黒古一夫BLOG

文学と徒然なる日常を綴ったBLOG

「本性」が現れた。

2009-05-17 18:15:40 | 近況
 ヒからヒトへと伝染したことが明確な新型インフルエンザの国内汚染や民主党の党首選びという「お祭り騒ぎ」の陰に隠れた形になったが、昨日のニュースで思わず戦慄を覚えたのは、防衛大臣がソマリア沖の「海賊対策」のためP3C哨戒機が2機、100人の海上自衛隊員と50人の陸上自衛隊員と共に出動する、と発表したことであった。
 前に、ろくな国会審議を経ずに「国益のため」「邦人保護のため」という大義名分を掲げて海上自衛隊の艦船2隻が遠くアフリカ大陸(ソマリア)沖まで出動したときも「やばいな」と思い、これは明らかに「憲法違反」(前文及び第9条の)なのに、何故そのことを声高に抗議しないのか、と(誰かに言わせれば、「床屋談義」風に)書いたことがあるが、今回のP3C哨戒機2機の「追加派遣」を聞いて、ああ、これが「狙い=本音」だったのか、と憤りと共に得心がいった。
 保守党政権(「平和」を旗印にしている公明党は何をしているのだ、といいたくなるが)は、小泉政権以来、安倍、福田、そして麻生と「衆議院で3分の2」という議席数を頼りに、「ネオ・ナショナリズム(国粋主義)」への傾斜を隠そうともせず、アフガニスタン・イラク戦争への自衛隊派遣にその真姿が見られるように、着々と「戦争のできる体制」あるいは「戦争準備」とも言うべき既成事実を積み重ねてきた。繰り返すが、残念ながら「平和の党」公明党の存在は何の歯止めにもならなかった。
 そして、P3C哨戒機2機の派遣(と100人の海上自衛隊員と基地警備を名目とした陸上自衛隊員50人)である。知っている人が多いと思うが、P3C哨戒機は、主に原子力潜水艦などを発見しその航路などを測定する飛行機だということだが、「海賊対策」のためにそれほどの「兵器」が必要なのか。また、海上自衛隊だけでなく、何故陸上自衛隊なのか。
 過去のどんな戦争も(現在のアフガン・イラク戦争も)、その始まり(攻撃)の理由として上げられるのは「自衛・防衛」である。先頃、北朝鮮の「ロケット・ミサイル発射」の際に、およそ無意味としか思えないパトリオットなどの迎撃ミサイルがこれ見よがしに国民の前にその「陳腐」で「恐ろしい」姿を見せたばかりであり、これなども「戦争準備」を密かに企む勢力のパフォーマンスであったが、今回のP3C哨戒機2機の派遣は、まさに自衛隊がどんな海外でも出動できる、ということをPRするための(「平和憲法」など関係ないよ、ということを明らかにするための)パフォーマンスでしかない。
 正直言って、民主党の新党首には、自分たちが政権を取った場合、「友愛」などという抽象的な思想を語るより、絶対に今回のような防衛省(自衛隊)の「暴走」は許さない、と言って欲しかったのだが、今からでも遅くない。ぜひ、「政権奪取」を最大の目標とする来るべき総選挙における「マニフェスト」にこの件に反対する旨の一筆を加えて欲しいと思う。そうでなければ、「二大政党制」を目指す民主党の存在意義がなくなるではないか。
 僕は、「床屋談義」などと揶揄されようが、僕らの世代がになった「使命」として、このような「戦争への道」を歩む諸政策には、その都度警鐘を鳴らしていこう(「異議あり」の声を発していこう)と思う。

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4 コメント

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Unknown (大部信人)
2009-05-20 11:26:21
初めまして。
自営業をしております
大部信人と申します。

今回の記事を見て
一つ先生のご意見をお聞きしたいことが
あります。
(記事内容とは直接関係内話で申し訳ないのですが

13日に民間団体の
『ピースボート』旅客船を海自の護衛艦が護衛
したようなのですが・・・。
この団体のことは先生はご承知だと思いますが
これについてどうお考えでしょうか?
新聞記事によりますと
どうやら海上でフルーツパーティーなどの催し物をしていたみたいですが…。
しかしミサイルを発射した北を非難せず、現内閣及び自民党批判(自衛隊批判?)になるのが
分かりません。
是非、お答え願いますようお願いします。


