ヒナフキンのスサノオ・大国主ノート

「神話探偵団~スサノオ・大国主を捜そう!」を、「ヒナフキンのスサノオ・大国主ノート」に変更します。雛元昌弘

28 スサノオの海洋民族国家起源説

2009-03-31 21:57:39 | Weblog
水俣の打瀬船

●ホビット 22:26
カントクの「海洋民族による古代国家起源説」は大賛成ですね。エーゲ海文明や地中海文明を見ても、海を渡った交流と交易が文明を育んでいます。
エジプト、メソポタミア、インダス、黄河の4大文明は、豊かな農耕文化が基礎になっていますが、河川を通した交流・交易・支配体制も無視できないのではないでしょうか?

●ヒメ 22:31
確かに瀬戸内海は世界一美しい、穏やかな多島海よね。

●カントク 22:32
九州だって、朝鮮半島から九州西海岸に沿ってずっと小さな島が連なっておる。九州西海岸から瀬戸内海にかけては、世界一の多島海と言ってよい。
海から見ると、朝鮮半島から先は、全部、島じゃ。古事記の国土創世の神話もイザナギ・イザナミの「島生み」から始まっておる。

●マル 22:37
岡山県の日生(ひなせ)で仕事をしたことがあるけど、ここの漁民は帆船の打瀬船に乗って朝鮮半島の西まで漁に行っているのよね。日生の資料館の館長に聞いたけど、ちょっと先の方まで行って来る、という感覚だったそうよ。
さらにすごいのは、愛媛県八幡浜市の漁民よ。大正時代に打瀬船でアメリカに渡っているのよ。

●カントク 22:42
堀江謙一氏の『太平洋ひとりぼっち』の太平洋横断は素晴らしい快挙だけど、それを凌ぐ話だなあ。

●長老 22:44
僕の祖父は岡山の出身だけど、岡山藩は密かに中国と密貿易を行っていた、と聞いたことがある。その拠点が日生なんだ。
「島国根性」などと日本を否定的に言う人がいるけど、事実誤認も甚だしい。「島国」はもともと開放的だったんだ。

●ヒナ 22:48
私の大好きな沖縄も、台湾から沖縄、鹿児島へとずっと島が連なっていますよね。

●ホビット 22:49
樹皮で作ったカナディアンカヌーは、ネイティブ・アメリカンのものだと思われているけど、全く同じ形の樹皮カヌーがバイカル湖のほとりから、シベリア、オホーツク海にかけてあります。アイヌの人達も同じ様な樹皮カヌー・ヤラチプを作っています。
丸木船に舷側を付けて作る沖縄のサバニは、アイヌのイタオマチプと同じ構造だし、古代にも同じような構造の船が作られています。

●長老 22:55
朝鮮半島、台湾、サハリン・千島列島、の3つの海の道は縄文時代からあったと思う。

●カントク 22:59
海の民には、世界はどこまでも繋がっておる。「海は広いな大きいな」「海路は続くよ、どこまでも」~。
ボクちゃん、魏志倭人伝に何か書かれていないかな?

●ボク 23:02
 魏志倭人伝は、対馬国を「船に乗って南北に市糴(してき:買い入れる)する」交易国として伝えています。

●ヒメ 22:04
スサノオの「海洋民族国家起源説」は大収穫。
男どもは海や船の話をしだすと夢中になるのよね。しかし、お肌の曲がり角、三十路の私にとっては、シンデレラタイムよ。
話は尽きないけど、次回のミーティングにしない?皆さん、お休みなさい。

(ネタモトは日向勤氏の『スサノオ・大国主の日国―霊の国の古代史』(梓書院)です)


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27 スサノオはどこで死んだか?

2009-03-29 10:33:07 | Weblog
●ヒメ 21:42
ちょっと待ってよ。へぼ将棋みたいに「待って」が多いけど、カントク、熊野で考えておかなければならない事が残ってない?

