黒古一夫BLOG

文学と徒然なる日常を綴ったBLOG

嫌な感じ、じわじわと。――文学=言葉に何ができるか?

2014-01-31 09:02:30 | 文学
 3月1日の再訪中(武漢行き)が決まり、現在必死に『立松和平全小説』(全30巻 勉誠出版)の第28巻(『救世 聖徳太子御口伝』2006年12月刊 収録)の「解説・解題」に取りかかっているのだが、思えば4年前の2010年2月8日に亡くなった立松和平の命日を前に(この日に、第2回の「遠雷忌」が立松のお墓のある東京・入谷の法昌寺で行われる)、この聖徳太子の「評伝」を読みながら、このころから立松が「死」を意識していたのではないか、ということが気になって仕方がなかった。と言うのも、立松は、この「評伝」の他にも、亡くなる7,8年ぐらい前から自らの「老い」を意識し、同時に来たるべき「死」への対処を考え続けてきたのではないか、と思うからである。
 たぶん、きっかけは『百霊峰巡礼』(第1巻~第3巻、亡くなるまでに「77霊峰」を踏破している)の第1回(2003年秋)に故郷栃木の霊峰男体山に登った際に「胸が苦しくなり」(素人判断だが、軽い心筋梗塞(?)を起こし田のではないか、と思われる)、下山に思わぬ時間を割くという経験をしたが、そのことから「死」を意識するようになったものと思われる。以後、立松は「死」を経験した庶民の哀感を綴った連作『晩年』(07年刊)を書き進め、また僕としては立松の晩年における最高傑作だと思っている『人生のいちばん美しい場所で』(書き下ろし 09年)を書く一方で、冒頭に記した『救世 聖徳太子御口伝』や超大作『道元禅師』(上下卷 07年刊)を完結させ、また『良寛』(没後の10年6月刊)を書き継ぐという、大車輪の活躍を行うが、中国から帰国後、『全小説』の第26巻(『猫月夜』所収)、第27巻(『南極にいった男』・『晩年』・『人生のいちばん美しい場所で』所収)の「解説・解題」を書き、今また第28巻の「解説・解題」に取りかかっていて思うのは、「言葉」あるいは「表現すること」の重さについてである。
 言い換えれば、表現者は如何にして社会の在り様と切り結び、そこから発せられた言葉は社会に対してどのように「責任」を取ることができるのか、ということである。そこで思い出すのが、昨年秋に刊行された大江健三郎の「晩年様式集(イン・レイト・スタイル)』である。この大江の最新作については、拙文(『図書新聞』の書評)を以下に転載するが、立松の晩年の諸作を読み直し、また大江の最新作について考え、その上で、何とも「嫌な気持」にさせられるNHK新会長の就任会見における「従軍慰安婦」発言や「特定秘密法案」を肯定するような発言、及び通常国会における安倍首相の野党からの質問に答える「木で鼻をくくった」ような答弁を聞いていると、その「軽さ=無責任さ」に辟易させられる。特に安倍首相の「国民の安全・安心を担保する施策」といった主旨の発言には、前から指摘している自己満足的な「観念」しか伝わってこず、厚顔無恥を絵に描いたような彼の答弁ぶりに吐き気さえ覚える。
 どうも不気味なものが、僕らの身の回りに漂い始めているのではないか、と思えてならない。そんな「嫌な感じ」を沖縄・名護市長選結果のように、東京都知事選の結果で一挙にはじき飛ばしてくれるといいのだが……。


書評(「図書新聞」2014年1月18日号)『晩年様式集(イン・レイト・スタイル)』(大江健三郎 講談社刊)

