ヒナフキンのスサノオ・大国主ノート

「神話探偵団~スサノオ・大国主を捜そう!」を、「ヒナフキンのスサノオ・大国主ノート」に変更します。雛元昌弘

「縄文ノート82 縄文文明論の整理から世界遺産登録へ」の紹介

2021-06-27 18:25:05 | 縄文文明
 はてなブログに「縄文ノート82 縄文文明論の整理から世界遺産登録へ」をアップしました。https://hinafkin.hatenablog.com/
 世界遺産委員会の諮問機関であるイコモスにより、「北海道・北東北の縄文遺跡群」の世界遺産登録にふさわしいとの勧告がなされたことを喜びたいと思います。4道県など関係者の粘り強い取り組みには支持・敬意を表してきましたが、縄文文化・文明の一部しか申請されていなことから、「日本中央縄文文明(長野・新潟・群馬・山梨)の世界遺産登録」を提案してきました。
 ただ、縄文人のアフリカからのルーツをたどり、世界の氏族・部族共同体社会の文明の中での縄文文明の位置づけを検討するうちに、琉球から日本列島全体の及ぶドラヴィダ海人族・山人族の縄文文化・文明の世界遺産登録が必要と考えるようになりました。日本列島人の起源に関わるアフリカからの「海の道」と「マンモスの道」の横軸(地理軸)での位置づけです。
 一方、スサノオ・大国主建国論から縄文社会研究に入った私としては、ユネスコ無形文化遺産されたスサノオ・大国主一族の「山・鉾・屋台行事」と4つの宗教世界遺産(厳島神社、熊野古道、富士山信仰、宗像・沖ノ島遺産群)や世界に広がってきている「和食」と縄文文明を結びつける縦軸(歴史軸)の整理が不可欠と考えるようになりました。
 この横軸(地理軸)と縦軸(歴史軸)で「縄文文明」の全体像を明らかにし、世界の古代文明の中に位置付けるためには、「北海道・北東北の縄文遺跡群」に「日本中央縄文遺跡群(長野・新潟・群馬・山梨)」を追加するだけでは不十分であり、日本列島全体の縄文文明の世界遺産登録の申請が必要と考えます。
 侵略を受けることのなかった日本列島での文明・文化の連続的な発展は、世界の失われた古代文明の解明に重要な基準を与えることができるのです。日本は土器分析中心の「ガラパゴス的縄文・弥生研究」に閉じこもることなく、世界史全体、特に失われたアフリカ・アジア・オセアニア・南北アメリカの文明の解明に貢献すべきなのです。
 今、遺跡・遺物の分析を研究対象とする考古学・歴史学は、縄文時代を「農耕や巨大宗教遺跡・都市、文字」などのない前文明の「未開時代」としてとらえていますが、梅原猛・梅棹忠夫・安田喜憲・川勝平太・中尾佐助・佐藤洋一郎氏ら哲学・生態学・地理学・経済学・植物学・植物遺伝学の分野の人たちは「縄文文明」の主張を行っています。軍国主義的・帝国主義的なギリシア・ローマ・西欧文明発展史観からの西洋中心史観の「文明観」にとらわれ、残りやすい「石とレンガの文明」しか眼中にない考古学・歴史学がむしろ世界の中では孤立しているのではないか、と考えます。
 今こそ、人間活動の全体、産業(農業・工芸・交易)、労働(分担・分業)、生活(食・衣・住)、社会(共同体・国家)、芸術(音楽・詩・美術)、宗教を総合的にとらえた文明論を打ち立て、その中に日本列島文明を位置付けるべき時と考えます。
 本ブログのテーマの「スサノオ・大国主建国論」としても、出雲大社を始めとする霊(ひ)崇拝の八百万神信仰の世界遺産登録を検討するという観点から、世界の諸文明の中での紀元1~4世紀のスサノオ・大国主王朝がどのように位置づけられるのか、考えてみていただければと思います。雛元昌弘












