前回「『虚しさ』との戦い」という言葉を発してから、現在の心境を語るのに何故「虚しい(さ)」という言葉を使ったのか、この「虚しさ」という言葉はどこから来たのか(生じたのか)、ずっと考え続けてきた。
この間、私的には毎年この時期には恒例となった「山菜(蕗・蕨)採り」に群馬県と新潟県の県境(谷川岳の新潟県側の麓)まで出掛けていき、徹夜で「きゃらぶき」を煮るという作業を行ったり、また2日前には曇天の下で「タマネギ」の収穫と保存のための処置を行うなど、「考える」よりは「体を動かす」ことに時間を取られるということもあったのだが、何をしていても頭から離れなかったのは、冒頭に書いたように「虚しさ」の拠って来たる所以であった。
もちろん、漠然としたものとしては、安倍自公「極右」政権が強力に推し進める「安保法制」(集団的自衛権行使をスムーズに行うための法制化)論議にその原因があるとは分かっているのだが、しかし、その具体的内実となると、どうも「ぼんやり」しているような感じで、今ひとつ心底にすとんと落ちるような「答え」が見つからないという気持が強く、それが「虚しさ」を導き出していたように思う。
ところが、6月4日の「衆院憲法審査会」において、自民・公明の与党が推薦した長谷部恭男早大教授をはじめ小林節慶大名誉教授(民主党推薦)、笹田栄司早大教授(維新の党推薦)の3人の参考人が挙って「集団的自衛権行使容認」は「憲法違反」だと断言したことに対する自民党の反応を見て、僕がこのところずっと感じていた「虚しさ」の理由がはっきりとした。 それは、3人の参考人が揃って集団的自衛権行使容認は「違憲」だと述べたことに対して、菅官房長官が「安保法制の国会審議に影響ない。違憲だという学者ばかりではない。合憲だと言う憲法学者もいる」(「合憲」論を言う学者は誰だと記者からの質問には、具体名を挙げなかったが……。なお、あれから今日まで菅氏は具体名を挙げていない。)と強弁し、何のために開かれたのか分からない「G7」が終わった後に安倍首相は、「集団的自衛権行使を含む『安保法制』は、憲法の精神の則って国会に提出したもので、合憲であることは1955年の最高裁の『砂川判決』で明らかである」と、まさにこれまでと同じように「官僚作成」の答弁を繰り返したことで、僕の内部で氷解したことがあったからである。なお、この事ある毎に自民党が持ち出す「砂川判決」云々であるが、僕らがはっきり自覚しなければならないのは、「砂川判決」なるものは、日米安保条約について「合憲」だとしたが、「集団的自衛権行使」については一言も言及していないし、自衛隊の存在そのものが問われて1955年という時代を考えれば、集団的自衛権行使容認「合憲」の判例として「砂川判決」を持ち出すのは、歴史的に無理があるということ、このことを忘れてはならない。
つまり、安倍「極右」政権は、安倍首相の周りにいる自民党の政治家や官僚、財界人たちが「長年」考えてきた「平和国家」から「戦争のできる国」への転換――つまり、「日本国憲法」を貫く「平和主義」や「立憲主義」を否定し、ナショナリスト(国家主義者)の振りをしながら「対米従属」の姿勢を強め、同時にアジアに対しては「強国」=「戦争のできる国」として振る舞う、そしてそのことによって自民党(保守主義者)の「権力」を半永久的に維持する(公明党は、もちろんこの際は自民党の補完物にすぎない)――を実現するために、それこそなりふり構わない行動を取っている、ということである。
安倍「極右」政権は、辻元清美議員に対して安倍首相が「早く質問しろよ」とヤジ(暴言)を吐いたこと、あるいは中谷防衛大臣が思わず「本音」を出したのだろうが「憲法を安保法制に適応させる」といった発言をしたことに象徴されるように、「安保法制」に疑義を持つ人(国会議員にだけでなく、多くの国民に対しても)に対して、「丁寧に説明する」という言葉とは裏腹に、真っ正面から答えようとせず、答えをはぐらかしたり、あるいは見当違いのことを平然と述べたり、要するに「国民を馬鹿にしている」にしているのである。
まともに議論せず、「初めに結論ありき」の自公「極右」政権の態度に苛立ち、そしてそのような自公政権に対して(最近は少しずつ減ってきているようだが)未だに「50%」近い支持率を与えている国民に対して「絶望」し、何ともならない最近の政治状況に「虚しさ」を募らせ、日々悶々としてきた僕であるが、たとえ安倍首相や自公の政治家に僕のこの「言葉」が伝わらないとしても、「書くこと」でこの社会との関係を考え続けようとしてきた「批評の原点」に立ち返って、やはり書き続けていこう、と改めて思った。strong>
