ヒナフキンのスサノオ・大国主ノート

「神話探偵団~スサノオ・大国主を捜そう!」を、「ヒナフキンのスサノオ・大国主ノート」に変更します。雛元昌弘

「縄文ノート199 『縄文十柱』からの未来」の紹介

2024-07-01 17:12:03 | 日本文明

 はてなブログに「縄文ノート199 『縄文十柱』からの未来」をアップしましたので紹介します。https://hinafkin.hatenablog.com/

 縄文社会論について各論を深めてきましたが、これまでの各氏の提案などをまとめ、「縄文文化・文明から未来への教訓」として「縄文十柱」を今回、まとめました。

 「①共生社会、②共同社会、③健康社会、④和平社会、⑤母系社会、⑥分住社、⑦美楽社会、⑧個性社会、⑨霊継社会、⑩幸福社会」の「縄文十柱」について、ご議論いただければ幸いです。

 本ブログの「スサノオ・大国主建国論」としても、葦原の沖積平野で「五百鍬」の鉄器水利水田稲作を全国に広め、新羅との米鉄交易で建国したスサノオ・大国主7代からの「葦原中国=豊葦原水穂国」(古事記)、「委奴国(ふぃなのくに)」(金印)、「天鄙国(あまのひなのくに)」(霊帝・中常侍の李巡)について、「弥生人(中国人・朝鮮人)征服説」がみられますが、私は1万数千年の縄文文化文明を受け継いだ縄文海人族・山人族の内発的発展・自立自主的発展と考えており、縄文社会からの農耕・食文化や巨木建築文化、神名火山(神那霊山)信仰などスサノオ・大国主建国の探究を出雲から進め、世界遺産登録運動に着手することを期待したいと考えます。 雛元昌弘

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「縄文ノート197 『縄文アート論』メモ」の紹介

2024-06-23 12:33:51 | 日本文明

 はてなブログに「縄文ノート197 『縄文アート論』メモ」をアップしましたので紹介します。https://hinafkin.hatenablog.com/

 岡本太郎氏紹介の「火焔型土器」の強烈なインパクト、大阪万博の「太陽の塔」(生命の樹)と「黒い太陽」、「縄文に帰れ」「沖縄に本土が復帰するのだ」のメッセージ、猪風来氏の縄文野焼きイベント(2回目は金城実氏も参加)、仕事でよく通った群馬県片品村の金精様と砂糖ツメッコ、群馬県榛東村の耳飾り館、長野県・山梨県の妊娠土偶と女神像など、縄文文化との出合いを振り返りながら、「縄文アート」がどう現代に引き継がれているか、考え続けています。

 本ブログの「スサノオ・大国主建国論」としても、縄文海人族の沖縄から北海道までの対馬暖流にのった交易・交流での出雲の位置、縄文の神名火山(神那霊山)信仰と出雲の関係、縄文巨木建築と出雲大社本殿の関係、縄文のヒスイ文化と勾玉の関係、ソバ食のルーツ、火焔型縄文土器の縁飾り突起(私はトカゲ龍神説)とヤマタノオロチの関係など、出雲の宗教・文化とスサノオ・大国主建国との関係の解明をこれまで追究してきましたが、出雲の地元おいて縄文社会からのスサノオ・大国主建国の探究が進み、さらには人類史の中に位置づけ、八百万神信仰の世界遺産登録を目指すことを期待したいと考えます。 雛元昌弘

 

□参考□

<本>

 ・『スサノオ・大国主の日国(ひなのくに)―霊(ひ)の国の古代史―』(日向勤ペンネーム)

 ・『邪馬台国探偵団~卑弥呼の墓を掘ろう~』(アマゾンキンドル本)

 ・『奥の奥読み奥の細道』(アマゾンキンドル本)

<雑誌掲載文>

 2012夏「古事記」が指し示すスサノオ・大国主建国王朝(『季刊 日本主義』18号)

 2014夏「古事記・播磨国風土記が明かす『弥生史観』の虚構」(前同26号)

 2015秋「北東北縄文遺跡群にみる地母神信仰と霊信仰」(前同31号)

 2017冬「ヒョウタンが教える古代アジア”海洋民族像”」(前同40号)

 2017冬「スサノオ・大国主建国論1 記紀に書かれた建国者」(『季刊山陰』38号)

 2018夏「スサノオ・大国主建国論2 「八百万の神々」の時代」(『季刊山陰』39号)

 2018夏「言語構造から見た日本民族の起源」(『季刊 日本主義』42号)

 2018夏「スサノオ・大国主建国論3 航海王・スサノオ」(『季刊山陰』40号)

 2018秋「『龍宮』神話が示す大和政権のルーツ」(『季刊 日本主義』43号)

 2018冬「海洋交易の民として東アジアに向き合う」(前同44号)

 2019春「漂流日本」から「汎日本主義」へ(前同45号)

<ブログ>

 ヒナフキンのスサノオ・大国主ノート https://blog.goo.ne.jp/konanhina

 帆人の古代史メモ          http://blog.livedoor.jp/hohito/

 ヒナフキンの邪馬台国ノート     http://yamataikokutanteidan.seesaa.net/

 霊(ひ)の国の古事記論       http://hinakoku.blog100.fc2.com/

 

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「「縄文ノート194 十津川村の『けずり花』と『山の神』信仰」の再加筆修正」の紹介

2024-05-28 15:47:42 | 日本文明

 5月25日アップしました「はてなブログ:縄文ノート194 十津川村の『けずり花』と『山の神』信仰」の最後の部分には、「起承転結」の肝心の「転」の部分が欠けており26日に加筆修正しましたが、「結」の部分も欠けていましたので再加筆修正しました。https://hinafkin.hatenablog.com/

 急いだ拙い作業で失礼しましたが、以下、加筆部分をそのまま掲載いたします。

 

<5月26日の加筆修正点>

 古事記によればアマテル(天照大御神:大霊留米(おおひるめ))が天岩屋戸に隠れた後の再生神事(次女王への霊継ぎ儀式)において、天香山の眞賢木(まさかき:真榊)の上枝には勾玉と五百の玉を、中枝には八尺鏡を、下枝には白丹寸手・青丹寸手(しろにきて・あおにきて:木綿と麻)をつけた依り代を用意して次女王を迎えるのですが、この頭部に首飾り、胸に鏡(アマテルの御魂)、腰に木綿・麻の布をつけた神籬(霊洩木)は女神を示しています。

