ヒナフキンのスサノオ・大国主ノート

「神話探偵団~スサノオ・大国主を捜そう!」を、「ヒナフキンのスサノオ・大国主ノート」に変更します。雛元昌弘

神話探偵団116 清酒は大国主・少彦名の霊(ひ)のお酒

2011-08-22 16:29:30 | 歴史小説
写真はたつの市揖保町の播磨井の石碑(播磨国風土記:萩原里酒田で息長帯日売命が酒殿を造り、少足命を祭った)

「讃容(さよう)郡のところで、『清酒を以て手足を洗った』とでてくるけど、今の清酒のことを指しているのかしら?」
ヒメはヒナちゃんのメモの小さなところまで見逃していなかった。
「2つの説があるようです。1つは、今の清酒だ、と言う説。もう1つは、単に『清めの酒』のことだ、という説です」
ヒナちゃんは抜かりなく調べている。
「清酒と濁酒(どぶろく)の違いってなんだっけ?」
ちょうど高木も考えていたところでヒメが質問した。
「どぶろくを布袋に入れて圧力をかけて漉すと、簡単に清酒と酒粕に分かれるから、古代人が今のような清酒を飲んだ可能性は大いにあるね」
どぶろくやビールづくり、ワインづくりや焼酎づくりなどを密かに楽しんでいるだけあって、カントクは酒造りには詳しい。
「伯耆の加具漏と因幡の邑由胡が、清酒を以て手足を洗ったというのは、どこでのことなの?」
ヒメの質問は停まらない。
「伯耆と因幡でのことだと思います。朝廷は2人をとらえて、この佐用郡を通って難波に向かう途中、しばしば2人の一族を清水に中に入れてひどく苦しめた、と書かれているので、伯耆と因幡で2人が驕ってやったことが罪に問われたのではないでしょうか?」
「清酒で手足を洗ったのが、なぜ、罪に問われたのかしら?」
「朝廷から派遣された役人がハメを外し、神に捧げる清酒を冒涜したということで現地の人々から非難され、朝廷に呼び戻される途中の道々で見せしめのために水に浸けられた、ということではないでしょうか? 伯耆と因幡の豪族を見せしめに懲らしめるのなら、伯耆と因幡で水に浸けると言う刑罰を行ったのではないでしょうか」
「その清酒は伯耆と因幡で祀られていた大国主の祖先霊に捧げるものであった、ということになるわね」
「これは、天皇家が伯耆や因幡、播磨各地の大国主一族の祖先霊の祀りを尊重した、という逸話と思います」
「キリスト教においては、イエスがパンとワインを自分の体と血であると宣言し、それを信者は受け継ぐ儀式を行うけど、日本の場合は、大国主と少彦名が作った清酒を飲むことで、祖先霊を共に受け継ぐ、ということだったのね」
ヒメの感性は鋭く、いつも高木を遙かにこえている。それは、ヒナちゃんも同じであった。
「面白いわね。今日は、私たちも、大国主と少彦名のありがたいお酒を思いっきり飲みましょうよ」
ヒメの母上も陽気である。
「澄んだ清酒は、大国主と少彦名の霊(ひ)のお酒、ということなのか」
マルちゃんも感心している。
「しかし、清酒か濁酒か、何か手がかりはないの?」
長老はあくまでこだわる。
「古代人が普段飲んでいたのは、記録を見る限り、濁酒と思います。しかし、神に捧げる澄んだお酒は、大国主・少彦名の時代から続く、特別な清酒であったと思います。もし、天皇家の支配が確立する段階で、始めて清酒が誕生したのなら、その記録を残したのではないでしょうか?」
ヒナちゃんは、いつも答えを用意している。
「そうだよね、すでに身近にあった清酒には、わざわざ解説は付けないものね」
マルちゃん同様に、誰もが納得したようだ。
「播磨国風土記って、面白い。ヒナちゃんありがとう。『播磨国風土記殺人事件』を書きたくなってきたけど、お酒を絡ませるアイデア、いただきね」
ヒメの小説の構想は、かなり具体的にまとまってきたようだ。

筆者おわび:ある研究会への準備があり、2週間ほど、連載を中断させていただきます。

※文章や図、筆者撮影の写真の転載はご自由に(出典記載希望)。
※日向勤著『スサノオ・大国主の日国―霊の国の古代史』(梓書院)参照
※参考ブログ:邪馬台国探偵団(http://yamataikokutanteidan.seesaa.net/)
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神話探偵団115 口噛み酒から黴(かむ)酒へ

2011-08-07 22:48:37 | 歴史小説
写真はたつの市揖保町の萩原神社(祭神は息長帯日売命、天伊佐々命:少彦名命を祀っていない)
播磨国風土記では、萩原里酒田で息長帯日売命が酒殿を造り、少足命を祭ったとされている。


