今日六月二三日は「沖縄慰霊の日」。この日は、七〇年前、アジア太平洋戦争において植民地や占領地を除く「日本の領土」で唯一「苛烈・悲惨」な地上戦が行われた沖縄での、日本軍将兵・住民合わせて二〇万人余りが犠牲になった「戦争」が終結した日である。
今日は、朝からテレビや新聞がこの「沖縄慰霊の日」について報じていたが、僕の胸に去来したのは、あの決して小さくない島の大半が焼け野原になり、多くの住民(と日本軍将兵)が犠牲になった七〇年前の沖縄戦に対して、そんな沖縄戦やヒロシマ・ナガサキなどの犠牲の上で手に入れた「平和」を否定し、その「平和」を体現している「日本国憲法」に「違反」してまでも「戦争のできる国」にしようとして、あくまでも「安保法制=戦争法案」の国会通過を目指す安倍自公「極右」政権――自民党と連立を組む公明党は、今や完全に「平和と福祉の党」の看板を下ろし、国民を「戦争」に引きずり込むことに賛同する「与党ボケ」した政党に成り下がってしまった――に所属する政治家(屋)たちは、今どのように思っているのか、一度じっくり彼らの考えを聞きたいものである。
安倍首相や中谷防衛大臣らは、事ある毎に「中国や北朝鮮の脅威」を持ち出すが、もし仮に尖閣諸島をめぐって日中が戦争状態になったとして、最初の犠牲になるのは沖縄の自衛隊員だし住民である――もっとも、中国が本気で日本と戦火を交えようとしたら、核弾頭を積んだミサイルが首都東京や日本各地の大都市に飛んでくるかも知れない。その時、アメリカ軍はどうするか、僕は中国との全面戦争を避けたいアメリカは、「モンロー主義」に戻って日本を見捨て、日本の米軍基地から将兵や武器を引き上げるだろうと思う――。 九〇%以上の憲法学者が「違憲」だと判断している「安保法制」(集団的自衛権行使容認)に対して、これも多くの学者がそんなことは意味していなかったと言っている1959年の最高裁の「砂川判決」や1972年の「政府見解」を持ち出して、何が何でも「安保法制」の国会通過を図ろうとしている安倍自公「極右)政権がいかに「現実」に根ざさない観念的な思考しか持ち合わせていないかは、沖縄県民の大多数が「ノー」と言っている名護市辺野古沖の「新基地」建設を強引に推し進めようとしていることからもよく分かるが、昨日の「日韓国交回復50周年」における安倍首相のスピーチでも、過去の「36年間に及ぶ植民地支配」(これを象徴するのが「従軍慰安婦」問題である)については全く触れず、新聞などは「未来志向」ときれい事を書いているが、ようするに無意味な形式主義を振り回すだけの、全く気持が伝わらないスピーチを聴いていれば、よく分かる。
安倍首相のスピーチを聴いていて、いつも思い浮かべるのは、安倍首相の「影武者」とも言うべき相当「頭の悪い=観念的な言葉でしか物事を考えられない」スピーチ作者(官僚・補佐官)の姿である。それは、歴代の内閣法制局長が「違憲」だという「安保法制=戦争法案」について、全く意味のない「フグの例え」を出して「合憲」だと言い募った現在の法制局長の姿に重なる者たちである。それにしても、あの法制局長のような権力者(安倍首相)の言いなりになって平然としている「馬鹿者=お茶坊主」らに、僕らの未来が決められると思うと、何とも「嫌な気持」がしてならない。
だが、民衆はいつまでも「騙されたまま」ではいない。このことをどのような形で権力者に知らしめるか、そのことを僕らは近々の問題として今から考えておく必要があるだろう。
今日は、朝からテレビや新聞がこの「沖縄慰霊の日」について報じていたが、僕の胸に去来したのは、あの決して小さくない島の大半が焼け野原になり、多くの住民(と日本軍将兵)が犠牲になった七〇年前の沖縄戦に対して、そんな沖縄戦やヒロシマ・ナガサキなどの犠牲の上で手に入れた「平和」を否定し、その「平和」を体現している「日本国憲法」に「違反」してまでも「戦争のできる国」にしようとして、あくまでも「安保法制=戦争法案」の国会通過を目指す安倍自公「極右」政権――自民党と連立を組む公明党は、今や完全に「平和と福祉の党」の看板を下ろし、国民を「戦争」に引きずり込むことに賛同する「与党ボケ」した政党に成り下がってしまった――に所属する政治家(屋)たちは、今どのように思っているのか、一度じっくり彼らの考えを聞きたいものである。
