ヒナフキンのスサノオ・大国主ノート

「神話探偵団~スサノオ・大国主を捜そう!」を、「ヒナフキンのスサノオ・大国主ノート」に変更します。雛元昌弘

神話探偵団136 私の方法論―最少矛盾仮説、仮説検証、総合的判断

2022-07-09 12:05:11 | 研究方法論

 私の市町村・都府県・国の各種(総合計画・産業・都市・インフラ・防災・福祉・教育・文化・行財政・施設・住民活動・広域連携など)の計画づくりでの調査・分析・計画の方法論は、ボトムアップ型(積み上げ型・問題解決型)とトップダウン型(分割型・将来像実現型)の両方からのアプローチで最適解を「総合的調査・分析・判断」により見つけるという方法によっています。

 

   

 素粒子学や遺伝子学などのように基本単位・基本原理の解明に向かう研究とともに、他方では宇宙科学や人類学、生態学、都市・地域学、医学、経済学などのように基本単位・原理の複雑な関係の総合的な解明をめざす分野や、工学のように基本原理・法則の解明はできないまま仮説実験で実用的な最適解を求める分野もあります(各分野の科学の知識は乏しく、この私の整理はまだ「仮説段階」です)。

この部分的な原理・法則の解明と全体的・総合的な原理・法則の解明を同時に行い、工学のように仮説検証で総合的な最適解を求める、というのが私の計画づくりの方法でした。

 建国史・縄文社会・人類史の探究での私の方法論は、下に「参考資料」としてピックアップしたように、あまり意識しないままに「各分野の調査・分析・研究の整理・分析・追加調査・再現実験」を行うとともに、「総合的仮説」を構築し、「追加調査・分析・統計的解析・再現実験による仮説検証」を行い、「総合的判断による最少矛盾仮説の採用」というやり方です。

   

 1例をあげると、紀元57年に後漢の光武帝が倭奴国(倭国之極南界)の使者に「漢委奴国王」の金印を与えたという後漢書記載と志賀島から発見された金印について、①金印偽造説、②委奴国・倭奴国=奴国説(委・倭民族の奴国)、③委奴国・倭奴国=伊都国説に対し、私は金印が本物であることをまず文献と物証から検討した上で、「委奴国・倭奴国=いな国説・ひな国説」をとり、委奴国王は金印が発見された志賀島を拠点とした宗像族の「綿津見3兄弟」(志賀海神社の祭神)かその「異母兄スサノオ」という小仮説をたて、スサノオ・大国主建国という大仮説と合わせて、日中韓の文献・米鉄交易などの総合的な検証を行い「倭奴国=卑弥呼王都高天原説」「委奴国王スサノオ説」を証明できたと考えています。

 各専門分野の研究者にとっては、基本単位・基本原理の解明で確実に成果をあげることが求められ、全体的・総合的な原理・法則の解明については大先生の通説に口を出すことなど難しいと思われますが、スサノオ・大国主建国論や邪馬台国論、さらには縄文論においては、是非、異分野との国内外の交流を深め、世界を相手に論文を書いて欲しいものです。

 また、そのような制約のない市民研究者の皆さんの自由な発想での調査・総合的分析・実験の役割はさらに重要と考えます。

 

参考資料>

縄文ノート24 スサノオ・大国主建国からの縄文研究 200913→1212

1.「考古学と文献のデータ限界」を超える仮説検証型の縄文研究へ

① 縄文考古学のデータ限界の克服:多くの発掘は開発に伴う偶然の産物であり、仮説検証型の発掘・分析(微量定性分析・DNA分析等)と再現実験による仮説検証型の縄文研究に転換すべきと考えます。・・・

⑤ 倭人・倭音倭語・倭食からの総合的縄文研究へ:海人(あま)族の海洋交易文化と山人(やまと)族の照葉樹林文化を持った「主語-目的語-動詞」言語族の日本列島への移動と倭音倭語・呉音漢語・漢音漢語の3層構造からの縄文社会・文化の解明、イモ豆栗6穀の農耕・食文化の伝播を総合した縄文社会・文化・文明の解明を進めるべきと考えます。

 

