ヒナフキンのスサノオ・大国主ノート

「神話探偵団~スサノオ・大国主を捜そう!」を、「ヒナフキンのスサノオ・大国主ノート」に変更します。雛元昌弘

「神話探偵団」連載休止のご挨拶 101219

2010-12-19 12:24:18 | 歴史小説
仕事が1か月ほど、多忙になりますので、しばらく連載を休止させていただきます。
「スサノオ探偵団」を終えた後に「大国主探偵団」にする予定でしたが、播磨に入ってから切り離せなくなり、成り行きでミックスした内容になってきています。
今後は、しばらく、播磨国風土記をもとに、播磨における大国主の痕跡を追っていきたいと思います。播磨国風土記には、大国主の5人の妻:の都比売(飾磨郡)、玉津日女命(讃容郡)、阿和加比売命(宍禾郡)、コノハナサクヤ比売命(宍禾郡)、宗形大神奥津島比売命(託賀郡)と、子どもの阿賀比古・阿賀比売(飾磨郡)、火明命(飾磨郡)、伊勢都比古命・伊勢都比売命(揖保郡)、石龍比古命・石龍比売命(揖保郡)、玉足日子・玉足比売命(讃容郡)、建石敷命(神前郡)が登場します。
古事記ではコノハナサクヤ比売は若御毛沼命(後の神武天皇)の妻、火明命はニニギ命の兄として登場しますが、果たして、どちらが真実でしょうか? 私は同時代に編集された古事記と播磨国風土記を併せて分析すると、神話時代の古代史は解明できると考えています。
しばらく取りかかれないのが残念ですが、当面は仕事、仕事です。 日南虎男

資料:日向勤著『スサノオ・大国主の日国―霊の国の古代史』(梓書院)
参考ブログ:邪馬台国探偵団(http://yamataikokutanteidan.seesaa.net/)
霊の国:スサノオ・大国主命の研究
(http://blogs.yahoo.co.jp/hinafkinn/)
霊(ひ)の国の古事記論(http://hinakoku.blog100.fc2.com/)
  帆人の古代史メモ(http://blog.livedoor.jp/hohito/)


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神話探偵団104 播磨国風土記に登場しない高砂神社

2010-12-12 11:37:41 | 歴史小説
高砂神社の境内社

「播磨国風土記には高砂神社はでてくるの?」
ヒメは相変わらずカンがいい。
「不思議なことに、出てきません」
高木もそれだけは確認していた。
「他の風土記ではどうなの?」
「播磨国風土記より16~18年以上後に完成した出雲国風土記では、390の神社があったことを伝え、各郡ごとに神社名を載せています」
出雲の神主の娘だけあって、ヒナちゃんは詳しい。
「播磨で古い神社というと、どこになるのかしら?」
「伊和大神、大国主を祀る播磨国一宮の伊和神社、大国主の御子の天照国照天彦火明命を祀る播磨国一宮の粒坐天照(いいぼにますあまてらす)神社、神戸の海(あま)神社などです」
高木はスマートフォンのメモを繰って答えた。
「なぜ、播磨国風土記では神社を載せていないのかしら?」
「風土記編纂の官命では、郡・郷の名前、物産、土地の肥沃さ、地名の由来、旧聞などを記すようにとなっているので、神社がでてこなかったのかも知れません」
高木は念のために調べておいたメモの説明を行った。
「先に見てきた牛頭天王総本宮の広峯神社や、播磨国総社の射楯兵主神社など、スサノオやスサノオの子の射楯(イタテ)大神、五十猛(イタケル)を祀る神社も古いわよね」
ヒメは納得がいくまで聞いてくる。
「播磨国風土記の因達(いだて)里では、『伊太代(いだて)神ここにいます』と書かれ、別のところには因達神山という記載も見られます。また、『山の峯にいます神は、伊和大神の子、伊勢都比古命・伊勢都比売命という』というような表現がいたるところに出てきます。神社建築ができる以前の祖先霊信仰について伝えています」
高木はヒナちゃんの仮説力と調査力に脱帽するほかなかった。
「ということは、播磨国風土記は、神社ができる以前の、神々が神那霊山の山頂に祀られていた時代のことは載せているけど、神社に祀られるようになった時代のことは載せていない、ということなのかな?」
ヒメの推理力もまた鋭い。
「風土記編纂命令に従って、神々の時代の『旧聞』は載せたものの、編纂時に、スサノオ・大国主の子孫が祀る神社は載せなかった、ということかも知れません」
考え抜いているヒナちゃんの答えはよどみがない。
「磐座(いわくら)信仰や神籬(ひもろぎ、霊が漏る木)信仰の時代は伝えてたけど、神社信仰の時代は記さなかった、ということなのね」
ヒメは納得したようだ。
「なるほど、見えてきたよ。播磨の大国主の子孫の国造の大石王などは、天皇家に遠慮して、自分たちがこの国の建国者のスサノオ・大国主一族の子孫であり、今もその祖先霊を神社で祀っている、ということを隠さざるをえなかった、ということだな」
カントクもヒナちゃんの説が腹に収まったようだ。
「播磨国風土記は、巻頭の総記と、東端の摂津国と接する明石郡、西端の備前国と接する赤穂郡が欠落しています。摂津国というのは、元は津国で、その一宮は海(あま)神社ですから、津島を拠点とする天(あま)族のスサノオと関わりの深い国です。また、吉備国の御津にある備前之国一宮の石上布津御霊神社には、スサノオがヤマタノオロチを切った十拳(とつか)剣が奉納されており、スサノオと関わりがあります。となると、摂津国と備前国に接した明石郡と赤穂郡には、両国との深い繋がりを示すことが書かれていた可能性があり、その部分が破棄されて伝わった可能性が大きいと思います」
今回の播磨調査は、スサノオ探偵団というよりも大国主探偵団の色が濃くなってきていたが、ヒナちゃんはちゃんとスサノオをベースに考えていた。

