ヒナフキンのスサノオ・大国主ノート

「神話探偵団~スサノオ・大国主を捜そう!」を、「ヒナフキンのスサノオ・大国主ノート」に変更します。雛元昌弘

「縄文ノート185 『184 乳児からみた人類進化と子育て家族形成』補足」の紹介

2024-02-07 12:18:45 | 人類進化

 はてなブログに「185 『184 乳児からみた人類進化と子育て家族形成』補足」の紹介」をアップしましたので紹介します。https://hinafkin.hatenablog.com/

 「縄文ノート184 乳児からみた人類進化と子育て家族形成」(240124)では、2004年に書いた「動物進化を追体験する子どもの遊び」をさらに発展させ、0歳児の孫に教えられて「人類進化を追体験している乳幼児の成長」論をまとめました。

 「二足歩行→手機能向上(狩猟具作成・獲物運搬)・言葉誕生(狩猟の共同作業)→頭脳肥大(肉食)」というまことしやかな「オス主導の二足歩行進化説」「狩猟・肉食進化説」が日本の西欧拝外主義にも蔓延していますが、乳幼児の発達を見ていると順序は違います。

 「知能発達条件の確保(おっぱいの糖質・DHA増大)→知能発達(観察・理解・記憶)→真似による手機能向上(道具使用)・会話→這い這い移動(4つ足哺乳類型)→二足歩行(サル型)」の順であり、サルからヒト進化の決定的な鍵は「母親のイモ・マメ・穀類(火使用)・魚介食によるおっぱいの糖質・DHA増大」と「イモ・マメ・穀類食がもたらした自由時間増大による母子・子育てグループ・子ども同士の楽しいおしゃべり」にあると考えます。

 カナン侵略・支配を神の命令として正当化するために作られたユダヤ教を原点とする欧州中心史観の「危機進化説」(気候変動による熱帯雨林の食料不足→サバンナでの死肉漁り・狩猟→二足歩行・言語)に対し、果実やイモ・マメ・穀類・魚介類・昆虫・小動物など食材の豊富な熱帯雨林における「快適快楽進化」(美味しいもの・楽しいこと・新しいこと・探検などの追求)」の人類誕生史こそ未来への指針とすべきと考えます。たかだか2~3千年の「狩猟・闘争・戦争進歩史観」の延長上に希望を求めるべきではないのです。

 今回、9カ月目の孫の「観察・認知・記憶・模倣」による「ソフトソード(やわらかチャンバラ、ソフトチャンバラ)」使用と、「乳児の高いエネルギー消費は頭脳発達に使われている」という『日経サイエンス』の「カロリー計算でみる人類進化」により、184号を補足しました。

 本ブログの「スサノオ・大国主建国論」としても、アフリカ熱帯雨林での人類誕生史からの縄文時代の母系制社会を引き継ぎ、大国主は百余国で夜這いを行い180人の御子をもうけて霊継(ひつぎ)を行い、米鉄交易とあわせて「委奴国(ふぃなのくに)」=「豊葦原水穂国」を建国したのであり、その歴史から母子主導の「美食進化(糖質DHA食進化説)」「快適・快楽進化」「共同進化」の人類史を世界にアピールし、「霊(ひ)・霊継(ひつぎ)信仰」の世界遺産登録を目指したいと考えます。 雛元昌弘

 

□参考□

<本>

 ・『スサノオ・大国主の日国(ひなのくに)―霊(ひ)の国の古代史―』(日向勤ペンネーム)

 ・『邪馬台国探偵団~卑弥呼の墓を掘ろう~』(アマゾンキンドル本)

 ・『奥の奥読み奥の細道』(アマゾンキンドル本)

<雑誌掲載文>

 2012夏「古事記」が指し示すスサノオ・大国主建国王朝(『季刊 日本主義』18号)

 2014夏「古事記・播磨国風土記が明かす『弥生史観』の虚構」(前同26号)

 2015秋「北東北縄文遺跡群にみる地母神信仰と霊信仰」(前同31号)

 2017冬「ヒョウタンが教える古代アジア”海洋民族像”」(前同40号)

 2017冬「スサノオ・大国主建国論1 記紀に書かれた建国者」(『季刊山陰』38号)

 2018夏「スサノオ・大国主建国論2 「八百万の神々」の時代」(『季刊山陰』39号)

 2018夏「言語構造から見た日本民族の起源」(『季刊 日本主義』42号)

 2018夏「スサノオ・大国主建国論3 航海王・スサノオ」(『季刊山陰』40号)

 2018秋「『龍宮』神話が示す大和政権のルーツ」(『季刊 日本主義』43号)

 2018冬「海洋交易の民として東アジアに向き合う」(前同44号)

 2019春「漂流日本」から「汎日本主義」へ(前同45号)

<ブログ>

 ヒナフキンのスサノオ・大国主ノート https://blog.goo.ne.jp/konanhina

 帆人の古代史メモ          http://blog.livedoor.jp/hohito/

 ヒナフキンの邪馬台国ノート      http://yamataikokutanteidan.seesaa.net/

 霊(ひ)の国の古事記論       http://hinakoku.blog100.fc2.com/

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「邪馬台国ノート54 『神武東征』は『若御毛沼(わかみけぬ)東進』」の紹介

2024-02-02 17:47:34 | 邪馬台国

 Seesaaブログに「邪馬台国ノート54 『神武東征』は『若御毛沼(わかみけぬ)東進』」をアップしましたので紹介します。http://yamataikokutanteidan.seesaa.net/

 笠沙天皇家3代の始祖ニニギの「天下り」なるものは、筑紫日向(ちくしのひな:旧甘木市の蜷城(ひなしろ))の高台・高天原の卑弥呼(霊御子=大霊留女=アマテル)の死後の後継者争いで女王派(壹与派)に敗れた男王派のニニギが女王派の国々を避け、険しい九州山地を薩摩半島南西端までの逃避行であることはすでに明らかにしました。

 続く笠沙天皇家4代目の若御毛沼(ワカミケヌ)3兄弟の皇国史観のいうところの「神武東征」については、8世紀の創作とする反皇国史観や、邪馬壹国(邪馬台国)以前の「紀元前660年説」「紀元前40年説」「紀元前70~29年説」「紀元6年説」「2世紀中(150、168、187年)説」、安本美典氏の「紀元271年頃説」と私の同じ方法での「277年説」がありますが、日本書紀に書かれたワカミケヌらが「浪速の渡」を「遡流而上」って生駒山麓の白肩津まで進んだという記載は、「紀元前1050~50年の河内湾時代」「紀元前50~紀元150年の河内汽水湖時代ではなく、「紀元150~385年の河内湖時代」であることが明らかであり、安本・雛元説が正しいことが裏付けられます。

 なお高木修三氏(芥川賞受賞作家)「2世紀中説神武即位」説は「紀元150~385年の河内湖時代」には合致しますが、神武即位後に卑弥呼の邪馬壹国が畿内にあったか、という根本矛盾をはらんでいます。

 もしそうなら記紀の天皇紀には「146~189年頃の倭国乱、相攻伐歴年」「30国の女王・卑弥呼の共立」「魏との国交・鉄交易」「狗奴国との争い」「男王と女王・壹与の後継者争い」の大事件が記載されていなければなりませんが、何1つ記紀には記載されておらず、畿内にそのような伝承も争乱を裏付ける物証(鉄器や城柵など)もありません。

 本ブログの「スサノオ・大国主建国論」としても、スサノオ・大国主一族による「美和→大和(おおわ)」開拓と国づくりの後に、笠沙・阿多の山人(やまと:山幸彦=猟師)族の若御毛沼(ワカミケヌ)らの傭兵隊が大和(おおわ)盆地に入り、10代かけて御間城入彦(みまきいりひこ:後の崇神天皇)の時に美和王朝の権力を奪ったという天王スサノオ・大国主一族と天皇家の関係を解明する参考にしていただければと考えます。 雛元昌弘

 

□参考□

<本>

 ・『スサノオ・大国主の日国(ひなのくに)―霊(ひ)の国の古代史―』(日向勤ペンネーム)

 ・『邪馬台国探偵団~卑弥呼の墓を掘ろう~』(アマゾンキンドル本)

 ・『奥の奥読み奥の細道』(アマゾンキンドル本)

<雑誌掲載文>

 2012夏「古事記」が指し示すスサノオ・大国主建国王朝(『季刊 日本主義』18号)

 2014夏「古事記・播磨国風土記が明かす『弥生史観』の虚構」(前同26号)

 2015秋「北東北縄文遺跡群にみる地母神信仰と霊信仰」(前同31号)

 2017冬「ヒョウタンが教える古代アジア”海洋民族像”」(前同40号)

 2017冬「スサノオ・大国主建国論1 記紀に書かれた建国者」(『季刊山陰』38号)

 2018夏「スサノオ・大国主建国論2 「八百万の神々」の時代」(『季刊山陰』39号)

 2018夏「言語構造から見た日本民族の起源」(『季刊 日本主義』42号)

 2018夏「スサノオ・大国主建国論3 航海王・スサノオ」(『季刊山陰』40号)

 2018秋「『龍宮』神話が示す大和政権のルーツ」(『季刊 日本主義』43号)

 2018冬「海洋交易の民として東アジアに向き合う」(前同44号)

 2019春「漂流日本」から「汎日本主義」へ(前同45号)

<ブログ>

 ヒナフキンのスサノオ・大国主ノート https://blog.goo.ne.jp/konanhina

 帆人の古代史メモ          http://blog.livedoor.jp/hohito/

 ヒナフキンの邪馬台国ノート     http://yamataikokutanteidan.seesaa.net/

 霊(ひ)の国の古事記論       http://hinakoku.blog100.fc2.com/

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「邪馬台国ノート53 『7里程』『2日程』条件から邪馬台国論争に決着を!」の紹介

2024-01-30 14:15:46 | 邪馬台国

 Seesaaブログに「邪馬台国ノート53 『7里程』『2日程』条件から邪馬台国論争に決着を!」をアップしましたので紹介します。http://yamataikokutanteidan.seesaa.net/

 魏書東夷伝倭人条には、「自郡至女王国万二千余里」「東南陸行五百里到伊都国」「東南至奴国百里」「東行至不彌国百里」「参問倭地・・・周旋可五千余里」「女王国東渡海千余里 復有国」「侏儒国在其南・・・去女王四千余里」の7つの「陸行里程」と「南至投馬国水行二十日」「南至邪馬壹国 女王之所都 水行十日陸行一月」の2つの「水行日程」があります。その全てを合理的に見たす場所が邪馬壹国の位置になります。

 末盧国からの正使の陸行・里程の続きにある邪馬壹国と、副使の末盧国からの投馬国、邪馬壹国の水行・日程ルートは並行しているのであり、「陸行+水行」を連続した行程として読むべきではない、というのが私のオリジナルな主張です。

 邪馬台国論争がいまだに決着がついていない根本原因は、考古学者たちは発掘成果にハクを付け、住民は町おこし・村おこしのために魏書東夷伝倭人条と記紀の都合のいい部分だけをつまみ食いすることにあると考えます。

 私は小学校まで吉備の岡山市で過ごし、父の岡山県北の山村では熊野神社でスサノオのヤマタノオロチ退治の備中神楽を幼児の頃に見た記憶があり出雲とも関わりがあり、中学校からは播磨の姫路市に移り、大学・院時代には京都・奈良・大坂に住み、また京大の歴史学者たちは伝統的に畿内説のようですが、だからといって邪馬台国論において吉備説・出雲説・播磨説・畿内説などに我田引水したいとは思いません。

 卑弥呼の女王国を世界の母系制社会の歴史の中に位置づけるという大きな観点から、郷土意識や学閥などにとらわれず邪馬台国論争に決着をつけて卑弥呼の墓を突き止め、女王国の歴史を世界に情報発信することを若い世代の皆さんには期待したいと思います。

 本ブログの「スサノオ・大国主建国論」としても、スサノオ・大国主7代の男王の「委奴国」と女王・卑弥呼の邪馬壹国の関係を解明する参考にしていただければと考えます。 雛元昌弘

 

□参考□

<本>

 ・『スサノオ・大国主の日国(ひなのくに)―霊(ひ)の国の古代史―』(日向勤ペンネーム)

 ・『邪馬台国探偵団~卑弥呼の墓を掘ろう~』(アマゾンキンドル本)

 ・『奥の奥読み奥の細道』(アマゾンキンドル本)

<雑誌掲載文>

 2012夏「古事記」が指し示すスサノオ・大国主建国王朝(『季刊 日本主義』18号)

 2014夏「古事記・播磨国風土記が明かす『弥生史観』の虚構」(前同26号)

 2015秋「北東北縄文遺跡群にみる地母神信仰と霊信仰」(前同31号)

 2017冬「ヒョウタンが教える古代アジア”海洋民族像”」(前同40号)

 2017冬「スサノオ・大国主建国論1 記紀に書かれた建国者」(『季刊山陰』38号)

 2018夏「スサノオ・大国主建国論2 「八百万の神々」の時代」(『季刊山陰』39号)

 2018夏「言語構造から見た日本民族の起源」(『季刊 日本主義』42号)

 2018夏「スサノオ・大国主建国論3 航海王・スサノオ」(『季刊山陰』40号)

 2018秋「『龍宮』神話が示す大和政権のルーツ」(『季刊 日本主義』43号)

 2018冬「海洋交易の民として東アジアに向き合う」(前同44号)

 2019春「漂流日本」から「汎日本主義」へ(前同45号)

<ブログ>

 ヒナフキンのスサノオ・大国主ノート https://blog.goo.ne.jp/konanhina

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「邪馬台国ノート52 『旧百余国』から『邪馬台論』は始めるべき」の紹介

