森羅万象、政治・経済・思想を一寸観察 by これお・ぷてら
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自民党の「妙案」- 自衛隊という貧困ビジネス
いよいよという印象を強くもちます。
当ブログで、自衛隊勧誘という究極の貧困ビジネスというエントリーをあげたのは今年1月15日でした。
雇用をどのように確保するのか、首を切られた労働者の雇用をどのように保障するのか、これは容易な課題ではない。 そこで、こんな動きも表面化している。自衛隊が、派遣切りで解雇された労働者を対象に勧誘を強めているというのだ。 当ブログでは、米国を引き合いに出して、戦争が貧困ビジネスの最たるものだとのべてきた。堤未果さんが常々語っているが、米国のとくにマイノリティを対象に、戦争屋たちが高校生狩りに乗り出す。彼らの多くは貧困層だ。 自衛隊が派遣切りの労働者にねらいを定めようとする構図は、堤氏が伝える米国の兵士リクルータたちの行動と瓜二つのものだ。 |
冒頭の記事で伝えられている事実は、自衛隊の駐屯地で失業者向けの職業訓練をやるということを自民党が検討しているというものです。
記事はこう伝えています。
「民間国土保全隊」と名づけた構想で、不況で職を失った人やニートらが駐屯地に半年間住み、生活費を支給されながら職業訓練を受ける。」 |
あからさまに自衛隊勧誘をうたってはいません。けれども、「不況で職を失った人やニートら」を対象に生活費を支給しながら職業訓練を受けさせるのに、自衛隊駐屯地でなくてはならない理由はまったくありません。その理由として唯一考えられるのは、自衛隊であるということろに尽きているわけで、それは、隊員の確保と密接にかかわっていると推測しても不思議ではない。つまり、半年間のうちに、どの程度のイントロダクションなのかは横に置くとすれば、「土木工事用の大型機械などを扱う資格を身につけ」ることや、「耕作放棄地の活用や未整備の森林間伐などの担い手になること」はすなわち自衛隊員の任務とかなりの程度、重複するものでしょう。十分なイントロダクションになりうると思うのは私だけでしょうか。
タレントの結婚の相手が業界の人でない場合、マスメディアの報道で最近、一般人という呼称がはやるようになりました。その呼び方に私は賛成しかねますが、あえてこの事例の場合、その呼称を借りるならば、一般人にとって、自衛隊駐屯地は、世間とは隔離された、非日常の世界でしょう。
その中で、約180日の間、自衛隊の指揮のもとに訓練されたら、もうほとんど、その人の心は自衛隊のもの、といえるのではないでしょうか。ましてやカネで縛られるわけですから。
先のエントリーで堤未果さんの指摘を紹介しました。
それによれば、米国のとくにマイノリティを対象に、戦争屋たちが高校生狩りに乗り出す。彼らの多くは貧困層なのです。
自民党がこうして派遣切りの労働者にねらいを定めようとし、職業訓練の接点に自衛隊駐屯地を設定するという構図は、堤氏が伝える米国の兵士リクルータたちの行動とは形式的に異なってはいてもまさに連続するものだといえるでしょう。
戦争は、貧困ビジネスの最たるものだとのべてきましたが、まさに自民党の検討内容はそれを端的に示すものです。
自民党は自衛隊員を確保する目的で、今日の貧困の深まりを最大限、利用しようとしていると理解してよいでしょう。同時に、防衛省によれば自衛隊員は25万6000人(「我が国の防衛と予算~平成20年度予算の概要」、年間平均)そされており、最大の国家公務員組織であることも記憶に留めておく必要があるでしょう。
(「世相を拾う」09069)
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小沢秘書逮捕- 政権交代至上論者の見立て
山口二郎氏が、小沢秘書の逮捕問題にかかわって、はじめて自らのブログでふれています。
政局の停滞をどう打破するか
結論を先にいえば、政権交代はじめにありきという視点からのみ事態をとらえる山口氏の姿勢は、今もって変わっていないということです。
いくつかの論点について考えてみます。
ところで、小沢氏を結果的に弁護している側の主張は、明確な特徴があります。
一つは、検察の捜査に関してそれを暴走だというものです。さらに、これは、秘書が逮捕されいち早く小沢氏自身、民主党が強調した、権力によるある種の弾圧だという主張と結合した議論だといえるでしょう。
今一つは、企業献金そのものに肯定的であって、小沢氏の関連団体が受け取った献金というものは、「適法」であって、後ろめたいものではないとするものです。
大別すると、この2つの立場から、小沢弁護論が繰り返されてきたわけです。ブログの上でも同様です。この事件、小沢第一秘書の逮捕まで、日常茶飯事のごとく喧伝されてきた政権交代の論調なのですが、ややしぼんだと思える向きもあり、あいかわらずの信奉ぶりを記しているものもあるようです。
この山口氏は、冒頭にのべたように、政権交代を至上だとする立場からこの西松違法献金問題を解釈しています。
公設秘書逮捕事件は、結局政治資金規正法違反による起訴だけに終わった。これは実質的には検察の敗北…
今回の事件は、日本の民主主義の基盤がいかに弱いものかを改めて示した。最大の問題は、強制捜査権を持つ検察という官僚組織が、民主政治の方向をねじ曲げたという事実 |
たとえば、何もやましいことはしていないと小沢氏がいうとき、それは、政治資金規正法にてらし、形式的な整合を保っているということを主張しているのと同じことでしょう。
しかし、西松建設がダミーの団体をでっちあげ、社名を隠して献金していること、要するに迂回献金が疑われているわけなのですから、これが微小な「罪」なのかどうか、政治家の認識が問われるものでしょう。
小沢氏の認識はそれを是か不問にするところに留まっているのは明らかであって、それは名をあげられている他の自民党政治家と同じだと当ブログが主張するのもこの点にあります。
