたいする、捉え方の一つです。こうした主張は基本的にいえば小沢を擁護する立場のものと言い切ることができるでしょう。
メディアが、小沢の土地購入疑惑にからんで報じるとき、多くが小沢対検察という構図を前提に、読む、あるいは聴く、視る者に所与の対決構図として押し付けてきた。小沢の動かしているカネが通常では考えらない程度の巨額であるにもかかわらず、それがこう報じられることで関心は勝負の世界に移されていく。何せ人は勝負事に弱いともいえる。昔から判官贔屓ということばもあるし、およそ、ものというものに勝ち負けを暗につけてしまうきらいのある動物が人間だともいえるでしょう。
はたして、たとえばテレビでは毎週のサンプロは、しばしばというより毎回この視点から小沢疑惑を論じる。検察の捜査は違法か否か、小沢はどこで対決するのか、などなど。元検察幹部、検事を登場させ、両者の対決こそが、現局面の一流の政治課題であるかのように、田原総一朗の例のまくしたてる話しっぷりに視聴者が引き込まれることを狙う。この番組に典型なように、メディアは捜査のあり方に視聴者の関心を集中させ、論点は、悪者は検察か否か、小沢かというところに帰着するのです。
これだけの世論操作によれば、いくらかの影響を受けるのもまた、人間というもの。メディアに登場する評論家たるや、まったく押し付けられた構図にのっかって論じているにすぎなかった。こんな感想をもたざるをえません。ほとんどのように。ましなことを時々、いくらかこれまでいっていた人物が、検察という権力による違法捜査だと主張したり。
不起訴になるまで、小沢のこの問題でいってきたことは、自分は法にのっとってやっているということ、仔細は、とくに政治資金報告は秘書がやったこと、自分は関与していないということと、今一つ、小沢にたいする捜査を前に民主主義への挑戦という旨の発言を繰り返してきました。自らの遵法的態度と問題への不関与と同時に、民主主義への挑戦だといってきたことを思い返さなければなりません。そして、彼の資金調達にからむ発言は、語るたびにその内容がかわってきたことを。検察が不起訴を態度決定するまでに、小沢が強調したのは、詳細を語らないこと、語ったことは二転三転してきたこと、そして自分を対権力の闘争家に仕立てるということでした。わが首相は、この問題に政府の長として、問われているものが何かも知らないかのように、司直の捜査の只中だから嘴をはさむのはよくないなどと答弁してきましたね。
「考える会」の存在
この検察の態度決定前の状況でさらに追加すれば、私が注目してきたのは、民主党内の動きでした。そう、あの「石川知裕代議士の逮捕を考える会」の結成です。逮捕された衆院議員・石川知裕と同期の議員13人によってつくられたといわれています。いわれていますとあえていうのは、この13人が自発的に結成したものとは考えにくいと率直に思うからです。この「会」は、石川の逮捕は不当とする立場を明確にするとともに、法務省から担当者を呼んで事実関係を聞き、釈放要求の発議を検討したいということを確認しています。結成にあたっては、しばしばメディアに登場し、検察の捜査方法を批判する郷原信郎が関与している。「会」の結成自体が、捜査を牽制することを事実上ねらったものであることは確かでしょう。しかし、自民党によって予算委員会で、政務官が会の活動に参加していることを追及されると、これを陳謝せざるをえなかった。この「会」の活動自体は前後して世論の批判にあって表面に出てくることはなかった。
不起訴決定後
検察の態度決定の前の以上の状況は、不起訴決定後どのように変化したのか、変化していないのか。いちばん問われるべきは、小沢対検察という論陣をはってきた者が、以後、どのような発言をするのか、この点でしょう。彼らが今の時点で何を語るのか。以前とつじつまがはたしてあうのか、これが(私の)関心の一つでした。
当の小沢は、不起訴が決定されると、驚いたことに、公正な捜査がおこなわれたといって、まるで手のひらを返すかのような態度を明らかにしました。これまでの「不当な捜査」には一切ふれることもなく。民主主義への闘争はどこに消え去ったのか。自らの保身が整ったら、それは民主主義が守れたことになるのか。前後の脈絡はまったくないじゃありませんか。
