ヒナフキンのスサノオ・大国主ノート

「神話探偵団~スサノオ・大国主を捜そう!」を、「ヒナフキンのスサノオ・大国主ノート」に変更します。雛元昌弘

「縄文ノート185 『184 乳児からみた人類進化と子育て家族形成』補足」の紹介

2024-02-07 12:18:45 | 人類進化

 はてなブログに「185 『184 乳児からみた人類進化と子育て家族形成』補足」の紹介」をアップしましたので紹介します。https://hinafkin.hatenablog.com/

 「縄文ノート184 乳児からみた人類進化と子育て家族形成」(240124)では、2004年に書いた「動物進化を追体験する子どもの遊び」をさらに発展させ、0歳児の孫に教えられて「人類進化を追体験している乳幼児の成長」論をまとめました。

 「二足歩行→手機能向上(狩猟具作成・獲物運搬)・言葉誕生(狩猟の共同作業)→頭脳肥大(肉食)」というまことしやかな「オス主導の二足歩行進化説」「狩猟・肉食進化説」が日本の西欧拝外主義にも蔓延していますが、乳幼児の発達を見ていると順序は違います。

 「知能発達条件の確保(おっぱいの糖質・DHA増大)→知能発達(観察・理解・記憶)→真似による手機能向上(道具使用)・会話→這い這い移動(4つ足哺乳類型)→二足歩行(サル型)」の順であり、サルからヒト進化の決定的な鍵は「母親のイモ・マメ・穀類(火使用)・魚介食によるおっぱいの糖質・DHA増大」と「イモ・マメ・穀類食がもたらした自由時間増大による母子・子育てグループ・子ども同士の楽しいおしゃべり」にあると考えます。

 カナン侵略・支配を神の命令として正当化するために作られたユダヤ教を原点とする欧州中心史観の「危機進化説」(気候変動による熱帯雨林の食料不足→サバンナでの死肉漁り・狩猟→二足歩行・言語)に対し、果実やイモ・マメ・穀類・魚介類・昆虫・小動物など食材の豊富な熱帯雨林における「快適快楽進化」(美味しいもの・楽しいこと・新しいこと・探検などの追求)」の人類誕生史こそ未来への指針とすべきと考えます。たかだか2~3千年の「狩猟・闘争・戦争進歩史観」の延長上に希望を求めるべきではないのです。

 今回、9カ月目の孫の「観察・認知・記憶・模倣」による「ソフトソード(やわらかチャンバラ、ソフトチャンバラ)」使用と、「乳児の高いエネルギー消費は頭脳発達に使われている」という『日経サイエンス』の「カロリー計算でみる人類進化」により、184号を補足しました。

 本ブログの「スサノオ・大国主建国論」としても、アフリカ熱帯雨林での人類誕生史からの縄文時代の母系制社会を引き継ぎ、大国主は百余国で夜這いを行い180人の御子をもうけて霊継(ひつぎ)を行い、米鉄交易とあわせて「委奴国(ふぃなのくに)」=「豊葦原水穂国」を建国したのであり、その歴史から母子主導の「美食進化(糖質DHA食進化説)」「快適・快楽進化」「共同進化」の人類史を世界にアピールし、「霊(ひ)・霊継(ひつぎ)信仰」の世界遺産登録を目指したいと考えます。 雛元昌弘

 

□参考□

<本>

 ・『スサノオ・大国主の日国(ひなのくに)―霊(ひ)の国の古代史―』(日向勤ペンネーム)

 ・『邪馬台国探偵団~卑弥呼の墓を掘ろう~』(アマゾンキンドル本)

 ・『奥の奥読み奥の細道』(アマゾンキンドル本)

<雑誌掲載文>

 2012夏「古事記」が指し示すスサノオ・大国主建国王朝(『季刊 日本主義』18号)

 2014夏「古事記・播磨国風土記が明かす『弥生史観』の虚構」(前同26号)

 2015秋「北東北縄文遺跡群にみる地母神信仰と霊信仰」(前同31号)

 2017冬「ヒョウタンが教える古代アジア”海洋民族像”」(前同40号)

 2017冬「スサノオ・大国主建国論1 記紀に書かれた建国者」(『季刊山陰』38号)

 2018夏「スサノオ・大国主建国論2 「八百万の神々」の時代」(『季刊山陰』39号)

 2018夏「言語構造から見た日本民族の起源」(『季刊 日本主義』42号)

 2018夏「スサノオ・大国主建国論3 航海王・スサノオ」(『季刊山陰』40号)

 2018秋「『龍宮』神話が示す大和政権のルーツ」(『季刊 日本主義』43号)

 2018冬「海洋交易の民として東アジアに向き合う」(前同44号)

 2019春「漂流日本」から「汎日本主義」へ(前同45号)