山口氏は、企業献金の本来もつ、わいろ性にまったくふれていません。
巨悪とよぶかどうかを横に措くとして、その際、企業からの献金が公共事業受注を目的としたものだと報じられているわけですから、小沢氏に問われているのは、この認識でしょう。
だから、検察の捜査のあり方を強調しながら、片方で、そもそもの企業献金にたいする認識やせいぜい「形式犯」だとして不問に付すかのような氏の論調にも、市民派やリベラル派などと自認するブログの一部にある企業献金のどこが悪いという、いわば居直るかのような態度にも私は反対します。
山口氏がこうのべるとき、その貧困な想像力に苦笑せざるをえません。
昔、ある検事総長が「巨悪を眠らせない」と大見得を切ったことがある。リクルート事件の捜査で竹下政権を退陣に追い込み、佐川急便事件で金丸信の脱税を暴いた検察は、その系譜に連なる小沢も巨悪の同類と思っているのかも知れない。
今回の逮捕容疑を見る限り、小沢を巨悪と呼ぶことはできないと私は考える。 |
さらに、踏み込めば、以下の「論理の展開」は一面で驚くばかりの鮮やかさなのですが、その論理そのものが、唯々、自民党から民主党の政権交代を真理だとするところから発したものだとするならば、どうでしょう。およそ論理的とはいえないものに転化してしまいます。
旧竹下派と検察の攻防を目撃してきた小沢は、自分や秘書の行動について、刑事事件にならないよう明確な一線を画してきたに違いない。
法律論から見れば、事の本質は検察の暴走ということになるであろう。 しかし、政治論として考えれば、単に小沢を免罪するという主張は立てにくい。 半世紀を超える長期政権を倒す時には、様々な障害がつきまとうものである。それについて、権力の弾圧だと非難していても、活路は開けない。今回の攻撃をはね返すだけの胆力と知恵が民主党に求められている。 |
元に戻れば、今回の秘書逮捕で問われるのは、企業献金そのものについての態度です。長年、多額の献金を受け取ってきた小沢氏は、その献金が企業献金でないことを証明する必要がある。
最近になって企業献金の全面禁止を表明した小沢氏なのですから、なおさらです。これまで受け取った献金を「適法」に処理しているということではなく、説明しなければならないのは、自分が企業献金を受け取ってこなかったということです。
「小沢献金事件によって、政局は奇妙な凪の状態に陥った」と嘆く山口氏です。
しかし、「凪の状態」は繰り返されてきたというのが私の印象です。いわば意図的に、あるいは必然的に、民主党は国会終盤では対決姿勢を放り出してきました。
自民党の対抗軸になろうとするのなら、ちがいは何か、それを明確に打ち出せばよい。それだけのことのように私にはみえるのですが、こうした停滞状況をつくり出す要因の一つに、民主党のそもそもの姿勢、路線があることも確かでしょう。
政権交代を実現したのちの姿をいまだに説明することなく、交代を交代を、あるいは交代したら実現すると、たびたび繰り返しているわけですから。
山口氏のこれまでの言説でも、では交代で何が変わるのかについてはまったく定かではありません。それが、つまりは政権交代至上主義といわざるをえないゆえんなのでしょうね。
(「世相を拾う」09068)
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小沢会見雑感
結局、語ったのは代表を続けるということだけでした。
秘書の起訴事実につまるところ何の反論もできなかったわけです。法外という比ゆが少しもおかしくはない、小沢氏関連団体への献金に、小沢氏はこれまで相手が何たるか詮索しないものだとうぞぶいてきました。しかし、これほど国民を愚弄するものはある意味でありません。
贈与を受ける側とする側の関係は、一般的にいって互いにその素性を知らないという関係であっては成り立たない。相互に、その素性を知っていてはじめて成り立ちうると考えるのが通常でしょう。この点で、小沢氏の対応は、限りなく不可解なものでした。
だから、小沢氏が事件発覚以後、突然、企業献金の全面禁止を口にしたという事実がいかにも口先だけの、嘘っぽいものにみえるのは、まったく当然だといえるでしょう。会見で、小沢氏がこれまでの自らの行状に一言もふれず、それだけでなく、自らは今後、企業からの献金は一切受け取らないと、約束することすらできなかったことをしっかり記憶しておくべきです。
小沢氏は本心から企業献金の全面禁止など考えていない、こう私は思います。
小沢氏は、企業献金をどう考えるのか、国民は、これを彼につきつけなければなりません。企業献金全面廃止が法制化されるか否かとは別に、小沢氏に問われているのは、自ら企業献金を一切受け取らないと約束しうるかどうか、ということでしょう。
小沢氏は疑惑を払拭しなければなりません。二階氏をはじめ、自民党議員とはちがうのか、ちがわないのか、それが問われています。
西松建設の違法献金疑惑にからんで、企業献金にどんな態度をとるのか、それが問われています。
その地点に立てば、少なくとも小沢氏は今後一切、企業献金を受け取らないと国民に約束するところから、事件の解明ははじまるのかもしれません。
これまでの報道によるかぎり、小沢氏は、企業献金であることを知りながら、それを形式的にひた隠そうとした意図があったことが大いに疑われているわけですから。
検察側が小沢公設第一秘書を起訴したという24日の時点では、疑惑の全容は国民の前に明らかになってはいません。ですから、自民党も、民主党も同じように金権体質であると受け止められても、いたしかたありません。
すでに自民党の笹川議員が語ったと伝えられているように、企業献金が禁止される動きが強調されると、次にでてくるのは、それを国家的に補う政党助成金の運用拡大です。しかし、この繰り返しは、要は、国民の政治への主体的関与をいっそう遠ざけるように働くものではないでしょうか。
