ヒナフキンのスサノオ・大国主ノート

「神話探偵団~スサノオ・大国主を捜そう!」を、「ヒナフキンのスサノオ・大国主ノート」に変更します。雛元昌弘

57 「大日孁(おおひるめ)」は「大日(ひな)霊女」「大霊留女」

2009-07-24 11:04:17 | 歴史小説
角林文雄著「アマテラスの原風景」(塙書房)


●ヒメ 20:52
アマテラス・スサノオの生誕地とされる「筑紫の日向の橘の小門の阿波岐原」の場所は、旧甘木市の「蜷(ひな)城」から旧朝倉町の「橘」一帯、というので決まりね。

●ホビット 20:54
出雲から、神話の舞台は筑紫に移ってきましたね。
イヤナギの出雲の「意宇川での禊ぎ祓い説」と、「スサノオ~アマテラス17代説」との関係はどうなります?

●ボク 20:56
イヤナギがスサノオを意宇川のほとりの揖屋で生んだ出雲の伝承と、アマテラスと月読命が「筑紫の日向の橘の小門の阿波岐原」で生まれたという、空間的・時間的に遠く離れた2つの伝承が、合体されたのではないでしょうか?

●カントク 20:59
石頭ヘッディングシュートのナイスゴール!
アマテラス・スサノオ・月読3兄弟の「揖屋誕生説」、3兄弟の「阿波岐原誕生説」、「3兄弟架空説」よりも説得力がある。「ダンゴ3兄弟」じゃああるまいし、3神をダンゴ虫にしとくことはあるまい。

●マル 21:03
ヒメの「邪馬台国殺人事件」では、卑弥呼の都はこの「日向の橘の小門の阿波岐原」だったよね。大国主の祖先霊(鬼)を祀る末裔の「霊御子(ひみこ)」がこの地で生まれたとすると、その伝説が出雲のスサノオ伝説にくっつけられた可能性は大いにあるわよね。

●ヒメ 21:06
アマテラスは、日本書紀では「大日孁貴(おおひるめのむち)神」と書かれていますが、「孁」は「霊」と「女」に分けられます。そうすると、「大日霊女」となり、「大日(ひな)霊女(ひめ)」と読んだ可能性があります。「筑紫の日向(ひな:霊那)」の姫、日向(ひな)国の女王という名前になります。

●マル 21:10
それって、ヒナちゃんの我田引水っぽくない? 
しかし姫路生まれの「ヒメ」を「霊女」というと、ぴったりだよね。

●ヒナ 21:12
アマテラスとスサノオの「誓い(誓約:うけい=受け霊)」で生まれた「天穂日」の子の「天夷鳥命(天日名鳥命)」は日本書紀では「武日照命」と書かれています。
「夷=日名=日(ひな)」は「我田引書紀」なんですよ。

●ホビット 21:15
対馬国や壱岐国の大官を「卑狗」、対馬国・壱岐国・奴国・不弥国の副官を「卑奴母離」というのは、「霊子」「霊那守」だったんですね。

●マル 21:17
朝比奈一族の末裔が「日向」にこだわるのは当然ですよね。「我田引水」は撤回。

●カントク 21:18
角林文雄氏の「ひと=霊人」「彦=霊子」「姫=霊女」「卑弥呼=霊巫女」「聖=霊知り」
説は「目からウロコ」だよね。

●ボク 21:20
ヒメとヒナちゃんのコンビは、「霊女」と「霊那」、霊界を支配する女2人というのはすごいなあ。

●カントク 21:21
ヒナちゃんの「大日(ひな)姫」説はさすがじゃ。しかし、「大日孁」を「おおひるめ」と読ませているのは臭うな。

●ヒメ 21:23
それって、なかなか真犯人を見つけだせない読者に作者が仕掛ける暗号、ヒントみたなものよ。
「おおひるめ」は普通に書くと「大日留女=大霊留女」。「筑紫の日向」の下流には「久留米(くるめ)」や「八女(やめ)」があるよね。「霊留女」と「久留女」「八女」、このあたりは女王国がいっぱいあったのよ。

●ヒナ 21:27
「大日(ひな)霊女」の別名が「大霊留女」だったと思います。

●ボク 21:28
「大日(ひな)霊女」がいたということは、「小日(ひな)霊女」がいたということになりません?
卑弥呼が死んだ後に、弟王が立ったが国中が服せず争乱に陥り、宗女壱与を立てて再統一を図ったのでしたよね。卑弥呼=「大日(ひな)霊女」「大霊留女」、壱与=「小日(ひな)霊女」「小大霊留女」だったのではないでしょうか?

