ヒナフキンのスサノオ・大国主ノート

「神話探偵団~スサノオ・大国主を捜そう!」を、「ヒナフキンのスサノオ・大国主ノート」に変更します。雛元昌弘

34 スサノオと信長と秀吉

2009-04-22 14:38:51 | 歴史小説
神那霊山型の都富士・比叡山(京都市左京区から):ウィキペディアより


●ヒメ 090915 19:00
今日は。皆さんは、沖縄から東京、遠くはコロンビアまで、バラバラよね。それで、こんなミーティングが出来る時代って、すごいよね。

●カントク 19:02
時空を越えてとはいかないが、空間はネットで少しは超えておるかな。しかし、この沖縄の風と泡盛を皆さんのところに届けることはできないなあ。ネット宅急便の時代が来ないかな?

●マル 19:04
ドラえもんの道具の「物質転送装置」「どこでもドア」は実現可能か、って論じた本がありましたよね。

●ヒナ 19:05
せめて、与那国島の潮騒の音が聞きたいですよね。

●カントク 19:06
やっとケータイで写真を送れるようになったばかりなのに、年寄りを困らせるんじゃない。写真で我慢してもらうぞ。

●ホビット 19:08
じゃあ、ボクがエル・ドラドのジャングルの夜明けの鳥の声を送りましょう。

●ヒメ 19:07
うれしいわね。ボクちゃん、ミーティングの間中、バックグランドミュージックが聴けるようにならない?

●カントク 19:08
それはいいなあ。ヒメの浴室の水音も聞こえるようになるのかな?  

●ボク 19:09
カントクの希望はテレビ電話ですか?しかし、同時に影像や音を送るとなると、カントク、おならもできなくなりますよ。

●ホビット 19:11
録音したジャングルの夜明けの音を送りますから、次のミーティングでは、皆さんそれぞれダウンロードして、聞きながらミーティングして下さい。

●カントク 19:13
それはいいなあ。録音助手が来ているので、潮騒の音を採って、送ってもらうとしよう。

●ヒナ 19:14
謎解きに戻りませんか。
確かに、「日吉大社」と「日吉丸」は関係がありそうです。
しかし、秀吉が、幼名を「日吉丸」と言った、というのは、「羽柴」や「豊臣」を名乗ったのと同じで、後から名乗るようになったのではないでしょうか?

●カントク 19:18
確かに、秀吉ならやりかねん。
しかし、信長が秀吉を大抜擢したのは、秀吉の才能を見込んだだけかな。ヒメ、どうじゃ。

●ヒメ 19:19
カントク、お見事。そろそろ種明かししましょう。
日吉大社で由緒書きをみているうちに、日吉大社と日吉丸、信長が繋がってきたのよ。
秀吉の幼名が「日吉丸」なら、スサノオを信仰し、天下布武を目指す信長と波長が完全に合ったはずなのよね。

●カントク 19:21
日枝大社に祀られた大山咋神は、スサノオの子の大歳神の子、要するにスサノオの孫じゃ。自らをスサノオに模した信長にとっては、日枝大社ゆかりの「日吉丸」は、孫の関係になるではないか。
信長が秀吉を「サル」と言ったのは、猿=大山咋神とみなしていたからではないかな?

●マル 19:25
頭の回転の速い秀吉は、信長の志向に合わせて、「日吉丸」と言い出しただけじゃないの?

●カントク 19:27
確かに、抜け目のない秀吉は、信長のスサノオ信仰を知って、後から幼名を「日吉丸」にした可能性は否定できない。しかし、逆もまた十分に考えられる。
姉の名前が「日秀」であることや、後に、「藤吉郎」や「秀吉=日出吉」を名乗っていることから見ても、幼名が「日吉」であった可能性は十分にある。
幼名が「日吉丸」であり、「日吉大社」に何らかのゆかりがあったからこそ、信長に取り立てられた可能性はある。

●ヒメ 19:32
まあ、いずれにしても、信長の同志ともいえるのは、秀吉だけだったかもね。
明智光秀などは、天皇家を超えよう、仏教を超えようという思想は持っていなかったと思うよ。

●マル 19:35
もう1つ重要な点がありますよ。神社の情報ネットワークが、信長の天下統一には有効だった可能性があります。
スサノオ系の神社は、例えば京都の八坂神社、その本家の姫路の広峯神社、その元社の福山市の素盞嗚神社など、毛利攻略を進める秀吉のルートに沿っていますよね。

●カントク 19:39
確かに。信長は情報を重視しておる。桶狭間の勝利は情報戦じゃからな。

●ヒナ 19:40
しかし、信長は延暦寺焼き討ちの折りに、日吉大社も焼いていません?


(ネタモトは日向勤氏の『スサノオ・大国主の日国―霊の国の古代史』(梓書院)です)


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