ヒナフキンのスサノオ・大国主ノート

「神話探偵団~スサノオ・大国主を捜そう!」を、「ヒナフキンのスサノオ・大国主ノート」に変更します。雛元昌弘

神話探偵団72 「姫路にて」

2009-10-31 16:26:52 | 歴史小説
山陽新幹線から見た高御位山(中央)と竜山(左手前)


ボクちゃんこと高木功は、10月12日8時50分、張り切って「のぞみ105号」に乗り込んだ。前日、奈良の自宅に帰る予定であったが、急に夜の研究会、というか交流会、要するに飲み会が入ってしまい、予定を変更しての朝立ちになってしまった。
この列車にはヒメとヒナちゃんが乗っているはず、と自分の16号車から前の車両を捜してみると、9号車のグリーン席にヒナちゃんが乗っていた。
「ヒメ様はまだなの?」
「皆んなで実家に泊まってもらうことになったので、準備しなければとおっしゃって、予定を変更して、昨夜、姫路にお帰りになりましたよ」
「へえ、ヒメにそんな家庭的なところがあるなんて、予想もしなかったなあ」
「実家にはお母様がお一人ですから、お客を迎えることになると準備が必要と思いますよ」
「じゃあ、この横の席に座っていい?」
「新横浜から誰か乗りませんか?」
「大丈夫。その時には、二人で別の席に移ればいいよ。空いているんだから」
ヒナちゃんには迷惑かも知れないけど、こんなチャンスは逃せない。
「ヒメ様から校正を頼まれていて、パソコンで仕上げようと思っていたんですけど・・・」
ちょっと困った口振りだったけど、笑顔の返事だったので、もう一押しすることにした。
「ボクも今日・明日の調査について、もう少しホームページで調べようと思っていたところなんだ。データベースを作っておかないと、皆さんの質問はどこから来るかわからないからさ」
そうなんだよ。皆さんはもっぱら推理で楽しいだろうけど、私がデータをきちっと準備しておくからネットミーティングが成り立っているとも言えるからね。自慢したいところをぐっと押さえて、高木は胸の中で自分で誉めた。
「一夜漬けより美味しい、3時間の浅漬けですよね?」
「ネットミーティングだと、皆さんが議論している時に、ホームページや資料をカンニングして、即席漬けを出せるけどね。しかし、この2日間はアウトドアだから、それはできないよね」
「私も、昨日、少し調べておきましたから、サポートさせていただきますわよ」

「真面目なできのいい女の子とできが悪い男の子」、という図式は、小学校の時からずっと同じかな、高木は何人かのかつてのあこがれの女の子達を一瞬思い浮かべた。またまた、同じパターンになりそうではないか。しかし、そこは年上の余裕を見せておかなければ。
「さすがだなあ、ヒナちゃん。よろしく頼むよ。じゃあ、仕事に入ろうか」

名古屋を過ぎたあたりでいつの間にか眠ってしまい、遠くに駅のアナウンスを聞いたような気がして目が覚めた。慌ててここはどこ、と外を見ると、新神戸の駅をでてトンネルに入るところだった。隣をみると、ヒナちゃんも眠っていて、その寝顔はまるで童女のようで、いつもの近づきがたいヒナちゃんとは全く違った印象であった。こんな幼子が生まれたなら、娘に夢中になってしまうのではないかな、一瞬、時空を越えたイメージがわいてきて、高木はびっくりした。
西明石を出て、海の向こうに淡路島を望みながら、先程調べた「名ぐわしき印南」「心恋しき加古の島」と歌った柿本人麻呂の「夷の長道ゆ恋ひ来れば」の情景を思い浮かべた。ヒナちゃんに「そろそろだよ」と声をかけてから、北西方向を捜していると、ちょうど加古川を越えた向こうに神奈備山型の美しい「高御位山」が見つかった。
「ヒナちゃん、あれが高御位山じゃあないかな」
「確かにそうよね。播磨富士と言われるだけあるわね」
「ヒナちゃん、左の小山が石の宝殿のある竜山だよ、きっと」
やがて列車は竜山のそばを通り抜け、高木の目には、紀元2世紀頃から現代まで続いている竜山石の石切場が一瞬目に入ったが、石の宝殿は確認できなかった。

