森羅万象、政治・経済・思想を一寸観察 by これお・ぷてら
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政局主義の過剰。
100人が本会議開会に抵抗=民主 民主党は30日午前、若手を中心に約100人の議員を衆院議長応接室前に集結させた。それぞれの議員は、租税特別措置法改正案の再可決のための本会議開会に抵抗しようと「権力の乱用」「民意を無視した」などと書いたプラカードや横断幕を掲げながら、「解散して民意を問え」「今の与党は非国民だ」などと気勢を上げた。周辺は一時騒然となった。 ただ、民主党の抗議活動に対し、他の野党からは「せっかくの国民の支持が離れてしまう」との冷めた声も聞かれた。 |
国会内の闘争は、国会外の国民の支持を得なければならない。
勇ましい闘争心はよいのだが、それが国民に受け入れられなければ元も子もない。 国民の意識動向と社会運動とかみあっていてこそはじめて意味をもつ。
たとえば、「権力の乱用」「民意を無視した」などと書いたプラカードや横断幕を掲げるのはどうか。示威行為をおこなうのは、国民の権利であることにちがいない。しかし、国会のなかで、プラカードや横断幕をかかげるより、論戦で自民党を負かしてこそ民主党の株があがるのではないか。徹底して自民党の国民から遊離した姿を暴き、自民党とは異なる民主党の姿を私はみたい。
これでは、また、未熟な民主党が国民には浮き彫りになるだけだろう。政策でも、自民党を凌駕し、圧倒的な支持をえているとはほとんど思えない。その上、かねがね指摘されてきた国会戦術の未熟さは、いよいよ極まっていると私にはみえてしまう。
せっかく衆院山口2区補選で確認されたことは、自民党ではダメだということのみなのだから。つまり、民主党しかないということではない。
どうも民主党の戦術は何かと頓珍漢で、ましてや戦略など描き切れているとは到底思えない。
政局主義のこれほどの過剰にはまったく閉口する。こんなレベルの闘争なら、早く止めて、すっきりと卒業してほしいのだけれど。(「世相を拾う」08073)
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立ちすくむのは、自民党と民主党。
生活保護には後発医薬品-通知を撤回、厚労省
どうやら厚労省は、先に発信した社援保発第0401002号通知を撤回するらしい。
朝日新聞(電子版4・29)が伝えている。
ジェネリック使わないと生活保護ダメ 厚労省通知 生活保護を受けている人に価格の安い後発医薬品(ジェネリック)を使わせるため、先発品を使い続ける場合は保護の停止を検討するよう、厚生労働省が各都道府県への通知で求めていたことが明らかになった。しかし、批判を受けて厚労省は28日、通知を撤回する方向で検討に入った。 厚労省は医療費の抑制のため、後発品の使用を促進している。今月1日付の通知で、「(生活保護の)受給者は医療費の自己負担がないため、後発品を選択するインセンティブが働きにくい」と指摘。医薬品の使用状況を調べ、正当な理由なく価格の高い先発品を使い、後発品への変更指示に従わなかった場合は「保護の停止または廃止を検討する」としている。 舛添厚労相は28日の参院決算委で「とにかく生活保護の方、後発品にしなさい、ととれる文章使いがあった。書き換えさせている」と表明。厚労省は通知を撤回し、受給者にも先発品の使用を認める通知を出し直す方向だ。 |
当然の結果なのだが、こんたさんがコメントで的確に指摘されているように、「一度発した言葉は訂正出来ても、発した方の思考は広く知れ渡る」。
問われているのは、この厚労省の思想である。
当ブログは、この問題を連続して扱ってきたが、生活保護受給者を他者から切り離して「扱おう」とする思想を批判してきた。
日本国憲法第99条は、「憲法を尊重し擁護する義務を負ふ」者を列記している。対象は、天皇又は摂政及び国務大臣、国会議員、裁判官その他の公務員なのだ。
だから、この意味で、今回の通知にみられる厚労省の思想は、14条(*1)や25条にてらし、憲法に違反するものだろう。
さらに、通知の内容は、医療という行為に介入するものだといえる。
記事によれば、撤回によって現場での混乱という事態はいったん回避されたことになる。
けれど、深刻に思うのは、国民の生活に直結する分野を担う厚労省が、年金、後期高齢者医療制度、そして今回と失態を繰り返していることだ。
それは、本来、憲法25条2項によって、「国は、すべての生活部面について、社会福祉、社会保障及び公衆衛生の向上及び増進に努めなければならない」という使命を担うべき厚労省の自己否定だといえる。
長年の自民党政治のなかで、政府・厚労省は、日本国憲法を尊重し、守ることの意味など、どこかに置き忘れてきたようだ。
そのことは、政権を担う資格そのものを放棄していることになるのだが。(「世相を拾う」08072)
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*1;第14条 すべて国民は、法の下に平等であつて、人種、信条、性別、社会的身分又は門地により、政治的、経済的又は社会的関係において、差別されない。
【関連エントリー】
生活保護と後発医薬品(08年4月28日)
「生活保護は後発品…」その後。。(08年4月27日)
厚労省が差別を指示-生活保護は後発品を使え。(08年4月18日)
憲法99条-一分(いちぶん)ということ(07年1月20日)
生活保護と後発医薬品
その1