●ヒナ 21:32
「卑弥呼→弟王→争乱→壱与」という魏志倭人伝の記載は、アマテラスとスサノオが、男子と女子のどちらを生んだかで高天原の後継者を争う神話とそっくりです。卑弥呼と弟王の後継者争いの伝説が実際にあって、弟王(月読)をスサノオに置き換え、スサノオ伝説と接ぎ木して古事記に取り入れたと思います。

●マル 21:36
「卑弥呼には夫がなく、弟がいて佐(たす)けて国を治めた」「弟王に国中が服せず争乱に陥った」という魏志倭人伝の記載は、アマテラスと月読に重なるわよね。

(ネタモトは日向勤氏の『スサノオ・大国主の日国―霊の国の古代史』(梓書院)です)

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56 「橘の小門の阿波岐原」はどこ?

2009-07-19 16:42:59 | 歴史小説
筑後川の分流にかかる朝倉三連水車



●ホビット 19:59
「橘の小門の阿波岐原(あはきはら)」について、もう少し説明してくれませんか。

●ボク 20:00 
この地は、安本美典氏の「邪馬台国甘木・朝倉説」で有名なところです。ヒメ様の『邪馬台国殺人事件―14人目の探偵』は、この地で殺人事件が起こり、我々も巻き込まれてしまうことになっています。

●ホビット 20:03
読みましたよ。僕の分身は『大国の里殺人事件―高砂の翁と媼の物語』の「石の宝殿」の謎解きからの登場ですが、「邪馬台国甘木・朝倉説」はだいたい理解しているつもりです。

●ボク 20:05
旧朝倉町には「橘」の地名がありますが、斉明天皇・中大兄皇子は対新羅・唐との戦いの際に、この地に「朝倉橘広庭宮」を設けたとされています。
日向勤氏は、日本書紀で仲哀天皇の后の神功皇后が「新羅征伐」の時にこの地に来て羽白熊鷲を討ったとしていることから、「羽白(はしろ)」=「羽城(はしろ)」=「杷木(はき)」ではないか、という説です。「小門」の地名はありません。

●カントク 20:10
ボクは「隠れ古田武彦ファン」かと思っていたが、「隠れ安本美典ファン」、あるいは「隠れ日向勤ファン」かな?「隠れ阪神ファン」も、隠れまくりで大変じゃのう。

●ボク 20:12
「クール」世代には、「ファン」はいませんよ。与野党が交代で入れ替わる時代に入るのですから、「全方位・等距離の八方美人」の「保身派」「日和見派」ですよ。

●マル 20:14
「保守派か革新派か」の時代は終わった、「保身派か確信派か」の時代ってことね。ヒナちゃんはどっちなの?

●ヒナ 20:16
まだまだ「確信派」にはとてもなれませんよ。「探求派」ってとこですね。

●ボク 20:17
単なる「カット・アンド・ペースト」の「ただ乗り派」や、論争を単にゲームとして楽しむだけの「ゲーム派」なんてのも多いですよ。AでもBでもいいんです。
 
●ヒメ 19:19
そうだよね。「生きるべきか、死すべきか」(To Be or Not to Be)なんて時代じゃないわよね。「王位をとるべきか、オフィーリアと駆け落ちすべきか」なんて選択肢がある方がいいんじゃない。

●マル 20:21
ヒメの回路は、ちょっと不思議な繋がり方をするので面白ですよね。
ところで、下関の仕事をしたことがあるけど、関門海峡に面した彦島と下関市街地との間の狭い海峡を「小門(おど)海峡」と言ってたわよ。

●カントク 20:24
そうなんじゃ。「関門海峡」のそばに「小門(おど)海峡」がある例から見ると、「大門」「小門」の対と考えられる。筑後川が2つに分流して再合流する所があるが、小さな方の川を「小門」と言った可能性はある。あるいは、「小門=小渡」で筑後川を渡る場所であったかもしれん。

●ホビット 20:27
橘とのその分流した川の位置関係は?