□参考□
<本>
 ・『スサノオ・大国主の日国(ひなこく)―霊(ひ)の国の古代史―』(日向勤ペンネーム)
 ・『邪馬台国探偵団~卑弥呼の墓を掘ろう~』(アマゾンキンドル本)
<雑誌掲載文>
 2017冬「ヒョウタンが教える古代アジア”海洋民族像”」(『季刊 日本主義』40号)
 2018夏「言語構造から見た日本民族の起源」(『季刊 日本主義』42号)
 2018冬「海洋交易の民として東アジアに向き合う」(『季刊日本主義』44号)
 2019春「漂流日本」から「汎日本主義」へ(『季刊 日本主義』45号)
<ブログ>
  ヒナフキンのスサノオ・大国主ノート https://blog.goo.ne.jp/konanhina
  ヒナフキンの縄文ノート https://hinafkin.hatenablog.com/
  帆人の古代史メモ    http://blog.livedoor.jp/hohito/
  邪馬台国探偵団   http://yamataikokutanteidan.seesaa.net/
  霊(ひ)の国の古事記論 http://hinakoku.blog100.fc2.com/


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「縄文ノート81 おっぱいからの森林農耕論」の修正

2021-06-26 00:30:02 | 古代史
 記憶力がとみに衰え、「縄文ノート24 スサノオ・大国主建国からの縄文研究」において「高天原(甘木高台)からのニニギの『天下り』逃避行ルート」の図を書いていたことをすっかり忘れていましたので、追加しました。

 縄文論とは直接には関係しませんが、「縄文時代」→「弥生時代」→「古墳時代(天皇家建国)」という「ドキドキバカ史観」が横行し、記紀や魏書東夷伝倭人条、三国史記新羅本紀などの記載を無視した弥生人(中国人・朝鮮人)天皇家による建国などという空想がまことしやかに信じられ、「縄文時代」を野蛮・未開時代とする「断絶史観」が幅を利かせている状況に対し、縄文時代からスサノオ・大国主の建国へと連続した内発的発展の歴史観の確立に向けて、図を1枚、追加しました。
 「縄文ノート24 スサノオ・大国主建国からの縄文研究」から図と次の文章を再掲します。「高天原」=卑弥呼の宮殿の位置については、魏書東夷伝倭人条の「正使陸行・副使水行」の距離・日程計算から旧甘木市の高台であることを突き止めていますので、『邪馬台国探偵団~卑弥呼の墓を掘ろう~』(アマゾンキンドル本)をご参照下さい。

 古事記・日本書紀によれば、笠沙天皇家初代のニニギの「天下り」は、「筑紫日向(ちくしのひな:旧甘木市蜷(ひな)城)の高天原(甘木=天城の高台)」→「猿田毘古」(佐田)→「浮橋」(浮羽)→「頓丘:ひたお」(日田)→「久士布流岳」(久重山)→「膂宍之空国(そししのむなくに:猪の背骨のような国のない九州山地)」→「高千穂峰」(高千穂峰などのある霧島連峰)→「笠沙・阿多・吾田・長屋・竹屋」(アンダーラインは記紀記載地名)と「空国」の九州山地を縦断した薩摩(狭投馬:さつま)半島南西端への逃避行であり、高天原からの征服王の移動ではありません。卑弥呼の後継者争いで破れた男王派の山人族(やまと:狩猟民)の小部隊が平野部の敵地の国々を避けての逃走経路です。

 記紀の神話全てを8世紀の創作とするトンデモ説が見られますが、大和の官僚たちが地図もない時代にこのような地名を知るわけもなく、また、ニニギが笠沙にたどり着いて『ここは韓国に向い、笠沙の御前(岬)を真来(真北)とおりて、朝日の直刺す国、夕日の日照る国なり。いとよき地だ』と述べたというのは真実の伝承を伝えている「秘密の暴露」がみられます。
 8世紀に遣唐使などとして漢文を学んだ官僚たちが建国史を創作するなら、大和の三輪山や二上山などへ天皇家の祖先は天から天下った、と書けばよいのであって、薩摩半島南西端に笠沙天皇家3代が猟師(山幸彦=山人)として暮らしていたなどと創作する必要はないのです。
 高天原からのニニギの天下りは、垂直移動ではなく、具体的な地名・地理を述べた水平移動であり。それは征服王の移動などではなく、卑弥呼の後継者争いで破れた男王派の山人族(やまと:狩猟民)の小部隊が平野部の女王・壹与派の敵地の国々を避けて逃走経路であることを記紀は隠していないのです。