2024-01-28 18:20:58 | 邪馬台国

 Seesaaブログに「邪馬台国ノート52 『旧百余国』から『邪馬台論』は始めるべき」をアップしましたので紹介します。http://yamataikokutanteidan.seesaa.net/

 邪馬台国論争は未だに「所在地論争」として決着がついておらず、卑弥呼の王都も墓も未発見ですが、いずれ九州説・畿内説の論争に関わっている歴史学者・考古学者の一方は頑迷な「古代史偽造者」の烙印を押されることになることを免れません。

 それ以上の大きな問題は、魏書東夷伝倭人条が冒頭で「倭人在帶方東南大海之中・・・舊百餘國・・・今使譯所通三十國」(倭人は帯方東南、大海の中に在り・・・旧百余国・・・今、使訳通ずる所は三十国」)と書いている以上、後漢が認めた「旧百余国王」を解明しようとしていないことです。私はこの「百余国王」は博多の志賀島で発見された金印に彫られた「委奴国王」であり、記紀に書かれたスサノオ以外にありえず、この国の建国者を示していると考えています。

 『スサノオ・大国主の日国(ひなのくに)―霊(ひ)の国の古代史―』(梓書院),『邪馬台国探偵団~卑弥呼の墓を掘ろう~』(アマゾンキンドル本)をはじめ、何度も書いてきた繰り返しになりますが、本ブログの「スサノオ・大国主建国論」としても、スサノオ・大国主一族と邪馬壹国の卑弥呼との関係について参考にしていただければと考えます。 雛元昌弘

 

□参考□

<本>

 ・『スサノオ・大国主の日国(ひなのくに)―霊(ひ)の国の古代史―』(日向勤ペンネーム)

 ・『邪馬台国探偵団~卑弥呼の墓を掘ろう~』(アマゾンキンドル本)

 ・『奥の奥読み奥の細道』(アマゾンキンドル本)

<雑誌掲載文>

 2012夏「古事記」が指し示すスサノオ・大国主建国王朝(『季刊 日本主義』18号)

 2014夏「古事記・播磨国風土記が明かす『弥生史観』の虚構」(前同26号)

 2015秋「北東北縄文遺跡群にみる地母神信仰と霊信仰」(前同31号)

 2017冬「ヒョウタンが教える古代アジア”海洋民族像”」(前同40号)

 2017冬「スサノオ・大国主建国論1 記紀に書かれた建国者」(『季刊山陰』38号)

 2018夏「スサノオ・大国主建国論2 「八百万の神々」の時代」(『季刊山陰』39号)

 2018夏「言語構造から見た日本民族の起源」(『季刊 日本主義』42号)

 2018夏「スサノオ・大国主建国論3 航海王・スサノオ」(『季刊山陰』40号)

 2018秋「『龍宮』神話が示す大和政権のルーツ」(『季刊 日本主義』43号)

 2018冬「海洋交易の民として東アジアに向き合う」(前同44号)

 2019春「漂流日本」から「汎日本主義」へ(前同45号)

<ブログ>

 ヒナフキンのスサノオ・大国主ノート https://blog.goo.ne.jp/konanhina

 帆人の古代史メモ          http://blog.livedoor.jp/hohito/

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「縄文ノート184 乳児からみた人類進化と子育て家族形成」の紹介

2024-01-24 11:50:22 | 人類進化

 はてなブログに「縄文ノート縄文ノート184 乳児からみた人類進化と子育て家族形成」をアップしましたので紹介します。https://hinafkin.hatenablog.com/

 現役時代に木登り遊びのボランティア活動をやっていたとき、なぜ子どもが木登りが好きなのか、穴掘りが好きなのかなどについて、私は「動物進化を追体験する子どもの遊び」という仮説から考察したことがあったのですが、サルからヒトへの人類進化についても同じように子どもの誕生から成長の過程を辿って推定するという方法論を考えています。

 「気候変動で熱帯雨林の食料が乏しくなり、サバンナに出て草食動物の死肉をあさり、狩りをするようになって人類は進化した」というようなオス主導の「危機進化説」「苦難進化説」「肉食・狩猟・闘争・戦争進化説」が欧州人、旧約聖書教の人たちは好きであり、マルクス主義者も「窮乏化論」「階級闘争史観」ですが、メス・子主導で美味しいこと、楽しいことを追及したことで人類が進化したという「美食進化説(糖質DHA食進化説)」「快適・快楽進化説」「共同進化説」こそ検証すべきと考えます。

 霊長類学や文化人類学、民族学からの人類起源説は、栄養学や乳幼児・児童の発達・成長と合わせて総合的に分析されるべきであり、欧州中心史観の「肉食・狩猟・戦争進化説」「男主導進化説」を見直すとともに、人類誕生史からの「三つ子の魂百まで」の乳幼児期子育ての重要性が再確認されなければと考えます。

 本ブログの「スサノオ・大国主建国論」としても、縄文時代の母系制社会を引き継ぎ、大国主は百余国で夜這いを行い180人の御子をもうけて霊継(ひつぎ)を行い、米鉄交易とあわせて「委奴国(ふぃなのくに)」=「豊葦原水穂国」を建国したのであり、その歴史から母子主導の「美食進化(糖質DHA食進化説)」「快適・快楽進化」「共同進化」の人類史を世界にアピールし、世界遺産登録を目指して欲しいと考えます。 雛元昌弘

 

□参考□

<本>

 ・『スサノオ・大国主の日国(ひなのくに)―霊(ひ)の国の古代史―』(日向勤ペンネーム)

 ・『邪馬台国探偵団~卑弥呼の墓を掘ろう~』(アマゾンキンドル本)

 ・『奥の奥読み奥の細道』(アマゾンキンドル本)

<雑誌掲載文>

 2012夏「古事記」が指し示すスサノオ・大国主建国王朝(『季刊 日本主義』18号)

 2014夏「古事記・播磨国風土記が明かす『弥生史観』の虚構」(前同26号)

 2015秋「北東北縄文遺跡群にみる地母神信仰と霊信仰」(前同31号)

 2017冬「ヒョウタンが教える古代アジア”海洋民族像”」(前同40号)

 2017冬「スサノオ・大国主建国論1 記紀に書かれた建国者」(『季刊山陰』38号)

 2018夏「スサノオ・大国主建国論2 「八百万の神々」の時代」(『季刊山陰』39号)

 2018夏「言語構造から見た日本民族の起源」(『季刊 日本主義』42号)

 2018夏「スサノオ・大国主建国論3 航海王・スサノオ」(『季刊山陰』40号)

 2018秋「『龍宮』神話が示す大和政権のルーツ」(『季刊 日本主義』43号)

 2018冬「海洋交易の民として東アジアに向き合う」(前同44号)

 2019春「漂流日本」から「汎日本主義」へ(前同45号)

<ブログ>

 ヒナフキンのスサノオ・大国主ノート https://blog.goo.ne.jp/konanhina

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「縄文ノート183 八ヶ岳高原の女神・石棒・巨木拝殿・黒曜石・土器鍋食・散村文明」の紹介

2024-01-11 11:55:16 | 日本文明

 はてなブログに「縄文ノート183 八ヶ岳高原の女神・石棒・巨木拝殿・黒曜石・土器鍋食・散村文明」をアップしましたので紹介します。https://hinafkin.hatenablog.com/

 農業・交易で豊かであったカナンを征服するために、貧しい遊牧民のユダヤ人の男たちは神を創作し、「神がくれた土地」としてカナンを侵略し、男は殺し、女子どもは奴隷化し、土地・家と財産を奪い、母系制社会を滅ぼすことを正当化しました。

 この「神」は後にローマ帝国の西欧・東欧の侵略・支配や、西欧諸国のアフリカ・アジア・アメリカ侵略・植民地化を正当化する帝国主義イデオロギーに引き継がれ、今もアメリカのイラク・アフガニスタン侵略やロシアのウクライナ侵略、イスラエルのパレスチナ侵略へと続いています。

 歴史の分野では、西欧人はこの宗教のもとに男中心の「肉食・狩猟・戦争進歩史観」を創作し、「未開・文明」という時代区分を考え、「文明人」による「未開人」の殺害・奴隷化・差別迫害の植民地支配を正当化してきたのです。

 日本中央部縄文遺跡群の世界遺産登録ではこのような「未開・文明史観」を正し、戦争のなかった縄文1万数千年の歴史から、霊継(ひつぎ:命のリレー)をなによりも大事にする母系制社会の女神信仰、神山天神信仰の共同祭祀を世界にアピールすべきと考えます。

 この霊(ひ)・霊継(ひつぎ)宗教は、全ての「死者の霊(ひ)」を神として祀るスサノオ・大国主一族建国の八百万神信仰に引き継がれ、仏教伝来後には「神=仏」として命を大事にし、死者の霊が子孫に祀られる宗教として現代に続いています。

 同じ民族、国民の殺人は認めないにも関わらず、他民族・他国民は殺すことは神の命令として認めるというユダヤ教・キリスト教旧約聖書派による戦争を終わらせるためにも、アフリカの類人猿をルーツとする全人類の歴史を縄文史から変えていく必要があるのではないでしょうか?

 本ブログの「スサノオ・大国主建国論」としても、縄文時代の母系制社会の神山天神信仰、巨木拝殿などの伝統を受け継ぎ、大国主は百余国で夜這いを行い180人の御子をもうけて霊継(ひつぎ)を行い、米鉄交易とあわせて「委奴国(ふぃなのくに)」=「豊葦原水穂国」を建国したのであり、全ての死者の霊(ひ)を八百万神として祀り、霊継(ひつぎ:命のリレー)を何よりも大事にした、侵略戦争によらないスサノオ・大国主一族の建国史を世界史の中に位置付け、世界遺産登録を目指して欲しいと考えます。 雛元昌弘

 

□参考□

<本>

 ・『スサノオ・大国主の日国(ひなのくに)―霊(ひ)の国の古代史―』(日向勤ペンネーム)

 ・『邪馬台国探偵団~卑弥呼の墓を掘ろう~』(アマゾンキンドル本)

 ・『奥の奥読み奥の細道』(アマゾンキンドル本)

<雑誌掲載文>

 2012夏「古事記」が指し示すスサノオ・大国主建国王朝(『季刊 日本主義』18号)

 2014夏「古事記・播磨国風土記が明かす『弥生史観』の虚構」(前同26号)

 2015秋「北東北縄文遺跡群にみる地母神信仰と霊信仰」(前同31号)

 2017冬「ヒョウタンが教える古代アジア”海洋民族像”」(前同40号)

 2017冬「スサノオ・大国主建国論1 記紀に書かれた建国者」(『季刊山陰』38号)

 2018夏「スサノオ・大国主建国論2 「八百万の神々」の時代」(『季刊山陰』39号)

 2018夏「言語構造から見た日本民族の起源」(『季刊 日本主義』42号)

 2018夏「スサノオ・大国主建国論3 航海王・スサノオ」(『季刊山陰』40号)

 2018秋「『龍宮』神話が示す大和政権のルーツ」(『季刊 日本主義』43号)

 2018冬「海洋交易の民として東アジアに向き合う」(前同44号)

 2019春「漂流日本」から「汎日本主義」へ(前同45号)

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スサノオ・大国主ノート150 FB邪馬台国探究会「20 「邪馬台国畿内説」は成立するか?」の紹介

2023-12-23 20:40:22 | スサノオ・大国主建国論

231222 雛元昌弘

 フェイスブックの邪馬台国探究会で、「『卑弥呼王都=高天原』は甘木(天城)高台―地名・人名分析からの邪馬台国論」を連載してきましたが、「20 『邪馬台国畿内説』は成立するか?」をアップしました。

 内容は美和における「スサノオ・大国主建国論」でもありますので、参考にしていただければと思います。

 

<構成> 20 「邪馬台国畿内説」は成立するか?

⑴ 畿内説は「里程引き算足し算条件」を満たさない

⑵ 畿内説には「東を南とした90度方位誤記」の証明がない

⑶ 「水行十日」の起点は「不彌国」ではなく「末盧国」の呼子港である

⑷ 魏使は「ガキの使いやあらへんで!」

⑸ 「水行―陸行―水行」の途中下船・乗り継ぎはありえない

⑹ 漢・魏皇帝由来の「皇帝3物証」は畿内からは何も発見されていない

⑺ 鉄器時代は北九州・出雲が中心である

⑻ 卑弥呼をアマテル(天照)とする畿内説の「自爆」「敵塩」

⑼ 箸墓は大物主・モモソヒメ夫婦の墓であり、卑弥呼・アマテルの墓ではない

⑽ 間城(まき)・纏向(間城向)は大国主の拠点であった

 ① 纏向の大型建物は「日御子=アマテラス」の太陽信仰神殿か、大国主一族の穴師山崇拝の拝殿か?