<ブログ>

 ヒナフキンのスサノオ・大国主ノート https://blog.goo.ne.jp/konanhina

 帆人の古代史メモ          http://blog.livedoor.jp/hohito/

 ヒナフキンの邪馬台国ノート      http://yamataikokutanteidan.seesaa.net/

 霊(ひ)の国の古事記論       http://hinakoku.blog100.fc2.com/


「邪馬台国ノート54 『神武東征』は『若御毛沼(わかみけぬ)東進』」の紹介

2024-02-02 17:47:34 | 邪馬台国

 Seesaaブログに「邪馬台国ノート54 『神武東征』は『若御毛沼(わかみけぬ)東進』」をアップしましたので紹介します。http://yamataikokutanteidan.seesaa.net/

 笠沙天皇家3代の始祖ニニギの「天下り」なるものは、筑紫日向(ちくしのひな:旧甘木市の蜷城(ひなしろ))の高台・高天原の卑弥呼(霊御子=大霊留女=アマテル)の死後の後継者争いで女王派(壹与派)に敗れた男王派のニニギが女王派の国々を避け、険しい九州山地を薩摩半島南西端までの逃避行であることはすでに明らかにしました。

 続く笠沙天皇家4代目の若御毛沼(ワカミケヌ)3兄弟の皇国史観のいうところの「神武東征」については、8世紀の創作とする反皇国史観や、邪馬壹国(邪馬台国)以前の「紀元前660年説」「紀元前40年説」「紀元前70~29年説」「紀元6年説」「2世紀中(150、168、187年)説」、安本美典氏の「紀元271年頃説」と私の同じ方法での「277年説」がありますが、日本書紀に書かれたワカミケヌらが「浪速の渡」を「遡流而上」って生駒山麓の白肩津まで進んだという記載は、「紀元前1050~50年の河内湾時代」「紀元前50~紀元150年の河内汽水湖時代ではなく、「紀元150~385年の河内湖時代」であることが明らかであり、安本・雛元説が正しいことが裏付けられます。

 なお高木修三氏(芥川賞受賞作家)「2世紀中説神武即位」説は「紀元150~385年の河内湖時代」には合致しますが、神武即位後に卑弥呼の邪馬壹国が畿内にあったか、という根本矛盾をはらんでいます。

 もしそうなら記紀の天皇紀には「146~189年頃の倭国乱、相攻伐歴年」「30国の女王・卑弥呼の共立」「魏との国交・鉄交易」「狗奴国との争い」「男王と女王・壹与の後継者争い」の大事件が記載されていなければなりませんが、何1つ記紀には記載されておらず、畿内にそのような伝承も争乱を裏付ける物証(鉄器や城柵など)もありません。

 本ブログの「スサノオ・大国主建国論」としても、スサノオ・大国主一族による「美和→大和(おおわ)」開拓と国づくりの後に、笠沙・阿多の山人(やまと:山幸彦=猟師)族の若御毛沼(ワカミケヌ)らの傭兵隊が大和(おおわ)盆地に入り、10代かけて御間城入彦(みまきいりひこ:後の崇神天皇)の時に美和王朝の権力を奪ったという天王スサノオ・大国主一族と天皇家の関係を解明する参考にしていただければと考えます。 雛元昌弘

 

□参考□

<本>

 ・『スサノオ・大国主の日国(ひなのくに)―霊(ひ)の国の古代史―』(日向勤ペンネーム)

 ・『邪馬台国探偵団~卑弥呼の墓を掘ろう~』(アマゾンキンドル本)

 ・『奥の奥読み奥の細道』(アマゾンキンドル本)

<雑誌掲載文>

 2012夏「古事記」が指し示すスサノオ・大国主建国王朝(『季刊 日本主義』18号)

 2014夏「古事記・播磨国風土記が明かす『弥生史観』の虚構」(前同26号)

 2015秋「北東北縄文遺跡群にみる地母神信仰と霊信仰」(前同31号)

 2017冬「ヒョウタンが教える古代アジア”海洋民族像”」(前同40号)

 2017冬「スサノオ・大国主建国論1 記紀に書かれた建国者」(『季刊山陰』38号)

 2018夏「スサノオ・大国主建国論2 「八百万の神々」の時代」(『季刊山陰』39号)

 2018夏「言語構造から見た日本民族の起源」(『季刊 日本主義』42号)

 2018夏「スサノオ・大国主建国論3 航海王・スサノオ」(『季刊山陰』40号)

 2018秋「『龍宮』神話が示す大和政権のルーツ」(『季刊 日本主義』43号)

 2018冬「海洋交易の民として東アジアに向き合う」(前同44号)

 2019春「漂流日本」から「汎日本主義」へ(前同45号)

<ブログ>

 ヒナフキンのスサノオ・大国主ノート https://blog.goo.ne.jp/konanhina

 帆人の古代史メモ          http://blog.livedoor.jp/hohito/

 ヒナフキンの邪馬台国ノート     http://yamataikokutanteidan.seesaa.net/

 霊(ひ)の国の古事記論       http://hinakoku.blog100.fc2.com/