●カントク 20:28
橘の1kmほど南に有名な朝倉三連水車があるんじゃが、この川は筑後川の分流だった可能性がある。

●ホビット 20:30
橘と杷木の位置関係は?

●カントク 20:31
杷木の中心部は、高山(こうやま)を迂回して、さらに6kmほど上流に行ったところにある。この場所だと、「橘の小門」とは言えんなあ。

●ホビット 20:33
「阿波岐」と「杷木」は違いますよね?

●カントク 20:34
確かに。「阿蘇」が「あ・曾」、「明日香」が「あ・須賀」と同じように、「あ・杷木」の可能性がある。そうすると、「あ・杷木」は同じように「杷木」から離れた場所であったかもしれん。

●ホビット 20:36 
「筑紫の日向の橘の小門の阿波岐原」と「筑紫の日向の高千穂のクジフル嶺」との位置関係はどうなりますか?

●カントク 20:38
筑後川を上ると「ひな城」(日向城)や橘、杷木の地名があって、大分県に入って日田市があり、そこから玖珠川に沿って上ると、天瀬町を経て「久住山(九重山)」に着く。筑後川の源流域が久住高原なんじゃ。

●ヒメ 20:41
九州最長の川と九州最高峰、そんな関係を古代人は知っていました?

●カントク 20:42
ヒメの着想はいつも鋭いな。
アイヌというと熊を追いかける猟師イメージが強いが、実際は漁師なんじゃ。海や川には四季を通して豊かな食糧がある。縄文人も丸木舟を操る漁師で、海や川を行き来していた。水田耕作を行うようになった弥生人も、川沿いに稲作を広めている。

●マル 20:46
出雲の「斐伊川」(霊川、氷川)とその源流域の「比婆山」(霊場山)、筑紫の「筑後川」と「久住山」、2つの地域の神話の舞台は似ているわよね。

●ヒメ 20:48
生きる糧を育て、多くの生命を育む川と、それら全ての生命の源流の山々に関する信仰は縄文時代から続いていたのか。全ての生物の霊(ひ)が天から降り立つ聖なる山、それが「クジ」の「降る嶺」だったのね。

●カントク 20:51
どうやら、ヒメの新しい小説のイメージが湧いてきたようじゃな。

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55 「筑紫の日向」はどこ?

2009-07-18 09:05:14 | 歴史小説
九州最高峰の九重連山(ウィキペディアより)

●ヒメ 9月26日(金) 19:00
今晩わ。「壬申の乱殺人事件」、やっと刷り上がりました。みなさん、ありがとうございました。近々、出版社から本を送らせていただきます。

●カントク 19:02
じゃあ、次回は卑弥呼でパーティとしよう。

●ボク 19:03
ヒメ様の「ありがとうございました」は気になりますね。ひょっとして、「卑弥呼殺人事件」の時のように、私をマザコンキャラで登場させてません?

●ヒメ 19:05 
当然ですよ。皆さん、大活躍です。

●ボク 19:06
また「振られ役」じゃあないでしょうね?

●ヒメ 19:07
今回は、ヒナちゃんも登場するから、期待していてね。

●長老 19:08
「半径1.5m」のモデルは止めてくれいない。キャラ設定はもっと工夫して欲しいなあ。

●ヒメ 19:09
創造性は殺人事件の謎解きと歴史謎解きで十分。キャラには凝らないのよ。

●カントク 19:10
まあまあまあ。作品は内容が勝負じゃ。我が故郷、筑紫の話に戻そうぞ。

●マル 19:11
スサノオ・アマテラスの生誕の地の「筑紫の日向の橘の小門の阿波岐原」は宮崎か甘木か、から徹底的にやりましょうよ。

●ボク 19:13
古事記では九州全土を指すときは「筑紫島」、現在の福岡県にあたる地域は「筑紫国」と使い分けています。「筑紫の岡田宮」のように「筑紫の○○」という時は、後の筑紫国の範囲を指していると思います。

●マル 19:16 
そうすると、ニニギ命が天降ったという「筑紫の日向の高千穂のクジフル嶺」も同じように福岡県にあった、というの?