政治に関与しようとする国民の主体的な意思は、たとえば政党への募金にも示されるものでしょう。自らが政治にかかわろうとするとき、その意思の一端は応援する政党に対する募金に表れるでしょう。だからこそ、政党助成金の不合理が問題にされなければならないのですが。だって、指示もしていない政党に自分の税金が、少なくともいくらかは配分されるしかけになっているのですから。
重ねていえば、疑惑の全容を明らかにすべき立場にあるのは小沢氏でしょう。
政権交代をあれだけ叫ぶのですから、この問題でこそ、自民党とのちがいをはっきりさせる必要があるのでしょうから。
とくにこの違法献金事件捜査をめぐって、泪目が一部で話題になっているようです。しかし、とどのつまり、泪目なのは小沢氏であることも我われには会見をとおしてはっきりしてきましたね。
(「世相を拾う」09067)
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菅氏の「最後のテスト」発言- 問われているところが違う
民主・菅氏、小沢氏秘書逮捕は「最後のテスト」
最初に思ったのは、(菅氏は)いかにも暢気なものだということです。
小沢氏にかけられた嫌疑にたいして検察側がどんな形で対応しようと、一政党として態度を明確にしておかなくては、政権を担う党としてどうか、これが問われるわけで、あそうでないと批判がいっそう強まると思うのは杞憂といえるのでしょうか。
まあ、私は自ら今回の問題のいきさつを審らかにすることが公党に求められていることだと理解します。ゆえに、これまでの民主党、小沢氏の対応は率直にいって不満に感じるわけです。
そうであるので、今回の菅氏の発言、これはあらためて菅氏がいかに他人事に西松建設違法献金問題捉えているのか、これを証明したといえるものではないかと思います。
政権を交代するに足る政党か否かを問うという点にかぎっていえば、きわめて限定して西松建設の献金にかかわっていえば、自民党籍の他の政治家以上に、これまでの調べでは同社と小沢氏との関係は少なくとも抜きん出ているのですから、小沢氏はもっとも企業サイドにバイアスをかける政治と密接に関係していたと言い切ることが可能でしょう。これを、私は(長年の)自民党政治の本質だととらえるので、この点で、小沢氏と自民党を峻別することは現時点でまったくできないというのが私の結論です。
ですから、ほとんど自民党と区別できない政治家が政権を担っても、これまでの自民党のやってきた政治とかわらないという結論を導き出さざるをえないわけです。これがいわば筋論ではないでしょうか。
菅氏がこの際いうテストというのは、自民党とは異なる政治をやっていくための今回の事件は一つの試練という意味なのでしょうが、現実はそんなものではまったくなく、政権につこうとする政党も、政権と保持しようと汲々としている政党も、その2つを分かつ区分法を見出すのは不可能という意味で、テストの機会でもなんでもないということを事件は証明したし、確認しなければならないでしょう。菅氏の言葉は、ですからまったく的外れであるか、事の本質から目をそらそうとするものと断ぜざるをえません。
むしろ、秘書逮捕は、民主党が自民党と同類であることを世に問うたわけでして、これを否定しさろうと思えば、企業献金の全面禁止を事後、うたおうとするのではなく、小沢氏自身が今後は企業献金は一切受け取らないことを約束することとともに、これまでの一部始終をすべて説明しきることこそ、求められているということではないでしょうか。
最後のテストとはこの意味で存在すると私は思います。
はたして、小沢氏はこれに答えることができるのでしょうか。
(「世相を拾う」09066)
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海賊対処の名で海外派兵
メディアも多くを語りません。社説から2つをあげておきます。
海警行動発令 海賊放置の「無責任」解消へ(3月14日付・読売社説) 自衛隊の活動がなしくずしに拡大している、といった一部の批判は、全く見当はずれだ。どの国も、アフリカ沖の海賊対策への艦船派遣は想定していなかった。新たな事態に新たな対応を行うのは当然のことである。 国連海洋法条約は、すべての国が海賊行為の抑止に協力する義務を明記している。4本の国連安全保障理事会決議も採択されており、憲法上の問題もない。 |
社説:海賊対策 新法で与野党合意を目指せ |
結論を先にいえば、この法案は、海外派兵恒久法と集団的自衛権をねらったものだといえるでしょう。
この法案を閣議決定するやいなや、麻生政権は、3月14日には呉基地から2隻の護衛艦を出航させました。
同政権はこれを現行自衛隊法にもとづく海上警備行動といいますが、自衛隊の警備行動というのは、あくまでも日本近海を想定してのものです。したがって、これを根拠に世界のどこにでも自衛隊を派兵するなど、とうてい合理化することはできません。なし崩し的に派兵する今回のやり方は厳しく批判されて当然でしょう。
成立させようとしている法案は、時限法ではありません。恒久法であって、延長のために国会で審議を繰りかえさなければならない時限法と異なって、この限界を乗り越えようとするものです。福田政権が一度は旧テロ特措法を延長できなかったことは記憶に新しいでしょう。法案が成立すれば、国会には事後報告だけでよいということになります。
今回は、ソマリアという特定地域の海賊行為に対処するためという触れ込みですが、法案にソマリアを特定しているわけではなく、どの地域にもでかけることが可能なように設計されているという問題も含んでいます。
そして、法案は、保護対象を「日本関係船舶」に限定している現行法にたいして、それをすべての船舶に広げるとともに、武器使用基準を拡大して、これまで基本的に「生命・身体の保護」のために限っていた武器使用を「任務遂行のため」にも拡大しているのです。これまでの政府の公式見解が、「任務遂行」のための武器使用は、憲法九条の禁ずる武力行使に該当することがないとはいいきれないとしてきたことにてらしても、重大です。
