ヒナフキンのスサノオ・大国主ノート

「神話探偵団~スサノオ・大国主を捜そう!」を、「ヒナフキンのスサノオ・大国主ノート」に変更します。雛元昌弘

「縄文ノート131 『仮説ハンター』からの考古学・歴史学」の紹介

2022-04-01 17:52:02 | 古代史
 はてなブログに「縄文ノート131 『仮説ハンター』からの考古学・歴史学」をアップしました。https://hinafkin.hatenablog.com/
 MCの小島瑠璃子さんが降板することになった「サイエンスZERO」(NHK・Eテレ)の3月27日の録画を昨夜見て、「素粒子物理学では全世界で毎日10~20個の仮説が生まれている」という研究者の発言を思い出しましたので、忘れないうちに書いておくことにしました。『サピエンス全史』批判は次にしたいと思います。
 本ブログの「スサノオ・大国主建国論」としても、考古学・歴史学にとっては異分野である工学の「仮説検証法」の方法論を、参考にしていただければと思います。 雛元昌弘


□参考□
<本>

 ・『スサノオ・大国主の日国(ひなこく)―霊(ひ)の国の古代史―』(日向勤ペンネーム)
 ・『邪馬台国探偵団~卑弥呼の墓を掘ろう~』(アマゾンキンドル本)
<雑誌掲載文>
 2017冬「ヒョウタンが教える古代アジア”海洋民族像”」(『季刊 日本主義』40号)
 2018夏「言語構造から見た日本民族の起源」(『季刊 日本主義』42号)
 2018冬「海洋交易の民として東アジアに向き合う」(『季刊日本主義』44号)
 2019春「漂流日本」から「汎日本主義」へ(『季刊 日本主義』45号)
<ブログ>
  ヒナフキンのスサノオ・大国主ノート https://blog.goo.ne.jp/konanhina
  ヒナフキンの縄文ノート https://hinafkin.hatenablog.com/
  帆人の古代史メモ    http://blog.livedoor.jp/hohito/
  邪馬台国探偵団   http://yamataikokutanteidan.seesaa.net/
  霊(ひ)の国の古事記論 http://hinakoku.blog100.fc2.com/

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「縄文ノート81 おっぱいからの森林農耕論」の修正

2021-06-26 00:30:02 | 古代史
 記憶力がとみに衰え、「縄文ノート24 スサノオ・大国主建国からの縄文研究」において「高天原(甘木高台)からのニニギの『天下り』逃避行ルート」の図を書いていたことをすっかり忘れていましたので、追加しました。

 縄文論とは直接には関係しませんが、「縄文時代」→「弥生時代」→「古墳時代(天皇家建国)」という「ドキドキバカ史観」が横行し、記紀や魏書東夷伝倭人条、三国史記新羅本紀などの記載を無視した弥生人(中国人・朝鮮人)天皇家による建国などという空想がまことしやかに信じられ、「縄文時代」を野蛮・未開時代とする「断絶史観」が幅を利かせている状況に対し、縄文時代からスサノオ・大国主の建国へと連続した内発的発展の歴史観の確立に向けて、図を1枚、追加しました。
 「縄文ノート24 スサノオ・大国主建国からの縄文研究」から図と次の文章を再掲します。「高天原」=卑弥呼の宮殿の位置については、魏書東夷伝倭人条の「正使陸行・副使水行」の距離・日程計算から旧甘木市の高台であることを突き止めていますので、『邪馬台国探偵団~卑弥呼の墓を掘ろう~』(アマゾンキンドル本)をご参照下さい。

 古事記・日本書紀によれば、笠沙天皇家初代のニニギの「天下り」は、「筑紫日向(ちくしのひな:旧甘木市蜷(ひな)城)の高天原(甘木=天城の高台)」→「猿田毘古」(佐田)→「浮橋」(浮羽)→「頓丘:ひたお」(日田)→「久士布流岳」(久重山)→「膂宍之空国(そししのむなくに:猪の背骨のような国のない九州山地)」→「高千穂峰」(高千穂峰などのある霧島連峰)→「笠沙・阿多・吾田・長屋・竹屋」(アンダーラインは記紀記載地名)と「空国」の九州山地を縦断した薩摩(狭投馬:さつま)半島南西端への逃避行であり、高天原からの征服王の移動ではありません。卑弥呼の後継者争いで破れた男王派の山人族(やまと:狩猟民)の小部隊が平野部の敵地の国々を避けての逃走経路です。

 記紀の神話全てを8世紀の創作とするトンデモ説が見られますが、大和の官僚たちが地図もない時代にこのような地名を知るわけもなく、また、ニニギが笠沙にたどり着いて『ここは韓国に向い、笠沙の御前(岬)を真来(真北)とおりて、朝日の直刺す国、夕日の日照る国なり。いとよき地だ』と述べたというのは真実の伝承を伝えている「秘密の暴露」がみられます。
 8世紀に遣唐使などとして漢文を学んだ官僚たちが建国史を創作するなら、大和の三輪山や二上山などへ天皇家の祖先は天から天下った、と書けばよいのであって、薩摩半島南西端に笠沙天皇家3代が猟師(山幸彦=山人)として暮らしていたなどと創作する必要はないのです。
 高天原からのニニギの天下りは、垂直移動ではなく、具体的な地名・地理を述べた水平移動であり。それは征服王の移動などではなく、卑弥呼の後継者争いで破れた男王派の山人族(やまと:狩猟民)の小部隊が平野部の女王・壹与派の敵地の国々を避けて逃走経路であることを記紀は隠していないのです。