姫路には11時58分に到着した。約束の12時、新幹線の改札口には、ヒメ、長老、カントク、マルちゃんが待っていた。
「さあ、これで播磨国探偵団は全員揃ったわね。神話探偵団としては、ホビットさんが欠けたけど、今晩、写真を送りましょうよ」 ヒメの元気な挨拶で、すっかり眠気も覚めた。
「まず、腹ごしらえとしょうかのう、ヒメ、何か名物はないの?」 食べものとなると、カントクの反応はいつも一番である。
「B級グルメになるけど、私が学生時代から姫路に帰郷した時に、必ず食べるソウルフードがあるのよ。マイナーだけどね、そこでいいかしら?」
ヒメの案内で、新幹線乗降口の「招(まねき)」に入った。
「もともと、駅ホームの立ちそば店で食べていたんだけど、今は、こんな店ができたのよ」 
品書きをみると、「えきそば」という見慣れないメニューがトップにでている。「姫路駅名物 えきそば」の看板も見える。
「じゃあ、皆さん、ここのえきそばを是非、食べてみてね。天ぷらときつね、どちらにします。それにと、穴子寿司がいなり、おにぎりを付けましょう」
別に、「和そば」「うどん」があるので、ラーメンかな、と思っていると、出てきたのは「色の白いそば」で、つゆは薄い色の澄んだもので、上に小エビの回りに衣が広がった天ぷらが乗っている。おそるおそる高木が口を付けてみたが、初めて食べる不思議なそばであった。細い麺は柔らかくて、うどんやソーメンでもないし、蕎麦でもない、ラーメンの麺でもない、独特の味で、つゆの味はうどんのダシと似ている。そして、うどんやにゅうめん、蕎麦、ラーメンより美味しい。
「全国でこれという名物麺は食べ尽くしたけど、このえきそばは独特で美味いなあ。前に姫路にきた時に、なぜ気付かなかったのかなあ」
カントクは不思議そうな顔をしている。
「えきそばは戦後からあるんだけど、有名になったのは、私の通った白国小学校の後輩の松浦亜弥ちゃんがオールナイトニッポンで紹介してからだから、ほんの最近なのよ」
「 “あやや”がヒメと似ているのは、ひっとして血の繋がりでもあるの?」
こういう時にいつも突っ込んでくるのはマルちゃんである。
「親戚ではないけど、ずっと昔にはDNAが繋がっていたかもね。それはさておき、このえきそばは、小麦粉にかんすいを混ぜた、いわゆる中華麺とうどんだしの和中折衷のコラボなのよ」
「しかし、ラーメンのような腰がないですよね」
高木は疑問をぶつけてみた。 
「そうなのよ。この辺はね、腰がないうどんに、上等の昆布味のきいた薄味のだし汁をからませて食べるのが好きなの。それで、この独特の腰のない“えきそば”ができたんだと思うわ」
「腰なしうどん圏ってあるかもしれないわね。広島や大阪も同じだもんね」 
マルちゃんのコンサルとしてのアンテナに何かが引っかかってきたようである。
「せっかくだけど、うどん文化論は長引くので、続きは龍野に行った時に手延べそーめんを食べながらやりましょう。もう2つ、自慢させてもらうと、今日行くことになる高砂の穴子は日本一です。それと、この「まねき」は、日本で初めて「折り詰め幕の内弁当」を駅弁として発売しています」
「三輪や灘を含めて、麺文化論は、細く長くやりましょう。ところで、ヒメって、姫路の観光大使かなんかやっていたっけ?」
マルちゃんの追撃は続く。 
「それは“あやや“じゃあない。どうも、世界文化遺産にからめた『姫路城お菊の井戸殺人事件』でイメージを悪くしたと言って、市長が怒っているみたいなの」
「そろそろ、今日のスケジュール案に入りましょう」
いつもながら、脱線からの立ち直りが早いのが長老である。