●ホビット 21:42
エルドラドからの殴り込みです。ちゃんと、僕も読ませていただいています。
ここは「どこ派」の私の出番でしょう。ヒメの関心は、スサノオがどこで死んだか、ではありません?

●カントク 21:45
すまんすまん、ヒメがミステリー作家であることをうっかり忘れておった。ヒメが事件現場にこだわるのはもっともじゃ。

●ボク 20:34
前に述べたように、大国主神は兄弟神の迫害から逃れ、伯耆から木国に大屋毘古神を訪ねたあとに、さらに追われてスサノオのいる根の堅洲国に向かいます。この記載からすると、スサノオがいた場所は、和歌山市の伊太祁曽(いたきそ)神社より東になると思います。
一方、大国主はスサノオの娘の須勢理毘売(スセリヒメ)と黄泉比良坂から地上に出たとされていますから、木国から地下の黄泉国に入り、島根の黄泉比良坂(島根県東出雲町の揖屋)から地上に出たことになります。

●ヒナ 20:38
参考までに補足しますと、日本書紀の一書(第五)では、イザナミは「紀伊国の熊野の有馬村」に葬った、と書かれ、一方、古事記では、イザナミは「出雲国と伯伎国の堺の比婆山」に葬られ、黄泉の国にイザナミを訪ねたイザナギは、黄泉比良坂(出雲国の伊賦夜坂)から地上に逃れたと記しています。
紀伊国と出雲は、スサノオ神話だけでなく、イザナミ神話でも繋がっています。

●マル 20:45
全部がフィクションなのか、それとも、一部に真実が含まれているのか、謎よね。

●カントク 20:46
整理していこうではないか。まず、古事記にはスサノオから大国主までの7代の王と妻・妻の父の名前が書かれている事から見て、大国主が訪ねたスサノオと言うのは、スサノオの5・6代目の紀伊にいる後継王であろう。
代々、スサノオの名前を襲名する一族が熊野におり、大国主はそのスサノオ一族の助けをえて、スセリヒメとともに出雲に攻め上って兄弟神を破り、出雲を統一したのではなかろうか。

●ヒメ 20:52
カントクは推理小説作家に転身したらどうなの?鋭いじゃない。
そう考えると、「紀伊国の熊野の有馬村」に葬られたというのは、イザナギではなくてスサノオの可能性もあるわよね。
イザナミ伝承とスサノオ伝承がどこかで混線した可能性はある。

●マル 20:57
出雲国風土記にスサノオが死んだ場所や物語がでてこないのは、スサノオが出雲の国の外で死んだ、という可能性を示しているわよね。

●ヒメ 20:59
船に乗り、朝鮮半島と倭国を往来し、筑紫から出雲、播磨を始め、各地に交易を広げた海の民の王、英雄スサノオは熊野で死んだ、その姿が目に浮かんできたわよ。

●カントク 20:46
確かに、戦国時代のように、土地に命をかけて領土拡張を行った時代の歴史観で古代を見てはダメだな。古代ギリシアのように、海洋を縦横に行き来する通商部族による通商国家の形成、という史観が必要だと思うよ。

(ネタモトは『スサノオ・大国主の日国―霊の国の古代史』(梓書院)です)

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26 神々のランクとスサノオ

2009-03-26 06:53:10 | Weblog
●ボク 21:16
古事記の神話時代には、「大御神」「大神」「神」「命(みこと、日本書紀では尊)」が登場します。
「大御神」はアマテラス、イザナギ、迦毛(大国主の子)の3神です。
「大神」はイザナギ、イザナミ、黄泉戸(黄泉国を塞ぐ岩)、スサノオ、猿田毘古の5神です。
「神」は天地創造の別天津神五神と神代七代の12神、イザナギ・イザナミの生んだ島や海や火などの自然神、イザナギの禊ぎによって生まれた神々、大年などスサノオの子、大国主、事代主など大国主の子、高木などの高天原の神々です。
「命」はスサノオ・大国主やオシホミミなどアマテラスの子などにも付けられています。

●ヒメ 21:27
大御神―大神―神―命のランク付けになっているのかと思っていたけど、イザナギが「大御神」「大神」であったり、大国主の子が「大御神」になったり、混乱しているわよね。

●マル 21:30
スサノオは「大御神」に次ぐ2番目の「大神」のランクだけど、「大御神」=「大神」とすると、最高ランクの神と言っていのかな?