ジェネリック医薬品:生活保護者に安価薬 「違反者」割り出し徹底 生活保護受給者に対してジェネリック(後発)医薬品の使用を事実上強制する通知を厚生労働省が自治体に出していることが明らかになった。背景に医療費抑制を迫られる“国の懐事情”があり、通知書でも「後発医薬品は安く」「医療保険財政の改善の観点から」など、お金にかかわる文言が並ぶ。一方、指導に従わない生活保護者を割り出すため、薬局に1枚100円の手数料を払ってまで処方せんを入手するとしており、なりふり構わぬ様子がうかがえる。 |
生活保護受給者を他から切り分けて、後発医薬品を使えという厚労省の指示をもちろん私は強く批判する。けれど、生活保護受給者は権利の上でも他とは区別されるべきだという意見も少なくないように思える。
「生活保護を受けるのなら、受けない人と同じ権利は得られないのは当然」という、いただいたコメントは極論だともいえそうだが、しかし、厚労省の思惑、つまり生活保護受給者は後発医薬品でよいという立場への支持も潜在的にあるということだ。
このエントリーで、以下のとおりコメントへ応答しておきたい。
====
すべて国民は、健康で文化的な最低限度の生活を営む権利を有する |
と憲法25条にあるとおり、すべての国民、つまりだれでも「健康で文化的な最低限度の生活を営む権利」をもっています。
健康で、文化的な、最低限度の生活が保障されていると解してよいでしょう。
一方で、生活保護法は、「この法律は、日本国憲法第25条に規定する理念に基き、国が生活に困窮するすべての国民に対し、その困窮の程度に応じ、必要な保護を行い、その最低限度の生活を保障する」と定めていますね。
だから、最低限度の生活はひとしく保障されるということでしょう。
ならば、医療を受ける権利もひとしく保障されなければなりません。誤解のないようにかさねていえば、(医療を)「受ける権利」はだれであろうと、権利としては同じで、権利の大小なんてない。
医療というものが現物で給付される日本では、受ける人がだれであろうと同じものでなければなりません。医療行為が、生活保護受給者にはこれであって、そうでない人にはこれとはちがうあれであってはならないのです。
厚労省がやろうとしていることは、まさにあれとはちがうこれを生活保護者に限って実施しようというものでしょう。私が差別だというのはこの点です。
最低限度(の生活)という言葉へのこだわりを、いただいたコメントから、私は率直にいって受け取るわけです。
医師の診断にもとづき病名が決まり、処方内容も決定される。診療の内容も確定する。処方内容や診療内容が、生活保護受給者か否かで決まるわけではない。
ましてや医師はすべて先発品でないといけないともいってないでしょうし、後発品を使うのは生活保護(受給者)のみともいってはいないでしょう。
後発医療品を使う事イコール、弱者切捨てではありません。 |
「後発医療品を使う事イコール、弱者切捨て」なんて誰もいってないわけですね。
診断が同じであるのに、医療の内容を生活保護受給者とそうでない人とを峻別しようとする厚労省の意図を批判しているのです。
安く済む医薬品を、高い医薬品にした事による差は、誰かが負担している |
負担するという意味では患者以外にはないでしょう。そして負担のない生活保護者分はつきつめれば税金ということになるでしょう。
むしろいいたいのは、医薬品で必要以上にもうかるしくみが厳然としてあることです。先発品を開発するのは大製薬メーカーですから、彼らは膨大な利益をあげている。そのしくみにメスをいれるべき。あわせて多大な利益をあげているのですから、応分の負担をもとめなければなりません。社会保障を社会保障として成り立たせていく上でも。
====
日本では、働いてはいても、生活保護水準以下の所得の人びと、ワーキングプアの存在が広く知られるようになった。数百万ともいわれるこれらの人びとは、もっとも手をさしのべられるべき対象である。生活保護受給者は権利の上でも他とは区別されるという一つの考え方、立場は、ワーキングプアの存在をどう解釈し、今回の後発医薬品でワーキングプアをどのように位置づけるのか。
だれかが、だれかの分を負担することを認めるか否かは、つまるところ社会保障や所得再分配の是非に通底する。
所得の多い人から低い人へ垂直的に分配するという考えが前提にあって、社会保障もはじめて成り立つ。
大企業には開発にかかわる優遇税制もあって、税制上、幾重にも優遇されている。が、その意味でも、たとえば製薬大企業に応分の負担を求めることは、すぐにでもやらないといけない政府の仕事ではないか。
その2
いくつかの点についてここでふれておく。
後発医薬品は、一般的に開発費用が安く抑えられることから、先発医薬品に比べて薬価が低くなっており、政府においては患者負担の軽減や医療保険財政の改善の観点から後発医薬品の使用促進を進めているところである。 被保険者については、通常医療に係る患者負担が発生しないことから、被保護者本人には後発医薬品を選択するインセンティブが働きにくい状況であるため、必要最低限の保障を行うという生活保護の趣旨目的にかんがみ、被保護者に対して、医学的理由がある場合を除き後発医薬品の使用を求めるものとする医療扶助における後発医薬品の取扱いを定めた |
このように今回、厚労省がとる措置の位置づけを厚労省自身はのべている。
後発医薬品の使用促進を厚労省がかかげてきたのは周知の事実だが、思惑どおりにはすすんでいない。
上の文でいおうとしているのは、費用負担のない生活保護だから、後発品を使おうという指向が働かない。したがって、厚労省が「医療扶助における後発医薬品の取扱い」を定め、後発品に切り替えていくというものだ。
具体的にどのように取り組んでいくのか、つぎのように厚労省はその方向を示している。
その対応は、福祉事務所にむけた対応と、医療機関および薬局にたいする協力依頼、とに区分されている。
