(天台宗魚山三千院 京都市左京区大原来迎院町 2003年11月30日)
鴨川の支流、高野川に沿って若狭街道を遡ると、比叡山の麓の里、大原である。三千院はその大原の里の一角にあり、延暦七年(788)最澄が延暦寺開創の際に円融房として始まっている。その後、近江坂本や、洛中、洛北、東山の地に移り、明治4年(1871)旧来からの阿弥陀堂、後の極楽院を取り込む形でこの地に戻って三千院と称するようになった。
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(天台宗魚山三千院 京都市左京区大原来迎院町 2003年11月30日)
鴨川の支流、高野川に沿って若狭街道を遡ると、比叡山の麓の里、大原である。三千院はその大原の里の一角にあり、延暦七年(788)最澄が延暦寺開創の際に円融房として始まっている。その後、近江坂本や、洛中、洛北、東山の地に移り、明治4年(1871)旧来からの阿弥陀堂、後の極楽院を取り込む形でこの地に戻って三千院と称するようになった。
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