 鏡を太陽のシンボルとする「世界を照らすアマテラス太陽神」信仰の皇国史観の空想が未だにまかり通っていますが、古事記はニニギの天下りに際してアマテルは「わが御魂」として鏡をニニギに渡したと書いており、鏡は女性の「霊(ひ)が宿る神器」として胸に飾られたのです。エジプトのように太陽神のシンボルとして、頭上に掲げたのではありません。

 古事記序文で太安万侶は「二霊群品の祖」としているように、記紀神話は産霊(むすひ)夫婦(神皇産霊・高御産霊)を始祖神としているのであり、この国は「人(霊人)・彦(霊子)・姫(霊女)」とその「御子人(みこと:命、尊)」「霊御子(霊巫女・霊皇子・霊皇女)」の「霊(ひ)の国」であり、神名火山(かんなびやま:神那霊山)や神籬(ひもろぎ:霊洩木)は天に霊(ひ)が昇り、降りてくる神山・神木として崇拝されてきたのです。

 

<5月28日の加筆修正点>

 日本の文化・文明は「縄文文化・文明を起源とする」と言われますが、片品村の女神「山の神」信仰は長野県原村の阿久遺跡の石棒から2列の石列か蓼科山(女神山)に向かう通路を示していることから、縄文時代に遡ることが明らかです。この蓼科山には「ヒジン様」が住むとされていることは、死者の霊(ひ)は「ヒジン=霊神=霊(ひ)の神」となり、環状集団墓地の真ん中の石棒から石列通路を通り、神名火山(神那霊山)である蓼科山から天に昇り、さらに降りてきて蓼科山から石棒に依り付くという神山天神信仰は縄文時代に遡ることが証明されました。それは、男性器型道祖神や金精様に引き継がれ、現代に続いているのです。―縄文ノート「35 蓼科山を神名火山(神那霊山)とする天神信仰」「96 女神調査報告1 金生遺跡・阿久遺跡」「99 女神調査報告3 女神山(蓼科山)と池ノ平御座岩遺跡」「100 女神調査報告4 諏訪大社下社秋宮・性器型道祖神・尾掛松」「181 縄文石棒と世界の性器信仰」参照

 また、茅野市の中ツ原遺跡のかまどの角におかれた石棒は、妻問婚において男性が石棒を求愛するカマドを守る女性に捧げたことを示しており、かつては妻のことを「山の神」と称していたことに繋がっています。

 これまで、縄文時代が母系制社会であることは、「妊娠土偶・女神像・出産文土器・貝輪」などから説明されてきましたが、私は「石棒」もまた母系制社会を示す重要なシンボルと考えます。今回、十津川村の「けずり花」(男根のシンボル)を「山の神」が宿る神木(神籬(ひもろぎ):霊洩木)に捧げる行事から、縄文時代の神山天神信仰の石棒奉納が片品村だけでなく広く各地に伝わっていることを確認することができました。

 「縄文に帰れ」「日本が沖縄に復帰するのだ」は岡本太郎氏、「縄文を知らずして日本人を名乗るなかれ」は縄文社会研究会を立ち上げた上田篤氏の言葉ですが、「縄文は世界を変える」にしたいものです。

 西アフリカ熱帯雨林で生まれて日本列島にやってきた「霊(ひ:DNA)を継ぐ人(霊人)の国」として世界に縄文文化・文明をアピールし、「命(霊継(ひつぎ))を何よりも大事にする世界」の実現に向かいたいと思います。

 

 本ブログの「スサノオ・大国主建国論」としても、1万数千年の縄文文化・文明の根底にある「死ねば誰もが霊神(ひのかみ)」として祀られる「八百万神信仰」の神名火山(神那霊山)・神籬(霊洩木)崇拝のスサノオ・大国主建国史の解明に続け、一神教以前にかつて全世界にあった霊(ひ)信仰として八百万神信仰の世界遺産登録を目指すべきと考えます。  雛元昌弘

 

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「「縄文ノート194 十津川村の『けずり花』と『山の神』信仰」の再加筆修正」の紹介

2024-05-28 15:20:15 | 日本文明

 5月25日アップしました「はてなブログ:縄文ノート194 十津川村の『けずり花』と『山の神』信仰」の最後の部分には、「起承転結」の肝心の「転」の部分が欠けており26日に加筆修正しましたが、「結」の部分も欠けていましたので再加筆修正しました。https://hinafkin.hatenablog.com/

 急いだ拙い作業で失礼しましたが、以下、加筆部分をそのまま掲載いたします。

 

<5月26日の加筆修正点>

 古事記によればアマテル(天照大御神:大霊留米(おおひるめ))が天岩屋戸に隠れた後の再生神事(次女王への霊継ぎ儀式)において、天香山の眞賢木(まさかき:真榊)の上枝には勾玉と五百の玉を、中枝には八尺鏡を、下枝には白丹寸手・青丹寸手(しろにきて・あおにきて:木綿と麻)をつけた依り代を用意して次女王を迎えるのですが、この頭部に首飾り、胸に鏡(アマテルの御魂)、腰に木綿・麻の布をつけた神籬(霊洩木)は女神を示しています。

 鏡を太陽のシンボルとする「世界を照らすアマテラス太陽神」信仰の皇国史観の空想が未だにまかり通っていますが、古事記はニニギの天下りに際してアマテルは「わが御魂」として鏡をニニギに渡したと書いており、鏡は女性の「霊(ひ)が宿る神器」として胸に飾られたのです。エジプトのように太陽神のシンボルとして、頭上に掲げたのではありません。

 古事記序文で太安万侶は「二霊群品の祖」としているように、記紀神話は産霊(むすひ)夫婦(神皇産霊・高御産霊)を始祖神としているのであり、この国は「人(霊人)・彦(霊子)・姫(霊女)」とその「御子人(みこと:命、尊)」「霊御子(霊巫女・霊皇子・霊皇女)」の「霊(ひ)の国」であり、神名火山(かんなびやま:神那霊山)や神籬(ひもろぎ:霊洩木)は天に霊(ひ)が昇り、降りてくる神山・神木として崇拝されてきたのです。

 

