ヒナフキンのスサノオ・大国主ノート

「神話探偵団~スサノオ・大国主を捜そう!」を、「ヒナフキンのスサノオ・大国主ノート」に変更します。雛元昌弘

46 スサノオ・大国主ネットワークの勝利

2009-05-30 18:49:03 | 歴史小説
出雲大社の東西の一九社(神在祭に、全国各地から集った神々の宿所)


●ボク 21:19
出雲系の神社というのは、当時、そんなに強力なネットワークを持っていたんですかね?

●ヒナ 21:20
仏教や新興宗教などの絆より強かったと思いますよ。
氏族社会の時代は、先祖を同じくするという血縁意識で人々は結びついていたわけですから、祖先霊を祀る宗教心は強かったと思います。

●マル 21:23
各地で仕事をしていると、いたるところで熊野神社や八坂神社、氷川神社、津島神社、大歳神社、三輪神社、金比羅神社(宮)、稲荷神社、日吉神社、賀茂神社などに出会うけど、スサノオかその子、孫を主祭神としているね。

●カントク 21:26
大国主を併せて祀っている神社も多いよ。

●ボク 21:27
しかし、神社は仏教寺院ができてから作られるようになった、という建築史専門家の説もあります。神話時代にまでは遡りますかね?

●ヒナ 21:28
記紀は、大国主は「天の御舎:古事記」「天日隅宮:日本書紀」に祀られたとはっきりと記していますよ。

●ボク 21:30
梅原猛氏は、出雲大社は壬申の乱後の元正天皇の頃に造られた、という説ですよ。

●ヒナ 21:31
それは出雲臣が、元正天皇の前で「神賀事(かむよごと)」を奏したことを伝えた続日本書紀の解釈の誤りと思います。出雲臣は、祖先の天穂日が熊野神社の地から、今の出雲大社の地へ祖先の祭りを移したと言っているのであって、自分が移した、とは言ってません。

●マル 21:34
ヒナちゃんは、神主の娘だけあって、神社にはこだわるよね。
ところで、ボクちゃん。梅原猛先生は、「私の旧説を厳しく批判し、出雲王国は実在したと主張する本を書かねばならない」とおっしゃっているわよ。いずれ『神々の流竄(るざん)』を批判する本を出されるのじゃあないかしら。

●カントク 21:37 
古事記をみると、神社には2つの系統があるように思うんじゃ。
1つは、大国主の「天の御舎」「天日隅(ひすみ=霊住み)宮」じゃ。出雲大社をみればわかるが、正面に「別天つ神5柱」を祀り、その右手奥に大国主が住んでいた、王の宮殿そのものを神社としたものじゃ。
もう1つは、「御諸山(みもろやま=三輪山)の上に坐す神」など、神那霊山の山上の磐座(いわくら)に天上から降りてくる霊を、麓の拝殿で祀る神社じゃ。

●マル 21:42 
宮殿型と磐座拝殿型、と整理すればいいかしら。

●カントク 21:43 
うまいのう。整理の仕方はさすがじゃな。
磐座拝殿型が古くて、「○○宮」型は新しいのじゃあなかろうか。

●ヒナ 21:45
日本書紀では「天日隅宮」と「石上神宮」、「伊勢神宮」だけが「宮」となっていますよね。

●カントク 21:46
スサノオの時代は磐座拝殿型、大国主以降に宮殿型になったと考えられる。

●ボク 21:47
古事記では、「天神地神の社を定めた」とでてくるのは崇神天皇からですよね。

●ヒナ 21:48
その前に「御諸山の大美和大神の前を拝し祭りたまい」と書かれているように、最初は、拝殿はなくて、祭を行う神籬(ひもろぎ:神域)があったのだと思います。

●カントク 21:50
梅原猛氏の「怨霊史観」に対して、日向勤氏は「霊(ひ)信仰史観」を提唱しており、「ひもろぎ」は「霊(ひ)洩ろ木」説で、神が降臨する榊などの常緑樹や御柱が立てられていた、としておる。

●ヒメ 21:52 
スサノオや大国主の神社ネットワークがあり、毎年、神在月に出雲に集まり、「縁結び」で諸国の王達が婚姻関係を結んでいたとすると、何かことがあると、素早く連携が取れるわよね。

●マル 21:54 
壬申の乱の大海人皇子軍の結集は、まさにそうよね。大和・伊勢・美濃・尾張・三河・甲斐・信濃などの兵を集め、近江朝廷軍の背後の丹後や播磨、吉備、筑紫などの支持も取り付け、大海人皇子がわずか1カ月で勝利したというのは、あらかじめネットワークがないと無理よね。

●ヒメ 21:57
信長から壬申の乱へと、かなり回り道したけど、元にもどりましょうか。カントク、熱田神宮か伊勢神宮から始めます?

