ヒナフキンのスサノオ・大国主ノート

「神話探偵団~スサノオ・大国主を捜そう!」を、「ヒナフキンのスサノオ・大国主ノート」に変更します。雛元昌弘

神話探偵団96 高御位山・大藤山・飯盛山トライアングル

2010-09-22 11:52:36 | 歴史小説
北の大藤山:右側の低山は小藤山か?


偶然にすごい話をきき、一同は色めき立って、麓の高御位神社をめざした。みんな、神主の話を期待したのであるが、あいにく不在で空振りであった。神社は新しく、新興宗教の道場のようで拍子抜けであった。
「ボクちゃん。説明では高御位神社ということだったけど、ここは『高御位神宮』となっているわよ」
マルちゃんの観察は細かい。
「ホームページでは頂上に高御位神社があるので、麓の神社も高御位神社とばかり思いこんでいました」
「天之御柱(山頂)って書いてあるけど、これは何なの? 怪しいわね」
今度は“質問ヒメ”の番だ。
「ホームページには、四角い台座の上に天之御柱と彫った石柱が立っている写真がでていましたが、最近の新しいものです」
「次に帰郷した時に、神主を訪ねてみようかな」
ヒメが取材したいと言い出した時は、だいたい、小説の舞台と登場人物を考えているときである。神主からどんな話がでてくるか、これは大いに楽しみであった。
一行はそこから少し北に向かい、東に方向を変えた。周囲を見ると、西の高御位山だけでなく、北にも東にも美しい富士山型の神那霊山があった。
「北と正面に見えるきれいな山はなんという名前なの」
すぐにヒメから質問が飛んできた。助手席の高木はカーナビを拡大してみた。
「正面は『飯盛山』、北にあるのは大藤山です」
「播磨富士の高御位山に、大藤山か。その横にあるきれいな富士山形の山は小富士山、ということになるのかな」
ヒメの観察は、小説家だけあって鋭い。そう言われると、高御位山も大小つの神那霊山形の山であったことを高木は思い出した。
「『飯盛山』があるところは、古代の出雲族の拠点であった、というイワクラ研究家の岩田朱実さんの説があったなあ」
カントクは異説・奇説大好き人間なので、高木にとっては要注意人物である。
「そう言われてみると、金刀比羅宮のある讃岐にも神那霊山型の山は多いよね。大和の三輪山、京都の比叡山も神那霊山型よね」
各地で仕事をしているマルちゃんが相づちをうった。
「このあたり一帯、高御位山と飯盛山の間は『神吉』という地名なんだよねえ」
後ろの座席から覗き込んでいたヒメが割り込んできた。
「それは『かみよし』ではなくて『かんき』と言います。もともとは神+城の漢字で『かんき』あるいは『かみしろ』と言い、古代に国があった地名と思います」
ヒナちゃんはよく調べている。
「壱岐や吉野ヶ里のある神崎、甘木や杷木、妻木晩田遺跡の妻木(むぎ)、磯城や葛城、纏向(まきむく)遺跡の間城(まき)、唐子・鍵遺跡の鍵(かぎ)などの『き、ぎ』は全て『城』であって環壕城の国があった場所、というのが日向勤氏の説だったなあ」
カントクは女性意見をすぐにフォローする。
