写真は大神神社。毎年11月14日に「酒まつり(醸造安全祈願祭)」が開催され、「この御酒は わが御酒ならず 倭なす 大物主の醸みし御酒 いくひさ いくひさ」の歌にあわせて「うま酒みわの舞」を巫女が舞う
「この11の物語のうち、①~⑦の賀古郡・印南郡・揖保郡・讃容郡の話は、大帯日子命(後の12代景行天皇)、品太天皇(同15代応神天皇)、息長帯日売命、難波高津宮天皇(同16代仁徳天皇)の時代で、天皇家が登場してからの地名説話です。一方、⑧~⑪はもっと古く、大国主命(葦原志許乎命、大汝命)の時代の地名説話です」
ヒナちゃんは、長老のゼミの生徒のような答えを用意していた。
「おかしいわよね。宍禾郡・託賀郡・賀茂郡には大国主時代の説話があるのに、賀古郡・印南郡・揖保郡・讃容郡には天皇時代の地名説話しか残っていない、ということってあるかしら?」
ヒメは、いつものように質問が鋭い。
「賀古郡と印南郡の北の賀茂郡下鴨里では大汝命が酒屋を作ったとしていますし、賀茂郡の北の託賀(たか)郡で、宗形大神奥津島比売が大国主との子、阿遅須伎高日古尼(あじすきたかひこね)神(古事記では迦毛之大御神)が生まれたしています。揖保郡には大国主の子の伊勢都比古、讃容郡には大国主の妻や子の玉足日子が登場しますから、大国主の影響力は賀古郡や印南郡、揖保郡や讃容郡にも及んでいたことは間違いありません」
「そうすると、天皇時代に付けられたとされる地名の多くは、大国主時代からの地名であったということになるわね?」
「基本的な地名は、大国主時代から続いていると思います。もちろん、天皇時代に新たに付けられた地名もあるとは思いますが、もともとの地名説話の多くは、大国主ゆかりの地名だったと思います」
「賀古郡・印南郡・揖保郡が、大国主時代の地名空白地域ってことはありえないよね」
「出雲国風土記の地名は、ほとんどがスサノオ・大国主一族にちなんでいます。播磨でも同じだったと思いますよ」
ヒナちゃんは、地元の出雲には詳しい。
「ヒナちゃんから播磨国風土記が『日本酒風土記』という評価を頂いたのは、酒好きの私としては大変うれしいんだけど、聞いたこともないんだなあ」
「そうですよ。地元で酒所というとなんと言っても神戸の灘で、播磨が古くからの酒所なんてことも、あまり言わないですね」
ヒメと顔を見合わせながら、母親も同じ意見であった。
「ホームページを見ると、ちらほら、そんな説が紹介されていますよ」
「確かに、魏志倭人伝には『人性嗜酒(さけをたしなむ)』、弔問客が『歌舞飲酒する』と書かれているけど、出雲国風土記では、確か1カ所、佐香の里が『酒を醸した』ということから地名となった、と出てくるだけだったね」
長老も地元・出雲のことは詳しい。
「そうすると、播磨国風土記の酒の記載の多さは特別ということになるわね。同時期の古事記はどうなの?」
高木が聞きたいことを、ヒメが外すことはない。
「最初に酒がでてくるのは、須佐之男命が八俣大蛇(やまたのおろち)を酔わせるために、八塩折之酒(やしおおりのさけ)を醸し、酒船に盛って飲ませた、という記述です」
やっぱり、スサノオが最初であった。ヒナちゃんは、高木と違って、いつも周辺調査が半端ではない。
「大国主はどうなの?」
「嫉妬した須勢理毘売と歌を交わした時に、須勢理毘売が大御酒杯を取り、捧げて歌った、というのが最初です。その歌は、『豊御酒、奉らせ』で終わり、盞結(うきゆい)した、乃ち、酒を汲み交わして心が変わらないことを確かめあったと伝えています」
「おもしろいわね。女性が酒を用意して大国主を誘っているのね」
「古事記の最初の歌は、有名な『八雲立つ』の歌ですし、2・3番目は大国主が沼河比売へ求婚した時の相聞歌で、4・5番目が大国主と須勢理毘売の相聞歌です」
「恋歌とお酒がセットでてくるってうれしいね」
ヒメの中では、次の小説のイメージが膨らんできているようだ。
※文章や図、筆者撮影の写真の転載はご自由に(出典記載希望)。
※日向勤著『スサノオ・大国主の日国―霊の国の古代史』(梓書院)参照
※参考ブログ:邪馬台国探偵団(http://yamataikokutanteidan.seesaa.net/)
霊の国:スサノオ・大国主命の研究(http://blogs.yahoo.co.jp/hinafkinn/)
霊(ひ)の国の古事記論(http://hinakoku.blog100.fc2.com/)
帆人の古代史メモ(http://blog.livedoor.jp/hohito/)