「考える会」は、一連の流れをどのようにまとめるのか。見解を出すべきでしょう。そして、検察の不当性を追及してきた連中は、今後も、不当な検察権力にたいする姿勢を貫くべきでしょう。が、はたしてそうなるでしょうか。ましてや自身のかつての秘書ら3人は逮捕されたというのに。彼の以前の姿勢からみて、それでは3人の逮捕はどう位置づけられるのか。小沢のこの姿勢は、ただ、自身が不起訴になったという点で、なおかつ3人の秘書の逮捕はなるべくしてなった当然のものという点で、民主主義が守られたということになる。言い換えれば、民主主義は小沢の不起訴という形で、3人の逮捕という形式をとって保持されたということになるわけです。不関与という口実が今のところ奏功したのです。
小沢擁護の連中たちは
メディアの世論誘導の方向は以上のとおり明確でした。ブロガーとて人間であることにもちろん変わりありませんし、私をふくめ、せいぜいメディアの報道が情報のほとんどを占める身であることにちがいはないでしょう。だから、どこかにマスメディアの影響を残すでしょう。
自民党からの政権交代こそが日本の政治課題の唯一のものだととらえてきた連中は、いったん民主党が政権についたらどんな態度をとるのか見ものでした。案の定、雲散霧消。極論すればこんな状況かもしれません。展望を描いてなくて、プログラムなくして、先がみえなくなる者も少なくなかったようです。政権交代が唯一と考えた者が「矛盾なく」何かを主張しようとすれば、こんどは新政権を絶対化するほかはありません。今でも、一片の迷いもなく、民主党命を主張する連中です。その一人は、たとえば企業献金は認めると主張します。主張しなければ、つじつまが合わない。小沢支持と結びつかないからです。もちろん小沢にかけられる(国民の)疑惑そのものを振り払うことはできませんから、企業献金は悪いものではないのだとせいぜい主張するしかありません。思い出すのは、こうした主張の陳腐なものとして政党機関紙の縮刷版を団体に共産党が売りつけているものもでてきましたね。
そして、彼らの手法は今一つあって、検察そのものに矛先をむけることです。小沢のいう民主主義を守る闘争だと位置づけることです。不起訴という今の段階で、彼らの主張の発展を期待したいものです。
それだけではなく、変化球を投げるタイプも存在する。直接的に民主党を支持したり、小沢を擁護する姿勢はみせないが、現政権に批判的な立場を認めないというもの。
たとえば、いくら理屈をこねても政治を動かせないでは何も力をもっていないに等しいという旨の発言です。しかし、思い出してほしいのは、この主張は、ここ数年の選挙戦で、しばしば繰り返されているということ。国政選挙でも、地方選挙でも。たとえば、直近の都知事選を思い出してください。浅野史郎が担ぎ出されました。彼らは、共産党にも出馬辞退と支援を求めたわけですが、「政策が石原と変わらない」「宮城県政への反省がない」と共産党は批判した。すると彼らは、共産党の姿勢は石原を助けるといって、この共産党を逆に批判した。自ら(期待する)枠組みに入らないと、パーリア扱いし排除する姿勢です。
今回の民主党政権のつぎつぎに繰り返される、ほとんど自民党とかわらない事件・事実が明らかになると、奇麗事をいっても政権に入っていなくては存在価値がないといわばいわんとするものですね。しかし、これは、政治を国会内に押しとどめようというものにほかなりません。民主党の大衆闘争は、ほとんど皆無といってよいと私は思いますが、では、民主党の野党の時代に形ができた肝炎問題解決の道筋はどう理解できるのでしょうか。そして、国会内においても、違法派遣があれだけ問題になり、結果的に部分的であれ、是正姿勢を大企業がとり始めたのはどう説明するのか。そして東京派遣村の経験と日本社会に及ぼした影響をどう把握するのでしょうか。政治はもちろん国会の中だけで、論戦だけで動くものではありません。
結局、この主張は、あたかも民主党の姿勢には反対であるかのようであっても、現政権を支持するというだけでなく、野党の存在をも否定しようとする点で、より悪質だともいえるでしょう。排除の論理は、同時に囲い込みの論理であって、高じると与党以外は認めないということに帰着する。翼賛体制志向を加速するものだといえるでしょう。その点で、小選挙区推進論者で、民主党による政権交代の旗頭の一人であった山口二郎が、都知事選で、共産党を批判してきたことを忘れてはなりません。