政府は、なし崩しに派兵の既成事実を先行させながら、いっそうのアメリカの要求に応えようとしています。この法案の提出は同時に、民主党がこれまで国連決議があれば自衛隊の海外派兵には賛成だという態度をとってきたことを逆手にとって、これに同党を同調させようとするものだとみてよいでしょう。
自民党に「弱み」を握られたら、表向きの対決姿勢もとたんに畳み込んで、悪法とよばれるものであっても法案成立に協力するというのが、同党のこれまででした。
まさに今、政治資金規正法にからむ小沢氏関連団体への違法献金に世間の目が集中している、自民党政権にとってのいわば好機に、これを成立させようという魂胆です。
同法案が海外派兵の恒久法への突破口となるのは明らかですし、廃案にすべきものでしょう。
憲法9条をもつわが国での、海外派兵と集団的自衛権は必要ありません。
ソマリア地域の海賊問題を根本的な解決には、ソマリアの内戦終結と崩壊したソマリア国家とこの地域を政治的、経済的に安定させるための国際的な協力が不可欠であって、それならば、日本に求められているのは外交努力の積み重ねなのですから。
(「世相を拾う」09065)
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ヘイ、池田大先生
ポール・クルーグマン、どうして君は政権に入らないだ。ティモシー・ガイトナーは**だよ。おれたちには君が必要なんだ。NYタイムズなんかで文句いってないで、財務長官になってくれよ。 (Hey Paul Krugman) |
だったら、これもありかな。
ヘイ、池田博士。
あなたはなぜ、せめて経済財政諮問会議委員くらいには入らないのかね。
オレは自民党政権に必要な人物だと自認しているのなら。
外野で、ぶつくさいってないで堂々と公の場でのべてほしいね。
政権がさて、あんたを買うかどうかは、保証はしないが。
西松違法献金疑惑が問うているもの
結局、西松違法献金問題では、小沢に焦点があたっている。そして小沢以外ではせいぜい二階にあたるくらいだ。けれど、問われているのはこれまでの自民党政治である。事件の成り行きは、それがゆきづまっていることを示している。
自民党政治というのは、当ブログで繰り返すように、自民党がやるからそうよぶのではなく、財界・大企業と米国の意向を具現化する政治のことだ。西松問題は、民主党の小沢もまた、自民党政治の具現者であることをあきらかに明らかにした。ジャーナリストの伊藤惇夫は、比喩的にいえば本籍自民党の人物だろうが、きょう、テレビ番組のなかで小沢もまた(55年体制を形づくってきた)旧来の自民党であることを指摘していたが、それ自体はただしい。
つまり、小沢は現住所は民主党だが、身も心も自民党と同じであるという事実を、この事件をとおして確認することができる。今になって、彼は企業献金の全面禁止をいいだしているが、その発言に価値を見出すものはいないだろう。一過性のものではなく、長きにわたって特定の企業から多額の献金を受け取ってきた事実は動かせないのだから。そう思うのなら、あるいは気づいたのなら、その時点であらためるべきだった。これだけの事件として明らかになったあとで、しかも公設第一秘書が逮捕されたあとに、会見でそうのべたとしても迫力はない。見向きもしない。この事態に及んであえてそう発言する彼を、むしろ欺瞞的にさえ感じてしまう。
問われているのは、自民党のやってきた政治も、我われにはそれに対峙しているかのようにみえる、野党第一党の党首もまた、同じように企業にからめとられているという現実である。
億、何千万円という単位の献金を受け取っていて、知らぬ存ぜぬはないだろう。施策に影響を及ぼさないとは誰がいえるだろう。予算をその企業に回す、つまり公共事業という名の仕事を寸分も回さぬと誰が保障できるだろう。企業の献金というものは、まったくこれとは逆に、贈与でもって自分の利益を生み出そうとする企業側の意思とそれに応えようとする受け取る側の意図があらかじめ込められている。
二階も、小沢も、国民の税金があてがわれる公共事業といものが自分に献金してくれた企業に集中することを少しも悪だとは思わない政治家ということである。政治が歪められても厭わない政治家だったということである。
しかし、今日の政治のいきついたところは、新自由主義という名で、規制緩和をおこない企業の儲け口、ようは市場を拡大し、一方では、自己責任というイデオロギーでもって、本来、国、行政がおこなうべき公的な仕事、責任を放り出し、たとえば社会保障を切り捨て、縮小してきたのではなかったのか。この構図は、政治の注ぐ目が、大企業・財界にこそあって、国民は埒外に置かれ、視野になかったということを端的に語っているのだ。
たしかに二大政党が志向され、それが執拗低音のように刷り込まれる現状にあって、国民の関心が自民と民主という2つの政党に集まるように、この2つの党が政権を(本気で)争っているかのような世論づくりが繰り返されてきた。選挙制度を小選挙区制というAかBかという投票行動に収斂させるようなものにつくり変えることと結合させて。
それにもかかわらず、西松違法献金問題は、この二大政党政治というものが、我われの眼にみえないところではまったく同じことをやってはばからないということを証明してみせた。証明されたのは、2つの政党が、同じように財界や企業に寄り添っているということである。そして、政治をそのいいなりにゆがめても恥じないということである。
国会でこの2つの党双方が、がんじがらめにされたがごとく、この問題を追及しない事態は、これをそのまま反映している。
仮にそうでないとするなら、二大政党の一方の側であって、ここまで政権交代を叫んできた小沢は、この点で明確に反論しなければならない立場に置かれている。進退の表明以前に、国民にとって重要なのは、この点での小沢の見解である。
(「世相を拾う」09064)
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また腰砕けか。白旗か!?