 これまで、大江健三郎の小説については「難解」という措辞が付きまとってきた。特にノーベル文学賞(九四年)を受賞した後の「休筆宣言」から、再開を告げた『宙返り』(九九年)以後の作品、それら一連の大江自身が「後期(レイト)の(・)仕事(ワーク)」と言っている、例えば後に「おかしな二人組三部作」となる『取り替え子(チェンジリング)』(二〇〇〇年)、『憂い顔の童子』(〇二年)、『さようなら私の本よ』(〇五年)、そして『臈たしアナベル・リイ 総毛立ちつ身まかりつ』(〇七年 後『美しいアナベル・リー』と改題)、あるいは前作の『水死』(〇九年)などの作品は、「(伝記的)事実」と「虚構(フィクション)」が複雑に交錯していて、読者の想像力と知識が試されているような作品が多く、それが「難解」という評価に繋がっていた。
 つまり,大江作品の「難解さ」は、作品内部に内外の文学作品、思想・哲学書、古典、あるいは作家自身の過去の作品からの引用や批評(分析・考察・反省)が微妙に絡み合って物語が展開していたが故に、社会(状況)や歴史(時代)と個=人間との切り結び(関係)が明確な、つまり「主題」がはっきりしていた初期から中期にかけての比較的「理解しやすい」作品に馴染んできた古くからの読者にとって、戸惑いをもたらし、「難解」との印象を与えるものになっていたということである。
 しかし、この最新作は小説の「構造=スタイル」こそ前作までの「後期の仕事」と変わらないが、ここでは大江文学の「原点」とも「故郷」とも言える「森」の物語である『M/Tと森のフシギの物語』(八六年)や、「根拠地の建設」を夢見ながら思い半ばで倒れた「ギー兄さん」(大江の分身)の物語である『懐かしい年への手紙』(八七年)を中心に、古くは『空の怪物アグイー』(六三年)、『個人的な体験』(六四年)から『万延元年のフットボール』(六七年)や『同時代ゲーム』(七九年)、あるいは障害を持って生まれた長男「光(本作中では「アカリ」)」の成長を描いた『新しい人よ眼ざめよ』(八三年)など、大江文学の中核を為す作品群への「注釈・自己批評」が明確かつ分かりやすく展開されており、併せて大江が現在積極的に加担している反原発運動との関係も明瞭に語られ、「晩年(後期)の仕事」に相応しいものになっている。
 何よりもこれまでの作品と違うのは、第一に作家「長江(大江自身)」の目を通しての過去の作品への自己批評がこれまでより「丁寧」であるということもあるが、「三人の女たちによる別な話」(一~四)や「『三人の女たち』がもう時はないと言い始める」に登場する三人の女「アサ(長江=大江の妹)」「千樫(長江の妻)」「真木(長江の娘)」たちが、それぞれ別個に、あるいは共同して先に登場した大江の過去の作品群を自分の経験・生活に引きつけて批評している点である。そして、そのような彼女たちの批評に大江自身(作家「長江古義人」)が納得し、自分の作家としての生涯は彼女たち及び成長著しい長男で音楽家の「光(アカリ)」との共同=共生によってもたらされたものであると、深く認識するという作品構造になっていることである。
 さらに言えば、作品の最後には長江(大江)の自分のこれまでの軌跡を振り返った長い詩「形見の歌」が置かれているのだが、その中のフレーズ「私は生き直すことができない。しかし/私らは生き直すことができる。」は、「精神の共同性」あるいは「精神のリレー」に大江が確信を持っていることを意味しており、その点からもこの最新作はこれまでの「最後の仕事」とは全く違った作品になっている、ということである。つまり、大江は「長江古義人」の妻「千樫」に先の二行を含む「形見の歌」に「希望が感じられる」と言わせているが、大江の「私は生き直すことができない。しかし/私らは生き直すことができる。」こそ、まさに「絶望的」な現在を生きる私たちに向けた強烈なメッセージであり、大江自身の願望でもあるということである。中国が世界に誇る近代作家魯迅はかつて「絶望の虚妄なるは、希望の虚妄なるに相同じい」(「野草」)と言ったが、晩年に至ったノーベル文学賞作家大江健三郎が「希望」を語ることの意味を、私たちはあらためて考える必要があるだろう。

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2 コメント

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Unknown (Unknown)
2014-02-02 18:04:18
あまり関係のない話でありますが、先日NHKで放送された土曜ドラマ「足尾から来た女」に出てきた柄本明演じる田中正造の栃木弁は立松和平氏のしゃべり方にそっくりでした。懐かしい限りでした。
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僕もそう思いました。 (黒古一夫)
2014-02-03 06:37:04
 「足尾から来た女」、僕も見ました。柄本明演じる田中正造は、「語り」が立松和平にそっくりだということもありましたが、「風貌」も残された田中正造の写真にそっくりで、もし生きていたらこのドラマを立松はどのように見ただろうか、とも思いました。
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