●ヒメ 21:32
仏の世界では、お釈迦さまに次ぐ阿弥陀如来とされ、神の世界でもまた、最高位あるいは第2ランクの神とされているのよね。しかも、天皇家公認なんだ。

●カントク 21:35
面白いのは、アマテラスとスサノオの「誓い(うけい)」で生まれたとされるオシホミミから、ニニギ、ホホデミ、ウガヤフキアエズ、ワカミケヌ(後に初代・神武天皇)の天皇家5代の祖先は全部「命」となっておることじゃ。念のために言っておくと、ワカミケヌが後に初代・神武天皇とされておる。
一方、オシホミミの次に生まれたホヒは、大国主を国譲りさせてその後継者となるが、「命」とも「神」とも書かれておる。

●マル 21:43
神々と命の間には大きな断絶があるっていうこと?

●カントク 21:44
神々の時代と命の時代とでは、明らかに、違うね。そもそも、「命」というのは、「御子人(みこと)」なんだから、「人」であって「神」ではないよね。

●ヒメ 21:46
小説家は、歴史を人間ドラマとして見るから、興味があるのは、「誰が」「なぜ」なのよね。
同じ人間の目線で考えてしまうから、時代の違いなど全然気にならないけど、歴史学者は違うよね。長老?そろそろ、こっちの世界に帰って来たら?

●カントク 21:49
確かにね。ヒメと僕の世界では、ここにスサノオや大国主が加わって一緒に議論していても、全然、問題ないからね。時空を超越した永遠の人間ドラマを求めるからね。
時間軸は、確かに、歴史系の長老やボク、ヒナちゃんが考えて欲しいよね。

●長老 21:52
皆さんのやりとりを見ながら、実は、ずっと、スサノオが実在していたとしたら、その時代はいつなのか、考えてきたんですよ。
ボビットさんが「どこ派」、ヒメとカントクが「誰なぜ派」だとすると、僕は歴史学者の端くれである以上、「いつ派」になるのかな?
しかし、この議論は、「スサノオがいたか、いなかったか」の最後でやりたいね。

●ヒメ 21:56
それって、後出しジャンケンじゃない?学者って、じれったいわよね。

●カントク 21:57
まあまあ。ようやく、長老の登場かとおもったのに、お預けですか?おいしい話は後の楽しみにとっておこうではないか。
スサノオの待つ、名古屋へ行こう?ここでは、スサノオと織田信長の天下統一を結びつける驚愕の真実を明らかにしようぞ。

(ネタモトは『スサノオ・大国主の日国―霊の国の古代史』(梓書院)です)


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25 阿弥陀如来になったスサノオ

2009-03-20 18:29:16 | Weblog
熊野那智大社(ウィキペディアより)

●カントク 20:49
ハハ~ン。ヒメの推理小説作家としての謎解き本能が疼いてきたようじゃな。いいではないか。付き合おうぞ。

●マル 20:52
カントクはいつもヒメには甘いよね。しかし、スサノオって、牛頭天王と呼ばれたり、阿弥陀如来になったり、いったいどういうことなのかしら?

