黒古一夫BLOG

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残念至極だけど……安倍政権「暴走」阻止の意思表示を!

2014-02-07 09:55:46 | 仕事
 いよいよ東京都知事選の投票日が2日後に迫ってきた。
 昨日の新聞の小さな記事は、「脱原発・原発ゼロ」を掲げる宇都宮健児陣営と細川護煕陣営との「統一候補」化を模索していた文化人たちの努力が実らなかった、と報じていた。各種の世論調査が伝えるのは、フクシマから3年、未だ「脱原発・原発ゼロ」を支持する国民(都民)は60%近く存在するということである。これはフクシマが未だ人々の間では風化しておらず、フクシマが決して過去の出来事ではなく、僕たちの現在と未来を掣肘する重要な問題であることを示し、それだけ国民(都民)の意識は鮮明であるということでもある。そのことを考えれば、「脱原発・原発ゼロ」を公約に掲げる宇都宮陣営と細川陣営が「分裂」して選挙戦を戦う現状を解消できなかったのは、残念至極と言わねばならない。
 しかし、数日前に「東京新聞」の連載コラムで文芸評論家の斉藤美奈子が、もし仮に分裂選挙になっても、現在世論調査で他の候補を押さえて首位に立っている舛添要一が当選したとしても、宇都宮健児と細川護煕の二人が集めた票が舛添要一を上まわったとしたら、それはそれで国民(都民)の「脱原発・原発ゼロ」の意思を表明したことになり、原発再稼働や原発輸出に躍起となっている安倍晋三政権に一定程度の打撃を与え、多少の「歯止め」にもなるのではないかと書いていたが、今となっては宇都宮健児でも細川護煕のどちらかに勝ってもらいたいと思うが、最終的には斉藤美奈子が言うように、二人合わせて舛添要一の得票数を上まわることを願うばかりである
 なぜなら、通常国会が始まって以来の安倍首相の言動(かつて自党を除名した舛添要一を「勝つ」ことだけが目的で、なりふり構わず応援することも含めて)が、憲法改正や集団的自衛権の容認など、ますます「戦争のできる国」へと一直線に進んでおり、様々な論者が言っているように、そのうち向きのナショナリズムは「危険な状態」になりつつある。NHK会長の従軍慰安婦や特定秘密保護法などに関する発言やNHK経営委員の作家百田某の南京大虐殺はなかった発言、あるいは同じく委員の埼玉大学名誉教授の長谷川某の「右翼礼賛」「男は仕事、女は家庭に」などという発言など、今までは決して表に出なかった「右派」的言動が堂々とマスコミの前面に出てきているのも、安倍政権が「危険な」ものであることを表しており、僕らはもしかした現在らとんでもない状況に遭遇しているのではないか。
 前に僕は現状が「嫌な感じ」になっていると、再三再四言ってきたが、どうやら「嫌な感じ」どころではなく、僕らは現在「戦争」という火薬庫の上を歩かされているのではないか、と思える
 しかし、これら第二次安倍内閣の発足以来顕著になった「右傾化=ウルトラ保守化=戦前回帰」傾向の理由を考えてみると、その大本にマスコミなどで言われている「歴史認識」――この「歴史認識」という言葉のあいまいさ、客観的な言い方を心がけた結果なのだろうが、安倍首相の先のアジア太平洋戦争における「侵略」を巡って、「侵略」の定義は学問的にも国際的にも決まっていないというセリフに象徴されているように、日本の「加害者性」を無いものとするレトリックであって、日本が近代化された明治期の日清・日露戦争以来、アジア(中国)・太平洋地域に対して、「大東亜共栄圏」などという幻想を掲げて「侵略=加害」したことを正当化したことを捨象する論理を隠蔽するものである――の問題が存在することを忘れてはならない。
 安倍首相の靖国参拝問題も、まさに先のアジア太平洋戦争における日本の「加害者性」を無化しようとする勢力を代弁するもので、36年間植民地にされてきた韓国(朝鮮)や、日清戦争以来、武漢<漢口>、上海、などに「租界」という名の植民地的地域を強いられてきた中国の「被害者」としての恨み・辛みを無視した、それこそ「間違った歴史認識」の発露と言わねばならない。
 そんなことを考えれば、この国の首都である東京都の首長(知事)を選ぶ選挙は、個別「東京都の問題」もあるかも知れないが、「右傾化」を強めつつある安倍政権への異議申し立てでもあること、そのことを僕らは肝に銘じなければならない
 残念ながら僕は東京都民でないので選挙権はないが、このブログを見ている東京都民の皆さんは、是非とも投票に行って、「危険な状況」に異議申し立てるような投票行動をして欲しいと思います。

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