森羅万象、政治・経済・思想を一寸観察 by これお・ぷてら
花・髪切と思考の
浮游空間
カレンダー
2008年3月 | ||||||||
日 | 月 | 火 | 水 | 木 | 金 | 土 | ||
1 | ||||||||
2 | 3 | 4 | 5 | 6 | 7 | 8 | ||
9 | 10 | 11 | 12 | 13 | 14 | 15 | ||
16 | 17 | 18 | 19 | 20 | 21 | 22 | ||
23 | 24 | 25 | 26 | 27 | 28 | 29 | ||
30 | 31 | |||||||
|
goo ブログ
最新の投稿
8月6日(土)のつぶやき |
8月5日(金)のつぶやき |
6月4日(土)のつぶやき |
4月10日(日)のつぶやき |
2月10日(水)のつぶやき |
11月12日(木)のつぶやき |
10月26日(月)のつぶやき |
10月25日(日)のつぶやき |
10月18日(日)のつぶやき |
10月17日(土)のつぶやき |
カテゴリ
tweet(762) |
太田光(7) |
加藤周一のこと(15) |
社会とメディア(210) |
◆橋下なるもの(77) |
◆消費税/税の使い途(71) |
二大政党と政党再編(31) |
日米関係と平和(169) |
◆世相を拾う(70) |
片言集または花(67) |
本棚(53) |
鳩山・菅時代(110) |
麻生・福田・安倍時代(725) |
福岡五輪幻想(45) |
医療(36) |
スポーツ(10) |
カミキリムシ/浮游空間日記(77) |
最新のコメント
Unknown/自殺つづくイラク帰還自衛隊員 |
これお・ぷてら/7月27日(土)のつぶやき |
亀仙人/亀田戦、抗議電話・メールなど4万件突破 |
inflatables/生活保護引き下げ発言にみる欺瞞 |
これお・ぷてら/10月2日(火)のつぶやき |
THAWK/10月2日(火)のつぶやき |
これお・ぷてら/10月2日(火)のつぶやき |
THAWK/国民の負担率は低いというけれど。 |
THAWK/10月2日(火)のつぶやき |
THAWK/[橋下市政]健康を奪い財政悪化招く敬老パス有料化 |
最新のトラックバック
ブックマーク
■ dr.stoneflyの戯れ言 |
■ machineryの日々 |
■ えちごっぺのヘタレ日記 |
■ すくらむ |
■ 代替案 |
■ 非国民通信 |
■ coleoの日記;浮游空間 |
■ bookmarks@coleo |
■ 浮游空間日記 |
過去の記事
検索
URLをメールで送信する | |
(for PC & MOBILE) |
生まれ出る「不安」 - 医療崩壊
今、おなかの赤ちゃんの声に耳を澄まし、お母さんになる準備に懸命な女性の多くが、おちおちまどろんでもいられない不安に悩むことになってしまった▲産婦人科医不足で「お産難民」などという困った言葉がささやかれる昨今だ。厚生労働省の調査では分娩(ぶんべん)を休止したり、里帰り出産などを制限する施設が全国77カ所にのぼる。うち3施設では分娩休止後の対策も立てられない有り様という▲また日本産科婦人科学会の調査では33道府県の111施設が産科医の緊急派遣を求めている。「対応できそうにない数で、地域産科医療の維持は極めて困難な状況」とは同学会の分析である。母親が安心して赤ちゃんを産めるという人間社会の基本中の基本条件の底が抜けそうなのだ▲子供はこの世の未来を携えて生まれてくる。産科医療を再建し、赤ちゃんを手厚い祝福と共に迎えることのできないような世の未来は暗い。小さな命令、愛らしい威嚇に耳を澄まさねばならないのは母親ばかりではない。 |
恐怖が、それをもたらす対象がはっきりしているのにたいして、不安はそうさせる対象が必ずしも明確ではない。
記事に描かれている将来のお母さんの抱える不安は、無事に出産できるか否かというものである。
出産できる医療機関が身近になくて、はたして医療機関で出産できるかということにはじまって、安全やあるいは経済的負担にかかわる問題を想定せざるをえないのである。
つまり、できないかもしれないという可能性が存在するからである。
しかし、この種の不安は、本来であれば、医療機関に事欠かないのなら、ひとまず回避することのできるものである。
日本では産科医療が地域で崩壊し、あるいは崩壊しつつあって、記事にあるように、それは如実に数字に表れている。
いくつかの要因があるだろうが、そもそも産科の医師数の減少をあげざるをえない。