●ボク 20:53
ちょっと、その前に、ヒナちゃんのデータを補足しておきます。
熊野本宮大社と熊野速玉大社では、第1殿 に熊野牟須美大神(伊邪那美大神)、第2殿 に速玉之男神(伊邪那岐大神)、第3殿に家津美御子大神(スサノオ)、第4殿に天照皇大神など、第12殿まで12神を祀っています。
一方、熊野那智大社は、第1殿には大国主を祀り、第2殿に家津御子大神、第3殿に御子速玉大神、第4殿に熊野夫須美大神、第5殿に天照大神を祀り、第13殿まで13の神を祀っています。

●マル 20:58
それって、要するに、七福神と同じで、客集めのために有名神なら誰でも祀る、っていうことなの?怪しいわね。

●ヒナ 21:00
高木さん、補足ありがとう。これらの神・仏を一覧表に整理したものがありますから、紹介します。
<熊野本宮大社・熊野速玉大社>
1 熊野牟須美大神=伊邪那美大神=千手観音
2 速玉之男神  =伊邪那岐大神=薬師如来
3 家津美御子大神=スサノオ大神=阿弥陀如来
4 天照皇大神         =千手観音
<熊野那智大社>
1         大国主神  =千手観音
2 家津御子大神 =スサノオ大神=阿弥陀如来
3 御子速玉大神 =伊邪那岐大神=薬師如来
4 熊野夫須美大神=伊邪那美大神=千手観音
5 天照大神          =十一面観音

仏のランクでは、第一のランクが如来であり、西方極楽浄土を主催する阿弥陀如来、東方浄瑠璃界の教主の薬師如来などは、このランクとなります。
次のランクは菩薩(如来をめざす修行者)で、千手観音や十一面観音などはこのクラス音なります。

●カントク 21:08
ヒナちゃんのデータベースもすごいね。
仏のランクから言うと、スサノオ、伊邪那岐大神が1ランク上で、伊邪那美大神、大国主神、天照大神はその下にきている、というのは面白いね。
しかも、天照大御神を最高神とした天皇家の、熊野御幸を行った多くの上皇は、このランク付けを認めているんだよね。

●マル 21:12
神社の祭神のランクでは、「イザナギ、イザナミ、スサノオ、アマテラス」あるいは「大国主、スサノオ、イザナギ、イザナミ、アマテラス」であったけど、仏のランクでは「スサノオ、イザナギ、イザナミorアマテラスor大国主神」となるのか。

●ヒメ 21:15
アマテラスがスサノオの姉で、高天原からスサノオを追放した、という記紀のストーリーは怪しくなってきたわね。

●マル 21:16
牛頭天王のランクはどのあたりなの?

●ヒナ 21:17
如来、菩薩(観音)、明王に続く、天部のランクに牛頭天王は位置づけられています。バラモン教の神々が仏教に取り入れられ、如来や菩薩の守護神となったとされています。

●ヒメ 21:19
スサノオが、最高ランクの「阿弥陀如来」とされて多くの上皇達に祀られた一方で、それを守護する「牛頭天王」ともされているというのは、ゾクゾクしてくるわよね。
天王ブランドの「スサノオ=阿弥陀如来」対民衆ブランドの「スサノオ=牛頭天王」、ということになるかな。面白いじゃない。

●カントク 21:21
さすがに、ヒメの勘は鋭いなあ。推理小説家としての推理力は一流だなあ。

●ボク 21:22
ヒメさまから前に紹介された姫路のスサノオを祀る広峯神社は、全国の牛頭天王社の総本宮とされていすが、唐から帰った吉備真備が聖武天皇の許しをえて、スサノオを祀る神籬(ひもろぎ=霊漏ろ木)のあったこの地に神社を創建したとされています。
また、名古屋のスサノオを祀る津島神社(津島牛頭天王社)は、嵯峨天皇より日本総社の称号を贈られています。

●カントク 21:26
ボクの記憶力はいいなあ。しかし、データを出すだけでなく、自分でもっと意見を言った方がいいと思うよ。
「スサノオ=牛頭天王というのは、天皇家も公認している」ということを、先輩に言わせよう、と気を使うんじゃないよ。若いのに。

