ヒナフキンのスサノオ・大国主ノート

「神話探偵団~スサノオ・大国主を捜そう!」を、「ヒナフキンのスサノオ・大国主ノート」に変更します。雛元昌弘

51 国生み神話の舞台―津島海峡

2009-06-29 09:13:47 | 歴史小説
西宮神社(西宮のえべっさん:ウィキペディアより)


●カントク 20:37
「天」の国々を調べるためには、イヤナギ・イヤナミの国造りをみていく必要があるな。ヒナちゃん、解説してくれない。

●ヒナ 20:39
イヤナギとイヤナミは御柱を右と左に別れて廻って出会い、イヤナミが最初に「ああ、いい男」と言い、次にイヤナギが「ああ、いい女」と言ってセックスしたところ、ヒルコ(水蛭子)が生まれたので、葦船に入れて海に流し、さらに淡島を生んだとされています。このヒルコと淡島は、二人の子の仲間には入れなかった、としています。

●ヒメ 20:43
日本神話の最初が、女性差別と障害者殺しの神話というのは、がっがりだよね。

●マル 20:44
実際には、女性優位の伝承であったのを、古事記作成時に男性優位の神話に作り替えた可能性もあるんじゃない?

●カントク 20:46
そうなんじゃ。海に流された蛭児命は西宮に漂着し、西宮のえびす神社、「えべっさん」に大神として祀られておるぞ。この西宮神社は全国の蛭子神系のえびす神社の総本社となっておる。

●ヒナ 20:48
大国主の国造りを助けた少彦名命も、「天の羅摩船(かがみぶね:長さ10㎝ほどのガガイモで作った船)」で流れ着いた小人とされています。

●カントク 20:50
障害者を海に流すというのは残酷じゃが、古代人にとっては、神の元に帰す、ということではなかったのかな。海から流れ着いた蛭子を神としてあがめたり、「雛まつり」の原型の「雛送り」の儀式は、海の彼方に神の国がある、という宗教があったことを示しておる。

●マル 20:54
大国主の子の事代主神(ことしろぬしかみ)もえびす(夷、戎、恵比寿)と呼ばれ、美保神社を総本社とする事代主系の恵比寿神社に祀られていますよね。

●カントク 20:56
大国主の国譲りの時に、タケミカヅチは美保ヶ崎の事代主に国譲りを強要し、事代主は国譲りを了承し、船から手を逆さに打って隠れたとされておる。逆さ手に拍手したということは、海中の神の国に拍手して神の国に行ったので「えびす」と呼ばれ、神として信仰されたのではないかな。

●ヒナ 21:00
イヤナギとイヤナミは、ヒルコと淡島に続いて、8島(淡路島、伊予二名島、壱岐三子島、筑紫島、隠岐島、津島、佐渡島、豊秋津島)と6小島(吉備児島、小豆島、大島、女島、知訶島、両子島)を生んだとされています。

●ヒメ 21:03
「天」の名が付く島があったわよね。

●ヒナ 21:04
別名として、「天」の名が付くのは、次の7島です。
隠岐島(天之忍許呂別:オシコロワケ)
壱岐三子島(天比登都柱:ヒトツバシラ)
津馬(天狭手依比売:サデヨリヒメ)
女島(天一根:ヒトツネ、大分県姫島)
知訶島(天之忍男:オシオ、長崎県五島列島)
兩兒島(天兩屋:フタヤ、五島列島南の男島・女島?)
大倭豊秋津島(天御虚空豊秋津根別:アマツミソラトヨアキツネワケ)

●マル 21:06
ヒナちゃんのデータベースからは、すぐにデータがカット・アンド・ペーストででてくるわよね。
大倭豊秋津島(天御虚空豊秋津根別)はどこをさすの?