お産を扱う医師や施設の数は、出生数の減少より、はるかに早いペースで減っている。
また、出産年齢が高くなっていて、母子に危険を伴う妊娠・出産の例は増えているという。お産の安全が現実に脅かされているといえる。
しばしば定期健診を受けていない妊婦の飛び込み出産が話題になるが、医師のいなくなった地域の妊婦は、病院まで遠くなり、定期健診に通うのが不便になるという背景もある。
産科医が減っているのは、医師が専門科としての産科を敬遠する傾向があるためだ。過酷な勤務実態が背景にある。
出産は昼夜を問わない。出産時に異変が起き、緊急に対処しなければならない事態の発生も少なくはない。医師としての緊張とストレスはいやがおうでも高まる。とくに大学や病院では、産科医の仕事は激務になる。
少し古いが、北大の調査では、年間の当直回数は平均123回。当直明けに休みがとれる病院はゼロだったという(数字は2004年)。
つまり、常勤の産科医が1人かせいぜい2人で夜間当直をしているか、または自宅で待機しているのだ。気の休まる時はない。
「余録」は、「子供はこの世の未来を携えて生まれてくる。産科医療を再建し、赤ちゃんを手厚い祝福と共に迎えることのできないような世の未来は暗い」という。まったく同感だ。
地域ごとに安心できる体制をつくることは火急の課題である。産科医だけでなく、小児科医や麻酔科医、助産師も確保できて医療の質が確保される。医師の増員はどうしても必要だ。(「世相を拾う」08053)
■できればクリックを ⇒
■こちらもお願い⇒
滝川介護タクシー事件で生活保護が削減される…
今月のはじめに、元組員が介護タクシーをつかって滝川市から札幌市まで通院したようにみせかけ、多額の移送費を受け取っていたという事件が報道されました。不正に受給した金額の余りに多額なことに驚いた人も多いでしょう。
厚労省はこの事例をたてにとって、新たに動きはじめました。生活保護受給者を制限しようというものです。
この厚労省の対応は、一つの特異な事例を口実にして、生活保護を受けている人たちの、医療を受ける権利を事実上奪うものだと私は理解します。
以下のエントリーでこの問題を扱いました。
coleoの日記;浮游空間 滝川介護タクシー事件と生活保護
そっと押し込む愛国心。
新しい学習指導要領を告示した文科省が、小学校音楽で君が代を「歌えるよう指導する」と特記するなど愛国心教育をより強調する修正を加えた。
中教審審議をへた改定案が発表されたあとで、修正するという意図は悪質ではないか。今朝のNHKニュースでも伝えていたが、賛否の分かれる問題なのに、文科省は一方の「国民の意見が多かった」ことを理由にしているらしい。
が、意見が分かれる問題をなぜこのように処理したのか、理解に苦しむ。
いずれも配信時間が本日早朝であることが目に付く。
あえて朝刊掲載締め切りの時刻を避けたものだといえるのでは。
意見の対立する問題をあえて新指導要領に盛り込んだのかと考えると、まったくの私の印象にすぎないが、実は以下の判決が下ることを予想し、それに「対抗」したものではないか。
記述内容の真偽に関しては、05年度までの教科書検定での対応や学説の状況から、「両著作の記述については合理的資料や根拠がある」とした。 集団自決訴訟:大江さんらへの請求を棄却 大阪地裁 |
この判決は、大江氏らの記述が合理的根拠にもとづいていると明快に、原告の主張を斥けている。
軍関与を司法が認めたのだ。
朝日の記事(参照)によれば、大江さんは、「口頭なり文書なりの命令があったかなかったかは、『集団自決』の結果を揺るがせはしない。日本軍の構造の全体が、島民たちにこの大量の死を強制した」とのべている。そして、「日本の近代化をつうじて行われた『皇民教育』のイデオロギー復活に道を切り開かぬように努力する。それが私の作家活動の、終生の目標です」とのべている。
つまり、大江氏のような立場が一方にあれば、それに対立する立場もまた強調されるということである。
教科書検定をめぐる文科省の執拗な姿勢はたびたび指摘されてきた。以下に詳しい(世界の片隅でニュースを読む;教科書改竄の「黒幕」)。
文科省のとった冒頭の態度は、まさにそのようなものであると私は思う。
『皇民教育』のイデオロギー復活に道を切り開かぬように努力する、という大江氏に大いに共感する。(「世相を拾う」08052)
■できればクリックを ⇒
■こちらもお願い⇒
【関連記事】
愛国心、さらに強調し修正 改定学習指導要領を告示
文科省、新指導要領に「愛国心養成」を追加