※ 本ブログ中の文章や図、筆者撮影の写真は、ご自由にお使い下さい(ただし、出典を記載して下さい)。リンクもご自由に。
※ 今はブログ更新で精一杯です。頂いたご意見・ご批判は、いずれ検討させていただき、ご返事を差し上げたいと思います。

資料:日向勤著『スサノオ・大国主の日国―霊の国の古代史』(梓書院)
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神話探偵団103 印南で戦勝祈願した息長帯比売(おきながたらしひめ)命

2010-12-03 15:51:44 | 歴史小説
謡曲「高砂」で有名な高砂神社

「これから、高砂神社を回ってから、姫路に帰りたいと思います」
話が一段落したようなので、高木は一同を促した。
長老運転の車は、加古川に沿って南下したが、その西方には高御位山が播磨富士に恥じない美しい山容を見せ、その南には「石の方殿」のある伊保山が見えている。
「ざっと説明しておきますと、日本書紀、長門国の豊浦、今の下関にいた帯中日子(たらしなかつひこ)命、仲哀天皇は、妻の息長帯比売(おきながたらしひめ)命、後の神功皇后を熊曾討伐のために敦賀から呼び寄せます。播磨国風土記によれば、息長帯比売はこの印南や、さらに西の揖保郡の太子町や御津にも登場します」
「敦賀からだと、日本海を船で長門に向かうのが直線コースじゃあないの?」
ヒメの質問はいつも的確だ。
「この印南に立ち寄ったのは、帯中日子命の父、ヤマトタケルの母・印南別嬢(いなみのわきのいらつめ)の一族の軍を募ったのだと思います。高砂神社の伝承では、その時に、戦勝祈願を行い、勝利の暁には神社を建てることを約束し、建立されたのが高砂神社であると言われています」
「息長帯比売が戦勝祈願を行った神は誰なの?」
ヒメは獲物に食いついたら離さない。
「それは、高砂神社の祭神として祀られている大国主以外にはありえないと思います」
「そうすると、やはり印南の王は大国主の子孫、ということになるわね」
「それだけではないと思います。大国主が建国した聖地で戦勝を祈願した、ということも大きいのではないでしょうか?」
ヒナちゃんが思いもかけないことを言い出した。
「おもしろそうだわね。もう少し説明してくれない?」
ヒメのアンテナに何かが引っかかったようだ。
「私は、帯中日子(たらしなかつひこ)命は、この時には天皇ではなかったと思います。景行―成務天皇のラインに対し、帯中日子命はヤマトタケルが地方でもうけた多くの皇子の一人に過ぎず、天皇になれる可能性はほとんどなかったと思います」
「そういえば、帯中日子命は大和には一度も入っておらず、長門の豊浦と筑紫の香椎に宮を構えていたなあ」
故郷、博多に関わるとなると、カントクは乗り出してきた。
「長門の王にしか過ぎなかった帯中日子命は、天皇になる野望を持っていて、熊曾討伐を口実にして敦賀や播磨の軍を集め、筑紫に進出したのではないでしょうか? 熊曾討伐ではなく、天皇になることを祈願したのだとしたら、大国主建国の地の印南こそがふさわしいと思います」
ヒナちゃんの推理にはいつも驚かされる。
「しかし、それなら出雲に回って出雲大社で戦勝祈願をした方がいいんじゃないの?」
ヒメもまた鋭い。