問われているのは何か
小沢の土地購入問題と周辺で動いた常識的には考えられない巨額のカネにたいする疑惑は、これを葬り去っては、何も教訓が残らない。問題は解明されない。問われているのは、政治と企業が癒着し、税金のつかいみちをゆがめ、とりかたもゆがめる自民党政治のあり方です。大企業や財界の思惑どおりに政治をすすめることを自民党政治の表現の一つだとすれば、小沢の手法はこの域を出ていないということです。公共事業を舞台に結びつく「政治とカネ」。それを断つ上で、いちばん先に手をつけるべきは、企業・団体献金の全面禁止でしょう。小沢疑惑を追及する姿勢を表面上はみせる自民党も、追及される立場の民主党も、全面禁止を言い出さないのはなぜか。ここに自・民の共通性があるからにほかなりません。政治姿勢の基本として、国民本位ということになっていないからともいえるでしょう。企業・団体の思惑に顔も身もむけざるをえないのです。両党の態度は象徴的にすぎるでしょう。
自民党政治というのは、自民党がやる政治という意味ではありません。企業や財界の支配をどのように断ち切るか、これが当面の政治課題の一つだと思います。それが、小沢疑惑に決着をつけられるか否かに、直接結びついているのではないでしょうか。
小泉政治も形こそ違え、財界に奉仕するという点で少しもかわりないことはすでにのべました(参照)。政権担当者が、自民党であれ、民主党であろうとも、企業・財界による政治のゆがみをどう正すのか、それが問われています。
その意味で、国会内での民主と自民のかけあいなんて、結局、茶番にすぎないと思うのです。
(「世相を拾う」10028)
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離党届・または自民党政治の補完
石川が離党したところで、小沢疑惑が晴れるわけでも何でもありません。言葉を変えて言えば、もっとも狡猾な対応策だともいえなくもない。なぜなら、議員としての身分は保持されるわけですし、民主党にとっては、離党という形式的な絶縁によって自らに火の粉がふりかかるのをはらうことができるというわけですからね。
この石川の離党表明に至るまでに、師匠の小沢との接触の可能性が伝えられています(参照)。自身も、以下のように、すでに届けを出す意向を固めたもよう。
世論意識、一転離党へ=幕引きなお不透明-石川議員 政治資金規正法違反罪に問われた石川知裕民主党衆院議員の進退問題は10日、自身が離党する意向を固めたことで一つの節目を迎えた。「政治とカネ」をめぐり、鳩山政権に対する世論が厳しさを増す中、石川議員は一定の責任を取る必要があると判断。処分に否定的だった小沢一郎幹事長の周辺も「離党はやむを得ない」との考えに傾いた。ただ、議員辞職はしないことから幕引きを図れるかどうはなお不透明だ。 石川議員の処遇に関し、党執行部は当初、「離党も辞任もない」と正面突破を図る方針だった。しかし、非小沢系の仙谷由人国家戦略担当相が9日夜、離党を公然と要求。党内の「けじめ」論が急速に拡大し、処分しなくてもそのうち沈静化するとみていた執行部の思惑とは異なる方向へ事態は動いた。 小沢氏に近い議員は「あまり時間がたつと党内が混乱する。(執行部に)除名しろという声が強まって、おかしくなってしまう」と述べ、混乱回避を優先したとの考えを示した。 また、石川議員自身、党内外の批判を踏まえ、自発的に離党することで局面を転換しようとしたとみられ、小沢氏もこうした判断を尊重した。小沢氏は新党大地の鈴木宗男代表と会談。鈴木氏は同郷の石川議員と毎日のように連絡をとっており、地元の声などを伝えたのに対し、小沢氏は心配そうに「こういうときは静かにしてやるのが一番だ」と語ったという。 一方、社民党は10日の常任幹事会で、石川議員に政治倫理審査会での弁明を求めることを決めた。同党は弁明を見極めた上で、議員辞職勧告決議案の対応を判断する方針で、与党間できしみが出る可能性がある。「民主党は『政治とカネ』で国民に語る必要がある。石川議員だけ切って終わりではない」。視察のため米領グアムを訪れた社民党の阿部知子政審会長は同日夜、民主党に一層厳しい対応を求めた。 |