●マル 21:19
スサノオは嵯峨天皇の頃には「牛頭天王」であったのが、白河上皇の頃には「阿弥陀如来」に大出世したのかあ。
お釈迦様に次ぐようなランクの仏にスサノオがなったということは、天皇家は、スサノオを日本で最高位の神として認めたということになるわよね。

●ヒメ 21:15
ボクちゃん、日本の神々のランクはどうなっているんだっけ。

(ネタモトは『スサノオ・大国主の日国―霊の国の古代史』(梓書院)です)

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24 熊野に祀られたスサノオ

2009-03-19 09:24:23 | Weblog
熊野本宮大社


●ヒメ 20:25
古事記の話を裏付けるスサノオの痕跡はあるの?

●ボク 20:27
田辺市本宮町にある熊野本宮大社の主祭神の家都美御子大神(ケツミコ)は素戔嗚大神とされています。
この家都美御子大神と新宮の熊野速玉大社の熊野速玉男(くまのはやたまお)大神、熊野那智大社の熊野夫須美(くまのふすみ)大神は、併せて熊野大神と呼ばれています。
そして、熊野速玉男神は伊邪那岐大神、熊野夫須美神は伊邪那美大神とされています。

●ヒメ 20:29
ちょっと、待ってよ。熊野に家都美御子大神 熊野速玉男神、熊野夫須美神が祀られているというのはわかるけど、家都美御子大神が素戔嗚大神 熊野速玉男神が伊邪那岐大神、熊野夫須美神が伊邪那美大神という証拠はあるの?

●ヒナ 20:34
スサノオが熊野大神と呼ばれていることからみて、関係があるともいえますが、スサノオの別名が家都美御子大神である、という記録は神社伝承しかありません。また、記紀や出雲国風土記は、スサノオがどこに葬られたか、記載していません。
日本書紀の一書(第五)では、イザナミは「紀伊国の熊野の有馬村」に葬った、という記述がありますが、一方、古事記では、イザナミは「出雲国と伯伎国の堺の比婆山」に葬られ、黄泉の国にイザナミを訪ねたイザナギは、黄泉比良坂(出雲国の伊賦夜坂)から地上に逃れたとも記しており、出雲で死んだことになっています。

●マル 20:41
出雲のスサノオを祀る熊野大社と本宮の熊野本宮大社との関係はどうなるの?いったい、どちらが本家なのかしら?

●ヒナ 20:34
出雲の熊野大社から、和歌山の熊野に勧請された、という説がありますが、全国の熊野神社はそれぞれ別系統のようです。

●カントク 20:34
世界遺産に登録されてから、熊野古道が急に注目されてきたのう。知っておるかな、院政期には白河上皇・鳥羽上皇など、9人の上皇・法皇が熊野御幸(くまのごこう)を行っているんじゃ。
中でも、後白河上皇は34回も熊野詣をおこなっておる。歴代の天皇が伊勢神宮に参拝していないのとは、大きな違いをみせておる。これは大きな謎じゃ。

●ヒナ 20:37
浄土信仰が広がるにつれて、熊野本宮大社の家都美御子大神(スサノオ)は阿弥陀如来、熊野速玉大社の熊野速玉男大神(イザナギ)は薬師如来、熊野那智大社の熊野夫須美大神(イザナミ)は千手観音とされ、天皇家の信仰の対象になった、というのが通説ではないでしょうか?
天照大御神を祀る伊勢神宮に天皇家が明治時代まで参拝していないことから見て、熊野詣ではスサノオ・イザナギ・イザナミを祀るというよりも、阿弥陀信仰が目的であったと思います。

●マル 20:42
何故か、今日も長老が静かよね。ヒメ、横に長老がいるんでしょ?