ここで、推測されるのは以下の点である。
第一に、福祉事務所にたいする指示によって、厚労省の意図する方向への管理強化。福祉事務所への指導を強化することによって、生活保護受給者は萎縮することになるだろう。通常、受給者が頑なに先発医薬品を使えと希望することなどほとんどないと思うし、受給者は福祉事務所の態度を過剰に意識しないといけないような立場にある。
福祉事務所にたいしては、つぎの点で周知徹底を図るよう求めている。
|
第二に、厚労省は、医師および薬剤師にも「協力」をよびかけている。さすがに、厚労省は医師や薬剤師の業務に直接的に介入しようとは文章上は明記していない。処方するのは医師だからである。処方に基づき、医薬品を出すのは薬剤師だからである。だから「協力」なのであって、それは、むろん福祉事務所や生活保護受給者への言い回しとも異なり、一方での高圧的態度はここでは垣間見ることもできない。
あくまでも「協力依頼」にすぎない。いいかえると、後発品の使用を半ば義務づけるような、強い姿勢を表明し、生活保護費を削減しようという厚労省の立場も勘案して、協力してほしい、協力せよというものだ。
裏を返せば、医師法や薬事法に則っていれば、医師のいかなる処方にたいしても介入できないのだ。
先発医薬品を使っている受給者は誰かということまで報告させるという今回の措置は、歯車が狂っていて、端的にいえば弱い者をたたこうとするもっとも卑怯な手口にほかならない。
この後発医薬品問題をとおして、社会保障とは何か、生活保護とは何か、医療費を押し上げているのはだれか、社会保障の財源はどのように確保するのか、明示されないといよいよいけないが、いずれの課題でも、現在の政府・与党が政策的に行き詰まっていることを強く感じる。(「世相を拾う」08071)
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【関連エントリー】
「生活保護は後発品…」その後。。(4月27日)
厚労省が差別を指示-生活保護は後発品を使え。(4月18日)
ブックマークに 大脇道場! を追加しました。
「生活保護は後発品…」その後。。
「生活保護の医療扶助における後発医薬品に関する取り扱いについて」という、問題の厚生労働省の通知を受けて、函館の福祉事務所が発信した文書を前回エントリー(下記リンク)で紹介した。
冒頭の厚労省通知が具体的にうごきはじめているようだ。
隣県の薬剤師会が関係の薬局等に通知した内容を送ってもらって、それを確認してみた(写真右)。それには冒頭の社援保発第0401002号通知の写しが別紙として添付されている。
薬剤師会の通知には、つぎのように書かれている。
当該取扱い(医療扶助における後発品の取扱い=引用者)では、処方医及び薬剤師が後発医薬品の利用が可能と判断した場合には、被保護者は原則として後発医薬品を選択されることとされ、特段の理由なく後発医薬品の選択を忌避していると認められる場合については、被保護者に対して指導等が行われます。 |
一見するとどこにも問題がないような文章だけれど、もともと医師がある医薬品を利用しようと判断し、診療の場で患者にそれを説明をすれば、ほとんどの患者は了解するだろう。いうまでもなく専門家である医師と患者の関係は、双方向ではあっても非対称であるからである。端的にいえば、患者が医師より医学的な専門知識をもつのは通常はありえないからである。医師が患者である場合もふくめて、なかには、医師に劣らぬくらいの専門知をもつ人がいるにはいるだろうが。
しかし、以上で薬剤師会が会員薬局・薬剤師に伝えようとしていることは、そのことではない。そうではなく、後発品を「特段の理由なく」選ぼうとしないケースについてである。こんなことは、ほとんどありえないと思うのだが、なぜ厚労省が、ある種特別の例を引き合いに出して、厚労省の態度を通知という形で徹底しようとしているか、そこにこの問題の本質があるだろう。
結論を先にいえば、生活保護の徹底した削減である。生活保護を制度的に廃止しようとする意図とそれは連続している。
別のいいかたをすれば、徹底した弱者への政策的、差別的態度である。この問題での生活保護受給者への態度と、あるいは母子加算廃止にみられる母子家庭への容赦ない姿勢などをみれば、ただちにそれが浮き彫りになる。生活保護の老齢加算廃止も、生活保護の移送費問題も同じ性格だといえる。
厚労省のねらいは、生活保護というトータルな制度的枠組みのなかの部分で改悪を積み重ね、生活保護という制度そのものを骨抜きにしようとするものだ。
そのなかでも、すでに母子、高齢者という部分を排除しようというのだから、差別的態度は徹底しているといわなければならない。
厚労省が差別を指示-生活保護は後発品を使え。に、いくつかのコメントをいただいた。そのなかに、つぎのコメントもあった。
生活保護受給者が医療扶助(生活保護の援助の一つ)を利用し通院する場合、生活保護受給者に医療について選択する自由はありません。 医療扶助は生活保護事務を実施する福祉事務所(自治体)と医療機関(病院・薬局)との間で交わされる委託・受託事務だからです。 そこに、生活保護受給者の意思は介在しません。 「厚労省が特定の者を選定して、そこに介入することはおかしい」と言う事事態(ママ)がおかしいんです。 |
最大限ゆずって、受給者には「選択する自由」がないと仮定して、では「選択する自由」はどこにあるのか、あるいは誰がもっているのか。まさか厚労省だとは書き込んだ人もいわないだろうが、上にのべたように医療というものが、患者と医師の共同の営為ととらえるなら、その関係性にこそ医薬品を選択する自由はあるだろう。
