黒古一夫BLOG

文学と徒然なる日常を綴ったBLOG

沖縄で起こっていることについて

2008-02-15 08:52:44 | 文学
 連日報道されている沖縄で起こった「米兵による少女暴行事件」、本土=ヤマトでは「米軍再編」問題への影響や基地移転問題(岩国や普天間など)との絡みで報道されており、そこからは明治政府の「琉球処分」以来連綿と続いている日本=ヤマトによる「沖縄差別」の影が透けて見えるが、後を絶たない米軍兵士の「事件」の根っこに戦後占領期(実はそれよりずっと前の、幕末期における「日米和親条約」の締結後)から引き続くアメリカによる「日本人(アジア人)蔑視」があるのではないか、と僕は密かに思っている。
 3月の中旬にアメリカ・ケンタッキー州立大学で開かれる学会(「環境と社会正義と文学」というテーマで)に参加することになっている僕としては、あまりアメリカの悪口は言いたくないのだが、かつてスタインベック(「怒りの葡萄」などの作者)が喝破したように「人種階層社会」であるアメリカにおける「黄色人種(日本人)差別」が存続しているが故に、今度の沖縄における事件のようなことが頻繁に起こるのだと思う。その意味では、「事件」をなくすには米軍基地を日本から撤去するしかないのであるが、今の与党(自民・公明)はもちろん、民主党なども声高に「基地撤去」を主張する気がないのではないかと思われてならない。米軍基地があるお蔭で「甘い汁=アメ」を吸っている人が、実はそれこそが「毒=事件の誘因」であると気付くまで、米兵による理不尽な事件は続くだろう。
 しかし、そのアメリカによる「アジア人(日本人)差別」の問題とは別に、沖縄で「事件」が起こる度に思い出すことが二つある。一つは、灰谷健次郎が自らの「沖縄体験」に基づき沖縄を「癒しの島」と言いながら(『太陽の子』や『はるかなニライカナイ』及びエッセイなどで言明している)、沖縄における米軍基地についてはたった1回だけ言及しただけで、彼の作品を読む限り沖縄にアメリカ軍基地などない、といった印象を読者に与える、ということである。僕が灰谷のことを、『エセ・ヒューマニスト」と呼ぶ所以である。
 もう一つは、灰谷とは対極にある大江健三郎の沖縄への態度である。大江の『沖縄ノート』を読めばその根本思想は理解できるのであるが、大江は「ヒロシマ・ナガサキ=原爆」問題とずっと関係を持ち続けているように、例えば何年か前『水滴』で芥川賞を受賞した目取真俊と「沖縄問題(文学を除外した)」について、朝日新聞紙上で対談したように、沖縄が抱えた問題とはずっと関係を持ち続けてきた。最近でも、『沖縄ノート』の記述に端を発する裁判に関わって、積極的に沖縄に関して発言している。そんな大江の姿を見ていると、無条件に「偉いな」と思わざるを得ない。
 しかるに、先日ネットを除いていたら、旧知の近代文学研究者が大江の沖縄問題に関する裁判に関して発言していることが分かった。個人的な関係もあって具体的にはその発言について書くことはできないが、僕の考え方からすると、その人は結果的に大江健三郎の言説を批判し大江が批判している曾野綾子を擁護する論理を展開しているのだが、その大江批判の文章を読んでいると、その人はどうも「ペダンティズム(衒学趣味)」が学術(学問)研究だといつの間にか錯覚するようになってしまったのではないか、という風に思わざるを得なかった。こういう書き方は、奥歯に物の挟まった言い方と思われるかも知れないが、要するに大江が抱えた「沖縄問題」に関する裁判は、誰が見ても自由史観派(ネオ・ナショナリストたち)による「政治的」な仕掛けなのに、敢えてそのことについては触れず、もっぱらその「言説」について「学問的解釈」(僕流に言えば「揚げ足取り」)を行うというもので、自分が「コミットメント」あるいは「アンガージュマン」しないことの「言い訳=自己合理化」を延々と述べるという、僕がある時期から拒絶した方法に終始するものであった。「政治的」なことがらを「中立」を装う学問のがわに引きつけ、結果的に現在の体制を擁護する立場に立ってしまうというパラドクス、それが最も「政治的」であると僕は思うが、尊敬してきた人が陥ったこの現在の体たらく、これが現在の学会(アカデミズム)の在り方を象徴するものであるとしたら、日本の近・現代文学研究もお先真っ暗と言わなければならないだろう。
 事ほど左様に、実は現在大問題になっている「沖縄・米兵少女暴行事件」は時事(政治)問題であると同時に「文学」の問題でもあるのだが、ペダンティックのがわに身を置くようになると、その問題の本質が見えなくなるということを、肝に銘じたいと思う。どこかのテレビ局のキャスターが言っていたが、沖縄を縦貫する高速道路を走っていると、次から次へと見えてくる鉄条網(米軍基地)をどう考えるか、あるいは海を見ようとして海岸に下りる道を下ると、そのほとんどが米軍基地の入り口にたどり着くという異常さを、「異常」と感じる感性をいつまで失わないでいられるか、先の大江批判を展開した学者は、もしかしたらそのような「感覚」を「偉い学者」と祭り上げられているうちに、どこかへなくしてしまったのかも知れない。僕は断じてそうなりたくない。