「君が代」歌えるように 学習指導要領 道徳目標に愛国心
公人か私人かより大事なことがある。
相変わらず話題に事欠かない橋下大阪府知事。
ギャラがどうなど、どうでもいいのだが、知事の言い分はさすがに気になる。
24日に開かれた大阪府議会の総務常任委員会で、橋下徹知事のテレビ番組の出演料をめぐり、激しい議論が交わされた。「24時間365日、公人というなら出演料を取るべきではない」と迫る民主党府議に対し、橋下知事は「24時間365日、私人でもある」と反論。公務かどうかは内容によって個別に判断していく考えを示した。
民主党の半田実府議が、6日の本会議で橋下知事が「24時間365日公人」と答弁したことに触れ、「すべて知事の立場で(テレビに)出ることになるから出演料は取らないのが良識だと思うが」と問うた。 |
彼は、大阪を変えるといって当選した。大阪府財政非常事態宣言なるものを打ち上げ、矢継ぎ早に「改革案」を発表。たとえば図書館以外の25の公の施設をゼロベースで見直すと宣言した。また、医療費助成制度も7月末までの暫定予算で計上しているだけで、それ以後はなし。でも、なかには、こんな大ナタをふるう姿に拍手を送る日本人もいるということだ。朝礼での職員の発言にあれだけの抗議のメールがくる事態はそれを寸分の狂いもなく証明している。
ともかく、彼は、大阪府が一大事であるという認識の下に、非常事態宣言を発したのである。
なのに、彼は、公人と私人を使い分けてまでテレビに登場しようとする。
個人の勝手といってしまえばそれまでのことだが、非常事態だと府民によびかけながら、実は一方で「私人の彼」が出演料をとってバラエティ番組に登場する落差を私は考える。
問題は、使い分けを彼は言うのだが、実は巧妙に統一されていて、知事という公人である彼はタレントという私人であることを利用し、一方で、私人の彼は公人として府民が、あるいは視聴者が彼をみなすことを最大限に活用しているということであるだろう。
私は、彼のいった最初の言葉を大阪府民と一緒に実現し、府民のものにするためには、府民の暮らしと財政再建は統一されうるものであるし、橋下氏の頭のなかがまず、統一されないといけないと思う。それが今の彼に可能かどうかは別にして、公人が私人かを争い、出演料をとるかとらないか、を争うより、はるかに大事な気がしてならない。
府民はそれをのぞんでいるのではないか。(「世相を拾う」08051)■できればクリックを ⇒
■こちらもお願い⇒
厚労省はこうして福祉をだめにする。
ある署名が、一人の介護職員のつぎの声から始まったという。
「今の給料のままでは子どもを養うことができません。家のローンも払うことができません。
介護職員の給与を保障してもらえるように署名活動をすることはできないでしょうか」―。
厚労省の調べでは、現在介護福祉分野で働く人は328万人。高齢者分野197万人、老健施設19万886人が働いている。介護職員の月額平均給与は20.8万円などで、全産業の33万円に比べて低くなっている。福祉施設職員に決まって支給する現金給与の年額の推移を見ると、02年の232万2,000円をピークに減少、05年には211万3,000円に落ち込んだ。老健の離職率は22.7%と、全産業の17.5%に比べて高く、介護現場職員の厳しい労働実態がうかがえる。 介護職の「普通の生活を」 160万人が署名 |
介護職員にたいする厚労省の厳しい姿勢はつぎの答弁にも端的に示されている。
改正介護福祉士法をテーマに全国老人保健施設協会(川合秀治会長)が3月18日に開いたシンポジウムで、厚生労働省社会・援護局の高木有生課長補佐は、ホームヘルパーの有資格者が2013年1月以降に介護福祉士を受験する場合、3年以上の実務経験に加えて600時間の講習が必要であることを解説した。 介護職員基礎研修の修了者の位置付けについては「教育内容の水準に配慮するよう(改正介護福祉士法の)付帯決議があるので今後検討していく」と述べたが、ヘルパーにはあくまで600時間が必要とした。会場からは「現場のホームヘルパーはどうすればいいのか」と不満の声が上がった。 https://www.cabrain.net/news/article/newsId/15170.html |
ヘルパーが介護福祉士の資格を取る際の要件の一つについてだが、講習時間は600時間が必要だと。
上のような介護職員の生活実態。
だれが講習600時間を受ける余裕があるのか。受講するためにはもちろん時間も、金も要るのに。
記事にある年収が彼らの手にするものだとすれば、彼らにその余裕はないといえる。