「それは、どちらの方が軍勢を集めやすいかだったと思います。出雲王は宗教的な影響力は維持していたと思いますが、兵士と食糧確保では播磨が有利だったと思います。また、播磨と関わりの深い吉備でも軍を募ったと思います」
「長門王の帯中日子命と息長帯比売命は、熊曾討伐を口実に筑紫を征服したことになるのかな?」
カントクのこの質問は、高木も考えていたところであった。
「筑紫王と共同で熊曾を攻撃した可能性もありますが、むしろ、筑紫王朝の内紛に乗じて、筑前王に協力して、筑後王を攻撃したのではないでしょうか」
ヒナちゃんの発言は、いつも最後まで考え抜いている。
「岡県主や伊都県主が帰順し、朝倉市杷木の羽白熊鷲や山門県の田油津媛を討ったという日本書紀の記載をみると、ヒナちゃんの言うように、筑紫王朝の内紛に乗じた可能性が高いな」
カントクはすぐに女性意見に同調する。
「しかし、成務天皇に子どもがなかったので、甥の帯中日子命に位を譲ったのではなかったかしら」
正史だと、マルちゃんの言うとおりである。
「古事記には正妃一人と子ども一人の名前が出ていますが、日本書紀には后や子どもの名前は一人もでてきません。成務天皇は古事記では95歳、日本書紀では107歳で、2倍年で計算すると48~58歳ですから、短命ではありません。当時の天皇が数人の后を持っていたことからみて、成務天皇にも直系の皇子が数人いたことは確実ではないでしょうか」
「そうすると、成務天皇の次には別の天皇が立っていた、ということになるの?」
「日本書紀では仲哀天皇の在位は9年とされ、その死後、息長帯比売命は新羅・百済を征服し、仲哀天皇の子を産んだことになっていますが、これだと、大和には9年間、天皇がいなかったことになります。私は、この期間には、成務天皇の子の香坂王と、その死後は弟の忍熊王が天皇であったと考えます」
「本来なら、皇位継承権のない帯中日子命や息長帯比売命は、熊曾討伐を口実に兵力を蓄え、帯中日子命亡き後、息長帯比売命は武力で忍熊天皇を討って皇太后になった、神功皇后になったというわけだな。帯中日子命が天皇であったとし、香坂王と忍熊王を帯中日子命の子にしておくとと、天皇を殺して政権奪取したということを隠せるというわけか」
カントクは納得したようだ。
「学界では神功皇后は後世に創作された人物、という説が根強いけど、どうなるのかな?」
マルちゃんが食い下がる。
「歴史推理小説家の感覚でいうと、実際の歴史を下敷きにしながら、その中に架空の人物を創作して何十年も登場させるって実に大変なのよ。それと、推理小説で難しいのは動機ね。神功皇后を創作しなければならなかった動機があったのかしら? 仲哀天皇をもう少し長生きさせて、応神天皇に繋げばいいだけじゃあない」
ヒメのいつもの反論は鋭い。
「日本書紀の編集後に、魏志東夷伝倭人条の卑弥呼の記述に気付いて、この時代に女王を登場させる必要があった、という説がありますけど」
高木としては、できるだけ情報を提供しておくべきといつも考えている。
「魏志東夷伝に合うように創作するなら、その頃にはない百済も新羅を登場させたり、息長帯比売命が朝鮮半島へ出兵した、夫や子どもがいた、などというストーリーは出てこないと思いますけど」
すぐにヒナちゃんに反撃されてしまった。

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