「天皇家ではどうなの?」
「古事記の仲哀天皇のところで始めてでてきます。角鹿(敦賀)より還って来た太子(応神天皇)を息長帯日売命(神功皇后)が迎えた時に、待酒を醸(か)んで献った時の歌が最初です」
「どんな歌なの?」
「『この御酒は わが御酒ならず 酒の司 常世に坐す 石たたす 少名御神の 神壽(ほ)き 壽き狂おし 豊壽き 壽き廻し 獻りこし御酒ぞ 乾さず食(お)せ ささ』という歌です。ここで、『ささ』は酒のことです」
「播磨国風土記に出てくる『少足命(すくなたらしのみこと)』と『少名御神』は同じ人物なの?」
 高木はヒナちゃんのメモの詳しい内容を見落としでいたが、ヒメの注意力と記憶力はすごい。
「播磨国風土記では『息長帯日売命、・・・酒殿を造った。・・・神を祭る。少足命(すくなたらし命)坐す』となっています。息長帯日売命(神功皇后)が太子を迎えた歌の酒の神が『少名御神』ですから、少足命=少名御神で、大国主の国造りの同志であった少彦名命だと思います」
「播磨国風土記で大国主が酒を醸(か)んだ、醸(か)ませた、酒屋を作ったというのは、少彦名命が技術を伝えた可能性があるということかな」
 酒好きのカントクがかんできた。
「そうだと思います。それまでは、穀類を噛んで瓶にため、唾液で糖化してからアルコール発酵させてお酒にしていました。大国主命は『御かれひ(餉:乾飯)枯れて、かむ(黴)が生えた。酒を醸(か)ませて庭酒(にわき)を献って宴した』というのですから、米にできた麹菌で糖化を行う、今と変わらない製法でお酒を造ったと思います」
「そういえば、昔、鹿児島県の仕事をした時に、大隅国風土記の逸文に、村中の男女が集まって米を噛んで酒船に吐き入れ、酒の香りがしたら集まって飲むというような話があることを聞いたことがある。口噛みの酒と言っていたようだ」
 全国を撮影で歩いているカントクは、各地の酒の情報には詳しい。
「私が仕事をしたことのある愛知県岡崎市は八丁味噌で有名だけど、酒人(さかんど)神社があったんですよ。皆さん、知っていました? 祭神は酒人親王で、確か、百済から日本へ来て、酒造を伝えた人の子孫だったと思うけど」
 マルちゃんも加わってきた。
「それは阿知使主(あちのおみ)で、応神天皇の時に百済から渡来し、蘇我氏を支えた東漢氏の祖だったな。徳川家康関係の撮影で行った時に詣ってきたが、配祀されているのが稻倉魂尊(うがのみたまのみこと)なんでびっくりしたね」
 カントクも見逃してはいない。
「稻倉魂尊って、前にでてきたわね。スサノオと神大市比売の子どもで、大年神の弟だったよね」
 高木は人名が苦手だが、ヒメは人名を忘れない。多くの小説で、何人もの登場人物を自由自在に動かしてきただけのことはある。
「伏見大社のところで、出てきました。『おいなりさん』です」
 ヒナちゃんも忘れてはいなかった。
「どうやら、スサノオと大国主一族が酒を各地に広めたようね。大年が拠点とした三輪(みわ)は、播磨国風土記の神酒(みわ)、酒(みわ)と同じなのかしら?」
 ヒメはよく覚えている。
「酒を醸(かも)すことを、『かむ』というのは、口噛み酒の名残と思います。同じように、みわ=三輪=酒の可能性は十分にあると思います」
 ヒナちゃんはちゃんと検討していた。
「大神(おおみわ)神社の『酒まつり』で、『この御酒は わが御酒ならず 倭なす 大物主の醸みし御酒』と歌われていることも、みわ=三輪=酒という説に繋がるわよね」
ヒメはすっかりその気になったようだ。高木も負けてはおれなかった。
「そういえば、古事記では、大物主は三輪山のことを御諸山と言っています。三輪山と言うようになったのは、大物主をたたえて大国主が酒まつりを行うようになったからかも知れませんね」
 みんなに感化されて、高木も大胆になってきた。
「しかし、播磨国風土記で『御かれひ枯れて、かむ(黴)が生えた』と言っていることからみると、酒を『醸(か)む』というのは『かむ(黴)』からきているとは考えられないかな?」
 長老が水をさした。
「噛んで酒ができると思っていた古代人は、糀黴(こうじかび)で酒ができることに驚いて、神が『噛む』と考え、黴(かび)のことを『かむ』と言ったのではないでしょうか?」
 ヒナちゃんはいつも答えを用意している。
「そう考えると、『噛む』=『黴(かむ)』=『醸(か)む』は繋がってくる」
長老はあっさり認めたが、どうやら、正解を知っていた教師であったようだ。
「『口噛み酒』から『黴(かむ)酒』への酒造技術の転換に大国主と少彦名が関わっていた、ということは、古代人には広く知られていたようだな」
 カントクも納得したようだ。
「こうなると、庭音村(庭酒村)を探し出して、『日本酒発祥の地』の石碑を建てましょうか」
 ヒメの母の発言には高木はびっくりした。邪馬台国を掘ろう、と言い出したヒメの行動力はどうやらこの母親ゆずりのようだ。

※文章や図、筆者撮影の写真の転載はご自由に(出典記載希望)。
※日向勤著『スサノオ・大国主の日国―霊の国の古代史』(梓書院)参照
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