黒古一夫BLOG

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歴史から学ぼう(11)――「戦争」を弄ぶ危険な安倍政権

2017-04-15 05:52:12 | 仕事
 ここ何日か、安倍政権の動きが「怪しい」。
 政府や自民党の「防衛族」が近頃「政権寄り」の姿勢をますます強めているマスコミも巻き込んで、「朝鮮半島有事=北朝鮮との戦争」の可能性を煽っているのである。
 いくらアメリカの「アメリカン・ファースト」を掲げ、ソ連が解体した後「唯一の強大国=世界の警察」を誇っていた時代に「逆戻り」したかのように振る舞い、イスラム過激派がサリンを使ったという理由で(その証拠も明らかでない現段階で)、シリアにミサイルを59発も撃ち込み、アフガニスタンでもイスラム国撲滅を目的に非核兵器で最強の爆弾を投下するなど、「世界の平和」に逆行するような「やりたい放題」のトランプ・アメリカ大統領(アメリカ政府)に追随したものとは言え、先に成立した集団的自衛権を行使して、アメリカが始めるかも知れない北朝鮮攻撃=北朝鮮との戦争に加担する(参加する)ことを当然であるかのように主張している自民党政府や政権寄りジャーナリストの在り方を見ていると、僕にはあまりに「常軌を失している」としか思えない
 第一、冷静に考えてみればすぐに分かることだが、北朝鮮が「祖国防衛」のためとしてミサイル発射実験や核実験を繰り返しているからと言って、ロシアと共に世界最大の「核保有国」であり、臨界前実験という核実験を未だに続け、今度の「北朝鮮への脅迫」にも使われている原子力潜水艦から核弾頭を積んだ巡航ミサイル(トマホーク)を打ち出すだけの能力を持ったアメリカ、及び「潜在的核保有国」であり「アメリカの核の傘の下」にいる日本が(更に言えば、核武装化を目論んでいる日本の右派や自衛隊)、北朝鮮の核武装化をなぜ「非難」し、独立国である北朝鮮の攻撃に参加しなければならないのか、亜mりに母「理不尽ではないか。僕には全く理解できない。
 このように書くと、慌て者(あるいは、頑なな「反共主義者」、日本会議のように天皇主権の「戦前」の社会に回帰することを目指す連中、など)が、「黒古は北朝鮮ー朝鮮総連支持者である」と言いそうなので断っておくが、僕は日本国憲法第9条の精神を「崇高の倫理」と考える「反戦・反核」主義者として、北朝鮮の核実験やミサイル実験には原理的に断固反対する者である。また、周りの(敵対者になるかも知れない)人物を次々と「粛正」して平然としているあの「若き指導者」も、僕は人間として認めない。人間の「生命」を蔑ろにする全ての行為を許すことができないからである。
 ということを明らかにして、更に僕が言いたいのは、安倍政権(や、その別働隊である小野寺元防衛相ら)が集団的自衛権行使という観点から「合憲」であると主張する「敵基地先制攻撃」論の「危うさ」である。何の根拠もなく「北朝鮮=悪」という論理を盾に、自分たちの側に「正義」があるとして、攻撃を仕掛ける、この「敵基地先制攻撃」論がいかに危険な論であるか、それは戦前の「欧米列強の侵略からアジアを守る」として大東亜共栄圏を「仮想」しその盟主に収まり、中国をはじめアジア、太平洋地域を侵略していった日本帝国主義や、「大量破壊兵器がある」としてイラクに侵攻し今日のアラブの混乱の引き金となったアメリカを想起すれば、よく理解できるだろうということである
 国家が「正義」を持ち出す時は、決まってその国家に「危機」が迫っているときである。安倍政権がトランプの「挑発=尻馬」に乗って北朝鮮への先制攻撃を認めようとしているのも、森友学園問題(就中、政権の存続を危うくするような首相夫人安倍昭恵の関与)で、それまで安泰だと思っていた政権の座が危うくなっていることへの「焦り」の反映なのではないか、と僕は思っている。さらに、明治以降「最悪の法律」と言われた治安維持法を想起される「共謀罪」制定が国会審議入りしたことも、国民の顔を北朝鮮(アメリカ)に向けさせようとしていることの真相なのではないか、とも思える。
 それに加えて、僕が腹が立って仕方がないのは、トランプ(アメリカ政府)も安倍晋三(安倍内閣)も、例え戦争が起こっても、自分たちの場と生命は「安泰」であると信じて、「戦争」も辞さないという立場を堅持していることである。過去の歴史を繙けば、すぐに分かることだが、戦争で犠牲になるのは、常に「庶民」であり、「偉い人」は安全地帯にいて、民衆の死をせせら笑っているということである。つまり、戦争に置いて、犠牲になるのはいつも庶民=民衆であって、「お偉いさん」ではない、ということである。
 さらにもう一つ、戦争を引き起こせば必ずその国は「疲弊」し、混乱の極みを呈するようになり、何よりも「自由権」をはじめとして人間の基本的条件が大幅に制限されること、このことについてもあたかも忘れたかの如く、誰も何も言わないこと、先のアジア太平洋戦争から日本人は何も学ばなかったのか、と思わざるを得ない。
 最近、街頭インタビューなどで、「国や家族を守るためには、戦争に行くのも仕方がない」と答える若者が増えているような気がする(このようなインタビューが「やらせ」出ないことを祈る)が、「戦争を知らない世代」が国民の80%を超える現在、戦争がいかに馬鹿げた行為であるか、どうして誰も言わないのか、僕には不思議でならない。
 また、もし仮に「正義」の名においてアメリカが北朝鮮を攻撃した場合、その報復として、(未だICBM<大陸間弾道弾>は完成していないから、北朝鮮は必ず韓国及び日本の米軍基地(だけでなく、大都市も)にミサイルを撃ち返して来るであろうことに対して、これも余りテレビなどでは指摘しない。――ここで思い出すのが、前にも書いたことだけど、冷戦時代に訪れたソ連・シベリア地区の司令官が、極東地区に配備されている巡航ミサイルSS20は、横田や三沢、嘉手納などの在日米軍基地を標的にしている、ということである。アメリカの同盟国(従属国)である韓国と日本、どちらも米朝戦争になれば巻き込まれ、甚大な被害を受けることに間違いはない。この際、自衛隊や関係者が喧伝している「ミサイル防衛システム」によって敵のミサイルを打ち落とす確率は数パーセントという低い確率であるということ、このことも忘れてはならない。
 しかし、このような「米(日)朝戦争」の可能性を煽っている安倍政権や防衛族の国会議員、とそれに同調する「軍事評論家」や「北朝鮮・韓国の事情通」といったコメンテーターの「真の意図」は何なのか。情報に拠れば、アメリカ国内で韓国への旅行制限は行っていないし、北朝鮮も「太陽節(金日成の誕生日)」に外国人記者を多数招待しているという事実である。いくら金正恩が「愚かな指導者」でも、自国が破滅するような挑発行動は行わないのではないか、と思う。
 そんなことを考えると、「戦争」を煽り立てる安倍政権は「政治の表舞台」から消えてもらい、新たに「共生」を旗印とした人々に、その政権を委ねるべきである。
 また、こんな「好機」は無いと思うのに、「内なるいざこざ」を繰り返し、その都度党勢を弱めている民進党、これも何とも情けない光景である。フクシマ後に原発再稼働を最初に行い顰蹙を買った野田元総理を幹事長に引っ張り出すことしかできなかった蓮方氏の「甘さ」、これ生き対することもできないのが、誠に残念である。

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