(ネタモトは日向勤氏の『スサノオ・大国主の日国―霊の国の古代史』(梓書院)です)


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45 「大君は神にしませば」

2009-05-24 10:18:51 | 歴史小説
雷丘(万葉散歩フォトギャラリーより)
http://www1.kcn.ne.jp/~uehiro08/


●ヒナ 20:35
高木さんに続いて、今度は、私がテストを受ける番ですよね?
「神」と言われた天皇があります。天武天皇です。

●カントク 20:37
壬申の乱に繋がってきたわい。

●ヒナ 20:38
万葉集には、柿本人麻呂の有名な次のような歌があります。

「大君は 神にしませば 天雲の 雷の上に 廬(いほ)りせるかも」(3-235)
注:「廬(いほ)りせる」=雷の丘の仮宮に籠って身を浄めていること。

●マル 20:41
ここで天武天皇を「神にしませば」と歌に詠んでいるのは、天武天皇=神としているのかしら?

●ヒナ 20:42
皇国史観では、天皇=「現人神(あらひとがみ)」と解釈しましたが、この歌をみるかぎり、「神のようである」と言っているだけだと思います。

●カントク 20:44
そうなんじゃが、それでは優等生的でものたりんな。「帰れソレントへ」いや「帰れ古事記へ」じゃ。もう少し膨らませてみてはどうかの?

●ヒナ 20:47
カントクの言いたいのは、古事記で「神」と呼ばれている人は、スサノオや大国主に繋がる、出雲系の王である、ということなんですよね。

●カントク 20:49
そうじゃ。さすがじゃのう。
なぜ、大海人皇子が近江朝廷の正規軍に対して、あれだけの短期間に兵を集め、勝利できたかじゃ。
それは、美濃・伊勢・尾張・大和・丹後・播磨を始め、各地にスサノオ・大国主を祖先神とする一族がおり、大海人皇子自身が出雲の血を引いていたからこそ、その支持をえられたんじゃ。

●ヒメ 20:53
「大君は 神にしませば」というのは、柿本人麻呂を始め、出雲系の人々にとっては、スサノオ~大国主王朝の後継者である大王(おおきみ)であり、スサノオの「霊(ひ)」を受け継いだ「神」の一族である、という意味だったのね。

●カントク 20:55
「大王(おおきみ)」を「天皇」というようになったのは、この天武天皇からじゃ。もともと、「天王」と呼んでいた「スサノオ」の後継者である、という共通認識があったからこそ、「天皇」と言い換えた、と考えられる。

●マル 20:58
やっぱり、日向勤氏ってカントクじゃあないの? 言ってることが似ているわよね。

●ヒメ 20:59
最後に、日向勤氏は誰か、の謎解きをしましょうよ。

●マル 21:00
壬申の乱の天智天皇派対天武天皇派の争いについては、改革派(中央集権派)対反改革派の争いという説や、親百済派対親新羅派の争い、海外派兵派対派兵反対派の争いという説があるけど、アマテラス派(天智天皇)対スサノオ派(天武天皇)の争いであった、というのね?

●カントク 21:03
日本書紀にはスサノオが新羅(当時は辰韓)のソシモリに行ったとか、木種を持って行ったという話がでておる。新羅は鉄の産地で出雲との鉄交易がずっと続いていたんじゃな。一方、百済救援のために出兵を強行し、白村江で大敗した中大兄皇子(後の天智天皇)は、当然ながら親百済じゃ。
親百済派対親新羅派、海外派兵派対派兵反対派の根っこには、アマテラス派対スサノオ派の争いがあったんじゃ。

●ホビット 21:08
日本書紀一書第4には、スサノオは新羅から「舟に乗って東に渡って出雲国に着いた」としているんです。これは、正確に新羅と出雲の位置関係を言い当てています。机上の作文ではないですね。
当時、新羅と出雲国を結ぶ東西貿易路があったことを、正確に言い当てていると思います。

●マル 21:11
さすが、ヨットマンの目のつけどころは鋭いね。
ところで、改革派対反改革派の争いというのはどうなの?

●カントク 21:13
大国主のゆるやかな宗教連合のもとにあった出雲系の王の後継者の豪族にとっては、当然ながら、反改革派(分権派)であったといえよう。
しかし、百済が滅んだ後に、唐・新羅連合は解体し、唐対新羅の対立に入るから、親新羅の天武天皇は唐に対抗するために、強力な中央集権体制を目指したのではないかな。

●ヒメ 21:17
スサノオ・大国主の子孫の各地の神々=王は、年に一度、神在月に出雲に集まり、相互に婚姻関係を結んでいったわけだから、強い絆で結ばれており、大海人皇子の挙兵に、一挙に結集できた、というわけね。

(ネタモトは日向勤氏の『スサノオ・大国主の日国―霊の国の古代史』(梓書院)です)

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44  「神」と「人」の間の深くて暗い川

2009-05-17 06:45:11 | 歴史小説
天皇家の祖先は「勾玉」から産まれた(勾玉写真はウィキペディアより)


●カントク 19:41
「乱れ」なんて言われると、ピンと来ちゃうんだよね。

●マル 19:42
なんか、いやらしいこと、考えていない?

●カントク 19:43
「英雄、乱を好む」なんて言っている場合じゃないぞ。
「神」と「命」の間に「乱れ」があるということは、神話時代と歴史時代の区切りに、「乱れ」があるということじゃ。

●ボク 19:45
「オシホミミ」はずっと高天原のアマテラスの下にいるのに「命」で、天下った「ホヒ」は「命」とも「神」とも言われているのは、逆転していますよね。

●カントク 19:47
そこで慎重にならずに、もう一歩、先に推理を進めてはどうかな?