●ヒナ 21:08
通説では、大倭豊秋津島は大和、奈良盆地のこととされています。しかし、豊(福岡県東部と大分県)が付いていることから、古田武彦氏は大分県の国東半島の「安岐町」のことではないか、といっています。

●カントク 21:11
「地名+固有名詞」で名前が付けられているとみると、「大倭」「天御虚空」の「豊」の「秋(安芸)」の「津島、津根別」ということになる。
安芸というと、宗像三女神を祀る厳島(伊都岐嶋)が古代の中心であろう。この「イツ」から分岐した島、という名前は、対馬の「いつ(厳)」から別れた島、ともとれる。そうすると「厳岐」=「津根別」となる。
「大倭」が「豊」が「安芸」にまで進出した時代の厳島を、「大倭豊秋津島」と言った可能性もある。

●マル 21:17
それって、こじつけじゃあない?「真実は単純明快」が口癖の人とは思えないんだけど。
厳島神社って、祭神の「市寸島比売命(いちきしまひめ)」の名前からとった、と単純に考えるわよね。

●カントク 21:20
まさにそうなんじゃ。宗像大社の名前と三女神を見てみよう。
沖津宮 多紀理毘売命(たきりびめ、 奥津島比売命):沖の島
中津宮 市寸島比売命(いちきしまひめ、市杵島姫神、狭依毘売):大島
辺津宮 多岐都比売命(たぎつひめ):田島
何が見えてくるかな?

●ヒナ 21:24
なるほど、宗像大社は正式には3つの「津宮」なんですよね。

●カントク 21:25
そうなんじゃ。宗像三社は、もともと「津島」の神を祀っておる。そして、大社の上流には秋郷(あきのさと)があるんじゃ。

●ヒメ 21:27
そうすると、大倭豊秋津島(天御虚空豊秋津根別)は、安芸の厳島じゃあなくて、宗像の秋郷でいいじゃない?

●カントク 21:29
博多っ子からみると、そうはいかんな。宗像は豊前じゃあない。筑前なんじゃ。宗像だと「大倭(だいわ)」と言わなくても、「倭(わ)」と言えばよいんじゃ。

●ボク 21:31
銅剣圏は北九州から中国地方に広がっていますから、安芸の国は「大倭」と言ってもいいかもしれません。

●カントク 21:33 
おいおい。「大倭」を「だいわ」なんて言っていると、邪馬台国九州説になってしまうよ。ボクちゃん、「おおやまと」と読まないと、邪馬台国畿内説の誰かさんから怒られないかな?

●ボク 21:35
邪馬台国畿内説にとっては、神話時代はどうせ架空の物語ですから、何を言ってもいいんですよ。

●マル 21:36
真面目一徹の石頭かと思っていたけど、ボクちゃん、誤解していたようね。

●ヒメ 21:37
いずれにしても、天(海、海部、海人、海士)の国は、対馬を中心とした、対馬海流にそった島と瀬戸内海西部の島、ということになるね。
通商部族の「天族」は、まさに「打ち廻る 島の埼埼 かき廻る 磯の埼」に拠点を築きながら、「南北に市糴(してき)」し、国際南北貿易を支配して勢力を広げていったのね。

●マル 21:42
全国各地で仕事をしているとわかるけど、「あま」の付く地名は多いのよね。「天川」「天山」「天津」「甘木、天城」などは、天族が進出した痕跡かもしれないね。それと徳島県、和歌山県、愛知県にある海部郡もね。

●カントク 21:45
古事記では、イザナギはスサノオに「海原を支配せよ」と命じておる。スサノオは対馬海峡を支配し、対馬海流に乗って、韓国~筑紫~出雲の国際貿易をした天族の始祖王ということになる。
スサノオというと、乱暴で凶暴な騎馬民族、というような誤ったイメージがばらまかれているけど、海原を船で駆けめぐった交易部族、通商部族なんだよね。

●ヒナ 21:49
私の名字の朝比奈に縁があるので、以前に調べてみたんですけど、天穂日命の子の建比良鳥命(天日名鳥命、天夷鳥命、武日照(ひなてる)命)は、出雲国造や津島県主などの祖である、と古事記の注に書かれています。
天族と出雲族が同族であり、出雲と対馬が結ばれていることは古事記にはっきりと書かれていると思います。

(ネタモトは日向勤氏の『スサノオ・大国主の日国―霊の国の古代史』(梓書院)です)

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50 イヤナギとイヤナミの天降り

2009-06-28 00:32:12 | 歴史小説
出雲大社(ウィキペディアより)

●ヒナ 19:59
イヤナギ(伊邪那岐)神とイヤナミ(伊邪那美)神は、「オノゴロ島」に天降り、天の御柱と八尋殿を見立て、御柱の回って出会い、多くの国を生んだとされています。

●ヒメ 20:01
「天離(あまざか)る鄙」「鄙離(ひなざか)る越」などと歌われているけど、「鄙」にかかる枕言葉の「天離る」と、この「天降り」との関係はどうなのかしら?