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「縄文ノート81 おっぱいからの森林農耕論」の紹介

2021-06-24 17:44:52 | 日本文明
 はてなブログに「縄文ノート81 おっぱいからの森林農耕論」をアップしました。https://hinafkin.hatenablog.com/
 雑誌では『日経サイエンス』『ナショナル ジオグラフィック』、テレビでは『サイエンスZERO』をよく見るのですが、6月13日のNHKの「おっぱいの科学 “神秘の液体”の謎に迫る」は「肉食・戦争進化説」批判の「糖質・平和進化説」にかっこうの材料を与えてくれました。6月26日(土)午前11:00~30に再放送しますから見ていただければと思います。
 今、「文明論」についてまとめているのですが、パーツで未整理な部分がいろいろと見えてきました。「神山信仰」や「神籬(霊洩木)信仰」については分析したものの、梅原猛・安田喜憲氏の「森の文明」論や中尾佐助・佐々木高明氏らの「照葉樹林文明論」との関係は未整理のままでした。
 「森の文明」を「採取漁撈狩猟文明」とみるのか、「縄文農耕」(照葉樹林文明の焼畑農耕)として位置づけるのか、どちらか整理しておく必要がでてきました。
 「おっぱい」→「糖質・DHA食進化説」→「森林農耕説」という奇想天外な説のB面には、「スサノオ・大国主・天皇一族は縄文人であった」という説がついていますので、「1飲みで2度おいしい」とおっぱいを味わってみて下さい。
 本ブログのテーマの「スサノオ・大国主建国論」としても、スサノオ・大国主一族は縄文人か弥生人(中国人・朝鮮人)か、考えてみていただければと思います。雛元昌弘












□参考□
<本>
 ・『スサノオ・大国主の日国(ひなこく)―霊(ひ)の国の古代史―』(日向勤ペンネーム)
 ・『邪馬台国探偵団~卑弥呼の墓を掘ろう~』(アマゾンキンドル本)
<雑誌掲載文>
 2017冬「ヒョウタンが教える古代アジア”海洋民族像”」(『季刊 日本主義』40号)
 2018夏「言語構造から見た日本民族の起源」(『季刊 日本主義』42号)
 2018冬「海洋交易の民として東アジアに向き合う」(『季刊日本主義』44号)
 2019春「漂流日本」から「汎日本主義」へ(『季刊 日本主義』45号)
<ブログ>
  ヒナフキンのスサノオ・大国主ノート https://blog.goo.ne.jp/konanhina
  ヒナフキンの縄文ノート https://hinafkin.hatenablog.com/
  帆人の古代史メモ    http://blog.livedoor.jp/hohito/
  邪馬台国探偵団   http://yamataikokutanteidan.seesaa.net/
  霊(ひ)の国の古事記論 http://hinakoku.blog100.fc2.com/
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「縄文ノート80 『ワッショイ』と山車と女神信仰と『雨・雨乞いの神』」の紹介