●ボク 19:48
どうも、危険な皆さん方が、ボクを仲間に引き込もうとしているように思うんですけど?

●マル 19:49
一番、美味しいところを、ボクに食べさせてあげよう、というカントクの親心じゃあないの。男なら飛びなさいよ。

●ボク 19:51
それって、逆セクハラじゃあありません?
1つの可能性は、出雲と高天原の神の世界に、「珠」から生まれた「オシホミミ」以下の天皇家の歴史が接ぎ木された、という事でしょうか?
もう1つの可能性は、同じ「珠」から生まれ、天下った「ホヒ」が神とされているということは、「ホヒ」は、本当は、スサノオや大国主に連なる「神」ということでしょうか?

●ヒメ 19:56
天皇家の祖先は、「珠から生まれた珠太郎」、「ものから生まれたもの太郎」なの?

●カントク 19:57
そうなんじゃ。「桃から生まれた桃太郎」の物語の原型は、天皇家の「物から生まれた物太郎」の物語が元になっているんじゃ。

●マル 19:59 
怪しいわよね。カントク、「ウソップ物語」の世界に入っていっていない? 若い人をからかってどうするのよ。

●ヒナ 20:00 
古事記には男女の「神」から生まれた「神」と、イザナミが迦具土神を産んだ時に病んだ時に嘔吐物や尿などから産まれた神、迦具土神を切った時に血などから産まれた神、イザナギが禊ぎを行った時に衣服などから産まれた神があります。

●マル 20:03 
物から生まれた「神」はかなりいるのね。じゃあ、物から生まれた人はどうなの?

●ヒナ 20:04
スサノオとアマテラスの「誓い(うけひ=受け霊)」で産まれたとされる「オシホミミ」以下の8人の「命(みこと、御子人)」だけだと思います。

●マル 20:06 
イザナギ・イザナミのセックスによってアマテラスやスサノオが産まれ、スサノオや大国主神も結婚によって代々、子を作っているよね。なのに、なぜ、天皇家の祖先だけ、夫婦神から産まれたことにしなかったのかしら?

●ヒナ 20:09
実際には、アマテラスの子とスサノオの子はそれぞれ別で、後継者を女系(スサノオの3人の王女)とするか、男系(アマテラスの4人の王子)とするかの争いがあった話を合体して、天皇家の祖先がアマテラスとスサノオの両方の血を引く、という話に変わった、という説があります。

●ボク 20:11
スサノオとアマテラスの近親相姦で天皇家の祖先が産まれたのを隠すために、「誓い(誓約)」で珠と剣から産まれたという話にした、という説もあります。

●カントク 20:13 
日向勤氏は、崇神天皇のように、血を受け継いでいない後継王が、偉大な王の「霊(ひ:祖先霊)」を祀ると祟られる、と考えられていた時代に合わせて解釈する必要があるとしておるぞ。
天皇家の祖先が、スサノオやアマテラスの血(DNA)を受け継いでいるとすると祟られるので、「珠」から生まれた、という神話が生まれた、という解釈じゃ。

●ヒメ 20:17
天皇家の祖先を創作するなら、それらしい話にするわよね。私の小説だって、それらしく書くもの。逆に、神話の「嘘には真実が含まれている」というのは分かるなあ。

●カントク 20:19
そうなんじゃ。ヒメや僕は嘘を書いたり、映画にして生業としているから、「古事記神話の不合理、不可解な話は、古事記が創作された証拠」なんて考える優等生の訓古学者とは発想が全然違うなあ。
「嘘はほんと、本当は嘘」ワールドこそ、神話という暗号を読み解く鍵なんじゃ。

●ホビット 20:22
神々の神話の世界は、出雲と高天原、この2つに分かれますよね。そして、出雲は実在しています。では、もう1つの高天原は実在していたのか、それとも虚構の世界なのでしょうか?
「どこ派」の私としては、「高天原」はあったのかどうか、どこにあったのかに関心があります。もし、「高天原」があったのなら、掘りに行きたいですね。

●長老 20:26
「いつ派」の歴史学徒としては、「高天原」があったのなら、いつ頃の時代か、に関心があるね。

●ヒメ 20:27
眠れる獅子のお目覚めよね。そろそろ、「日向勤は私のペンネーム」って白状したらどうなの。
「脱線・割り込み自由党」の党首としては、大いに歓迎したいところだけど、ここは「待った自由党」の党首として、その「どこ」と「いつ」は先送りしたいなあ。
もう少し、「神」と「人」の間の「深くて暗い川」で舟を漕ぎましょうよ。 

●カントク 20:31
「なぜなに派」の私としては、ヒメを支持したいなあ。
天皇の祖先は、天下って「神」から「命」に格下げされておるが、明治から昭和にかけて、皇国史観の下で再び「現人神(あらひとがみ)」とされ、さらに昭和天皇の「人間宣言」で「人」になっておる。ヒナちゃん、それでよいかの?