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10 コメント

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Unknown (奈津子)
2008-02-15 14:26:29
はじめまして黒古先生。Natsukoと申します。今回初めてコメント残させていただきます。先生のブログは林京子先生について調べているうちにたどり着きました。ブログ毎回楽しく読ませていただいています。

ところで、沖縄の米兵問題ですが、また起きたらしようですね。詳しいことはよく理解していないので、自分がその事件についてどう思うかといったような個人的意見はあまりないのですが、コメント残させていただきますね。

私は横須賀出身で現在はアメリカ人(元海軍将校)と結婚して現在はニュージャージー州に在住んでいます(今年で在米7年目)。私も基地のある町で育ってきたので、米兵男性と日本人女性の問題というものは頻繁に耳にすることでした。特に当時私が交際していた彼(現在の夫)の仕事が横須賀基地の検察官であったということもあり、(詳しい事情は勿論聞いたことはありませんが)、刑事事件の話はおそらく一般の人よりよく耳にした方だと思います。

加害者が悪いのは当たり前のことなんですが、被害者がまったくの何の余地も無しにいきなり襲われるのかというと、そうでもないケースが多々あるように思われるのです。今回の事件もそうですが、加害者と被害者はある程度の会話をしているようですね。全く知らない他人と家までの送迎の話をするようなこと自体が間違っていているのではないかと思うのです。相手がどんなにいい人そうに見えても、相手を疑り、自分の身は自分で守らなければいけない時代に日本もなってきているのではないでしょうか?

あと、「アメリカによる『日本人(アジア人)蔑視』があるのではないか、と僕は密かに思っている」という部分ですが、ちょっぴり異議あり!です。確かにアメリカ人の中にはいまだに日本人を蔑視している人もいるでしょう。アメリカから見れば日本は過去の敵国ですし、現在服役している米軍人の中には父親もしくは祖父をWWIIで亡くした、という人も多いと思います。彼らから見れば私達はいまだにJAPなのかも知れません。

しかし、私はNJに住んでいますがほとんど蔑視されたことはありませんよ。逆に、アジア人はハードワーカーで高学歴で専門職に就くということで尊敬ではないですけど努力を高く評価されています。勿論、私が言っているのはあくまでもNJ、特に私が住んでいる地域についてですけど。

アメリカは広いです。一概に「アメリカ人」といっても住む地域が変われば考え方も大幅に変わります。私が知りたいのは今回の加害者、(容疑者)がどの州出身で彼の軍でのランクは何なのかということです。なんせ南の州ではいまだにダーウィンの進化論を信じない人が多く住んでいるくらいですからね。

