ヒナフキンのスサノオ・大国主ノート

「神話探偵団~スサノオ・大国主を捜そう!」を、「ヒナフキンのスサノオ・大国主ノート」に変更します。雛元昌弘

神話探偵団131 『古事記』が示すスサノオ・大国主建国王朝

2020-03-30 18:23:58 | スサノオ・大国主建国論
 8年前(2012年5月)に書き、縄文の講演会で出合った大学先輩の山岸修氏が編集長をつとめていた『季刊日本主義』16号(120615)に掲載された原稿をもとに、一部、加筆・修正しました。
 「スサノオ・大国主建国論」の全体像をまとめており、古いものですが紹介したいと思います。
 なお、『季刊日本主義』は廃刊になりましたが、古代史について次のような原稿を掲載していただきました。ネットで購入可能です。雛元昌弘

<『季刊日本主義』掲載の古代史小論一覧>
 「古事記」が指し示すスサノオ・大国主建国王朝(18号:2012夏)
 「古事記・播磨国風土記が明かす『弥生史観』の虚構」(26号:2014夏)
 「北東北縄文遺跡群にみる地母神信仰と霊信仰」(31号:2015秋)
 「建国史からみた象徴天皇制と戦後憲法」(35号:2016秋)
 「古代ー現代を通底する『和』と『戦』の論理(36号:2016冬)
 「『龍宮』神話が示す大和政権のルーツ」(43号:2018秋)
 「言語構造から見た日本民族の起源」(42号:2018夏)
 「海洋交易の民として東アジアに向き合う」(44号:2018冬)
 「漂流日本」から「汎日本主義」へ(45号:2019春)

『古事記』『日本書紀』などが伝えるスサノオ・大国主の建国
 712年作成の『古事記』によれば、「大穴牟遅(おおなむぢ)と少名毘古那と、二柱の神相並ばして、この国を作り堅めたまひき」と書かれ、この国は大国主(大穴牟遅、な=穴=国)と少彦名によって建国され、少彦名が死んだ後は、大国主と大物主(スサノオの御子の大年:代々襲名)が協力して国作りを行ったとされている。
 720年完成の『日本書紀』一書(第六)は、大国主と少彦名が「力をあわせ、心を一つにして、天下を経営す」とし、動植物の病や虫害・鳥獣の害を払う方法を定め、「百姓、今にいたるまで、恩頼を蒙(こうむ)る」と伝えている。733年完成の『出雲国風土記』は、大国主を「五百つ鉏々(いおつすきすき)取り取らして天の下所造らしし大穴持命」とし、その180人の御子の一人の名前は阿遅鉏高日子根(あじすきたかひこね)であり、「鉏(鋤)」によって建国した王としている。 
 大国主は「打ち廻る 島の崎崎 かき廻る 磯の崎落ちず(もれず) 若草の 妻持たしめ」と妻のスセリヒメが嫉妬して歌ったように、海を巡り、百八十人の御子を各地にもうけたとされている。その範囲は、越から筑紫にまで及んでいる。
 『古事記』にはスサノオ~大国主7代、大国主10代、合計16代の王の系譜が記されているが、この大国主10代の王達は、大国主を国譲りさせて出雲の後継者となったホヒ(天菩比神)・ヒナトリ(建比良鳥命、武日照命・武夷鳥命)親子とは別の、筑紫の大国主一族と考えられる。
 『古事記』『日本書紀』『出雲国風土記』を認めるならば、この国の建国はスサノオ・大国主によって行われたことを承認しなければならない。

大国主・少彦名の「日本の中心になるはずであった」との建国伝承が伝わる高御位山(兵庫県高砂市)
(天皇家の皇位継承は「天津日嗣(ひつぎ)高御座(たかみくら)之業」と言われる)