幕引きがこんな形でおこなわれることは、少しも日本国の政治の教訓にならないでしょう。この際、私は、長年の自民党が政権についておこなってきた政治というものを振り返り、それが日本社会にどんなゆがみをもたらしたのか、それを考えなければならないのではと思っています。長年、自民党は公共事業というものに食い入り企業の癒着を強める一方、献金を集め、その上、政党交付金をも受け取ってきた。ここには、国民という側からみると、公共事業に膨大な税金を注ぎ込み、企業がそこに巣食い、税金を献金という形に変え還流させてきたということです。しかも、「政治とカネ」の癒着が世間の批判にあうと、それをなくす目的という口実ではじまった政党交付金という、これまた税金を自民党をはじめ、共産を除く各党が臆面もなく受け取ってきた。自民党をぶっ壊すといって登場した小泉は、大企業・財界の権益を最大限保障するという点では、従前以上の露骨なやり方で、企業優先の姿勢ととってきたといってよいでしょう。構造改革とは、平たくいえば、企業の利益確保のための日本社会の構造を一変させるというものともいえるわけでしょうから。数字の上でもしばしば指摘されているのは、たとえばそれは企業の内部留保の蓄積に象徴されるような、極端に集中する富と、その他大勢が事実上、生活の苦しさを年々、感じざるを得ないような二極分化でしょう。
今日、小沢疑惑という形で問われているのは、その一つの表現形である公共事業にからむ(企業の)権益擁護と癒着であって、つまりかつての、あるいは長年の自民党政治のゆがみの一つです。小泉構造改革にシンパシーを感じる論者たちは、ですから、自らの立場と、こうした小沢的手法を区別しようとするわけですが、しかし、両者が同じ一握りの企業と財界の権益確保をもっとも重視して、政治をゆがめてしまっているという点に着目する必要があると私は思います。
問われているのは、まさに政治を財界・大企業優先にゆがめてしまうことが許されるのか否かということでしょう。
あえていえば、だからこそ、自民党はもとより、民主党までも企業・団体献金の全面禁止に着手することに否定的にならざるをえない。このに踏み込めば、おそらく自民党も、民主党も、政党の基盤を大きく揺るがされることを承知しているからということです。民主党はしかし、当の小沢一郎が昨年、企業・団体献金禁止を一度は口にしたことを決して忘れてはなりません。
権力との対決という言葉があるとすれば、小沢とその信奉者たちはしばしば小沢対権力という表現を好みますが、権力との対峙という点で今現在、問われているのは、こうした政界を牛耳る一大勢力たる財界・大企業のためにゆがめられる政治を、国民の側に引き戻せるか否かという点に尽きるでしょう。
自らの資金問題を対権力との対決に置き換えてしまう欺瞞は許されない。ほんとうに小沢が権力に対抗するのなら、即刻、自らにかけられた嫌疑を国会の場で晴らしてみせることであり、同時に、企業・団体献金の全面禁止の先頭にたって、立つだけでなく実効に移すことでしょう。
石川の離党なんて、その限りで何も意味ももたない、ちっぽけなものです。
離党などという姑息な手段によって、自民党政治は終焉するはずもないのです。
(「世相を拾う」10027)
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小沢のコピーを演じる石川知裕。。
まったく小沢氏がいったことを、そのまま繰り返している。本人は辞めないつもりらしい。
民主・石川議員「与えられた職責果たす」 議員辞職否定 小沢一郎・民主党幹事長の資金管理団体「陸山会」の土地取引事件で、政治資金規正法違反(虚偽記載)の罪で起訴された同党の石川知裕衆院議員(36)=北海道11区=は保釈後初めて地元入りし9日、進退について「私に与えられた職責を果たしていきたい」と述べ、議員辞職や離党する考えはないと表明した。北海道帯広市での記者会見で語った。 また石川議員は保釈後、小沢氏と一切連絡をとっておらず、面会もしていないと述べた。 石川議員は5日に保釈され、8日に出身地の足寄町に来た。9日夕方に開かれた同党北海道11区総支部の常任幹事会と、後援会の幹部らを集めた緊急会合に相次いで出席し、自ら事件の経緯や進退について説明した。石川議員によると、「離党や議員辞職はせずに、地域の代表として一日も早く国会に戻って活動をするようにと強い励ましを受けた」という。 |