(日南虎男:ネタモトは日向勤氏の『スサノオ・大国主の日国―霊の国の古代史』梓書院刊です)

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神話探偵団71 「播磨国風土記」探偵団

2009-10-24 08:58:21 | 歴史小説
46mの姫路城(平安時代に48mあったという出雲大社よりやや低い)

●ボク 10月5日(月) 21:00
10月12・13日の見学希望が出そろいました。さすがですね。マニアックなもの、専門的なもの、姫路出身者ならではの提案など、盛りだくさんです。まとめましたので、次の中から、絞り込んで下さい。

<スサノオ関係>
① 射楯兵主神社(播磨国総社:射楯大神=スサノオの子の五十猛命と兵主大神を祀る)
② 広峯神社(スサノオを祀る牛頭天王社の総本宮):17回参照
③ 石上布都(ふつ)御魂神社(岡山県赤磐市、姫路から車で1時間。スサノオの十柄剣が祀られていた):9・10回参照
④ 素盞嗚神社(福山市なので、姫路から車で2時間。蘇民将来伝説):19回参照

<大国主関係>
① 石の宝殿、高御位山、高砂神社、「大国の里:播磨国風土記」
② 伊和神社(宍粟市一宮町。播磨国一宮。大国主・少彦名・下照姫を祀る)
③ 伊勢神社(姫路市。伊和大神=大国主の子の伊勢都比古命・伊勢都比売命:播磨国風土記。伊勢国風土記には「伊勢」地名の由来)
④ 袁布(をふ)山(西脇市。古奈為神社。宗形の大神奥津島比売命が伊和大神=大国主の子・阿治志貴高日子根(あじすきたかひこね)神=迦毛大御神を産んだ:播磨国風土記)
⑤ 新次(にいすき)神社(阿治志貴高日子根神=迦毛大御神が神宮を造った:播磨国風土記)
⑥ 姫路城(大国主が乱暴な子の火明命を残して出航したところ、火明命が怒って波風を起こして船を難破させた。船や積み荷が落ち、日女道を始め、14の丘ができた:播磨国風土記)
⑦ 白国神社(姫路市。新羅訓村で大国主・少彦名と日女道丘神が期(ちぎり)をして会った:播磨国風土記)
⑧ 揖保川流域古墳群(3世紀中~後期の発生期の円墳、前方後方墳、前方後円墳など)

●マル 21:14
丁寧な説明、ありがとう。
播磨にこんなにスサノオや大国主の痕跡があるなんて、知らなかったよ~。お願い、播磨国風土記を持ってきてね。現地で勉強します。
ヒメが古代史に関心を持つようになった背景がよく分かりました。

●カントク 21:18
ヒナちゃんが54回の時に言っていたけど、「播磨国風土記を読まずして、古事記を語るなかれ」じゃ。古事記の同時代書である、播磨国風土記の世界へ、いざ探検に行こうぞ。

●ヒナ 21:20
カントク、誇張しすぎですよ。私の表現だと、言い過ぎたとしてもせいぜい「古事記を読み解く鍵は播磨国風土記にあり」ですよ。

●ヒメ 21:22
私だと、万葉集の柿本人麻呂を加えて、「古事記・播磨国風土記・万葉集殺人事件」かな。

●ボク 21:23
ヒメはいつでも「殺人事件」を付けますよね。職業病じゃないですか?
ボクなんか、おとなしく「播磨国物語 スサノオ・大国主編」ですね。

●マル 21:25
また司馬遼太郎さんの『播磨灘物語』をパクって。
私は、ヒナちゃんの今後の活躍を期待して、「夷の長道:古事記・播磨国風土記・万葉集の謎」かな。 

●長老 21:27
私は面白くも何ともないけど、「播磨国風土記から読み解く古事記」かな。しかし、これだと「播磨国風土記探偵団」は2泊3日の行程になってしまいません?