●ヒナ 20:03
「降る、下る(くだる、さがる)」も「離る(ざかる、さかる)」も同じ意味と思います。「くだる」=「さがる」=「さかる」=「ざかる」です。

●ヒメ 20:05
そうすると、日本海を「天」=「津島」から「天下る=天離る」と「鄙」に着き、さらに「鄙」から「鄙離る」と「越」(福井~新潟)に着くことになるわね。「鄙(ひな)」=出雲に決まりだわ。

●ボク 20:08
古田武彦氏がそのような説を述べています。古田氏の邪馬台国九州説は学会からは異端視されていますけどね。

●ヒナ 20:10
大国主が出雲から倭国に上る時に、妻の須勢理毘売(すせりひめ)が嫉妬して歌った歌に次のような一節がありますよ。
「吾が大国主、汝こそは 男に坐せば 打ち廻る 島の埼埼 かき廻る 磯の埼落ちず 若草の 妻持たせらめ」
出雲から夫の大国主は「島の埼埼 磯の埼」の若い妻を打ち廻って、倭国に行ったというのです。この倭国へは海路を通って上って出雲から筑紫の倭国に行ったことになります。「上り」「下り」は対馬海流の上り、下りを示していますね。

●ボク 20:17
ほとんどの学者は、「天降り」を天上の国から地上の国への降臨ととらえて、8世紀に作られた架空の物語と見ていますよ。大多数の歴史学者が間違っている、といえるのでしょうか?

●ヒメ 20:19
「天上の国なんてないんだから、空想的な架空の物語である」というのは、論理になっていないんじゃあないの。
例えば、「天国なんてないんだから、キリストは空想上の人物である」というのと同じ論理になるわよね。そんなのは、世界では非常識でしょう?

●カントク 20:23
「地上の天津や天下りの物語をもとに、8世紀に天上の国が創作された」という仮説を本気で検証した歴史学者はほとんどいないんじゃないの。「韓国やギリシアの神話をもとに、天津や天下りの物語が創作された」という証明に明け暮れておる。

●ホビット 20:26
不思議ですよね。貴重な国費を浪費して、歴史学者の皆さんはそんな奇妙キテレツなことをやっているんですか。僕なんか、素直に「神話は歴史的事実を反映して作られている」と考えますよ。

●ヒナ 20:29
A仮説が定説であるというなら、A仮説、B仮説、C仮説・・・を全部検証して、A仮説が成立、他は棄却、という証明が必要だよね。

●カントク 20:31
古事記では大国主は180人(日本書紀では181人)の子をもうけたとされておる。「島の埼埼 磯の埼」の各国の若妻と2人の子をもうけたとすると、90国を支配していたことになる。魏志倭人伝で「旧百余国」を男王が「7~80年」支配していたというのと、ほぼピッタリと合うんじゃ。

●ボク 20:35
「天津」が「津島=対馬」である、ということはわかりましたけど、「天」=「対馬」ですか、それとも、もっと広い範囲ですか?

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49  イザナギ・イザナミのオノゴロ島はどこ?

2009-06-16 06:51:35 | 歴史小説
熊野大社本殿(ウィキペディアより)


●ヒメ 9月20日19:00
こんばんは。今、「卑弥呼」でママと皆さんの消息を話していたところです。こちらのメンバーは、私とカントクとマルちゃん、ヒナちゃんです。

●ホビット 19:02
エルドラドに舞い戻っています。今日は楽しみです。

●長老 19:03
出雲の古代史好きが集まる松江の「八重垣」で飲んでいますよ。

●ボク 19:04
長野からの新幹線の車中です。21時には行きます。

●ヒメ 19:05
「天津」=津島から、「別天津」=出雲へとスサノオのルーツを追ってきましたが、今日はカントク待望の「高天原」を捜しましょうか?

●長老 19:07
待て、待て、急ぐでない。出雲でもう少しイザナギ・イザナミの謎解きをしておこうではないか、な~んて。カントクの芝居がかった口調でやると、きつくならなくていいですね。

●カントク 19:09
年寄りの知恵が少しは身についてきたのう。いよいよ、出雲の長老のお出ましじゃな。
ボクちゃん、車中から解説できるかな?