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43 「神」と「人」の区分

2009-05-12 07:07:15 | 歴史小説
別天つ神5柱を正面に祀る出雲大社



●ヒメ 9月21日(日)19:00
昨夜は、お疲れさま。2次会の人もいたのかな? 
せっかく、いいところに来たので、連日ですが、続けましょう。

●カントク 19:02
徹夜して議論した時代が懐かしいなあ。みんな、紳士・淑女になってしまったのう。

●マル 19:03
カントク、昔は良かったなんて言い出すと、若い人にきらわれるわよ。といいながら、私たちは憂き世離れをした大昔の話をしているのよね。

●ヒナ 19:05
日経の「エコノ探偵団」も「歴女ブーム」を取り上げていましたよ。歴史=「楽隠居」の趣味とは言えないんじゃないでしょうか。

●長老 19:07
歴史学をやっている私なんか無用の長物かな?

●マル 19:08
歴史学者は、現代に関わってもっと発言してよね。「歴史は未来を照らす」というじゃない。

●ボク 19:09
しかし、「バブルを経験し、学んでいるから、世界金融危機や世界同時不況でも日本は大丈夫」と言っていた、大外れの人がいましたよね?
「未曾有」の危機の時など、過去の経験や知識は役に立たないんじゃあありません?

●カントク 19:12
そうでもないぞ。日本のバブルの経験をもとに、アメリカの住宅バブルがはじけ、世界同時不況になる、とずいぶんと前から予測していった経済評論家や経済学者もいたぞ。

●マル 19:14
ちゃんと歴史を見ているかどうか、だよね。

●カントク 19:15
古事記ブームや歴女ブームはどうかな? 過去へのノスタルジーか、過去の教訓探しか? 未来へのアイデンティティ探しか、それとも、単にゲーム感覚かな?

●ヒメ 19:17
第39回のヒナちゃんのレポートにもどりましょう。
古事記で「神」と呼ばれるのは、「自然神」の他に、出雲の神々と高天原の神々に分類できるよね。

●ヒナ 19:19
そうです。「人神」は、「出雲神」と「高天が原神」に分かれます。

●ボク 19:20
補足しますと、「大神・神」と「命(みこと、御子人)」は、はっきりと区別されています。「命」と呼ばれているのは、アマテラスの子や、孫のニニギ命とともに天下ったとされる部下などです。
例外として、スサノオ・大国主・天菩比(天穂日)は、「大神・神」とも「命(みこと、御子人)」とも呼ばれています。

●マル 19:23
神話時代の王が「神」、歴史時代の王は「命」というわけね。

●ヒナ 19:24
天皇家の祖先はどうなの?

●ヒナ 19:25
古事記によれば、天皇家の神話時代の祖先は次の16代です。
<別天つ神5柱、4代>
1 天之御中主神、2 高御産巣日神、神御産巣日神、3 宇摩志阿斬訶備比古遅神、4 天之常立神
<神世7代>
5 国之常立神、6 豊雲野神、7 宇比地邇神、妹須比智邇神、8 角杙神、妹活杙神、9 意富斗能地神、妹大斗之辨神、10 於母陀流神
<高天原3代>
11 伊邪那岐神、妹伊邪那美神、12 天照大御神、13 オシホミミ命
<笠沙3代>
14 ニニギ命、15 ホホデミ命、16 ウガヤフキアエズ命

●ボク 19:28
補足しますと、17代目が若御毛沼命で、大和の磐余(いわれ)に入ってからは「イワレ彦」(神倭伊波礼琵古命、神日本磐余彦尊)になり、後に8世紀になって初代天皇として「神武天皇」と命名されます。

●マル 19:30
「オシホミミ命」は高天原にいるのに「命」なのはなぜかしら。

●ヒナ 19:31
スサノオとアマテラスの「誓い(誓約=うけひ)」により、スサノオの「剣」とアマテラスの「珠」から生まれた8人の御子は「命」と呼ばれています。

●ボク 19:33
アマテラスの「珠」から最初に生まれた「オシホミミ」は「命」ですが、次に生まれた、大国主を国譲りさせる「ホヒ」は「命」とも「神」とも言われています。

●ヒメ 19:35
スサノオと大国主の子の名前はどうなの?

●ヒナ 19:36
スサノオが出雲でもうけた八島士奴美神、大歳神、宇迦之御魂神(稲荷神)など、6代子孫は神となっています。大国主の子など、9代の子孫は「神」です。

●ボク 19:38
日本書紀では、スサノオの子の「イソタケル」も五十猛神となっています。

●ヒメ 19:39
多少の乱れはあるとしても、古事記の「神話時代」と「人話時代」の区切りは、出雲の王は「神」であり、天皇家の祖先とされる「オシホミミ命」以降は「命」とみていいのかな?

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42 「古事記」「万葉集」編集者と壬申の乱

2009-05-10 18:42:58 | 歴史小説
太安万侶墓(奈良市:「奈良観光」http://urano.org/kankou/yamazoe/yama02.htmlより)


●ヒメ 22:29
話は変わるけど、大海人皇子は漢の高祖に習って「赤旗」を掲げているから、「錦の御旗」じゃあなく「赤の御旗」だよね。伊勢平氏の清盛が「赤旗」を掲げたのはその影響かしら?

●カントク 22:31
それは考えすぎかもね。

●ヒメ 22:32
小中学校ではいつも変な質問ばかりしていてね。教師からは「脱線女」とレッテルを貼られていたけど、いまだに変わらないのよね。
古事記の編者の太安万侶の父は、壬申の乱で大活躍するじゃない。ひょっとして、万葉集の編者の大伴家持の祖先って、大和で大活躍する大伴吹負と関係あるの?

