ヒナフキンのスサノオ・大国主ノート

「神話探偵団~スサノオ・大国主を捜そう!」を、「ヒナフキンのスサノオ・大国主ノート」に変更します。雛元昌弘

37 信長「天主・天王体制」対光秀「天皇・仏教体制」

2009-04-27 23:08:37 | 歴史小説
明智光秀画(ウィキペディアより。岸和田市本徳寺所蔵)



●ボク 21:19
わかりましたよ。ヒメ様の勘はすごいですね?

●ホビット 21:20
ようやく解りました。さすがですね。

●マル 21:21
では、出遅れ3人組の私から、謎解きをしてみましょうか。
信長が、毛利攻略の暁には出雲・石見を与えよう、と言ったとすれば、それはリストラではなく、光秀を№2として見込んでいたのですね。
天主・信長にとって、天王・スサノオや大国主の聖地、出雲の支配を光秀に任せるということは、新たな宗教的権威を創り出す重要な役割を光秀に託した、ということだったとはね。

●ホビット 21:26
世界貿易の重要な資源である岩見銀山の管理を任せた、ということも、厚い信頼を寄せていた証拠と思いますよ。

●カントク 21:27
そうなんじゃ。信長は天下統一後の政治・宗教体制を計算して、一貫して行動し、適材適所で人を配置しておる。しかしながら、光秀にはその政権構想はずっと理解できなかったし、反発していた。
光秀は、天皇の下に征夷大将軍がおり、仏教が国教、という古い秩序感覚から抜け出せなかったのじゃろう。「出雲・石見切り取り」の命令を受け、光秀は反逆を決意したのではないかな。

●マル 21:31
「天主・天王制」対「天皇・仏教制」、この政治・宗教的な路線対決が、信長対光秀の争いだったんですよね。
天下統一に向けては両者の考えは一致していたけど、天下統一後の体制については、路線が違ったのね。

●カントク 21:33 
信長が理不尽に光秀をイジめ、光秀が私憤に駆られて信長を討った、という解釈は、信長、光秀のどちらも矮小化していたんじゃ。

●ホビット 21:35
信長は、宣教師からスペイン、イギリス、フランスなどの絶対王制を知り、直接的には中国の絶対君主制を見習ったのではないでしょうか? 封建主義から絶対王政への世界史の流れを追ったのが信長、それに抵抗したのが光秀、ということになりますね。

●ボク 21:38 
信長の家臣団のうち、誰がこの信長の理念を理解していたのでしょうか?

●カントク 21:39
おそらく、日吉大社ゆかりの秀吉だけが「天王・スサノオ」信仰を理解し、「天主・天王体制」を支持していたのではないかな。
光秀は信長から話は聞いておったが、支持できなかったのであろう。秀吉・光秀以外の武将には、信長は打ち明けていなかったであろう。

●ボク 21:43 
いつ、光秀は謀反を決意したのでしょうか?

●カントク 21:44
おそらく、「出雲・岩見切り取り」の命令を受け、「天主・信長」を支える「スサノオ天王」宗教体制の構築を任された時に、それはできぬ、とんでもない、と思ったのではないかな?
熱心な仏教徒であった光秀にとっては、そのような宗教改革を担うことはそもそも無理じゃった。しかし、信長にとっては、他に適任者はいなかった。ここに「本能寺の変」は必然であったといえる。

●ボク 21:49 
信長は光秀に「出雲・岩見切り取り」の真意を伝えておらず、そのため光秀は単に左遷としか受け止めていなかった、という可能性はありません?

●カントク 21:51
その可能性がないことはないが、光秀はそんなうすらぼんやりした男ではないじゃろう。
謀反に向けて家臣団をまとめるために、「近江・丹波の領地召し上げ」を伝えた、というのが真相ではないかな。

●ヒメ 21:54
お見事、事件解決よね。

●ヒナ 21:55
ヒメさまは、いつ、信長の「天主・天王体制」対「天皇・仏教体制」の対立に気付かれたのですか?

●ヒメ 21:39
日吉大社で、日吉丸=秀吉と信長、大山咋神とスサノオの関係に気付いたことは、前に言ったわよね。
すぐに安土に向かい、「安土城天主信長の館」で天主閣の復元模型を見て、カントクの話が理解できたのよ。「上八方下方形」をひっくり返した「6階方形5階八角形」の模型を見たら、「6階天主信長・天王スサノオ、5階天皇・仏教」の信長の政権構想に気付くわよ。

●ヒナ 21:43
延暦寺焼き討ちの真相は?