●ボク 19:11
山の中なので、通信がブチブチ切れています。ヒナちゃんにバトンタッチ、よろしくね。

●ヒナ 19:12
イザナギ(伊邪那岐)神とイザナミ(伊邪那美)神は、淡島をはじめとする14あまりの島を生み、35あまりの自然神を生みます。そして、死んだイザナミは出雲国と伯耆国の境の比婆山に葬られます。

●マル 19:15
長老ほどではないけど、私もこのあたりは仕事で少しは土地勘があるのよね。現在の比婆山は、出雲と備後の境の山です。しかし、伯耆(鳥取)の県境がすぐ近くですから、古代には出雲の斐伊川、鳥取の日野川、島根から備後に流れる江川、備中の高梁川の源流の山々全体を比婆山と言っていたのではないでしょうか。

●ヒナ 19:19
その後、イザナギは、イザナミが忘れられなくて黄泉国(よみのくに)に訪ね、腐乱したイザナミを見て逃げ帰り、黄泉比良坂から地上に逃げたとされています。古事記によれば、この黄泉比良坂は出雲國の「伊賦夜(いふや)坂」とされています。

●マル 19:22
「伊賦夜(いふや)坂」は、現在は松江市の東隣の東出雲町の揖屋(いや)町ですよね。確かにここにはイザナミを祀る揖夜(いや)神社がありますね。

●長老 19:24
揖夜(いや)神社は意宇(おう)川の元の河口付近にあります。この意宇川を上ると古代出雲の政治中心である出雲国府跡やスサノオを祀る神魂(かもす)神社や八重垣神社があります。さらに上流にはスサノオを祀る熊野大社(日本火出初之社:ひのもとひでぞめのやしろ)があります。

●ヒメ 19:27
古事記に最初にでてくるスサノオの歌、「八雲立つ 出雲八重垣 妻籠みに 八重垣作る その八重垣を」の舞台、神話探偵団のスタート地点にきましたね。

●ヒナ 19:29
西の神戸川や斐伊川流域の出雲大社が大国主を祀る中心なら、スサノオ信仰の中心は、この意宇川流域になります。

●ヒナ 19:31
熊野神社の祭神・熊野大神は、出雲国風土記では「伊佐奈枳乃麻奈子坐熊野加武呂乃命(いざなひのまなご くまのにます かむろのみこと)」、出雲国造神賀詞では「伊邪那伎日真名子 加夫呂伎熊野大神 櫛御気野命」となっています。この「かむろの命」=「くしみけぬの命」は、古くから「スサノオ」とされてきました。

●ヒメ 19:35
スサノオ探偵団としては、この地の謎をとかなければ、と長老は言いたいわけね。

●長老 19:36
そのとおり。この地こそ、日本神話誕生の地、という日向説を僕は支持している。
邪馬台国を「ザバタイコク」ではなく「ヤマタイコク」と読むなら、伊邪那岐・伊邪那美は「イザナギ・イザナミ」ではなく「イヤナギ・イヤナミ」になる。

●マル 19:39
なるほど。「イヤナギ・イヤナミ」は、この揖屋(いや)の地の神だったというわけなのね。

●長老 19:40
「な=那」は国、「ぎ=き」は城だから、イヤナギは「揖屋国の城」の王、という意味になる。

●マル 19:41 
怪しいわよね。やっぱり、日向勤氏って長老のペンネームじゃあないの?

●ボク 19:42 
ここに来て、急に沈黙を守るようになったカントクの方がもっと怪しいですよ。

●ホビット 19:43 
神話探偵団を立ち上げ、「八雲立つ 出雲八重垣 妻籠みに」の歌を持ち出してスサノオ探しを始めようと言い出したヒメの自作自演説はどうかな?一番大事な「犯行現場」を避けて、「高天原」へ飛ぼうとしたのは怪しいですよ。

●ヒナ 19:46
恒例の犯人探しゲームに入ってきたようですね。私は、ヒメとカントクと長老の複数犯説です。あるいは、私以外の全員が共犯者?ってこともありうるかな?