西松事件を国会はまるで素通りしているような気配です。
お互いを気遣っているからにほかなりません。
朝日の記事が指摘しています。
小沢民主、国会予算攻防もう収束 西松事件で鈍る
民主党の、お決まりの腰砕けなのですが、腰砕けという表現を私がもちいるのは、私の見立てからすると、民主党の国会対策が軟弱なものに(かわったと)映るからです。局面局面では時折、過激なまでの姿勢を強調するものの、これまでも終盤になると法案成立に手を貸すことがしばしばでした。
結局、たびたび民主党の対応がぶれるのは、本来の同党の政策と自民党の政策との本質的なちがいがないからでしょう。ちがいがないので、国会の戦術上は自民党に抵抗しよう、ちがいをはっきりさせようとしても、その姿勢は確固としたものでは当然ありませんから。
つまるところ、腰砕けという言葉には、民主党の政治的立場とこの言葉を使う側のそれが異なるものだという認識、違和がこめられています。
その腰砕けは、朝日記事によれば、西松違法献金問題でいっそう加速したということです。
けれども、自民も、民主もお互いに「気遣って」論戦を回避すること自体、政治がやせ細っていくことにつながるものでしょう。民主党は、今国会を捨てた、あるいは白旗をあげたと読み取れなくもありません。
企業献金は悪くないと言い切る人もいるようです。
しかし、政治献金という概念がそもそも反対贈与を期待する行為である以上、その点で税金の配分に影響を与え、政治にバイアスをかけるのです。だとするなら、企業献金の部分的禁止はそもそも成り立たない議論です。この際、企業献金の全面禁止を実現してほしいものです。
小沢氏の全面禁止発言にもちろん私は懐疑的です。繰り返してきているのが同党なのですから、可能性はむしろ口先だけのほうに広がっているでしょう。
しかし、その発言がまた、腰砕けであってはならない。
発言する前に、小沢氏自身が疑惑に100%応えてこそ、その発言は輝くというものです。だって、オレは今後、企業献金は受け取らないと、国民にむかって発信することは今すぐにでもできるのですから。
(「世相を拾う」09063)
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【関連エントリー】
山岡賢次氏は民主党の体現者または民主党の腰砕け。
補正予算案は賛成できるシロモノか。
2つの政党事情- 国民新、民主の場合
「書かないなら会見出ないで」国民新党が一部の記者排除 国民新、記者の会見出席拒否 「党に関する記事少ない」 |
以前に、この亀井も間に入って、加藤紘一と山崎拓、そして菅直人がテレビ番組に出て、何やら以後の政党再編を匂わすかのような動きをみせたとき、これに積極的評価を与えたブロガーも散見されました。
ブログ界の状況は、たとえばこの一つの小さな動きとそれに過剰に反応する言説に端的なように、底の浅さと批評眼の脆弱さを特徴としているかのようです。どちらかといえば、周辺では左よりであると目され、読者も相対的に少なくないブロガーにしてこの状況があるのですから、全体は推して知るべきではないでしょうか。
そして、同じことが繰り返される。
小沢公設第一秘書逮捕以後の過敏な、ヒステリックな反応が一部にみられた。しかし、時がたつにつれて、その首長のばかばかしさはいよいよ明らかになってきたと思えます。
話を冒頭に戻すと、亀井のこの反応のおかしさは、一部の記者を排除するという結果にももちろんあるのですが、それだけではない。そもそも政党というものが、自らの政策をどのように、誰にむかって発信し、実現させるのか、その理解がはたして亀井にあるのでしょうか。あたかも亀井は、メディアにむかって発信するかのようです。あるいはせいぜいメディアを介して、自らの政策を広げたいと考えているかのようです。その点にこそ、まず苦笑せざるをえないのです。
その上で、(一部)メディアの排除をためらわない亀井は批判されなければなりません。すべて非公開にするのともむろんちがって、自らの意向にそった一部のメディアを対象にニュースソースを提供するということですから、メディアの支配にもつながる危険性をはらんだ行為でした。
自民、民主をおいかけ、報道するのは日本のメディアの現状であることもまちがいないのでしょうが、それは、メディアの締め出しによって正されるものではけっしてないでしょう。2つの記事であきらかなのは、朝日と産経が排除され、読売は排除されていないということ。
私たち市民に求められているのは、みずからの社会と運命をえらびとっていく主体として権力や社会環境などあらゆる分野への関心を高め、報道と取材に反映させていく力をつけることになるでしょう。
しかし、そうした場合、為政者のもつ情報と市民の知る情報の間に大きな差が現実にあるという問題を避けることはできない。この差を埋めるために、メディアがあるのではないでしょうか。それを担保するために表現の自由が存在しないといけない(*1)のですから、その点から、亀井静香の行為を考えてみるべきではないでしょうか。
◇◇◇
ああ、ため息がでそうです。
民主党という政党は、個別の政策で一つにまとまらない。まとめられない。防衛問題は、その象徴でもあるでしょう。
ですから、直嶋正行がネクスト官房長官ともてはやされるとき、本人にかわって恥ずかしさがこちら側がこみ上げてもくるのです。そもそもその名に値するか、こんな不安がにある、よけいなこととは知りながら。
海賊対処法案:「なぜ海自か」最大争点…民主が論点整理 |
それは記事が伝えるところでも証明されています。論点整理の過程でいろいろ意見が出され、結局、「唐突に海自が出てくる」との意見が多く、海自を派遣する必要性への説明を求めることを最大の論点」というのですから。
海自派遣にたいし、では民主党はどんな態度をとるのか定かではありません。
海賊対処法案の成立を前に自衛隊の派兵を日本は許したのです。民主党の態度は明確にされるべきでしょう。
どうやら政府案を「修正」させるところを落としどころに考えているふしが記事からみてとれるわけで、日本の世論をリードしていくには、あまりにもおそまつな党内の議論が、記事の一端から読み取れる。
政策をはっきりさせるのは「政権交代」のあとでという、これまた紋切り型の返答がかえってくるのでしょうね。
(「世相を拾う」09062)
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*1; 「メディア不信」と情報を請求する権利(07・6・30)
小沢「企業献金全面廃止」という激変とその契機
急変:ダミー献金事件 小沢氏続投か、民主に憶測拡大
小沢氏は昨日、企業献金全面禁止について語った。むろん私は、ならやってみろと率直に思っている。