●カントク 22:36
ここは、「待った自由将棋隊」の支配する「脱線自由共和国」じゃ。どんどん、脱線しようぞ。

●マル 22:37
それって、「断線王国」じゃあないの?

●カントク 22:38
「全ての道は、ロマンへ続く」、「全ての道は、真実へ続く」じゃ。恐れずに進もうぞ。

●ボク 22:39
今、ホームページのウィキペディアで調べました。
大伴家持の祖父の大伴安麻呂は、大伴吹負の6月29日の挙兵、飛鳥の奪取を、美濃国の不破宮の大海人皇子に伝える使者になっています。これは関ヶ原の主力軍を鼓舞する大活躍ですね。

●ヒメ 22:42
古事記と万葉集は、天武天皇側で大活躍した多品治(おほのほむぢ)の子と大伴安麻呂の孫が編集したことになるのね。

●ボク 22:44
太安万侶の父が多品治という説には、異論もあります。しかし、多氏の一族であることは間違いないと思います。

●ヒメ 22:46
そうすると、古事記と万葉集は天武系の天皇と豪族の意向に添った書である可能性が高いわよね。

●ボク 22:47
古事記は、天武天皇の発意により、元明天皇の命令により作られています。元明天皇の母は天智天皇に殺された蘇我倉山田石川麻呂の娘ですから、天武天皇系(その中には蘇我氏も含まれますが)の意向を反映した書といえます。
一方、日本書紀は、天武系の皇子が粛正され、藤原氏と結んだ天智系の持統天皇、孫の文武天皇、聖武天皇へと権力が移行する中で作成されています。

●ヒメ 22:51
そうすると、古事記と日本書紀は、天武朝と天智朝の歴史観や政権構想の違いを反映している可能性が高いわよね。面白いじゃない。

●マル 21:53 
柿本人麻呂の歌を中心にした万葉集も、天武朝の歴史観・政権構想で見直す必要があるわよね。

●カントク 22:54
次回は、ヒナちゃんのレポートにもどるとするか。

●ホビット 22:55
次々回でもいいんですけど、わが故郷の津島神社に関して、「スサノオの出身地はどこか」を追ってみたいんですけど。

●長老 22:57
「どこ派」のホビットさんなら、そうだよね。「いつ派」の私の出番としては、次々々回くらいには、「スサノオの時代はいつか」を議論したいな。

●ボク 22:59 
「もの派」のボクとしては、ヤマタノオロチの剣を祀る熱田神宮も見ておきたいですね。

●ヒメ 23:00 
ここまで盛り上がってくると、続いて明日の夜もやりたいですね。
お開きとしましょう。長老さん、お休みなさい。

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41 大海人皇子の「錦の御旗」はスサノオ

2009-05-09 10:51:25 | 歴史小説
伊勢神宮外宮(豊受大神宮:ウィキペディアより)


●マル 21:55
反乱を起こした大海人皇子の軍の「錦の御旗」が、アマテラスではなくスサノオであった証拠はあるの?

●ボク 21:57
中心となった尾張氏は、スサノオが奪ったヤマタノオロチの剣を神体として熱田神宮に祀っています。さらに、その一族の海部氏は津島神社で天王・スサノオと大国主を祭神としています。

●ヒナ 21:59
岐阜県加茂郡七宗町にある神渕(かぶち)神社の社記によると、壬申の乱の時、大海人皇子がヤマタノオロチを退治した十拳剣を祀って戦勝祈願を行った、と伝えられています。
これらの状況証拠と合わせると、大海人皇子はスサノオに戦勝を祈願し、全軍を掌握した可能性は高いと思います。

●マル 22:02
しかし、一刻を争う戦いの最中に、わざわざ神渕神社に出かけて戦勝祈願を行う余裕があったかしら?

●ボク 22:03
大海人皇子が陣を置いた関ヶ原から、神渕神社までざっと60kmです。馬で走れば、容易に往復できる距離です。6月27~29日の3日間、大海人皇子は関ヶ原で軍の集結を図って待っていますから、行けないことはないと思います。

●マル 22:05
しかし、ボクのメモだと大海人皇子は6月26日には天照大御神を遙拝しているわよね。

●ヒナ 22:06
日本書紀の記載ではそうなっていますが、伊勢神宮の内宮に祀られた天照大御神を遙拝したのではなく、この地の支配者であった渡会氏の神、伊勢神宮の外宮に祀られた豊宇気毘売(トヨウケヒメ)神を遙拝したのではないか、という説もあります。

●マル 22:09
トヨウケヒメ神って、どういう神なの?