その意味で、厚労省は(医療に)介入しているのである。
新自由主義というものは、下支えがあってはじめて成り立つということを別のエントリーでのべたが、このコメントはそれを如実に示す一例だろう。「自己責任論」と他者への恤救的視点がそこに厳然としてあるのだ。
厚労省は、少なくとも舛添厚労相の最近の言動によるかぎり、毎年2200億円、1兆1000億円の削減計画を実行に移すのは限界に来ているという認識に立っていることになる。だから社会保障削減の連続の結果、削減が限界にきているという厚労省の言葉どおりに受け止めれば、今現在彼らがやろうとしていることは、そのなかで最も弱い部分をさらに切り捨てようとする以外のものではない。
つまり、移送費問題や今回の「後発医薬品問題」でみえてくるのは、貧困と格差をさらに徹底しようとする、厚労省の新自由主義的態度である。
厚労省がやらなければならないことは、社会保障削減をやめることである。それを身をもってやってみてはどうか。(「世相を拾う」08070)
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coleoの日記;浮游空間に一部改変し公開しました。
反共という水脈。
非国民通信さんのエントリー反共主義は不滅なり? に、以下のとおりコメントしました。少し長くなりますが、ご勘弁を。
こんにちは。ご無沙汰して申し訳ありません。
エントリ、とても興味深く拝読しました。 >共産党に理解のある人は科学的で、反共産党主義者は似非科学が好きとか、そう言うわけではないはず ですね。 私にとって大事だと思えるのは、「かつて石原慎太郎以外ならだれでもいい、○○でもいい(○○には有名泡沫候補の名前)、そう公言していた人がいました」、そして「唯一の対抗馬として共産党系の候補が立候補を宣言すると、大慌てで民主党は何をしているのか、民主党は早く候補を立てろと、そう訴え始める始末です」という事実です。これは、両派に共通したように思える。もちろんそのくくりから離れる方もいるのでしょう。 |
氏のエントリーの続編; 続・不滅の反共主義 とあわせて読むと、氏の主張は、なかなか興味深い命題をはらんでいます。
同時に、コメントにも示したとおり、「水伝」騒動に私は興味はない。「水伝」というある種の事象にたいする姿勢に違いがあるにしても、それは政治的な立場のちがいを鏡像的に反映しているものではもちろんない。「水伝」にたいする立場の違いを政治的立場(のちがい)に還元してしまうと誤るのではないか、そう思う。
このようないわば部分的問題としてではない問題を、あらためて非国民通信さんは提供している。
反共産党というある種の思想は、表面上の左右を問わずなぜ「永遠に」続くのか、ということです。私の言葉でいえば、日本人のなかに潜むダブル・スタンダードがなぜあるのか、ということです。
おそらく、それはとくに欧州のパルチザンなどのように共産党の姿にふれる機会が日本では極端に少なかったことに起因している。この点で、絶対的な戦前・戦中の天皇制ともあいまったこととも無縁ではないといえるでしょう。いまでもアカという僭称は生きている! これをどうとらえるかということです。ということは歴史的にアカとはこんなものだと(日本人のなかに)伝承されているということでしょう。
つまり、私自身は、非国民通信さんのおっしゃる「左翼運動が崩壊した時代をリアルに体験しているかどうか」という見立て以前の問題があると考えているわけです。
分かりやすくいえば、共産党が仮にどんなに政治的にうまくふるまおうと、そうでなかろうと、共産党というものを事実上、括弧でくくるという日本の歴史が醸成されてしまっているのです。それに加えて「左翼運動が崩壊した時代」をちょうど日本で新自由主義が徹底されてきた時代と重ね合わせると、いっそうその傾向が強調されたときでもあったと受け取れる。自己責任、自助努力などというイデオロギーにとっては、サヨクとは、吐き捨てるべきパーリアにすぎないのです。市民派も、リベラルも、結果的にパーリアと信じてしまっている。
こんな文脈で考えると、今現在の政党配置を考えた場合、私自身は、たとえば民主党の伸張がどうであるのかというよりも、日本共産党の政治的伸張のほうがはるかに日本の今後、政治状況におおきな影響を与えると考える一人です。実際、民主党と比較してきわめて小数の共産党の存在意義の大きさは、真摯にながめればよく理解できるのではないでしょうか。
あわせていえば、民主党のめざす政治の本質的な方向をこれまでの自民党政治と異なるものだとは私は一切考えない。
いま、長年の自民党政治の綻びとゆきづまりがいよいよ表出しています。それを打開する展望も、方法も、おそらく小沢氏を先頭にする民主党はもちえていないと考えるのです。
だから、その意味で、日本の反共風土をどうとらえるのかということとその克服について無関心ではいられない。
非国民通信さんの問題提起に大いに触発されるのです。
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大言壮語とはこのことか-橋下発言の意味論
勘ぐりすぎかもしれないという前置きをしておく。
橋下知事の発言は、とりたてて新味のあるものでもない。つまり「小さな政府」を思い浮かべるわけだ。直感的に思うのは、府を解消するということだから、府の責任範囲をきわめて限定すること。
橋下知事「大阪府を解消する」 権限、市町村へ移譲検討
彼の発言には、常に、いかにも従来とはちがうよというてらいがある。
「大阪府庁を発展的に解消する。府の権限と人とお金をできる限り市町村におろす」という。が、府が取捨選択した「府の権限」は市町村におろされるかもしれないが、それとて財政的な保障がはっきりしなければ権限を行使しようがない。そうなると、市町村はそれを「お荷物」と感じてしまうだろう。