●ヒメ 21:44
安土城の天主閣跡に登って、琵琶湖越しに比叡山を見て、「上延暦寺下日吉大社」の関係をひっくり返した、「上スサノオ、下仏教」の構想に気付いたのよね。天主閣模型の「6階儒教・道教、5階仏教」の絵を見て、比叡山を見たら、皆さん、全員が気付いたと思うよ。
天主・信長は、絶対王政の確立にあたって、「スサノオ天王」を中心とした出雲神道を考えていた、とね。

●カントク 21:48 
信長の頭の中では、天下をとった後に、安土に城を築く構想は出来上がっていた可能性は十分にある。その時に、神聖な神那霊山、日枝山の頂上を延暦寺が占拠していたとしたら、許しがたかったかもしれんのう。

●ヒナ 21:51
しかし、そこから先の、「本能寺の変」と「出雲・岩見切り取り」との関係となると、誰も考えつきませんよね。

●ヒメ 21:52
安土城跡から西を見ている、琵琶湖の向こうに比良山脈があって、そのずっと向こうにはスサノオの故郷、出雲がある、となんとはなしに思ったのよ。
その時、信長が光秀に「出雲・岩見切り取り」を命じたことを思い出したのよ。信長の政権構想においては、出雲が宗教的・精神的な支柱になるはずだ、とね。

●マル 21:56
「出雲・岩見切り取り」はリストラではなかった、№2の光秀にふさわしい新たな大役であった、ということになるわよね。

●ヒメ 21:58
そう。ここで、「本能寺の変」は単なる私憤から起きた謀反ではなく、天下統一後の政権構想にからむ路線対立だ、と思ったのよね。

●ボク 22:00 
そこには、天皇家の示唆があったのでしょうか?

●ヒメ 22:01
その可能性はあるとは思うけど、私は、光秀の単独犯行と思うな。
光秀はとびっきり優秀で、慎重、かつ大胆な男なのよ。その光秀が、誰かの謀略、策略に乗って謀反を起こすということをするかしら。
光秀は、信長の政治・宗教改革を否定し、旧体制の側に立って決起する、という使命感を持って立ち上がったのよ。そうだとすると、危険な謀議などは絶対に行わなかった、と思うな。

●カントク 22:06
しかし、光秀の使命感は旧友の同志、細川藤孝にも、私憤による謀反としか理解されなかったようじゃ。

●マル 22:07
光秀の娘の明智珠(細川ガラシャ)が秀吉の計らいで夫・細川忠興の元に戻されたのは知っているよね。また、光秀の腹心の斎藤利三の娘が、家康に取り立てられて家光の養育係となり、天皇から「春日局」の称号と従三位の位を受けていることは、秀吉・家康・天皇家は、光秀の主君・信長殺しを単なる謀反とは見ていない、ということになるわよね。

●カントク 22:11
その結果、封建時代が続き、歴史が300年、停滞したがね。

●長老 22:12
スサノオの時代から、戦国時代へと話が飛んでしまったけど、この時代に、スサノオ天王信仰を国教としようとする信長の動きがあった、ということは大きな収穫ですね。ヒメカン・ワールドはお見事という以外にないね。
特に、ヒメが、日吉大社から安土城へと現地で考えてきたことは大きいなあ。「現場100回」だよね。

●カントク 22:17
そろそろ、大魔人のお目覚めかな。伊勢神宮か熱田神宮に戻ろうと思ったけど、安土に来た以上、「壬申の乱」とスサノオに触れないわけにはいかぬ。ヒメの書きかけの推理小説とカブるかもしれんが、寄り道ついでじゃ。

(ネタモトは日向勤氏の『スサノオ・大国主の日国―霊の国の古代史』(梓書院)です)

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36 明智光秀はなぜ信長を討ったか?

2009-04-26 06:52:45 | 歴史小説
織田信長(ウィキペディアより:愛知県豊田市長興寺蔵 紙本著色織田信長像)


●カントク 20:29
うむ、さすがじゃな、ミステリーファン大賞作家の推理力は。
わしもそこまでは考えておらんかったわい。今、やっと気付いたよ。

●マル 20:31
二人だけで「ヒメカン・ワールド」に入ってしまったようだけど、他の人は解ったの?

●ボク 20:32
全くわかりません。

●ホビット 20:32
「上に同じ」です。

●長老 20:33
おおよその見当は付いたよ。面白いね。

●ヒナ 20:34
なんとなく、解ったような気がしますす。自信はありませんが。

●マル 20:35
ヒメを除くと、「解った派」が1人、「ほぼ解った派」が2人、「解らん派」が3人か。
ヒナちゃん、なぜ、光秀は「本能寺の変」を起こしたのか、基礎的なデータを出してよ。

●ヒナ 20:37
これまでの説では、動機論と謀反促進論にわかれます。
動機については、争いのないものとしては、イジメ怨恨説があります。信長は、家康を接待した時など、かなり執拗に光秀を人前でいじめていますから、光秀が反逆した、この説は争いがありません。
第2の動機としては、降格への反発説があります。それまで、信長側近として、対足利幕府・朝廷との交渉など、№2の地位にあった光秀が、天下統一が進むとともに、家康接待役を解任され、毛利攻めの秀吉の応援に回されたことから、降格=使い捨てへの強い憤りがあったに違いありません。
第3の動機としては、この時、光秀は近江・丹波の領地を信長に取り上げられ、敵地・毛利の出雲・石見の切り取りを命令された、という国替えへの反発説です。
これは、家臣団全体がリストラされることを意味しますから、冷静な光秀にとっても、もっと強い動機になったと思います。ただ、後世の創作説もあります。