●ヒメ 21:29
こうしましょうよ。1泊2日の基礎調査と、もう1泊する延長調査班を作ってはどうかしら?

●カントク 21:30
いいねえ、僕は2泊3日OKだよ。ボクちゃん、日程を組んでみてよ。

●マル 21:29
残念ですが、14日午後から長浜で打ち合わせです。ただし、13日夜の泊りはOKです。

●ボク 21:30
日程は組みますが、私は13日中に葛城の実家に帰り、14日午後、橿原で仕事です。

●ヒナ 21:31
出雲の実家によって帰ろうと思いますので、14日は失礼します。

●長老 21:32
私は14日付き合います。ボクちゃん、レンタカーはキャンセルして下さい。代わりに私が車に乗っていき、姫路に廻って、最後は福山から出雲に帰るようにします。

●ヒメ 21:34
ヒナちゃん、日程を1日ずらして、長老の車に乗せてもらって帰ったらどうなの? いずれ『古事記・播磨国風土記・万葉集殺人事件』を書くことになるかもしれないから、一緒に回っておいてくれた方がいいなあ。

●ヒナ 21:36
ありがとうございます。お言葉に甘えて、そうさせていただきます。

●ヒメ 21:37
ボクちゃんも、一人実家に帰るか、皆でもう1泊するか、だよね。朝出れば、午後には橿原に着けるじゃあない。

●ボク 21:38
皆さんと別れて一人出発というのは、ぜ~んぜん似合いませんね。ボクも残ります。

●ヒメ 21:39
皆さん、是非、実家に泊まっていただきたいと思います。では、姫路でお会いしましょう。おやすみなさい。

(日南虎男:ネタモトは日向勤氏の『スサノオ・大国主の日国―霊の国の古代史』梓書院刊です)

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神話探偵団70 出雲から磯城へと移された「天叢雲剣」

2009-10-19 23:55:32 | 歴史小説
358本の銅剣(左)と6個の銅鐸・16本の銅矛(右)が埋蔵されていた荒神谷遺跡


●カントク 22:17
ヤマタノオロチを切ったスサノオの十拳剣は、備前之国一の宮の石上布都御魂神社から崇神天皇の時に奈良の石上神宮に移されておる。前に検討した時は、十拳剣が備前のスサノオの子に託されたように、草薙剣はスサノオとその子の大歳(大物主)とともに大和に入り、磯城王に代々受け継がれていった、と考えた。しかし、日本書紀の一書によると、本拠地の出雲のスサノオの子に受け継がれた可能性も十分にある。

●ヒナ 22:21 
草薙剣はスサノオ6代目から7代目の大国主に継承された可能性が高い。そうすると、いつ、草薙剣は大国主の元から大和に移ったのか?

●ボク 22:23 
スサノオの十拳剣が崇神天皇によって、備前之国一の宮の石上布都御魂神社から奈良の石上神宮に移されたとされていることから考えると、出雲の大国主の子孫のもとにあった草薙剣は、同じく崇神天皇の時に出雲から大和に移されたのではないでしょうか?
日本書紀には、崇神天皇が武日照命(武夷鳥命、天夷鳥)の神宝を出雲から差し出させた、という記述があります。

●ヒナ 22:27
しかし、古事記には、10代崇神天皇が出雲を支配下に置いた、というような記述はみられません。次の11代垂仁天皇の時に、皇子のホムチワケは口がきけなかったため、出雲の大神の宮に拝みに行かせたところ口がきけるようになったという話がでているくらいですから、出雲大社の神格は天皇家の神々より高かったと思われます。

●マル 22:30
しかし、12代の景行天皇の時に、伊勢神宮でヤマトタケルに渡されたのだから、少なくとも、それ以前に大和に移されていなければならないわよね。

●カントク 22:32
古事記の景行記には、ヤマトタケルが出雲建(イズモタケル)と剣を交換してだまし討ちにした話がでてきますから、これより以前には出雲は支配下に入っていない、と古事記の作者は認識していたことになるな。