●ボク 19:18
その可能性は高いと思います。古田武彦氏は、「高千穂のクジフル嶺」は前原市(魏志倭人伝の伊都国)の「日向(ひなた)峠」近くの山としています。日向勤氏は、現在は大分県になりますが、筑後川上流の九州最高峰「久住山(九重山)」ではないか、「久住」の「フル嶺」、天から祖先の霊(ひ)が降る山、という説です。

●ホビット 19:22 
「高千穂」はどう解釈するのでしょうか?

●ボク 19:23
いよいよ、登場ですね。両説とも、地名でなく、「高い山々」という形容詞とみています。

●ホビット 19:24
「日向」はどうなのですか?

●ボク 19:25
「日向」を「ひなた」と読むと、旧甘木市に「日向石」の地名があります。「ひな」と読むと、「蜷(ひな)城」という地名があり、神功皇后が「蜷城」と名付けた、という伝承が残されています。
宮崎の方は、日本書紀によれば、「ひむか」と読むのは、景行天皇が子湯県(現在の西都市)を訪れた時に、「この国は日の出づる方に向いているので、日向(ひむか)と名付けた」とされています。

●ヒナ 19:30
古事記の国生み神話では、筑紫嶋は「筑紫国(白日別)」「豊国(豊日別)」「肥国(建日向日豊久士比泥別)」「熊曾国(建日別)」の4つとされており、「建日向日豊久士比泥別」に「日向」として含まれていますから、起源は古い可能性もあります。

●カントク 19:33
もともと、宮崎・鹿児島は「日向」=「熊曾国」ではなかったかな?「建日向日豊久士比泥別」を「建日向・日豊久士比泥別」と区切るのではなく、「建日・向日・豊久士比泥別」と区切って読むと違ってこようぞ。

●ヒナ 19:36
確かに「白日」「豊日」「建日」の国名がありますから、「向日」の国名があってもいいですね。

●マル 19:37
さすが、柔らか頭のヒナちゃんだわ。そうすると宮崎を「日向(ひむか)」と名付けたのはずっと新しい。

●ボク 19:39
石頭のボクから言わせてもらえば、「肥国」は今の佐賀県・長崎県・熊本県ですよね。熊本県の球磨地方は「熊曾国(建日別)」に含まれていましたから、「建日」が「肥国(建日・向日・豊久士比泥別)」に含まれていることは説明できます。

●マル 19:42
「向日」はどうなの?

●ヒナ 19:43
今の佐賀県・長崎県が「向日」ではないでしょうか。お盆にお墓から祖先の「霊(ひ)」を提灯のろうそくに移し、仏壇に移して灯す、という儀式が現代まで続いているように、古代から「霊(ひ)」=「火」でした。さらに、記紀では、「神産巣日(かみむすひ)神」=「神皇産霊尊」と書かれていますから、霊=日でした。
阿蘇山の噴火を太陽が昇る方向に望む、熊本・長崎・佐賀が「向日」だったのではないでしょうか?

●マル 19:48
「豊久士比泥別」はどうなの?