「高木のボクちゃんも、元は『高城(たかしろ)』だったかもね」
マルちゃんまでも同調した。
「あれ、飯盛山の近くに『天下+原』と書く『天下原』という地名があるわよ。これはなんと読むのかな」
ヒメの質問に、高木はパソコンを開き、国土地理院のデータベースを検索した。今や、PHSカードを差し込んだだけで、どこでもインターネット接続ができる。フィールド調査は昔と較べると格段に便利になっている。
「ありました。全国でただ1か所、ここだけです。『あまがはら』と読みます」
「天皇の即位式に使う玉座と同じ名前の『高御位』があって、その東の飯盛山の南に『天下原』の地名があるって、面白いわねえ」
ヒメの小説のイメージはどんどん広がってきているようだ。
「先ほど見た竜山の西には、天川がある。その上流には、筑紫の君、磐井の岩戸山古墳よりやや小さい140mの壇場山古墳がある。西播磨最大の古墳時代中期の前方後円墳だよ」
おとなしかった長老が乗り出してきた。
「播磨国風土記に、神吉や天下原の地名はでてきたっけ?」
長老の質問に、高木はパソコンで調べてみた。
「ありましたよ。『含芸(かむ)の里』が。これは神吉と思います。また『斗形山という。伝えて言う。上古の時に、この橋天に至り、八十(やそ)の人衆、上り下り往来せり』という記載があります」
「斗形山や八十の地名はどうかな?」
今度は、地図を調べてみた。
「升田と天下原の地名があります」
高木はさらにホームページで「升田」と「八十橋」を引いてみた。
「ありましたね。八十の岩橋が。これで神吉と升田と天下原と八十が4点セットになりましたね」
「上古の時、というのが面白いなあ。古事記と同時期の播磨国風土記からみて、はるかに昔からこれらの地名は現代まで続いていたんだなあ」
カントクの言葉には高木も同感であった。
「ヒメに質問だけど、地元の人間の感覚として、播磨国風土記に書かれている地名が、現在、どれ位残っているのかな?」
長老はいい質問をする。
「全体は分からないけど、私の住んでいた白国やすぐ近くの平野、大野などは風土記の地名のままって聞いたわよ」
高木も付け加えた。
「大国や石の宝殿のあった伊保山、加古川、印南などの地名はそのまま残っていますよね」
「ヒナちゃん、播磨国風土記風土記の地名の残存率がどれ位なのか、調べて欲しいなあ。少し、手間だけどね」
長老は自分のゼミの学生に課題を出すように振る舞っている。
「いいわよ。私がアルバイト代を出すから、ヒナちゃん、やってくれいない?」
ヒメの小説のストーリーはどんどんと膨らんできているようだ。
「自分のテーマとしてもやりたいですね。面白くなってきました」
「播磨国風土記の『大国の里』や伊保山の『石の宝殿』、『神吉』や『天下原』の地名、この地が天下の中心になるはずだという伝承、大国主に会いにきた『海を光らしてくる大物主』、生石村主真人の万葉歌、これだけ材料があると、ヒメなら相当に面白い推理小説が書けるな」
カントクも高木と同じことを考えていたようだ。