アメリカ国内で何か異様な事件が起きたりすると、まず人々の間で言われるのが「どこの州で起きたの?」です。その答えによってまた人々は「あー、00州だったら仕方がない、やっぱりね。」みたいな会話があるくらいです。何を言いたいのかといいますと、アメリカ国内でも違う州の人間を外国人扱いするようなところがあるので、ひとつの事件、一人のアメリカ人容疑者を見て、「アメリカ人は皆00なのではないか」見たいに解釈されてしまうと多分アメリカ人も困ってしまうのではないか、ということです。まあ、婦女暴行事件は一度きりではありませんが。。。

先生はそのようなつもりで言ったのではないとは思いますが、まあ、先生のブログを読んでこう感じた人間がいたくらいに思っていただければ結構です。私は「浜田」ではないので争うつもりなど全くありませんので(笑)

ついでですが、先生のお書きになられた「林京子論」オーダーしたんですがまだ届きません。読むのを楽しみにしております。長々と失礼しました。
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奈津子さんへ (黒古一夫)
2008-02-16 01:17:08
 コメント読ませていただきました。「林京子」から僕の名前にたどり着いたということですが、林恭子さんの作品を翻訳するような計画があるのでしょうか。もし、そのような計画があれば、大歓迎ですし、林さんへの仲介(著作権や翻訳権のことで)も喜んでやらせていただきます。僕も今、昔の僕の教え子(アメリカ人)を通して、何とか林さんの作品が英訳される可能性があるかどうか、打診しています。
 さて、「アメリカ人の中にあるアジア人(日本人)差別」という言い方ですが、確かに貴女のおっしゃるように、個人差、地域差、等々があって、僕のような言い方は「乱暴」と言えるかも知れません。ただ、僕の乏しい経験(何回かの渡米とシアトルでの半年間の生活)では、白人の人たちはどこかにやはり「colored」への差別が根強く残っているのではないか、という思いを禁じ得ません。白人の知り合いがたくさんおり、姪っ子がアメリカ国籍のベトナム人とつい最近結婚したばかり、ということがあっても、例えばヒロシマ・ナガサキへの原爆投下に対するトルーマンの対応やベトナム戦争におけるアメリカ兵の振る舞いを知り、沖縄で基地の兵士たちにどのような感情を持っているかを考えると、日本人への「差別」がないとは言えないのではないかと思っています。
 もちろん、ブログの本文には書きませんでしたが、夜遅く14歳の少女が歓楽街をふらつき、米兵の誘いに乗って自動車に同乗するという沖縄の少年少女の在り方自体も、厳しく問われなければならないのではないか、と思っています(ただし、レイプの場合、被害者である女性の方にも「スキ」があったなどという加害者を弁護するような立場は、断固断罪されなければならないと思っています)。
 3月20日頃1週間ほどケンタッキー(レキシントン)へ学会で行きます。アメリカは久々なので、その時、貴女の意見について「現地」で考えてみようと思っています。
 ニュージャージーからのお便りお待ちしています。
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Unknown (フレミング奈津子)
2008-02-16 12:27:30
黒古先生、
そうですね、確かに黄色人種のみならず、全般に「colored]への差別が全くないとは言い切れないのが現実だと思います。でもこれはアメリカに限らず、他の白色人種を占める国の多くである問題の様でもあるようにも思えますけどね。それに、白人であろうと昔はアメリカでもイタリア系移民やユダヤ系移民は差別されていたわけだし。。。アメリカ国内の人種差別は黒人、イタリア、ユダヤ系、そして東洋人と移ってきたようですが今は東洋人に対する差別よりもヒスパニック系への差別、蔑視が言われています。アメリカ人に限らず、世界中の人々が肌の色、言語の違いを超え、相手を「人」として見られる世の中が来ることを願うばかりです。

話は変わりますが、二月ほど前(去年の12月)に実家のある横須賀に里帰りしたとき、実は林先生にお会いして、今も何回か手紙のやり取りをしています。ことのいきさつを説明しますと。。。

私は現在30歳の主婦なのですが、子育てをしながら大学に通っているのです。我が家から車で約15分ほどのところにある州立大学のRutgers Universityで、ここでアジア研究を専攻しています。去年の夏に「原爆文学」のクラスで林先生の「空缶」を含む多くの作品を読んできました。そして秋に取った「日本人女流作家」のクラスでもまた「空缶」を読んだのです。(同じ教授が教えていたからなんですけど。)

