黒古一夫BLOG

文学と徒然なる日常を綴ったBLOG

騙される側の罪(4)――原発・沖縄・経済・等々

2014-09-22 10:54:21 | 仕事
 このところ、僕の2年間の武漢生活は一体何だったのか、と考えることが多く、最終的にはもしかしたら僕は自分でも分からないうちに「罪」を犯してしまったのではないか、とも考えるようになってしまっている。では、僕が武漢で犯した「罪」とは何か。それは、結論的に言えば武漢(華中師範大学外国語学院日本語科大学院)の「しきたり」を破って、日本式の「改革」を行ったことなのではないか、ということである。
font color="pink"> 誰だって、「しきたり」の中で安住していれば、「波風は立たない」し、「権威」も保たれるし、変な「努力」をしないでも済むから、「楽ちん」である。それなのに、日本では当たり前=常識の「日本方式」を提案したものだから、学生は喜ぶが、元来「守旧派」である教師たちはあわてふためき、何とか「改革」の波に乗ろうとしたが、その「改革」には「痛み」が伴うことを知って、何とか「嵐=改革の波」が過ぎないかなと思っていたら、「うるさい奴」は2年で辞めてくれた。これでも「元」に戻れる、と安心しているのが現在、ということになっているのではないか。僕が2年間の武漢生活とは何であったのか、と考えてきた所以である
 だから、僕の武鑑での生活は「改革」という大義名分の下で行われたものであったが、その内実は「強者」である僕が「騙す側」に立って行ったものだったのではないか、との思いに囚われることが多く、それは現在の日本が自公政権という「強者」=騙す側によって、様々な局面で国民が「騙される側」になってしまっていることと相似形なのではないか、という思いに誘う。あるいは、権力による巧妙な操作によって、「騙される側」が「騙す側」に転化させら、とは言いながら、そのことに大多数の国民(騙される側)が気付かないという状態に現在はあるのではないか。
 前から言ってきているように、来年刊行予定の『村上春樹批判』の本のために(もちろん、それだけではないのだが)、集中的にフクシマ関係の本を読み直しているのだが、これも前に言ったことだが、安倍首相が東京オリンピック趣致のために「フクシマは完全にコントロール下にある」と公言しているが、実は全くコントロールされておらず、汚染水問題、廃炉問題、補償問題、等々、何一つ「収束=解決」していない現段階で、原発再稼働が画策され、原発輸出も実現しそうになっている。
 たぶん、権力(安倍政権)は、「国民を騙した。うまくいった」と内心ほくそ笑んでいると思うが、責任の半分は「騙された側=国民」にもあるのではないだろうか。だから、次には「絶対騙されないぞ」という心の有り様こそが大事なのではないか、と思う。
 このことに関しては、沖縄問題(普天間基地移設問題)についてもしかり、アベノミクスという「弱い者=貧乏人」いじめについてもしかり、その「まやかし」を知らずに唯々諾々と「いつか自分のところにも回ってくるのではないか、という淡い希望を持ち続ける国民も、もういい加減「目を覚ます」べき時期に来ているのではないか、と思わざるを得ない。
 その意味で、僕らはもう少し「騙される側の罪」について、真剣に考えるべきである。そうでないと、気が付いたらいつの間にかとんでもない状況のただ中にいる、ということになるかも知れない。
 そして、どうしたらこのような窮状を打破できるのか。その正否は、一人一人の「決断」に掛かっているのではないかと思うが、ともあれどうやら安倍自公政権は「騙す側」であるから、どんな時でも「騙されないぞ」と決意・決断して、次に意思表示できる時を待つしか方法はないのかも知れない、と思っている。
 そろそろstrong>、「決起」の時が迫ってきているのではないだろうか。

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