まず、「人とお金」が市町村の思うようになると思ってはならない。
「府だけで進めるのは困難。国や他の都道府県と連携する必要がある」と、記事中にもあるように、本格的にやろうと思うと、国の了解を要するだろう。橋下氏が大々的にうちあげたのだが、容易ではないし、橋下氏自身の本意は、財政支出削減に集中しているのだから。
氏には道州制も頭にあるだろう。一方で、日本国国民は、「三位一体改革」のただなかにもあるわけだ(参照)。
だが、軽さだけが先行すると、あとで手痛いしっぺ返しがくることは歴史が教えている。
氏自身も、何度も前言取り消しせざるをえない目にあっているではないか。
知事が府下の自治体首長の厳しい意見をうけて涙したことが報道された。この報道後、こんどは「知事をいじめるな」という抗議が逆に首長に集中した。
「府を解消」という言葉をまず、軽い知事を選んだ府民は甘んじて受けなければならない。府民は府知事として橋下氏を選んだわけで、橋下氏はその大阪府を壊そうとする。
どこかでみた景色ではないか。そう、小泉がすすめた改革を思い出すがよい。
ことが進むなどと思うのは、余りにも軽すぎる。(「世相を拾う」08069)
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日米同盟または「サヨもどき」。
昨日は中川敬の、明快なメッセージについてふれた。
たまたま、大澤真幸の最新刊『逆説の民主主義』 を読んでいるが、大澤はこう指摘していた。まったく賛成である。
私は「日米同盟」という表現が気になる。この語が指しているのは、日米安保条約に基づく両国の関係だが、かつては、この語が用いられることおはきわめて稀であった。おそらく、1980年代までは、日米安保のことを「日米同盟」と呼ぶ政治家は、ほとんどいなかっただろう。親米派も、反米派も、この語を用いるのが普通になったのは、おそらく、90年代の半ば過ぎである。どうして、「日米安保」は「日米同盟」になっただろうか? 私の考えでは、「日米同盟」という語には、日本人のアメリカに対する―-とりわけ冷戦終結以後の―-の屈折した感情が込められている。「日米同盟」と聞くと、まるで、日本とアメリカの対等なパートナーとして、友情を結んでいるかのように聞こえるだろう。だが、日米安保条約は、明らかに非対称な関係を規定する条約であって、日本に対しては消極的な、アメリカに対しては積極的な義務を割り振っている。この条約のもとで、日本人はアメリカに対して、不安と負債感を抱いているのだ。 |
これまで当ブログでは日米同盟および安保条約について、以下のエントリーを公開してきた。
NHKスペシャルの「リアリズム」と日米同盟の今日
「毎日」記者の目は地位協定をどうとらえたか。
この2つのエントリーからみると、大澤の見解は当ブログの立場とおよそ一致しているとみてよい。
ところで、大澤のいう「不安と負債感を抱いている」のは多くの日本人であるのだろうから、だとすると、自称「平和・リベラル」の人も、そしてあるいは自ら「左派」だと位置づけている人でさえ、その呪縛から解き放たれてはいない。
常日頃、勇ましい言説で鳴らしているブロガー諸氏もまた、日米関係に入り込んでしまうとたちまち沈黙してしまう、こんな感触を私自身はこれまでもってきた。
ちょうど、大澤自身がつぎのようにのべている。
「護憲」を訴える者すら、②(憲法の方を基軸におき、日米関係を憲法に整合するものへと転換する=引用者)を貫き通すのは現実的でないと考えている。 |
なるほど、私たちの周りの「平和・リベラル」ブロガーは、多くは、日米関係の血なまぐさい関係を前にたじろいてしまう。たちすくむのだ。大澤の指摘はこの点で当たっている。彼らのすくないない部分が、民主党支持をうたってはばからない現実と整合している。
つまり、この現象は、私の見立てでは、以下のダイナミクスのとらえ方のちがいによっている。
大澤曰く。
日本国憲法の精神と日本の安全保障政策の基本的な方針との間の矛盾である。日本の安全保障政策の中核は、言うまでもなく、日米安全保障条約にある。憲法と日米安保とは、相補的であると同時に、拮抗的な関係にあるのだ。 |
これが要諦だろう。補う言葉などまったくない。
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【関連エントリー】
中川敬とメッセージ
中川敬とメッセージ
知ってる人は知ってるが、ほとんど知られていない。だろう…。
ソウル・フラワー・ユニオンのリーダーだ。
2年前だったか、こちらにグループがきたとき、この歳でライブにいった。
若者でない管理人が今さらノリをうんぬんするのは野暮というもので、その気はないが、しかし、彼らのメッセージはとにかく強烈だった。叫び、シャウトの連続のなかに、明確なメッセージが読み取れたし、20曲近い楽曲は、多様な地域性を反映した、異色のメロディーであって、楽しむことができた。
メッセージを伝える歌は多い。逆に、何らかのメッセージを伝えるものが歌なのだろう。しかし、音楽というものの出来不出来は、歌う者と聴く者の間の、旋律とリズムを介したメッセージをとおした応答関係が成立するか否かにかかっているように思う。少なくとも、その日、中川をはじめソウル・フラワー・ユニオンとの間にその関係はちゃんと成立したとように思えた。
その中川が、小冊子に「戦争が人為なら」という短い文章を寄せている。
憲法9条を守るべき理由のひとつに、改憲しようとしているのがまさに憲法だということがあります。彼らは会見しても守らない。改憲したら一気に重しが外れて東アジア全体の政治状況が変わっていくでしょうね。