「皇国史観」対「反皇国史観」の2つのフィクション
 しかしながら、わが国の古代史は、天皇制をめぐる左右のイデオロギーに支配され、「皇国史観(天皇を神とする征服王朝史観)」と「反皇国史観(日本神話は記紀の創作)」という2つの虚構(フィクション)の中をさまよってきた。
 私が50数年前の学生時代に「歴史教科書と思って読め」と友人に勧められた井上光貞氏の『日本国家の起源』(岩波新書)は「日本神話は、国家観念の形成過程を知るためには最も大事な材料ではあるが、国土統一の史的過程をたどるという主旨からいえば、はじめから問題の外においてよいであろう」と日本神話を切り捨てている。
 この2つの史観に共通するのは『古事記』に書かれている「スサノオ・大国主王朝」の建国史の隠蔽、抹殺である。
 一例をあげよう。『古事記』は稗田阿礼が暗唱していた『帝紀(帝皇日継)』(天皇の系譜)と『旧辞(先代旧辞)』(伝承)を太安万侶が書き記したという嘘がいまだにまかり通っている。しかしながら、『古事記』序文を読んでみれば誰にでもわかるが、太安万侶はそのようなことは一言も書いていない。
 稗田阿礼は「目に度(わた)れば口に誦(よ)んだ」のであり、音(音を漢字一字で表す万葉仮名)と訓(漢字を意味で読む)のチャンポンで書かれた『帝紀』と『旧辞』などを読む能力を持った「音訓文解読学者」であった。口承文化の担い手などではなく、遣隋使・遣唐使などの漢文を習った天皇家の学者達には読むことができなかった日本独自の漢字表記の継承者であったのである。私は、稗田阿礼は蘇我氏が編纂した『天皇記』『国記』の作成に関わったれっきとした歴史学者であったと考えている。
 この古事記序文を無視して「稗田阿礼暗唱(丸暗記)説」がなぜ登場したのであろうか?
 それは「皇国史観」「反皇国史観」のどちらもが、『古事記』を最初に書かれた歴史書としては認めたくなく、「『古事記』は口承を記したもので信用できない」としたかったからである。
 「皇国史観」は『古事記』に記されたスサノオ・大国主建国史を無視して「万世一系の天皇による建国」にするためには、天皇家の先祖が薩摩半島南西端の笠沙(かささ)の猟師(山幸彦=山人)ではどう考えても都合が悪い。「反皇国史観」はアマテラス神話は認めたくないから、スサノオ・大国主神話ともども虚構として抹殺したのである。
 戦後、天皇が神から人間に降格されて「皇国史観」が否定されたとき、『古事記』は再検討され、神話とされたスサノオ・大国主やアマテラスなど神々の物語を人間の歴史として再構築しなければならなかったのである。しかしながら、「反皇国史観」は「たらい水(アマテラス神話)」とともに、「赤子(スサノオ・大国主神話)」も流してしまったのである。
 『古事記』は、わが国の最初の歴史学者、太安万侶と稗田阿礼が作成した最古の歴史書である。私たちはこの二人の古代知識人に敬意を払い、「皇国史観」「反皇国史観」という古くさい二つの古代史フレームから離れ、『古事記』の再評価を行う必要がある。

「天皇家建国史観(大和中心史観)」から「スサノオ・大国主建国史観」へ
 私は大学では建築学科で地域計画を専攻し、全国各地の主に市町村の各種の計画づくりに従事していたが、2001年秋に青森県東北町で坂上田村麻呂が書いたとされる「日本中央」の石碑に出会い、この「日本」の解明から古代史の探究に入り、2009年に『スサノオ・大国主の日国 霊の国の古代史』(梓書院:日向勤ペンネーム)を上梓した。

『スサノオ・大国主の日国 霊の国の古代史』(梓書院:日向勤ペンネーム)