<5月28日の加筆修正点>

 日本の文化・文明は「縄文文化・文明を起源とする」と言われますが、片品村の女神「山の神」信仰は長野県原村の阿久遺跡の石棒から2列の石列か蓼科山(女神山)に向かう通路を示していることから、縄文時代に遡ることが明らかです。この蓼科山には「ヒジン様」が住むとされていることは、死者の霊(ひ)は「ヒジン=霊神=霊(ひ)の神」となり、環状集団墓地の真ん中の石棒から石列通路を通り、神名火山(神那霊山)である蓼科山から天に昇り、さらに降りてきて蓼科山から石棒に依り付くという神山天神信仰は縄文時代に遡ることが証明されました。それは、男性器型道祖神や金精様に引き継がれ、現代に続いているのです。―縄文ノート「35 蓼科山を神名火山(神那霊山)とする天神信仰」「96 女神調査報告1 金生遺跡・阿久遺跡」「99 女神調査報告3 女神山(蓼科山)と池ノ平御座岩遺跡」「100 女神調査報告4 諏訪大社下社秋宮・性器型道祖神・尾掛松」「181 縄文石棒と世界の性器信仰」参照

 また、茅野市の中ツ原遺跡のかまどの角におかれた石棒は、妻問婚において男性が石棒を求愛するカマドを守る女性に捧げたことを示しており、かつては妻のことを「山の神」と称していたことに繋がっています。

 これまで、縄文時代が母系制社会であることは、「妊娠土偶・女神像・出産文土器・貝輪」などから説明されてきましたが、私は「石棒」もまた母系制社会を示す重要なシンボルと考えます。今回、十津川村の「けずり花」(男根のシンボル)を「山の神」が宿る神木(神籬(ひもろぎ):霊洩木)に捧げる行事から、縄文時代の神山天神信仰の石棒奉納が片品村だけでなく広く各地に伝わっていることを確認することができました。

 「縄文に帰れ」「日本が沖縄に復帰するのだ」は岡本太郎氏、「縄文を知らずして日本人を名乗るなかれ」は縄文社会研究会を立ち上げた上田篤氏の言葉ですが、「縄文は世界を変える」にしたいものです。

 西アフリカ熱帯雨林で生まれて日本列島にやってきた「霊(ひ:DNA)を継ぐ人(霊人)の国」として世界に縄文文化・文明をアピールし、「命(霊継(ひつぎ))を何よりも大事にする世界」の実現に向かいたいと思います。

 

 本ブログの「スサノオ・大国主建国論」としても、1万数千年の縄文文化・文明の根底にある「死ねば誰もが霊神(ひのかみ)」として祀られる「八百万神信仰」の神名火山(神那霊山)・神籬(霊洩木)崇拝のスサノオ・大国主建国史の解明に続け、一神教以前にかつて全世界にあった霊(ひ)信仰として八百万神信仰の世界遺産登録を目指すべきと考えます。  雛元昌弘

 

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151 「やまと」は「山人」である

2024-05-16 10:51:06 | 日本文明

 海人族(天族)であるスサノオ・大国主建国論からスタートした私は、縄文人の貝やヒスイ・黒曜石などの海洋広域交易から縄文海人(あま)族から縄文社会分析を進め、さらに日本列島人起源論においても「海の道」の分析を進めてきましたが、長野県や福島県の黒曜石産地での神名火山(神那霊山)信仰や温帯ジャポニカ・芋もちソバ食などの照葉樹林帯文化から縄文山人(やまと)族の分析に進み、海人族と山人族が共同して日本列島にやってきたとの視点が必要と考えるようになり、縄文ノート186 『海人族縄文文明』の世界遺産登録へ」(240301)をまとめるに至っています。

 この縄文時代から続く海人族・山人族の文化は、スサノオ・大国主建国をへて、海の「一大国(いのおおくに:天一柱:壱岐(一城)」と筑後川上流の甘木(天城)高台(高天原)の「邪馬壹国(やまのいのくに)」、さらには天皇家のルーツである薩摩半島西南端の「山幸彦」と兄の「海幸彦」に引き継がれ、その後「大和(おおわ)」を「やまと」と読むことに繋がったことについて考えてみたいと思います。

 ずいぶん前にFC2ブログ「霊(ひ)の国の古事記論35 『ヤマト』は『山人』」(100505)を書きましたが、いくつか補足します。http://hinakoku.blog100.fc2.com/blog-date-201005-2.html参照

 小学生の時ですが、「大和」を「やまと」と読むと教わり、「嘘だろう!『だいわ』『おおわ』ではないか」と思い、稲作が始まって「米を入れるために軽い弥生式土器が生まれた」という説明には「米は米俵や木の米櫃に入れるもんだ」と反発するなど、私は教師を信用しないへそ曲りの子供でした。

 その後、若いころの私の高知の友人に「山戸」君がいましたが、彼の名字は「やまと」読みでした

 諏訪湖畔には「大和(おわ)」地名があります。連続母音の省略で「おおわ」から「おわ」になったのです。―ヒナフキンの縄文ノート「100 女神調査報告4 諏訪大社下社秋宮・性器型道祖神・尾掛松」参照

 また大和(だいわ)書房の社長で多数の古代史本を執筆された有名な大和岩雄(おおわ いわお)氏は高遠町(現伊那市)出身です。

 さらに信州出身者に連れられて飲んだ新橋駅南の新橋駅前ビル1号館2Fの「正味亭 尾和」は東大卒で電通から転職した尾和正登さんの店で、上田出身の氏の名字の「おわ=尾和」は元々は「大和(おおわ)」だったと思います。

 「やまと」については、「山戸、山門、山都」「夜麻登、山跡」など地名由来の名前とする説が見られますが、そもそも奈良盆地には「やまと」地名がありません。

 記紀の記述によれば、薩摩半島西南端の阿多に天下りしたニニギが阿多都比売に妻問いしてもうけた「ホデリ:海幸彦(漁師)」が「隼人(はやと)」と呼ばれたことからみて、その弟の「ホオリ:山幸彦(猟師)」は「山人(やまと)」なのです。

 広辞苑によれば「山人」は「①(関西・四国地方で)山で働く人。きこり。②(九州地方で)狩人」とされており、まさに古事記に書かれた「毛のあら物、毛の柔(にこ)物」を取る猟師なのです。「御子人(みこと=命、尊)」「旅人(たびと)」「商人(あきんど)」「素人(しろうと)」「玄人(くろうと)」「助(すけ)っ人(と)」「盗人(ぬすっと)」など、「ひと」を「と」と読む例からみても、「山人」=「やまと」であり、「海人(あま)」は「あまと」の「と」が略されたと考えます。