労働が過酷なのに「薄給」という介護の現場から職員が去っていくといわれている。ワーキングプアともいえる。
厚労省は、将来的に現場のヘルパーの資格をなくし、介護福祉士に統一する方向らしいが、これは、まさに門前で道を閉ざすようなものだ。
どこまでも財源問題をちらつかせ弱い部分の差別化に終始する厚労省。
現場の混乱が目に浮かぶようだ。(「世相を拾う」08050)
■できればクリックを ⇒
■こちらもお願い⇒
coleoの日記;浮游空間・介護の現場を敵にまわす厚労省。を再掲したものです。
新医療制度に対する疑問
この4月から新しい医療制度がはじまります。
後期高齢者医療制度というもの。後期というのですから、前期もあります。
後期高齢者は75歳以上の方をそうよぶ。前期は、65歳以上75歳未満の者。
この後期高齢者だけを一くくりにした制度がスタートするのです。
少し中身をみると、とんでもない問題がありそうです。
たとえば、エントリーでも指摘しましたが、この制度の保険料は個人一人ひとりが支払うことになります。収入がない人も応益割(均等割)は払わないといけません。そして、滞納者にはペナルティが準備されている(各県ごとの保険料一覧)。
制度的な欠陥がしばしば指摘されています。
下記のエントリーでそれをまとめてみました。
coleoの日記;浮游空間 新医療制度は撤回したほうがよい。
■できればクリックを ⇒
■こちらもお願い⇒
切支丹の苦難をみつめるマリア。
私たちはやすらぎ伊王島というリゾート施設に泊まりました。できてそれほど経っていないこの施設は、若い人も結構多くて、人気のようです。
伊王島は日本でカトリック信者がもっとも多かったところ。島の東岸にそって南にむかってすすんでいくと、沖之島天主堂が道路の右側にみえてきます。
荘厳なゴシック様式の聖堂が印象的です(写真右。クリックすると拡大します)。
高台に建つ白亜の聖堂は、台風と落雷で改修不能となった明治初期の聖堂にかわって、1931年に建てられたものだそうです。
教会の正面むかって右手には、マリア像が建てられています。
1873年(明治6年)の明治新政府による、切支丹(キリシタン)禁制の高札の撤去まで信者たちの苦難は名状しがたいものがあったのでしょう。
天草の切支丹一揆以来、耶蘇教(キリスト教)に対する禁令は厳しさを増していきますが、信徒にたいする重い刑罰が課されてから二百数十年後、やっと信徒は「拷問」から解放されることになったといえるでしょう。
けれど、これも形式的なものにすぎず、実際には、地方で引き続き弾圧は繰り返されたといいます。
マリア像のたたずまい、そしてマリアのまなざしは、どことなく島民の苦難の歴史に向けられているように私には思えます。
いまでも朝夕の祈りと鐘の音が島内にこだまします。
沖之島天主堂は馬込教会とも。
天主堂に向かう坂道には、このようなマンホールに目を奪われました。
IOUJIMAと、しっかり路上でアピールしていますね。
次の日は、坂本竜馬。
風頭公園の像は、長崎の港を向いています(写真)。つまり、竜馬の眼は、日本の外、世界に向けられているのでしょうか。
当時、日本唯一の世界との接点であった長崎で、竜馬は亀山社中をたちあげています。
日本初の株式会社という説もあるようで、いわゆる商社といえるでしょう。これがのちに薩長同盟につながっていったといわれています。
この公園からそれほど遠くないところに亀山社中の跡がありました。
話は元に戻りますが、この日は、出津(しつ)町の遠藤周作文学館にも立ち寄りました(写真)。
つけくわるまでもなく、遠藤は『沈黙』で切支丹を描きました。
沈黙の碑に刻まれた、人間がこんなに哀しいのに主よ、海があまりに碧いのです、という言葉は、やはり当時の信徒の苦難を、もっとも鮮やかに私たちにイメージさせるものではないでしょうか。
過去に遡って私たちがかわって引き受けることはもちろんできませんが。
残念ながらこの日は天候が今ひとつ。
文学館の建つ小高い丘から臨む眼前に広がる外海(そとめ)の海に、その碧さを実感することはできませんでした(写真・外海)。
長崎市立遠藤周作文学館には蔵書約8000冊が収蔵されているといいます。
■よろしければ、応援のクリックを ⇒
■ブログ村ランキング、こちらもお願い⇒
お知らせ ― カミキリの浮游空間日記
しばらく更新の間隔をあけていました。シーズンも間近に迫ってきました。昨年はゴールデンウィーク以後、まったく機会がありませんでした。今年は、ボチボチやっていきます?