 実は、私の父の実家は岡山の山奥の山村の出身であるが、集落30戸は「ひな」を名乗っており、江戸時代中期からの墓には「日向(ひな)」、提灯には「日南(ひな)」と書き、本家であった実家は明治に入って「日本(ひなもと:おそらく日向本を縮めたのであろう)」の名字を届けたところ、役場から勝手に「雛元」名字に変えられている。「日本中央」の石碑を東北町で見たときに、「日本」を「にほん」「やまと」「ひのもと」ではなく「ひなもと」読みではないか、と私は直感したのである。リタイア後に調べてみようと思っていたのであるが、続いて三沢市か十和田市の仕事をしていた時、八甲田連峰に雛岳があることに気づき、仕事のかたわら調査を始めることになった。
 この『スサノオ・大国主の日国 霊の国の古代史』は、全国各地の仕事先で出合ったスサノオ・大国主伝承を網羅した粗い仮説的な「スサノオ・大国主王朝建国史」であったため、私が開いている5つの古代史ブログ、「霊の国―スサノオ・大国主命の研究」「霊(ひ)の国の古事記論」「神話探偵団」「邪馬台国探偵団」「帆人の古代史メモ」でその深化を図り、リタイア後に『スサノオ・大国主王朝建国史』『古事記・播磨国風土記から日本神話を解明する』『邪馬壹国を掘ろう』『「委」「倭」「大和」「日本」国名の謎を解く』『霊(ひ)の国の宗教史』『前方後円墳体制論批判』などの本をまとめようと思っていた。
 ところが、その矢先に東日本大震災と福島第1原発事故がおこり、計画は中断せざるをえなくなった。しかし、天皇家以前の神話時代の古代史を解明しようとする私の新たな基本フレームはほぼ出来上がっている。
 現在、「古代史村」の研究者の大勢は「皇国史観」対「反皇国史観」の枠組み(フレーム)から、「新皇国史観(天皇建国史観)」とでもいうべき、左右の「大和中心史観」(邪馬台国大和説・邪馬台国東遷説)と、古田武彦氏らの「九州王朝説」「多元的古代国家説」、安本美典氏らの「九州邪馬台国東遷説」、天皇家の起源を朝鮮や中国に求めるいくつかの説などが対抗しているが、私は「スサノオ・大国主建国説」という新たな古代史パラダイムを提案している。
 この「大和中心史観」対「スサノオ・大国主王朝建国史観」の対立軸は、具体的には「精霊・太陽信仰説」対「霊(ひ)信仰説」、「征服王朝史観」対「霊(ひ)継ぎ王朝史観」、「農耕民族史観」対「航海・通商民族史観」、「天国史観」対「海人(あま)国史観」、「アマテラス神話論」対「スサノオ・大国主神話論」、「スサノオ・大国主・アマテラス同時代説」対「スサノオ・大国主命六代、スサノオ・アマテラス一六代乖離説」、「アマテラス=卑弥呼説」対「アマテラス=卑弥呼モデル説」、「邪馬台国東遷説・畿内説」対「委奴・壱岐・伊都・山壹国九州説」、「倭(わ)国史観」対「委(い、ひ)国史観」、「神武東征・東遷説」対「神武傭兵説」、「天皇家による前方後円墳体制論」対「スサノオ・大国主一族による方墳・前方後方墳・前方後円墳体制論」などである。
 『魏書東夷伝』倭人条、『古事記』、『播磨国風土記』の3歴史書をたんねんに読み解き、人=神を祀る神社伝承や民間伝承、地名、考古学と総合して分析すれば、この国の建国史は合理的に解明することができると考える。

