摩訶不思議なことが起こるものだ、というより彼の言動を見ていれば当然の成り行きと言っていいのかも知れないが…。
しばらく前から「ニュース」として流れていたことだけど、ついに猪瀬直樹が東京都副知事就任を承諾したという。この「承諾」を知って、最初に思ったのは「だから、団塊の世代=全共闘世代はだめだと言われるんだ」ということであった。もちろん、そこには「何故」という気持ちもないわけではなかったが、よりによって石原慎太郎ウルトラ・ナショナリストの下で副知事を務めるというのは、どういう神経をしているのだろうか。猪瀬は、物書き(あえて「作家」とは言わない)としてデビューした当初、信州大学全共闘の幹部という履歴を隠さず、むしろそのことを「売り」にさえしていた感があったが、40年近く前のこととは言え、少なくとも一度は「権力・国家」と対峙し、密かに「革命」を遠望したはずの人間が、国家主義丸出しの輩の軍門に下り、いずれは首都の権力を自分のものにしようとする「野望」を隠さない猪瀬という人物、「節操」がないなどというレベルを超えて「破廉恥漢」としか言いようがないのではないか。彼がこれほど「権力」志向の持ち主であったとは、『ミカドの肖像』を読んだときには考えもしなかったことであるが、それにしても腹立たしい。
もっとも彼が小泉内閣が推し進めようとした「改革」という名の「合理化」の目玉であった道路公団改革の委員になったときから、その「うさんくささ」を感じていたのだが、これほどとは思わなかった、ということがある。歴代の保守政権が「利権」の温床としてきた道路公団を「改革」しようというのは、小泉パフォーマンス内閣にとって見映えの良い政策であり、高い高速料金を払わされてきた国民の感情に訴えるには好都合な「目玉政策」であった(その証拠に、「改革=凍結・中止」されたはずの高速道路建設は、小泉が首相を退陣した今、各地で続行されている。どだい、高速道路建設で使っていた予算=国民の税金を別な箇所(たとえば、防衛省予算:あのばか高いイージス艦を何隻買ったのか?ミサイル防衛と称してどれほどの金を使おうとしているのか?)で「無駄遣い」しているだけで、決して国民に還元されてはいない。そんな「改革」の実態を見れば、猪瀬直樹が「国に文句を言える人物」(石原発言)などとは口が裂けても言えないはずなのに、石原慎太郎は猪瀬に自分と同じ「権力志向」を嗅ぎ取り、自分の後釜として考えたのかも知れない。
猪瀬直樹という人間がいかに「いい加減」な権力主義者であるかという例として、数年前、広島の「インチキ歌人=豊田清史」が「嫉妬(たぶん)」からでっち上げた井伏鱒二の『黒い雨』盗用説を真に受けて、井伏批判を行ったときから己を高見かにおいて物を言うやつだなと思っていたのであるが、豊田が「でっち上げた」「黒い雨」盗用説を見抜けなかった(実証的に批判できなかった)、ようするに彼は「いい加減」な物書きだったのである――豊田のでっち上げについては、筑摩書房から出ている『重松日記』や井伏鱒二研究会刊行の『尊魚』誌上で相馬正一や筆者が本質的な批判を行っており、今では周知のことに属するが、猪瀬直樹や谷沢永一などという輩が豊田の手の込んだ実証風のやり方にだまされ、現在もその過ちを認めようとしていない。豊田は『黒い雨』の基になったとされる『重松日記』を、遺族が公表しなかったのをいいことに、自分で『黒い雨』の内容に即して改竄し、井伏は「盗用」した、と言い募っていたのである。――
そんな「いい加減」な権力志向だけが強い人物が東京都副知事になるという。恐ろしいことである。猪瀬直樹が副知事になってどのようなことを言い、どんなことをしようとするのか、これから注視していかなければならないと思うが、4年後の東京都知事選で彼が知事になることだけは避けるようにしなければならない、と今から危惧を表明しておきたい。「腐っても全共闘」という気概を忘れたら、己の存在価値が足下から崩れてしまうではないか。猪瀬直樹よ、恥の上塗りだけはしないで欲しい、と願うのは、夢のまた夢か。
しばらく前から「ニュース」として流れていたことだけど、ついに猪瀬直樹が東京都副知事就任を承諾したという。この「承諾」を知って、最初に思ったのは「だから、団塊の世代=全共闘世代はだめだと言われるんだ」ということであった。もちろん、そこには「何故」という気持ちもないわけではなかったが、よりによって石原慎太郎ウルトラ・ナショナリストの下で副知事を務めるというのは、どういう神経をしているのだろうか。猪瀬は、物書き(あえて「作家」とは言わない)としてデビューした当初、信州大学全共闘の幹部という履歴を隠さず、むしろそのことを「売り」にさえしていた感があったが、40年近く前のこととは言え、少なくとも一度は「権力・国家」と対峙し、密かに「革命」を遠望したはずの人間が、国家主義丸出しの輩の軍門に下り、いずれは首都の権力を自分のものにしようとする「野望」を隠さない猪瀬という人物、「節操」がないなどというレベルを超えて「破廉恥漢」としか言いようがないのではないか。彼がこれほど「権力」志向の持ち主であったとは、『ミカドの肖像』を読んだときには考えもしなかったことであるが、それにしても腹立たしい。