 ② 奈良盆地の開拓・建国者はスサノオ・大国主一族

 ③ 大国主・大物主連合の成立

 ④ 「間城」「纏向(間城向)」は大国主一族の拠点

 ⑤ 銅鐸・銅槍(通説は銅剣)・銅矛祭祀から八百万神の神名火山(神那霊山)信仰へ

 ⑥ 「仮面」と「桃の種」は大国主由来の宗教を示す

 ⑦ 穴師山は穴師=鉱山師の大国主一族の拠点

 ⑧ 播磨の養久山古墳群の「円墳・方墳・前方後円墳」から前方後円墳は生まれた

 ⑨ 「邪馬台国畿内説」「卑弥呼・アマテル・モモソヒメ三位一体説」は新皇国史観(天皇中心・大和中心史観)の空想

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149 NHK「出雲大社 八雲たつ神々の里」から古出雲大社復元と世界遺産登録を考える

2023-12-16 16:56:29 | 出雲

 11月20日のNHKBSプレミアムの『出雲大社 八雲たつ神々の里』を録画をやっとみることができました。画像に登場する人々の服装が古いのと登場する森浩一同志社大教授が若いので画面の隅を見ると撮影は1985年となっていました。

 私はこれまで、古出雲大社は神籬(霊洩木)を心御柱として建物で覆ったものであり、八百万神の霊(ひ)を天に送り、迎える「天神信仰神殿」であり、「直階段」ではなく心御柱を廻りながら登る「廻り階段」で、その元々の場所は現在地より南東約200mの、八雲山から琴引山を結ぶ聖線(レイライン)上にあり、大風を避けるために三方を山に囲まれた現在地に鎌倉時代までには移されたとみてきました。

 この出雲大社本殿は縄文時代の神那霊山(神名火山)信仰と巨木神殿を受け継いだものであり、死ねば誰もが神として祀られる「八百万神信仰の世界遺産登録」に向けて、世界最高の古出雲大社神殿の復元を提案しています。

<これまでの関係資料>

⑴ はてなブログ「ヒナフキンの縄文ノート」

 33 「神籬(ひもろぎ)・神殿・神塔・楼観」考 200801→1226

 50 縄文6本・8本巨木柱建築から上古出雲大社へ 190408→200830

 104 日本最古の祭祀施設―阿久立石・石列と中ツ原楼観拝殿 211025

 105 世界最古の阿久尻遺跡の方形巨木柱列群 211030

 106 阿久尻遺跡の方形柱列建築の復元へ 211107

⑵ gooブログ「ヒナフキンのスサノオ・大国主ノート」

 141 出雲大社の故地を推理する 221027

 140 縄文建築から出雲大社へ:玉井哲雄著『日本建築の歴史』批判 221024

 143  纏向遺跡は大国主一族の祭祀拠点 221116

 145 岡野眞氏論文と「引橋長一町」「出雲大社故地」 230110

 146 古代出雲大社復元に取り組んだ馬庭稔君逝く 230323

 147 「八百万神信仰」の世界遺産登録へ  181218→230326

 

1 出雲大社本殿は「直階段」か、心御柱(神籬=霊洩木)を中心とした「廻り階段」か?

 このような私の主張に対し、NHK『出雲大社 八雲たつ神々の里』は48mあったとされる古出雲大社の復元イメージを外直階段ではなく内階段とし、構造的・機能的にみて本来の合理的な建築として再現像を描いています。

 出雲大社の「金輪御造営差図」や「3本組た3本組土中柱」が発見される以前のものと考えられ、9本柱ではなく柱の数を多くしていますが、柱と柱を繋ぐ貫(ぬき)を設けているのは構造的にみて合理的です。

 出雲国造の千家(せんげ)家に代々伝えられてきた「金輪御造営差図」(以下、金輪造営図と略)には神殿の前に「引橋長一町」と書かれた長方形の図が描かれていますが、日本書紀は「大国主が往来して海に遊ぶ具の為に、高橋・浮橋および天鳥船を造り供す」と書いていることからみて、この「引橋」は出雲大社本殿から大国主が神門水海(かんどのみずうみ)にでるため「高橋(桟橋)」と「浮橋(浮き桟橋)」だったのです。

 

 

 2 古出雲大社本殿は現在地にあったか?

 『出雲大社 八雲たつ神々の里』では現在の本殿の位置で古出雲大社の復元イメージを作成していますが、私は前から古出雲大社の場所はここではないと考えていました。

 現役時代に市町村などの総合計画や都市計画、地域計画で公共施設の配置や建築基本計画の仕事もしてきたことから建物の立地場所と方向には拘りがあり、出雲大社本殿が背後の神名火山(神那霊山)である八雲山を向いて建てられていないことを見て、古出雲大社の立地場所がどこか考え続けていました。

 纏向(間城向)の箸墓や最近発掘された大型建物、崇神天皇陵(崇神=御間城入彦と皇后の御間城姫の墓)が穴師山を向き、「箸墓―ホケノ山古墳―穴師坐兵主神社(祭神兵主大神=大国主)―穴師山」がほぼ聖線(レイライン)上にあることからみても、出雲族は神名火山(神那霊山)に向けて施設配置を行っていたのです。―「スサノオ・大国主ノート143  纏向遺跡は大国主一族の祭祀拠点」221116参照

 黒田龍二神戸大准教授は正面柱が奇数で屋根を支える棟持柱などから、この纏向の大型建物と出雲大社本殿との類似性を指摘していますが、古事記は、少彦名の死後、御諸山(美和山)に大物主(大物主大神=スサノオ)を祀ることを条件に大国主と大物主(大年)が国を「共に相作」ったとしており、大国主一族はこの地でスサノオを祀る霊継(ひつぎ)祭祀を全国から一族を集めて行うために三輪の間城の北の纏向(間城向)の地に祭祀拠点を置いたのです。

 日本書紀の「日(ひる)は人作り、夜は神作る」は、昼は山人(やまと)族(天皇家:モモソヒメ系)、夜は海人(あま)族(天族=出雲族=大物主・大国主系)によって作られた箸墓は大物主(大年の子孫で襲名)とモモソヒメの夫婦墓なのです。―「スサノオ・大国主ノート143  纏向遺跡は大国主一族の祭祀拠点」221116参照

 そこで八雲山から現在の社殿とほぼ同じ方角で南に伸ばすと神門川(かんどがわ)源流域に琴引山があり、出雲国風土記によれば、「琴引山・・・古老の伝えに云へらく、此の山の峰に窟あり。裏に所造天下大神の御琴あり・・・又、石神あり・・・故、琴引山と云ふ」と書かれ、大国主が琴を弾いて神意を聞いていたとされ、神在月に八百万の神々は「琴引山」を目印に集まり、神戸川を下って日本海へ出て稲佐の浜より上陸したとされています。

 「事代主」を「言代主」とも書くことから考えると、「琴引山=事引山=言引山」であり、琴引山は大国主一族の神名火山(神那霊山)として古くから信仰され、出雲大社はこの琴引山に向けて建てられた可能性が高いと考えます。

 この八雲山―琴引山聖線(レイライン)上で神事に「真名井」などのある近くに古出雲大社はあり、風を受けての倒壊を防ぐために、3方を山に囲まれた現社地に移されたと考えます。―「スサノオ・大国主ノート141 出雲大社の故地を推理する」221027参照

 その後、縄文社会研究会・東京の事務局長の山岸修氏より岡野眞氏(香川大学教授)の論文をいただいたのですが、氏の「8世紀頃の出雲大社の立地環境図」は旧社地の前が「湿地性低地帯」となっており、「大国主が往来して海に遊ぶ具の為に、高橋・浮橋および天鳥船を造り供す」(日本書紀)には、「引橋長一町」(一町=109m)の高橋(桟橋:木デッキ)と浮橋(浮き桟橋)が必要であったことが裏付けられました。

 

3 出雲大社本殿は「高床式建物」の延長か、「縄文巨木建築」の伝統か?

 森浩一同志社大教授が「弥生時代」(私は「弥生時代はなかった」説ですが)の高床式建築の延長上に出雲大社本殿を位置付けず、「縄文建築の伝統を引き継いでいる」としているのはさすがです。

 48mの高さの当時としてはおそらく世界最高であった出雲大社本殿は、エジプト・メソポタミア・インダス・中国文明の「石造文明」とは異なる、縄文時代からの巨木「木造文明」の延長上にあり、さらに卑弥呼の邪馬壹国の「楼観」や吉野ヶ里遺跡や原の辻遺跡の「楼観」へと引き継がれ、奈良時代からの仏教寺院の塔や門、金堂、さらには安土桃山時代からの天主閣に引き継がれたと考えています。

 なお、私の子どもの頃は「竪穴式住居=縄文時代」、「高床式住居=弥生時代=渡来人」と習いましたが、縄文遺跡から高床式建物が見つかっており、どちらも縄文時代からの建築様式になります

 

4 縄文からの巨木建築は「雪の重み対策」か、「神名火山(神那霊山)信仰の高層拝殿」か?

 森浩一氏は縄文建築の伝統が出雲大社に引き継がれているという正しい判断を行う一方、それらの巨木建築の理由を「雪の重み」に耐えうるためとしているのは意できません。

 1993年に茅野市の阿久尻遺跡で蓼科山(女神山)を向いた縄文時代前期前半の19の方形柱穴列(巨木建築)が発掘され、1994年には青森市の三内丸山遺跡の6本柱巨木建築がみつかり、2000年には茅野市の中ッ原遺跡から8本柱巨木建築と仮面の女神像(国宝)が発見される以前であるという時代的制約から仕方ないともいえますが、出雲大社が縄文時代からの神名火山(神那霊山)信仰)や巨木信仰(神籬(霊洩木)を受け継いだ巨木神殿であることを森さんが見抜いていないのはなぜでしょうか?

 伐採から運搬、軸組加工、建設と膨大な人力を擁する巨木建築の建造となると、その部族民に共通の信仰がないと共同作業は不可能です。征服宗教である旧約聖書教(ユダヤ教・キリスト教福音派)やマルクス主義の影響を受けた西洋中心史観は、神名火山(神那霊山)を模した神山であるピラミッドやジグラットなどの巨大神殿を「古代奴隷制」による強制労働で建設されたとしてきましたが、部族社会の共同祭祀施設と見るべきであり、ピラミッド建設が奴隷労働によるものではないことは証明されています。

 戦前の天皇を神とした皇国史観への反省から、戦後の反皇国史観は宗教分析を排除するという傾向が見られますが、そのような中で考古学から日本神話の真偽を判断しようとした『日本神話の考古学』などの著書のある尊敬する森浩一さんが「雪の重み対策の巨木建築」説としたのは実に残念です。

 

5  八百万神信仰は「海神信仰」か、「地神信仰」か、「天神信仰」か?

 『出雲大社 八雲たつ神々の里』では出雲大社の西にある稲佐の浜で、海から竜蛇神があがり、八百万神が神籬(ひもろぎ:霊洩木)に乗り移り、本殿の西と東に並ぶ十九社と呼ばれる社に祀られ、1週間泊まって神事を行うと紹介されています。

 この神事はスサノオ・大国主一族の子孫たちが全国からこの地に集まり、八百万神の祖先霊を海の彼方の海底から迎える儀式であり、出雲族の死者の霊(ひ)は海人族の祖先の海に帰り、また戻ってくるという海神信仰を示しています。

 図11~15のように、出雲の海人(あま)族は、対馬暖流に乗って東北・北海道まで貝輪・ヒスイ・黒曜石の交易を広げた縄文海人族の子孫であり、「龍宮(琉球:始祖はアマミキヨ)→奄美→天草→甘木(天城)→天久保→天ヶ原(壱岐)→出雲」と移動し、さらに、近年、DNA分析でも出雲人が縄文系であることが証明されています。―「縄文ノート161 『海人族旧石器・縄文遺跡群』の世界遺産登録メモ」(230226)参照

 この出雲の稲佐の浜での「神迎え祭」や神々を見送る「神等去出(からさで)祭」は、長崎市や各地の海辺の市町村などで死者の霊(ひ)を精霊船に乗せて海に送り、お盆には各家に「精霊迎え」を行い、「精霊流し」で送り返すという神事のルーツの可能性があり、内陸部では川での「灯篭流し」やひな祭りの元である「雛流し」として行われています。

 一方、古事記は天御柱(後の出雲大社本殿の心御柱:神籬(霊洩木))を廻ってイヤナギ(伊邪那岐)・イザナミ(伊邪那美)が結ばれ、イヤナミの死後、イヤナギ(伊邪那岐)はイヤナミの霊(ひ)を出雲国と伯耆国の境の比婆山(霊場山)に葬ったとする天神信仰とともに、伊賦夜坂(揖屋)の黄泉比良坂(よもつひらさか)から地中の「黄泉国(よみにくに)」に訪ねたとする地神信仰も示しています。なお、黄泉=夜海であり、地底は暗い夜の海に繋がっていると考えていたと思われます。―『邪馬台国探偵団~卑弥呼の墓を掘ろう~』(アマゾンキンドル本)参照

 スサノオ・大国主一族の八百万神信仰が、海蛇を「龍蛇神」として祀り稲佐の浜で海から八百万神(祖先霊)を迎える海神信仰なのか、それとも、天御柱を廻っての結婚やイヤナミの霊(ひ)が神名火山(神那霊山)である比婆山(霊場山)に祀られる天神信仰なのか、あるいはイヤナギの「黄泉の国」訪問神話に見られる地神信仰なのか、どう整理できるかずっと考え悩んできました。

 私は、元々は死者を海に流す海人族の「海神信仰」であったものが、出雲に定着して死者を地中に葬るようになり「地神信仰」が生まれ、中国から道教の魂魄(魂と体)分離の宗教思想が伝わり「天神信仰」が生まれたと考えていましたが、縄文社会研究会で縄文社会研究から縄文人起源論へと進み、アフリカ東部湖水地方のルウェンゾリ山・ケニヤ山・キリマンジャロをルーツとする神山天神信仰をルーツとしてエジプトのピラミッドやメソポタミアのジグラット、インド・東南アジアなどの仏塔が生まれたと結論づけるに至りました。―ヒナフキンの縄文ノート「33 『神籬(ひもろぎ)・神殿・神塔・楼観』考」(200825)、「56 ピラミッドと神名火山(神那霊山)信仰のルーツ」(210213)、「57  4大文明と神山信仰」(210219)、「61 世界の神山信仰」(210312)参照

