ヒナフキンのスサノオ・大国主ノート

「神話探偵団~スサノオ・大国主を捜そう!」を、「ヒナフキンのスサノオ・大国主ノート」に変更します。雛元昌弘

神話探偵団78 広峯神社のスサノオ

2009-12-13 15:06:46 | 歴史小説
広峯神社拝殿殿前の御柱祭の場所(柱穴がある)
(神戸壁紙写真集:http://kobe-mari.maxs.jp/himeji/hirominejinja.htm)


広峰山頂近くの駐車場から鳥居をくぐり、なだらかな参道に入ったところで、マルちゃんから指令が飛んできた。
「ボクちゃん、広峯神社について説明してよ」
「そろそろと思っていましたよ」
高木は自慢のウィルコムESを取り出し、歩きながらデータベースを読み始めた。即席漬けの、ウィキペディアなどからの受け売りである。
『播磨鑑』には「崇神天皇の御代に廣峯山に神籬を建て、素盞嗚尊、五十猛尊を奉斉し」とあります。ずっと時代は下がって、吉備真備が唐から都へ帰る途中、この地で神威を感じ、聖武天皇に報告し、翌天平6(734)年に神社が創建された、新羅国明神と称し、牛頭天王と名づけられたと書かれています。前にみましたが、福山市にある備後国一宮の素盞嗚神社からスサノオの霊を招いたとされています。さらに、100年あまり後に、京都の有名な八坂神社、祇園神社とも言いますが、ここにスサノオの霊を分祠したとされています」
「それは面白い。もともと、山頂に神籬(ひもろぎ)があって、400年後にその地に神社が創建された、ということが伝わっているとはね」
カントクの目が異様に輝いてきた。
「神籬(ひもろぎ)は『霊(ひ)洩ろ木』で、祖先霊が天から洩れて降り立つ場所であったと思います。魏志東夷伝の韓伝には、『鬼神を信じ、国邑各一人を立て天神を主祭す、この名を天君という。また諸国各別邑あり、この名を蘇塗となす。大木を立てて鈴・鼓を懸け、鬼神に事(つか)える』と書かれていますから、韓国から倭国にかけて、大木に鬼神=祖先霊が天から降りてくる、という信仰があったと思われます」
高木がデータを集めて整理してきただけなのに対して、ヒナちゃんは一歩、踏み込んで考えてきている。これは完全に高木の負けであった。
「そういえば、11月15日には御柱祭があって、社殿の前に柱を立てて、早朝に大神様の降臨を祈る儀式が行われるわよ。そして、夕方になると御柱の根本に火を付けて、柱を倒すのよね」
麓の白国で過ごしたヒメならではの話である。
「それって、出雲に神々が集まる神在月の儀式と関係があるのかしら?」
マルちゃんの疑問は当然だ。
「出雲大社の神在祭はもともとは10月10日の旧暦の霜月に1週間かけて行われていましたが、新暦になって、11月の末に行われます」
ヒナちゃんは地元だけに詳しい。
「その謎解きの前に、もう少し、広峯神社のことを知る必要があるな。祭神は誰だったかな?」
カントクはいつもと違っている。マルちゃんには同調せず、慎重である。
「主祭神は素戔嗚尊と五十猛命で、左殿には奇稲田(クシナダ)姫尊と足摩乳(アシナヅチ)命・手摩乳(テナヅチ)命の親子、右殿には宗像三女神・天忍穂耳命・天穂日命ほかを祀っています。みなスサノオゆかりの神々です」
「もともと、山頂にあった神籬(ひもろぎ)では、素戔嗚尊と五十猛命を祀っていたのかなあ。それとも、五十猛命を祀っていて、後に素戔嗚尊の神霊を備後国一宮の素盞嗚神社から移したのかなあ?」
カントクの疑問は当然である。またしても、高木は深く考えることもせず、資料の表面しが伝えていないことを思い知らされた。
「思い出したよ。本殿の裏手には富士山型の白幣山があるけど、別名を『伊多て神山』と呼んでいるのよ。祖先霊が降り立つ神那霊山をイダテ神山と呼んでいたということは、元々はイダテ大神を祀っていたのではないかしら」
これは、地元のヒメしか解らないことであった。
「しかし、なぜ、吉備真備はスサノオに霊をこの地に招いたのかしら?」
ヒメの疑問に対して、高木が答えを思いついた時には、カントクはすでに発言を始めていた。
「唐で陰陽道を学んだ吉備真備は、陰陽道の神として牛頭天王信仰を広めるために、牛頭天王をスサノオと結びつけ、この地にスサノオの霊を招いて広峯神社を創建し、牛頭天王社の元宮・総本社として布教を開始したんじゃ」
話をしながら歩いているうちに、広峯神社の最後の階段を登りきった。正殿前には、御柱祭に使われる柱穴があり、囲いがしてあった。
「ここなのよ。ここに高い柱を立てて御柱祭が行われるのよね。この御柱祭は、イダテ大神を祀る祭りなのか、それとも陰陽道の祭りなのかしら?」
「ヒメと同じ疑問を考えていたが、もともとの出雲の祭りに、仏教と道教の祭りが、吉備真備によってプラスされたのじゃあないかな」
カントクの推理には、高木も納得できた。
「前に現地で見たけど、佐賀の吉野ヶ里遺跡や、福岡県前原市の平原遺跡においても、墳丘墓の前に柱が立っていた跡があったよね。ヒナちゃんが言うように、魏志韓伝に書かれたような祖先霊を祭る祀りはその時代から各地で行われていたんじゃない」
マルちゃんの言うとおりである。