どうぞよろしく。
■よろしければ、応援のクリックを ⇒
■ブログ村ランキング、こちらもお願い⇒
自己責任論を捨てよ。
この点について言及した(参照)。
エントリーでは、国民健康保険を滞納した者がどのような受診行動をとるのか、それを調査データにもとづいて紹介した。
調査によれば、保険証の代わりに資格証明書を交付された人が受診する頻度は、一般の人の2%未満と極めて低い。
データはある意味で冷酷である。一般の2%に満たないというわけだから、ちがいは歴然としている。
データの裏側にあるのは、滞納しているという「後ろめたさ」、精神的抑圧と、深刻なほどの自己責任の意識だろう。
「身から出た錆」という感覚や人に頼ってはいけないという意識が寸分でもあれば、何とかして今から逃れでてみようという意思が働くわけである。
こんな状態を、湯浅誠は、「自助努力の過剰」とよんでいる。
過剰なまでの自己責任論の受容がそこにあるということになる。
しかし、こうした自己責任論の蔓延は、たとえば国保料滞納という現象に特有のものではもちろんない。
こんな記事がある。
妊娠中の定期的な健診である妊婦健診を受けないまま、出産のため医療機関を突然訪れる未受診妊婦の飛び込み出産が全国で増加傾向にある。 未受診妊婦の存在は、昨年8月に奈良県の妊婦が救急搬送中に死産した問題でクローズアップされた。その後、全国各地で妊婦の救急搬送の受け入れ不能が明らかになった。背景には、未受診妊婦側が救急搬送を依頼しても、母体や胎児の状態がわからないとして、病院側が受け入れを敬遠する構図がある。 読売新聞が今年1月、高度な産科医療機能を持つ全国の医療機関を対象に行った調査では、67施設から回答があり、昨年1年間に301人の未受診妊婦の飛び込み出産があった。「以前よりも未受診妊婦が増えた」とする医療機関は、回答した67か所中、20か所あった。 妊婦が未受診のまま飛び込み出産に至る要因は、貧困と情報・知識の不足にある。 読売新聞の調査では、妊婦が未受診になった理由は「経済困窮」が最も多く、146人いた。また107人が未婚者だった。 飛び込み出産の増加 貧困と知識不足 健診の公費負担拡充を |
つまり、飛び込み出産も、まさに湯浅のいう「自助努力の過剰」の表れである。もちろん記事が指摘するように、情報や知識の不足はある。
だが、貧困は、今の時代も一昔前と変わらず、頼ってはいけない、強い人間になれ、というもう一人の自分をあらゆる場面に登場させる。そして思い込むのである。
もう一人の自分に駆り立てられ、それに従おうと必死になる。けれど、もとより、人に頼らずに、強い人間になれるような条件になかったから、今の自分があるわけだから、そんな思いも費えてしまう。
飛び込み出産は、たとえばその結果である。
しかし。
こうした事例を見聞きするたびに、自己管理能力の欠如、自助努力のなさ、さらにはだらしい、あるいは弱い人間などという言葉を選び取って、彼らに投げつけてきたのではないか。
そんな言葉を選択し、投げつけなければならないという観念から、私たちは自身を解放しなければならない。
そして、貧困にある者もまた、自立しよう、しようという強迫観念から解放されなければならない。
日本ではこの間、自己責任論がふりまかれてきた。けれど、これを解き放って、またはそうしてこそ、はじめて医療、福祉というものを私たちの方に手繰り寄せることができるといえそうである。
■よろしければクリックを ⇒
■ブログ村ランキングもお願い⇒
coleoの日記;浮游空間に同文を掲載しています。
「思いやり予算」は地位協定にも違反する。廃止だ。
衆院は18日、本会議を開き、在日米軍駐留経費負担(思いやり予算)を4月から3年間延長するための新特別協定案を審議入りさせた。新協定案は、野党が多数を占める参院で否決されても衆院議決の優先によって自然承認される。だが、日銀総裁人事をめぐる与野党対立などで審議入りが大幅に遅れたため、参院が年度内の承認手続きを見送るような対応をとれば、予算執行に空白が生じる恐れもある。
新協定は、現行協定に基づく日本側負担額1409億円を平成20年度は維持。21、22年度で米軍基地で使う電気、ガスなど光熱水料(現行は253億円)をそれぞれ4億円ずつ削減する。 特別協定は条約の一種で、憲法上衆院の議決が優先する。このため衆院の議決後、30日以内に参院が議決しない場合は自然承認となるが、この場合は承認が4月中旬以降となり、半月近くも米軍に対し関係予算が支払われない状態となる。 |