 さらにエジプト神話の始祖神ヌン(水の神:両性神)と天の女神ヌト、大地の神アトゥム(地母神)、メソポタミア神話の始祖神ナンム(海の女神)と天空神アン(アヌ)と大地の女神キの神話からみて、「海神信仰」「地神信仰」「天神信仰」はワンセットで東アフリカ湖水地方で生まれ、エジプトやメソポタミア、日本列島へと伝わったと考えています。―ヒナフキンの縄文ノート「90 エジプト・メソポタミア・インダス・中国文明の母系制」(210822)、「98 女神調査報告2 北方御社宮司社・有賀千鹿頭神社・下浜御社宮司神社」(210924)、「99 女神調査報告3 女神山(蓼科山)と池ノ平御座岩遺跡」(210930)参照

 

6  まとめ

 以上、NHKBSプレミアム『出雲大社 八雲たつ神々の里』を見たことをきっかけに、これまで書いてきたものを「出雲大社本殿は『直階段』か、心御柱(神籬=霊洩木)を中心とした『廻り階段』か?」「古出雲大社本殿は現在地にあったか?」「出雲大社本殿は『高床式建物』の延長か、『縄文巨木建築』の伝統か?」「縄文からの巨木建築は『雪の重み対策』か、『神名火山(神那霊山)信仰の高層拝殿』か?」「八百万神信仰は『海神信仰』か、『地神信仰』か、『天神信仰』か?」の5つの論点で整理しました。

 豊かで平和であったカナン(現在のパレスチナ)の侵略・虐殺・女性奴隷化・略奪を神の命令として正当化するために考え出された一神教の旧約聖書教(ユダヤ教とその影響下のキリスト教右派)が、母系制社会から父系制社会への転換をもたらし、ヨーロッパ・中東では宗教戦争を招き、アジア・アフリカ・アメリカの植民地化と奴隷貿易を思想的に支え、日本やベトナムなどの原爆・空爆ジェノサイドを正当化し、さらに現在、パレスチナを侵略したユダヤ人シオニストがガザ・ゼェノサイドを進めているのをみると、1万数千年前からの縄文人の平和な「全ての死者が神として祀られる八百万神」信仰が新たな輝きを増してくると考えざるをえません。

 私は縄文時代から続く「八百万神信仰の世界遺産登録」と、2世紀には世界最高であったと考えられる48mの「出雲大社本殿の復元」を提案してきましたが、『出雲大社 八雲たつ神々の里』から再度、整理を行いました。出雲を中心に各分野で議論いただければ幸いです。

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「縄文ノート182 人類進化を支えた食べもの」の紹介

2023-12-04 18:07:27 | 人類進化

 はてなブログに「縄文ノート182 人類進化を支えた食べもの」をアップしましたので紹介します。https://hinafkin.hatenablog.com/

 この間、人類進化について図書館で本を借りて読んでおり、まずは西田利貞氏の『新・動物の「食」に学ぶ』(2000.8)から、人類進化に果たした食物の役割について私の説を確かめてきました。

 西田氏のアフリカでのチンパンジーと狩猟民の調査からは多くを教えられ、本書は大型動物と小型動物の食性分析や大型霊長類が果食性から葉食性、雑食性へと分岐する分析などたいへん面白かったのですが、類人猿から人が生まれたことに食がどう関係しているのかの分析については疑問が残りました。

 私は女・子どもの採集・栽培・漁労活動による「糖質・DHA食」が鍵であると考え、「肉食進化説」「狩猟・戦争進化説」「オス主導進化説」の西洋史観を批判してきましたが、西田氏が「イモ食」に注目されたのは私と一致しますが、西洋史観から脱却できていないのは残念です。

 本ブログの「スサノオ・大国主建国論」としても、西アフリカから南・東南アジア高地を経て日本列島にまでやってきた縄文人のスサノオ・大国主一族の「八百万神信仰」の建国史の解明にあたり、縄文からの焼畑そば食について研究がさらに進むことを願っています。

 「縄文ノート109 日本列島そば好きラインー蕎麦と焼畑」(211121)では島根県飯石郡頓原町から1万年前の蕎麦の花粉が発見され、しかもその南には琴引山(言引山の可能性)があり、本ブログのスサノオ・大国主ノート「141 出雲大社の故地を推理する」(221027)、「145 岡野眞氏論文と『引橋長一町』『出雲大社故地』」(230110)では古出雲大社の本殿が琴引山を向いていることを明らかにしましたが、出雲ソバのルーツが縄文時代から続いていることを解明したいものです。 雛元昌弘

 

□参考□

<本>

 ・『スサノオ・大国主の日国(ひなのくに)―霊(ひ)の国の古代史―』(日向勤ペンネーム)

 ・『邪馬台国探偵団~卑弥呼の墓を掘ろう~』(アマゾンキンドル本)

 ・『奥の奥読み奥の細道』(アマゾンキンドル本)

<雑誌掲載文>

 2012夏「古事記」が指し示すスサノオ・大国主建国王朝(『季刊 日本主義』18号)

 2014夏「古事記・播磨国風土記が明かす『弥生史観』の虚構」(前同26号)

 2015秋「北東北縄文遺跡群にみる地母神信仰と霊信仰」(前同31号)

 2017冬「ヒョウタンが教える古代アジア”海洋民族像”」(前同40号)

 2017冬「スサノオ・大国主建国論1 記紀に書かれた建国者」(『季刊山陰』38号)

 2018夏「スサノオ・大国主建国論2 「八百万の神々」の時代」(『季刊山陰』39号)

 2018夏「言語構造から見た日本民族の起源」(『季刊 日本主義』42号)

 2018夏「スサノオ・大国主建国論3 航海王・スサノオ」(『季刊山陰』40号)

 2018秋「『龍宮』神話が示す大和政権のルーツ」(『季刊 日本主義』43号)

 2018冬「海洋交易の民として東アジアに向き合う」(前同44号)

 2019春「漂流日本」から「汎日本主義」へ(前同45号)

<ブログ>

 ヒナフキンのスサノオ・大国主ノート https://blog.goo.ne.jp/konanhina

 帆人の古代史メモ          http://blog.livedoor.jp/hohito/

 ヒナフキンの邪馬台国ノート      http://yamataikokutanteidan.seesaa.net/

 霊(ひ)の国の古事記論       http://hinakoku.blog100.fc2.com/

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「フェイスブック『卑弥呼王都=高天原』は甘木(天城)高台」の紹介

2023-11-25 18:15:37 | 邪馬台国

 Seesaaブログ「ヒナフキンの邪馬台国ノート」において、『邪馬台国ノート49 「卑弥呼王都=高天原」は甘木(天城)高台―地名・人名分析からの邪馬台国論』を2023年4月3日にアップしましたが、友人との議論のために加筆・修正し、フェイスブックのグループ「邪馬台国探究会」において雛元昌弘名で11月20日より毎日、1節ずつアップしています。

 「陸行水行呼子起点説」「正使陸行・副使水行説」、「奴国=野芥、不彌国=須久岡本遺跡説」、「消えた南陸行至邪馬壹国六百里説」、「卑弥呼(霊御子)の王都(高天原)甘木高台説」、「海の一大国(いのおおくに)に対する邪馬壹国(やまのいのくに)説」、「委奴(ふぃな)国王=イヤナギ・スサノオ・大国主8代説」、「4人のアマテル合体説」、「高天原筑紫日向(ひな)説」、「甘木―日田から笠沙・阿多への九州山地ニニギ天下り説」など、これまでにない新説から邪馬壹国の王都の位置を絞り込んでいます。

 私は縄文時代―弥生時代―古墳時代という「ドキドキバカ史観」を批判し、「土器時代―鉄器時代」という時代区分を提案していますが、この鉄先鋤による鉄器稲作時代を切り開いたのがスサノオ・大国主一族7代の「委奴国(いなのくに=ひなのくに)=葦原中国」の建国であることをこれまで『スサノオ・大国主の日国(ひなのくに)―霊(ひ)の国の古代史―』(梓書院)、『邪馬台国探偵団~卑弥呼の墓を掘ろう~』(アマゾンキンドル本)などで明らかにしてきました。

 本ブログの「スサノオ・大国主建国論」としても、大国主・鳥耳筑紫王朝や筑紫邪馬台国との関係は避けて通れないテーマであり、「ポスト大国主論」として、ご笑覧下さい。雛元昌弘

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「縄文ノート181 縄文石棒と世界の性器信仰」の紹介

2023-11-15 19:16:22 | 女神論

 はてなブログに「縄文ノート181 縄文石棒と世界の性器信仰」をアップしましたので紹介します。https://hinafkin.hatenablog.com/

 縄文文化・文明を論じる際、世界の中で「日本独自の縄文文化文明」という特殊性を強調する視点でみるか、それとも「アフリカ・アジア文化・文明を継承した縄文文化文明」という普遍的な視点でみるか、どちらの仮説で検証していくのかで分析結果は大きく異なってくると考えます。

 トルコのアナトリア遺跡の12000~8000年前頃の世界最古の神殿「ギョベクリ・テペ遺跡」(世界遺産)をネットで検索していて、13000〜11000年前頃の「カラハン・テペ遺跡」に「自然の岩盤から彫られた高さ2.4メートルほどの硬直した朱色の男根が十数個、青天井の小部屋に押し込められている」という記事を見つけました。

 さらに8500年前頃のチャタルホユック遺跡からは、ライオン像をあしらった手すりの玉座に座る豊かな乳房をもち、両足の間には赤ん坊を生み落している地母神像=女王像が見つかっているのです。

 縄文遺跡の石棒・男根型石棒と妊娠土偶・女神像がワンセットになったのと同じ宗教文化が、アナトリア遺跡にあったのです。それは女神に男根を捧げる母系制社会の宗教文化でした。

 単なる偶然の一致か、それとも人類共通の母系制社会の宗教が人類大移動とともに伝わったのか、多角的に検討しました。

 本ブログの「スサノオ・大国主建国論」としても、母系制社会の夜這い・妻問夫招婚による八百万神信仰のスサノオ・大国主一族の百余国の「委奴国(い(ひ)なのくに)」建国を世界史の中に位置付け、世界遺産登録を目指して欲しいと考えます。 雛元昌弘

□参考□

<本>

 ・『スサノオ・大国主の日国(ひなのくに)―霊(ひ)の国の古代史―』(日向勤ペンネーム)

 ・『邪馬台国探偵団~卑弥呼の墓を掘ろう~』(アマゾンキンドル本)

 ・『奥の奥読み奥の細道』(アマゾンキンドル本)

<雑誌掲載文>

 2012夏「古事記」が指し示すスサノオ・大国主建国王朝(『季刊 日本主義』18号)

 2014夏「古事記・播磨国風土記が明かす『弥生史観』の虚構」(前同26号)

 2015秋「北東北縄文遺跡群にみる地母神信仰と霊信仰」(前同31号)

 2017冬「ヒョウタンが教える古代アジア”海洋民族像”」(前同40号)

 2017冬「スサノオ・大国主建国論1 記紀に書かれた建国者」(『季刊山陰』38号)

 2018夏「スサノオ・大国主建国論2 「八百万の神々」の時代」(『季刊山陰』39号)

 2018夏「言語構造から見た日本民族の起源」(『季刊 日本主義』42号)

 2018夏「スサノオ・大国主建国論3 航海王・スサノオ」(『季刊山陰』40号)

 2018秋「『龍宮』神話が示す大和政権のルーツ」(『季刊 日本主義』43号)

 2018冬「海洋交易の民として東アジアに向き合う」(前同44号)

 2019春「漂流日本」から「汎日本主義」へ(前同45号)

<ブログ>

 ヒナフキンのスサノオ・大国主ノート https://blog.goo.ne.jp/konanhina

 帆人の古代史メモ          http://blog.livedoor.jp/hohito/

 ヒナフキンの邪馬台国ノート      http://yamataikokutanteidan.seesaa.net/

 霊(ひ)の国の古事記論       http://hinakoku.blog100.fc2.com/

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「縄文ノート180 阿久遺跡の調査の動き」の紹介

2023-11-01 17:42:18 | 縄文文明

 はてなブログに「縄文ノート180 阿久遺跡の調査の動き」をアップしましたので紹介します。https://hinafkin.hatenablog.com/

フェイスブック「八ヶ岳jomon楽会」で中村耕作さんの下記のような講演会が報告されており、「『はてなブログ:ヒナフキンの縄文ノート50・104・105・106・154・160・166』で書いていますが、縄文巨木文明と神山天神信仰を示す蓼科山を向いた巨木神殿群の復元と阿久遺跡の国営公園化(立石・石列の復元)、日本中央部縄文遺跡群の世界遺産登録を是非、進めていただきたいと思います。 縄文社会研究会・東京代表 雛元昌弘」というエールを送りました。

 日本中央部縄文遺跡群の世界遺産登録には、「森林巨木文明」「縄文芸術」「霊(ひ)信仰の神山天神信仰」「縄文農耕・縄文食(イモ・魚介の糖質・DHA食)」「縄文語」「縄文母系社会」などについて世界にアピールする若手研究者が何人も生まれる必要があると考えています。

 私としては、とりあえずこれまで書いてきた三内丸山遺跡・中ツ原遺跡の巨木建築、阿久尻遺跡の蓼科山を向いた方形巨木神殿群などの縄文巨木建築と紀元2世紀の48mの古出雲大社本殿、さらに3世紀の卑弥呼の「楼観」や原の辻遺跡・吉野ヶ里遺跡の巨木建築を連続した巨木文明として捉えるまとめに取り組むとともに、アフリカから日本列島へのY染色体D型人の大移動ルートでの国際交流を考えています。そして、諏訪や新潟の人たちとの交流も進めたいと考えています。