「霊(ひ)信仰」こそが「古事記」を読み解く鍵
 戦後の「反皇国史観」の決定的な誤りは、侵略戦争の精神的な支柱となった「アマテラス神道」を否定するあまり、古代人の「霊(ひ)信仰」「八百万神信仰」から離れて古代史を構築しようとしたことにある。
 私は宗教を「自然崇拝」→「祖先霊崇拝(霊は大地に帰り、黄泉(よみ)帰る)」→「首長霊崇拝(王の霊は昇天し、降地して次王に霊(ひ)継ぎされる)」→「絶対神信仰(世界宗教)」の4段階でとらえ、「首長霊崇拝」こそが初期古代国家の成立と古墳時代の幕開けであり、「世界宗教」である仏教の導入こそが天皇家の古代統一国家の成立を示すと考えている。
 沖縄や鹿児島では、女性の性器を「ひ」「ひーな」と言い、茨城・栃木ではクリトリス(陰核、さね)のことを「ひなさき(吉舌、雛尖、雛先)」(『和名抄』から続く)と呼んでいる。また、出雲では女性が妊娠したことを「霊(ひ)が留まらしゃった」といい、茨城では死産のことを「ひがえり(霊帰り)」といっている。
 新井白石は「人」を「ヒ(霊)のあるところ(ト)」とし、角林文雄氏は『アマテラスの原風景』の中で、「姫」「彦」「卑弥呼」などを「霊女」「霊子」「霊巫女」と解釈している。
 『古事記』で天之御中主神に次いで二番目・三番目に登場する神は高御産巣日(たかみむすひ)・神産巣日(かみむすひ)であるが、『日本書紀』では「高皇産霊神」「神産霊神」と書かれている。「日」=「霊」であり、この2神は古事記序文で「二霊群品の祖」と書かれているように「霊(ひ)」を産んだ夫婦神であり、神産巣日神は大国主の危機を何度も助ける守り神で、「別天神」5神の2・3番目の神として出雲大社正面に祀られている。なお、「別天神」は倉野憲司校注の『古事記』では「ことあまつかみ」とされており、倭音で表せば「別れたあまのつの神」になり、元々「天(海、海人)の津」から分祀した神であり、対馬を中心とした海人族の神である。
 「二霊群品の祖」を祀るこの国は「霊(ひ)の国」であり、アマテラスとスサノオの「宇気比(うけひ)」は「受け霊(ひ)」、王や天皇の王位継承儀式の「日継(ひつぎ)・日嗣(ひつぎ)」は「霊(ひ)継ぎ」、「柩・棺」は「霊(ひ)を継ぐ入れ物」、「神籬(ひもろぎ)」は「霊洩ろ木:後の御柱」である。
 DNAによる遺伝法則を知ることのなかった古代人は、親子が似ているのは、親の霊(ひ)が子孫に受け継がれる、と理解した。「人間はDNAの入れ物」ということを、古代人は「人間は霊(ひ)の入れ物」=「霊(ひ)の器」と考えたのである。
 共同体のリーダーであった首長が、世襲王に代わって国家が生まれた時、その宗教は縄文時代から続く大地からの黄泉帰り宗教から、王の霊(ひ)が天に昇り、降地して次王に山上(神那霊山:かんなびやま)の古墳の上で受け継がれる、という霊(ひ)信仰に変わっている。地神(地母神)・海神信仰から天神信仰への宗教改革である。
 『古事記』に書かれているイザナギが殺したカグツチの血から神々が生まれたという神話や、イザナギの体に付いた黄泉の国の汚垢(けがれたあか)からスサノオやアマテラスなどの神々が生まれたという神話、スサノオが殺したオオゲツ姫の死体から蚕や稲・粟・小豆・麦・大豆が生まれたという神話は「黄泉帰り宗教」の神話である。甕棺や「柩・棺」に丹(に)が入れられているのは、子宮(ひな=霊那=霊が留まる場所)の血の中から赤子が産まれるという再生思想を示している。
 ところが、大国主が国譲りの条件として「天御巣」「住居」(48mの出雲大社)で日継(霊継)を支配するとした神話は、大地や海(あま)からの「黄泉帰り宗教」ではなく、王の霊は天に昇り、降りて次王へ引き継がれるという天神信仰に基づく「霊(ひ)継ぎ」を伝える王位継承神話である。両者は大きく時代が異なっている。
 この「霊(ひ)の国史観」から、『古事記』解読にあたっては、次の5つの視点が不可欠である。
 霊(ひ)の継承こそが王権の根拠であり、スサノオ・大国主・大物主・天皇家などの系譜は、親子・兄弟の誤りなどの錯誤はあるものの、基本的に大きな改竄はない。
 スサノオ・大物主一族などは、代々、霊(ひ)を受け継ぐことにより、「スサノオ」「大物主」などを襲名していた。記紀の記述を不合理としたのは、この襲名の無理解にある。
 大国主が180人の御子を生んだという記載は、大国主が妻問い婚による「霊(ひ)継ぎ」により百余国に支配を広げた「霊(ひ)継ぎ王朝」であることを示している。
 10代目の御真木入日子印恵(みまきいりひこいにえ:後に崇神天皇と命名)がアマテラスと大物主大神(スサノオ)を宮中に移して祀ったところ、民の半数が死ぬという恐ろしい祟りを受け、宮中から両神を出して大物主大神の子孫の太田田根子を捜して祀らせたところ疫病が収まったとされていることは、霊(ひ)は血の繋がった子孫によって祀られないと祟ると信じられていたことを示している。この記紀の記載は、天皇家がアマテラスと大物主大神(スサノオ)の一族ではないことを表している。実際、明治まで天皇は伊勢神宮に正式に参拝せず、宮中で祀っていない。
 アマテラスが黄泉の国の汚垢(けがれたあか)から生まれ、アマテラスの玉からオシホミミが生まれたという、二代続けての「もの姫・もの太郎神話」は、天皇家が祖先を偽って祟りを受けることを避けるためのフィクションであり、天皇家がアマテラスとオシホミミの子孫ではないことを示している。