学期末のペーパーで林先生の作品について書くことに決め、ネット上で林先生について調べていたら、先生が私の実家のある市のすぐそばに住まわれていることを知ったのです。大学が冬休みに入り次第娘を連れて里帰りを予定していたのでその間にお会いできたら、お話を聞くことが出来たらと思い早速市長にEメールを送ったところその手紙を林先生へ郵送して下さったのです。学者でもなんでもないど素人の一学生、一読者の私に林先生はわざわざお時間を作って下さったのです。1時間弱と短い時間でしたが、私にとっては人生を変える大きな出会いでもありました。

役所内での会談の後、駅までご一緒したとき、先生が住所と電話番号を下さってそれから文通とまでもいきませんが、4通ほど手紙のやり取りをしています。

今まで私は日本語教師になることを目標に勉学に励んでまいりましたが、原爆文学を取り、林先生にお会いしたことにより、今自分の将来を考え直しているところです。私が本当にしたいことは言語を教えることなのか、それとも日本の優れた作品を英語に訳して世界の人々に読んでもらうことなのか、と。

現在の目標は5月に迫った卒業を前に最後のセメスターを無事に終わらせることです。その後はまだどうするかはっきりとは決めていません。計画など立派なものではありませんが、いつの日か林先生の作品を訳したいという夢は絶対的にあります。

時間を見つけては林先生の全集を少しずつ読んでいますが、残念ながらまだほとんど読んでいないのが現状です。。大学さえ卒業してしまえばまとまった時間が自由になるのですがね。。大学と子育て、なかなか自分の思うようにはいきません。。(笑)

私が受講したときのシラバスではありませんが内容はほとんど一緒なのでもしご興味がありましたら見てください。http://www.mayorsforpeace.org/english/hnpc/hnpc_rutgers07.pdf

ケンタッキー、私は行ったことがありませんが、良い学会になるといいですね。





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再び、奈津子さんへ (黒古一夫)
2008-02-16 14:58:24
 林京子さんと出会った経緯及び何故「原爆文学」を読むようになったのか、よくわかりました。
 ネット社会というのは、不思議なことがよく起こるもので、貴女が送ってくれた大学のシラバスで懐かしいというか、そうだろうなと納得する名前を見つけました。それは、「原爆文学」の授業において重要な役割を担ったJhon Treat の「Writing Ground Zero」です。この本の中には僕の名前が頻出しますが、この本を書いていたジョン・トリートと一緒に広島に行き、いろいろな人を紹介したり、原民喜や正田篠枝の記念碑を訪れたことを思い出しました(彼は僕の家に何度も泊まったことがあります)。
 彼の「Writing Ground Zero」は、外国人瓦解tもっとも優れた原爆文学論です。日本で翻訳出版しようとしたのですが、大部のため現在のところ実現していません。
 貴女は「日本語教師」を目指しているようですが、日本語教師をしながら「日本文学(原爆文学)」も勉強して、そちらの方の教師も実現したら素晴らしいことだと思います。(日本文学の教師を目指すとするとPh.Dを取らなければならないでしょうから、まだまだ時間がかかるかも知れませんね)。子育てとの両立、頑張って欲しいと思います。
 原爆文学がようやく「世界」的な規模で学ばれるようになったな、と実感できる出来事が最近ありました。4月から僕の研究室にトルコ(アンカラ大学)から「原爆文学」を学ぶために留学生がやってくることになったからです。たぶん、核保有国も核を持たない国も、21世紀の大きな課題である「人類はいかに生き延びるか」に応えなければならず、その時「原爆文学」が大きな示唆を与えてくれるものとして考えられるようになった結果なのだろう、と思います。
 なお、もし住所を教えていただけるのであれば(あるいは長期休暇で横須賀に里帰りしたときでもいいのですが)、一昨年僕が若い人たちのために書いた「原爆文学論」(八朔社刊)をお送りいたします。何かの時のご参考にしていただければ幸いです。(個人情報保護のため、住所の知らせは、大学:305-8550茨城県つくば市春日1-2 筑波大学図書館情報メディア研究科 黒古一夫宛 に送ってくだされば、そのように処理いたします。
 ではまた。
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Unknown (フレミング奈津子)
2008-02-18 09:32:35
黒古先生:

「原爆文学論」を送ってくださるとのこと、ありがとうございます。大学のサイトから先生のメールアドレスを見つけたのでそちらのほうに私の個人情報をお送りしました。届きましたでしょうか?もし届いていない様でしたら別の方法でお知らせします。
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フレミング奈津子さんへ (黒古一夫)
2008-02-18 17:35:10
 了解しました。
 自宅と大学が離れていますので、水曜日(20日)大学へ行って発送します。しばらくお待ちください。
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沖縄の けい.わい. (雄三)
2008-07-08 17:22:54
こんにちは。
 今日の先生の記事、『よく理解できないこと』にある、飢餓発生も金儲けのうちと奮闘する、一頃はハイエナファンドやら、ピラーニャ経済人などと呼ばれた方々ですが、灰谷健次郎が鮮明に描く、「足音を聞かせて」作物を育てる人々とは対極にある方々のように思います。

>植物が旺盛な生命力を見せている現在(梅雨に入ってその雑草の繁殖力には、毎年驚かされている。僕が何年か前「灰谷健次郎論」を書く際に、最大の鍵になったのは、あれだけ忙しく各地を飛び回っていた灰谷が「有機農法・無農薬栽培」を売りに、読者に対して「お説教」を垂れていたことだった)<

 いったい、灰谷健次郎の自給的な菜園のどこがいけないのでしょうか ?
留守中のキャベツの虫食いについても書いていますし、基地より恐ろしい、慶良間実弾射爆場についても書いています。沖縄本島よりも悲惨な、しまちゃび(離島苦)にも、きちんと言及しています。
 また、彼の作品では、直接描かずとも、充分効果的にそうした沖縄のけいわいが可能と思いますが。。。。
文学作品とか、芸術って本来そういうものではないのでしょうか?
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僕の考えは違います。 (黒古一夫)
2008-07-09 14:47:18
 雄三さんにはいつも有益なご意見を聞かせていただき感謝していますが、雄三さんの「灰谷健次郎論」には全く賛成できません。僕には雄三さんが灰谷の「自給農園」について、何故擁護するのか理解できません。彼の淡路島におけるエッセイを詳細に読めばお分かりになると思いますが、彼自身で農園を経営しているわけではなく、近所のお百姓さんに手伝ってもらって(ほとんどそのお百姓さんの手によって)、維持されていると僕は読みました。それに、彼の「砂場の少年」だったと思うのですが、自然農園を経営している人のところで子供たちが実践する場面がありますが、そこに稲が「あたり一面青々と繁った水田」というような表現があります。雄三さんも気にしていた「休耕田」の存在など全く無視した箇所です。そんなことがあるので、僕は灰谷の「自給論」はインチキだと思うのです。読み方の違いかもしれませんが、灰谷は表層しか見ていないのではないか、というのが僕の判断です。
 沖縄についても同断です。確かに「しまちゃび」についても、渡嘉敷諸島の実弾射撃場についても触れていますが、米軍基地の存在が以下に沖縄の住民を苦しめていたか、あるいは集団自決のあった渡嘉敷島の歴史についてどれほど深く言及しているか、に関して言えば、僕はこれも「眉唾もの」だと思っています。お兄さんが自殺した後のショックから教師をやめて放浪した挙句に沖縄へ行き、そこで自分が「救われた」ことについては繰り返し言及していますが、沖縄の歴史や現状については、通り一遍のことしか書いていない、と僕は思っています。
 だから故なのか、沖縄在住の文学者はまったくと言っていいほど灰谷について書きません。何年も渡嘉敷島に居住していたにもかかわらず、です。僕の知り合いの批評家(沖縄県人)は、「触れるに値しない。何故本土=ヤマトは彼のことを高く評価するのか?彼は沖縄を食い物にしているだけではないか」と言っていましたが、結論的には僕もその人に同調したいと思っています。
 雄三さん、もう一度灰谷の文章の意味するところをお考えになってみてください。
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ふぁちゃび (雄三)
2008-07-11 05:37:46
おはようございます。