 これを裏付ける傍証があります。それは、沖縄では自分達(沖縄人)を「ウチナンチュウ」と呼び、本土の日本人を「ヤマトンチュウ」と呼んでいるのですが、沖縄には「ヤマト」は侵攻しておらず、沖縄を支配下に入れたのはハヤト(薩摩隼人)なのです。

 ここで思いだされるのは、ヤマト朝廷による720年の「隼人の乱」の鎮圧であり、この時、阿多の栫ノ原遺跡(丸ノミ石斧・曽畑式土器出土)などを拠点とした隼人(ハヤト:南風人)を縄文時代から深い交流があった琉球の海人(ウミンチュウ)は応援したと考えられます。この対立の記憶は現代まで残り、「ウチナンチュウ」対「ヤマトンチュウ(山人)」の対言葉となって続いた可能性が高いと考えます。

 阿多天皇家2代目の山幸彦・ホオリは琉球(龍宮)に渡り、海神の娘・豊玉毘売(とよたまひめ、古事記では鰐、日本書紀では龍)を妻として帰り、海辺の産小屋でトヨタマヒメは鵜葺草葺不合(うがやふきあえず)を産みます。このウガヤフキアエズは、トヨタマヒメの妹の玉依毘売(たまよりひめ)に育てられて妻とし、このタマヨリヒメは若御毛沼(わかみけぬ:後に神武天皇の忌み名)ら4兄弟を産んでいます。大和天皇家の初代神武天皇の祖母と母は琉球(龍宮)人なのです。―「『龍宮』神話が示す大和政権のルーツ」(2018秋 季刊日本主義43号)参照 

 若御毛沼らは、傭兵隊として宮崎県北部の美々津、豊国の宇佐に立ち寄り、筑紫国に1年、安芸国に7年、吉備国に8年滞在し、生駒山脈の麓の白肩津(日下)で敗退し、南に下って熊野をへて奈良盆地の大物主(スサノオの子の大年一族)とスサノオ7代目の大国主一族が支配する「美和(みわ:三輪)→大和(おおわ)」の国に入り、天皇家10代目の御間城入彦(後に崇神天皇の忌み名)の時にその権力を奪い、「大和(おおわ)国」を「やまとの国」と読み変えさせたと考えます。―『スサノオ・大国主の日国(ひなのくに)―霊(ひ)の国の古代史―』参照

 天皇家のルーツを朝鮮半島の高天原からやってきた弥生人にしたい皆さんや、邪馬臺国を「やまだこく」と読み「大和国(やまとのくに)」に当てはめたい邪馬台国畿内説のみなさん、女山(ぞやま)のある「山門郡」(福岡県みやま市瀬高町)にあてたい九州説のみなさんにはショックかも知れませんが、縄文時代からの「海人族(隼人族)」と「山人族」の歴史を古事記はきちんと伝え、天皇家の母方ルーツが薩摩半島の縄文山人族と龍宮(琉球)の海人族であることを隠していなのです。

 昭和天皇は記紀に書かれたこの先祖の歴史を無視し、琉球の民衆に多くの犠牲を強いた玉砕戦を容認し、敗北後には沖縄を基地としてマッカーサーに差し出したのです。私は憲法9条の戦争放棄の発案は統帥権を持った昭和天皇以外にありえないと分析しましたが、琉球をその枠外に置いたのです。―「建国史からみた象徴天皇制と戦後憲法」(2016秋『季刊 日本主義』35号)参照

 人間天皇家は、記紀に書かれた「阿多」「龍宮(琉球)」の山人族のルーツを公表し、「大和(おおわ)」を「やまと」と呼ばせるようになった経緯を明らかにすべきです。

 スサノオ・大国主建国論では、縄文文化・文明の延長上に八百万神崇拝の神名火山(神那霊山)信仰や48mの出雲大社があり、さらにはそのルーツがアジア・アフリカに遡るなど、歴史軸・空間軸を広げて検討し、世界遺産登録をめざすことを考えていただければ幸いです。

 

□参考□

<本>

 ・『スサノオ・大国主の日国(ひなのくに)―霊(ひ)の国の古代史―』(日向勤ペンネーム)

 ・『邪馬台国探偵団~卑弥呼の墓を掘ろう~』(アマゾンキンドル本)

 ・『奥の奥読み奥の細道』(アマゾンキンドル本)

<雑誌掲載文>

 2012夏「古事記」が指し示すスサノオ・大国主建国王朝(『季刊 日本主義』18号)

 2014夏「古事記・播磨国風土記が明かす『弥生史観』の虚構」(前同26号)

 2015秋「北東北縄文遺跡群にみる地母神信仰と霊信仰」(前同31号)

 2017冬「ヒョウタンが教える古代アジア”海洋民族像”」(前同40号)

 2017冬「スサノオ・大国主建国論1 記紀に書かれた建国者」(『季刊山陰』38号)

 2018夏「スサノオ・大国主建国論2 「八百万の神々」の時代」(『季刊山陰』39号)

 2018夏「言語構造から見た日本民族の起源」(『季刊 日本主義』42号)

 2018夏「スサノオ・大国主建国論3 航海王・スサノオ」(『季刊山陰』40号)

 2018秋「『龍宮』神話が示す大和政権のルーツ」(『季刊 日本主義』43号)

 2018冬「海洋交易の民として東アジアに向き合う」(前同44号)

 2019春「漂流日本」から「汎日本主義」へ(前同45号)

<ブログ>

 ヒナフキンのスサノオ・大国主ノート https://blog.goo.ne.jp/konanhina

 帆人の古代史メモ          http://blog.livedoor.jp/hohito/

 ヒナフキンの邪馬台国ノート     http://yamataikokutanteidan.seesaa.net/

 霊(ひ)の国の古事記論       http://hinakoku.blog100.fc2.com/

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「縄文ノート191加筆 4.鳥居や棟木の「カラス止まり」の烏(からす)」の紹介

2024-04-30 10:47:05 | 日本文明

 はてなブログの「縄文ノート191 カラス信仰のルーツはメソポタミアかアフリカか?」に「4.鳥居や棟木の『カラス止まり』の烏(からす)」を追加しましたので紹介します。https://hinafkin.hatenablog.com/