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新型コロナのため、しばらく休止します。

2020-04-26 17:09:46 | 古代史
みなさまへ
 私は新型コロナウィルスによる戒厳令的な「外出・営業抑制」に対し、3月下旬の海外旅行者・帰国就業者留学生の感染の発症のピークは4月11日をピークに約6日周期で減少しており、緊急事態宣言など必要なく、「クール」で賢い日本型の対策でいい、と主張してフェイスブックを書き続けてきました。
 そんなわけで、古代史ブログはしばらく休止させていただきます。
 なお、もしその原稿をご希望であれば、フェイスブックのメッセンジャーか、あるいは、このブログでご連絡下さい。 雛元昌弘

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神話探偵団129 麻生太郎氏の「126代の1つの王朝」は正しいか?

2020-01-15 11:33:43 | 古代史
 1月13日の麻生太郎副総理の「2000年の長きにわたって一つの国で、一つの場所で、一つの言葉で、一つの民族、一つの天皇という王朝を126代の長きにわたって一つの王朝が続いている国はここしかない」と発言し、アイヌ民族を「先住民族」とした「アイヌ施策推進法」と矛盾するとマスコミで批判されたのに対し、14日、「1つの民族」については「政府の方針を否定するつもりは全くありません」との訂正発言を行いました。
 しかしながら、「126代の長きにわたって一つの王朝が続いている」という天皇制発言に対し、歴史学者やマスコミが何ら反応していないことに対し、「新皇国史観」(天皇を神とする戦前の皇国史観に対し、人間天皇の万世一系支配を主張する史観)を批判してきた私としては、この点にこそ反論したいと思います。
 そもそも後漢・新羅や魏と国交を交わした紀元1世紀の百余国の「委奴国」、3世紀の30国の「邪馬台国」は天皇家とは関係ありません。
 712年に作成された古事記は、大国主は少彦名(すくなひこな)と「国を作り堅め」、少彦名の死後には、美和(後の大和(おおわ))の大物主と「共に相作り成」したとはっきりと書き、その国名を「豊葦原の千秋長五百秋(ちあきのながいほあき)の水穂国」としています。水穂¬=水稲の国づくりは大国主が行ったとしているのです。日本書紀もまた、大国主と少彦名が「力をあわせ、心を一つにして、天下を経営し、動植物の病や虫害・鳥獣の害を払う方法を定め、「百姓、今にいたるまで、恩頼を蒙(こうむ)る」と伝えています。
 出雲国風土記は大国主を「五百つ鉏々(いおつすきすき)取り取らして天の下所造らしし大穴持命」としており、「鉏(鋤、鍬)」を配って水田稲作を普及させ、「天下造所」したとして記紀を裏付けています。この「鉏(鋤、鍬)」は「金」偏ですから、縄文時代からの「木鋤(こすき)」の刃先に鉄を付けたものであり、この鉄先スコップで大国主一族は原野を開拓し、水路を整備した水田を全国に広めたのです。わが国の鉄器時代への移行と農業革命は武器ではなく、農機具を普及させた大国主によって成し遂げられたのです。
 さらに桓武天皇第2皇子の52代嵯峨天皇は「素戔嗚尊は即ち皇国の本主なり」として「正一位の神階」と「日本総社の称号」をスサノオの和魂(にぎたま)を祀る津島神社に贈り、66代一条天皇は「天王社」の号を贈っています。「天王さん」と呼ばれて庶民から親しまれ、全国約3千の津島神社・天王社に祀られているスサノオを、天皇家はこの国の「本主」「天王」として公認しているのです。
 詳しくは『スサノオ・大国主の日国(ひなこく)―霊(ひ)の国の古代史―』(日向勤名)、『邪馬台国探偵団~卑弥呼の墓を掘ろう~』(アマゾンキンドル本)やブログを参照いただきたいのですが、私は委奴国王はスサノオ、鬼(委奴国王から続く祖先霊)を祀った卑弥呼(霊(ひ)御子=霊(ひ)巫女)は筑紫大国主王朝の11代目であることを明らかにしています。
記紀と風土記、52代・61代天皇はこの国の建国者をスサノオ・大国主としているのであり、麻生太郎副総理の「一つの天皇という王朝」はそもそもこの国の建国史から成立しません。さらに、21代雄略天皇、26代継体天皇など王朝交代説があり、平安時代は「藤原王朝」といってもいい貴族支配時代であり、鎌倉・室町・江戸時代は「武家支配」の時代です。
このような歴史を無視した「新皇国史観」に対し、歴史学者やマスコミが沈黙を保っていることは、実に危機的な時代となったと感じます。
 なお、多国籍のラグビー日本チームの「ワンチーム」をいうなら、麻生氏は1万5千年の縄文時代こそ話題にすべきです。わが国はDNA多民族であり、南方・北方・西方から多くの民族が集まり、対馬暖流(私は琉球暖流と呼ぶべき)に乗った海人(あま=天)族が活発に交流‣交易・移住を行い、世界に先駆けて芋穀・魚介肉の健康で豊かな土器鍋食の文化をつくり、それは「和食」として世界に広まっているのです。
 「ワンチーム」を「単一国チーム」と曲解し、この国の歴史を捻じ曲げる人物が副総理となっているというこの異常さに「ボー」としているマスコミに操られたこの国はどこへいくのでしょうか?

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