●ヒナ 19:49
「豊」の「クジ日嶺」と考えられます。ニニギ命が天降りした場所を、古事記では「クジフル嶺」、日本書紀では「クシ日の高千穂の峯」としています。豊(福岡県西部、大分県)にある「クジ」¬=「クシ」の霊=日(ひ)が降る高い山という意味と思います。これは「久住」にある「高千穂」といえば久住山以外にないと思います。

●カントク 19:53
お見事。
「豊国」に属していた久住山は、霊の降り立つ最高峰であったが、「肥国」に属していたこともあり、筑後川の源流ということで「筑紫国」と見られていた可能性もあるということじゃな。

●マル 19:55
そうすると、宮崎を日向(ひむか=ひゅうが)というのは、ずっと後世の命名だよね。日向宮崎説は棄却されざるをえないね。

●ホビット 19:57
世界各地の例を見ても、地名や伝承は人々の移動とともに移っていきます。甘木の地名や伝承が、宮崎県の高千穂町や宮崎市に移っていった、という可能性は大いにあります。

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54 播磨へ行こう:最古の「播磨国風土記」の暗号

2009-07-12 11:07:44 | 歴史小説
牛頭天王の総本宮・広峯神社 ウィキペディアより



●マル 9月21日(日) 10:05
みなさん。おはよう。昨夜、ヒメが帰ったあと、4人で少し雑談して、次回は1週間後の26日(金)、27日(土)でどうか、ということになりました。ご都合はいかが?メール下さい。

●マル  10:10
追伸 たまたま、10月11日、カントクとマルは関西方面に出張しています。12・13日が連休で休みなので、どこかに調査にいくことが可能です。ヒメ様がヒナちゃんを連れて関西方面に取材旅行に行くことにして、長老がそれに協力することにすれば、12日の12時に集合して、13日昼まで現地調査というのはどうですか?ボクちゃんは奈良に里帰りすれば合流できるよね?

●ボク 10:15
いいですねえ。「纒向博物館」のイベントの打ち合わせに行く必要があったので、11日か14日に出張を入れて、合流できるようにします。地元の大和なら、案内は任せて下さい。

●ヒメ 12:05
日曜日なのに雑誌の原稿に追われているのよね。携帯は切っていたので、今、メールとブログを見ました。
私も姫路の母を訪ねたいので、賛成。月曜日に、ヒナちゃんと長老を含めて、編集者に取材費を掛け合ってみようかな。「壬申の乱殺人事件」PRのために、旅行誌とタイアップする話があるのよ。

●長老 12:09
了解です。私も11日に京都の母校を訪ねて、調べ物をすることにしましょう。

●ヒナ 12:10
ヒメ様、期待しています。提案がありますが、今回、ヒメ様の故郷の播磨国風土記をテーマにしませんか?播磨国風土記は古事記が作成された翌年の713年から715年頃につくられた、現存する5冊の風土記の中では最古の風土記です。他の4冊の風土記は720年の日本書紀作成後に書かれており、出雲国風土記は一番遅く733年です。
古事記解読の鍵は播磨国風土記にあるのではないでしょうか?

●ヒナ 12:15
昼飯が美味しくなってきたよ。ヒナちゃん。確かに、播磨は「古代史のスキマ」=「古代史の穴場」かもな。

●ヒナ 12:17
カントクは、若い女性の意見にはすぐに同調よね。しかし、筑紫の後は、名古屋に戻って、熱田神宮や伊勢神宮、さらには関東へとスサノオを追うことになっていんるのじゃないの。

●ボク 12:19 
そうですよね。播磨国風土記は、大国主命と少彦名命の物語は多く出ていますが、スサノオは登場しません。スサノオが登場するのは備後国風土記(逸文)ですよね。

●ヒナ 12:21
こうしましょう。スサノオ探偵団の次のテーマは、大国主探偵団。そのための調査ということでどう?
10月12日12時、新幹線姫路駅改札口集合。東京からは、希望者は駅レンタカーを使って一緒に切符をとりましょう。提案者のヒナちゃんが幹事ということで手配してね。

●カントク 12:24
全員を代表して了解。ヒナちゃん、よろしく。

●マル 12:25
皆さんからのメールを集約すると、次回のネットミーティングは9月26日(金)19:00。筑紫には入ったところですからね、カントク頑張ってね。

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53 イヤナギの禊ぎ祓いの場所は出雲か筑紫か?