 私はアフリカからの縄文人の全歴史を解明しようと、DNA分析だけでなく、言語やヒョウタン、糖質・DHA食、宗教などの文化を持ってアフリカからこの日本列島にやってきたという仮説検証に取りつかれています。アフリカ・アジア中心の世界史再構築と、縄文社会・文化・文明の解明はこの気候変動と戦争の世紀に終止符を打つのに役立つと考えるからです。

 男子正装の烏帽子(えぼし:カラス帽子)を宮崎駿監督は「もののけ姫」においてたたら製鉄の女性リーダーの名前としましたが、カラス信仰のルーツが南インドのドラヴィダ族からメソポタミア、さらにはアフリカにまで遡れないか、検討を進めました。

 今回、追加したのは鳥居の鳥は何なのか、です。

 ヒントは茅葺屋根の棟木の笠木の上に「カラス止まり」が置かれており、雲南・ミャンマー・タイの山岳地域のチベット系のアカ族(イ族(夷族・倭族)、烏蛮族、ロロ族とも呼ばれる)の「カラス止まり」と同じであることから、鳥居に止まる鳥はカラスであることが明らかになりました。

 吉野ヶ里遺跡では入口の鳥居と大型建物(主祭殿?)の棟木の上に鳥を「水鳥」で「穀霊信仰のシンボル」として説明しているようですが、根拠のない空想という以外にありません。

 そもそも水鳥は「穀物」とは関係ありませんし、警戒心の強い水鳥が鳥居や棟木の上に止まるなどありえませんし、稲作の季節には北に帰っていないでしょう。また、茅葺屋根の棟木の千木組の上に今も「カラス止まり」が置かれている伝統や、烏帽子を正装とする文化を無視しています。

 日本人にとって、カラスは死者の霊(ひ)を天に運ぶ「霊(ひ)の鳥」「神使の聖鳥」だったのです。

 本ブログの「スサノオ・大国主建国論」としても、スサノオ・大国主一族の神使である「三足烏(さんそくう)」と天皇家が担ぐ「八咫烏(やたがらす)」の歴史とともに、出雲にもある古い茅葺屋根の棟木の上の「カラス止まり」からカラス信仰のルーツを考えてみませんか?

 以下、引用しておきたいと思います。 雛元昌弘

 

4.鳥居や棟木の「カラス止まり」の烏(からす)

 吉野ヶ里遺跡に行き、入口の鳥居と大型建物(主祭殿?)の棟木の上に鳥が乗っている写真を撮り、死者の霊(ひ)を鳥が天に運ぶ霊(ひ)信仰として紹介してきましたが、なんと、吉野ヶ里遺跡では鳥の木製品は出土していないというのです。

 ブログ「吉野ヶ里遺跡の木製鳥形 - クロムの備忘録的ダイアリー (goo.ne.jp)」によると、「他の遺跡からは鳥形は出土しており鳥にはシンボル的意味合いがある」「中国や東南アジアでは入り口に鳥形が飾られる集落がある」「弥生時代には穀物の霊に対する穀霊信仰があり、穀霊を運ぶ鳥を崇拝する観念が生まれた」「鳥への信仰は穀霊信仰の強い東南アジアに残っている」「鳥には結界を示すような意味合いがある」「ここでいう鳥は水鳥である」という説明を受けたそうですが、かなり偏った推測というほかありません。

 確かに、大阪府和泉市の2300~1800年前の池上曽根遺跡からは鳥型木製品が出土しており、奈良県北葛城郡河合町の4~6世紀の馬見古墳群の佐味田宝塚古墳(30面の銅鏡出土)の家屋文鏡の建物上には鳥が描かれています。なお、この馬見古墳群は「『卑弥呼王都=アマテル高天原』は甘木(天城)高台」(200206→0416)で触れましたが、スサノオの娘(産女)の宇迦之御魂(うかのみたま:おいなりさん)と大国主の息子(産子)の阿遅志貴高日子根(あぢすきたかひこね:迦毛之大御神)の一族の拠点と私は考えています。 

 鳥越健三郎大阪教育大名誉教授の『雲南からの道』は、アカ族は村の門の上に木彫りの鳥を置いており、日本の鳥居のルーツとしています。

 ウィキペディアによれば、雲南省のハニ族はミャンマー、ラオス、ミャンマー、ベトナムではアカ族と呼ばれ、焼畑を中心とした農耕生活を営み、ラオスに住むアカ族の村の入り口には木で作った門を置き、鳥居の風習は四川省涼山に棲むイ族(夷族・倭族:チベット系の烏蛮族、ロロ族)とも共通しているとされています。

 この鳥の種類ですが、アカ族の鳥居の鳥と、池上曽根遺跡の鳥型木製品の鳥の1つは下向きにエサを啄んでいる姿であり、集落の周りにいる身近な鳥であり、イ族(夷族・倭族)が古くは「烏蛮族」と言われていたことをみても、カラスと見られます。年にある期間だけやってくる渡り鳥では、何の役割も期待できません。

 吉野ヶ里遺跡では「弥生時代には穀物の霊に対する穀霊信仰があり、穀霊を運ぶ鳥を崇拝する観念が生まれた」「鳥への信仰は穀霊信仰の強い東南アジアに残っている」「ここでいう鳥は水鳥である」と空想していますが、鳥越氏は「鳥は神の乗り物である」としています。記紀に書かれた始祖神の「産霊(むすひ)夫婦」の霊(ひ:祖先霊)信仰の歴史からみても、穀霊信仰説はいただけません。

 さらに、鳥越氏は日本の民家でも棟木の千木組の上に1本の竹を通し「カラス止まり」と呼ぶとして写真を載せ、烏は神使なので止まり木を置くことで神が屋根の上に降りていることを示したのであろうとし、ラフ族の「カラス止まり」がルーツとしています。

 茅葺き・藁葺きの民家については前から興味を持っていましたが、「カラス止まり」については意識したことがなく、ざっとネットで検索してみると、次の写真に一部を示しますが今も伝統として各地に残っていました。

 私の両親の祖父母の家では、大黒柱(大国柱=心御柱=心柱と考えます)にそって神棚が祀られており、人(ほと=霊人)は死ぬと「神」になるという八百万神信仰により、「神棚→大黒柱→棟木→カラス止まり」からカラスによって死者の霊(ひ=玉し霊=魂)は天に運ばれ、また天から帰ってくると考えられていたのです。天皇家による仏教の国教化により、死者は「仏」になり仏壇に祀られるようになっても、神棚は維持されており初孫であった私は田舎に行くと毎朝、ご飯を神棚と仏壇に供えさせられましたが、どちらにご先祖の霊がいるのか、祖母に問いただした経験があります。

 そもそも、季節性の「水鳥」に使者の霊(ひ)を託すわけにはいかず、人を警戒する「水鳥」が鴨居や屋根の上の「カラス止まり」に止まるなど絶対にありえません。吉野ヶ里遺跡の「水鳥説」は理解不能です。鴨鍋や鴨南蛮が大好きな学芸員ばかりなのでしょうか?