●ヒメ 20:43
おかしいのよね。黙ってチビチビやっているだけなんだから。何か、考えているんでしょうけど。今、横で「もう少し考えさせてよ」と言っています。そっとしときましょう。

●カントク 20:45
スサノオと熊野、何か深い関係がありそうじゃが、先に進もうではないか。ホビットさんの故郷の名古屋へ行こう。

●ヒメ 20:47
ちょっと待って。約束では、今は議論しないことになっているけど、ここは謎があって面白そうじゃない。もう少し、深追いしてみたいんだけど。


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23 「木山(基山)」から「木国」へのイタケルの木の道

2009-03-10 22:39:57 | Weblog
伊太祁曽(いたきそ)神社(ウィキペディアより)

●ヒメ 19:52
大和の近くで他にはスサノオの痕跡はないの?

●ボク 19:53
古事記によれば、伯耆の国、今の鳥取県で兄弟の迫害を受けた大国主は、木国、今の和歌山県の大屋毘古(おおやびこ)神を訪ねたことになっています。
この大屋毘古神というのは、ヒメの故郷・姫路にも祀られている、スサノオの子の五十猛(いたける)命の別名とされています。

●ヒメ 19:55
それを裏付けるものはあるの?

●ボク 19:56
神社創建の時代の議論は後に行うとしますが、和歌山市に五十猛命(大屋毘古神)を主祭神とし、妹の大屋都比賣(おおやつひめ)命と都麻津比賣(つまつひめ)命と併せて祀る伊太祁曽(いたきそ)神社があります。紀伊国一の宮です。

●ヒメ 19:59
面白いじゃない。五十猛命は、筑紫の基山(木山)から私の故郷の姫路をへて、和歌山の「木国」に移動したのね。

●ヒナ 20:01
日本書紀の一書では、スサノオとその子の五十猛神は、新羅の国へたくさんの木の種をもって降ったものの、この地では播かずに、日本に持ち帰って日本の国中に播き、国を全部青山にしてしまったとされています。

●カントク 20:04
わが故郷の筑紫の基山がでたとなると、私の出番かな?
このスサノオ、イタケルの行動は、魏志倭人伝に書かれた、ある部分と符合しておるのじゃ。わかるかな、ボクちゃん。

●ボク 20:07 
カントク、「新説 日本ミステリー」になってきていません? 話が、飛躍しすぎているように思いますけど。

●カントク 20:09
相変わらず、頭が固いのう。
魏志倭人伝は、対馬国を「良田がなく、海物を食べて自活し、船に乗って南北に市糴(してき)(買い入れること)する」交易国として伝えているのを知っておろう。
「津島」をルーツに持つ交易部族の末裔のスサノオは、製鉄のために禿げ山になった韓地に木の種を売り、鉄を買うつもりであったのじゃ。しかし、木の種が売れなかったため、持ち帰って日本の各地、「木山(基山)」や「木国」に植えた、という。
このような失敗談は、古代においては有名な話として伝わっていたとは考えられないかの?
信じる、信じないは、皆のものに任せようぞ。

●ヒメ 20:15
カントク、信じますよ。
理由は、そのスサノオの失敗談が面白いからです。往々にして、歴史は、政治的に大事な事よりも、面白いことや悲しいことが長くエピソードとして語り伝えられるものではないでしょうか?
商売人としては失敗した、元祖エコロジスト・スサノオ、ますます好きになっちゃった。

●マル 20:18
五十猛命が紀の国に行ったのはわかるとしても、スサノオも五十猛命と紀の国まで行ったのかしら?スサノオは妻の神大市姫や子の大歳神、宇迦之御魂神と奈良盆地に拠点を構えていたのではないかしら?