縄文ノート26 縄文農耕についての補足 200725→0829→0904・09

② 私は「Y染色体Ⅾ1a2aの分布」「主語―述語―目的語の言語構造」「丸木舟製作道具の丸ノミ石斧と曽畑式土器の琉球から東九州にかけての分布」「鳥浜遺跡や三内丸山遺跡のヒョウタンなど南方系野菜」「イモ・雑穀の焼き畑農業」「熱帯・温帯ジャポニカの2段階流入」「琉球から九州・山陰・近畿への方言分布」「縄文時代の琉球と北海道までの貝とヒスイの交易」を総合的に考えて「南方起源説」です。

 

縄文ノート27 縄文の「塩の道」「黒曜石産業」考 200729→0829→0903

② 「縄文農耕」や「土器鍋文化(煮炊蒸し料理や宗教デザイン性)」「和食に繋がる塩・魚介類の道」「母系制社会の女神信仰」「縄文巨木楼観神殿」などと合わせて、総合的な縄文文化論、海人・山人族の海洋交易民文明論としての位置づけが必要と考えます。

 

縄文ノート28  ドラヴィダ系海人・山人族による稲作起源論 201119

 3大穀類などイネ科植物の起源、「主語―動詞-目的語」言語族の移動と穀物言語分析、DNA分析による日本列島人起源、日本語起源、イネのDNA分析、食文化、記紀・風土記の農耕記述などの総合的検討から、「ドラヴィダ海人(あまと=あま)・山人(やまと)族による縄文農耕・稲作ルーツ説」「紀元1~2世紀のスサノオ・大国主一族による鉄器水利水田稲作普及による百余国統一」をこれまで主張してきましたが、今回、「稲作段階論」「長江稲作起源説批判」「米中心史観批判」を中心に、ドラヴィダ海人・山人族による縄文農耕起源論をまとめました。・・・

 「和魂漢才」「和魂洋才」といいながら、実際には「漢才・洋才」中心の4大文明史観のもとで異端視されてきた「照葉樹林文化論(中尾佐助・佐々木高明氏ら)」「日本語ドラヴィダ(タミル)語起源説(大野晋氏)」「海の道の日本人南方起源説(柳田圀男氏ら)」「縄文農耕論(藤森栄一氏ら)」などの全面的復権の時です。すべての論点について整合性のとれた「最少矛盾仮説」を採用すべきです。

 

縄文ノート29 「吹きこぼれ」と「おこげ」からの縄文農耕論 201130

5.世界遺産登録へ向けて

 旧石器時代からの人類の拡散、「主語―動詞-目的語」言語の拡散、農耕文化の拡散、霊(ひ:ピー:祖先霊)信仰、土器鍋文化など、記紀が伝える紀元1~2世紀のスサノオ・大国主7代の建国神話から遡り、日本列島文明は総合的に明らかにすることができます。

 

縄文ノート51 縄文社会・文化・文明論の経過と課題 200927→21020

1.私の立ち位置

 ⑴ プランナー(計画家)として

  ・薄く広く総合的に検討し、「最少矛盾仮説」の検証による解明を行う。

  ・「縄文社会・文化・文明」を現代・未来に活かす。

   ―自然志向、共同性、食文化、芸術など

   ―体験学習や観光、世界遺産登録

 

縄文ノート52 縄文芸術・模様・シンボル・絵文字について

 私がかじった建築学というのは面白い分野で、建築計画となると施設や住宅などの利用方法・人々の生活分析や、伝統的建築や歴史的町並みとなると建築史が必要です。建築デザインとなるとアートのセンスが必要であり、構造計画になると地震学や構造力学などが、設備計画や外構計画(庭園計画や自然・都市景観との調和、環境影響、動線計画など)になると空気力学や植物学・環境工学などが関わります。地域計画や都市計画となると産業活動や都市生活・観光行動などの調査・分析・予測が不可欠ですから社会科学に守備範囲は広がってきます。

 工学系か文科系かという二分法には収まらず、アート系・自然系・環境系・社会科学系などという分類もないと落ち着きません。

 このような背景から、古代史に関心を持つ建築関係者は多いのですが、私を含めて欠点は「浅く広く、生半可」であることと、アート系でもあることから「独創性」にこだわる異説・珍説・異端説が大好きな「おもしろがり」というところでしょうか。

 

縄文ノート62 日本列島人のルーツは「アフリカ高地湖水地方」  210316

 白人中心史観・西洋中心史観ウィルスにより、人類史は大きくゆがめられてきており、それに無自覚な日本の多くの歴史・人類学もまたそのウィルスに感染しています。

 このやっかいなウィルスに感染していない素人の私やみなさんは、先行説にとらわれることなく「私たちはみんなアフリカ生まれの黒人であった」という原点からの見方が可能と考えます。