<筆者おわび>
次の97は、1回、アップし忘れたため、99の後に飛びます。先に進んでから、戻って下さい。


資料:日向勤著『スサノオ・大国主の日国―霊の国の古代史』(梓書院)
参考ブログ:邪馬台国探偵団(http://yamataikokutanteidan.seesaa.net/)
     霊の国:スサノオ・大国主命の研究(http://blogs.yahoo.co.jp/hinafkinn/)
     霊(ひ)の国の古事記論(http://hinakoku.blog100.fc2.com/)
  帆人の古代史メモ(http://blog.livedoor.jp/hohito/)

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神話探偵団95 大国里は日本の中心になるはずであった

2010-09-11 10:03:26 | 歴史小説
南から見た高御位山


「今は木が茂って見えなくなっていますが、私が子供の頃には、頂上の大きな岩の下に、鯛の形をした岩が平野部から見えていました。鯛ジャリと言っていましたが、その鯛の頭は下の方を向いているのです。もし、この鯛が上を向いていたら、ここが日本の中心になって栄えたはずだった、と聞いています」
「その鯛ジャリは、石の宝殿がある伊保山の山頂から見えます?」
こういう話を小説に使いたいに違いないヒメはすかさず反応した。
「私の家は伊保山の西で、高御位山の南ですから、伊保山からも当然、見えたはずですよ」
「その話は、誰からお聞きになりました? 」
長老も食いついてきた。
「子どもの頃に、誰かから聞いたのか、それが親だったのか、祖父母からだったのか、あるいは近所の人からなのか、はっきり覚えていないですね。ただ、同級生もみんなその話は知っていて、一緒に話していた記憶はありますよ」
「何か記録が残っていませんか」
長老は、文字に書かれた記録にこだわる。
「私も気になって、退職してからいろいろ調べてみたのですが、書かれたものは見つかりませんでしたね」
「同級生で、話を覚えている方はご健在ですか?」
小説家のヒメは、伝承に関心が強いらしい。
「老人会に何人か同級生が残っています。女性の方が長生きですからなあ。最近もそんな昔話をしたことがありますよ」
「どんな話をされました?」
「子どもの頃には、鯛の形が見えていたのに、いつ頃からか、木が茂ってきて、全く見えなくなったなあ、というようなことが話題になりました」
「ここを日本の中心にしようとしたのは、いったい誰なんでしょうか?」
マルちゃんも乗り出してきた。
「そう言えば、誰が、というのは聞いたことがないですね」
「疑問には思いませんでした?」
長老はやはり懐疑的というか、慎重だ。
「大国主命と少彦名命が石の宝殿を造られた時に、出てきた石屑を高御位山の頂上まで運び、上から投げ捨てたところ、石が鯛の形になった、と聞いています。だから、何の疑問も持たずに、それは大国主命だと思っていましたけど」
「他の皆さんもそうですか」
「みんなそう思っていますよ。現に、この高御位山に祀られているのは、大国主命なんですから」
事実は小説より奇なり、ということを証明してみせたような話しだった。
こんなおいしいネタを聞いたヒメの頭の中では、名探偵・轟三四郎を主人公とした「高御位殺人事件」のストーリーが一気に出来上がりつつあるに違いなかった。当然、事件と古代史の両方の謎解きの鍵はこの老人の話になるに違いなかった。死体発見現場は、石の宝殿と高御位山の連続殺人かな、しかし、ヒメは誰も考えつかないようなことを書くからなあ、と高木は想像をめぐらした。
「故郷のすてきなお話、ありがとうございました。いずれ、是非、皆さんのお話を伺わせていただきたいのですが、お願いできないでしょうか。実家が姫路なので、時々、帰ってきますので、その時に連絡させて頂きたいと思います」
サングラスを外し、名刺を渡しながら、ヒメは抜かりなくアポを取り付けようとする。
「やはり、高階樹さんでしたか。小説を何冊か読ませていただき、テレビや雑誌でもお顔を拝見しています。こんなにきれいな方とは思いませんでした」
高木が知っている限り、男好きのする美人のヒメは、こういう取材で断られることはなかった。
「郷土の歴史を多くの人に知っていただくために、喜んで協力させていただきますよ。あいにく、退職してから名刺は持ち合わせていませんが、石の宝殿から国道2号を西に進んだところにある天川医院の天川龍一と言います」
「高砂に同級生の医者がいますので、電話番号を聞いてから連絡を差し上げます。先生はお医者さんでしたか」
「いや、医院は同居している息子が開業しています。私は高校で理科の教師をしていました」
「私は古代史を研究している八雲大学の大野靖と申します。その際には、高階さんとご一緒させていただきたいと思いますので、よろしくお願いします」
長老も抜かりなく、名刺を差し出した。

資料:日向勤著『スサノオ・大国主の日国―霊の国の古代史』(梓書院)
参考ブログ:邪馬台国探偵団(http://yamataikokutanteidan.seesaa.net/)
     霊の国:スサノオ・大国主命の研究(http://blogs.yahoo.co.jp/hinafkinn/)
     帆人の古代史メモ(http://blog.livedoor.jp/hohito/)

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神話探偵団94 日本の中心:高御位山「鯛ジャリ伝説」

2010-09-01 14:45:11 | 歴史小説
高御位山を東から見る
筆者おわび:仕事とボランティア活動に追われて、この1か月あまり、手を付けることができず、ご迷惑をおかけしました。次々と新しい発見があり、これから徐々に態勢をたてなおして、連載を再開したいと思いますので、引き続き、ご愛読のほど、よろしく。