●ヒナ 22:10
古事記では、イザナミの尿から生まれたワクムスビ(和久産巣日神、稚産霊)の子となっています。
外宮の神職の度会氏は、豊受大神は天之御中主神・国常立神と同神であり、外宮は内宮よりも立場が上であるとしています。

●マル 22:13
大海人皇子は、最初に合流した伊勢国の軍に敬意を表して、その氏神を遙拝して戦勝を祈願した、というのね。

●カントク 22:15
もっと奇妙な事があるぞ。
もし「皇国の本主」がアマテラスなら、大海人皇子は反乱の大義名分として、祖先・天照大御神の祭りを盛大に行い、自分こそがその神意を受け継ぐ正統な後継者である、と宣言したはずじゃ。
伊勢神宮に王子の一人を派遣してご託宣を受け、関ヶ原に持ち帰って戦勝祈願の祭を行い、全軍の指揮を高めたに違いない。

●ホビット 22:20
大海人皇子は、「皇国の本主」は天王・スサノオであり、自分はそれを継承する「本主」である、と認識していたからこそ、神渕神社でスサノオに戦勝祈願を行ったのではないでしょうか。

●カントク 22:22
崇神天皇は人民の半数が亡くなるという神の祟りを受け、宮殿からアマテラスの鏡とスサノオの剣、大物主の御霊を出しておる。直系の子孫でもないものが、祖先の祭りを行うと祟られる、と考えられていたんじゃ。
アマテラスの鏡とスサノオの剣は各地を転々としたあと伊勢神宮に祭られるておるが、明治まで、天皇は参拝しておらぬ。祖先の祭りを行っていない。
天皇家がアマテラスの子孫であるというのがそもそも怪しい。さらに、大海人皇子も嵯峨天皇も「皇国の本主」が天照大御神であるとは考えていなかった、ということは明らかじゃ。

(ネタモトは日向勤氏の『スサノオ・大国主の日国―霊の国の古代史』(梓書院)です)

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40 「壬申の乱」「平城上皇の変」「信長の天下統一」は同一構造

2009-05-06 13:55:40 | 歴史小説
津島神社の案内板


●ヒナ 21:24
桓武天皇が崩御し、平城天皇が即位しましたが、発病したため、弟の嵯峨天皇に譲位し、平城上皇の子が皇太子になります。
810年、退位した平城上皇は旧都平城京へ移りますが(二所朝廷)、平城上皇は復位をもくろみ、平安京を廃して平城京へ遷都する詔勅を出します。嵯峨天皇は遷都を拒否し、平城上皇は東国に赴いて挙兵しようとしますが阻止され、平城上皇は出家し、愛妾の藤原薬子は自殺します。

●カントク 21:27
その時、尾張はどういう役割を果たしたのかな?

●ヒナ 21:28
平城上皇は尾張・美濃を押さえようとしますが、嵯峨天皇側の坂上田村麻呂が阻止し、嵯峨天皇が近江、美濃、尾張を掌握して勝利します。
嵯峨天皇が「津島神社」に正一位の神階と「日本総社」の称号を贈ったとすれば、その見返りだったのではないでしょうか?

●カントク 21:32
ヒナちゃんもすごいね。そこまでちゃんと調べておったとは。歴史学者になるより、推理作家を目指してはどうじゃ?

●マル 21:34
その言い方って、学者には推理力がない人が向いているようじゃない。長老に失礼じゃない?

●長老 21:35
研究の方法論には、「データ積み上げ型」と「仮説検証型(推理検証型)」があり、どちらも必要です。
確かに、歴史学者には「積み上げ型」というか、過去の仮説から抜け出せない「通説積み上げ型」の人が多いのは事実ですが、新進気鋭の「推理検証型」の人もいますよ。
ヒナちゃんは、そちらの学者を目指して真実を追究して欲しいなあ。

●ヒナ 21:38
ありがとうございます。
平城上皇が東国で挙兵しようとしたのは、壬申の乱で大海人皇子が尾張・美濃などの兵を募ったのとそっくりなんです。

●ホビット 21:39
信長も、尾張を拠点とし、美濃を攻略し、近江、京都へと進出していますよね。そして、いずれも、スサノオを信仰している点が共通しています。

●カントク 21:41
尾張氏一族の海部(あま)氏に養育された大海人皇子は、後に天皇を名乗ったことからみても、津島神社に祀られた天王・スサノオを信仰していた可能性が高い。
嵯峨天皇が「津島神社」に「日本総社」の称号を贈り、スサノオを「皇国の本主」としたのは、スサノオを氏神と考える天武系の皇族や、出雲系の氏族を味方に付けるアピールであったのではないかな。

●マル 21:45
ボクちゃん。大海人皇子は、壬申の乱の時に、津島神社に立ち寄っているの?

●ボク 21:46
ちゃんと日本書紀を調べておきましたよ。
672年の大海人皇子の動きは次のとおりです(近江路軍の動きを中心にまとめています)。これを見ると、津島神社や熱田神宮に立ち寄った形跡はないですね。
しかし、美濃の兵3千、尾張の軍2万は、主力部隊であったと思われます。三河・甲斐・信濃の軍も、神社や前方後法墳の分布からみて出雲系であったと思われます。

