ヒナフキンのスサノオ・大国主ノート

「神話探偵団~スサノオ・大国主を捜そう!」を、「ヒナフキンのスサノオ・大国主ノート」に変更します。雛元昌弘

「縄文ノート191 カラス信仰のルーツはメソポタミアかアフリカか?」の紹介

2024-04-27 19:48:43 | 日本文明

 はてなブログに「縄文ノート191 カラス信仰のルーツはメソポタミアかアフリカか?」をアップしましたので紹介します。https://hinafkin.hatenablog.com/

 縄文文化・文明についてその独自性を強調する「日本列島起源説」に対し、「シベリア起源説」「中国大陸起源説」「南方起源説」「チベット~雲南照葉樹林帯起源説」などが見られますが、私は「人類アフリカ単一起源説」の延長上に「宗教・文化・文明アフリカ単一起源説」を考えてきました。

 今回は、4月3日のBS101のダークサイドミステリー「世界の怪鳥聖鳥伝説を追え!ヤタガラスから翼竜生存説まで」の録画をやっと見ましたので、これまで書いてきたものを紹介しながらカラス信仰のルーツを考えてみました。

 有名な旧約聖書の「『ノアの方舟』神話では、洪水がおさまりかけたときノアはワタリガラスを偵察に放つのですが、自由な気質のワタリガラスはかえってこず、次にハトを放つとオリーブの小枝を加えてきた」からメソポタミア文明のカラス神話を私は理解していたのですが、それが誤りであることを初めて知りました。

 なんと、紀元前1300〜1200年頃にまとめられた古代メソポタミアのギルガメッシュ叙事詩では、カラスを放つとハトは帰ってきたのにカラスは帰ってこず、陸地を見つけたカラスが戻らないのはエサを食べているからと考えてカラスの後を追ったというのです。

 私は日本のカラス信仰は南インドの日本の「ホンガ ホンガ」「ホンガラ ホンガラ」と囃すカラスに赤飯などを与える行事はその特異な「囃子言葉」から南インドのドラヴィダ族の「ポンガ」がルーツと考えてきましたが、この番組でさらに遡ればエジプト・メソポタミア文明の神山天神信仰のルーツである中部・東アフリカに遡る可能性がでてきましたが、日本語で検索した範囲ではアフリカにカラス信仰は見つけることができませんでした。

 またこの番組は、4月6日(土)よりNHKでアニメ・シリーズが放映される阿部智里作の「八咫烏シリーズ(やたがらすシリーズ)」の「アニメ 烏(からす)は主(あるじ)を選ばない」の宣伝番組なので、スサノオ・大国主一族の「三足烏(さんそくう)」と天皇家の「八咫烏(やたがらす)」について考えてみました。

 熊野のスサノオ一族の配下であったヤタガラスは、スサノオ一族を裏切り、スサノオの御子の大年(大物主)一族が支配する大和(おおわ:元は大倭)侵略を目指す薩摩半島の阿多を拠点とした山人(やまと)族傭兵隊のワカミケヌ(若御毛沼)の手先となり道案内を行っており、まさに「烏(からす)は主(あるじ)を選ばない」裏切者であったのです。

 「勝てば官軍」で、侵略軍の手先となった裏切者の八咫烏(やたがらす)を信奉したい軍国主義者がまだまだ多いようですが、記紀に書かれたスサノオ・大国主一族による米鉄交易と鉄先鋤と妻問夫招婚による平和な百余国の「豊葦原水穂国」の建国を認めるならば、厳島神社(安芸国一宮)、住吉大社、熊野大社(本宮・速玉・那智)などスサノオ系の神使の「三足烏(さんそくう)」こそシンボルとすべきでしょう。

 本ブログの「スサノオ・大国主建国論」としても、「三足烏(さんそくう)」と「八咫烏(やたがらす)」の歴史について、カラス信仰のルーツから考えてみませんか? 雛元昌弘

□参考□

<本>

 ・『スサノオ・大国主の日国(ひなのくに)―霊(ひ)の国の古代史―』(日向勤ペンネーム)

 ・『邪馬台国探偵団~卑弥呼の墓を掘ろう~』(アマゾンキンドル本)

 ・『奥の奥読み奥の細道』(アマゾンキンドル本)

<雑誌掲載文>

 2012夏「古事記」が指し示すスサノオ・大国主建国王朝(『季刊 日本主義』18号)

 2014夏「古事記・播磨国風土記が明かす『弥生史観』の虚構」(前同26号)

 2015秋「北東北縄文遺跡群にみる地母神信仰と霊信仰」(前同31号)

