黒古一夫BLOG

文学と徒然なる日常を綴ったBLOG

憲法記念日に

2009-05-03 09:57:32 | 文学
 今日5月3日は、憲法記念日。「改憲」やら「集団的自衛権」やら、はたまた戦前の「朝鮮植民地支配公平だった」「正当だった」発言やらが目立つ昨今、もう一度「国民主権」「平和主義」「基本的人権の尊重」といった日本国憲法を支える根本的な思想について、その意味を考えてもいいのではないか、と思う。
 もちろん、日本が「無謀な」「狂気」としか今では思えないアジア・太平洋戦争(15年戦争、だが実は明治維新直後から海外侵略を考えていた明治国家=日本は、日清・日露戦争を皮切りに戦前はずっと戦争ばかりしていたおり、そのためにアジア諸国・民族を苦しめてきたという事実がある)に敗北し、「勝者」であったアメリカによって「民主主義」思想の実践地として、あるいは再び他国を侵略しないようにということで日本国憲法が(強制的であるか自主的であるか、などとは関係なく)制定されるということがあり、戦後の64年間の間に国際情勢(アジア情勢)が大幅に変化するということがあったから、その意味では「改正」しなければならないような条項もあるかも知れない。
 しかし、「憲法第9条」に違反して軍隊(自衛隊)を保持したとしても、何よりも64年間「対外戦争」を行ってこなかった事実の重み、それは即ち憲法の「前文」及び「第9条」の思想をこの国の誰もが認めてきた結果であること、そのことを僕らは忘れるべきではないのではないか、と思う。今の若い人たちは(ということを書くと嫌われることを閣議で書けば)、アジア・太平洋戦争はもちろん、日本が深く関わった朝鮮戦争やベトナム戦争についてよく知らない人が多く、戦争と言えばハイテクを駆使した湾岸戦争からアフガン戦争・イラク戦争を思い浮かべる人が多いようだが、父親が戦場から帰還し、母親も苦しかった「銃後の生活」を語る幼児期を過ごした僕らの世代にしてみると、憲法の「前文」及び「第9条」は絶対「改正」してはならないことであり、どのような美辞麗句を並べられても、絶対譲れない僕らにとっての「最低綱領」である。
 その意味で、僕にとって「5月3日」は、以上のような日本国憲法の精神(思想)を改めて確認する日になっている。しかし、誰が仕掛け人になっているのかは知らないが、「先のアジア・太平洋戦争は正しかった。侵略戦争ではなかった」とか、「日本は核武装すべきである」などと公言して憚らない前航空幕僚長田母神俊雄の講演会が、開けば常に満員だという。そのような講演会に行く人の気持ちは、僕には全く理解できない。しかし、先日偶然手にした靖国神社(正確には「靖国神社崇敬奉賛会事務局、だが事務局は靖国神社内にある)発行のパンフレットに「T]というしばらく前にカソリックの洗礼を受けたという文芸評論家(彼は、中国からの招きでシンポジウムに出席し、日本の現代文学について発言している)が、「南京大虐殺はなかった」という石原慎太郎などと同じ言辞を書き連ねているのを見たが、どこにも「マヌーバー」は存在するのだなと改めて思うと同時に、これからの僕らは「ブレない」ことの潔さについて考えなければ行けないのではないかと思った。
 閑話休題。
 昨日(2日)は、休みになる前から「農作業の日」と決めていたので、朝から畑の「土作り」に始まって、サニーレタス、混合サラダ菜、蔓なしインゲン、水菜の種まき、とホームセンターで買ってきた「ナス」(5本)、「キュウリ」(10本)、「ピーマン」(5本)、「シシトウ」(2本)、「鷹の爪(唐辛子)」(3本)、「パプリカ」(初めてなので2本)の苗を植え、それぞれに支柱を立てる作業を行った。最近は土作りが如何に重要かが分かってきたので、それなりに時間を掛けて作業したのだが、終わったら体の節々が痛く、年を感じてしまった。先に蒔いた「ラデッシュ」と「かぶ」「にんじん」が芽を出し、成長しだしたので、もうしばらくすれば新鮮な野菜が食べられるようになる。楽しみである。

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1 コメント

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誤植? (無名)
2009-06-04 22:55:17
「閣議」→「覚悟」の間違いじゃないですか?
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