黒古一夫BLOG

文学と徒然なる日常を綴ったBLOG

「暴走」を支えるジコチュウ――記録的大雪の中で考える

2014-02-17 15:51:40 | 仕事
 先週金曜日の拠るから降り始めた雪は、土曜日いっぱい降り続け、あれよあれよという間に長靴で歩くことさえままならぬような深さになり、気が付いてみたら、庭の直径10センチほどの幹を持つ「グミの木」が地上から1メートルほどのところでポキリと折れ、2階の書斎からいつも白い花を眺めていたボタンキュウの大枝が1本、幹から折れて垂れ下がり、初夏にはおいしい実を付ける桃の木の大枝が2本折れ、その他にもツツジやシャクナゲ、サツキ、松などの小枝が雪の重みに耐えられずに何本も折れ、昨日から今日まで、「大雪対策」に追われてきた。
 今度の大雪は、その前の週末に降った雪が溶けきらない時に降ったということもあって、なかなか溶けず、孫たちの通う小学校(隣接する中学校も)は、今日(月曜日)に引き続いて明日も休みとのこと。幹線道路の車は走っているのだが、除雪車(工事用ブルトーザー)が除雪した道路の雪が歩道の上で固まり、子供たち(もちろん、大人も)の歩く場所がないという状態を踏まえての処置なのだろうが、異亜mだんいわの雪が50センチほど残っている状況を見ると、人間の文明(近代文明)が自然の前で如何に脆いものであるか、思い知らされる。
 3年前の東日本大震災(とフクシマの出来事)の時も、地震と津波による大被害と科学の粋を集めたはずの原発が脆くも大自然の驚異によって破壊された現実を目の当たりにして、人間の「小ささ」と「大きさ」を同時に感じたものだが、このどの大雪でも同じようなことを感じざるを得なかった。新聞も配達されず、スタッドレスタイヤを履いた車で近くのコンビニに孫に頼まれたアイスクリームを買いに行っておにぎりや弁当類、パンの棚が空っぽであることを知ったとき、「3・11」後の東北各地の光景を思い出し、改めて脆い現代文明を感じてしまったのだが……。
 そんな「雪に閉じこめられた生活」の中で、テレビを付けると、安倍首相の「暴走発言」や政治姿勢――選挙に勝てば、つまり政権を握れば、憲法解釈)憲法改正)も自在であるというような発言、および安倍首相寄りといわれるNHK会長や経営委員たちの発言を擁護する態度、社民党元党首福嶋瑞穂の予算委員会での質問に対する「人を小馬鹿にした」ような「何度も何度も答えている」答弁、等々――が問題視されているのはその通りだと思いながら、例えばJNN(TBS系)の世論調査の「安倍内閣支持62%、不支持32%」と「原発ゼロ賛成60%以上」、あるいあh「アベノミクスによって景気がよくなった15%以下」という結果の不整合について、何故そのような結果になったのか、それはたぶん日本人総体が「ジコチュウ」人間になってしまったからではないのか、と思ってしまったり、戦後「平和と民主主義」の下で培われてきた「倫理(モラル)」が破壊されつつある結果なのではないか、と思ったりする状況にある。 特に、先の東京都知事選で「国粋・軍国主義者」の田母神俊雄が20代の若者たちに多くの支持を得たという事実は、僕らの世代では当たり前だった「殺すな!」(殺されたくない!)という論理と倫理が「風前の灯火」になっているのではないかという思いを誘い、少なくない「危機感」を覚えている。安倍首相も田母神俊雄も「同じ思想=日本主義(悪しきナショナリズム)」に染まっており、それを若者たちが支持するという、まさに「戦争前夜」のような危険を兆候、ここで何とか巻き返しを図らなければとんでもないことになるのではないか、と思うが、彼らの言動に対して過敏になっているのは僕だけなのか、という極端な寂しい気持にもなっている。
 しかし、あと3年近く国政選挙がないという現実は、何とも口惜しい気持があと3年続くということでもあるが、その間にどうしたら巻き返すことが可能か、と「しがない口舌の徒」でしかない僕は今必死に考えているのだが……。

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