日本史学習拾遺

日本史よもやま話、授業の補足、学習方法

山陰や北陸の人も来ていた埼玉・反町遺跡(ほるたま考古学セミナーにて その2)

2015-04-27 00:06:14 | 古墳時代
ほるたま考古学セミナーの、大塚初重先生の特別講演以外の、埼玉埋蔵文化財調査事業団職員の研究報告から、私の中にひっかかってきたものについていくつか紹介します。

このセミナーは、平成17~20年に発掘調査した埼玉県東松山市反町(そりまち)遺跡についての研究報告でした。この遺跡は、古墳時代前期の集落遺跡として県内最大級であり、全国的にも最古といえる水晶を用いた玉つくり工房などが発見されているとのことです。私はこの玉の話が特に聞きたかったのです。

いかんせん、時間が経過してしまって、詳細は忘れかけています。自分の覚え用として、必要と思ったものだけ記録にしておきたいと思います。

まず、反町遺跡はどのへんかという地図をパンフレットから。古墳も多いです。



反町遺跡からは、外来系土器、すなわち、東海、北陸、畿内、中国地方などに系譜が求められる土器が出土しているそうです。どこから来た土器なのかは、形状などに特徴があることからわかります。
下の図が外来系土器の出土遺跡分布図です。



東海西部・東部、畿内、山陰、北陸と分けてみると、すべての地域の土器が出土しているのは反町遺跡だけで、埼玉県内では他にないとのことです。

私は個人的に出雲が好きですから「山陰」という文字には反応しますし、勾玉にも興味があって、ヌナカワヒメ伝説とともにひすいにも興味があり、私も父親が新潟出身なので「山陰」とあわせて「北陸」にも反応します。
「北陸系土器が多いのは、玉つくり工人が来たのでは」とパンフレットメモが残っていますが、これは私の考えというのではなく、発表者がそう言ったのだろうと思うのですが、もう記憶が定かでありません。いずれにせよ山陰・北陸から反町遺跡に人が来ていたということは、それは玉つくりの工人であった可能性は大いにあるでしょう。こうした形跡があるというのは私には興味深く感じました。

「反町遺跡は都幾川(ときがわ)による広範な交流関係をもった地域の核となる遺跡なのです」とパンフレットの文。そうですね、私もいくつかの古墳時代の遺跡を見ましたが、川が近くにあるのが印象に残ったものもありました。古墳時代において、川は重要な交通手段であり、生活に欠かせないものだったのでしょう。

「計画的な大集落である反町遺跡は、玉つくり、土器、木製品の政策において地域の中核となる集落です。合わせて、外来系土器からは多くの地域の人々の往来が考えられます。」
反町遺跡はこの地域の最大の集落遺跡であり、「古墳造営に必要な土木技術、各種工業生産の中心です。河川を通して、頻々と他地域とも交流が行われていました。遺跡周辺に造られた埼玉県を代表する出現期の古墳群を支えた集落は、反町遺跡であったと考えられます。」
(以上の「」部分は、パンフレットのレジュメ 福田聖氏「集落と土器」より)

勾玉の話も一緒にまとめるつもりだったのですが、疲れたので今日はここで切ります。

また1週間がんばっていきましょう。もう少しで大型連休ですね!

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