(日南虎男:ネタモトは日向勤氏の『スサノオ・大国主の日国―霊の国の古代史』梓書院刊です)

作者おわび:年末で仕事が忙しくなり、週1回の更新が難しくなりました。3週ほど、休ませていただきます。

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神話探偵団77 イタテ(射楯)とイタケル(イソタケル:五十猛)

2009-12-04 22:06:07 | 歴史小説
広峰展望台から播磨平野、播磨灘を見る(神戸壁紙写真集より)
(http://kobe-mari.maxs.jp/himeji/hirominesan.htm)

「またまた横道にそれてきたけど、射楯(イタテ)とスサノオの子の五十猛(イタケル、イソタケル)が同一人物という証拠はあるの?」
このマル姉の問いかけは、いつものように高木の出番を促す合図である。
「ずっと前に検討しましたが、日本書紀の一書第4には、五十猛は父のスサノオと木種を新羅から持ち帰り、筑紫を始め、各地に植え、紀伊国の大神となった、と書かれています。そして、紀伊国一宮の伊太祁曽(いたきそ)神社に祀られています。イタケルとイタキソ、どことなく似ています。
また、古事記では紀国の大屋毘古が大国主を助ける話が出てきます。
一方、射楯大神は、播磨国風土記では『因達(イダテ)神、伊太代(イダテ)神』として登場しますが、記紀には登場しません。しかし、イタテ+タケルが、イタケルに変わった可能性はありますね」
「オオヤビコは、大矢彦の可能性もあるから、射たて、射猛と同じように、弓矢の得意な勇士、という同じ意味の名前になるわね」
さすが、小説家らしいヒメの発想である。
「しかし、これから登る広峯神社には、スサノオと五十猛が祀られていますが、伊太代(イダテ)神は少し離れた因達里に祀られていますよね。すぐ近くに別々の名前で祀られているということは、別人の可能性はありません?」
ヒナちゃんが、積極的に通説外しの発言をしだしたので、高木はびっくりした。ヒメの影響を受けてきたのかなあ。
「そうなんだよね。延喜式神名帳には、出雲に韓国伊太氐(いだて)神社が6社でてくるが、イダテ=五十猛説にははっきりとした根拠はないんだな。これとは別に、熊野大社を始め、出雲にはスサノオと五十猛を祭神とする神社も多い。イタテと五十猛は別人の可能性もある」
慎重な長老らしからぬ援護射撃である。
「古事記では、大屋毘古はイヤナギ・イヤナミの生んだ子どもとして最初に現れ、次に大国主を助ける話がでてきます。これを信用すると、大屋毘古はスサノオの兄弟神の可能性があります」
確かにそうだった。高木も気になってアンダーラインを引いてはいたが、突き詰めては考えていなかった。しかし、そう簡単には認めるわけにはいかない。
「そうすると、紀伊国には、五十猛とオオヤビコの二人がいることになりません?」
高木は、とりあえず反論しておくことにした。
「紀伊国の熊野本宮大社の主祭神の家都美御子大神(けつみみこのおおかみ)はスサノオとも言われていますが、はっきりしていません。紀伊国一宮の伊太祁曽神社が五十猛を祀り、大屋毘古は熊野本宮大社に祀られた可能性もあります」
「なるほど。大屋と、家(け)、どちらも家の神様の可能性があるよね」
ヒメの発想はどこまでも柔軟である。
「スサノオの兄弟や子ども達がそれぞれの進出地で定着し、始祖王の祖先霊を祀っているとしたら、播磨にはイタテ、ヤマトには大年、紀伊にはオオヤビコを頼ってイタケルが進出した可能性はあるかもしれんな」
またまたカントクがヒナちゃんに助け船である。長老、カントクともに甘い、甘い。
「イタケル・オオヤビコ・イタテ同一人物説、イタケル・オオヤビコ・イタテ別人物説、オオヤビコ・イタテ同一人物説など、諸説が入り乱れてきたけど、決め手はないんじゃない?」
マルちゃんがまとめに入ってきた。
「播磨国総社のイタテ大神は、スサノオの子のイタケルの可能性が高いが、別人の可能性もある、ということにしておきましょう」
ヒメが突っ張らないで認めたところをみると、どうやら他に関心が移ったようである。
「しかし、出雲に韓国伊太氐(いだて)神社がある、というのは気になるなあ。この韓国とヒメの出身地の白国との関係はないのかな?」
カントクとヒメは、同じことを考えていたに違いない。高木も考えていたところであったが、スローなので、いつも発言は先を越されてしまう。
「ちょうど、白国に入ってきたわよ。播磨国風土記では新羅訓(しらくに)と書かれているので、新羅ゆかりの地であることは間違いないと思うわ。その議論は、夕方、白国神社に詣った時にやりましょう」
広峰山は姫路市の北に屏風のように連なっている。車はきついカーブを登っていった。眼下には、姫路の市街地が広がっている。合併を繰り返し、人口54万人になった中核市である。
その中央には、姫路のシンボルである姫路城が聳えている。臨海コンビナートの彼方には、瀬戸内海がキラキラと輝いており、家島諸島や小豆島、四国が見える。

(日南虎男:ネタモトは日向勤氏の『スサノオ・大国主の日国―霊の国の古代史』梓書院刊です)

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