それと北朝鮮から発射されたのは『弾道ミサイル』です。『ロケットミサイル』なんて兵器はありません。(ロケット・ミサイルの定義は飛行の仕方に違いがありそれが区別となっております)
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僕の考えは…… (黒古一夫)
2009-05-22 18:53:39
 まず「ピースボート」が海上自衛隊の護衛艦に護衛されたということについて、世界各地の「戦跡」や「紛争地」を経由しながら世界一周を目指すピースボートは、彼らの思想から考えれば、当然「護衛」を断ったが海自が「勝手」に護衛した、という形になるのが本筋だと思います。もし、そうでなく、貴方がお書きになっているように海自に「護衛」されながら船上で「フルートパーティーを開いていたとしたら、もう何も言えません。少なくとも僕が20年以上前に「講師」として乗ったことのあるピースボートとは、根本的に考え方が違うものになってしまったのではないか、と思います。
 ピースボートは発足の当初から「経済性」を考える傾向があり、文字通りの「平和の船」にそぐわないものを持っていた、と感じていましたが、貴方の「情報」が真実であれば、日頃はその存在を「否定」している海自に護衛されて「平和の旅」を行うというのは、「悪い冗談」だとしか思えません。
 次に、文脈上「ミサイルを発射した北を非難せず、現内閣及び自民党批判(自衛隊批判)になるのか分かりません」というのが、僕への批判(質問」であるとするならば、核実験やミサイル発射実験をしている大国(アメリカをはじめとする国々)が存在する以上、彼らの言動を放置したまま、僕は「人工衛星の発射実験」という北朝鮮の「公式声明」を批難できる国や人は存在するのか、と思っている、ということしか言えません。日本も種子島で「人工衛星を打ち上げる」ロケットの発射実験を行っているし、日本の自衛隊に至っては、ハワイ沖でミサイル防衛システムのために「迎撃ミサイルの発射実験」を行っていることを考え、また近々には韓国も「ミサイル発射実験」を行うと言っていることを合わせ考えると、北のミサイル(「ロケットミサイル」と書いたのは、正式には「ロケット・ミサイル」と中黒を入れて書きたかったのですが、弁解になりますが急いでいたので中黒を入れ忘れました。僕としては人工衛星を打ち上げるロケット、兵器としてのミサイル、という両方の意味を持たせたかったのです)発射実験は、当然それが熱核戦争への前段階として、僕は認めていません。そのことについては、僕の根本的な信条は「反戦・反核」であると繰り返しこの欄で書いているので、詳述しません。
 お答えになったでしょうか。
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Unknown (大部信人)
2009-05-23 05:07:46
ご返答いただきありがとう御座います。
まずは非礼をお詫びします(大山鳴動して鼠一匹……出た!の記事を読み飛ばしておりました。改めてお詫びします。と同時にまた疑問が沸きましたので改めてご質問させて頂くことをお許しください)

ピースボートに関しては
>ピースボートは発足の当初から~
私も同じような感想です。(悪い冗談以上のものを感じますが)
彼らのHPを見ましたが今回の報道にあったような事は書かれておりませんでした。

ミサイルについてですが
北を批難することは出来るのか?
これはミサイルが上空を通過した東北圏にお住まいの方は十分に批難することが出来るのでは?
『大山鳴動して鼠一匹』の記事を読みましたが
結局、先生はどうしたいのだろう?と逆に疑念が増えてしまいました。
北を非難するが同時に日本も非難する。
でも視点はグローバルに。と仰ってますが、中国は今も軍拡を推し進めているのではないでしょうか?
もしグローバル化するとしたら核武装の論議またはそれに対応する為の防衛策等ももっと活発になってもよいのでしょうか?(装備するしないは別にして)
今一度、反核・憲法9条を見直してみるにはいい機会かも知れないと思うのは私が若いからでしょうか?

よろしければご返答願いますようお願い申し上げます。
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大部さんへー「仮想敵国」論の陥穽 (黒古一夫)
2009-05-23 08:49:17
 僕が今一番警戒しなくてはいけないのではないかと思っているのは、同じようなことを何度も書いていますが、「仮想敵国」論議によって「愛国主義=ナショナリズム」を鼓舞しようとする考え方です。アジア・太平洋戦争に敗北して東西冷戦の最前線に立たされることになった日本は、西側(アメリカ側)につくことによって(アメリカの意向を汲み取って・反映して)戦後は一貫して北朝鮮、中国、ロシア(旧ソ連)を「仮想敵国」とすることによって、自国の存在意義を世界的に認めさせ、同時に国内的には保守基盤を強化してきた、と僕は考えています。例えば、旧ソ連がウラジオストックに原潜の基地を作ったから、アメリカの原潜を日本に寄港させるべきだ、あるいは中国が原爆を持ったから日本も核武装すべきだ、そして近々の北朝鮮による「ミサイル実験」(人工衛星発射実験)に対して「ミサイル防衛システム」を強化すべきである、という風に、常に「仮想敵国」との関係で自衛隊の装備は(アメリカ政府及びアメリカの軍需産業の要請に応えて)増強され続けてきました。
 しかし、アメリカ・ロシア・イギリス・フランス・中国の5大核保有国だけでも地球上の人類を7回半も全滅させるだけの核兵器を持ってしまっていることを考えると、僕達は「パワー・バランス」(仮想的国論はその典型)だけで「未来」の在り方を考えることはできないのではないか、と思います。その代わりに、「第3極」というか、パワー・バランス論とは全く違った発想による世界観を構築する必要があるのではないか、と考えています。例えばそれは、「非暴力的抵抗」を基底とする反権力闘争によって獲得される「共生」思想を柱とする社会をいかに構想するか、そしてそのような社会の実現に向けて今僕達のできることは何か、を考え続けること。今考えられることはそのぐらいではないか、と思っています。
 もちろん、このような思想は容易に実伝できません。ですから、いかなる「戦争」も、またいかなる「核」も認めない(完全にそれらから脱却できないとしても)という思想を手放さずに自分たちの「日常」を生きながら、その実現を目指すということになります。例え、夢想家といわれようが、それが60年代末から70年代初めの「政治の季節」に生き方の原点を持ってしまった者の責務だ、と僕は思っています。
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