でも、石川知裕のこうした言動に、早速、少しは頭が回るであろう仙谷由人がこういっています。
「私なら離党する」 石川議員進退で仙谷行政刷新相 仙谷由人国家戦略兼行政刷新相は9日の記者会見で、民主党の石川知裕衆院議員の進退について「離党というのもあるんじゃないか。そういう判断をされた方がいいんじゃないかと思う。私ならば最低限そうする」と述べ、同議員に離党を促した。 仙谷氏はさらに「公務員であれば起訴休職制度がある。しかるべき政治家としてそれになぞらえればどうすればいいか、判断していただければと思う」と語った。 |
ようするに、国民世論の視線にどこまで耐えられるかの話です。それは、一議員たる石川自身だけでなく、民主党そのものが世論に耐えられるか否か問われているのが今日でしょう。
石川の師匠である小沢一郎の強弁が伝えられていますが、しかし、現に民主党の内部にこんな声が事実のようです。
首相「秘書逮捕、小沢氏に当然責任ある」 鳩山首相は8日午前の衆院予算委員会で、小沢民主党幹事長の資金管理団体を巡る政治資金規正法違反事件での小沢氏の責任について、「自身の秘書が逮捕され、その責任を感じていると思う。当然、責任はあると思う」と語った。 民主党の枝野幸男・元政調会長は8日朝、さいたま市での街頭演説で、「小沢氏自らあらゆることを公開し、国民の信頼を取り戻す必要がある。それができないなら、身を引くことも含めてけじめを付けることが必要だ」と述べ、国民の理解が得られない場合には幹事長を辞任するよう求めた。枝野氏は、読売新聞社の全国世論調査などで幹事長辞任を求める人が7割超に上ったことについて、「大方の国民が小沢氏の説明を納得していない厳然たる客観的な数字が出ている」と指摘した。 |
「身引くことも含め、小沢氏はけじめを」…枝野氏 民主党の枝野幸男・元政調会長は8日朝、さいたま市での街頭演説で、小沢幹事長の資金管理団体をめぐる政治資金規正法違反事件に関し、「小沢氏自らあらゆることを公開し、国民の信頼を取り戻す必要がある。それができないなら、身を引くことも含めてけじめを付けることが必要だ」と述べ、国民の理解が得られない場合には幹事長を辞任するよう求めた。 枝野氏は、読売新聞社の全国世論調査などで幹事長辞任を求める人が7割超に上ったことについて、「大方の国民が小沢氏の説明を納得していない厳然たる客観的な数字が出ている」と指摘した。 鳩山首相は8日午前の衆院予算委員会で、小沢氏の責任について、「自身の秘書が逮捕され、その責任を感じていると思う。当然、責任はあると思う」と語った。 |
未だに、小沢対検察などと面白、おかしく扱うメディアも見受けられます。が、小沢対検察などハナからなかった架空の話。小沢の反権力なんて本気で考える人の感覚を私は少なくとも疑います。あれほどの巨額のカネを動かす人物を反権力に接続することが可能なのか。小沢は不起訴が決まったとたん、私たちがみせつけられたのは、公正な捜査の結論をもちあげる小沢の始末でしたね。
小沢には、不人気の要因がメディアにあるということでしょうが、小沢が語った内容は、国民を納得させるというにはお粗末で、貧相で、薄っぺらで、まことにしらじらしいウソのように受け取ってもまったく不思議ではない代物だったといわざるをえない。
同じように、石川もその後をついていっているわけですね。
しかし、民主党は、こんな筋のとおらない説明や見解しか披露できなくても、権力を維持できるように動き回っているようです(参照)。互いの打算の産物か。
結局、当ブログでもふれたように、社民党が袖にされる条件は形式的に整ったということです。矛盾は、新たな段階をもたらす引き金になるのですね。
それにしても、小沢のミニコピーなんて。
石川知裕には即刻、辞職を求めたい。
(「世相を拾う」10026)
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