工房八重の部屋

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秋の非公開文化財特別公開「安楽寿院」は鳥羽離宮の東殿に建てられた

2012年11月04日 | Weblog
秋の非公開文化財特別公開が2日から始まりました。

各寺院によって公開日が違います。

2012年 秋の非公開文化財特別公開の文字をクリックすると仔細がわかる

ホームページにリンク出来ます)

「梅の花」でランチ後に竹田駅近くの「安楽寿院」に寄ってみました。

今、大河ドラマ平清盛で、白河上皇、鳥羽法皇、近衛天皇などがどういう方達だった

かが理解出来ますので、その時代の様子が目に浮かんでくるようです。

平安末期に建てられた鳥羽離宮の概要図が展示されてあり、広大な池の前に建立された

御殿など数々の建物があったのですね!

鳥羽離宮は、平安時代後期に白河・鳥羽・後白河上皇が造営の離宮で、

院政を行ったところ!

近くの城南宮は、白河上皇が院政の拠点にした場所だそうです。


看板


塀の中は書院と庫裡があり、見学出来ますが、内部や庭は写真撮影が出来ません
開基は鳥羽上皇です。


門 


庫裡


大師道と阿弥陀堂


鐘楼


三如来石仏
昔はこの石仏の体を削って水で練り、子供の顔に塗るとくさが直るという信仰が
あったため、外側が削られていました。


鳥羽離宮跡の図  いかに広大であったかが解る!


宝物殿と再現された庭  庭石は発掘された石を使用している庭との事です。


本尊の阿弥陀如来座像は、いまだに金の箔があざやかで、胸に卍字が刻まれてある!
鳥羽上皇の持念仏との事です。写真は看板からのもの!


寺の前には若くして亡くなった近衛天皇の廟があります。


多宝塔は秀頼が再建したもの。天皇の陵墓に多宝塔を用いる稀有な例とのこと。


南北朝争乱に巻き込まれ、寺領の多くを失ったため、寺の規模を縮小しながらも維持

され、桃山時代になり豊臣秀吉より近辺の五百石分の寺領は保証する旨の朱印状を

があり、江戸時代も徳川歴代将軍より寺領を保障されてました。

江戸期には十二院五坊の塔頭を要する学山として多くの学匠を輩出しています

とのことです。 幕末には安楽寿院が鳥羽・伏見の戦いの本営となった。

現在の安楽寿院は、6つ存在した子院のうちの前松院が寺籍を継いでいるものである。

鳥羽伏見の戦いで、現在のような規模の寺院になったのでしょうか?


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