「邪馬台国畿内説という第1の仮説をたてると、今度はヤマトトトヒモモソ姫=卑弥呼とする第2の仮説がどうしても必要になるんだな。そうすると、今度は、狗奴国が邪馬台国を征服したという第3の仮説が必要となり、さらに、狗奴国の王、卑弥弓呼が崇神天皇であるという第4の仮説が必要となってくる。第1の仮説は魏志倭人伝に方角の誤りがあるとい仮説があって初めて成り立つ仮説であり、第2~4の仮説は魏志倭人伝には書かれていないし、記紀の記述とも異なっている。どうやって、これら全部の仮説を証明するのかな?」
長老は手厳しい。高木は黙る以外になかった。
「そうなんだよな。魏志倭人伝にも記紀にも、ヤマトトトヒモモソ姫=卑弥呼を示す記載は一切ないし、狗奴国が邪馬台国を征服したとか、卑弥弓呼が崇神天皇であるとかいうような記載はない。邪馬台国畿内説という仮説を説明するために、別の仮説を持ち出したんでは、証明にはならんな」
カントクが追い打ちをかけてきた。
「ちょっと、話が飛び飛びになったので、論点を整理しましょうよ。
そもそもの出発点は、阿讃播連合はスサノオ~大国主のもとで成立したのか、畿内にあった邪馬台国の豪族の連合なのか、ということですよね。これが論点1です。
第2の論点は、大和の二上山に同じような凝灰岩があるのに、なぜ仲哀天皇や仁徳天皇の石棺に、印南の竜山石や、讃岐の羽若石を使ったのか、ということですね。
第3の論点は、卑弥呼や天皇家が祖先霊を祀った神那霊山(かんなびやま)はどこなのか、三輪山なのかどうか、ですね。
第4の論点は、卑弥呼や天皇家は、いったい誰を鬼=祖先霊として祀ったのか、ですね。
第5の論点は、祟りを受けて大物主やアマテラスの御霊を宮中から出した崇神天皇は、大物主やアマテラスの子孫なのかどうか、ですね。
第6の論点は、崇神天皇は、邪馬台国を打倒した狗奴国の王・卑弥弓呼なのか、ですね。
そして、まとめとして、邪馬台国畿内説で第1から6の論点が、整合して説明できるのか、ということになりますね」
シンポジウムの司会で鍛えたマルちゃんは、論点整理が上手だ。
「やっぱり、その議論は後にとっておいた方がいいな」
議論が複雑になってきたので、長老の提案は、今度はスンナリと受け入れられた。高木としては、整理して反論する時間が稼げたのでありがたかった。
そうこうしているうちに、車はだいぶ北に進んだ。
「窓から交差点の案内や看板、電柱に書かれた地名を注意して見ていただくと、このあたりには、神が詰めた場所という神爪や大国、神吉(かんき)、神木、横大路などの地名が見られます」

さらに北上すると、高御位山は見事な神那霊山形に整ってきた。
「南から見ても富士山型の山だったけど、ここに来るとさらに『播磨富士』の名前に恥じないきれいな形になるなあ」
カントクが言うように、完全な富士山型の山が2つ重なっている。頂上に神が降り立つ巨岩、磐座を頂く姿は、古代人が信仰した典型的な神那霊山の形である。
この神那霊山については、一般的には神奈備山とも神南備山、神名火山などの漢字が当てられているが、祖先霊が降臨する場所であることから、「備」=「火」=「霊(ひ)」で、「神の那(国)の霊(ひ)の降る山」という日向勤説をこのメンバーでは使っている。
「讃岐もそうだけど、このような神々が降臨する神那霊山がある場所こそ、古代の出雲族が好きな場所なんだなあ」
カントクはしきりと強調している。
「そういわれると、たつの市や姫路にもこのような山が多いわよね」
ヒメも同調した。
高御位山の麓に着き、集落に入り、登山口を探して細い道を昇ると駐車場があり、数台の車が停まっており、休んでいる登山者グループがいた。
「高御位神社への道はここからですか?」
高木は念のために確かめた。
「そうです。これから頂上に登られるのですか?」
最年長と思われる白髪の男性から質問された。
「残念ながら、今回は急いでいるので頂上まで登る余裕はないんですよ」
礼儀を重んじる、最年長のカントクが丁寧に答えた。
「それは残念ですね。日本の中心になるはずであった場所に、是非、登っていただきたかったですな」
「え! ここが日本の中心というような言い伝えがあるんですか?」
思わぬ展開になって、高木はびっくりしてしまった。


資料:日向勤著『スサノオ・大国主の日国―霊の国の古代史』(梓書院)
姉妹編:「邪馬台国探偵団」(http://yamataikokutanteidan.seesaa.net/

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