安倍首相や中谷防衛大臣らは、事ある毎に「中国や北朝鮮の脅威」を持ち出すが、もし仮に尖閣諸島をめぐって日中が戦争状態になったとして、最初の犠牲になるのは沖縄の自衛隊員だし住民である――もっとも、中国が本気で日本と戦火を交えようとしたら、核弾頭を積んだミサイルが首都東京や日本各地の大都市に飛んでくるかも知れない。その時、アメリカ軍はどうするか、僕は中国との全面戦争を避けたいアメリカは、「モンロー主義」に戻って日本を見捨て、日本の米軍基地から将兵や武器を引き上げるだろうと思う――。 九〇%以上の憲法学者が「違憲」だと判断している「安保法制」(集団的自衛権行使容認)に対して、これも多くの学者がそんなことは意味していなかったと言っている1959年の最高裁の「砂川判決」や1972年の「政府見解」を持ち出して、何が何でも「安保法制」の国会通過を図ろうとしている安倍自公「極右)政権がいかに「現実」に根ざさない観念的な思考しか持ち合わせていないかは、沖縄県民の大多数が「ノー」と言っている名護市辺野古沖の「新基地」建設を強引に推し進めようとしていることからもよく分かるが、昨日の「日韓国交回復50周年」における安倍首相のスピーチでも、過去の「36年間に及ぶ植民地支配」(これを象徴するのが「従軍慰安婦」問題である)については全く触れず、新聞などは「未来志向」ときれい事を書いているが、ようするに無意味な形式主義を振り回すだけの、全く気持が伝わらないスピーチを聴いていれば、よく分かる。
安倍首相のスピーチを聴いていて、いつも思い浮かべるのは、安倍首相の「影武者」とも言うべき相当「頭の悪い=観念的な言葉でしか物事を考えられない」スピーチ作者(官僚・補佐官)の姿である。それは、歴代の内閣法制局長が「違憲」だという「安保法制=戦争法案」について、全く意味のない「フグの例え」を出して「合憲」だと言い募った現在の法制局長の姿に重なる者たちである。それにしても、あの法制局長のような権力者(安倍首相)の言いなりになって平然としている「馬鹿者=お茶坊主」らに、僕らの未来が決められると思うと、何とも「嫌な気持」がしてならない。
だが、民衆はいつまでも「騙されたまま」ではいない。このことをどのような形で権力者に知らしめるか、そのことを僕らは近々の問題として今から考えておく必要があるだろう。
6月23日が今年初めて沖縄の慰霊の日であることを認識しました。私も最近新聞などを読んでいますと、戦争のことについて書かれた記事などを読む機会があります。わたくしは戦争体験がないので直接には戦争の悲惨さは分かりませんが、どのようにしたら戦争のない世界にすることができるのでしょう。慰霊の日にはケネディーさんも出席したらしいですが、彼女はどう考えていたのでしょうか。
「どのようにしたら戦争のない世界にすることができるのでしょう。」とのことですが、簡単にはお答えできない「大変難しい問い」だと思います。
ただ、1945年12月生まれで、僕も「戦争を知らない」世代なのですが、経験的に言えば、僕の小中学校の同級生で先の大戦末期に「戦死」したために、父親の顔を写真でしか知らないと言っていた人が5人(200人中)いて、また男の先生の大半が「兵隊帰り」で、授業中いかに「戦争」というものが「人を不幸にする」か、を語ってくれたと言うこともあり、さらに言えば僕の父親も「兵隊帰り」で、彼がどのような「戦争体験」をしたかの詳細は分かりませんが、戦後の「荒廃した生活」から立ち直るのに10年近くかかったということがあり、いつの間にか心身で「反戦」感覚が身に付いていました。
そんな経験があって、その上で戦後の「平和と民主主義」理念が、保守勢力(戦前の指導部)によって少しずつ「変質」させられていくことを身をもって体験するということが重なり、そして決定的だったのは家庭の事情も顧みず進学した大学時代に「ベトナム反戦運動」と出会い、「殺すな!」(戦争で「敵」を殺したくない、自分も殺されたくない)こそ「正義」だと思いから学生運動(全共闘運動)に関わる、ということがありました。
そして現在があるわけですが、僕の今を規定している論理と倫理は、学生時代に培った「殺すな!」に集約されるものです。僕が「戦争文学」や「原爆(核)文学」にこだわり、また大江健三郎や小田実、野間宏、井伏鱒二らの文学、そして立松和平や村上春樹の文学に関わり続けてきたのも、皆その底に「反戦・戦争」の倫理と論理が存在するからだろうと思っています。このブログで「時の政治」に関わって発言し続けてきたのも、「戦争は悪」という思いがあり、このままではその「悪」に僕らが手を貸すことになるのではないか、と危惧しているからであり、微力でもそんな「反戦思想」を多くの人に伝え、一緒に考えてもらえればな、と思ってのことです。
ですから、貴方の質問に対して、今の僕が言えることは「戦争はダメ(悪だ)」という思いを強く持ち、その意思をできるだけ多くの人に伝え続けていくこと(例えば、選挙などで絶対に「戦争」を肯定するような人には投票しない、あるいは機会ある毎に家族や友人・知人に自らの思想を伝えていく)を続けていくしかないのではないか、と思います。もちろん、その先には、志を同じくする人たちと一緒に「意思表示」することも出てくるでしょう。
お互い様ですが、考え続けましょう。そして機会があったら行動しましょう。