本ブログの「スサノオ・大国主建国論」としても、縄文巨木建築の伝統を受け継いだ48mの古出雲大社本殿などの世界遺産登録を目指していただきたいと考えます。世界史にスサノオ・大国主建国を位置付ける歴史・宗教・文化・建築学・人類学などの若い研究者が数多く登場することを願っています。 雛元昌弘

 

□参考□

<本>

 ・『スサノオ・大国主の日国(ひなのくに)―霊(ひ)の国の古代史―』(日向勤ペンネーム)

 ・『邪馬台国探偵団~卑弥呼の墓を掘ろう~』(アマゾンキンドル本)

 ・『奥の奥読み奥の細道』(アマゾンキンドル本)

<雑誌掲載文>

 2012夏「古事記」が指し示すスサノオ・大国主建国王朝(『季刊 日本主義』18号)

 2014夏「古事記・播磨国風土記が明かす『弥生史観』の虚構」(前同26号)

 2015秋「北東北縄文遺跡群にみる地母神信仰と霊信仰」(前同31号)

 2017冬「ヒョウタンが教える古代アジア”海洋民族像”」(前同40号)

 2017冬「スサノオ・大国主建国論1 記紀に書かれた建国者」(『季刊山陰』38号)

 2018夏「スサノオ・大国主建国論2 「八百万の神々」の時代」(『季刊山陰』39号)

 2018夏「言語構造から見た日本民族の起源」(『季刊 日本主義』42号)

 2018夏「スサノオ・大国主建国論3 航海王・スサノオ」(『季刊山陰』40号)

 2018秋「『龍宮』神話が示す大和政権のルーツ」(『季刊 日本主義』43号)

 2018冬「海洋交易の民として東アジアに向き合う」(前同44号)

 2019春「漂流日本」から「汎日本主義」へ(前同45号)

<ブログ>

 ヒナフキンのスサノオ・大国主ノート https://blog.goo.ne.jp/konanhina

 帆人の古代史メモ          http://blog.livedoor.jp/hohito/

 ヒナフキンの邪馬台国ノート      http://yamataikokutanteidan.seesaa.net/

 霊(ひ)の国の古事記論       http://hinakoku.blog100.fc2.com/

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「縄文ノート179 『ギガファイル便』での2つの資料公開」の紹介

2023-10-28 17:25:05 | 日本文明

 はてなブログに「縄文ノート179 『ギガファイル便』での2つの資料公開」をアップしましたので紹介します。https://hinafkin.hatenablog.com/

9月16日の「縄文ノート178 『西アフリカ文明』の地からやってきたY染色体D型日本列島人」から、別件で忙しくなり、1カ月半も休んでしまいました。

「仮説検証型」でいろいろ考えてきたことを確かめるため、この間、世界の女神信仰や縄文食について和食関係の本、イネのルーツなど植物遺伝学の佐藤洋一郎氏の著作、霊長類・人類学の伊谷純一郎らの著作を読んできましたが、いずれ「西アフリカ熱帯雨林人類誕生説」「半身浴直立歩行・手機能発達説」「糖質・DHA食(いも魚介食)・母子おしゃべり頭脳発達説」「米・雑穀食文化・もち食文化西アフリカ起源説」「粉食文化東アフリカ湖水地方起源説」「神山天神信仰アフリカ起源説」「黒曜石文化東アフリカ湖水地方起源説」「西アフリカ文明説」「人類起源母系社会説」「縄文母系社会説」などについて、各論を充実させたいと考えています。

 なお、7月19日の縄文社会研究会・東京で報告しましたパワーポイントの「縄文は母系制社会だった」と、その後にまとめた「ヒナフキンの縄文ノート178 『西アフリカ文明』の地からやってきたY染色体D型日本列島人」をギガファイル便で公開しましたので、添付のURL(アドレス)からダウンロード可能です。

 本ブログの「スサノオ・大国主建国論」としても、西アフリカから南・東南アジア高地を経て日本列島にまでやってきた縄文人のスサノオ・大国主一族の八百万神信仰の建国史について、世界遺産登録を目指し、世界に発信すべきと考えます。世界史にスサノオ・大国主建国を位置付ける歴史・宗教・文化・建築学・人類学などの若い研究者が数多く登場することを願っています。 雛元昌弘

 

□参考□

<本>

 ・『スサノオ・大国主の日国(ひなのくに)―霊(ひ)の国の古代史―』(日向勤ペンネーム)

 ・『邪馬台国探偵団~卑弥呼の墓を掘ろう~』(アマゾンキンドル本)

 ・『奥の奥読み奥の細道』(アマゾンキンドル本)

<雑誌掲載文>

 2012夏「古事記」が指し示すスサノオ・大国主建国王朝(『季刊 日本主義』18号)

 2014夏「古事記・播磨国風土記が明かす『弥生史観』の虚構」(前同26号)

 2015秋「北東北縄文遺跡群にみる地母神信仰と霊信仰」(前同31号)

 2017冬「ヒョウタンが教える古代アジア”海洋民族像”」(前同40号)

 2017冬「スサノオ・大国主建国論1 記紀に書かれた建国者」(『季刊山陰』38号)

 2018夏「スサノオ・大国主建国論2 「八百万の神々」の時代」(『季刊山陰』39号)

 2018夏「言語構造から見た日本民族の起源」(『季刊 日本主義』42号)

 2018夏「スサノオ・大国主建国論3 航海王・スサノオ」(『季刊山陰』40号)

 2018秋「『龍宮』神話が示す大和政権のルーツ」(『季刊 日本主義』43号)

 2018冬「海洋交易の民として東アジアに向き合う」(前同44号)

 2019春「漂流日本」から「汎日本主義」へ(前同45号)

<ブログ>

 ヒナフキンのスサノオ・大国主ノート https://blog.goo.ne.jp/konanhina

 帆人の古代史メモ          http://blog.livedoor.jp/hohito/

 ヒナフキンの邪馬台国ノート      http://yamataikokutanteidan.seesaa.net/

 霊(ひ)の国の古事記論       http://hinakoku.blog100.fc2.com/

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縄文ノート178 「西アフリカ文明」の地からやってきたY染色体D型日本列島人 4/4

2023-09-16 11:37:13 | 縄文文明

5 西アフリカで「命(DNA)の祭典」「人類誕生の祭典(マザーランド・フェスティバル、バースランド・フェスティバル)」を

⑴ 海人(あま)族と山人(やまと)族~日本列島への移動ルート

 Y染色体亜型、言語(言語構造、倭音倭語、農耕・食物語、宗教語、性器語)、食物・食文化(イモ・イネ・雑穀、モチモチ・ネバネバ食、ソバ・豆)、霊(ひ)宗教の総合的な分析から、Y染色体D型人はニジェール川流域の「西アフリカ熱帯雨林」で誕生し、ヒョウタンなどを持ってコンゴ川を遡り、東アフリカ湖水地方に移住し、アフリカの角(ソマリアとエチオピア)から中央・南・東南アジアを通り、Y染色体O型人と交わり「海・海辺の道」を通って竹筏と丸木舟で日本列島にやってくるとともに、Y染色体D型人の一部は東インド・ミャンマー高地からチベットを経てモンゴル・シベリアを経由して北海道に渡り、日本列島人で合流したと結論づけました。―縄文ノート66 竹筏と「ノアの箱筏」(210405・6)、「63 3万年前の航海実験からグレートジャーニー航海実験へ」(210324)、「152 朝鮮ルート、黒潮ルートか、シベリアルート、長江ルートか?」(220918)参照

 以上の分析から、縄文人は海人(あま)族(漁労・水辺栽培民)と山人(やまと)族(狩猟・焼畑民)の2つの文化を持って日本列島にやってきたと考えます。

 縄文人の海人(あま)性としては、琉球から北海道にかけて貝輪とヒスイ(霊吸い)、黒曜石の交易(妻問夫招婚の贈物)の交易を行い、さらに朝鮮半島・シベリアとも黒曜石交易は広がり、丸木舟を作る丸ノミ石斧は東南アジアから琉球・九州に分布し、曽畑式土器もまた琉球から九州、朝鮮半島南部へと交流や往来があったことを示しています。―縄文ノート「27 縄文の『塩の道』『黒曜石産業』考」(200729→1216)、「144 琉球の黒曜石・ヒスイ・ソバ・ちむどんどん」(220627)、「161 『海人族旧石器・縄文遺跡群』の世界遺産登録メモ」(230226)参照 

 この海人(あま)族のルーツは西アフリカのニジェール川流域と海岸で半身浴(Half body swimming)により魚介類やカエル・ヘビ・トカゲ・ワニなどを食べていた人類誕生から始まり、さらにコンゴ川を遡り東部湖水地方で暮らし、神山天神信仰や銛・黒曜石文化を携え、インド洋から東南アジアの海岸・河川で水芋(里芋)や水稲の水辺農耕を行い、霊(ひ:pee)信仰や性器信仰、龍神(トカゲ龍)信仰を育み、竹筏と丸木舟で日本列島に移動したと考えられます。

 一方、東インド・ミャンマー・タイ・ラオス・雲南高地の照葉樹林帯に移動した山人(やまと)族は、イモ・ソバ・マメなどの焼畑農耕や寒冷地に適した温帯ジャポニカを育てるとともに、イモもちや米もち、納豆などの「モチモチ・ネバネバ食文化」や神山天神の霊(ひ)信仰を育みます。

 両者は西インド・ミャンマーで交流・交易を続け、共同で東南アジアから日本列島へ竹筏と丸木舟でやってきたと考えれ、縄文人はこの海人族と山人族の両方の文化を受け継ぎ、それが古事記の海幸彦(漁師:海人)と山幸彦(猟師:山人)の兄弟部族の対立と共同の歴史に反映したと考えられます。

 私はスサノオ・大国主一族の米鉄交易による建国から縄文社会研究に入ったため、縄文人の海人族性に注目して分析してきましたが、Y染色体D型人の照葉樹林帯文化や焼畑農耕、長野県和田峠・星糞峠や福島県高原山の黒曜石原産地遺跡などを検討するようになり、縄文人は海人族と山人族からなると考えを変えるに至りました。―縄文ノート「44 神名火山(神那霊山)信仰と黒曜石」(201014→210120)、「67 海人(あま)か山人(やまと)か?」(210409)参照

 なお、縄文遺跡が東日本に多いことから、縄文人北方起源説がみられますが、全国各地で地域計画や都市計画をやってきた私の経験からみれば、この説は西日本において縄文遺跡が市街化によって埋もれた可能性を無視した非科学的な説と言わざるをえません。

 縄文海人族が暮らした海辺は現在の漁村集落となり、縄文山人族が暮らした西日本の川沿いの丘陵部では市街化が進んでいるのです。市町村の土地利用計画で新たに住宅地・工業団地の適地を探すとそこにはだいたい縄文遺跡の上に弥生遺跡があって開発ができなかった経験からみて、縄文人にとって居住条件のいいところは古代から中世、近世・近代にかけて宅地として継続されていたに違いないのです。

 発掘された遺跡・遺物だけからの判断は、考古学者の侵しがちなタダモノ(唯物)主義の「サンプル誤差」と言わざるをえません。

 出雲から金属器が発見されていないことから出雲を未開の地として出雲神話を後世の創作と決めつけた考古学・歴史学は、荒神谷遺跡と加茂岩倉遺跡により出雲が日本最大の青銅器の集積地であったことによりひっくり返ったにも関わらず、なんらの反省もなくスサノオ・大国主建国史をいまだに認めず、大和中心史観・天皇中心史観を振り回しています。そのタダモノ(唯物)主義の「建国史ねつ造」の批判・反省のないままに、「縄文東日本中心説」「縄文人北方起源説」がまかり通っていますが、そろそろ卒業してはどうでしょうか? ―縄文ノート「27 縄文の『塩の道』『黒曜石産業』考」(200729→1216)、「117 縄文社会論の通説対筆者説」(220107) 

 

 

⑵ 「Y染色体亜型アフリカ単一起源説」か「メソポタミア中継分岐説」か?

 さらにY染色体D型・O型の縄文人のアフリカからの移動の歴史を辿ると、西欧中心史観(白人中心史観、肉食進歩史観)や中華中心史観(揚子江流域稲作起源説、中国からのY染色体C型・O型拡散説)のインチキが浮かび上がってきます。

 いずれも、西欧人も中国人もアフリカの黒人がルーツであることから歴史を明らかにしようとしていない傾向です。西欧中心史観はユダヤ人の旧約聖書の影響やアフリカ・アジア植民地支配正当化の意識から、人類誕生をメソポタミアあたりから論じたり、人類進歩図を石先槍を持った白人男性像で描き、人類進歩を武器と征服戦争で論じ、中華中心史観は揚子江流域で温帯ジャポニカから熱帯ジャポニカ・インディカが生じた、中国からアジアにY染色体C型・O型人が拡散した、中国人から日本人が派生したなどとする説も見られます。―縄文ノート「68 旧石器人・中石器人は黒人」(210410)、「71 古代奴隷制社会論」(210429)参照

 また神がアダムとイブを創ったとするチグリス・ユーフラテス川沿いの「エデンの園」を人類誕生の地としたい旧約聖書教の影響を受け、メソポタミアの地でF型から北のトルコへG・I・J・R型が、東へN・O・Q型が分岐したという説(崎谷満;図50、Ⅾ型・E型のルーツを東アフリカに置いている)が見られます。

 このような「人類進化メソポタミア中継分岐説」に対して、C型から分岐したY染色体D型・O型の日本列島人やj型・I型、R型などのアフリカからの移動からみて、図51に示すように私はアフリカにおいて人類の基本的な脳力・言語・食・文化・宗教の原型は完成し、その後に中東、南・東南・東アジア、ヨーロッパへ移動したと考える「人類進化アフリカ起源説」です。

 Y染色体D型がナイジェリアで3人見つかっていることからみても、今後、分析がアフリカで進めば、C型・F型・K型・P型・Q型・N型などもアフリカで見つかる可能性があると考えます。

 

⑶ 西アフリカで「命(DNA)の祭典」「人類誕生の祭典」を!