もっとも彼が小泉内閣が推し進めようとした「改革」という名の「合理化」の目玉であった道路公団改革の委員になったときから、その「うさんくささ」を感じていたのだが、これほどとは思わなかった、ということがある。歴代の保守政権が「利権」の温床としてきた道路公団を「改革」しようというのは、小泉パフォーマンス内閣にとって見映えの良い政策であり、高い高速料金を払わされてきた国民の感情に訴えるには好都合な「目玉政策」であった(その証拠に、「改革=凍結・中止」されたはずの高速道路建設は、小泉が首相を退陣した今、各地で続行されている。どだい、高速道路建設で使っていた予算=国民の税金を別な箇所(たとえば、防衛省予算:あのばか高いイージス艦を何隻買ったのか?ミサイル防衛と称してどれほどの金を使おうとしているのか?)で「無駄遣い」しているだけで、決して国民に還元されてはいない。そんな「改革」の実態を見れば、猪瀬直樹が「国に文句を言える人物」(石原発言)などとは口が裂けても言えないはずなのに、石原慎太郎は猪瀬に自分と同じ「権力志向」を嗅ぎ取り、自分の後釜として考えたのかも知れない。
猪瀬直樹という人間がいかに「いい加減」な権力主義者であるかという例として、数年前、広島の「インチキ歌人=豊田清史」が「嫉妬(たぶん)」からでっち上げた井伏鱒二の『黒い雨』盗用説を真に受けて、井伏批判を行ったときから己を高見かにおいて物を言うやつだなと思っていたのであるが、豊田が「でっち上げた」「黒い雨」盗用説を見抜けなかった(実証的に批判できなかった)、ようするに彼は「いい加減」な物書きだったのである――豊田のでっち上げについては、筑摩書房から出ている『重松日記』や井伏鱒二研究会刊行の『尊魚』誌上で相馬正一や筆者が本質的な批判を行っており、今では周知のことに属するが、猪瀬直樹や谷沢永一などという輩が豊田の手の込んだ実証風のやり方にだまされ、現在もその過ちを認めようとしていない。豊田は『黒い雨』の基になったとされる『重松日記』を、遺族が公表しなかったのをいいことに、自分で『黒い雨』の内容に即して改竄し、井伏は「盗用」した、と言い募っていたのである。――
そんな「いい加減」な権力志向だけが強い人物が東京都副知事になるという。恐ろしいことである。猪瀬直樹が副知事になってどのようなことを言い、どんなことをしようとするのか、これから注視していかなければならないと思うが、4年後の東京都知事選で彼が知事になることだけは避けるようにしなければならない、と今から危惧を表明しておきたい。「腐っても全共闘」という気概を忘れたら、己の存在価値が足下から崩れてしまうではないか。猪瀬直樹よ、恥の上塗りだけはしないで欲しい、と願うのは、夢のまた夢か。
猪瀬氏は全共闘運動にかかわっていたんですね。
同じ志を持っていたのに、どこでどのように心境が変わっていくのでしょうね。転向した方は、他にもたくさんいると思うのですが、なぜ変わってしまうのか、自分の中の志なんて、そう、変えられるものじゃないですよね?と、私は思うのですが・・・。
でも、数年前に、猪瀬氏が『朝まで生テレビ』に出演していた頃(昔よく見ていたんです)から、なんとなく胡散臭く、政府よりの発言が多い人だと思っていました。だから今回の副知事の件は、あまり驚かなかったのですが・・・。いろんな経緯があったんですね。
勉強になります。
話しは変わりますが、中国に行かれるそうですね。
中国は何かおいしいものはあるんですか?
良かったら、またレポートをお願いします。
気をつけて行ってきてください。では、また。
返事が遅くなって、ごめん。今、中国に来ています(26日まで北京、今日から山東省済南の師範大学で3回講演します。内容は「日本の現代文学-大江健三郎から村上春樹まで」です)。北京では中国社会科学院の外国文学部会(日本文学)の研究員や北京大学を始め他の大学の日本文学研究者たちの前で1時間半ほど話し、その後やはり1時間半ほど質疑応答を行いました。充実した時間がもてました。前日には万里の長城および故宮博物館を見学しました。疲れましたが、異文化に触れるというのは精神的には刺激を受け、肉体的な疲労とは裏腹に、有意義な経験をすることができます。今回もやはり、内容のある経験でした。
今日からの大学での3回にわたる講演、どうなることやら。日本人学生とは違う学生や日本の研究者とは異なる日本文学研究者たちに向けて話しことはどのような結果を生み出すのか、楽しみです。
では、また。