2021-06-19 12:17:46 | 日本民族起源論
 はてなブログに「縄文ノート80 『ワッショイ』と山車と女神信仰と『雨・雨乞いの神』」をアップしました。https://hinafkin.hatenablog.com/
 アフリカからの神山天神信仰の伝播ルートに関心があり、6月17日NHKのBSプレミアムカフェ再放送の「雨を呼ぶ神 マチェンドラ ~ネパール・30万人の祈り~(2001年)」を見ていましたら、神木信仰の20mを超える山車とともに、なんと「ワッショイ ワッショイ」の掛け声が聞こえてきたのです。
 木の山車を組み立てるツルで編んだ綱を引くときや山車を引くときの掛け声です。さらに「マチェンドラ」は観音様(観音菩薩)というのですから、女神になります。仏教と習合する前の原ネパール宗教では女神信仰だったのです。
 さらにさらに、マチェンドラは「雨の神」なのですが、「霊=靈(旧字体)=雨+口口口+巫(みこ)」(倭音:ひ・ぴ、呉音:リョウ、漢音:レイ)ですから、巫(巫女)が雨乞いをするという字であり、中国や日本でも「雨乞い」の女神信仰があったと思われます
 「縄文ノート41 日本語起源論と日本列島人起源」では、国語学者・大野晋氏のインド・ドラヴィダ族の1月15日の赤米粥を炊いて「ポンガロー、ポンガロ!」と叫び、お粥を食べ、カラスにも与えるポンガロの祭りと青森・岩手・秋田・新潟・茨城・長野の小正月(1月15日)に小豆粥を食べ、カラスに米や餅を与え「ホンガホンガ」「ホンガラホーイ ホンガラホーイ」と囃す風習との類似性を取り上げ、「他の宗教行事に特有な『希少性・固有性・継承性』のある単語、『どんど焼き、左義長』などの意味不明語や群馬県片品村の猿追い祭りで地面に赤飯を投げ合う『えっちょう・もっちょう』の掛け声、多くの祭りの『わっしょい』『えっさ』『どっこいしょ』『そーりゃ』『ナニャドラヤ』などの掛け声のルーツについても検討してみるべきと考えます」と書きましたが、「ワッショイ ワッショイ」はネパールにありました。単なる「空耳」とは思えません。
 本ブログのテーマの「スサノオ・大国主建国論」としても、呉音漢語・漢音漢語の前からあった倭音倭語のうち「希少性・固有性・継承性」のある意味不明語について、そのルーツがどこにあるのか、考えてみていただければと思います。雛元昌弘



□参考□
<本>
 ・『スサノオ・大国主の日国(ひなこく)―霊(ひ)の国の古代史―』(日向勤ペンネーム)
 ・『邪馬台国探偵団~卑弥呼の墓を掘ろう~』(アマゾンキンドル本)
<雑誌掲載文>
 2017冬「ヒョウタンが教える古代アジア”海洋民族像”」(『季刊 日本主義』40号)
 2018夏「言語構造から見た日本民族の起源」(『季刊 日本主義』42号)
 2018冬「海洋交易の民として東アジアに向き合う」(『季刊日本主義』44号)
 2019春「漂流日本」から「汎日本主義」へ(『季刊 日本主義』45号)
<ブログ>
  ヒナフキンのスサノオ・大国主ノート https://blog.goo.ne.jp/konanhina
  ヒナフキンの縄文ノート https://hinafkin.hatenablog.com/
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「縄文ノート79 『縄文論』のテーマ別一覧表」の紹介

2021-06-18 16:45:13 | 縄文
 はてなブログに「縄文ノート79 『縄文論』のテーマ別一覧表へ」をアップしました。https://hinafkin.hatenablog.com/
 「縄文文明世界遺産登録」を視野に入れ、これまで書いてきたものを「縄文文明の世界遺産登録へ」として整理を始めましたがいろいろと試行錯誤・紆余曲折をたどってきたこともあり、「縄文ノート48 縄文からの『日本列島文明論』」の修正作業などにとどまっています。「最少矛盾仮説の提案」というレベルとは言え、用語・概念の論理的整合性を図らなければなりません。
 そこで、記憶・整理・分析・統合脳力の衰えた頭の中を整理するために、この「縄文ノート」だけでなく雑誌や他のブログで公表してきたものや研究会でのレジュメを含め、主なものを再分類しました。

 再整理してみると、「縄文宗教論」と「日本列島人起源論」の分析が多く、「縄文生活論(衣食住な)」「縄文社会論(家族・氏族・部族や階層・階級など)」の分析が乏しいことや、「縄文文化・芸術」は「縄文宗教論」に包摂されていることが判りましたので、今後の分析課題としたいと考えます。
 まだ用語や定義などの統一ができていませんが、「縄文文明」の総合的な研究への参考にしていただければ幸いです。 
 本ブログのテーマの「スサノオ・大国主建国論」としても、出雲大社を始めとする霊(ひ)崇拝の八百万神信仰の世界遺産登録を検討するという観点から、世界の諸文明の中での紀元1~4世紀のスサノオ・大国主王朝がどのように位置づけられるのか考えてみていただければと思います。雛元昌弘