 縄文ノート「38 『霊(ひ)』とタミル語peeとタイのピー信仰』「128 チベットの『ピャー』信仰」「132 ピュー人(ミャンマー)とピー・ヒ信仰」「149 『委奴国』をどう読むか?」において、私は南インドから南・東南アジア山岳地帯、台湾の卑南族、匈奴(ヒュンナ)などは、祖先霊を「ピー、ピュー、ピャー、ぴー・ひー・ひ」とし、神山から天に昇り、降りてくると信じていたのです。

 そして、祖先霊を運ぶ神使として、カラス(熊野大社・厳島神社・住吉大社)・鶏(石上神宮・穂高神社・伊勢神宮)・白鷺(大山祇神社)や、神山(神名火山:神那霊山)からの神使として狐(稲荷大社)・猿(日枝大社・武尊神社)・鹿(厳島神社・春日大社)・兎(住吉大社)・狼(三峰神社)などを祀ってきたのです。

 吉野ヶ里遺跡の「水鳥説」は、日本とアジアの霊(ひ:祖先霊)信仰の伝統を無視したトンデモ説というほかありません。

 ユダヤ・キリスト教の影響を受けカラスを聖鳥・霊鳥から悪役(ビラン)に陥れてハトを聖鳥と崇める拝外主義の風潮が見られますが、「霊(ひ)から生まれ、霊(ひ)を信仰するひと(人=霊人)」である日本人が、「霊(ひ)の鳥=カラス」を忘れていたのでは洒落にもなりません。なお、古代人はDNAが親から子へと受け継がれるのを「霊(ひ)」が受け継がれると考え、霊継(ひつぎ)を重要視し、霊継(ひつぎ)が断たれた霊(ひ)は怨霊(おんりょう)となって迫害者に祟ると考えたのです。

 

5.鳥耳、鳥鳴海、日名鳥、鳥船、烏越の名前は?

 古事記神話の大国主一族では、筑紫妻の「鳥耳」一族の「鳥鳴海」、「日名鳥(夷鳥・比良鳥・日照)」「鳥船(筆者説は日名鳥の別名)」、「布忍富鳥鳴海」が登場し、魏書東夷伝倭人条には倭の使者の「載斯烏越」(載斯は祭司か?)が見られます。

 吉野ヶ里遺跡や原の辻遺跡などの鳥居のルーツやうきは市吉井町の6世紀後半の珍敷塚(めずらしづか)古墳の装飾壁画の船の舳先の鳥の種類と合わせて、検討する必要があると考えます。

 Y染色体D型の縄文人からの伝統と考えられる赤米を炊いてカラスに与える「ポンガ」の神事と、スサノオ・大国主一族の神使の「三足烏」と合わせて、時間軸とアフリカからの伝播ルートの空間軸の2次元の解明が求められます。

 「悪役カラス」「害鳥カラス」から「霊(ひ)の鳥カラス」「神使の聖鳥カラス」「ナビゲーターカラス」への復権が求められます。

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「縄文ノート191 カラス信仰のルーツはメソポタミアかアフリカか?」の紹介

2024-04-27 19:48:43 | 日本文明

 はてなブログに「縄文ノート191 カラス信仰のルーツはメソポタミアかアフリカか?」をアップしましたので紹介します。https://hinafkin.hatenablog.com/

 縄文文化・文明についてその独自性を強調する「日本列島起源説」に対し、「シベリア起源説」「中国大陸起源説」「南方起源説」「チベット~雲南照葉樹林帯起源説」などが見られますが、私は「人類アフリカ単一起源説」の延長上に「宗教・文化・文明アフリカ単一起源説」を考えてきました。

 今回は、4月3日のBS101のダークサイドミステリー「世界の怪鳥聖鳥伝説を追え!ヤタガラスから翼竜生存説まで」の録画をやっと見ましたので、これまで書いてきたものを紹介しながらカラス信仰のルーツを考えてみました。

 有名な旧約聖書の「『ノアの方舟』神話では、洪水がおさまりかけたときノアはワタリガラスを偵察に放つのですが、自由な気質のワタリガラスはかえってこず、次にハトを放つとオリーブの小枝を加えてきた」からメソポタミア文明のカラス神話を私は理解していたのですが、それが誤りであることを初めて知りました。

 なんと、紀元前1300〜1200年頃にまとめられた古代メソポタミアのギルガメッシュ叙事詩では、カラスを放つとハトは帰ってきたのにカラスは帰ってこず、陸地を見つけたカラスが戻らないのはエサを食べているからと考えてカラスの後を追ったというのです。

 私は日本のカラス信仰は南インドの日本の「ホンガ ホンガ」「ホンガラ ホンガラ」と囃すカラスに赤飯などを与える行事はその特異な「囃子言葉」から南インドのドラヴィダ族の「ポンガ」がルーツと考えてきましたが、この番組でさらに遡ればエジプト・メソポタミア文明の神山天神信仰のルーツである中部・東アフリカに遡る可能性がでてきましたが、日本語で検索した範囲ではアフリカにカラス信仰は見つけることができませんでした。

 またこの番組は、4月6日(土)よりNHKでアニメ・シリーズが放映される阿部智里作の「八咫烏シリーズ(やたがらすシリーズ)」の「アニメ 烏(からす)は主(あるじ)を選ばない」の宣伝番組なので、スサノオ・大国主一族の「三足烏(さんそくう)」と天皇家の「八咫烏(やたがらす)」について考えてみました。

 熊野のスサノオ一族の配下であったヤタガラスは、スサノオ一族を裏切り、スサノオの御子の大年(大物主)一族が支配する大和(おおわ:元は大倭)侵略を目指す薩摩半島の阿多を拠点とした山人(やまと)族傭兵隊のワカミケヌ(若御毛沼)の手先となり道案内を行っており、まさに「烏(からす)は主(あるじ)を選ばない」裏切者であったのです。