「欠史16代」を埋める「スサノオ・大国主16代」
 『古事記』によれば、神話時代の天皇家は、天之御中主(あめのみなかぬしの)から始まる「別天つ神五柱4代」、イザナミ・イザナギを最後とする「神世7代」、アマテラス・忍穂耳(おしほみみ)の「高天原2代」、ニニギ・山幸彦・彦瀲(ひこなぎさ:うがやふきあえず)の「笠沙天皇家3代」の合計16代である。
 ところが、『新唐書』によれば、遣唐使は天皇家の祖先を「初主號天御中主(あめのみなかぬし)、至彦瀲(ひこなぎさ)、凡三十二世、皆以『尊』爲號(ごう)、居筑紫城」と中国側に自言している。『古事記』には、「32代-16代=16代」の欠史があることになる。

『古事記』の欠史16代と16代のスサノオ・大国主王朝


 一方、『古事記』はスサノオ・大国主の16代の系譜を伝えるとともに、初代~16代の天皇の年齢を2倍に水増ししている。また、ニニギが醜い石長比売(イワナガヒメ)を親の元に返したので呪いをかけられ、代々の天皇は短命であるという記述がある一方で、その孫のウガヤフキアエズ(彦瀲)は580歳であったと記している。当時の平均年齢が35歳とすると17代分の水増しである。
 この3つの「16代」の一致や、ウガヤフキアエズ580歳の記述は、単なる偶然とは言えない。『古事記』の作者・太安万侶が後世に残した暗号である。
 別天つ神五柱が出雲大社の正面に祀られていることからみて、この5神はスサノオ・大国主王朝の始祖神である。従って、「別天つ神五柱4代」+「神世7代」に続くのは「スサノオ・大国主16代」+「アマテラス2代(アマテラス・オシホミミ)」の九州王朝の正史であり、これに薩摩半島の笠沙に逃れてきたニニギ、「毛のあら物、毛の柔物」を取る猟師の山幸彦(山人:やまと)、ウガヤフキアエズの3代の歴史を接ぎ木したものが、「天御中主(あめのみなかぬし)、至彦瀲(ひこなぎさ)、凡三十二世」である。
 天皇家はこの真実の歴史を改竄し、アマテラスをスサノオの姉とし、大国主のホヒへの国譲り(180人の御子たちの後継者争い)をアマテラスへの国譲りに変えたのである。

「スサノオ・大国主建国」を示す古代王の即位年推計
 安本美典氏(元産能大学教授)は数理統計的な分析により、古代天皇の平均在位年数を10.88年とする画期的な説をとなえた。