□参考□
<本>
 ・『スサノオ・大国主の日国(ひなこく)―霊(ひ)の国の古代史―』(日向勤ペンネーム)
 ・『邪馬台国探偵団~卑弥呼の墓を掘ろう~』(アマゾンキンドル本)
<雑誌掲載文>
 2017冬「ヒョウタンが教える古代アジア”海洋民族像”」(『季刊 日本主義』40号)
 2018夏「言語構造から見た日本民族の起源」(『季刊 日本主義』42号)
 2018冬「海洋交易の民として東アジアに向き合う」(『季刊日本主義』44号)
 2019春「漂流日本」から「汎日本主義」へ(『季刊 日本主義』45号)
<ブログ>
  ヒナフキンのスサノオ・大国主ノート https://blog.goo.ne.jp/konanhina
  ヒナフキンの縄文ノート https://hinafkin.hatenablog.com/
  帆人の古代史メモ    http://blog.livedoor.jp/hohito/
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「縄文ノート48 縄文からの『日本列島文明論』」の修正再掲

2021-06-15 19:49:49 | 日本文明
 はてなブログに「縄文ノート48 縄文からの『日本列島文明論』」を修正再掲しました。https://hinafkin.hatenablog.com/
 2020年7月29日に縄文社会研究会・東京の八ヶ岳合宿に向けた書いたレジュメを、「縄文ノート48 縄文からの『日本列島文明論』」として11月12日にアップし、さらに今回、大幅に赤字部分を修正しました。
 大きな修正点は、これまで「縄文アート→縄文宗教・文化→縄文社会→縄文文明」と考察を進めてきたのですが、その後の「日本列島人起源論」や「文明時代区分」の分析をふまえて修正したものです。
 「縄文文化」として論じられ、「縄文文明」ととらえる説は少数派ですが、「文明」の定義からの見直しが必要と考えます。主な修正図表を添付します。
 本ブログのテーマの「スサノオ・大国主建国論」としても、出雲大社を始めとする霊(ひ)崇拝の八百万神信仰の世界遺産登録を検討するという観点から、定説の「文明論」の見直しとともに、「縄文文明」とスサノオ・大国主建国がどう繋がるか、世界の諸文明の中でスサノオ・大国主王朝がどのように位置づけられるのか、考えてみていただければと思います。雛元昌弘







□参考□
<本>
 ・『スサノオ・大国主の日国(ひなこく)―霊(ひ)の国の古代史―』(日向勤ペンネーム)
 ・『邪馬台国探偵団~卑弥呼の墓を掘ろう~』(アマゾンキンドル本)
<雑誌掲載文>
 2017冬「ヒョウタンが教える古代アジア”海洋民族像”」(『季刊 日本主義』40号)
 2018夏「言語構造から見た日本民族の起源」(『季刊 日本主義』42号)
 2018冬「海洋交易の民として東アジアに向き合う」(『季刊日本主義』44号)
 2019春「漂流日本」から「汎日本主義」へ(『季刊 日本主義』45号)
<ブログ>
  ヒナフキンのスサノオ・大国主ノート https://blog.goo.ne.jp/konanhina
  ヒナフキンの縄文ノート https://hinafkin.hatenablog.com/
  帆人の古代史メモ    http://blog.livedoor.jp/hohito/
  邪馬台国探偵団   http://yamataikokutanteidan.seesaa.net/
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「縄文ノート78 「大黒柱」は「大国柱」の「神籬(霊洩木)」であった」の紹介