 灰谷健次郎の沖縄の基地への言及ですが、黒古先生には確かに物足りないかもしれませんが、彼の作品の対象が、小学生をはじめとした児童や、親子で読む家庭向けにあるところら、生きた人間がバラバラに吹き飛び、臓物、目玉、脳ミソが散乱・腐敗するようなタイプの作品とは、なりにくいのではないでしょうか.
この点、大江健三郎象とは、大いに異なって然るのではないかと思います。
 灰谷の作風は、その痛ましい歴史を静かに暗示し、悲劇への導入の役割を果たしているように思います。説明責任を大人に押し付けている点で、ずるいのかも知れませんが、そういう親子の対話にもっていく「作風」のようにも思います。

 また、灰谷健次郎が、沖縄の基地問題について触れ得ない理由ですが、彼が愛し住んだ、慶良間諸島がかかえる、独特の「島ちゃび」に由来しているのではないでしょうか?
 涙なくして語れない離島苦の現実、先生はご存知でしょうか。
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もう一度、雄三さんへ (黒古一夫)
2008-07-11 09:13:03
 文学作品の読み方、あるいは作家の位置付けは、読者の文学観によって左右されますから、いろいろな見方があってしかるべきだろうと思っています。ですから、その意味で、雄三さんが灰谷文学は「痛ましい歴史を静かに暗示し、悲劇への導入の役割を果た」すものだと言うことは、なるほどと思いますが、慶良間諸島に住む人々の優しさを描いた「はるかなニライカナイ」という作品に出てくる「作家」(灰谷自身と読める)の「自画自賛」と、何故慶良間(沖縄)の人々が優しいのかという点に関して、僕には沖縄(離島を含む)の「被差別」的な歴史(それが、「島ちゃび」といわれる心情に繋がっているのではないか、と僕は思っています)や、米軍基地が存在する現在、及び沖縄独特の文化(信仰と言っても良いでしょう)とに起因する、と僕は思っていますが、そのような点に全く触れずに、ただ「優しさ」だけを強調する作風には、どうしても「分かっていないのではないか」と思わざるを得ないのです。
 そして何よりも僕が灰谷文学を肯定できないと思ったのは、例の神戸のA少年事件に関して新潮社から全ての版権を引き上げる直前に編集されたという「灰谷健次郎 丸ごと1冊」(97年7月)のグラビアページに何の衒いもなく渡嘉敷島の「豪華」な自宅と素潜り漁の写真を掲載させていることを知って、です。また、版権を新潮社から(社長が大麻取締法や麻薬取締法で逮捕、実刑を受けたことのある)角川書店に移したことも、彼の思想への疑義を強くしました。
 また、後のことになりますが、「水滴」で芥川賞を受賞した目取真俊が「沖縄について、<沖縄人の優しさ>などと分かった風なことをいうヤマトンチュウ(本土人)のことは信用できない」と言っていることを知って、これは時期的に灰谷のこと(もしかしたら、沖縄の地元紙に何度か寄稿したことのある僕もそこに含まれているかも知れません)を指しているのではないかと思い、灰谷の沖縄に関する言説(及び、彼の思想全般にわたって、特に彼の「差別」意識について)に不信を抱くようになったのです。
 因みに僕の灰谷論は、灰谷ファンからは総スカンを食いましたが、灰谷が児童文学の世界で「帝王」のように振る舞っていたこと(ベスト・セラー作家の彼を出版社がそのように遇してしまったという側面も大いにあります)に不満を持ってきた児童文学作家たちから「よく書いてくれた」という言葉をもらったこともあります。
 なお、沖縄における「離島苦」のことですが、沖縄文学について何度か書いたことのある僕は、僕なりに調べ話を聞いて理解しているつもりです。
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