●ヒナ 22:34
こう考えてはどうでしょうか?
草薙剣は、大国主によって、大和の大物主に贈られた、という可能性はないでしょうか?
記紀によれば、大国主は少彦名が亡くなった後、大物主の助けを借りて国造りを行ったことになっています。その時の条件は、御諸山(三輪山)の大物主の霊を祀る、ということでした。
この時、大国主は同盟の印に、草薙剣を大物主に贈った、という可能性も考えられます。

●カントク 22:39
なるほど。大国主一族と、大和・紀伊・山城・近江など各地のスサノオ一族との同盟の条件として、草薙剣を大物主に贈った、というわけじゃな。

●ヒナ 22:41 
スサノオ一族の銅鐸圏と、大国主と少彦名が国造りを行った銅剣圏の統一のシンボルとして、銅剣の草薙剣が大物主に贈られたのではないでしょうか?

●ヒメ 22:43 
面白い、ヒナちゃん。その話は『草薙剣殺人事件』の歴史謎解きのストーリーに使わせて欲しいなあ。
西日本から北陸にかけて統一した大国主にとっては、草薙剣というシンボルよりも、実質的に近畿地方を統合する方がいいに決まっているわよね。

●長老 22:45 
大国主は祖先霊を呼び出す銅鐸や、始祖王の霊の隠った銅剣・銅矛などをシンボルとする宗教を超えたのではないかな。100余国の王女を妻とし、その子孫達が共通の祖先霊として自分の死後、その霊(ひ)を祀る、という新たな宗教を構想していた可能性が高い。
荒神谷や加茂の岩倉(イワクラ=磐座)に大量の銅剣や銅鐸を埋め、大地に戻したということは、大国主が新たな宗教を始めた、ということを示しているのではないかな。

●カントク 22:50  
これまで、銅鐸圏を銅剣圏が征服した、などというのが定説じゃったが、荒神谷での同時埋蔵は、その定説をぶっ飛ばしたな。しかし、それを大国主が100余国を統一して新たな宗教を始めた結果、とは考えつかんかったな。

●ヒメ 22:53 
ようやく長老が乗ってきて、すごいことになってきたんだけど、時間切れね。
続きは、スサノオ・大国主に縁の深い姫路でのミーティングにとっておきましょう。

●ボク 22:55 
次回は、10月12日12時、新幹線姫路駅改札口集合です。夜はスサノオ信仰の拠点である広峰山の山頂にある「セトレハイランドヴィラ」を取りました。詳しい案内は、メールで送ります。
大体のコース案はヒナちゃんと決めましたが、見学希望があればメールでお寄せ下さい。

(ネタモトは日向勤氏の『スサノオ・大国主の日国―霊の国の古代史』(梓書院)です)

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神話探偵団69 ヤマタノオロチの「天叢雲剣」が「草薙剣」に変わった時

2009-10-10 21:20:08 | 歴史小説
草薙剣が置かれていたという伊勢神宮(ウィキペディア)


●カントク 21:29
尾張の津島神社から、故郷、博多へ飛んでスサノオを追ってきたが、スサノオの草薙剣は伊勢神宮から熱田神宮に移っておる。まず、伊勢神宮から見ていこうではないか。
 
●ヒメ 21:31
そうしましょう。草薙剣はずっと前に検討ずみだけど、伊勢神宮との関係をもう一度、説明してくれない?

●ボク 21:32
古事記によれば、草薙剣の動きは次の通りです。
① スサノオがヤマタノオロチ王から草薙剣を奪った。
② スサノオは草薙剣をアマテラスに献上した。
③ アマテラスは、孫のニニギが天降る時に、八尺の勾玉、鏡、草薙剣を授け、「この鏡は、私の御魂として、私を拝むように拝め」と命じた。
④ 伊勢神宮の倭比売は、東征する甥のヤマトタケルに草薙剣を与えた。
⑤ ヤマトタケルは草薙剣を尾張国造の美夜受比売のもとに置き、三重の鈴鹿で亡くなった。

●ヒメ 21:38
アマテラスはスサノオより16代後の卑弥呼をモデルにして、天皇家が創作した神、という結論になったんだけど、剣はどうなるのかしら?草薙剣もまた、天皇家の偽造なの?