 「勝てば官軍」で、侵略軍の手先となった裏切者の八咫烏(やたがらす)を信奉したい軍国主義者がまだまだ多いようですが、記紀に書かれたスサノオ・大国主一族による米鉄交易と鉄先鋤と妻問夫招婚による平和な百余国の「豊葦原水穂国」の建国を認めるならば、厳島神社(安芸国一宮)、住吉大社、熊野大社(本宮・速玉・那智)などスサノオ系の神使の「三足烏(さんそくう)」こそシンボルとすべきでしょう。

 本ブログの「スサノオ・大国主建国論」としても、「三足烏(さんそくう)」と「八咫烏(やたがらす)」の歴史について、カラス信仰のルーツから考えてみませんか? 雛元昌弘

□参考□

<本>

 ・『スサノオ・大国主の日国(ひなのくに)―霊(ひ)の国の古代史―』(日向勤ペンネーム)

 ・『邪馬台国探偵団~卑弥呼の墓を掘ろう~』(アマゾンキンドル本)

 ・『奥の奥読み奥の細道』(アマゾンキンドル本)

<雑誌掲載文>

 2012夏「古事記」が指し示すスサノオ・大国主建国王朝(『季刊 日本主義』18号)

 2014夏「古事記・播磨国風土記が明かす『弥生史観』の虚構」(前同26号)

 2015秋「北東北縄文遺跡群にみる地母神信仰と霊信仰」(前同31号)

 2017冬「ヒョウタンが教える古代アジア”海洋民族像”」(前同40号)

 2017冬「スサノオ・大国主建国論1 記紀に書かれた建国者」(『季刊山陰』38号)

 2018夏「スサノオ・大国主建国論2 「八百万の神々」の時代」(『季刊山陰』39号)

 2018夏「言語構造から見た日本民族の起源」(『季刊 日本主義』42号)

 2018夏「スサノオ・大国主建国論3 航海王・スサノオ」(『季刊山陰』40号)

 2018秋「『龍宮』神話が示す大和政権のルーツ」(『季刊 日本主義』43号)

 2018冬「海洋交易の民として東アジアに向き合う」(前同44号)

 2019春「漂流日本」から「汎日本主義」へ(前同45号)

<ブログ>

 ヒナフキンのスサノオ・大国主ノート https://blog.goo.ne.jp/konanhina

 帆人の古代史メモ          http://blog.livedoor.jp/hohito/

 ヒナフキンの邪馬台国ノート   http://yamataikokutanteidan.seesaa.net/

 霊(ひ)の国の古事記論       http://hinakoku.blog100.fc2.com/

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「縄文ノート188 ハラリ氏の新たな嘘話『サピエンス全史』批判」の紹介

2024-03-15 18:05:02 | 日本文明

 はてなブログに「縄文ノート188 ハラリ氏の嘘話『サピエンス全史』批判」をアップしましたので紹介します。https://hinafkin.hatenablog.com/

 3月13日、縄文社会研究会・東京の顧問・尾島俊雄早大名誉教授の研究室でユヴァル・ノア・ハラリ氏の『サピエンス全史』などの翻訳者柴田裕之氏を招いての学習会があり、私は縄文ノート130~139の「『サピエンス全史』批判」1~5(220331~0523)のレジュメ(要約)と、182「人類進化を支えた食べもの」、186「『海人族縄文文明』の世界遺産登録へ」(231204)を報告しました。

 他民族に征服されることのなかったわが国は、新旧石器時代(日本では旧石器・縄文時代)の文化・文明が現代まで継承されており、しかも世界に類のない緻密な縄文時代研究と博物館・復元施設、市民体験活動などがあり、一神教以前の全世界の石器時代の歴史解明を先導するべき役割を担うべきと考えます。

 ユダヤ・キリスト・イスラム教などの終末思想・優勢思想に基づく一神教をハラリ氏は「嘘話」とした点は高く評価しますが、ユダヤ教の征服・殺戮・奴隷化を奨励する神の代わりに、「人類は誕生した時から征服者であり殺戮者として進化してきた」という新たな嘘話を創作し、ユダヤ・シオニストの思想を世界に広めようとしています。

 今、この侵略的な白人・男性中心の「肉食・狩猟・闘争・戦争進歩史観」を批判するハト派進化説が次々と生まれてきていますが、ハラリ氏はそれらを無視し、タカ派進化説論者の旗手としてあがめられてきていますが、その先には終末の未来しかないことをウクライナ・パレスチナ戦争や地球環境悪化による異常気象・食料危機などは示しています。

 今こそアフリカで誕生しアフリカ・アジア・南北アメリカで進化した数万年の人類史を辿り、たかだか2千数百年の西欧中心文明の先を展望してみませんか?

 本ブログの「スサノオ・大国主建国論」としても、一神教以前の全ての生類の死者を神として祀る母系制社会の「八百万神」信仰は全人類の共通の宗教であったのであり、この出雲大社を中心として現代に続く「八百万神」信仰の世界遺産登録を目指すべきと考えています。様々の領域、地域の若い世代のみなさんの取り組みを期待したいところです。 雛元昌弘

 

□参考□

<本>

 ・『スサノオ・大国主の日国(ひなのくに)―霊(ひ)の国の古代史―』(日向勤ペンネーム)

 ・『邪馬台国探偵団~卑弥呼の墓を掘ろう~』(アマゾンキンドル本)

 ・『奥の奥読み奥の細道』(アマゾンキンドル本)

<雑誌掲載文>

 2012夏「古事記」が指し示すスサノオ・大国主建国王朝(『季刊 日本主義』18号)

 2014夏「古事記・播磨国風土記が明かす『弥生史観』の虚構」(前同26号)

 2015秋「北東北縄文遺跡群にみる地母神信仰と霊信仰」(前同31号)

 2017冬「ヒョウタンが教える古代アジア”海洋民族像”」(前同40号)

 2017冬「スサノオ・大国主建国論1 記紀に書かれた建国者」(『季刊山陰』38号)

 2018夏「スサノオ・大国主建国論2 「八百万の神々」の時代」(『季刊山陰』39号)

 2018夏「言語構造から見た日本民族の起源」(『季刊 日本主義』42号)