●カントク 19:48
ヒナちゃんも、ノリがよくなってきたのう。「7人の侍」チームみたいになってきたぞ。

●ボク 19:49
大国主は「意宇(おう)川」の名前をとった「意宇国」=「大国」の主という説がありますよね。

●ヒナ 19:50
日向説では「葦原中国(アシハラノナカツクニ)」=今の中国地方から、四国・九州・近畿へと支配地を100余国に広げたことから「大国主」という名前が付いた、としていますね。

●長老 19:52
イヤナギ・イヤナミが最初に降り立った「オノゴロ(淤能碁呂)島」は、「意宇(おう)川」河口の揖屋(いや)の地の「ごろ(凝ろ=固まった)島」、「意宇の凝ろ島」という日向説は面白い。

●ヒナ 19:54
地元の長老が言うと、イヤナギ・イヤナミの国生み神話の原点「オノゴロ島」は意宇川の河口島、というのは説得力あるわよね。

●ホビット 19:56
船できた海洋民族が新たな拠点を築く時に、①先住者がいない未開の地で、②防衛上有利であり、③土壌が豊かで農耕に適している、という条件の河口島を選ぶのは、世界史の法則と言っていいと思いますよ。

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48 「別天津」はどこなの?

2009-06-13 22:02:59 | 歴史小説
48mの古代出雲大社の想像図(大林組による:出雲大社の案内板より)


●ヒメ 22:31
ちょっと待ってよ。順番から言うと「天津」の次は「別天津」はがどこか、じゃあないのかしら?

●ヒナ 22:32 
別天つ神5柱(天之御中主神、高御産巣日神・神御産巣日神、宇摩志阿斬訶備比古遅神、天之常立神)は出雲大社の正面に祀られていますから、「別天津」は出雲と思います。

●マル 22:34
別天つ神5柱は出雲大社の本殿の左側正面で南を向いているけど、大国主はその奥の右側の位置に西を向いて祀られているわよね。これって、大国主は別天つ神5柱を向いて崇拝しているということなの、それとも対馬を向いているのかしら?

●ボク 22:37 
西方の常世(とこよ)を向いているという説、辰韓(後の新羅)を向いているという説もあります。別天つ神5柱は天族の看取役で、大国主はその奥の監獄に押し込められている、という面白い説もありますよ。

●ホビット 22:40
魏志倭人伝が対馬の人々は「南北に交易」していたと伝え、日本書紀一書はスサノオは新羅に木種を持って行き、新羅から船で東に向かったとされています。大国主は、筑紫―対馬―辰韓―出雲の四角交易を行っていた天族の一族で、はるか西の彼方の先祖のルーツ、津島を向いているのではないでしょうか。

●ヒナ 22:44 
スサノオ辰韓人説がありますが、魏志東夷伝にはそのような記載はありません。もし、倭人の王のルーツが鉄を産した辰韓(後の新羅)や弁韓(後の加羅・伽耶・任那)なら、魏志倭人伝ははっきりとそう書いていたと思います。

●ボク 22:47
今思い出したんですけど、「天つ」「天津」の「つ」は、「の」という意味だと大学で習いましたけど。

●カントク 22:48
「天津神」を「天の神」と解釈し、「天(あま)」を「天上、天国」ととらえる垂直思想と、文字通りに「天津神」と読み、地上の「天津(あまの津)」ととらえる水平思考の争いは昔からの因縁対決じゃな。

●ヒナ 22:51
「天之忍穂耳(あめのおしほみみ)命」「天之菩卑能(天菩比、天穂日:あめのほひ)命」などの名前では、「の」は「之」「能」と書くか、省略しています。「天津」を「天の」と解釈するのは、こじつけのように思います。
 
●ボク 22:54 
別天つ神5柱は出雲の神ですかね?アマテラス系の神という説もありますよね。

●ヒナ 22:55
2代目の神産巣日(神産霊:カミムスヒ)神は、伯耆国(今の鳥取県西部)で大国主が兄弟達との争いで死んだ時に蘇らせたと書かれています。出雲の女神と思いますよ。3代目の宇摩志阿斬訶備比古遅(ウマシアシカビヒコヂ)神は、「アシカビ」=葦の芽の名前が付いていますから、大国主の国が「葦原中国」と呼ばれていたのと合いますよね。

●ヒメ 22:59
いいところに来たけど、シンデレラタイムになりましたよね。次は何時にしましょうか?