●ボク 20:21
古事記によれば、大国主は伯耆から「木の国」の五十猛命のところへ行き、さらにスサノオの「根の国」へ行ったとされています。五十猛命が和歌山市に祀られていることから見ると、スサノオの「根の国」は和歌山市よりさらに先にある、とも考えられます。
また、「根の国」は出雲、今の島根県を指しているのでは、という説もあります。


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22 広瀬大社から伏見稲荷大社、日吉大社の宇迦之御魂ルート

2009-03-04 01:16:00 | Weblog
●ボク 19:11
広瀬大社の背後の馬見山丘陵には、全長は約197m大塚山古墳をはじめ、8基の大塚山古墳群があります。この馬見山丘陵には、北部、中央部、南部の3つの古墳群があり、北部がこの大塚山古墳群になります。これらは、葛城氏の墓とする説と、大王家ゆかりの墓とする説があります。

●カントク 19:15
ボクの携帯電話はすごいなあ。たちどころにデータが出てくるんだから。

●ボク 19:16
携帯電話のように見えますが、正確にいうと、スマートフォンと呼ばれています。僕のはウィルコムの通称「アドエス」と呼ばれている機種で、パソコンのデータを丸ごと移すこともできますし、USBにデータを入れておいて、アドエスに付けて利用できます。
どなたか、僕のことを「歩くデータベース」とおっしゃいましたが、手の内を明かすと、アドエスを持ち歩いているだけなんです。ヒメさまも、是非、試してみて下さい。

●ヒメ 19:21
そういうの苦手なんだけど、それだと、旅先でも使えるわよね。ブラジルに持っていこうかしら。

●ボク 19:22
重たいパソコンを持っていくことはないですよ。これだと、パソコンのキーボードと同じように原稿を入力して、メールに添付して原稿を送れますよ。

●ヒメ 19:23
 ちょっと、コロンビア行きの話は編集者には絶対に秘密よ。完全に私は失踪するですからね。
 それより、不思議よね。広瀬大社に宇迦之御魂神が祀られている以上、背後の馬見山丘陵の古墳群には、宇迦之御魂神の一族が祀られているんじゃないのかしら。
歴史学者や考古学者達は、なぜ、それを葛城氏や天皇家ゆかりの墓とするのかしら。

●カントク 19:30
そこなんじゃ。素人にはどうしても理解できないタブーがあちらの世界にはあるようなんじゃ。
戦後、戦前の皇国史観への反省から、記紀を疑ってかかるようになり、9代までの天皇は架空である、記紀が創作した歴史である、という仮説が大いに流行ったんじゃ。
ボクやひなちゃんは、どっぷりとその世界に漬かっていると思うけど、その延長上で、記紀の神代、ようするに天皇家以前の記紀に書かれた神話は、全部、後世の創作、というようになっているのよ。

●マル 19:36
カントク、「議論はしないで、データを集めよう」とおっしゃったのはどなたでしたっけ?馬見山丘陵の古墳群を造ったのは、葛城氏、天皇家、宇迦之御魂神一族、の3つの仮説がある、ということにしておきましょうよ。

●ボク19:38
宇迦之御魂神は、伏見稲荷大社にも主祭神として祀られています。この伏見稲荷大社は、稲荷神を祀る全国約4万社の稲荷神社の総本宮とされています。
渡来系氏族の秦氏が和銅年間(708~715年)に神社を創建したとされていますが、宇迦之御魂神信仰はそれ以前からあった可能性があります。

●ヒナ 19:42
佐保川を遡って奈良まで行き、奈良阪を越え、木津川を下ると伏見に出ます。

●ボク19:43
宇迦之御魂神の子の大山咋神は、古事記には「近海淡海国の日枝山に坐す」と書かれており、大津にある日吉大社(ひよしたいしゃ)の東本宮は大山咋神を祀っています。後に、天智天皇の大津京遷都の際に、大神神社から大国主神を招き、西本宮の祭神としています。

●カントク 19:46
広瀬大社から伏見稲荷大社、さらに日吉大社と、宇迦之御魂ルートがあるような気がしてきたのう。

●マル 19:48
奈良盆地の西の入り口の二上山の麓の大坂山口神社と、東の三輪山の大神神社、これを結ぶ大歳神ルートも重要よね。
なにしろ、大坂山の石を、人々が並んで手渡しで運び、三輪山の麓の箸墓が造られたんだからね。

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