琵琶湖側から見た比叡山(ウィキペディアより)
●カントク 19:41
当時、日枝大社は延暦寺の支配下にあった。それで戦火に巻き込まれただけではないかな。信長の目的はあくまで延暦寺の焼き討ちじゃ。
●マル 19:43
なぜ、信長は延暦寺を焼き討ちしたのかしら?
●ボク 19:44
信長は、天下統一に反対する宗教勢力に対しては、一向一揆などにも過酷な弾圧を加えています。全ての寺院を弾圧したのではなく、浅井・朝倉と結んで信長包囲網を形成した延暦寺に対し、信長は容赦しなかったものと思われます。
●カントク 19:48
確かに、信長は天下統一の邪魔者を許さない。見せしめのために厳しい弾圧を加えておる。それは、一貫した態度じゃ。しかし、その通説は正しいかな?
延暦寺焼き討ちは、信長にとっては、一種の宗教戦争だった可能性がある。
●マル 19:51
それはどうかな?
私は、信長は天下統一の敵・味方を峻別した、徹底したリアリストだと思うけど。
根来寺なども、僧兵を擁して敵対したから、攻めたのではないかしら。信長が宗教心で動くとは思えない。
●カントク 19:53
鍵は天皇家じゃ。天皇家ともっとも関わりの深い延暦寺が焼き討ちにあっておる。
●マル 19:54
確かに、京都・平安京の鬼門を守る延暦寺は、天皇家を守る役割があったと思うけど、それと焼き討ちは関係ないんじゃないの。
白河上皇が「賀茂川の水、双六の賽、山法師(延暦寺の僧兵)の3つは自分の思うままにならない」と嘆いたことを見ても、延暦寺は天皇家から独立しているわよね。
●ボク 19:59
国立の東大寺も、平清盛の5男・重衡による「南都焼き討ち」で兵火が及んで灰燼に帰しています。戦国時代には、松永久秀によって火を掛けられています。乱暴な武士達は、天皇家や寺院の権威など全く意に介していなかったのではないでしょうか?
●ヒナ 18:02
室町幕府六代将軍の足利義教も延暦寺を攻めており、根本中堂を始め、いくつかの寺院が焼失しています。
●カントク 20:03
多勢に無勢、信長包囲網みたくなってきたのう。しかし、お主達は歴史の大きな流れが、見えておらぬ。
天主・信長は、天王・スサノオを信仰し、天皇より自分を上位に位置づけておる。その天皇家とは、神道を否定し、仏教を国家宗教としてきた。
天皇の上に立つ支配者の天主・信長にとっては、仏教はスサノオ神道の下に来なければならぬ。その象徴が延暦寺じゃ。
●ヒナ 20:08
そういえば、延暦寺は、大津の日吉大社だけでなく、京都のスサノオを祀る祇園社(八坂神社)なども支配下に置いていますね。
●カントク 20:10
そうじゃ。日枝山(比叡山)は、京都・大津のどちらの街にとっても、シンボルとなる「都富士」と呼ばれた山じゃ。
スサノオや大山咋神を信仰する京都・近江の人々にとっては、日枝山は古代より祖先霊が降り立つ神聖な神那霊山であった。三輪山と同じような聖地であり、禁足地であった。
その日枝山を占拠し、寺院を建て、八坂神社や日枝大社(日吉大社)を支配した延暦寺は、天皇家と結んだ神道弾圧の象徴ではなかったかな。
スサノオ天王を信奉する天主・信長にとっては許せなかったはずじゃ。
●ホビット 20:17
エルサレムのユダヤ人の聖地「神殿の丘」に、キリスト教のイスラム教徒のモスク「岩のドーム」が建っているようなものですね。
●マル 20:19
反織田の包囲網の中にあった信長にとっては、確かに延暦寺は当面の敵であった。
しかし、天下統一後の天主・信長の政治・宗教体制の構想では、八坂神社や日吉大社こそが上位であり、延暦寺は邪魔者でしかなかった、というのね。
●ホビット 20:22
しかし、スサノオの時代の宗教体制に戻そう、というのは、信長も乱暴ですね。
もっとも、第2次大戦後になって、パレスチナを武力征服し、ユダヤ人国家を建国している例もありますがね。
●カントク 20:24
天主・信長は、延暦寺を取り除き、八坂神社や日枝大社の神那霊山として蘇らせたかったのじゃ。
●マル 20:26
トンデモ説と思っていたけど、すっかりその気になってきたわよ。
●ヒメ 20:27
日吉大社から安土城に行き、「本能寺の変」の謎も完全に解いたわよ。
(ネタモトは日向勤氏の『スサノオ・大国主の日国―霊の国の古代史』(梓書院)です)