●ボク 20:49
信長が投降してきた敵将を切ったため、人質となっていた母(乳母?)が敵方に殺され、信長を恨んで反逆した、という仇討ち説もありましたよね。

●マル 20:51
甲府で仕事をしたことがあるけど、信長の後継者の信忠が、武田信玄の菩提寺、恵林寺を焼き討ちし、正親町(おおぎまち)天皇より最高位の国師号を与えられた快川和尚を焼き殺しているのよ。
「心頭滅却すれば火もまた涼し」の辞世の言葉は皆さんも知っていると思うけど、この快川和尚は光秀と同じ土岐氏の同族なの。
本能寺の変の2か月ほど前の事なので、光秀が信長・信忠父子を殺したのには、その恨みもある、と地元では言っていたわよ。
信長親子の評判は悪いね。

●カントク 20:58
高知では、光秀の腹心の斉藤利三は、妹婿の長宗我部元親を信長が征伐しようとしたのに反対し、光秀に謀反を勧めた、という説が信じられておる。
なんと、あの坂本龍馬は、明智家の末裔という説まであるぞよ。

●ヒナ 21:01
先に進みます。
動機論に加えて、光秀に謀反をそそのかせた、あるいは、謀反するきっかけを作った、という謀反促進論があります。
1つは、天皇家による信長誅殺説です。天主を名乗り、本能寺の変の1カ月前には、御所の正親町(おおぎまち)天皇の前で天覧馬揃えを行って威嚇した信長に対し、天皇家あるいはその周辺が光秀をそそのかした、というものです。『信長燃ゆ』の小説で有名になりました。
光秀の腹心の斎藤利三の娘が、後に天皇から「春日局」の称号と従三位の位(後に従二位)を受けていることは、天皇家が光秀の主君殺しを評価しているといえます。
2つ目は、明智光秀がかつて仕えており、毛利家に身を寄せていた足利義昭の謀略説です。光秀の書状にそれらしき事が書かれています。
3つ目は、秀吉による謀略論です。信長が安土城を出て、本能寺に滞在し、毛利攻めに向かい、光秀が援軍を本能寺に変更したのは、そもそも、秀吉の要請によるものです。秀吉がきっかけを作ったことと、結果として最大の利益をえたのは事実です。しかし、謀略の直接証拠はありません。
4つ目は、家康による謀略論です。光秀の腹心の斎藤利三の娘の春日局が、3代将軍家光を養育していることから、家康は光秀に恩義を感じていたのではないか、というものです。しかし謀略の直接証拠はありません。

●ヒメ 21:17
的確な解説、ありがとう。この中に、私の新説のヒントがあります。

●マル 21:18
ここまでくると、勘の悪い私にも見えてきましたよ。スサノオとの繋がりが。

(ネタモトは日向勤氏の『スサノオ・大国主の日国―霊の国の古代史』(梓書院)です)

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35 天主・信長はなぜ比叡山を焼き討ちしたか

2009-04-25 07:25:36 | 歴史小説

琵琶湖側から見た比叡山(ウィキペディアより)

●カントク 19:41
当時、日枝大社は延暦寺の支配下にあった。それで戦火に巻き込まれただけではないかな。信長の目的はあくまで延暦寺の焼き討ちじゃ。

●マル 19:43
なぜ、信長は延暦寺を焼き討ちしたのかしら?

●ボク 19:44
信長は、天下統一に反対する宗教勢力に対しては、一向一揆などにも過酷な弾圧を加えています。全ての寺院を弾圧したのではなく、浅井・朝倉と結んで信長包囲網を形成した延暦寺に対し、信長は容赦しなかったものと思われます。

●カントク 19:48
確かに、信長は天下統一の邪魔者を許さない。見せしめのために厳しい弾圧を加えておる。それは、一貫した態度じゃ。しかし、その通説は正しいかな?
延暦寺焼き討ちは、信長にとっては、一種の宗教戦争だった可能性がある。

●マル 19:51
それはどうかな?
私は、信長は天下統一の敵・味方を峻別した、徹底したリアリストだと思うけど。
根来寺なども、僧兵を擁して敵対したから、攻めたのではないかしら。信長が宗教心で動くとは思えない。

●カントク 19:53
鍵は天皇家じゃ。天皇家ともっとも関わりの深い延暦寺が焼き討ちにあっておる。

●マル 19:54
確かに、京都・平安京の鬼門を守る延暦寺は、天皇家を守る役割があったと思うけど、それと焼き討ちは関係ないんじゃないの。
白河上皇が「賀茂川の水、双六の賽、山法師(延暦寺の僧兵)の3つは自分の思うままにならない」と嘆いたことを見ても、延暦寺は天皇家から独立しているわよね。

●ボク 19:59
国立の東大寺も、平清盛の5男・重衡による「南都焼き討ち」で兵火が及んで灰燼に帰しています。戦国時代には、松永久秀によって火を掛けられています。乱暴な武士達は、天皇家や寺院の権威など全く意に介していなかったのではないでしょうか?