31~50代天皇の即位年の直線回帰による古代の王の即位年の推定
(安本氏のデータをもとにしたエクセルでの推計)


 31~50代天皇について最少二乗法で計算してみると、一代は10.317年になる。古代人の平均年齢が35歳とすると、「25歳+10年」で世代交代が行われるのは、成人が王位継承する合理的な方法であり、この統計的分析が正しいことを示している。
 この推計式を神話時代32代にあてはめると、スサノオ、淤美豆奴(おみずぬ:スサノオ5代目)、大国主(スサノオ7代目)、アマテラス(スサノオ17代目)の即位年は、それぞれ紀元60年、102年、122年、225年になる。
 当然ながら誤差はあるものの、これらは「委奴国王」の金印(57年)、倭国王「師升(すいしょう)」の遣使(107年)、大国主退位後の九州の「倭国の大乱」(146~189年頃)、「卑弥呼」の時代(238年頃)にほぼ対応している。
 『魏書東夷伝倭人条』によれば、卑弥呼(霊御子)は鬼道(鬼神=祖先霊)によって、倭国百余国のうちの北九州の30国を再統一したというのであるが、卑弥呼が祀った30国の王たちの共通の鬼(祖先霊)とはいったい誰であろうか?
 私は大国主以外にありえない、と考えている。
 魏使が上陸した松浦半島の呼子(陸行・水行の起点)からの「正使陸行・副使水行」の行程からみて、邪馬壹国は古事記の高天原神話の舞台である「筑紫の日向(ひな)」、現在の朝倉市(旧甘木市・朝倉町・杷木町)の「蜷城=ひなしろ」にあり、卑弥呼=アマテラスの宮殿はこの地の「天城高台(甘木高台)」=「高天原」にあった、と私は考えている。―詳しくは『邪馬台国探偵団~卑弥呼の墓を掘ろう~』(アマゾンキンドル本)参照
 
旧甘木市林田の「蜷城(ひなしろ)」にある美奈宜(みなぎ)神社(みなぎ=ひなぎ=日向城)

 
 後に新羅侵攻の拠点として神功皇后と斉明天皇(女帝)・中大兄皇子がこの地を拠点とし、神功皇后はこの地でスサノオ・大国主を祀る大三輪社(大己貴神社)を立てることによって兵を集めることができたというのは、この地が大国主一族の九州王朝の聖地であったからである。

大神神社の額を飾る大三輪社(大己貴神社※)
※大神=大物主大神=スサノオであるが、神社名と祭神は大己貴(おおなむち)=大国主としている

 記紀はアマテラスの生誕地を「筑紫の日向(ひな)の橘の小門(おど)の阿波岐(あはき)原」とし、日本書紀は神功皇后が討ったこの地の王を「羽白熊鷲(はねしろのくまわし)」としているが、「波岐=杷木=杷城(はき)」=「羽白=羽城(はねしろ)」である。この地こそ高天原神話の(波岐=杷木=羽城=羽白)の舞台であった。
 私は、卑弥呼(大霊留女:オオヒルメ)はこの「筑紫城(天城)」を拠点とした「スサノオ17代目・大国主11代目」の女王であり、この卑弥呼をモデルにして、アマテラスが天皇家の始祖として創作された、と考えている。もし、アマテラスが天皇家の本当の祖先なら、この地で神功皇后と斉明天皇らは、戦勝を祈願してアマテラス=卑弥呼を祀る大々的な儀式を行ったはずであるが、そのような痕跡は『古事記』『日本書紀』には皆無である。
 神(スサノオとアマテラスの霊)の祟りを受けた崇神天皇だけでなく、この地でアマテラスを祀らなかった神功皇后・斉明天皇もまた、天皇家が卑弥呼=アマテラスの血を受け継いでいないことを証明しているのである。