「日米安保はさておき、憲法9条を守ろう」という雰囲気もあるけど、それは駄目。ヤマトは戦後60年以上、米軍基地の大半を沖縄に押しつけてきました。憲法9条を守っても安保をなくさなければ沖縄を踏みつけにし続けることになる。「文言」をまもるだけでは駄目なのです。 |
中川の発言は、悪いが、民主党のどの議員よりも日本国の現状をとらえているようにみえる。正鵠を射ている。
「具体的な対象があって、その対象に語りかけようとする」能動性が迸る中川である。
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ベルルスコーニの「ピンク政権」論と日本国。
ベルルスコーニがこんなことをいっている。
http://www.asahi.com/international/update/0418/TKY200804180082.html?ref=goo
三度目の首相に就任する彼がやり玉にあげたのは、スペインのサパテロ政権。
新しく組閣されたスペインの内閣の陣容でその過半数が女性なのを、相当に意識した発言だといえる。
ピンク過ぎるという発言は、もとより自らの内閣との差異を強調している。
2つの意味を発言は持っていると思う。
一つは、サパテロ政権は、自分(の政権)より左寄りだという意味で、赤ではないがピンクだという差別化である。自分はちがうという意味が込められていると推測される。
記事によれば、直接には、女性閣僚の多さに対する反発である。しかし、それを意識しているのはまちがいなく、自ら4人の女性を登用するという。けれど、守旧派の彼はサパテロほどの「勇気」、つまり内閣の過半数を女性が占める状況をよしとはしないというほどの意味の発言だろう。
ようするに、ベルルスコーニ発言は、総合すると、サパテロ政権を異質のものと断定しているといってよいのだろう。
けれど、私がより興味をもつのは、ならば自らの政権を、ベルルスコーニ自身は色彩でどう表現するのかということである。
黒か。それとも灰色か。
マフィアとの関係といい、強圧的な政治姿勢、言動をもってすれば、右派とよばれることを少しも辞さないのだろうし、黒か灰色がふさわしいのだろうが。
メディアには、その突っ込みが必要ではなかったか。
そこで考えるのは、わが日本国の政権のことである。
福田政権にかわって7カ月になろうとする。
福田氏の首相就任後、ときがたつにつれて、首相のイニシアチブや統率力の無さがさまざま語られ、その勢いは強まりこそすれ、弱まることはまったくない。
こんな世論調査の結果がそれをいっそう加速させる(*1)。
福田内閣、不支持が5割超=支持続落27.6%に-時事世論調査
福田政権の誕生以後、この政権の性格づけについて再三、当ブログでは言及してきたが、その基本線はいっこうにかえようとは思わない。ようは、この政権自体が、二院制の「ねじれ」と政権放り出しの跡を継いだという意味で、何重にも制限された政権であるということだ。これは、おそらく福田氏以外の人物が仮に首班になっていても本質的にはかわらなかったろう。仮にちがいがあるとしても、せいぜい程度の問題である。逆に、それほどの自民党のゆきづまりを私は感じている。
年金記録の問題。守屋事件。米兵による暴行事件。そして「あたご」の衝突事件。
まだまだこれにとどまらない。
薬害肝炎訴訟。
後期高齢者医療制度にたいする高齢者の本質的批判。
これらは、長年の自民党政治の「遺産」を引きづった結果だろう。
だから、以上の点で、日本国の政権は無色なのかもしれない。もとより、独自色をだせないという意味で、色彩で政権を語れないほどの、他動性の内閣だといえるのだろう。
どのように表現するのか、色彩を決めるのは国民だともいえる。
そして、表現すべきキャンバスをとりかえるのも国民ということだ。
かぎは有権者が握っている。(「世論を拾う」08068)
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*1;支持率が何%だとか、そのいちいちをとりあげることに、ほとんど私は意味を見出しません。ただ、意味があるとすれば、支持率が続落していること、その傾向にこそあるのでしょう。
厚労省が差別を指示-生活保護は後発品を使え。
全国の福祉事務所にたいし、「生活保護受給者には価格の安い後発医薬品を使わせる」よう指導したというのだ。
16日の関西テレビ『ニュースアンカー』という番組で報道されている。この事実を友人からのメールで知った。
下記に、関西テレビの当該ページをあげる(右写真。クリックすると拡大します)。
http://www.ktv.co.jp/news/date/20080416.html#0282835
問題の課長通知(*1)は、厚労省サイトには未だに公開されていない。しかし、すでに函館市の医療機関には福祉事務所から事務連絡が届いているという。
その事務連絡は、以下のとおり。
- 必要最低限の保障を行うという生活保護法の趣旨目的にかんがみ、被保護者に対しては、医学的理由がある場合を除き、後発医薬品を使用するよう お願いします。
- 後発医薬品の使用に関して、被保護者から相談を受けた場合は、効能や安全性について、できるだけ分かり易い説明をお願いいたします。
- 被保護者にかかる調剤の内容を確認するため、当福祉事務所から、処方箋の内容確認や、処方箋の写しの提出をお願いする場合がございます。その際は、ご協力をお願いいたします。
この通知は、3月3日の厚労省・関係主管課長会議において、すでに伊奈川保護課長が発言した内容を受けたもの。