正直思うのは、どうしてそんなに米軍を思いやるのか。その必要がほんとにあるのかということ。
思いやりの実態も、法外なもの(右図、クリックすると拡大します)。一例をあげると、指令官用の低層住宅は、浴室つきの4つの寝室。食堂、居間、台所つきという豪華なもの。約234平米。
高層住宅も、3つの寝室つき。1戸あたり137平米といわれている(*1)。
手許にある資料では、そのほか基地従業員の制服、クラブ・マネージャーの蝶ネクタイ、タキシード、ストッキングなどまで含まれ、基地従業員の職種には基地内のゴルフ場マネージャーやネイリストまで含まれるとある(『日本の軍事費』)。ちょうど、別表が公表されている(参照)。
だが、米兵の暴行事件でクローズアップされた日米地位協定では、日本に駐留する米軍の経費は米国が負担すると規定しているのだ。
日本国に合衆国軍隊を維持することに伴なうすべての経費は、2に規定するところにより日本国が負担すべきものを除くほか、この協定の存続期間中、日本国に負担をかけないで合衆国が負担することが合意される 日米地位協定24条1項 |
当ブログではたびたびとりあげているが、そもそも思いやり予算は、ベトナム戦争で膨大な戦費によって財政赤字が拡大した米国が軍事負担を要求してきたことに対して、当時の金丸信防衛庁長官が強行したのが発端。
1978年、日本人従業員の労務費61億円を福利厚生費の名目で負担したのがはじめてといわれている。
米国と同盟関係にある国で、駐留経費の4分の3、44億ドルを負担するのは日本だけ。けたちがいなのである(左図)。
地位協定にも違反する思いやり予算は即刻、廃止すべきだ。
■よろしければ、応援のクリックを ⇒
■ブログ村ランキング、こちらもお願い⇒
*1;02年の防衛施設庁の資料では、1戸あたりの建設費用は5900万円。同時期の都営住宅の建設費が1700万円なので3.5倍にもあたるもの。
横浜事件判決-忘却を強いる免訴という手続き。
スペインの「歴史の記憶法」制定にみられるような行為は、過去を遡り、過去の出来事を私たちの脳裏に刻み込み記憶として保存することによって、将来の社会のありようにいかそうという強い意思の表れを示していると思う。
このスペインに比して、日本のその意思がいかに乏しいのかを先のエントリーでふれた。
横浜事件(*1)の再審上告審判決が14日あった。
裁判長は、元被告側の上告を棄却。治安維持法の廃止と大赦を理由に、有罪無罪の判断をしないまま裁判を打ち切る「免訴」とした判決が確定する。
再審で被告(遺族)と弁護団は、「無辜(むこ)の救済」という再審制度の理念にてらし、実体審理をつくしたうえで無罪とすべきと求めてきた。
これまでの裁判では、06年2月、一審横浜地裁は免訴判決を言い渡している。「免訴理由がある場合は、実体審理も有罪無罪の判断も許されない」とする1948年の最高裁大法廷の判例を踏襲したのであった。
二審・東京高裁は「免訴判決に被告側は控訴できない」として控訴を棄却している。
横浜事件では、すでに拷問を加えた元特高警察官らが、戦後告発され、特別公務員暴行陵虐罪で有罪が確定している。再審をきめた05年3月の東京高裁決定は、「元被告の自白は拷問によるもの」と認定し、「無罪を言い渡す新証拠がある」としていた。
この横浜事件は、治安維持法のもとで特高警察が拷問で自白をでっちあげ、司法も追認した言論弾圧・冤罪事件だ。再審では、野蛮な天皇制警察の実態を明らかにするとともに、裁判所が自らの責任にどう向き合うのかが問われていた。
無罪判決だけではなく、何よりも言論・表現・思想結社の自由に対する弾圧の前提となった治安維持法への断罪と、国の権力犯罪にたいする明確な告発が問われていたわけだ。
そうであるなら、弁論も開かず、法技術的に下された形式的な結論は、誰であろうと納得させることはできないだろう(三大紙社説を下記にリンク)。
横浜事件では、裁判所の果たした役割も問われてきたはずである。
実際、横浜地裁は敗戦後も、治安維持法が廃止されるまでの1945年に起訴された約30人に対し、有罪判決を出し続けたばかりか、責任追及を恐れ裁判資料を焼却している。
そして裁判資料がないことを理由に、2003年4月の再審開始決定までは再審請求を拒否し続けた。