これまで10年近く、多額の献金を受けたことに頓着しない人物が、全面禁止を語る資格がはたしてあるのか。10年の自らの行状を深く反省し、あるいは全面的にこれを否定し、過去の自分から生まれ変わったのであれば別だが。そんな劇的な変化がここ10日ばかりの小沢氏にあったとは思えない。
しかし、淡淡と彼はテレビの前で語ったのだ。
そのことを上野氏は記している。
上野氏といえば、以前に当ブログでつぎのように取り上げたことがある(参照)。
彼女は「記者の目」でこう書いていた。
狭い県土に日本の4分の3の米軍専用基地が集中する沖縄では、県民が米軍関係者による事件事故に巻き込まれる確率も高い。防衛省によると、06年度は全国1549件のうち沖縄は6割超の953件。人口10万人当たりに換算すると、本土の140倍の高確率だ。過去10年ほぼ変わらず、基地集中の実態を忠実に反映した数字といえる。 |
私はこれを以下のように受け止めた。
最近では、われわれの目にするこの種の記事は、日米同盟を是認し、これを存続することをよしとする立場から書かれたものが多い。その点で、上野記者の一文は異色であって、輝きをもっていると私は思う。 つまり、上野氏の記事は「沖縄はその矛盾をもっとも鋭い形で引き受けてきたのだ。正確には、有無をいわさず押しつけられてきたといってよい。事件事故はその帰結であった」ことを鋭く衝いているのだ。 |
こんな上野氏が、記事で、民主党内での小沢離れの確実な広がりに言及している。逆に言えば、唐突な小沢氏の企業献金禁止発言は、むしろこうした(党内の)事情を反映していることは否めない。党内での小沢氏の存在がこれまでは、同党を一つに束ねてきたといえる。視なくして民主党はかろうじて一つの政党としての体裁を保ってきた。政権交代というかけ声も小沢氏を欠いてはなかった。
けれども、一般には、記事が紹介するように、「禁止は無理だろうとの本意が隠されているのでは」とか、「自分の秘書が企業献金の嫌疑で逮捕されたのに論理の飛躍だ」といわれても少しも不思議ではない。
冒頭にのべたように、つい先日まで企業献金のどこが悪いと強弁していたのに、一転、その禁止を言い出したのは、劇的な変化を導いた契機が存在し、それが国民に理解されないといけないだろう。
秘書の拘留期限が迫るなかでの、小沢にそういわしめたのは何か。
政権交代をめざす同党にとって、全面禁止を形式上、打ち出すことによってのみしか、自民党とのちがいを印象づける手法が他に見出せないという理由以外に見当たらない。
それでも、小沢氏が本気で全面禁止をやろうと考えていると思う国民がどれほどいるのか疑わしい。小沢氏の会見は、ぎりぎりの抵抗と芝居の両面だと表現してもおかしくはないと私には思える。
24日にも想定されている第一秘書の起訴処分の有無で、事態はまた一回転して動き出す。
(「世相を拾う」09061)
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政治の恥ずかしさの極み。。。
小沢氏、企業献金全面禁止を表明 来週にも進退判断 民主党の小沢代表は17日の定例記者会見で「(西松建設の違法献金事件の)教訓として企業・団体献金は全面禁止すべきだ」と語り、公共事業受注の有無にかかわらず、企業献金を全廃するように政治資金規正法改正を検討する考えを表明した。 党内で検討されている公共事業の受注企業からの献金禁止については「ほとんどの企業が国や都道府県、市町村と何らかの形で関係あるから、公共事業でもって仕分けはできない」と指摘し、「企業献金、団体献金を全面的に禁止するならいい」と踏み込んだ。 |
まあ誰も信じはしません。
「企業・団体献金は全面禁止すべき」といったところで。
自身がつい最近までいっていたことはどうなんでしょうか。法にもとづいて「適正に」処理をしているというのが、氏のコメントであったはず。企業献金自体も悪いものではないとのべてきたのが当の小沢氏ではなかったのか。
本気じゃないでしょ。
そう思うのなら、そもそもこれまでの10年余、ご自分のやってこられたことは何だったのでしょうか。一度だけなら、いざ知らず。西松との恒常的関係が一回の過ちではなく、関係を承知の上での多額の金銭の授受があったとうけとるのが順当というものでしょう。
関係の実際がどうだったのかを次の記事が教えてくれます。
来週には一定の進展があると伝えられています。
余計なお世話でしょうが、ここまで晩節を汚さなくてもよさそうに。せいぜいこれくらいで、よしにしたほうがよい。
(「世相を拾う」09060)
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西松違法献金- 理解できない亡者たち
今回の西松違法献金問題にあたって、小沢秘書逮捕をきっかけに、小沢一郎氏自身の口から、そして民主党の公式コメントのなかにこの点が繰り返されました。
したがって、小沢信奉者はいうまでもなく、民主党による政権交代こそがこの日本を救う道であるかのような言説を日頃ものする連中が一斉に、小沢代表や鳩山幹事長にならって、検察の横暴にふれ、秘書逮捕のいきさつを権力犯罪のように描きたてたのは周知のところです。
その際、この西松献金問題ではじめて事の重大さが理解されたのでしょうか、漆間の存在と役割に関心が集中しました。つまり、今の権力機構に国民弾圧の布陣がしかれているということを、この西松事件、しかも小沢秘書の逮捕劇に見出そうというものです。これもしかしおかしな話で、漆間の経歴と思想に着目するのなら、彼の任命時点でその配置のねらいと危険性が指摘されてしかるべきだったでしょう。その点を、民主党が声を張り上げて主張してきたとは少なくとも思えません。
結局、漆間の発言が本意か否かは何もここでは問題ではなく、逆に、彼の「失言」がかえってクローズアップされるのは、こと企業献金という今日の日本政治をある意味で規定する重要問題に国民の関心と議論の論点が集中するのを避けるためのものであって、したがって表向き対立しているかのように描かれる自民・民主がほんとうは同質であること、線引きがけっしてできない根が同じものであることが暴かれることにたいする危機感の表れにほかなりません。自民党にとっても、民主党にとっても、それぞれの存在価値が理解されること、すなわちお互いの他者とのちがい、その意味で一方を形式上、排除するしかけをもたないことには政権を維持したり、奪取することはできないのですから。この点で、おそらく自民も、民主も(多額の献金をもらい、その違法性が強いという)傷をもっているのですから、最終的にはうやむやにされる可能性は高いと判断します。あえていうが、企業献金の禁止をやれるものならやってみなさい、自民、民主の議員の皆さん。
