黒古一夫BLOG

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迷走する現代社会(2)

2010-01-23 16:21:41 | 近況
 この頃のニュースやワイドショーを独占している「政治とカネ」の問題、就中「小沢民主党幹事長VS東京地検特捜部」という問題ほど、「現実」を置き去りにして、何が「正しく」何が「正しくない」のか、全く不明のまま、マスコミ・ジャーナリズム主導で事が推移する、まさにネット時代に相応しい「バーチャル」なせかいをこれまでかこれまでかと見せつけている話題はないのではないか、と思えてならない。
 何しろ、政治資金規正法に乗っ取り、政治資金を「正しく」記載したかどうか、という多くの識者が言うように、これまでは「記載漏れだから、書き直します」ということで済んだ案件について、最初から「小沢幹事長は悪の権化だ」とばかりに、何が何でも「法の網」を被せて何らかのペナルティーを課すのだ、とばかりの勢いで検察当局は動き、3人の秘書(その中の一人は現職の国会議員)を逮捕するに至ったが、この間の一連の「騒動」を見ていると、真の権力者(検察当局)が自分の地位が脅かされるかも知れないという懸念から(政治権力を「官僚」やそれに連なるものから国民に選ばれた「政治家」に取り戻す、というような動きに脅えて)、表層的には「権力者=実力者」と見える人間(小沢一郎)を「本当の権力」を握らないうちに葬ってしまおう、としか考えていないのではないか、と思えてしかたがない。
 どうも「胡散臭く」思えるのである。家人など、この「小沢問題」がテレビで報じられるために、「気分が悪くなる」と言って、チャンネルを変えるか、テレビを消してしまう。家事と子(孫)育てで忙しい家人は、テレビはのんびりするために見る物、と割り切っているので、もちろん普通のニュースなどは見るのだが、この「小沢問題」には余程うんざりしているようで、件のような態度をとるのである。たぶん、彼女は、検察の「家宅捜索」や「秘書3人逮捕」などというおどろおどろしい検察のやり方に、何か「おぞましいもの」を感じているのではないか、と思う。
 学生時代「無頼派」の坂口安吾について卒論を書いたからというわけではないともうが、家人は普通の人と同じように警察や検察という存在自体が「権力」そのものであるものからは、いつも距離を置きたがっている。この家人の気持ちは当たり前と言ってしまえばその通りなのだが、どうも最近の検察の動きは、「権力」を剥き出しにしたもの、と映じるのだろう。特に昨日など、「足利事件」の菅谷さんが再審裁判の法廷で自分を「冤罪」に陥れた検事と直接対峙し、謝罪を迫ったのに、元検事ののらりくらりと「弁解」に終始しつづける姿を見せられると、余計権力=検察・警察の「恐ろしさ」を感じざるを得ない。
 果たして「小沢問題」はどのような決着を見せるのか? 事情聴取に応じた小沢一郎に対して検察はどのように対処したのか?冷静に見守っていたいと思う。

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