この発言や冒頭の通知で明確なのは、「貧乏人を差別する思想」であって、彼らには「必要最低限の医療」を施せばよいという考えがここに貫かれていることだ。
医療給付費をいかに抑えこむかという発想のみの、厚労省の姿勢は厳しく批判されないといけないだろう。つまるところ命の差別化をもたらすものといっても過言ではない。
いうまでもなく医学的に後発医薬品では対応できない疾患がある。そんな疾患が生活保護受給者をよけていくわけではないのだから、この厚労省の対応は看過できないものだ。結局、医師の処方にたいする介入につながってしまう。
一方では、先発薬品を開発する製薬大企業が膨大な利益(*2、参照)をあげているなかで、そこにメスを入れることはない。それなのに、生活保護受給者をねらいうちにするような今回のやり方に、正直怒りを覚える。
医療費の削減をいうのならば、大製薬メーカーが儲け過ぎるしくみをなくすことこそ、まず着手しなければならない。
4月からはじまった後期高齢者医療制度といい、そしてこのニュースといい、いずれも医療の差別化を徹底しようとする厚労省の姿を如実に示すものだ。(「世相を拾う」08067)
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*1;「生活保護の医療扶助における後発医薬品に関する取り扱いについて」(2008年4月1日 社援保発第0401002号 厚生労働省社会・援護局保護課長発)
*2;以下には世界の製薬メーカーの利益率が記載されています。税引き前利益率で武田薬品が第3位。しかも利益率が40%を超えていることに驚かされます。
http://www.utobrain.co.jp/news-release/2003/092500/UBRelease0309.pdf
お知らせ再び-9条世界会議
しょせんは高齢者の制度、と侮れるか。
大混乱になっている今回の医療制度は、06年6月に自公の強行によって成立した医療改革法にもとづくものだが、この法自体、実に12本の法律からなっていた。しかも、21項目にもおよぶ付帯決議がつけられたことにも象徴されるように、いくつもの問題点を最初から含んでいたということだ。
その医療制度が、今、多くの高齢者の強い批判を呼び起こしている。怒りが沸騰し、大げさでなく列島を震撼させるほどのものとなっている。
医療改革法は、医療費、公的医療保険からの給付費を抑え込むことを最大の目標としてきた。日本国の経済・財政と「均衡」させようというねらいで、具体的にいえば経済成長率の枠内に給付費を抑えようとするものである。
この中心となったのが、「高齢者の医療の確保に関する法律」であって、後期高齢者医療制度として今日、具体化されたということになる。
そこで、このエントリーのタイトルにかかわってのべたいのは、以下のことである。今回の新しい医療制度では運営主体が広域連合に定められた。つまり都道府県単位に定めたのだ。これは意味がもちろんあって、医療改革法は、被用者保険も高齢者医療制度も都道府県を単位にしようとするものなのである。いまは市町村単位で運営されている国民健康保険も今後、都道府県単位の財政運営がもくろまれている。
このことは別の角度からみると、都道府県単位の(医療)給付費にもとづいて、それを反映した保険料が設定されるということである。現在の社会保険料は同じ給与支給額であればどこでも同じ保険料のはずだが、これが都道府県ごとに少なくともちがったものになる。換言すれば、医療費の高い都道府県では、高い保険料を払わねばならないことになる。
この結果、医療給付費を自ら削減して保険料を低く抑えようとする構図を描くことができる。ちょうど蛸が生き残りのために自分の足を食べるように。笑えない図だといえるだろう。
日本には憲法25条があって、そこで(国民は)最低限度の生活を営む権利を有すると定められている。自公政権の政策的対応は、ひとことでいうならば、医療保障にたいする国の責任を徐々に後退させながら、地方自治体を競わせ、地域間の医療格差・健康格差をいっそう拡大するものと推測できる。
それは少なくとも25条を定めた精神とは対極のものである。
だから、全国で多くの高齢者の切実な訴えと怒りは、短い審議時間で採決を強行した自民、公明両党に向けられなければならない。そして、付帯決議の多さにも表れているように、問題山積の法律で苦しめられるのは高齢者であって、彼らは、ある意味で実験台を引き受けさせられたといえる。
いずれ被用者保険がどんな姿にかえられていこうとするのかを示す、プロトタイプがそこにある。(「世相を拾う」08066)
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金の有無でやはり排除-医療費と受診抑制。
こんな結果が、日本医療政策機構の調査で明らかになった。
受診抑制:3割が経験…低所得層では4割近く 費用かかり
記事がいうように、この間の「制度改正」で自己負担は原則3割となっているため、受診すれば、それなりの医療費を窓口で支払わねばならない。調査結果が示しているのは、この自己負担という費用がかかるために、自分の懐具合をみながら受診をあきらめる者が3人に1人程度の割合でいるという事実だ。
ちょうど1年ほど前に、同じ日本医療政策機構の調査結果について言及した。
格差社会の一面 -医療費支払いで不安、低所得層
なので、今回の調査は連続して低所得者の受診抑制が際立っていることを示したものといえそうだ。
ところで、自己負担は、確実に医療を受けることのできない人をつくる。
いうまでもなく、所得の多寡にかかわらず、同じ医療内容であれば、同じ医療費のはずである。したがって自己負担は、低所得者ほど負担感が強い。