 2017冬「ヒョウタンが教える古代アジア”海洋民族像”」(前同40号)

 2017冬「スサノオ・大国主建国論1 記紀に書かれた建国者」(『季刊山陰』38号)

 2018夏「スサノオ・大国主建国論2 「八百万の神々」の時代」(『季刊山陰』39号)

 2018夏「言語構造から見た日本民族の起源」(『季刊 日本主義』42号)

 2018夏「スサノオ・大国主建国論3 航海王・スサノオ」(『季刊山陰』40号)

 2018秋「『龍宮』神話が示す大和政権のルーツ」(『季刊 日本主義』43号)

 2018冬「海洋交易の民として東アジアに向き合う」(前同44号)

 2019春「漂流日本」から「汎日本主義」へ(前同45号)

<ブログ>

 ヒナフキンのスサノオ・大国主ノート https://blog.goo.ne.jp/konanhina

 帆人の古代史メモ          http://blog.livedoor.jp/hohito/

 ヒナフキンの邪馬台国ノート   http://yamataikokutanteidan.seesaa.net/

 霊(ひ)の国の古事記論       http://hinakoku.blog100.fc2.com/

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「縄文ノート1 サピエンス納豆からの『宗教・文化・文明アフリカ単一起源説』」の紹介

2024-04-16 17:21:50 | 人類史

 はてなブログに「縄文ノート190 サピエンス納豆からの『宗教・文化・文明アフリカ単一起源説』」をアップしましたので紹介します。https://hinafkin.hatenablog.com/

 DNA分析の進化により、人類の「アフリカ単一起源説」が定説となり、「多地域進化説」は成立しなくなりました。

 私は同じように、人類の基本的な宗教・文化・文明などもまた西アフリカから人類大移動とともに世界に拡散したという「宗教・文化・文明アフリカ単一起源説」を考えてきました。そのきっかけは、次女が青年海外協力隊員として赴任していたニジェールのニジェール川流域がヒョウタン原産地で米を栽培しており、若狭の鳥浜貝塚遺跡でヒョウタンと北アフリカ原産のウリ、インド原産のリョクトウ、南・東南アジアのシソ・エゴマが発見されていることを知ってからでした。

 そこから、Y染色体DNA、「主語-目的語-動詞(SOV)」言語、熱帯雨林での糖質・DHA食(イモマメ穀類・魚介食)と母子おしゃべり(言語発達)からのサルからヒトへの進化、マザーイネ(米・麦・トウモロコシ・雑穀の祖先)の発生地、米食、モチモチ・ネバネバ食(いももちなど)、魂魄分離(魂と肉体の分離)の神山天神信仰(ピラミッドを含む)、黒曜石文化、円形住宅やウッド・ストーンサークル、母系制社会などのルーツを探究し、アフリカから人類拡散とともに世界に広まったと考えるに至りました。

 

 なんと、さらに衝撃的であったのは納豆食文化もまた同じ西アフリカの可能性が高いことを高野秀行氏の『幻のアフリカ納豆を追え!―そして現れた「サピエンス納豆」』(2020年8月:新潮社)で教えられました。氏の素晴らしい労作『謎のアジア納豆 そして帰ってきた〈日本納豆〉』(2016年4月)はたまたま与野図書館の食の企画展で目に入り1か月前に読んでいたのですが、さらにアフリカにまで取材を広げていたのです。

 「餅団子(研究者の人たちは『練り粥』と呼ぶ)を主食とする地域は納豆をソースの調味料として使うが、米食地域ではもっとバリエーションに富んでいる」「セネガルでは・・・『米+魚+納豆』という日本人にひじょうに馴染みのあるセットになっているのだ」「西アフリカでは粘り気のある野菜を多用する・・・オクラ・ハイビスカス(ローゼル)の葉、モロヘイヤなど、煮込めばみんなネバネバである」というのであり、「縄文ノート142 もち食のルーツは西アフリカ」を書き、モチモチ・ネバネバ食が大好きな私としては大いに納得しました。

 Y染色体D型人はこの地のE型人と分かれる前に、同じモチモチ・ネバネバ食文化を持っていた可能性が高いのです。

 本ブログの「スサノオ・大国主建国論」としても、八百万神の霊(ひ)信仰の神名火山(神那霊山)崇拝や母系制社会の妻問夫招婚による「百余国」の統合など、縄文文化・文明論に遡って世界史の中に位置づけ、世界遺産登録を目指すべきではないでしょうか?

 若い世代のみなさんの研究と世界遺産登録運動に期待したいと思います。 雛元昌弘

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