 今、アメリカを中心とした欧米中心の経済・政治・軍事のグローバリゼーションに対抗し、ロシアや中国、トルコ、イランなど、各国ではそれぞれの歴史的アイデンティティを過去の最大の帝国版図に求める帝国復古主義者や「神の国」建国を求める旧約聖書原理主義者などの動きとともに、旧植民地国では「グローバルサウス」の連帯が生まれてきています。

 このような時こそ、どの民族も元をたどればアフリカ黒人のDNA・言語・食・文化・宗教をルーツとしているという人類史の原点に立ち返り、「アフリカン・ファースト:もとはみんな黒人であった」という「DNA・言語・食・文化・宗教のグローバリゼーション」から未来を考えるべきではないでしょうか? 自然・いのちをなによりも大事にする共通価値感の形成に向けて人類誕生からの歴史から学ぶべきと考えます。

 大西洋奴隷貿易により西アフリカの奴隷海岸などからアメリカ大陸に売り飛ばされて強制労働させられた黒人は1200~300万人とされており、その多くは殺されたもののアメリカ合衆国にはアフリカ系黒人が約3900万人(12%)、ブラジルには黒人系1600万人・混血10900万人、ハイチにはアフリカ系1050万人・混血50万人、ドミニカにはアフリカ系80万人・混血560万人、キューバには220万人、アルゼンチンには黒人5万人・アフリカ系200万人などざっと7000万人以上のY染色体E型人がおり、中には日本人に多いY染色体D型人も含まれる可能性が高いと考えます。

 父親がベナン人の八村塁バスケ選手や父親がベナン人のサニブラウン短距離走選手、父親がハイチ系アメリカ人の大阪なおみテニス選手、父親がジャマイカ系アメリカ人のハリス米副大統領、タレントのボビー・オロゴンさん(ナイジェリア出身)、オスマン・サンコンさん(ギニア出身)、父親がアフリカ系アメリカ人の副島淳さんなど、西アフリカのY染色体E型人をルーツとしている人達に親近感を感じずにはおれません。

 特に西アフリカから東に進んだY染色体D型縄文人と、西アフリカからアメリカ大陸に連行されたY染色体E型奴隷の子孫(奴隷海岸から運ばれた人の中にはD型人が混じっている可能性あり)のうち日本にやってきた人たちが数万年の歴史をへて日本列島で出会った、という地球一周の壮大なドラマを追究したくなってきています。

 アメリカでは進化論を信じない人が4割と言われていますが、DNA的に兄弟といっていい東に進んだⅮ型人と西に進んだE型人(中にはD型人も)の日本列島での出会いは、旧約聖書の迷信を打破するいいきっかけになると考えます。アレックス・ヘイリーの『ルーツ』のように、このようなテーマに取り組んでもいいというアメリカ大陸から日本にやってきた黒人あるいはハーフの方をご存じでしたら是非、話してみて下さい。

 「縄文ノート76 オリンピックより「命(DNA)の祭典」をアフリカで!」(210527)で私は提案しましたが、人種差別・民族紛争・宗教対立を乗り越えるために、国連が主導して西アフリカにおいて世界平和に向けて「命(DNA)の祭典」「人類誕生の祭典(マザーランド・フェスティバル、バースランド・フェスティバル)」を開催すべきではないでしょうか? オリンピックや万博など競争の祭典ではなく、世界の人種・民族のルーツの共通性を確認する祭典です。

 Y染色体D型・O型の日本列島人のアフリカからの歴史解明はその先駆けとなるべきであり、若い世代の総合的な国際的な研究を期待したいと思います。

 わが国は縄文人のDNA・文化から、西・中央部・北アフリカ諸国・インド・東南アジア諸国やアメリカ大陸の黒人との交流・連携を深めるとともに、特に、スサノオ・大国主建国、大和朝廷からの朝鮮・中国との交易・交流・連携の歴史を大事にし、格差・分断・対立・戦争を乗り越える世界平和の実現に寄与すべきと考えます。

 

 

 

 

 

 

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縄文ノート178 「西アフリカ文明」の地からやってきたY染色体D型日本列島人 3/4

2023-09-16 11:37:13 | 縄文文明

4 宗教からみた日本人のルーツ

 言語論と同じように、宗教から日本人のルーツを探究する場合もまた、世界宗教の仏教、キリスト教、イスラム教以前に世界各地にあった宗教から論じる必要があります。

 例えば、わが国においては子宝祈願や安産、誕生後のお宮参り、七五三の子どもの成長祈願、豊作祈願・病気治癒・疫病退散・交通安全などは神道、葬式は仏教、結婚式は神社・教会などと国民の宗教活動・行事は混在しています。

 かつて祖父母の家には大黒柱横の長押(なげし)に神棚が置かれ、座敷には仏壇があり、庭には石の祠があって屋敷神・地主神が祀られ、竃にはお札が貼ってありました。地域の神社・寺社という共同宗教施設とともに、各家にも神棚・仏壇や祠の祭壇があったのです。

 宗教から日本人のルーツを考えるにあたっては、3大世界宗教以前の各国・地域の宗教から見ていく必要があります。

 

⑴ 縄文人の霊(ひ:死霊・祖先霊)信仰

 仲間が死ぬと動物たちが悲しむ様子を見せる例は多数報告されています。人類もまた同じで、南アフリカのライジングスター洞窟で発見された埋葬と線画の痕跡は絶滅した人類「ホモ・ナレディ」によるもので34〜24万年前頃と推定されており、ホモ・サピエンスの最古の埋葬跡は8万年前頃とされています。

 採集・栽培・漁労・狩猟生活を行っていた縄文人の宗教については、自然の恵みを願う自然信仰であったと説明されることが多いのですが、動物と人類の歴史に照らすなら人の生や死に関わる宗教が一番の基本であったと考えられます。

 今のところ、人類最古の神殿は12000~8000年前のトルコの「ギョベクリ・テペ」とされていますが、メソポタミアの7000~5000年前頃の「ジッグラト」(日乾煉瓦の巨大な聖塔)とともに、6700~6450年前頃の「阿久尻遺跡方形柱穴列」や6000~5500年前頃の「阿久遺跡の立石・石列」は最古級の祭祀施設であり、「阿久遺跡環状列石」は世界最古の大規模な集団墓地と考えられます。

 その宗教がどのようなものであったのかは、古事記が「二霊(ひ)群品の祖」として「高御産巣日(たかみむすひ)神・神産巣日(かみむすひ)神」とし、日本書紀が「高皇産霊(たかみむすひ)神・神皇産霊(かみむすひ)神」としていることからみて、「霊(ひ)を産む神」を信仰していたことから想定することができます。

 「人=霊人(ひと)」「彦=比古=霊子(ひこ)」「姫=比売=霊女(ひめ)」「卑弥呼=霊巫女=霊御子(ひみこ)」から見て、「人=霊人(ひと)」は「霊(ひ:祖先霊)を受け継ぐ者=物」であり、遺体を朱で覆い子宮に見立てた「柩・棺=霊継(ひつぎ)」は霊を継ぐ入れ物であり、全ての死者は「八百万神(やおよろずのかみ)」としてその霊を祀られ子孫たちへと「霊継(ひつぎ)」が行われたのです。

 私は『スサノオ・大国主の日国(ひなのくに)―霊(ひ)の国の古代史―』の原稿を出雲の級友・馬庭昇君に送ったところ、出雲では女性が妊娠すると「霊(ひ)が留まらしゃった」と言うと教えられ、さらに調べると「昔の茨城弁集」では死産を「ひがえり、ひがいり」(霊帰り)としているのです。―縄文ノート「10 大湯環状列石と三内丸山遺跡が示す地母神信仰と霊(ひ)信仰」(200307)、「15 自然崇拝、アニミズム、マナイズム、霊(ひ)信仰」(190129→200411)、「34 霊(ひ)継ぎ宗教(金精・山神・地母神・神使文化)」(150630→201227)、「74 縄文宗教論:自然信仰と霊(ひ)信仰」(210518)参照

 舘野受男(元敬愛大教授)からは「栃木の田舎では、クリトリスのことを『ひなさき』といっていた」と言われ、平安時代中期に作られた辞書「和名類聚抄(わみょうるいじゅしょう)」を調べるとクリトリス(陰核、さね)のことを「ひなさき(吉舌、雛尖、雛先)」と書いていたのです。「霊(ひ)」が留まる場所の「霊那(ひな)」の先が「ひなさき」だったのです。―「縄文ノート38 『霊(ひ)』とタミル語peeとタイのピー信仰」(201026)参照

 そして、そのルーツを捜すと、沖縄や鹿児島では、女性の性器を「ぴー、ひー」と、熊本では「ひーな」と呼んでいたのです。―「縄文ノート94 『全国マン・チン分布考』からの日本文明論」(181204→210907)参照

 古代人は妊娠や子が親や祖父母に似るDNAの働きを、霊(ひ)が女性器(ピー・ヒー・ヒナ)に宿り受け継がれると考え、王位継承を「霊継(ひつぎ:日継)と称していたのです。倭音倭語が原日本語であることからみて、その起源は縄文人から受け継いだとみられるのです。

 

⑵ ドラヴィダ族、雲南省イ族、タイ農村部、チベット、ビルマ、卑南・匈奴・鮮卑の「ピー」信仰

 この「霊(ピ・ヒ)」信仰がアジアに広く存在する可能性に気付いたのは、大野晋氏の『日本語とタミル語』でタミル語の「pee(ピー)」が「自然力・活力・威力・神々しさ」を表していることからでした。―「縄文ノート38 霊(ひ)とタミル語pee、タイのピー信仰」(201026)参照

 さらに佐々木高明氏(元奈良女大教授)は『山の神と日本人―山の神信仰から探る日本の基層文化』の中で、「ピー・モ」と「ピー信仰」について大林太良氏の『葬制の起源』を引用し、「死者の霊魂が村を見下ろす山の上や霊山におもむく『山上霊地の思想』がわが国に広く分布する」「この種の山上他界観の文化系統を考える上で目を引くのは、中国西南部の山地焼畑農耕を営む少数民族の人たちである」とし、雲南省のロロ族(夷族・倭族、烏蛮)の「ピー・モ」(巫師)は「なんじ死霊は今からロロ族の故郷である大涼山に到着するまで長い旅立ちをしなければならない」と何度も繰り返し唱えることなどを紹介しています。そして、この死霊(祖霊)が聖なる山に集まるという山上(中)他界の観念や習俗は中国南部から東南アジアの照葉樹林帯の焼畑民の間に広く存在し、水田稲作民に伝えられたとしています。

 文化人類学者の岩田慶治氏のタイの農耕民社会に広く見られるピー(先祖、守護神)信仰についても紹介し、「浮動するピー」「去来するピー」「常住するピー」の3段階があり、「常住するピー」は屋敷神として屋敷地の片隅に祀られるというのです。これは両祖父母の家にあった祠とそっくりです。

 また、大林太良著『民族の世界史4 中央ユーラシアの世界』によれば、7世紀にチベット高原を支配していた「吐蕃王家」のニャティ・ツェンポ王の父もしくは祖父は「ピャー」と呼ばれ、敦煌資料では一族の神は「ピャーのうちのピャー」と呼ばれていたとされています。―「縄文ノート128 チベットの『ピャー』信仰」(220323)参照

 さらに『東南アジア史Ⅰ 大陸部』では、ミャンマーのイラワジ川沿いに「ピュー人」の記載があり、ウィキペディアは「ピューは他称で、漢文史料の「驃」「剽」などの表記、ビルマ語のピュー(Pyu)に由来する。古くはPruと発音され、『ハンリン・タマイン(由来記)』には「微笑む」を意味するPrunに由来すると記されている」としていますが、チベット・ビルマ語系の「ピュー」の語源がオーストロアジア語族のモン語の「Prun:微笑む」であるという説には疑問があり、「ピュー」はチベットの「ピャー(祖先霊)」信仰からきている可能性が高いと考えます。―「縄文ノート132 ピュー人(ミャンマー)とピー・ヒ信仰」参照

 台湾に少数民族の「卑南族」(現地ではピューマ、呉音ではヒナ・ヒナン)がいることは「縄文ノート91 台湾・卑南族と夜這い・妻問夫招婚の『縄文1万年』」でも紹介しましたが、「匈奴」も「ヒョン・ナ」「フンナ」「フンニ」「ションヌゥ」「ヒュン・ノ」などと発音されており、「あいういぇうぉ」5母音だと「ヒュン=ヒョン」になり、チベットを経由し「ピャー」「ピュー」信仰を伝え、同じ遊牧民の鮮卑(センピ)もまたその国名から「ピー・ヒ」信仰であった可能性があります。―「縄文ノート149 『委奴国』をどう読むか?」(220905)参照

 なお、柳田圀男の実弟の民俗研究者の松岡静雄は『日本古語大辞典』において次のように解説しています。

「ヒ族:上代ヒという種族名が存したらしい。ヒイ、もしくはイヒとして、地名、神名等に残る」

・「イヒ族:イヒ川、イヒ田、イヒ森などの地名が諸国に存在する。この種族がヒナともヒダとも呼ばれ、或いはシナ、シダと称えられ、エミシ、エビス、エゾとして知られ、この国の至る所に蕃息していた」