この間、私的には毎年この時期には恒例となった「山菜(蕗・蕨)採り」に群馬県と新潟県の県境(谷川岳の新潟県側の麓)まで出掛けていき、徹夜で「きゃらぶき」を煮るという作業を行ったり、また2日前には曇天の下で「タマネギ」の収穫と保存のための処置を行うなど、「考える」よりは「体を動かす」ことに時間を取られるということもあったのだが、何をしていても頭から離れなかったのは、冒頭に書いたように「虚しさ」の拠って来たる所以であった。
もちろん、漠然としたものとしては、安倍自公「極右」政権が強力に推し進める「安保法制」(集団的自衛権行使をスムーズに行うための法制化)論議にその原因があるとは分かっているのだが、しかし、その具体的内実となると、どうも「ぼんやり」しているような感じで、今ひとつ心底にすとんと落ちるような「答え」が見つからないという気持が強く、それが「虚しさ」を導き出していたように思う。
ところが、6月4日の「衆院憲法審査会」において、自民・公明の与党が推薦した長谷部恭男早大教授をはじめ小林節慶大名誉教授(民主党推薦)、笹田栄司早大教授(維新の党推薦)の3人の参考人が挙って「集団的自衛権行使容認」は「憲法違反」だと断言したことに対する自民党の反応を見て、僕がこのところずっと感じていた「虚しさ」の理由がはっきりとした。 それは、3人の参考人が揃って集団的自衛権行使容認は「違憲」だと述べたことに対して、菅官房長官が「安保法制の国会審議に影響ない。違憲だという学者ばかりではない。合憲だと言う憲法学者もいる」(「合憲」論を言う学者は誰だと記者からの質問には、具体名を挙げなかったが……。なお、あれから今日まで菅氏は具体名を挙げていない。)と強弁し、何のために開かれたのか分からない「G7」が終わった後に安倍首相は、「集団的自衛権行使を含む『安保法制』は、憲法の精神の則って国会に提出したもので、合憲であることは1955年の最高裁の『砂川判決』で明らかである」と、まさにこれまでと同じように「官僚作成」の答弁を繰り返したことで、僕の内部で氷解したことがあったからである。なお、この事ある毎に自民党が持ち出す「砂川判決」云々であるが、僕らがはっきり自覚しなければならないのは、「砂川判決」なるものは、日米安保条約について「合憲」だとしたが、「集団的自衛権行使」については一言も言及していないし、自衛隊の存在そのものが問われて1955年という時代を考えれば、集団的自衛権行使容認「合憲」の判例として「砂川判決」を持ち出すのは、歴史的に無理があるということ、このことを忘れてはならない。
つまり、安倍「極右」政権は、安倍首相の周りにいる自民党の政治家や官僚、財界人たちが「長年」考えてきた「平和国家」から「戦争のできる国」への転換――つまり、「日本国憲法」を貫く「平和主義」や「立憲主義」を否定し、ナショナリスト(国家主義者)の振りをしながら「対米従属」の姿勢を強め、同時にアジアに対しては「強国」=「戦争のできる国」として振る舞う、そしてそのことによって自民党(保守主義者)の「権力」を半永久的に維持する(公明党は、もちろんこの際は自民党の補完物にすぎない)――を実現するために、それこそなりふり構わない行動を取っている、ということである。
安倍「極右」政権は、辻元清美議員に対して安倍首相が「早く質問しろよ」とヤジ(暴言)を吐いたこと、あるいは中谷防衛大臣が思わず「本音」を出したのだろうが「憲法を安保法制に適応させる」といった発言をしたことに象徴されるように、「安保法制」に疑義を持つ人(国会議員にだけでなく、多くの国民に対しても)に対して、「丁寧に説明する」という言葉とは裏腹に、真っ正面から答えようとせず、答えをはぐらかしたり、あるいは見当違いのことを平然と述べたり、要するに「国民を馬鹿にしている」にしているのである。
まともに議論せず、「初めに結論ありき」の自公「極右」政権の態度に苛立ち、そしてそのような自公政権に対して(最近は少しずつ減ってきているようだが)未だに「50%」近い支持率を与えている国民に対して「絶望」し、何ともならない最近の政治状況に「虚しさ」を募らせ、日々悶々としてきた僕であるが、たとえ安倍首相や自公の政治家に僕のこの「言葉」が伝わらないとしても、「書くこと」でこの社会との関係を考え続けようとしてきた「批評の原点」に立ち返って、やはり書き続けていこう、と改めて思った。strong>