おかしいのは、彼らが賛成し、成立させた政党助成金なる制度をたてに堂々と国民の税金をぶんどっているわけです。国民一人ひとりの思想信条の自由をうたう憲法のもとで、国民の意思とは関係なしに議席をもとに配分するという理不尽。これにも頓着しない自民、民主。しかも助成金導入は、企業献金をなくすためというかけ声で実施されたのですから、国民は二重三重にだまされているといってよいでしょう。
こんな事実がありながら、「適法」に献金を受けているなどと語りながら居直ろうとする心性を、私は見過ごすわけにはいきません。
企業が莫大な利益を得る一方で、貧困が国民のなかに深く広く及んでいる今日は、税金のとり方と配分を、極端に企業の有利なようにゆがめてきた結果でしょう。そのゆがみを生み出す要因の一つが企業献金でしょう。企業は、税金が配分された公共事業を受注することで自社の利益を得る。このしくみを加速させる触媒の役割を献金が果たしている。そのことを献金する側も、受け取る側もあらかじめ知っているからこそ、このシステムが機能するのです。カネの出所を承知しないなどというのは、企業献金の授受にかかわっていえば、ありえない話なのです。
いよいよあきれるのは、「出所のはっきりしないカネ」も受け取るほどの、国民には到底理解できない、小沢や二階などかかわった政治家たちの亡者ぶりです。
(「世相を拾う」09059)
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派遣切りを当然視する池田大先生のいかがわしさ。。
池田先生が繰り返し、こんなことをいっている。
彼はいちおう学者なのでしょうが、それに似合わず相当の策士だから、眉に唾しなけばなない。
曰く、
日本の労働行政の奇怪な点は、派遣や請負などの問題ばかり騒がれ、もっとも悲惨な失業者の問題が論じられないことだ。「2009年問題」で15万人以上の派遣労働者が失業者に転落することが予想されているのに、厚労省は「直接雇用しろ」という建て前を繰り返すだけだ。90年代には、大蔵省が不良債権の醜い現実を認めるまでに5年かかった。今回もこうして時間を空費しているうちに「大失業時代」がやってくるだろう。 よい雇用政策、悪い雇用政策 |
失業はまことに重大な問題で、彼がいうまでもなく、派遣切りや請負だけでなく昨今は正職社員の解雇を打ち出したソニーにみられるように、解雇がまさに横行する事態に立ち至っているといえる。
すでに日本は失業者を生み出しつづけ、失業者が増大する過程にある。
ハケンが騒がれ、請負が騒がれるのは常にそのことが解雇を意味しているかからでしょう。行間から読み取れるのは、ハケンや請負を問題視するのは、すなわち失業を生み出すということだ。しかも、こうも彼はいっていた(以下)。労働組合に責任を押し付けるという念の入れようだ。
「労働者保護」が強く労働組合の組織率の高い国(あるいは州)ほど失業率が高いのは、経済学で確立した定型的事実だ。厚労省の進めている「労働再規制」が、彼らの主観的な温情主義とは逆に、失業という格差を拡大することは確実である。 失業の最大の原因 |
彼は、派遣、請負がだめならば、失業がふえるという。西欧諸国では失業率が高いという。けれども、彼の議論は、仮に失業率が高いとしても西欧諸国には、日本とはくらべものにならないセーフテュネットが存在するということだ。失業しても生活が保障されている西欧。かたや日本は派遣切りにあえば、どん底をめざしてつきおとされる運命が待っている。誰もがその危険性と無縁ではないという環境に置かれている。失業すれば、脱出できる可能性のある人は相対的に少ないのだ。失業すれば、路上生活を強いられる確立は高くなるのだから。西欧とはちがう。西欧で、首都に日本ほどホームレスに出会う国がはたしてあるのか。
池田の視点は、雇用の流動化などというのだが、結局、言い分は、正規雇用から非正規に置き換え(賃金を抑制し)労働者をいかに低賃金で活用するのか、使い捨てるのかという点に尽きる(*1)。2009年問題などは、まさに偽装請負が暴露され、大企業が「譲歩」せざるをえなかった、一面では問題を3年間先送りした約束にすぎない。約束は果たさなければならない。3年の猶予がついたまでのことだ。
派遣や請負をやめれば失業が増えるという脅し、正規雇用の権益をまもることは一方で失業をふやすという池田の言い分は、労働者の賃金というものをトータルで抑制しようとする総額人件費(抑制)という支配の論理から出発している。
(「世相を拾う」09058)
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*1;雇用を流動化するもっと重要な理由は、それによって労働生産性を高めることだ。流通業や建設業には大量の潜在失業者がいるが、医療や介護では人手が足りない。前者から後者に労働力を移転するには、解雇規制を緩和するとともに職業訓練を強化し、新たなキャリアへの挑戦を容易にする必要がある。それによって福祉サービスが成長すれば、内需拡大によってGDPが高まり、労働需要も増える。厚労省の進めている雇用固定化政策はきわめて反生産的であるばかりでなく、労働者を会社に閉じ込めて不幸にする。
雇用流動化で失業率は下がる
本音じゃないだろ- 自民・民主に企業献金は断てない
結局、もともと自企業の権益のために特定の政党にカネを貢ぐことによって、それ以上の効果をうるしかけが企業献金にすぎません。カネを贈与することによって、こんどは贈られた側がそれにこたえ、予算をぶんどる。こんな構図で長年、自民党政治のもとでつづけられてきたもので、企業献金というものは、政治をゆがめることに本質があるでしょう。
現行(政治資金規正)法にてらし形式が整っていることを最大の「根拠」として、たとえば小沢一郎は開き直っているというのが私の率直な感想です。自民党とは異なる政治があって、その政治を少なくとも(民主党が9めざそうとしているのなら、小沢はなぜ、企業献金そのものに反対しないのか。けれど、少なくとも彼はこれまで企業献金の禁止を自ら言い出したことはなかった。小沢の視野には、企業献金というものが結果として政治のありようをゆがめているという認識はないと受け取ることができる。
自民党ではなく民主党だと期待する人は、この点での両党のちがいを見出せるのでしょうか。私には、そのちがいはまったくないように思えます。
一般に、事故・事件に遭遇すると、当該組織は自らなぜその事故・事件が引き起こされたのか、原因究明をまず追求するのが普通でしょう。逆に、世論は当事者にそのことを求めてきたのがこれまでではなかったでしょうか。JRが人身事故を起こし、多数の犠牲者を生み出したとき、世論は原因究明と再発防止を強く求めたものでした。あるいは、最近の偽装表示問題をふくめた度重なる食品事件で、原因究明と二度とおこらないような組織的対応を強調してきたのが私たちではなかったか。