まさに権力犯罪に加担し人権侵害をつづけてきた司法の責任も問われてきたのだ。だから、過去の問題として葬り去るのではなく、権力による人権侵害、思想弾圧を過去にさかのぼり検証し、明らかにすることこそ、とるべき道ではなかったのか。
今回の判決は、忘却を強いる免訴という法的な手続きに終始したもので厳しく批判されないといけないだろう。最高裁のとった態度は、冒頭のスペインのとったそれとはあまりにも隔たっている。
あまりにも政治的である。(「世相を拾う」08049)
*1;神奈川県特高警察が1942年7月、細川嘉六氏(評論家。共産党参院議員)が雑誌『改造』に執筆した論文を、共産主義の宣伝などとし、同氏がかかわった宴会を「共産党の再建準備」などとでっち上げた事件。出席者など60人以上が逮捕され、特高の拷問などで4人獄死。治安維持法違反で、半数のものが有罪判決を受けた。
■よろしければ、応援のクリックを ⇒
■ブログ村ランキング、こちらもお願い⇒
【関連記事】
横浜事件再審―過去の過ちに背を向けた
社説:横浜事件 司法の「清算」進まず残念だ
横浜事件 最高裁判決から何を学ぶか(3月15日付・読売社説)
(リンク切れの場合は、以下をどうぞ。それぞれ上から朝日、毎日、読売)
目も耳も貸しません。ただ暫定税率を守るのみ。
テレビのニュースで流れていて様子をみましたが、副大臣の姿はやはり異様でした。
何ゆえに、滔滔とまくし立てたのでしょうか。
はっきりしているのは、いまの政府が暫定税率維持に固執していることです。
内閣の一員である松島氏は、従来の自らの主張と政府の方針のくいちがいを衝かれて、内閣に帰属するという確固たる意思と決意をのべたのでしょう。
勢いあまって、制止にも耳をかさず、およそ傍目には見苦しいほどの答弁をせざるをえなかったということでしょうか。
質問者は、副大臣の主張と政府の整合性を問題としてとらえたということですが、少し皮肉れば、整合性などというものは、政府も、質問した側の民主党ももちあわせていないのでは。
自民党議員が地元の支持者を前に党の方針とは異なることを平気で公言するのは常ですし、民主党でさえ、昨日のエントリーでものべましたが、中央と地方で平然としてちがった対応をするのはよくあることではありませんか。
ともあれ、この自公政権のまるで喜劇のようなふるまいは、政権放り出しの後始末という課題を担った福田政権のもろさを象徴しているのでしょう。
周囲もまったく視野に入らない、松島氏の自己完結的態度、そして自党のマニュフェストと内閣の一員としてとっている態度がちがわないと経文のように語る冬柴氏、そしてまた、内閣の一員になったら自らの主張ととる態度がかわって当然という福田首相の発言。
これらに共通するのは、日本の政治の、あるいは政治家の、もっといえば日本社会の無責任を鮮やかに示していること。そんな気がしてなりません。
松島氏も、冬柴氏も、首相も、そして当該委員会委員長の鴻池氏も同じように、道理がなくても、ただ暫定税率は保持しようとする立場を前面に押し出している。それが、答弁や言い逃れ、長広舌という形で表現されている。そのようにみえるのです。
(「世相を拾う」08048)
■よろしければクリックを ⇒
■ブログ村ランキングもお願い⇒
銀行破綻。では政党はどうなってるのか。
新銀行東京 『都知事に責任』声多く 『焼け石に水…』400億円増資もノー
住んでいるわけではないが、これはやはり気になる。
石原の対応ぶりは、どこがこれまでの政治家と異なるのか。寸分も違わない。
石原の歯切れのよさにうかれた都民はいまどう思っているのか、問うてみたい。記事によれば、まあ、それでも石原の責任は免れないと考えている人が多いように推測されるが。
ところが、こんな報道もある。
旧経営陣招致を否決 自・民・公 報告書提出も拒む
なんのことはない。
都知事選で、少なくとも石原に対抗したはずの民主がこのていたらく。もっとも、同党は、その前の4年間もすべての議案に賛成してきたのだから。
政局を「読んで、対決姿勢を」打ち出すのは、どうも中央でも、地方自治体でも同じようだ。そして、穏やかな日常になれば、この始末。
石原を選択した人と参院で民主に投票した人は相当の程度重なると私は考えているが、政党の方がこれほどまでに溶けてしまい、姿が重なるのだから困ったものである。改憲議連などの話もあるのだから、こっちがいちばん深刻だと考える。(「世相を拾う」08047)