●カントク 21:40
祖先の霊(ひ、魂)を信仰していた古代人にとって、祖先の霊がこもった剣や鏡、勾玉というのは、重要な信仰の対象じゃ。大日霊女(オオヒルメ=霊巫女=卑弥呼)と大物主の「祖先霊」を偽って祀り、恐ろしい祟りを受けた崇神天皇の教訓が染みついていた天皇家にとって、スサノオの剣を偽造するなどということはありえない。

●マル 21:44
前期旧石器は単なる道具であったから、「前期旧石器偽造事件」は起こった。しかし、祖先の霊の固まりである草薙剣については「草薙剣偽造事件」は考えられない、というのはよくわかるわ。

●ヒメ 21:46
草薙剣が本物で、アマテラスが創作された人物だとすると、実際には、草薙剣は出雲からどのようにして伊勢に移ったことになるの?


●マル 21:48
前に検討した時には、確か、草薙剣はスサノオの子の大歳によって磯城に運ばれ、磯城国の入り婿として権力を奪った崇神天皇の宮中に移され、恐ろしい祟りを受け、アマテラスの鏡とともに伊勢に移されたのではないか、ということだったわよ。

●ヒナ 21:51
日本書紀の本文ではスサノオが草薙剣を天神に献上したとしていますが、一書第4は、スサノオ尊の「五世の孫天之葺根神」を遣わして、天に上奉した、と書かれています。

●長老 21:53
ヒナちゃんは、鋭いなあ。
記紀を読む時に、「スサノオ」「大物主」「多紀理毘売」などは、「〇代目スサノオ」などの可能性があるから要注意だよね。

●ヒメ 21:55
大国主はスサノオの7代目だったわよね。そうすると、草薙剣が「スサノオ尊の五世の孫」によって「天に上奉」されたというのは、大国主と同世代になるわね。この「天」というのは、いったい誰なのかしら。

●ヒナ 21:57
古事記によれば、大国主はスサノオの娘の須勢理毘売と、スサノオの「生太刀と生弓矢、天の詔琴」と持ち出して逃げ、追いかけてきたスサノオから「その生太刀・生弓矢を持って、兄弟王を坂の下に追い伏せ、河の瀬に追い払い、大国主神となれ」と言ったとされています。
6代目スサノオは、王権の印である「生太刀」などを大国主に与え、出雲の王として認めた、ということになります。この「生太刀」こそ、ヤマタノオロチ王の権力の象徴である「草薙剣」ではないでしょうか?

●ヒメ 22:02
これからは、私の小説の主人公は、ヒナちゃんにしようかしら。「草薙剣はスサノオの生太刀」説は見事よ。

●ボク 22:03
そういえば、スサノオが鏑矢を大野の中に射て、大国主に探しに行かせ、周りから火をつけ、大国主はネズミに導かれて穴に入って試練を逃れた、という話がありますよね。これは、ヤマトタケルが焼津の国造に騙されて野の中で火をかけられ、草薙剣で草を払い、難を逃れた、という話とそっくりです。
このヤマトタケルの話というのは、大国主の伝説をもとに後世に作られた可能性がありますね。そうすると、ヤマタノオロチ王の天叢雲剣を草薙剣というようになったのは、ヤマトタケルの時ではなく、大国主の時かも知れませんね。

●カントク 22:08
見事じゃ。ヒナちゃんに刺激されて、ボクちゃんの石頭もずいぶんと柔らかくなってきたようじゃ。


●マル 22:09
「ウサギを助けて、ネズミに助けられた大国主」童話の陰に、天皇家の皇位継承のシンボルであるヤマタノオロチ王の「天叢雲剣」が「草薙剣」になった秘密が隠されている、これは面白い。ヒメの小説の題材になるんじゃない?