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「この11の物語のうち、①~⑦の賀古郡・印南郡・揖保郡・讃容郡の話は、大帯日子命(後の12代景行天皇)、品太天皇(同15代応神天皇)、息長帯日売命、難波高津宮天皇(同16代仁徳天皇)の時代で、天皇家が登場してからの地名説話です。一方、⑧~⑪はもっと古く、大国主命(葦原志許乎命、大汝命)の時代の地名説話です」
ヒナちゃんは、長老のゼミの生徒のような答えを用意していた。
「おかしいわよね。宍禾郡・託賀郡・賀茂郡には大国主時代の説話があるのに、賀古郡・印南郡・揖保郡・讃容郡には天皇時代の地名説話しか残っていない、ということってあるかしら?」
ヒメは、いつものように質問が鋭い。
「賀古郡と印南郡の北の賀茂郡下鴨里では大汝命が酒屋を作ったとしていますし、賀茂郡の北の託賀(たか)郡で、宗形大神奥津島比売が大国主との子、阿遅須伎高日古尼(あじすきたかひこね)神(古事記では迦毛之大御神)が生まれたしています。揖保郡には大国主の子の伊勢都比古、讃容郡には大国主の妻や子の玉足日子が登場しますから、大国主の影響力は賀古郡や印南郡、揖保郡や讃容郡にも及んでいたことは間違いありません」
「そうすると、天皇時代に付けられたとされる地名の多くは、大国主時代からの地名であったということになるわね?」
「基本的な地名は、大国主時代から続いていると思います。もちろん、天皇時代に新たに付けられた地名もあるとは思いますが、もともとの地名説話の多くは、大国主ゆかりの地名だったと思います」
「賀古郡・印南郡・揖保郡が、大国主時代の地名空白地域ってことはありえないよね」
「出雲国風土記の地名は、ほとんどがスサノオ・大国主一族にちなんでいます。播磨でも同じだったと思いますよ」
ヒナちゃんは、地元の出雲には詳しい。
「ヒナちゃんから播磨国風土記が『日本酒風土記』という評価を頂いたのは、酒好きの私としては大変うれしいんだけど、聞いたこともないんだなあ」
「そうですよ。地元で酒所というとなんと言っても神戸の灘で、播磨が古くからの酒所なんてことも、あまり言わないですね」
ヒメと顔を見合わせながら、母親も同じ意見であった。
「ホームページを見ると、ちらほら、そんな説が紹介されていますよ」
「確かに、魏志倭人伝には『人性嗜酒(さけをたしなむ)』、弔問客が『歌舞飲酒する』と書かれているけど、出雲国風土記では、確か1カ所、佐香の里が『酒を醸した』ということから地名となった、と出てくるだけだったね」
長老も地元・出雲のことは詳しい。
「そうすると、播磨国風土記の酒の記載の多さは特別ということになるわね。同時期の古事記はどうなの?」
高木が聞きたいことを、ヒメが外すことはない。
「最初に酒がでてくるのは、須佐之男命が八俣大蛇(やまたのおろち)を酔わせるために、八塩折之酒(やしおおりのさけ)を醸し、酒船に盛って飲ませた、という記述です」
やっぱり、スサノオが最初であった。ヒナちゃんは、高木と違って、いつも周辺調査が半端ではない。
「大国主はどうなの?」
「嫉妬した須勢理毘売と歌を交わした時に、須勢理毘売が大御酒杯を取り、捧げて歌った、というのが最初です。その歌は、『豊御酒、奉らせ』で終わり、盞結(うきゆい)した、乃ち、酒を汲み交わして心が変わらないことを確かめあったと伝えています」
「おもしろいわね。女性が酒を用意して大国主を誘っているのね」
「古事記の最初の歌は、有名な『八雲立つ』の歌ですし、2・3番目は大国主が沼河比売へ求婚した時の相聞歌で、4・5番目が大国主と須勢理毘売の相聞歌です」
「恋歌とお酒がセットでてくるってうれしいね」
ヒメの中では、次の小説のイメージが膨らんできているようだ。
※文章や図、筆者撮影の写真の転載はご自由に(出典記載希望)。
※日向勤著『スサノオ・大国主の日国―霊の国の古代史』(梓書院)参照
※参考ブログ:邪馬台国探偵団(http://yamataikokutanteidan.seesaa.net/)
霊の国:スサノオ・大国主命の研究(http://blogs.yahoo.co.jp/hinafkinn/)
霊(ひ)の国の古事記論(http://hinakoku.blog100.fc2.com/)
帆人の古代史メモ(http://blog.livedoor.jp/hohito/)
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