●ヒナ 18:02
室町幕府六代将軍の足利義教も延暦寺を攻めており、根本中堂を始め、いくつかの寺院が焼失しています。

●カントク 20:03
多勢に無勢、信長包囲網みたくなってきたのう。しかし、お主達は歴史の大きな流れが、見えておらぬ。
天主・信長は、天王・スサノオを信仰し、天皇より自分を上位に位置づけておる。その天皇家とは、神道を否定し、仏教を国家宗教としてきた。
天皇の上に立つ支配者の天主・信長にとっては、仏教はスサノオ神道の下に来なければならぬ。その象徴が延暦寺じゃ。

●ヒナ 20:08
そういえば、延暦寺は、大津の日吉大社だけでなく、京都のスサノオを祀る祇園社(八坂神社)なども支配下に置いていますね。

●カントク 20:10
そうじゃ。日枝山(比叡山)は、京都・大津のどちらの街にとっても、シンボルとなる「都富士」と呼ばれた山じゃ。
スサノオや大山咋神を信仰する京都・近江の人々にとっては、日枝山は古代より祖先霊が降り立つ神聖な神那霊山であった。三輪山と同じような聖地であり、禁足地であった。
その日枝山を占拠し、寺院を建て、八坂神社や日枝大社(日吉大社)を支配した延暦寺は、天皇家と結んだ神道弾圧の象徴ではなかったかな。
スサノオ天王を信奉する天主・信長にとっては許せなかったはずじゃ。

●ホビット 20:17  
エルサレムのユダヤ人の聖地「神殿の丘」に、キリスト教のイスラム教徒のモスク「岩のドーム」が建っているようなものですね。

●マル 20:19
反織田の包囲網の中にあった信長にとっては、確かに延暦寺は当面の敵であった。
しかし、天下統一後の天主・信長の政治・宗教体制の構想では、八坂神社や日吉大社こそが上位であり、延暦寺は邪魔者でしかなかった、というのね。

●ホビット 20:22  
しかし、スサノオの時代の宗教体制に戻そう、というのは、信長も乱暴ですね。
もっとも、第2次大戦後になって、パレスチナを武力征服し、ユダヤ人国家を建国している例もありますがね。

●カントク 20:24
天主・信長は、延暦寺を取り除き、八坂神社や日枝大社の神那霊山として蘇らせたかったのじゃ。

●マル 20:26
トンデモ説と思っていたけど、すっかりその気になってきたわよ。

●ヒメ 20:27
日吉大社から安土城に行き、「本能寺の変」の謎も完全に解いたわよ。


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34 スサノオと信長と秀吉

2009-04-22 14:38:51 | 歴史小説
神那霊山型の都富士・比叡山(京都市左京区から):ウィキペディアより


●ヒメ 090915 19:00
今日は。皆さんは、沖縄から東京、遠くはコロンビアまで、バラバラよね。それで、こんなミーティングが出来る時代って、すごいよね。

●カントク 19:02
時空を越えてとはいかないが、空間はネットで少しは超えておるかな。しかし、この沖縄の風と泡盛を皆さんのところに届けることはできないなあ。ネット宅急便の時代が来ないかな?

●マル 19:04
ドラえもんの道具の「物質転送装置」「どこでもドア」は実現可能か、って論じた本がありましたよね。

●ヒナ 19:05
せめて、与那国島の潮騒の音が聞きたいですよね。

●カントク 19:06
やっとケータイで写真を送れるようになったばかりなのに、年寄りを困らせるんじゃない。写真で我慢してもらうぞ。

●ホビット 19:08
じゃあ、ボクがエル・ドラドのジャングルの夜明けの鳥の声を送りましょう。

●ヒメ 19:07
うれしいわね。ボクちゃん、ミーティングの間中、バックグランドミュージックが聴けるようにならない?

●カントク 19:08
それはいいなあ。ヒメの浴室の水音も聞こえるようになるのかな?  

●ボク 19:09
カントクの希望はテレビ電話ですか?しかし、同時に影像や音を送るとなると、カントク、おならもできなくなりますよ。

●ホビット 19:11
録音したジャングルの夜明けの音を送りますから、次のミーティングでは、皆さんそれぞれダウンロードして、聞きながらミーティングして下さい。

●カントク 19:13
それはいいなあ。録音助手が来ているので、潮騒の音を採って、送ってもらうとしよう。

●ヒナ 19:14
謎解きに戻りませんか。
確かに、「日吉大社」と「日吉丸」は関係がありそうです。
しかし、秀吉が、幼名を「日吉丸」と言った、というのは、「羽柴」や「豊臣」を名乗ったのと同じで、後から名乗るようになったのではないでしょうか?

●カントク 19:18
確かに、秀吉ならやりかねん。
しかし、信長が秀吉を大抜擢したのは、秀吉の才能を見込んだだけかな。ヒメ、どうじゃ。

●ヒメ 19:19
カントク、お見事。そろそろ種明かししましょう。
日吉大社で由緒書きをみているうちに、日吉大社と日吉丸、信長が繋がってきたのよ。
秀吉の幼名が「日吉丸」なら、スサノオを信仰し、天下布武を目指す信長と波長が完全に合ったはずなのよね。

●カントク 19:21
日枝大社に祀られた大山咋神は、スサノオの子の大歳神の子、要するにスサノオの孫じゃ。自らをスサノオに模した信長にとっては、日枝大社ゆかりの「日吉丸」は、孫の関係になるではないか。
信長が秀吉を「サル」と言ったのは、猿=大山咋神とみなしていたからではないかな?

●マル 19:25
頭の回転の速い秀吉は、信長の志向に合わせて、「日吉丸」と言い出しただけじゃないの?