2021-06-11 20:40:01 | 日本文明
 はてなブログに「縄文ノート78 「大黒柱」は「大国柱」の「神籬(霊洩木)」であった」をアップしました。https://hinafkin.hatenablog.com/
 「縄文ノート69 丸と四角の文明論(竪穴式住居とストーンサークル))において、私は縄文時代の竪穴式住居は四角の柱組からすれば四角の平面形にするのが自然であるにも関わらず、円形平面にするのは不自然であり、そのルーツがアフリカの円形平面住宅にあり、Y染色体Dグループの縄文人の移動とともに日本列島に伝わった可能性が高いことを明らかにしました。
 では、大黒柱を中心にした「田の字型」の農家・民家住宅のルーツはどこにあるのでしょうか? アフリカルーツの円形平面の竪穴式住居ではなく、なぜ「田の字型」の農家・民家が標準プランとして登場したのでしょうか?
 結論からいうと、死霊・祖先霊を神籬(霊洩木)から天に送り、迎える「心御柱(しんのみはしら)」の周りに部屋を配置した大国主の「田の字型」の出雲大社の建築プランを受け継ぎ、「心御柱=大国柱(おおくにはしら)」を「田の字型」の中心に置いた高床式の農家・民家住宅となり、紀元4~8世紀の天皇家の権力奪取により倭音倭語の「大国(おおくに)」が呉音漢語で「ダイコク」と読まれ、「大黒柱」と漢字表記されるようになった、と私は考えています。
 縄文時代からの神籬(霊洩木)信仰を受け継いだ、大国主の八百万神信仰の心御柱を中心とした「田の字型」神殿から、死ねば誰もが神となる八百万神信仰により「田の字型」農家・民家が全国に普及し、竪穴式住居に置き換わったと考えます。
 「縄文文明の世界遺産登録」を目指すならば、「縄文時代」=未開社会、「弥生時代」=文明社会としてきた「弥生人(中国人・朝鮮人)による縄文人征服説」の空想を乗り越え、縄文社会から連続したスサノオ・大国主一族の霊(ひ)・霊継(ひつぎ)信仰に基づく建国とそれを受け継いだ日本の文化・文明の姿を「全世界の文明」の中に位置付ける必要があると考えています。
 本ブログのテーマの「スサノオ・大国主建国論」としても、出雲大社を始めとする霊(ひ)崇拝の八百万神信仰の世界遺産登録を検討するという観点から、世界の諸文明の中での紀元1~4世紀のスサノオ・大国主王朝がどのように位置づけられるのか、大黒柱から考えてみていただければと思います。雛元昌弘


□参考□








<本>
 ・『スサノオ・大国主の日国(ひなこく)―霊(ひ)の国の古代史―』(日向勤ペンネーム)
 ・『邪馬台国探偵団~卑弥呼の墓を掘ろう~』(アマゾンキンドル本)
<雑誌掲載文>
 2017冬「ヒョウタンが教える古代アジア”海洋民族像”」(『季刊 日本主義』40号)
 2018夏「言語構造から見た日本民族の起源」(『季刊 日本主義』42号)
 2018冬「海洋交易の民として東アジアに向き合う」(『季刊日本主義』44号)
 2019春「漂流日本」から「汎日本主義」へ(『季刊 日本主義』45号)
<ブログ>
  ヒナフキンのスサノオ・大国主ノート https://blog.goo.ne.jp/konanhina
  ヒナフキンの縄文ノート https://hinafkin.hatenablog.com/
  帆人の古代史メモ    http://blog.livedoor.jp/hohito/
  邪馬台国探偵団   http://yamataikokutanteidan.seesaa.net/
  霊(ひ)の国の古事記論 http://hinakoku.blog100.fc2.com/
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「縄文ノート77 『北海道・北東北の縄文遺跡群』世界文化遺産登録の次へ」の修正2

2021-06-08 16:04:49 | 日本文明
 はてなブログの「縄文ノート77 『北海道・北東北の縄文遺跡群』世界文化遺産登録の次へ」の「図3 『文明』の基準をどこに置くか?―『産業文明』史観から『多元・多重文明史観』へ」を修正しました。https://hinafkin.hatenablog.com/
 西欧中心主義者のギリシャ・ローマ・キリスト教文明を基準にした「西欧文明区分」や、中国清朝末期の知識人・梁啓超(ウィキペディア:福澤諭吉・浮田和民・茅原華山ら日本人の文明観の影響を受けていた)の詩『二十世紀太平洋歌』に見られる中国・インド・エジプト・小アジアのアジア・アフリカ中心の「四大文明論」、さらにはマルクス・エンゲルスの父権世襲制・奴隷制を基準とした「古代奴隷制文明区分」に対し、私は下図を掲げて「多元・多重文明史観」を提案しましたが、呼称を「多元・多層文明史観」に変更するとともに、下図の赤字部分を修正・追加しました。