●ヒメ 22:12
『三種の神器殺人事件』か『ウサギとネズミ神話殺人事件』ってとこかな。謎解きの主人公はヒナちゃんにして、頭の固いボクちゃんをからませようかしら。

●マル 22:14
ちょっと待ってよ。「草薙剣は大歳が受け継ぎ、磯城国王に引き継がれた」という仮説ならわかるけど、「草薙剣は出雲の後継王の元に置かれて、大国主に引き継がれた」とすると、いつ、誰によって、磯城国に移されたのかしら?

(ネタモトは日向勤氏の『スサノオ・大国主の日国―霊の国の古代史』(梓書院)です)

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神話探偵団68 「出雲屋」と「筑紫屋」、「大和屋」の創業物語

2009-10-03 08:43:44 | 歴史小説
奈良県桜井市出雲の大和出雲人形(野見宿彌が出雲から招いた土部の子孫が製作したという):和みいちばんのHPより http://www.nagomi1ban.com/yamato/index.html


●ヒメ 20:25 
もう1つ、しっくりしないのよね。
別天つ神5柱4代、神世7代までの歴史は、出雲が舞台よね。
神世7代の最後のイヤナギが「筑紫の日向」に移住し、アマテラス・スサノオ物語りが始まるのだけど、「別天つ神5柱4代、神世7代」神話は、もともと、筑紫に伝わっていた神話がスサノオとともに出雲に移された、とは考えられない?

●ボク 20:29 
スサノオや大国主などの出雲神話は、もともと大和にあった神話を出雲に移したものである、という説があります。伊勢神宮の皇學館大学名誉教授の田中卓氏は、大和にいた出雲族が出雲に移住し、大和神話を出雲に持っていったとしています。梅原猛氏は『神々の流竄(るざん)』で出雲神話は、大和朝廷が大和神話を出雲に移したものとしています。
同じように、大和神話を筑紫神話と置き換え、出雲神話はもともと筑紫にあった筑紫神話を出雲に移した、と見ることもできます。

●カントク 20:35 
「隠れ古田武彦ファン」のボクちゃんには、「筑紫中心史観」は大歓迎じゃろうなあ。
しかし、博多っ子としては筋が通らん話には乗れんな。「筑紫中心史観」には郷土心をくすぐられるところがあるが、「大和中心史観」を批判しながら、同じ理屈で「神話移設説」に同調するわけにはいかん。

●ボク 20:38 
「大和生まれの大和育ち」の私に、「隠れ古田武彦ファン」なんてレッテルは止めて下さいよ。カントクと同じで、「大和っ子」としても筋が通らん話には乗れませんからね。

●マル 20:40
しかし、それって、あなたの大学の古代史研究室の先輩みんなに楯突くことにはならない?

●ボク 20:41 
今どき、「表巨人、裏阪神」なんて時代じゃあありませんが、この世界では、「表畿内説、裏九州説」って人はたくさんいますよ。

●長老 20:43
 ボクなんか恩師と大喧嘩した口だけど、邪馬台国畿内説にとっては、出雲神話と筑紫から出た金印をどう扱うかはずっと頭痛の種なんだな。
老舗の大和屋というお菓子屋さんが大和にあったとしよう。その分家が出雲に暖簾分けして出雲屋という店を出し、大いに繁盛して全国チェーンになった。その後、「出雲屋フランチャイズチェーン」から経営権を譲り受けた「大和屋」が社史を出すことになった。
その時に、本家の創業史を抹消して分家の創業史から始め、分家から経営権を譲り受けた、というような社史を書くなんてことはありえない。本家本元、元祖大和屋の歴史をそのまま書くに違いないんだ。
こんな例をあげて議論したんだけど、聞く耳もたぬ、だったな。

●マル 20:51
「邪馬台国畿内説の壁」ってところよね。

●ヒメ 20:52
それは認めるけど、もともと筑紫にあった本家「筑紫屋」が出雲に分家し、その「出雲屋」が全国フランチャイズチェーンとして大発展した。その「大和店」を筑紫屋の一族が乗っ取り、「出雲屋」から本部の権利を奪った、という可能性はどうかしら?

