日本史学習拾遺

日本史よもやま話、授業の補足、学習方法

鎌倉―京都の旅人

2013-02-02 04:42:58 | 鎌倉時代
今日(昨日)から、学校があるのに3年生の姿だけが見えなくなって、なんだかさびしく感じていました。今日も皆さんは勉強に励み、また多くの人が受験の日でもあったでしょう。

さて、私も皆さんを応援する気持ちを込めて、できるだけ更新したいと思っているのですが、今日もZ会の『テーマ史』の「豆ちしき」から。

「鎌倉時代、京都と鎌倉を結ぶ東海道の交通量は多く、幕府や朝廷の使者、番役勤仕(ごんじ)の御家人、訴訟人らが往来した。当時の東海道を旅した紀行文としては、『海道記』(作者不詳)、『東関紀行』(源親行か?)、『十六夜日記』(阿仏尼)があげられる。それらによると、当時の一般旅行者は15日前後で京都・鎌倉間を歩き、鎌倉幕府の飛脚は7日、至急の場合で5日程度を要したようである。幕府は、宿駅や橋などの整備・管理を守護・地頭の務めとした。宿駅は河原に作られることが多く、宿長者(しゅくのちょうじゃ)に統轄されていた。そこは市が開かれたり、遊女や傀儡(くぐつ)と呼ばれた芸能民なども大勢いて、賑わう場でもあった。」

『十六夜』は「いざよい」と読むこと、作者は阿仏尼、このくらいはわかりますね?さらに、その内容はというと、お母さんが息子の所領問題の訴訟のために京都から鎌倉に向かう紀行文です。
私自身も読んだことはないのですが、大体そういう内容ということは知っておいた方がいいでしょう。

宿駅は河原に作られることが多く、芸能民も多かったということですが、「」という言葉もこういうところからきているのでしょう。「」とは河原乞食ともいいます。実際に乞食のこともいいますが、芝居関係者や大道芸人などもこう呼ばれたようです。

では、日々、健康に気をつけてがんばれ!

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