・「ヒナ(夷):ヒ(族名)ラ(接尾語)の呼称。この種族はキ(紀)、アマ(海人)よりも先にこの国に渡来し、原住民コシ(高志)を征服したが、自己もまた新来者によって駆逐せられた」

 邪馬壹国と同時代の後漢霊帝の中常侍(ちゅうじょうじ)の李巡(りじゅん)は東夷9国を「八倭人、九天鄙(テンヒ:あまのひな)」と書いていることからみて、スサノオ・大国主の「委奴国」は「ふぃな(いな、ひな)のくに」であったと私は考えています。―『スサノオ・大国主の日国(ひなのくに)―霊(ひ)の国の古代史―』、「縄文ノート149 『委奴国』をどう読むか?」(220905)参照

 以上の「霊(ひ)」信仰の考察は全て一部の2次資料による仮説であり、今後、各国の歴史・民俗・宗教の研究による検証を求めたいと思います。

 

⑶ 「ポンガ」の赤米・カラス行事

 大野晋氏の『日本語とタミル語』からは南インドで体験したドラヴィダ族の「ポンガロー、ポンガロー」の行事が青森・秋田・茨城・新潟・長野の「ホンガ ホンガ」「ホンガラ ホンガラ」の宗教的な繋がりがあることを教えられました。

 大野氏は南インドに始めて調査に出かけた時、1月15日の「ポンガル」の祭りを体験しますが、一方の土鍋には粟と米(昔は赤米)と砂糖とナッツ、もう一方の土鍋には米と塩を入れて炊き、沸騰して泡が土鍋からあふれ出ると村人たちは一斉に「ポンガロー、ポンガロー」と叫び、カラスを呼んで与えるというのです。そして、日本でも青森・秋田・茨城・新潟・長野に小正月(1月15日)にカラスに餅や米、大豆の皮や蕎麦の殻、酒かすなどを与える行事が残り、「ホンガ ホンガ」「ホンガラ ホンガラ」と唱えながら撒くというのであり、インド原住民のドラヴィダ族の小正月の「ポンガ」の祭りが日本にまで伝わっているのです。私は縄文土器の縁飾りはこの「泡立ち=ポンガル」を表現しているのではないかと考えています。―縄文ノート「29 『吹きこぼれ』と『おこげ』からの縄文農耕論」()、「41 日本語起源論と日本列島人起源」(200918→210112)、「108 吹きこぼれとポンガ食祭からの縄文農耕説」(211116)参照

 この大野氏の本を読んで私は納得したことがあるのですが、村づくりの仕事で通った群馬県片品村で赤飯を地面に投げつける花咲地区の「猿追い・赤飯投げ祭り」と越本地区の赤飯を取り合い地面にこぼす赤飯が多いほど豊作になるという「にぎりっくら」の2つの奇妙な祭りがあり、その意味を考え続けていたのですが、やっと元々の祭りはカラスに赤飯を与える神事だった可能性がでてきたのです。―縄文ノート「9 祖先霊信仰(金精・山神・地母神信仰)と神使文化を世界遺産に」(150630)、「34 霊(ひ)継ぎ宗教論(金精・山神・地母神・神使)」(150630→201227)参照

 さらに、「縄文ノート73 烏帽子(えぼし)と雛尖(ひなさき)」(210510)で書きましたが、「平安時代から近代にかけて和装での礼服着装の際に成人男性が被った烏帽子(えぼし)」について、中国の中国唐代の「烏沙(うしゃ)帽」の真似をしたとされているのですが、そもそも名前も形も異なり、何より特徴的なのは前に「雛尖(ひなさき:クリトリス)」「雛形」「雛頭」を付け、女性器信仰を示していることです。

 「烏」は住吉大社、熊野大社、厳島神社などスサノオ一族の神社で神使とされているのですから、烏帽子は唐の「烏沙 (うしゃ) 帽」の真似をしたというより、紀元1・2世紀のスサノオ・大国主建国より前から続くカラス信仰をそのルーツとしている可能性が高いと考えます。

 土器鍋で赤米を炊いて「ポンガロー、ポンガルー」と吹きこぼれに歓声をあげるというのは、人類がイモや穀類などの糖質食の料理革命に大きなインパクトを受けたことを示しており、吹きこぼれを示す縄文土器の縁飾りも同じです。しかも炊いた赤米を最初にカラスに与えるというのは、カラスが死者の霊(ひ)を高山(神名火山=神那霊山)から天に運ぶという宗教がドラヴィダ族にあり、わが国にも伝わっていた可能性が高いと考えます。

⑷ 「神山天神信仰」

 記紀によると伊邪那美(いやなみ)は死後、遠く離れた出雲国と伯伎国の堺の比婆山(ひばのやま)(霊場山)に葬られたとする一方、伊邪那岐(いやなぎ)は揖屋(いや)(松江市の西)の「黄泉の国」に訪ねていって腐敗したイヤナミの死体を見たとしています。この記載は死者は大地に帰るとともに、その霊(ひ:魂=玉し霊)は神名火山(かんなびやま)(神那霊山)から天に昇ったとする魂魄分離(こんぱくぶんり)の宗教思想があったことを示しています。

 天之御中主神から始まり、群品の祖である「二霊(産霊夫婦:高御産霊神、神産霊神)」を始め、大国主神や伊邪那伎大神・伊邪那美大神や大物主(おおものぬし)大神・猿田毘古(さるたひこ)大神、天照(あまてる)大御神や迦毛(かも)大御神(阿遲鉏高日子根(あじすきたかひこね)神)など多くの神々が登場する「八百万神」信仰は、全ての死者が神として祀られる宗教を示しています。人々は記憶に残る人がどこか別世界に生きているのではないかと考え、親と子が似るというDNAの働きを霊(ひ)が受け継がれると考えたのです。

 ではこの死者の霊(ひ)が神山(神名火山:神那霊山、円錐形のコニーデ式火山)の山上から天に昇るという神山天神思想はいつに遡るのでしょうか?

 その手掛かりは、環状配石の中央に石棒をたてそこから蓼科山に向かって石列のある6000~5500年前頃の阿久遺跡と、その南の19の方形巨木柱列が蓼科山を向いた6700~6450年前頃の阿久尻遺跡、八甲田山を向いた6本柱巨木神殿のある5900-4200年前頃の三内丸山遺跡にあり、神名火山(神那霊山)信仰が縄文時代に遡ることは明らかです。―縄文ノート「35 蓼科山を神名火山(神那霊山)とする天神信仰」(200801→1228)、「104 日本最古の祭祀施設」(211025)、「105 世界最古の阿久尻遺跡の方形巨木柱列群」(211030)参照

 この神山天神信仰のルーツはどこになるのでしょうか? その手掛かりは上2/3が白く下1/3が赤いギザのメンカウラーのピラミッドにありました。ピラミッドは王の墓と考えられてきましたが、表面を白にしたのは万年雪を抱く神山を模したものであり、そのルーツは「母なるナイル」源流の「月の山」ルウェンゾリ山、「神の山」ケニヤ山、「神の家」キリマンジャロにあったのです。―縄文ノート「56 ピラミッドと神名火山(神那霊山)信仰のルーツ」(210213)、「158 ピラミッド人工神山説:吉野作治氏のピラミッド太陽塔説批判」(230118)参照

 「王家の谷」が王墓として選ばれたのは、「母なるナイル」をさかのぼった中流にピラミッド型の山があったからであり、さらにルクソール神殿やホルス神殿、アスシンベル神殿が建てられたのはエジプト人のルーツがナイル上流にあったことを示しています。

 さらにエジプト文明だけでなくメソポタミア・インダス・中国文明にも神山信仰があり、メソポタミア文明のジッグラトは「高い所」を意味する聖塔で、自然の山に対する「クル(山)信仰」が起源で基壇上に月神ナンナルの神殿があり、ティグリス・ユーフラテス川源流域のアララト山は「ノアの箱舟」伝説のある聖山なのです。インダス文明にはンダス川・ガンジス河源流に聖山「カイラス山(スメール山:須弥山)」があり、仏教(特にチベット仏教)・バラモン教・ヒンドゥー教などの聖地とされ、中国では泰山など五岳が神格化され、泰山では帝王が天と地に王の即位を知らせ、天下が泰平であることを感謝する封禅(ほうぜん)の儀式が行われてきました。―「縄文ノート57 4大文明と神山信仰」(210219)参照

 それだけでなくミャンマーやインドネシア、古代マヤ文明、アンデス文明にも神山信仰とピラミッド型神殿が見られ、アフリカを起点とした神山天神信仰が人類大移動とともに世界に拡散したと考えられます。―「縄文ノート61 世界の神山信仰」(210312)参照 

 西アフリカに隣接する「偉大な山」カメルーン山は頂上が吹き飛ばされる前はきれいなコニーデ火山で万年雪を抱く神名火山(神那霊山)であった可能性があり、西アフリカのY染色体D型人はカメルーン山を信仰していた可能性があるとともに、コンゴ川にそって東アフリカ湖水地方に移動し、ルウェンゾリ山やケニヤ山・キリマンジャロに対して神山天神信仰を抱き、インド・東南アジアを経て日本列島にやってきた可能性が高く、Y染色体E1b1b型人はナイル川を下ってエジプト文明を作ったと考えます。―「縄文ノート70 縄文人のアフリカの2つのふるさと」(210422)参照 

 なお、日本には神山を模したピラミッドはありませんが、姫路市の播磨総社(祭神はスサノオの子の五十猛と7代目の大国主)では竹と布と松で全国から神々を呼び寄せる20mの「置山」を作る20年に1回の「三つ山祭」、60年に1回の「一つ山祭」が行われており、そのルーツは古事記に書かれた出雲大社の前に置かれた「青葉山」と考えられます。―縄文ノート31 大阪万博の『太陽の塔』『お祭り広場』と縄文」(201223)参照

 この置山に車を付け、スサノオの霊を京都に運んだのが京都の祇園祭の「山鉾」であり、各地の山車、曳山、山鉾、担ぎ山(御輿、山笠、屋台)へと引き継がれています。―「縄文ノート80 『ワッショイ』と山車と女神信仰と『雨・雨乞いの神』」(210619)参照

 

⑸ 「神籬(ひもろぎ:霊洩木)」信仰

 秋田県鹿角市の大湯環状列石遺跡には3本直列×2組の列柱があり、石川県金沢市のチカモリ遺跡、石川県能登町の真脇遺跡、富山県小矢部市の桜町遺跡には円形の巨木列柱跡が、長野県茅野市の中ツ原遺跡には8本の長形巨木柱跡、青森県青森市の三内丸山遺跡には6本の長形巨木柱跡があり、茅野市の阿久尻遺跡には20の方形柱列痕があります。―縄文ノート「33 『神籬(ひもろぎ)・神殿・神塔・楼観』考」(200801→1226)、「38 『霊(ひ)』とタミル語peeとタイのピー信仰」(201026)、「106 阿久尻遺跡の方形柱列建築の復元へ」(211107)参照

 神社では元々神名火山(神那霊山)を神体とする他、磐座(巨石)や神籬(ひもろぎ=霊洩木)を祖先霊の依り代としており、宗像大社の高宮祭場は神籬を四角の石の方壇で囲っており、平原遺跡や吉野ヶ里遺跡の王墓の前には大柱が立てられていました。

 記紀はイヤナギ・イヤナミは「天御柱(あめのみはしら)」を左右に分かれて廻り、セックスして神々を産んだとしており、出雲大社本殿には構造材ではない「心御柱(しんのみはしら)」の廻りに8本柱の建物で覆いをかけた構造となっており、それは伊勢神宮の「心御柱」や仏塔の「心柱(しんばしら)」に受け継がれています。諏訪の神社や祠の四隅には御柱が建てられ諏訪神社では盛大な御柱祭が7年ごとに行われ、日本の伝統住宅では大黒柱(大国柱)横の長押に神棚を置くなど、神籬(霊洩木)から死者の霊(ひ)は天に昇り、降りてくるという宗教思想は現代に受け継がれています。       

 ではこの神籬(霊洩木)信仰はわが国独自のものなのでしょうか? 