 なお、「文明(英語:civilization)」は、ラテン語のキウィタス(civitas:都市・国家)を語源とし、奴隷制のギリシア・ローマ型の都市・生活・文化を基準としており、マルクス主義の考古学者ゴードン・チャイルドは、文明と非文明の区別をする指標として①効果的な食料生産、②大きな人口、③職業と階級の分化、④都市、⑤冶金術、⑥文字、⑦記念碑的公共建造物(ピラミッドなど)、⑧合理科学の発達、⑨支配的な芸術様式をあげており、私は「宗教論」「共同体文化論」「海洋交易論」の3つを加えて次表を作成し、日本列島では縄文時代から文明社会となったと主張しました。―「縄文ノート50 縄文6本・8本巨木柱建築から上古出雲大社へ」参照


 その後、世界の神山天神信仰、高層建造物、黒曜石、女神像などの分析から、「ギリシア・ローマ型」「古代専制国家型」の文明観ではなく、世界各地の地域・産業・文化条件に合わせて各地に多様な「多元・多層文明型」があると考え、前掲の図3を作成しました。
 そして、「文明」の始まりを従来の「支配階級」「都市」の形成に置くのではなく、「分業・協業」「集落」「部族共同体社会」に置くことを提案したいと考えます。
 全世界各地域の産業・労働・生活・共同体社会・文化・宗教は、一斉に転換期を迎えるのではなく、不均等に「多元的・多層的」に発展するものであり、文明の起点は「古代四大文明」や「ギリシア・ローマ文明」を標準として判断すべきではない、と考えます。
 いろいろと迷いながら試行錯誤を重ねており、今後の議論材料としていただければ幸いです。 

<縄文文化・文明論のこれまでの>
 縄文ノート48 縄文からの「日本列島文明論」
 縄文ノート49 「日本中央縄文文明」の世界遺産登録をめざして
 縄文ノート50 縄文6本・8本巨木柱建築から上古出雲大社へ
 縄文ノート51 縄文社会・文化・文明論の経過と課題
 縄文ノート52 縄文芸術・模様・シンボル・絵文字について
 縄文ノート57 4大文明と神山信仰
 縄文ノート58 多重構造の日本文化・文明論
 縄文ノート59 日本中央縄文文明の世界遺産登録への条件づくり
 縄文ノート69 丸と四角の文明論(竪穴式住居とストーンサークル)
 縄文ノート71 古代奴隷制社会論
 縄文ノート72 共同体文明論 210506
 縄文ノート75 世界のビーナス像と女神像

 なお、本ブログのテーマの「スサノオ・大国主建国論」としても、スサノオ・大国主一族の建国が、世界の 文明史の中でどう位置づけられるのか、世界遺産登録を目指して検討していただければと思います。雛元昌弘

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「縄文ノート77 『北海道・北東北の縄文遺跡群』世界文化遺産登録の次へ」の修正

2021-06-06 06:08:21 | 日本文明
 はてなブログの「縄文ノート77 『北海道・北東北の縄文遺跡群』世界文化遺産登録の次へ」を修正しました。https://hinafkin.hatenablog.com/

1 「7 全国の『縄文文化・文明』の世界遺産登録へ」の修正
 書き終えないままうっかりアップしてしまいましたので、次のように修正します。

7 「縄文文明」の世界遺産登録へ
 現時点の私の提案は「日本中央縄文文明」の世界遺産登録運動ですが、アフリカからの民族移動を考えると海人族の交流・交易による日本列島全体の「縄文文明」の世界遺産登録が欠かせません。
 人類拡散の世界史への手掛かりを与える「(3) 現存するまたは消滅した文化的伝統または文明の、唯一のまたは少なくとも稀な証拠」「(5) ある文化(または複数の文化)を代表する伝統的集落、あるいは陸上ないし海上利用の際立った例。もしくは特に不可逆的な変化の中で存続が危ぶまれている人と環境の関わりあいの際立った例」として、太平洋・東シナ海・日本海に沿って広がった海人(あま)族の文化・文明と山人(やまと)族の神山天神信仰・黒曜石文化などをさらに追加・整理し、「縄文文明の世界遺産登録」の取組として提案したいと考えます。