●カントク 19:27
確かに、抜け目のない秀吉は、信長のスサノオ信仰を知って、後から幼名を「日吉丸」にした可能性は否定できない。しかし、逆もまた十分に考えられる。
姉の名前が「日秀」であることや、後に、「藤吉郎」や「秀吉=日出吉」を名乗っていることから見ても、幼名が「日吉」であった可能性は十分にある。
幼名が「日吉丸」であり、「日吉大社」に何らかのゆかりがあったからこそ、信長に取り立てられた可能性はある。

●ヒメ 19:32
まあ、いずれにしても、信長の同志ともいえるのは、秀吉だけだったかもね。
明智光秀などは、天皇家を超えよう、仏教を超えようという思想は持っていなかったと思うよ。

●マル 19:35
もう1つ重要な点がありますよ。神社の情報ネットワークが、信長の天下統一には有効だった可能性があります。
スサノオ系の神社は、例えば京都の八坂神社、その本家の姫路の広峯神社、その元社の福山市の素盞嗚神社など、毛利攻略を進める秀吉のルートに沿っていますよね。

●カントク 19:39
確かに。信長は情報を重視しておる。桶狭間の勝利は情報戦じゃからな。

●ヒナ 19:40
しかし、信長は延暦寺焼き討ちの折りに、日吉大社も焼いていません?


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32 ヒメはなぜ日吉大社(日枝大社)から、安土城へ向かったか?

2009-04-17 23:54:33 | 歴史小説
日枝大社(ウィキペディアより)

●ヒメ 22:27
カントク、私が今日、大社(元は日枝大社)から安土城へ回ったことを忘れてません?
山田家のお父さんのヘボ将棋みたいで、「待った」の連続で申し訳ないんだけど。

●カントク 22:29 
そうじゃった。歳をとると、せっかちになってしまってのう。
ヒメがなぜ、日吉大社から予定を変え、安土城へ回る気になったのか、忘れておったぞ。

●ボク 22:31 
私は、スサノオの子の大歳神(大物主)と、その子の大山咋(おおやまくい)神を祀っている大津の日吉大社と、京都の上賀茂神社・下鴨神社へ行くことをお薦めしたんですけど。

●カントク 22:29 
上賀茂・下鴨神社より、安土城がより魅力的だったのか、それとも、日吉大社で何か発見があったかじゃ。

●ヒナ 22:33
京都にはよく通っていますが、下鴨神社は賀茂建角身命(かもたけつぬみのみこと)を祀り、上賀茂神社は、大山咋神が丹塗矢になって、賀茂建角身命の娘に生ませたという賀茂別雷命(かもわけいかづちのみこと)を祀っています。

●マル 22:36
しかし、賀茂族というと、迦毛大御神(かものおおみかみ)といわれた、大国主の子の阿遅鉏高日子根(あぢすきたかひこね)神の一族じゃないの?奈良の葛城から、京都へ移った、ということかしら?

●カントク 22:37 
そこなんじゃ。同じような丹塗矢の話は、有名な『古事記』の大物主神と多多良伊須気余理比売の話はみなも知っておろう。
同じ様な伝承が伝わっているということは、ひょっとしたら、迦毛大御神はスサノオ一族ではないか、と疑っておる。記紀が大物主を大国主としてしまったために、大国主の子どもにされてしまった、ということも考えられるのう。

●ヒメ 22:43
それって、面白い。カントク、いつか、追ってみましょうよ。

●ボク 22:44 
わが探偵団としては、スサノオを追ってきているんですから、両賀茂神社の方が重要ですよね。なぜ、ヒメさまはそれを止めて、安土城へ行ったのですか?

●カントク 22:46
記憶力抜群の優等生のボクに欠けているのは、推理力じゃな。もっと仮説構築力を身につけ、パワーアップしようぞ。

●ヒナ 22:48 
カントクが津島神社の事をおっしゃっていましたから、天主・信長が天王・スサノオを信奉していた、とヒメさまは思いつかれたんじゃないでしょうか?

●カントク 22:50
結論はよいが、それは安土城でのことじゃ。その前に、日吉大社で何にヒメは気づいて、安土城へ向かったのかな?
結論を言おう。ヒメは、日吉大社で「サル」に気づいたのじゃ。

●ボク 22:53
「サル」って動物の猿ですか?

●ヒナ 22:54
比叡山はもとは日枝山で、大山咋神の宿る神奈備山とされていますが、この山に棲む猿は大山咋神の使いとされています。

●マル 22:56
ヒナちゃんて、神話を否定しているのに、神社には詳しいのね。しかし、豊富な知識が逆に推理を邪魔していない?
信長つながりの「サル」というと、秀吉に決まっているわよね。

●カントク 22:59
ピンポン、日吉大社に行って、ヒメは秀吉と信長の関係に気が付き、予定を変えて安土城へ行ったのではないかな?

