工房八重の部屋

京都の紹介、日々の出来事や思いを綴ってます

天智天皇山科陵に参拝!陵を外から1周してみる!

2013年09月20日 | Weblog
天皇陵にはなにもないので、行ってみる気にはならなかったのですが、先日、天智天皇の講演

を聞いて、1度は行ってみましょう!

山科の御陵(みささぎ)という地名の由来は、この場所に天智天皇陵があるので古来より

呼ばれているとのことです。

参道が長いですね! 北端は疎水の際までありました!

天智天皇は671年に46歳でお亡くなりになったとのことですが、よく天皇陵の横に

宮内庁の事務所があったりしていますが、この山科陵も事務所があり、門も閉められる

ようになっていました。

死去されてから1342年間はたっているのに、歴代の天皇家の墓が今も管理されている

のを見ると、いかに王家として天皇家が世界の中で長く続いている、

家系なのかと思いました! 

天智天皇山科陵は、今でも管理が続いている広大な敷地の墓でした。


三条通からの天智天皇陵


天智天皇山科陵の案内標識


参道を北へむかって歩いて行きます


参道の両脇はうっそうとした林です


門がありました


さらに歩いていきます


事務所がありました


なんという名の事務所なのでしょうか?


天智天皇山科陵が見えてきました


陵の前は広いスペースです


天智天皇山科陵です  参拝しましょう!


陵の中に鳥居がありました。


門は夜中には閉められるのでしょう?


外を一周してみましょう! 陵の門から住宅街へ!  狭い住宅の道


住宅があります


住宅の横は陵の林です


陵の東端の陵の林 この近辺の住宅地はまるで陵の林があるので、別荘の雰囲気です


階段を上って疎水への道に行きましょう


疎水が見えてきました


北端の陵の石柵と疎水


陵の石柵の中はまさに人跡未踏の林のような雰囲気でした。











最新の画像もっと見る

1 コメント

コメント日が  古い順  |   新しい順
Unknown (Unknown)
2013-09-21 10:31:24
天智天皇は大化の改新を断行し、日本政治史上偉大な業跡を残した政治家です。近江令の制定・戸籍の実施など多く挙げられますが、近江神宮では、漏刻つまり初めての時計(水時計)を作らせたことにちなんで、時計の始祖としても崇められて、6月10日は時の記念日になっています。この御陵の入り口左側に「日時計」があり、道行く人が案内を読み、写真をとったりしています。戦前は毎月、10日に小学校の行事として参拝したものです。
返信する

コメントを投稿