■よろしければクリックを ⇒
■ブログ村ランキングもお願い⇒
橋下発言で蘇るもの。
滞納すると受診は減る-国民皆保険の実際
国民健康保険料(税)を1年以上滞納し、保険証の代わりに資格証明書を交付された人が受診する頻度は、全国保険医団体連合会(保団連)の調査で、一般の人の2%未満と極めて低かった。 資格証だと、自己負担分を除いた医療費を後で請求できるものの、窓口でいったん全額を支払わなければならないためとみられる。 各都道府県の国保連合会を保団連が調査し、2006年度に受診した医療機関数と回数を100人当たりで点数化。回答のあった39道府県の単純平均で、一般の人は774.7ポイントだったのに対し、資格証を交付された人は15.0ポイントとなり、受診頻度は一般の1.9%だった。資格証交付者の受診頻度が最も少なかったのは山梨県で2.1ポイント、最も多かった青森県は41.0ポイントだった。 資格証の交付は滞納対策として2000年度から義務化されたが、保険料の収納率は91%前後とほぼ横ばいで推移している。このため、保団連は「滞納対策としての効果が薄く、国民皆保険制度を崩すものだ」と批判。 また現在、保険料を1年以上滞納しても資格証は交付されない75歳以上も、4月からは資格証交付の対象となるが、「高齢者は外すべきだ」としている。 (共同通信社) 受診頻度、一般の人の2% 保険料滞納の資格証交付者 |
調査によれば、2つのことが浮き彫りになる。
資格証交付を、厚労省は滞納を減らすための手段として自治体が実施するよう指導してきた。
記事にあるよう2000年度からは、資格証の交付が義務づけられた。
ところが、滞納率が減少したかといえばそうではなく、この手法で滞納を減らすことはできないということが明らかになったわけだ。
もう一つは、タイトルにあるように、国民健康保険(以下、国保)の保険料を滞納している人の受診率がそうでない人に比べると、はるかに低いということ。
この問題が深刻である。受診が結果的に抑制され、受診をしないと病気は重篤化する。国民のいのちを守るべき医療制度が、こと滞納者にかぎっていえば機能をしていないということだ。
以下で、全国の自治体が運営する国保制度が危機に瀕していることをのべた。
この調査でもそれが追認された恰好で、記事が指摘するように、国民皆保険制度が崩れているといってもよい。
短期保険証が交付されるが、不安定な身分では安くなった保険料でさえも払えなくて、ついに資格証明書の交付を受けることになる。資格証明書という名の無資格であることの証明。10割全額を窓口で負担しなくてはならない。経済的に困窮しているから短期保険証、さらに払えなければ資格証明書ということになるわけだから、もともと医療費全額を窓口で払えることなど、不可能なはずである。理不尽ともいえるしくみなのである。保険加入者のセーフティネットがまったく機能していないことがこの道筋で明らかではなかろうか。 「クローズアップ現代」の警鐘-国民健康保険が崩壊する |
国保の加入者は、不安定雇用の労働者、零細な自営業者や高齢者などから成り立っている。
容易に推測がつくことだが、この集団がもともとリスクの高い集団である場合とリスクが分散される場合では、結果に差異が認められるだろう。国民健康保険は、自治体ごとの制度である。その点では加入者数に限度があって大数の法則も利きにくい。しかも加入者の構成の点で明らかにリスクの高い集団から成り立っている。零細自営業者、不安定雇用の労働者などの割合が多くなれば、疾病罹患率も相対的に高いと推測され、それが財政基盤をさらに悪化させるといえるだろう。 |
世界に冠たる日本の国民皆保険制度。
その皆保険制度が機能不全に陥っている。記事が伝えるのは事実上、保険でカバーされない人たちが私たちの周りには多数、存在しているということだ。本来の保険証をとりあげ、無資格であることを証明するともいえる資格証明書や短期保険証の交付の制度化がそれを生み出してきた。
構造改革は社会の貧困化に拍車をかけた。もともと制度的にもろさを抱えてきた国保制度の基盤をさらに危ういものにしている。国の国庫負担繰入で、国保が制度として機能するようにすべきだ。
■よろしければ、応援のクリックを ⇒
■ブログ村ランキング、こちらもお願い⇒
【関連エントリ】
崩れかけた国民皆保険-貧困を投影。
coleoの日記;浮游空間にも同文を公開しています。
« 前ページ |