●ヒメ 23:01
カントク、映画やテレビなんか止めて、推理小説を書いたらどうなのよ?お見通しよね。

●カントク 23:02
面白くなってきたなあ。徹夜してもいい気分だよ。

●ヒメ 23:01
それはダメ。私のシンデレラタイムは過ぎました。サラリーマンみたいに、規則正しい生活をしないと。作家は務まらないのよ。というわけで、今日はここまで。

●マル 23:01
賛成。皆さん、次回はいつがいいですか?わたしは、出張続きだったから、仕事がたまっているのよね。

●カントク 23:02
僕はこの週末は与那国島の海中遺跡の撮影に出かけているよ。連休最後の日にホテルからオリオンビールを飲みながら参加したいね。

●長老 23:04
賛成。アマテラスで僕の出番と思ったけど、時代を超えて考える皆さんの発想は参考になりました。歴史が面白くなるよね。

●ボク 23:06
日曜日のイベントで、吉野ヶ里に行っています。スサノオとは関係なさそうですね。

●カントク 23:07
オイオイ、と議論したいところじゃが、夜も更けた。すぐ近くの櫛田宮を知らないと見える。わが故郷、博多の祇園祭りはここから来ておるぞ。

●ボク 23:09
了解しました。

●ヒナ 23:10
自宅でパソコンの前にいるようにします。お休みなさい。

●ヒメ 23:11
では、15日17:00に。おやすみなさい。ホビットさんも参加してね。


(ネタモトは日向勤氏の『スサノオ・大国主の日国―霊の国の古代史』(梓書院)です)

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32 天主・信長は6階、天皇は5階

2009-04-12 00:52:05 | 歴史小説
安土城図(ウィキペディアより)

●ヒメ 22:02
カントク、それって、大革命ですよね。
信長は天王=天主として6階の四角い部屋に座り、5階には仏教を国教とした天皇が八角形の部屋に座る、信長が目指した理想の国を表したのが安土城の天主閣なのよね。

●カントク 22:04 
私の一言から安土に行き、そこまでお見通しだったとは。返す言葉もないわ。
ミステリーファン大賞作家というのは、さすがじゃのう。

●マル 21:06
信長は、「上八方下方」の秩序をひっくり返し、「上方下八方」=上天主下天皇制を引こうとしたのね。まさに、秩序破壊の革命児よね。

●カントク 22:08 
そうとも言えるが、それは、明治以降の天皇制の下での歴史観からの偏った見方じゃないかな。
記紀によれば、この国はもともとスサノオ~大国主が支配しており、それを天皇家が奪ったことになっておる。 
天王・スサノオの建国を天皇家は公認しておる。ということは、スサノオや大国主の後継者にとっては、自分たちこそがこの国の建国者であり、正統な支配者である、というのが常識ではなかったかな?

●マル 21:14
信長は、革命児ではなくて、天王制復古主義者だったというの?

●カントク 22:15 
嵯峨天皇がスサノオを祀る津島神社に「日本総社」の称号を贈ったということは、後にその領主となった織田家にとっては、「日本総社」の支配者、という意識がでてきて当然じゃ。
織田家は、越前のスサノオを祀る剣神社の神官から、津島神社の領主になっておる。その一族は、天王・スサノオこそがこの国の建国者であり、自らはその後継者であり、天皇家より上位、という意識がでてきて当然じゃ。

●マル 22:20
なるほど。信長や全国のスサノオや大国主を祀る神社にとっては、天皇家が最高の権力者、というのは常識ではなかった、というのね。

●ボク 22:22
しかし、記紀神話では、スサノオはアマテラスの弟であり、高天原を追放され、その7代目の大国主はアマテラスの子のホヒとその子・ヒナトリに国譲りを行っているとされていますから、アマテラスこそが最高の支配者ですよね。
くどいようですが、学会の常識としては、記紀神話は歴史とは見なしていませんからね。

●マル 22:25
スサノオが歴史上の人物なのか、記紀編集者が創作した人物なのか、その議論は最後にするはずだったよね、ボクちゃん。
しかし、信長が天王・スサノオの存在を信じ、自らも天王=天主として位置づけていた、ということは認めていいんじゃない。

●カントク 22:25
熊野から津島神社に来てしまったが、途中の伊勢に伊勢神宮があったのう。
スサノオとその子ども達の足跡を追ってきたが、姉とされるアマテラスのことを忘れておったわい。

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31 安土城5階八角、6階四角の謎

2009-04-09 22:11:53 | Weblog
安土城天主信長の館の復元された天守内部
(ウィキペディアより)

●ボク 21:26
奈良出身の私がまず思いつくのは、「八角」は法隆寺の夢殿ですね。
長方形の建物は多いけど、「四角」というと、金閣寺か茶室でしょうか。内部が金箔で覆われていたというのは金閣寺の模倣で、お茶を楽しんでいた信長が四角を選んだとも考えられます。

●カントク 21:27 
さすが、優等生の回答じゃのう。
しかし、それでは、天王・スサノオ、天主・信長とは、繋がってこぬではないか。

●ヒナ 21:29
スサノオの時代の山上の四角と言えば、出雲の四隅突出型方墳でしょうか。
「八角」と「四角」の組み合わせとなると、上八角下四角の古墳があります。スサノオを信奉していた天武天皇陵(天武・持統合葬陵)やその両親の舒明天皇・斉明天皇(皇極天皇)の墓も上八角下方墳の可能性が高いとされています。

●カントク 21:35 
答えは出たようじゃな。しかし、「八角」と「四角」の組み合わせは、他にもある。見落としていないかな?