5月    近江朝廷による美濃・尾張の農民兵徴発
6月22日 大海人皇子は美濃の私領地の湯沐邑(ゆのむら:現在の岐阜県安八郡・大垣市・揖斐郡)に使者を派遣。多品治(太安万侶の父)に命じて、不破道(関ヶ原)を塞がせる。
6月24日 吉野脱出(約20人)。夜、伊賀郡司ら数百人が合流。
6月25日 伊賀 伊勢国宰の軍が合流。500人に鈴鹿山道を塞がせる。
6月26日 天照大御神を遙拝。桑名に陣。東海と東山の軍を徴発させる。美濃の兵3千人、不破道を塞ぐ。   
6月27日 桑名から関ヶ原に移動。尾張国宰の軍2万が合流。美濃・三河・甲斐・信濃の兵も集結。
6月28日 関ヶ原で軍を検閲。
6月29日 飛鳥で大伴吹負らが決起、飛鳥占拠。
7月1日 玉倉部の戦い(関ヶ原)
7月2日 3方面軍発進(近江路、伊勢 → 大和、伊賀 → 近江)
7月7日 横川の決戦(米原)
7月9日 鳥籠山の戦い(彦根)
7月13日 安河の決戦(野洲)
7月17日 栗太の戦い(栗東IC付近)
7月22日 瀬田唐橋の決戦(大津)
7月23日 大友皇子自殺(山崎)
7月24日 大津宮奪取

●マル 21:51
大海人皇子の行動は、このような迅速な行動からみて、周到に計画された近江朝廷への反乱ですよね。

●ボク 21:52
大海人皇子は671年10月17日に出家して吉野に移り、天智天皇が12月3日に没したあと、大友皇子は大王(おおきみ)に即位する儀式を行う間もなく、半年後には壬申の乱で敗れています。
大海人皇子の行動は大友皇子を大王即位の前に倒す計画であった、と思われます。大友皇子は弘文天皇の諡号を贈られていますが、それは明治3年(1870年)になってからです。

(ネタモトは日向勤氏の『スサノオ・大国主の日国―霊の国の古代史』(梓書院)です)

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39 大海人皇子は大海氏に養育された

2009-05-04 17:36:50 | 歴史小説
海部郡の中心の日本総社・津島神社


●ヒナ 9月16日10:10
昨日の調査結果をお知らせしておきます。古事記に記載された神は次のとおりです。
大御神・・・天照、伊邪那伎、迦毛(阿遅鋤高日子根命:大国主の子)
大神・・・・伊邪那伎、黄泉津(道敷:伊邪那美のこと)、道反之(黄泉戸)、須佐之男(命とも表記)、猿田毘古
神・・・・・別天津神(5神)、神代7代、伊邪那伎・伊邪那美の生んだ14島・35自然神、伊邪那伎の禊ぎによって生まれた26神、須佐之男命~大国主神7代(大国主は命とも表記)、大年(須佐之男の子)とその子、大国主~遠津山岬多良斯10代、大国主の子(事代主、建御名方等)、高天原の神々(高御産日、思金、天菩比等)

●ヒメ 9月16日10:45
ヒナちゃん、ありがとう。週末にみんなで検討しましょう。


●ヒメ 9月20日19:00
今晩は、長老さん。こちらは、先程、食事を終えたところです。

●長老 19:01
参加していないのは、僕だけですか?

●マル 19:02
エル・ドラドから帰国したホビットさんを囲んで、ヒメ、カントク、マル、ヒナの5人で寿司を食べました。ボクちゃんは遅れて参加します。

●カントク 19:04 
ヒナちゃんのレポート、簡潔でいいねえ。「神」と「人」との関係の謎解きから始めようぞ。

●ボク 19:05
カントクがシマ虎ファンでかつライオンファンなのはわかりますけど、「新説!?日本ミステリー」の白虎の口調の真似、何とかなりません?
普通に話された方が説得力あると思うんですけど。

●マル 19:07
この方が嘘っぽくて面白いよ。それに、他の人の発言と区別できるからさ、読みやすくていいんじゃない?

●カントク 19:08
おいおい、俺に「嘘っぽい」って言うのは光栄と思うけど、「新説!?日本ミステリー」に「嘘っぽい」なんてレッテルを貼らないで欲しいね。「新説!?日本ミステリー」が打ち切りになってしまうぞ。

●ホビット 19:10
神の検討に入る前に、重要な提案があるんですけど。

●カントク 19:11
ここは「待った自由」ルールの「ヘボ将棋」同好会なんじゃ。存分にやるがいいぞ。

●ホビット 21:12
前に述べましたが、私の名前の「海部(かいふ)」は「海部郡(あまぐん)」からきています。その中心は津島で、信長はこの地の領主でした。
一方、大海人皇子はこの「海部郡(あまぐん)」ゆかりの大海(おおあま)氏に養育されています。「大海人(おおあま)」の名前はここから来ています。

●ヒメ 21:16
大海人皇子も津島にゆかりがあるんですよ。
私の「壬申の乱殺人事件」は、実はホビットさんがモデルで、殺されてしまうんです(ホビットさん、後で埋め合わせはしますね)。
スサノオ-大海人皇子-織田信長の関係が事件解決の鍵になっています。皆さん、ナイショですよ。

●カントク 21:19
ヒメの推理力はいつもほれぼれとするのう。嵯峨天皇が「津島神社」に正一位の神階と「日本総社」の称号を贈った理由ははっきりしてきたわい。

●ヒナ 21:21
嵯峨天皇は、810年、「素尊(すさのおのみこと)は則ち皇国の本主なり、故に日本の総社と崇め給いしなり」と称したとされています。

●マル 21:23
 嵯峨天皇は、天照大御神ではなく、スサノオを「皇国の本主」と認め、全ての神社の祭神の最高位に置いたんだ。それって、すごいことじゃない。

●カントク 21:25
その810年というのは、どんな時代なのかな?

