Bill Evans / Conversations with Myself ( Verve V-8526 )
複数のピアニストがある曲を同時に弾く、というのは特に珍しいことではない。 1台のピアノを2人で並んで座って弾く「連弾」というやり方もあれば、
2人がそれぞれ1台ずつのピアノを同時に弾く「2重奏」というやり方もある。 モーツァルトは連弾のためのソナタを書いたし、以降の歴史に名を残した
作曲家の多くが同じように連弾や4手や8手のためのピアノ曲を書いている。 当時は立派な鑑賞用の音楽として作曲され、音楽を聴くなんてことが許された
一部の特権階級の人たちが聴くことを楽しんだ訳だが、現代ではこういうスタイルは子供たちの手すさびくらいの認識にまで落ちているのが実態だろう。
このピアノの重奏が廃れた理由は、おそらくたくさんのピアノの音がぶつかることで生じるハーモニーの濁りが嫌われるようになったからだと思う。
モーツァルトの時代に使われていたフォルテピアノという楽器はピーク時の音量が維持される時間が短いが、現代のモダンピアノはその維持時間が長い
ために、相性の悪い音同士が重なると途端に濁ったハーモニーとして響いて拡散してしまう。 だから、モダンピアノによる連弾や重奏は観賞用という
よりは、仲睦まじく微笑ましい余興として演奏の現場では片隅に追いやられてしまうようになったのではないだろうか。
そういう根本のところでハンデを持つこのスタイルの音楽を愉しめるかどうかは、聴き手がどこまで各ピアノのラインを聴き分けられるかにかかってくる
のかもしれない。 特にそれがジャズの場合になると、ハーモニーを愉しむという聴き方ではなく、複数のラインが織りなす彩の妙を愉しむという聴き方に
なってくるのだと思う。 だから、普段からピアノを聴く時に音の響きの美しさやハーモニーの心地良さに第一の価値観を置く聴き手にはこのエヴァンスの
アルバムはまったく理解できない、無用の長物となる。 私がジャズを聴き出した数十年前はこのアルバムのことはいろんなところで言及されるのを
見かけたものだが、今ではまったく見かけなくなってしまったのは最近の悪しき風潮を反映しているのかもしれない。
このアルバムは、"アンダーカレント" によく似ている。 リズム楽器がなく、複数のメロディー楽器が複雑に絡み合って進んでいく様は瓜二つだ。
こういう演奏はエヴァンスの中には元々イメージがあったのだろう、特に変わったことをしているという意識はなかったのではないだろうか。
モンクの曲を多く取り上げているのが意外だが、モンクの曲に内在する多重性が演奏コンセプトに合うことを当然理解した上でのことなんだろうし、
徹頭徹尾よく考え抜かれている。 大袈裟なタイトルで敬遠される向きもあるのかもしれないが、もっとカジュアルに愉しめばいい作品だと思う。