●カントク 21:37 
ちょっと難しかったようじゃな。
答えは、天皇が即位する玉座の「高御座(たかみくら)」じゃ。平成天皇の即位式にも使われておる。京都御所の紫宸殿に置かれておるが、これは方壇の上に、八角形の屋形が載せられておるぞ。

●マル 21:41 
八角は、天皇を象徴しているのかあ。

●ヒナ 21:42
古墳でいうと、そうでもありません。
ウィキペディアからの受け売りですが、八角墳としては、文武天皇陵の可能性のある中尾山古墳(明日香村)、草壁皇子の可能性のある奈良県高取町の束明神古墳は天皇家の墓です。しかし、稲荷塚古墳(東京都多摩市)、三津屋古墳(群馬県吉岡町)、経塚古墳(山梨県笛吹市)、伊勢塚古墳(群馬県藤岡市)、中山荘園古墳(兵庫県宝塚市)が八角墳ですし、尾市1号墳(広島県福山市)、神保一本杉古墳(群馬県吉井町)も八角墳の可能性あるとされています。

●ヒメ 21:49 
天皇・皇族陵が八角形と定められた後に、各地の豪族が八角墳をつくることは考えにくいよね。

●カントク 21:51 
そうなんじゃ。先に各地に八角墳があって、それを天皇家が採用した、と考えるべきじゃろう。しかし、上八方下四方となると、天皇家のシンボルとなる形と言えよう。

●ボク 21:53 
カントク、「上八角下四角」から、「上八方下四方」へと言い方が変わっていません?なぜですか。

●カントク 21:55 
ヒナちゃんの影響で少し冴えてきたではないか。
ヒメやヒナちゃんに「女は推理、男は論理」なんて言われないように、推理力をもっと磨いてはどうかな。

●ボク 21:57 
それより、「八角四角」から「八方四方」など、どんどん脱線していません?

●カントク 21:58 
心配はご無用。スサノオの謎を解くためには、安土城の謎を解く必要がある。
信長は安土城で、「上八角下四角」をひっくり返して、なぜ、「上四角下八角」の天主閣を建てたのか。第4の謎解きじゃ。
「生か死か」、「八角四角か八方四方か」、ザット・イズ・ザ・クエッション。

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30 津島神社の領主は織田信長

2009-04-07 14:23:58 | Weblog
伊勢・安土桃山文化村にある安土城天主を模した天守風建物
(ウィキペディアより)

●ホビット 20:32 エルドラドより
おはようございます。こちらは、ちょうど朝です。
尾張の出身者にとっては、津島神社というと織田信長が頭に浮かびます。
私の名前の「海部(かいふ)」は「海部郡(あまぐん)」からきていますが、津島はその中心地で、尾張一豊かな町でした。その領主が織田信長です。
信長が生まれた勝幡城は津島神社のすぐ近くです。天王祭を信長が天王川にかかる天王橋の上から見ていた、と伝わっています。

●ヒメ 20:37 
ありがとう、ホビットさん。それって、面白いわよね。信長って、スサノオを信仰していたの?

●カントク 20:39 
安土城に飛んだところを見ると、ヒメはとっくにお見通しだったんじゃないの?

●ヒナ 20:40 
福井県越前町の織田にある剣神社は、越前二の宮で、スサノオの霊を「劔大明神」としています。国宝の梵鐘は第49代光仁天皇が奉納したといわれています。
織田氏はこの地の領主で、剣神社の神官であり、その後、尾張に移ります。信長は剣神社を氏紳として、領地を寄進し神社を保護しています。

●ヒメ 20:45 
越前町って、どのあたりなの?

●マル 20:46 
そういうのは、私の出番かな。
以前、朝倉氏の拠点の一乗谷のPRのお手伝いをしたことがあるけど、一乗谷から越前岬に行く途中にあります。近くには、日野川があったけど、出雲の「斐伊川=氷川」「日野川」とも重なってくるわよね。

●カントク 20:51 
謎解きをしてもらおうかの。一乗谷というと、誰かを思い出さないかな?

●ヒナ 20:52 
早いもの勝ち、で新参の私が答えてもいいでしょうか?
一乗谷というと、朝倉氏に仕えていた明智光秀でしょう。足利義昭が朝倉氏を頼って一乗谷に逃れてきた時に、明智光秀は信長への仲介役を果たし、義昭は尾張に移ります。

●カントク 20:56 
ヒナちゃんも鋭いのう。
光秀は、斉藤道三の娘の濃姫と従兄弟同士であり、信長の妻となった濃姫を頼って信長に取り入ったという説があるが、信長の氏神の剣神社との繋がりも無視できん。
ボクちゃん、金沢出張の帰りに、剣神社に寄って調べてきてはどうかな。

●ヒメ 21:01
戦国時代には、お寺が情報ネットワークで重要な役割を果たしていたけど、神社のネットワークも無視できない、というのね。

●カントク 21:03 
ヒメはすでにお見通しのとおりじゃが、あらためて、第2の謎解きに移ろうではないか。
信長は日本で初めて「天主閣」を安土城に築いたんじゃが、なぜ信長は自分を「天主」と言ったのか?