●ヒナ 21:26
有名な「薬子(くすこ)の変」、実際は「平城天皇の変」があった年です。しかし、「犯罪の陰に女あり」なんて考えてしまう男どもは情けないですよね。

●マル 21:28
もう少し詳しく説明してくれない?

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38 壬申(じんしん)の乱とスサノオ

2009-05-03 10:02:58 | 歴史小説
大海人皇子が兜をかけたとされる兜掛石(岐阜県不破郡関ケ原町松尾)
:ウィキペディアより



●ヒメ 22:19
まずいなあ。私の書きかけの小説「壬申の乱殺人事件」の一番肝心のところが、バレてしまうじゃない。

●カントク 22:20
心配はご無用。我々はヒメの推理を後追いするだけじゃ。また、皆のものは口が堅いぞ。

●ヒメ 22:22
了解。もし、皆さんの推理が勝っていたら、「そのアイデアいただき!」よね。

●カントク 22:23
ボクちゃん。ざっと、論点を整理してよ。

●ボク 22:24
いきなり抜き打ちのテストですか? 「壬申の乱とスサノオの関係」と言われても、頭の中は真っ白です。

●マル 22:25
仮説を立てて論点整理なんていいからさ、ざっと乱の説明をしてよ?

●ボク 22:26
壬申の乱は、一言で述べると、天智天皇が亡くなった後に、誰が皇位を継承するかを巡る争いです。弟の大海人皇子(おおあまのみこ)と、天智天皇の皇子の大友皇子が争い、大海人皇子が勝利し、天武天皇となります。
天武天皇によって始めて天皇を中心とする中央集権国家、律令政治体制が完成した、という節目となる「天下分け目」の戦いであった、と思います。
そこに、スサノオがからんでくるとなると、信長の例から考えると、大海人皇子はスサノオを信奉していた、ということでしょうか?

●ヒナ 22:32
補足したいと思います。
天武天皇は、それまでの「大王(おおきみ)」を改め、初めて「天皇」の呼称を定めた、という説が有力です。
信長が「天主」と称した例から見ると、大海人皇子は、スサノオの「天王」の呼称を受け継ぎ、「天皇」と称するようになった、と考えることができます。
ただ、この説が成り立つためには、「スサノオは天王と呼ばれていた」「天武天皇が、始めて天皇の呼称を使うようになった」の2点の証明が必要ですが。

●カントク 22:38
二人とも、若いだけに推理力のパワーアップは著しいのう。他にはどうじゃ。

●マル 22:39
柿本人麻呂の歌に、「大君は神にしませば」で始まる歌がありますよね。
天武天皇が神である、ということは、スサノオ、大国主などの神の後継王である、ということではないかしら。

●カントク 22:41
それは、面白い着想じゃ。ヒナちゃん、古事記で神と呼ばれている登場人物を挙げてよ。

●ヒナ 22:42
古事記データベースを検索して整理します。20分ほど、時間を下さい。

●カントク 22:43
ボクちゃん。壬申の乱での大海人皇子の動きは分かるかな?

●ボク 22:44
ヒナちゃんは研究室ですけど、こちらは旅先ですからね。だいたいの記憶をたどります。昔、
三重大学の市民講座「壬申の乱ウオーク」に参加して、歩いたことがあるんですよ。
まず、驚くことは、大海人皇子が吉野を脱出してから、わずか1か月の短期間に乱の決着は着いています。
本能寺の変から光秀が討たれるまでが、わずかに10日あまりです。それと較べてみても、大海人皇子が東国へ脱出する期間、兵を集める期間、戦闘期間を考えると、30日で天智天皇朝を滅ぼしたというのは、驚異的なことです。
後の、関ヶ原の戦いは、遠い江戸城にいた東軍・家康と大阪の三成の西軍との戦ですが、三成挙兵から関ヶ原の戦いまで2か月です。

●マル 22:52
ボクちゃん。その大海人皇子の動きに、スサノオとの接点が必ずあるはずよ。何か、思いつかない?

●ボク 22:53
大海人皇子たちは吉野を脱出し、険しい山中を宇陀から名張へ抜け、上野、伊賀、鈴鹿、伊勢、桑名を経て、関ヶ原に陣を構えています。
途中、四日市の河原で、はるか南の伊勢神宮の天照大御神を遙拝したとされていますが、途中にスサノオゆかりの場所は登場しません。

●ヒメ 22:57
盛り上がって来たんだけど、「サラリーマン作家」のシンデレラ・タイムになっちゃった。

●マル 22:58
明日のためにお開きにしましょう。次回は週末、9月20日の19時でどうかしら?

●ホビット 22:59
ちょうど、その頃には帰国しています。一杯やりながらのミーティングはどうですか?

●マル 23:00
OK。リアル・ミーティングは18時から新宿の「卑弥呼」、ネット・ミーティングは19時からとしましよう。私のところに出欠のメールを下さいね。

●マル 23:02
ヒナちゃん、レポートは、明日にでもアップしておいてね。皆さん、お休みなさい。

(ネタモトは『スサノオ・大国主の日国―霊の国の古代史』(梓書院)です)


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