だから、「低所得層(年間世帯収入300万円未満など)では39%に達する。高所得層(同800万円以上など)は18%、中間層は29%で、低所得層ほど受診を控えていた」という結果のとおり、低所得者ほど抑制する傾向が強くなる。
これは、社会保障の本来の機能であるはずの所得再分配からすると、まったく逆の結果ともいえる。所得再分配は、所得の高い人から低い人へ、結果的に垂直的に所得を分配するしくみのはずだが、給付面で低所得者が疎外されると、その機能が現実に停止していることを意味している。
比較的所得の高い人は必要な医療をうけることができる一方で、必要な医療を低所得者は受けられないというまさに矛盾がそこにある。
その結果、以下の研究が指摘するような健康格差が生じかねない。
格差社会は健康をむしばむ
ここで、近藤克則氏が指摘したのは以下のデータをもとに、「日本でも階層間で約5倍もの健康格差がある」ということだった。
氏は、3万3千人のデータをもとに、抑うつと所得との関係をみた。所得が低い(等価所得が年間200万円未満)層は、所得が高い層(同400万円以上)より、転倒経験率や健康診断の非受診率が高かった。 |
この近藤氏の説くところは、今回の日本医療政策機構の調査結果が別の角度から裏づけている。
つまるところ、経済的困窮が受診から疎外し、その結果、いっそうの健康悪化をもたらすということだ。
自己責任論はどこにでもころがっている。
健康は自分で守るものだというように。しかし、冒頭の調査や近藤氏の指摘にも共通するのは、自分で守ろうにも守れない人が現実に存在するということであって、そこに手をさしのべる政治がないと、結果的にコスト増をもたらすということだ。医療費抑制に汲々とする手合にとっては皮肉というほかない。
1割であっても、3割であっても、医療費の自己負担は現にその引き金になっている。
これまでの医療制度の改定では、長年、長瀬指数(*1)にもとづいて、受診抑制がどのような「効果」をもたらすかを試算の上で、厚労省は医療費を抑制してきた経過があるくらいだ。
確実に自己負担は医療から人を遠ざけるのである。仮に、医療費がそのことで抑制されるとすれば、それは低所得者が受診を控えているからにほかならないといえるだろう。
長寿医療制度というものがスタートしたこの4月、なおさらそう感じるのだ。
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*1;長瀬指数について、以下のように言及しました。
患者負担の割合とこれに対する医療費の関係を明らかにした算定式で、旧内務省で使われていたとされます。この式によれば患者負担無しの場合を1とすると、医療費負担が1割で0.848、2割で0.712となり、3割では0.592と、医療費を4割以上削減できることが予測できるわけです。つまり今の厚労省の医療費削減の方程式ともいえるものです。(格差社会の一面 -医療費支払いで不安、低所得層)
同主旨で、coleoの日記;浮游空間に、医療費を抑制するための便法。を公開しています。
特定財源問題でみえる消費税増税。
特定財源死守こそが道路族の思惑であったのだろうが、結局、世論もからんで、一般財源化を表明せざるをえなかった首相。
そして、今の到達点は、以下のように描ける。
道路特定財源の一般財源化については、政府・与党決定(11日)の8項目がある。それをベースに、一般財源化をめぐる与野党協議のなかでは、自民党はまず、歳入法案の一日も早い成立を前提に協議するという提案をしたという。
この提案では、野党の反発が最初から予想され、話は先に進まない。だいいち、歳入法案とは、①ガソリン税の暫定税率延長を含む国税関連二法案、②自動車取得税や軽油引取税の暫定税率延長を含む地方税関連三法案をさすのだから。要は、今現在、(ガソリン税の)暫定税率は存在しないわけで、一般財源化しているのだ。ここから出発すべきという野党の主張は一理ある。
それだけではない。自民党の現時点でのねらいは、消費税増税である。首相も、消費税増税を否定していないし、先の『サンデープロジェクト』でも与謝野馨が再三、「税制抜本改革」という言葉をもちだしていた。このように抜本改革を前面に押し出したことに端的に表れているが、暫定税率見直しとこれを抱き合わせにしようという論理がここに働いている。
長年の自民党政治を象徴する道路特定財源であった。特定財源と暫定税率が消失したことはその意味で画期的といえる。これまでの道路特定財源問題では、あきらかに世論と野党が押してきた。
しかし、自民党の提案の核心は特定財源の復活にあって、曲折はあっても、道路族の発言力は依然、保たれているといってよい。
一般財源化か消費税増税か、をてんびんにかけて迫ろうというわけだ。
今の局面は、それゆえ古い枠組を過去のものとして烙印を押せるかどうか、つまり自民党政治の60年を問えるかどうかの大事な時期である。(「世相を拾う」08065)
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PS;以下の毎日新聞の記事によれば、谷垣禎一政調会長は16日、講演のなかで、道路特定財源の一般財源化も含めた今秋の税制抜本改革について「消費税増税がどこかで必要だと強く思っている」と語っています。
消費税増税やむなしの世論づくりへ政府・自民党が動き出したということでしょう。 (4月17日追記)
http://mainichi.jp/select/seiji/news/20080417ddm005040176000c.html
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