 私はアフリカには行ったことがなく、アフリカの本の1冊も読んでいない仮説的な考察ですが、「最少矛盾仮説の構築」として自分の頭で考えてきました。あとは各専門分野の若い世代に期待したいと思います。

 

縄文ノート83 縄文研究の7つの壁ー内発的発展か外発的発展か 210703

 私は建築学科出身で、建築計画や地域計画、都市計画、まちづくりなどの仕事をしてきた歴史・考古学の門外漢ですが・・・

 私が学んだ建築というのは、デザイン・構造・設備・造園・環境・街なみ景観・住まい方・地域計画・都市計画・住民運動など、利用者(施主や住民)や利害関係者、行政、事業者など様々な分野の意見を聞き、協力がないと成立しません。考古学や歴史学も同じではないでしょうか?

 若い歴史・考古学の関係者の皆さんはセクショナリズムに陥ることなく、どんどん他の芸術・国語学・民俗学・民族学・食物学・生物学・農学・遺伝子学などの分野と交流し、縄文研究を土器や遺物などの「モノ研究」に閉じ込めることなく、縄文文化・文明としてその全体の解明に乗り出し、世界に情報発信し、世界の旧石器・新石器時代の解明に貢献して欲しいと考えています。

 

縄文ノート117 縄文社会論の通説対筆者説

 試行錯誤しながら縄文社会についてあらゆる角度から書いてきましたが、さらに各論を書き進める前に、現段階で全体を俯瞰しておきたいと考えます。「最少矛盾仮説」として統合する前の予備作業です。

 

縄文ノート131 「仮説ハンター」からの考古学・歴史学 220401

 私の仕事であったまちづくりの分野では、5年後・10年後の市町村計画や、具体的な戦略プロジェクト・事業計画をたてるために、ヒアリング調査・グループインタビュー調査、アンケート調査を必ず行いますが、その時「何かありませんか」と御用聞き調査を行ったのでは5年後・10年後の住民ニーズはつかめません。質問されて初めて意識した、考えた、質問されたから答えた、という人が多いからです。

 いろいろと将来像や問題解決案などについて仮説をたて、質問し、アンケート項目をたてる必要があるのです。その際、仮説的質問が間違って誘導的であったり、不十分であったりすれば、きちんとした調査にはなりません。検証は5年、10年の時間が立たないとできないのですが、仕事がリピートすれば、「仮説→調査→予測→計画」が正しかったということが認められたことになります。

 『スサノオ・大国主の日国(ひなのくに)―霊(ひ)の国の古代史―』では、「委奴国王=スサノオ」とするか金印が発見された志賀島を本拠地としていた「委奴国王=綿津見3兄弟」とするか迷いましたが、前者仮説を立てて調べを進めると、総合的な「最少矛盾仮説」としてまとめることができました。最終的な検証はスサノオ・大国主の墓を見つけ、発掘する必要があります。

 

□参考□

<本>

 ・『スサノオ・大国主の日国(ひなのくに)―霊(ひ)の国の古代史―』(日向勤ペンネーム)

 ・『邪馬台国探偵団~卑弥呼の墓を掘ろう~』(アマゾンキンドル本)

<雑誌掲載文>

 2012夏「古事記」が指し示すスサノオ・大国主建国王朝(『季刊 日本主義』18号)

 2014夏「古事記・播磨国風土記が明かす『弥生史観』の虚構」(前同26号)

 2015秋「北東北縄文遺跡群にみる地母神信仰と霊信仰」(前同31号)

 2017冬「ヒョウタンが教える古代アジア”海洋民族像”」(前同40号)

 2018夏「言語構造から見た日本民族の起源」(前同42号)

 2018秋「『龍宮』神話が示す大和政権のルーツ」(前同43号)

 2018冬「海洋交易の民として東アジアに向き合う」(前同44号)

 2019春「漂流日本」から「汎日本主義」へ(前同45号)

<ブログ>

  ヒナフキンのスサノオ・大国主ノート https://blog.goo.ne.jp/konanhina

  ヒナフキンの縄文ノート https://hinafkin.hatenablog.com/

  帆人の古代史メモ    http://blog.livedoor.jp/hohito/

  邪馬台国探偵団         http://yamataikokutanteidan.seesaa.net/

  霊(ひ)の国の古事記論 http://hinakoku.blog100.fc2.com/

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