2 「図11 森の恵みを活かした縄文人の『循環型食文明』」の変更
 私は氏族社会から部族社会への転換を「分業」におき、階級社会の発生も「戦士(軍人)」の分業・世襲化で考えており、「縄文文明論」を展開するうえで、黒曜石採掘・製塩・交易などを含めて、修正しました。


 本ブログのテーマの「スサノオ・大国主建国論」としても、スサノオ・大国主一族の国際国内交易・製鉄・鉄器水利水田稲作・八百万神信仰による建国が、世界史の中でどのように位置づけられるのか検討し、世界遺産登録を目指していただければと思います。雛元昌弘
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「縄文ノート77 『北海道・北東北の縄文遺跡群』世界文化遺産登録の次へ」の紹介

2021-06-03 19:32:09 | 縄文
 はてなブログに「縄文ノート77 『北海道・北東北の縄文遺跡群』世界文化遺産登録の次へ」をアップしました。https://hinafkin.hatenablog.com/
 三内丸山遺跡や大湯環状列石など4道県17遺跡で構成される「北海道・北東北の縄文遺跡群」について、ユネスコ(国連教育科学文化機関)の諮問機関のイコモス(国際記念物遺跡会議)が世界文化遺産への登録を勧告したことを、5月26日に文化庁が発表しました。関係者の十数年にわたる先駆的な粘り強い努力が報われたことに対し心から敬意を表し、ともに喜びたいと考えます。
 ただ、「農耕・牧畜を基盤とした同時期の世界の文明と異なり、縄文社会が採集・漁労・狩猟社会で、先史時代の農耕を伴わない定住社会」とした点については、私は西欧中心主義の文明規定としてこれまで批判してきたところであり同意できず、日本の縄文文化・文明の全体を代表していない点についても課題を残していると考えます。
 「縄文ノート49 『日本中央縄文文明』の世界遺産登録をめざして」「縄文ノート59 日本中央縄文文明世界遺産登録への条件づくり」などをもとに、それ以降の日本民族起源論と古代文明論の深化をふまえて、縄文世界遺産登録について再検討してみました。
 本ブログのテーマの「スサノオ・大国主建国論」としても、出雲大社を始めとする霊(ひ)崇拝の八百万神信仰の世界遺産登録を検討するという観点から、世界の諸文明の中での紀元1~4世紀のスサノオ・大国主王朝がどのように位置づけられるのか考えてみていただければと思います。雛元昌弘


□参考□
<本>
 ・『スサノオ・大国主の日国(ひなこく)―霊(ひ)の国の古代史―』(日向勤ペンネーム)
 ・『邪馬台国探偵団~卑弥呼の墓を掘ろう~』(アマゾンキンドル本)
<雑誌掲載文>
 2017冬「ヒョウタンが教える古代アジア”海洋民族像”」(『季刊 日本主義』40号)
 2018夏「言語構造から見た日本民族の起源」(『季刊 日本主義』42号)
 2018冬「海洋交易の民として東アジアに向き合う」(『季刊日本主義』44号)
 2019春「漂流日本」から「汎日本主義」へ(『季刊 日本主義』45号)
<ブログ>
  ヒナフキンのスサノオ・大国主ノート https://blog.goo.ne.jp/konanhina
  ヒナフキンの縄文ノート https://hinafkin.hatenablog.com/
  帆人の古代史メモ    http://blog.livedoor.jp/hohito/
  邪馬台国探偵団   http://yamataikokutanteidan.seesaa.net/
  霊(ひ)の国の古事記論 http://hinakoku.blog100.fc2.com/
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