「鬼道」=「霊(ひ)信仰」からの建国史
 「皇国史観(アマテラス一神教)」「反皇国史観」「大和中心主義(天皇建国史観)」は、何の証明もなく、卑弥呼の鬼道を道教やあやしげな新興宗教とし、あるいはアマテラスの太陽信仰としているが、これらは単なる空想に過ぎない。『魏書東夷伝』によれば朝鮮半島の各国では鬼神信仰が行われ、倭国は孔子が憧れた「道」が行われる国であったため、この鬼神信仰を「鬼道」と特筆したのである。
 「魏」の国は漢字分解すれば「委+鬼」=「禾+女+鬼」の国であり、「女性が禾(稲)を鬼(祖先霊)に捧げて祀る国」である。孔子が住みたいと憧れたという「倭(人+禾+女)」から「鬼道」(祖先霊崇拝)で30国(百余国の1/3)を統一した女王の使いがきたことは、三国間で覇権を争い漢王朝の正当な後継者を目指していた魏にとっては大いなる吉兆であった。魏皇帝が破格の扱いで、卑弥呼や壱与に金印や金銀錯嵌珠龍文鉄鏡(曹操一族の皇帝鏡)を下賜したのは、邪馬壹国(山委国)が「鬼道によって各国を再統一した女王国」であったからである。
 わが国の建国史は、「鬼道=霊(ひ)信仰」から再構築されなければならない。
 『古事記』は誇るべきわが国最古の歴史書であり、文学書である。スサノオや大国主の愛の歌とともに語られるスサノオ・大国主建国神話は、世界に誇るべき、ロマンあふれる英雄物語である。
 太安万侶は天武天皇のための歴史書を書きながら、スサノオ・大国主一族の建国の真実を後世に残そうと、多くの暗号を古事記に残している。日本書紀も「一書(あるふみ)」の形で真実を伝えている。
歴史学を専攻する若い世代の皆さんが、「盥(たらい)水(アマテラス神話)とともに流してしまった赤子(スサノオ・大国主神話)」を取り上げ、立派に育てあげることを期待したい。


筆者が想定する邪馬壹国・卑弥呼の宮殿のあった「高天原」
―旧甘木市荷原の美奈宜(みなぎ)神社背後の山上の台地―


参考資料 倉野憲司校注『古事記』(岩波文庫)
     坂本太郎・家永三郎・井上光貞・大野晋校注『日本書紀』(岩波文庫)
     安本美典著『(新版)卑弥呼の謎』(講談社現代新書)
     角林文雄著『アマテラスの原風景』(塙書房)
  王勇著『中国史の中の日本像』(農文協)
  日向勤著『スサノオ・大国主の日国 霊の国の古代史』(梓書院:)


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1 コメント

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しゃべりだした科学的知性 (サムライ魂)
2024-03-02 16:45:53
最近はChatGPTや生成AI等で人工知能の普及がアルゴリズム革命の衝撃といってブームとなっていますよね。ニュートンやアインシュタインの理論駆動型を打ち壊して、データ駆動型の世界を切り開いているという。当然ながらこのアルゴリズムは人間の思考を模擬するのだがら、当然哲学にも影響を与えるし、中国の文化大革命のようなイデオロギーにも影響を及ぼす。さらにはこの人工知能にはブラックボックス問題という数学的に分解してもなぜそうなったのか分からないという問題が存在している。そんな中、単純な問題であれば分解できるとした「材料物理数学再武装」というものが以前より脚光を浴びてきた。これは非線形関数の造形方法とはどういうことかという問題を大局的にとらえ、たとえば経済学で主張されている国富論の神の見えざる手というものが2つの関数の結合を行う行為で、関数接合論と呼ばれ、それの高次的状態がニューラルネットワークをはじめとするAI研究の最前線につながっているとするものだ。この関数接合論は経営学ではKPI競合モデルとも呼ばれ、様々な分野へその思想が波及してきている。この新たな哲学の胎動は「哲学」だけあってあらゆるものの根本を揺さぶり始めている。ひるがえって考えてみると日本らしさというか多神教的な魂の根源に関わるような話にも思える。
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