●長老 21:55
さすがはヒメ。「大和屋神話」よりもリアリティがある。
しかし、この「大和屋フランチャイズチェーン」の「社史」を小説家のヒメが書くとしたら、どう描くかな?

●ヒメ 20:57
そうねえ。本家「筑紫屋」の創業から始めて、分家のスサノオが出雲で大成功を治め、100店舗の「出雲屋フランチャイズチェーン」ができた。その「大和店」を「筑紫屋」の笠沙店の息子の一族が乗っ取り「大和屋フランチャイズチェーン」ができ、「出雲屋フランチャイズチェーン」を統合したという社史を書くわね。

●長老 21:00
もし、古事記にそのような堂々たる歴史が書かれていれば、スッキリしているんだけどね。
実際には、創業者イヤナミは「出雲屋」を創業し、筑紫に移って子どもをもうけて「筑紫屋」をつくった。「筑紫屋」の後継者争いに負けた弟は出雲に移って「出雲屋」を継承し、7代にわたって100店からなる「出雲屋フランチャイズチェーン」を創った。「筑紫店」の女主人は子のホヒと孫のヒナテルを出雲に派遣し、「出雲屋フランチャイズチェーン」を乗っ取った。
一方、九州最南端の薩摩に派遣された孫のニニギは笠沙屋」を創業し、その4代目のワカミケヌが大和に進出し、「出雲屋フランチャイズチェーン」の大和店を乗っ取り、「大和屋フランチャイズチェーン」を作り上げ、12代目のオオタラシヒコの子のヤマトタケルがイズモタケルを暗殺した、という物語となっている。しかし、「出雲屋フランチャイズチェーン」を統合したという話は出てこない。

●ヒメ 21:09
確かに、「出雲屋フランチャイズチェーン」と「大和屋フランチャイズチェーン」のルーツが筑紫店の女主人ということにはなっているけど、肝心の「大和屋」が「出雲屋」を統合した、という話はないわね。

●長老 21:11
もし、大和に移住した筑紫屋の一族が「大和屋フランチャイズチェーン」が創業史を残すなら、ヒメが考えたように、筑紫屋本店の正統な継承者が「大和屋」を創業し、「出雲屋フランチャイズチェーン」を統合して「大和屋フランチャイズチェーン」を作った、という堂々たる神話にしたにちがいない。
「大和屋社史」は、「大和屋」が筑紫屋本店の正統な継承者であることと、「出雲屋フランチャイズチェーン」を統合した、という2つのストーリーで構成されなければならない。
ところが、古事記には肝心要の本家「筑紫屋」の継承話も、「出雲屋フランチャイズチェーン」の統合話も、どちらも出てこない。

●ヒメ 21:17
「大和屋フランチャイズチェーン」の創業者は、実際には、筑紫屋本店とも、「出雲屋フランチャイズチェーン」とも無関係の可能性がでてくるわね。

●カントク 21:19
そう考える以外にないね。もし古事記が8世紀の机上の創作なら、もっと筋が通った物語にできたはずなんだ。

●マル 21:21
古事記からアマテラスを除いてみると、「出雲→筑紫→出雲神話」に描かれた「スサノオ・大国主の建国史」に、「笠沙4代→神武東征(実際は、傭兵隊の移動)→崇神建国」の「大和大王家建国史」が続き、スッキリするわね。

●カントク 21:24 
長老は「アマテラスから続く万世一系の天皇家」という皇国史観の根幹を批判し、「アマテラスはいなかった」と言うんだからすごいね。学会の異端児だけのことはある。

●長老 21:26
正確には「オオヒルメ(卑弥呼:霊巫女)はいたが、アマテラスはいなかった」です。

●ヒメ 21:27 
長老説に納得。
津島神社からスサノオのルーツを追って筑紫に来たけど、伊勢神宮か熱田神宮に戻りましょうか?

(ネタモトは日向勤氏の『スサノオ・大国主の日国―霊の国の古代史』(梓書院)です)

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