●マル 23:00
1週間後の土曜日、9月20日はどう?集まれる人は、卑弥呼に習合。メールで出欠を知らせてね。

●ヒメ 23:01
では9月20日19時にね。みなさん、お休みなさい。

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47 津島神社が示すスサノオのルーツ

2009-06-06 10:58:46 | 歴史小説
津島神社


●カントク 21:59
原点の津島神社にもっとこだわるべきじゃな。
スサノオを祀る熊野神社や八坂神社、氷川神社ではなく、なぜ、津島神社なのかな。

●ボク 22:01
神社の伝承によれば、対馬からスサノオの魂を招いた、とされています。津島=対馬だと思いますよ。

●ヒナ 22:03 
巍志倭人伝は、対馬国の人々は、船に乗って「南北に市糴(してき:買い入れ)する」と伝えていますから、津島に拠点を築いたのは、対馬からきた通商部族であったと思われます。

●マル 22:05  
信長は津島で「楽市楽座」を始めて天下統一に向けた財力を蓄えています。この津島が、対馬からきた通商部族の海部(あま)氏の拠点であった、というのは、面白いわよね。

●ヒメ 22:07
「日本の商業都市のルーツは、対馬をルーツとする海部氏の津島であった」、というのはゾクゾクしてくるわよね。魏志倭人伝と信長の時代が繋がっているってね。

●カントク 22:09
「天族」は稲作を普及させた農耕部族とみているようじゃが、天族は絹や真珠と銅や鉄を交易した通商部族であった。鉄を流通とともに、稲作の生産が飛躍的に増大したんじゃ。

●ヒナ 22:11
古田武彦氏は、伊邪那岐神と伊邪那美神が生んだ、津島や壱岐島、隠岐島、女島(天一根、知訶島、兩兒島、大倭豊秋津島の別名に「天」がついていることから、天(海、海部、海人)族の本拠地は、対馬・壱岐・沖の島の海域ではないか、とみています。
もっとも、高天原は地上の物語ではなく、8世紀に創作された天上の架空物語というのが定説で、古田説は異端扱いですけど。

●ヒメ 22:15
ちょっと、それは頷けないわよね。私なんか、架空の小説を書いているけど、現実の事件や人物をよく使うわよ。現実の事件をもとに、天上の物語を創作したとみるべきよね。
非現実的な天上の話だから全くの架空の物語、というのは、創作活動への誤解ね。

●カントク 22:18
ヒナちゃん、正統も異端もないぞ、真実の前にはな。今日の正統派は、明日の異端派じゃ。コペルニクス的転換は無数にあるぞ。

●ヒナ 22:19
実は、私もその通りと思っています。
日向氏は、出雲大社の正面に祀られた天之御中主(あめのみなかぬし)神を始めとする「別天つ神」は、「天(海部、海士)」の「津」島から別れてきた神ではないか、と書いています。

●カントク 22:22
天皇の即位儀式を「天津日嗣(ひつぎ)高御座(たかみくら)之業」というのは、「天」の「津」の祖先の「霊(ひ=魂)を「継ぐ」という意味じゃ。まさに、「天族のツールは津島(対馬)にあり」を裏付けておる。

●マル 22:25
愛知県の海部(あま)氏の住む中心地に、対馬からスサノオの魂を招いた津島神社がある、ということは、対馬・壱岐・沖の島のコピーそのものよね。

●ヒメ 22:27
嵯峨天皇から日本総社と認められた津島神社は、天族の古代史解明の鍵、ということになるわよね。

●ホビット 22:28 
日本神話を、「国津神」=「出雲族」、「天津神」=「天族」=「天皇家」の物語と思っていたけど、誤解だったんですね。

●ヒナ 22:30   
「別天つ神」5柱のうちの天之御中主神と天之常立神、スサノオの6代目の大国主の父の天之冬衣神、大国主の9代目の天日腹大科度美神には「天」が名前についています。出雲の神々もまた、天族であったと思われます。


●カントク 22:28
スサノオ一族のルーツは対馬にあり、スサノオは新羅~対馬~(宗像)~出雲を行来して交易しておった。そして、出雲を支配下に置いていたヤマタノオロチ王を倒し、出雲の王となったんじゃ。

●ホビット 22:30
そうすると、「高天原」神話のモデルとなったのは対馬ですか?

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