2009-07-10 10:28:17 | 歴史小説
旧甘木市の「ひな城(蜷城)」にある「美奈宜(ひなぎ→みなぎ)神社」


●ヒメ 22:28
イヤナギ・イヤナミは出雲で地上に降り、イヤナギは筑紫に移動するわよね。

●ヒナ 22:29
そうなんです。ここからは地上の物語ですから、イヤナギは出雲の揖屋から、船に乗るか陸上を移動したことになります。

●ホビット 22:31
そうすると、その場所は地上で突き止めることは可能ですね。

●ヒナ 22:32
イヤナギは「筑紫の日向の橘の小門(おど)の阿波岐(あはき)原」にきて、禊ぎ祓いを行います。身につけている物を脱いで12神、体を濯(すす)いで14神を生みます。
その最後の3神が、左目を洗って生まれたのが天照大御神、右目を洗って生まれたのが月読命、鼻を洗って生まれたのが建早須佐之男(タケハヤスサノオ)命です。

●ヒメ 22:36
黄泉の国から帰ってきたイヤナギは、死の国の穢れを地上でバラまかないように、すぐに祓い落とす必要があるんじゃないの?

●カントク 22:38
古代人にとって、死の穢れは、鳥インフルエンザやコレラ以上に恐ろしいものだったに違いない。黄泉の国から揖屋で地上に逃れ、直ちに目の前の意宇川で禊ぎ祓いを行ったのに違いない。

●ボク 22:40 
出雲から筑紫に移動するとなると、崎々を巡り、あるいは山川を越えて1か月はかかるでしょうから、途中、海や川に浸かりますから、禊ぎ祓いは済んでしまいます。

●カントク 22:42 
ボクちゃんは通説派かと思っておったが、どうやら「隠れ古田武彦ファン」だったようじゃな。

●マル 22:35
イヤナギの「意宇川での禊ぎ祓い説」の可能性は高いようね。そうすると、アマテラス・ツキヨム・スサノオ3姉弟は、出雲で生まれたことになるの?

●カントク 22:37
「イヤイヤ、待ってよ、イヤナギさん」。スサノオは出雲で生まれたが、アマテラス・ツキヨムは筑紫で生まれた可能性もある。歌舞伎を思い出してもらいたいな。時空を超えて、遠く離れた2つの事件が、物語としては簡単に結びつくんじゃ。

●ボク 22:40
イヤナギが禊ぎ祓いで生んだ12神+14神のうち、12神は出雲、14神は筑紫の可能性もありますよね。あるいは、最後の3神だけが筑紫の可能性もあります。

●ホビット 22:42
スサノオ探偵団としては、先に「筑紫の日向の橘の小門の阿波岐原」の場所を捜しませんか?

●カントク 22:43
ボクちゃん、整理してよ。

●ボク 22:44
「筑紫の日向の橘の小門の阿波岐原」については、4つの説があります。
① 宮崎県宮崎市:「筑紫」は九州全体、「日向」は日向(ひむか:ひゅうが)=宮崎県、「小戸」「橘」「阿波岐原」の地名がある。
② 福岡県前原市:古田武彦氏の説で、「筑紫」は北九州を指し、「日向」は「日向峠(ひなた)」を指す。
③ 福岡県朝倉市(旧甘木市):安本美典氏の説で、「筑紫」は北九州を指し、「橘」「杷木」の地名が残る。また、高天原神話の「安川」「高山(香山)」「高木」の地名がある。日向勤氏の説では、「日向」は「ひな」で、甘木の「蜷(ひな)城、美奈宜(みなぎ=ひな城)」。

●ホビット 22:52
地名から見る限り、宮崎県宮崎市か福岡県朝倉市が有力ですね。

●ボク 22:53
ただ、26神誕生物語は、記紀作成時に創作された物語である可能性もありますし、後世の人々が記紀にあわせて地名を創作した、という可能性もあります。

●カントク 22:55 
しかし、日本書紀によれば、景行天皇は子湯から夷的(ひなもり:現在の小林市)にかけて巡行しておる。斉明天皇(中大兄皇子、後の天智天皇の母)は、唐・新羅との戦いに備えて甘木の「橘」に「朝倉橘広庭宮」を設けておる。
ところが、どちらも、この地でアマテラスが生まれたことを記していないし、祖先の祭りを行っていないんじゃ。