●ボク 21:06
「天主」というと、キリスト教の天主・キリストからとったのではないでしょうか?
信長は宣教師とひんぱんに会っていますし、「天主堂」の建設を認めています。また、高山右近を始め、キリシタン大名を多く抱えていますよね。

●カントク 21:10 
ボクは空気が読めないのう。
天王スサノオを祭神とする津島神社と剣神社、それと織田信長との関係から、答えは出ておろうが。

●ボク 21:13
そんなに、むきにならないで下さいよ。わざと、フェイントをかませただけですから。誰だって、流れは理解できますよ。

●カントク 21:15 
わかっておる、わかっておる。だいぶ、呼吸が合ってきたな。最後の、スサノオ実在説と架空説の大バトルまでは、この調子で楽しもうぞ。

●ヒナ 21:17
中国では、皇帝・天子のことを天王と言い、天主とも言っています。

●カントク 21:18 
最近のテレビでも、信長をキリシタンであるかのように描いたボンクラがいたが、なげかわしいのう。

●ヒメ 21:20 
今日、カントクの話からピンときて、「安土城天主信長の館」に行ってきました。
セビリア万国博覧会に向けて復元された安土城天主の一部を見てきましたが、その6階の信長の居室には、周りに中国創世の3皇5帝、老子・孔 子・七賢人などが描かれていました。

●カントク 21:24
天主・信長は、中国皇帝と自分を同列に置くととともに、自らを天王・スサノオの後継者である、と宣言したんじゃ。
そこで、第3の謎解きに行こう。安土城天主閣の5階は八角、6階は四角になっておる。何故か?

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29 津島神社の天王と天皇

2009-04-04 09:39:19 | Weblog
『スサノオ・大国主の日国―霊の国の古代史』(日向勤著、梓書院)


●ヒメ 080912 16:35
今、帰りの新幹線に乗ったところです。
今日は長老と別れて、大津の日吉大社を見て、カントクの話にピンときて、予定を変更して安土城と安土城天主信長の館を見てきました。
連続になるけど、夜、ミーティングをやりません?ご都合はどうですか?

●カントク 16:45
 ヒメの勘はあいかわらず鋭いのう。ワシがふと洩らしてしまった話から、安土城を見てくるとは、さすがじゃ。
ヒメは長旅で疲れておろうから、自宅に帰り着いて落ち着いた20時頃ではどうじゃ?

●マル 16:50
レンタカーで山口宇部空港に向かっている途中ですよ。疲れた~。息抜きしたいな。カントク、新宿の「卑弥呼」で飲まない?
長門では、皆さんの「海の道」に関わる、楊貴妃伝説がありましたよ。

●カントク 22:53
マルちゃん、了解。ネットミーティングとリアルミーティングの同時進行としよう。
集まれる人は、20:00にネットか「卑弥呼」で。



<第3回ミーティング>

●ヒメ 20:00
こんばんは。連日のお付き合い、ありがとう。自宅でバスタイムです(私のヌードを想像してね)。
今、書きかけている『壬申の乱殺人事件』よりこっちの方が面白くなってきちゃった。

●カントク 20:03
2度、待ったをかけられたが、津島神社に行くとしよう。
ボクちゃんかヒナちゃん、ちょっと説明してよ。

●ボク 20:06
今、出張で金沢市にいます。
津島神社は、名古屋市に近い津島市にあり、全国に約3千社ある津島神社・天王社の総本社です。中世・近世には「津島牛頭天王社」と称していました。嵯峨天皇より正一位の神階と日本総社の称号を贈られたと伝えられています。
祭神はスサノオで、仏教が入ってきてからは、牛頭天王と習合し、「天王さん」と呼ばれています。

●ヒメ 20:11 
スサノオは「阿弥陀如来」にされたり、「牛頭天王」にされたりしているけど、どういう繋がりなのかしら?

●ヒナ 20:13 
まだ研究室にいますので、いろんなデータは調べられますよ。
スサノオは「蘇民将来」伝説にあるように、疫病退散の神であり、そこからインドの牛頭天王と習合された、という説があります。

●ヒメ 20:15 
そもそも「天王」というのはなんなの?

●ヒナ 20:15 
牛頭天王など、仏教の「天部」の神の名前ですが、中国では、周王朝の歴代の王が「天王」を名乗っています。「天子」である「王」という意味です。

●ヒメ 20:17 
「天王」と「天皇」との関係はどうなの?

●ヒナ 20:18 
4~5世紀に中国の五胡十六国時代の北燕などの8王朝18人が天王と称したあと、今度は倭王がこれを受け継ぎ、「天王」と称したという説があります。
推古朝から中世にかけて「〜〜天皇」ではなく「〜〜天王」と書く例がかなり多いので、推古朝あたりまでは天王だった可能性が高い、という説ですが、学界では定説にはなっていません。

●ヒメ 20:22 
倭王が「天王」と言ったとすると、それは周王の「天王」を受け継いだ可能性もあるわよね?北燕王の「天王」を受け継いだかどうかはわからないよね。
それと、スサノオが「天王さん」と呼ばれているのは、仏教が伝来して「牛頭天王」が伝わる以前からの可能性もあるわよね。

●カントク 20:26 
ヒメの推理力はさすがだな。
日向勤氏の『スサノオ・大国主の日国-霊の国の古代史』が、まさに同じことを展開しているよ。

(ネタモトは日向勤氏の『スサノオ・大国主の日国―霊の国の古代史』(梓書院)です)


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