 事例調査は限られますが、『山の神と日本人―山の神信仰から探る日本の基層文化』に掲載されたタイの「ピーを祭る小祠」を見ると、木を前に祠が置かれその前の両側には木が立てられており、諏訪大社の神長官守矢家の「神長官邸みさく神境内社叢」の神木・かじのきの前に祠を置き、四隅に御柱が立てているのと似通った構成となっています。またその裏に登ったところの実家の畑に建築家・藤森照信氏が立てた3つの茶室「高過庵(たかすぎあん)」「低過庵(ひくすぎあん)」「空飛ぶ泥舟」の同じ敷地内にはタイの祠と同じような祠が建てられており、同じ宗教思想を伺わせます。―縄文ノート「23 縄文社会研究会『2020八ヶ岳合宿』報告」(200808→1209)、「38 『霊(ひ)』とタミル語peeとタイのピー信仰」(201026)参照

 若月利之島根大名誉教授によれば、ナイジェリアの「イボ人に祖霊信仰(霊(ひ)信仰)があり、日本のお地蔵さまと神社が合体した『聖なるJujuの森』がある」とのことであり、まだ写真など現地に確認をとっていませんが、祖先霊信仰と神籬(霊洩木)、祠のルーツがアフリカに遡る可能性もあります。―「縄文ノート70 縄文人のアフリカの2つのふるさと」(210422)参照)

 またネパールには「雨を呼ぶ女神」マチェンドラ(観音菩薩)の祭りでは木を蔓で組み上げて青葉で飾って木に模した20mを超える山車を「ワッショイ ワッショイ」の掛け声で引き歩く祭りがありますが、仏教伝来以前からあった神木信仰を伝えている可能性も考えられます。―「縄文ノート80 「ワッショイ」と山車と女神信仰と「雨・雨乞いの神」(210619)」参照

 

 時代と場所が異なりますが、西アフリカの奴隷海岸から連れ出された奴隷たち「アフリカン・アメリカン」は儀式を通じて精霊を下す宗教をアメリカに持ち込み、ハイチのヴードゥー教では万物生成の源である、大地と天空を結び付ける聖霊たちの木である「建物の中央の柱(ポトミタン)」を中心に音楽とダンスを伴った招霊の儀式が行われるというのです。―「ブラックミュージックの魂を求めてー環大西洋音楽文化論」(中村隆之、『世界』2023.10)参照

 アフリカ西海岸の『聖なるJujuの森』にそのような神木信仰が残っているのかどうか未確認ですが、「中央の柱(ポトミタン)」は出雲大社などの「心御柱」や民家の「大黒柱(大国柱)」、古事記の「天御柱」の記述などのルーツの可能性があると考えます。

 

⑹ 「龍神」信仰

 縄文時代中期(5400~4400年前頃)に信濃川中流域を中心にした「火焔型土器」の縁の上の4つの紋様について、これまで「火焔」説、「鶏頭冠」説、「水面を跳ねる魚」説、「四本脚の動物」説が見られましたが、めらめらと燃え上がる火焔や鶏頭にはどうみても見えません。

 「4本足」「頭と背中にギザギザがある」「尻尾をあげている」という3条件からみて、縄文人はカブトトカゲから空想上の「トカゲ龍」をデザインした可能性が高いと考えました。―「縄文ノート 36 火焔型土器から『龍紋土器』へ」参照

 このレジュメを『蘇れ古代出雲よ』などの著者のノンフィクションライターの石飛仁さんに送ったところ、「出雲神楽ではヤマタノオロチは『トカゲ』である」とのメールをいただきました。出雲大社では海蛇を「龍神様」として稲佐浜では神使として神迎神事を行っていますが、元々はトカゲ龍信仰が縄文時代からスサノオ・大国主の鉄器時代に続いている可能性が高くなりました。―「縄文ノート39 『トカゲ蛇神楽』が示す龍神信仰とヤマタノオロチ王の正体」参照

 龍といえば中国皇帝のシンボルであり、龍神信仰は中国からきて「琉球(龍宮)」や出雲の龍神・トカゲ龍神楽、各地の龍神信仰に繋がったと考えられ、ウィキペディアも「竜の起源は中国」としていますが、「インドの蛇神であり水神でもあるナーガの類も、仏典が中国に伝わった際、『竜』や『竜王』などと訳された」ともしており、中国起源説とともにインド蛇神起源説もみられます。 

 2020年のNHK・BSの「古代中国 よみがえる英雄伝説 『伝説の王・禹~最古の王朝の謎~』」などによれば、中国最古の夏王朝(4080~3610年前頃)の王都の二里頭遺跡でトルコ石の龍の杖と龍の文様の入った玉璋(ぎょくしょう:刀型の儀礼用玉器)が発掘されたとし、夏の龍信仰が各地に広まったかのように解説していましたが、ベトナム・四川省の龍の形がリアルであるのに対して二里頭のものはより抽象化されてシンプルになっており、むしろ南方系のトカゲ龍を起源としたデザインであり、長江流域を経て、黄河流域に広まった可能性が高いと考えます。

 日本でもトカゲはヤモリ(家守)は害虫を食べる益獣とされていますが、東南アジアにおいてもインドネシアのコモドオオトカゲを除いて人間に害を及ぼすことはなく、ネズミなどを駆除する益獣とされ、天と地、川や海を行き来し、雨を降らせる神として崇拝されており、そこから龍神が生まれたと考えられます。

「龍」は倭音倭語では「たつ」であるのに対し、呉音漢語「リュウ」、漢音漢語「リョウ」であることからみて、縄文土器の「トカゲ龍縁飾り」は中国から伝わったのではなく、東南アジアの天に昇り雨を降らせる水神のトカゲ龍の信仰が伝わり、祖先霊と共食するお粥や煮炊き料理の湯気が天に昇る土器鍋のデザインとした可能性が高いと考えます。

 

⑺ 妊娠土偶・女神信仰

 子どもを産み育て、採集・漁労などの教育行う母親や祖母は、血の繋がりが確実な次世代・次々世代に尊敬されてきました。それは安産を願う縄文時代の妊娠土偶や出産紋土器、女神像、女神山(御山)信仰に現れており、世界各地の石器時代の像にもみられます。―縄文ノート「23 縄文社会研究会『2020八ヶ岳合宿』報告」(200808→1209)、「32 縄文の『女神信仰』考」(200730→1224)、「75 世界のビーナス像と女神像」(210524)、「99 女神調査報告3 女神山(蓼科山)と池ノ平御座岩遺跡」(210930)、「103 母系制社会からの人類進化と未来」(211017)参照

 安産のお守りで出産後は壊された乳房や性器を強調した妊娠土偶に対し、女神像は乳房・性器を小さくして仮面をかぶるなど抽象化・シンボル化した形になり、祖先霊祭祀を司る若い女神を表し、信仰の対象として使われたと考えます。

 すでに見たように「霊(ひ)信仰」において、女性器を「ひな(霊那:霊の留まるところ)」といい、烏帽子の前に「雛尖(ひなさき)」を付けるわが国の女性器信仰もまた女神信仰を示しています。

 このような妊娠女性像と女神像は西欧やロシア各地にみられ、今のところ最古のホーレ・フェルスのヴィーナス(ドイツ:マンモスの牙、6㎝)は3.6万年前頃ですが、日本の粥見井尻土偶(三重県松阪市:土偶、6.8㎝)や相谷熊原土偶(滋賀県東近江市:土偶、3.1)は1.3万年前頃(縄文時代草創期)のものです。―縄文ノート「75 世界のビーナス像と女神像」(210524)、「86 古代オリンピックとギリシア神話が示す地母神信仰」(210718)、「126 『レディ・サピエンス』と『女・子ども進化論』」(22030)

 女性・女神信仰のもとで、これらの妊娠女性像や女神像はそれぞれの別の地域で作られるようになったのか、それともアフリカで共通する文化があって受け継いだのか、今のところ後者を裏付ける物証はありません。

 

⑻ 男性器信仰

 縄文時代の石棒は棒状のものと勃起した男根を模したものがあり、別々のものではなくどちらも男性器を表し、石棒を円形石組に立てたものは男根を女性器に挿したものと考えられます。この男根信仰は明治政府に禁止されるまで各地に見られ、いまも所々に残されています。―縄文ノート「15 自然崇拝、アニミズム、マナイズム、霊(ひ)信仰」(190129→200411)、「34 霊(ひ)継ぎ宗教論(金精・山神・地母神・神使)」(150630→201227)、「41 日本語起源論と日本列島人起源説 」(200918→210112)、「100 女神調査報告4 諏訪大社下社秋宮・性器型道祖神・尾掛松」(211003)、「102 女神調査報告6 北沢川・月夜平大石棒と男根道祖神」(211013)参照

 この性器信仰について、私は多産・安産の霊継(ひつぎ)を願う男性優位のシンボルと見ていましたが、群馬県片品村の上小川地区では女体山(日光白根山)に木製の「金精(男性性器型)奉納」の登拝行事は男性のみが行っており、男が性器型などのツメッコを作り甘い汁粉に入れて煮て、裏山の十二様(山の神:女神)に供えて帰って食べる針山地区の「十二様祭り」は十二様が嫉妬するので集落の13歳以上の女性は甘酒小屋に集まり参加できないということからみて、金精信仰は女神に男根を捧げる祭りであり、女神の依り代であると考えるようになりました。―「縄文ノート9 祖先霊信仰(金精・山神・地母神信仰)と神使文化を世界遺産に」(150630)参照

 そうすると、環状集落や環状列石の中心に石棒を立て、家の中では女性が調理する囲炉の角に石棒を立てているのは、祖先霊が宿る神名火山(神那霊山)から石棒(金精:男性器)に女神が降りてくることを願い、女神とともに共食し、霊継(ひつぎ:多産・安産)を願った母系制社会の宗教を示していると考えられます。―「縄文ノート159 縄文1万5千年から戦争のない世界へ」(230203)参照 

 それは縄文人オリジナルというより、ヒンドゥー教以前からあるインドのリンガ(男根)・ヨニ(女陰)崇拝や、妻問婚の残るブータンの男性器崇拝とルーツを同じくする可能性が高いと考えます。

 なお、わが国においては、縄文時代の母系制社会の女神の依り代である石棒崇拝から、男根道祖神、男女性器道祖神、夫婦道祖神へと時代とともに変化してきています。―「縄文ノート102 女神調査報告6 北沢川・月夜平大石棒と男根道祖神」(211013)参照 

 

⑼ 仮面と太鼓

 前述の「ブラックミュージックの魂を求めてー環大西洋音楽文化論」では、奴隷たちの抵抗として手放さなかったアフリカ文化として「かぶり物、釣り、ドラミング」の3つを紹介し、「かぶり物の習慣はアフロ・アメリカの全域にわたって見られ・・・かぶり物はきわめてアフリカ的なものである」、「ドラミングはアフリカ由来の精神文化を体現するものです」、「魚釣りの技術の伝来には諸説あります(アフリカ起源、先住民に学んだ、植民者に学んだ)」としています。

 まず「かぶり物」ですが、前述のように縄文の「仮面の女神・土偶」は神楽などに受け継がれており、アフリカがルーツの可能性があります。

 ドラミングは、ナイジェリア・カメルーン・ガボン・コンゴ共和国に棲むニシゴリラや東部高地湖水地方に棲むヒガシゴリラ(マウンテンゴリラ)の胸を叩くドラミングや、チンパンジーやボノボ(中央部のコンゴ民主共和国)が木の幹が地面近くでスカートのひだのように広がっている「坂根」を足で蹴ったり手で叩いてドドドンドンと太鼓のように音を出し、追跡中にボノボの姿を見失うと現地ガイドは山刀で坂根を叩き「ピャアピャアピャア」と返事をするので居場所がわかる、何度やっても必ず返事をすると古市剛史教授(京大霊長類研究所)は書いており、威嚇やコミュニケーションの手段であったドラミングを、人類は歌や踊りとともに、宗教儀式に取り入れたものと考えられます。―「縄文ノート70 縄文人のアフリカの2つのふるさと」(210422)参照

 西アフリカ原産のヒョウタンを使ったドラムについて、「大きなひょうたんに動物の皮を張って叩いたのが太鼓のはじまり。アフリカ、アジアなど世界中にひょうたん太鼓があります」https://hanabun.press/special/hyotan110/)、「アフリカの文化を代表する植物を一つあげるとしたら、ひょうたんを選ぶ人が多いのではないだろうか。サハラ以南のアフリカのほぼ全域で栽培、加工、使用され、日常の容器から威信財としての容器、宗教儀式に使う容れ物、楽器、時には衣服にいたるまでの幅広い用途で用いられるひょうたんはアフリカの人々の暮らしの中に、信仰の中に深く根付いていて、アフリカ各地の文化の中で非常に重要な役割を果たしている」「ひょうたんを胴にして作ったドラム。さまざまな大きさのものがある。西アフリカに多く見られ、とくに有名なものがブルキナファソでベンドレと呼ばれるひょうたんドラムである」(アザライ「ひょうたん楽器特集Ⅱ」(https://www.azalai-japon.com/mois/instrument-calebasse2-sp.html)とされており、ヒョウタンを持ってきた縄文人が「ヒョウタン太鼓」文化も持ってきて祭りなどに使った可能性はありますが今のところ未発見です。

 縄文前期末期から中期終末にかけて長野・山梨県の中央高地から関東地方を中心に東日本各地に分布する有孔鍔付(ゆうこうつばつき)土器には、「種子貯蔵容器説」「酒器説」「土製太鼓説」「酒造具説」が見られますが、胴が膨らんだ樽型のものは「ヒョウタン太鼓」を模した可能性があります。

 縄文時代の土笛や石笛、琴が見つかっている以上、アフリカをルーツとする太鼓文化はY染色体D型人により伝わった可能性が極めて高く、ヒョウタンや木製品を含めて発見される可能性はあると考えます。

 そして、これらは「アフリカン・アメリカン(アメリカス)文化(ネオ・アメリカ文化)」と同じように、「アフリカン縄文文化・宗教」と言うべきと考えます。

 

⑽ 霊(ひ)信仰から自然信仰・神使信仰・精霊信仰へ

 死者を偲び、死後の世界を考えた人類は、肉体は大地に帰っても死者の霊(ひ)は残り、神山から天に昇ると考え、宗教施設として神山型(ピラミッド型)の神殿を建て、あるいは高木を神籬(霊洩木)として霊(ひ)の依り代とし、水蒸気や湯気が天に昇り雨となって降りてくることから龍神信仰や水神信仰を考え、雷が天から降ってきて火をもたらすことから雷神信仰を考えたと思われます。

 神山や神木、雨や雷、天や太陽・月、蛇やトカゲ・鳥・狼・猿・鹿などの信仰を「自然信仰」とみなす説もありますが、図43・44に示すように、全て「霊(ひ)信仰」が基本となっており、天と地、山と里、海と里を繋ぐ動物たちは「神使」として崇拝されたと考えます。同時に、この霊(ひ)信仰は全ての生物や自然にも霊(ひ)があると考える「自然信仰」「精霊信仰」へと繋がりました。

 そして、この宗教思想はY染色体D・O型人がアフリカから中央・南・東南アジアを経て、日本列島に持ってきたと考えます。

 

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