同様に、今回の西松建設の違法献金疑惑に対してもスタンスをかえずに臨むのが理屈にかなっているといえましょう。
途中、国策捜査とか、権力の陰謀とかが強調されています。
そのことの真偽は追及されてしまるべきでしょう。
その上で、考えるのは、そもそもこんな嫌疑がかけられる要素、体質をもっている政党と政治家をどのようにみるのかということでしょう。
国民には知る権利がある。
逆に、その「当事者」たる政党と政治家は自らすすんでこの嫌疑を解く必要があるのではないでしょうか。この点で、不思議に思うのは、自民、民主の対応です。献金をもらったという政治家を抱える自民、民主両党が自ら解明しようと調査に乗り出したとは聞きません。
調査委員会を設け、事件に対処し原因を究明しようというシステムはいまや常識となっていますが、両党は世間のコンセンサスから遠くはなれた地点に立っているのではないでしょうか。繰り返される自浄努力という言葉ですが、それすらまったく耳をかさない態度としか私にはみえません。適法に処理しているとか、党首がそういっているから正しいと思うでは、原因究明も、ましてや再発防止策などまったく期待できません。
西松建設の違法献金疑惑を自民党、民主党は自ら調査し、事実を明らかにしなけれななりません。それができてはじめて、両党の考える再発防止策も、その是非は別として、確立できるというものです。
以下の記事にある首相の発言は、その意味で論外でしょう。現行法で解決できないのは今回事件であきらかなのですから。
規正法見直し、首相は「今の法律で解明されつつある」 麻生首相は13日、朝日新聞のインタビューで、西松建設の違法献金事件を受けた政治資金規正法見直しについて、「いま特に考えているわけではない。今の法律で解明されつつある」と述べ、現段階では慎重な考えを示した。 |
菅直人氏は、民主党が企業献金廃止法案を提出する意向をのべているようです。結構なことのように思えます。が、しかし、今回の小沢、山岡両氏が今回事件にからんでいるとされている事実、これまで同党がいってきたところから判断すると、まゆにつばしなければならないと思えます。
民主、政治資金規正法の改正案を検討 今国会への提出めざす |
そんなことより、民主党にまず求められているのは、小沢、山岡氏にかけられている疑惑を自ら今回の事件を調査し、説明するということ以外にありません。そうして原因が解明できて、はじめて再発防止のための法案の形がみえてくるでしょう。
そこを抜きにした菅氏の発言は、パフォーマンス以上のものではないでしょう。これまでの中身を問わずに、なぜいま(公共事業関連の)企業献金廃止なのか、説明がつかないではありませんか。
(「世相を拾う」09057)
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この際申し上げます- チェジュを買えっていえる感性って何だ
「済州島を買っちまえ」?=民主・小沢氏発言、前連合会長が明かす 「済州島を買っちまえ」。前連合会長の笹森清氏は11日夜、都内で開かれた会合であいさつし、かつて民主党の小沢一郎代表と会った際、小沢氏からこんな話をされたと明かした。笹森氏は面談の時期には触れなかったが、韓国の国民感情を刺激する話題だけに同国の反発を招きそうだ。 笹森氏によると、面談では小沢氏が「(長崎県の)対馬のことをどう思うか」と質問。笹森氏が「わたしは対馬のことを心配している。(韓国の)ウォン経済に買い占められそうだ」と答えると、小沢氏は「今は絶好のチャンスだ。円高だから(韓国領の)済州島を買っちまえ」と語ったという。 小沢氏の発言の意図について、笹森氏は「日本が世界に伍(ご)していくには、当たり前のことを考えていては駄目だということだ」と説明した。 |
こんなことをいえる人種はどんなものだろう。
率直に私はこう思います。
真偽のほどは今現在、分からないといわざるをえないのでしょうが、けれど、小沢氏がいったということが記事になるのか。
今や、そのうさんくささがいよいよはっきりしている偽善家・天木直人なら小沢弁護にやっきになるのでしょうが、そうもいかない。
少し横道にそれますが、ことの発端はきわめて明確なのに、つまり小沢が10年も企業献金を、しかも多額の献金をうけとってきたという事実は紛れもないことなのに、説明責任を求める共産党にたいする異常な敵意は、もはや彼がまともな外交官だったのかということさえ疑わせるほどの、迷妄ぶりといってよいと私は思う。
彼をあたかも「民主派」のごとく扱ってきた人びとの(言説上の)責任もまた問われることになるでしょう。
自民党の政治、企業からのカネにどっぷりつかってきた政治にたいして、明確に反対すべきなのが野党たるものでしょうが、小沢がこれほど西松との親密な仲にあったことが暴かれ、そのこと自体に小沢川から何らの反論が聞こえてこないのですから、小沢と自民党の峻別をしようと思っても不可能なのは、誰もが認めることでしょう。だからこそ、天木は異常なのです。
このような小沢の発言が冒頭のように伝えられている。
私は、さもありなんと疑いなく思いますが。
結局、小沢=彼は、覇権主義的、権威主義的な思想の持ち主だと受け止めるわけです。旧来の保守政治家に共通するような。
民主党にはさまざまな潮流を内包し、そのことが場合によっては政党の民主性をしめすかのような言説すらあったと私は確信するのですが、そんななかで、小沢の覇権主義的、権威主義的姿勢が党をまとめる唯一の景気でもあったということでしょう。
本来であれば、もう行き場のないような危機にさらされている自民党政権を前に、それにとってかわろうとする最大野党の民主党は、違いを鮮明にしえてこと、政権交代が加速されるというものでしょう。けれども、日本の政治シーンで、倦怠感すら覚えるような、面白さに欠け、右往左往する毎日は、必ずしも政権党たる自民党だけでなく、民主党にもその要因があると私は思っているのです。
つまり、冒頭の小沢の発言は自民党の誰かとかわらない、遜色ない発言ではないのか。さすがに自民党と9はちがうと国民が思える内容の発言なのか。率直に、小沢の神経を疑うし、自民党そのものだろうと思うのです。
はっきりいえば、自民党はもちろん、民主党もこの際ゴメンこうむりたいし、時期総選挙ではこれら2党以外の政党もきちんと選択肢として加えなければならないということです。
(「世相を拾う」09056)
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