●ヒメ 23:00 
いいところで、いつも時間切れ。悪いけど、お開きにしましょう。次の予定はメールで決めましょう。みなさん、おやすみなさい。

●ホビット 23:02
お休みなさい。私だけは、これからエルドラドの黄金探しの1日です。

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52 国生み神話空白地域は「ヤマトノオロチ王」の国

2009-07-04 11:17:22 | 歴史小説
津国の住吉大社(宮司は津守氏):ウィキペディアより


●ヒメ 21:53
推理小説の謎解きのポイントは、書かれているところではなく、当然、書かれていなければならないのに書かれていないところにあるのよ。国生み神話も同じじゃあない。

●ボク 21:55
国生み神話は2つの地域に分かれます。登場しない地域とあわせると、3地域になります。
① 天の別名が付く島:津馬、壱岐三子島、隠岐島、女島、知訶島、兩兒島、大倭豊秋津島
② 天の別名が付かない島:淡路島、伊予二名島、筑紫島、佐渡島、吉備児島、小豆島、大島
③ 登場しない国:出雲、吉備、播磨、摂津、淡海、大和、丹後、越

●ヒナ 22:01
国生み神話は、海から拠点を築ける島が中心です。
その島々も、天が付くのは対馬海流に沿った島々で、瀬戸内海は西に限られます。天が付かない島になって、ようやく瀬戸内海全域になりますが、内陸部には及びません。内陸部まで含むのは筑紫島と伊予二名島だけです。

●ヒナ 22:05
そうすると、出雲などの「国生み神話空白地域」は、イヤナギ・イヤナミ時代には支配下に入っていない、ということになるわね。

●カントク 22:07 
ようやく、スサノオの話に帰ってきたな。前にもみたが、ヤマタノオロチ王をスサノオが殺して、やっと「国生み神話空白地域」の出雲・吉備が支配下に入り、播磨・伊予・讃岐・摂津・大和へと支配が広がったんじゃ。

●ボク 22:10 
摂津国は、もともとの名前は津国でしたから、津島とはゆかりがある可能性があります。

●カントク 22:11 
ヤマタノオロチ王の剣が、天皇家の「三種の神器」となっているということは、偉大なヤマタノオロチ王の国をスサノオが受け継ぎ、さらに天皇家が継承した、ということを示しておる。支配地の王の娘を差し出させるというのは、大国主や天皇家、戦国大名など、支配者がみなやってきたことじゃ。ヤマタノオロチを山賊扱いし、「征伐」などというのは歴史の改竄じゃ。

●ヒメ 22:15 
そうすると、銅鐸圏というのは「ヤマタノオロチ王」=「ヤマトノオロチ王」の支配域を示しているのかしら?

●カントク 22:17 
いつもながら、ヒメの推理というのは自由奔放じゃな。銅鐸圏の支配者「ヤマトノオロチ王」というのは面白い。
「書かれていないところに真実あり」という眼で見ると、天皇家が記紀の中で「ヤマト」や「日本」の由来を何も語っていないことは不思議なんじゃ。いずれ、この謎解きもやらねばならんな。

●マル 22:21 
「国生み神話空白地域」は、次の須佐之男大神~大国主神の時代に支配地域に組み込まれた、というわけね。

●ヒナ 22:22 
神話が歴史を伝えているとすると、この国は、津島の天族の対馬海流地域と西瀬戸内海の島々への拠点づくり → 天族の筑紫・四国から東瀬戸内海の島々への進出 → 出雲へのイヤナギ・イヤナミの天降り → スサノオのヤマタノオロチ支配地域への進出、と4段階で支配が広がったということになります。

●ボク 22:26
面白いので謎解きにどんどん引き込まれていきますが、「神話が歴史を伝えているとすると」というところは、最後に、徹底的に議論しましょう。


(ネタモトは日向勤氏の『スサノオ・大国主の日国―霊の国の古代史』(梓書院)です)

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