 2018夏「スサノオ・大国主建国論3 航海王・スサノオ」(『季刊山陰』40号)

 2018秋「『龍宮』神話が示す大和政権のルーツ」(『季刊 日本主義』43号)

 2018冬「海洋交易の民として東アジアに向き合う」(前同44号)

 2019春「漂流日本」から「汎日本主義」へ(前同45号)

<ブログ>

 ヒナフキンのスサノオ・大国主ノート https://blog.goo.ne.jp/konanhina

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「縄文ノート186 『海人族縄文文明』の世界遺産登録へ」の紹介

2024-03-02 15:56:56 | 日本文明

 はてなブログに「縄文ノート186 『海人族縄文文明』の世界遺産登録へ」をアップしましたので紹介します。https://hinafkin.hatenablog.com/

 能登半島地震の観光支援として、「『海人族縄文文明』の世界遺産登録」の提案をまとめてみました。

 また、来年の2025年には「いのち輝く未来社会のデザイン」をテーマとした大阪万博が開かれますが、この機会に再び岡本太郎氏の「縄文に帰れ」「本土が沖縄に復帰するのだ」を考えてみるのはどうでしょうか? 私は2025大坂維新万博よりも、縄文文明の世界遺産登録の方が、はるかに文化的・経済的効果は高く、人類史に与える影響は大きいと考えています。

 ちなみに、西アフリカ原産のヒョウタンなどが発見された鳥浜貝塚遺跡、ウッドサークルなどがある能登町の真脇遺跡、火焔型土器の馬高・笹山遺跡などは私の縄文遺跡ランキングでは5位以内に入るいずれも貴重な遺跡であり、全世界の人たちに是非とも見て欲しい遺跡です。

 スサノオ・大国主建国は縄文海人族の海洋交易文明の延長上にあるとともに、母系制社会の妻問夫招婚による平和な「百余国」の統合であり、霊(ひ:祖先霊)信仰の神名火山(神那霊山)崇拝や神籬(霊洩木)崇拝、巨木建築などはアフリカをルーツとした1万数千年の縄文文化・文明を受け継いだものであり、本ブログの「スサノオ・大国主建国論」としても縄文時代に遡った検討が重要と考えています。

そして全世界に普遍的に存在した母系制社会の霊(ひ)・霊継(ひつぎ)信仰の「八百万神神道」の世界遺産登録を是非とも進め、宗教戦争のない世界平和に貢献すべきと考えています。

「弥生人(中国人・朝鮮人)征服史観」ではない、「縄文人自立・内発的発展史観」によるスサノオ・大国主建国論の研究を若い世代のみなさんに期待したいと思います。 雛元昌弘

 

□参考□

<本>

 ・『スサノオ・大国主の日国(ひなのくに)―霊(ひ)の国の古代史―』(日向勤ペンネーム)

 ・『邪馬台国探偵団~卑弥呼の墓を掘ろう~』(アマゾンキンドル本)

 ・『奥の奥読み奥の細道』(アマゾンキンドル本)

<雑誌掲載文>

 2012夏「古事記」が指し示すスサノオ・大国主建国王朝(『季刊 日本主義』18号)

 2014夏「古事記・播磨国風土記が明かす『弥生史観』の虚構」(前同26号)

 2015秋「北東北縄文遺跡群にみる地母神信仰と霊信仰」(前同31号)

 2017冬「ヒョウタンが教える古代アジア”海洋民族像”」(前同40号)

 2017冬「スサノオ・大国主建国論1 記紀に書かれた建国者」(『季刊山陰』38号)

 2018夏「スサノオ・大国主建国論2 「八百万の神々」の時代」(『季刊山陰』39号)

 2018夏「言語構造から見た日本民族の起源」(『季刊 日本主義』42号)

 2018夏「スサノオ・大国主建国論3 航海王・スサノオ」(『季刊山陰』40号)

 2018秋「『龍宮』神話が示す大和政権のルーツ」(『季刊 日本主義』43号)

 2018冬「海洋交易の民として東アジアに向き合う」(前同44号)

 2019春「漂流日本」から「汎日本主義」へ(前同45号)

<ブログ>

 ヒナフキンのスサノオ・大国主ノート https://blog.goo.ne.jp/konanhina

 帆人の古代史メモ          http://blog.livedoor.jp/hohito/

 ヒナフキンの邪馬台国ノート      http://yamataikokutanteidan.seesaa.net/

 霊(ひ)の国の古事記論       http://hinakoku.blog100.fc2.com/

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「縄文ノート183 八ヶ岳高原の女神・石棒・巨木拝殿・黒曜石・土器鍋食・散村文明」の紹介

2024-01-11 11:55:16 | 日本文明

 はてなブログに「縄文ノート183 八ヶ岳高原の女神・石棒・巨木拝殿・黒曜石・土器鍋食・散村文明」をアップしましたので紹介します。https://hinafkin.hatenablog.com/

 農業・交易で豊かであったカナンを征服するために、貧しい遊牧民のユダヤ人の男たちは神を創作し、「神がくれた土地」としてカナンを侵略し、男は殺し、女子どもは奴隷化し、土地・家と財産を奪い、母系制社会を滅ぼすことを正当化しました。

 この「神」は後にローマ帝国の西欧・東欧の侵略・支配や、西欧諸国のアフリカ・アジア・アメリカ侵略・植民地化を正当化する帝国主義イデオロギーに引き継がれ、今もアメリカのイラク・アフガニスタン侵略やロシアのウクライナ侵略、イスラエルのパレスチナ侵略へと続いています。

 歴史の分野では、西欧人はこの宗教のもとに男中心の「肉食・狩猟・戦争進歩史観」を創作し、「未開・文明」という時代区分を考え、「文明人」による「未開人」の殺害・奴隷化・差別迫害の植民地支配を正当化してきたのです。

 日本中央部縄文遺跡群の世界遺産登録ではこのような「未開・文明史観」を正し、戦争のなかった縄文1万数千年の歴史から、霊継(ひつぎ:命のリレー)をなによりも大事にする母系制社会の女神信仰、神山天神信仰の共同祭祀を世界にアピールすべきと考えます。

 この霊(ひ)・霊継(ひつぎ)宗教は、全ての「死者の霊(ひ)」を神として祀るスサノオ・大国主一族建国の八百万神信仰に引き継がれ、仏教伝来後には「神=仏」として命を大事にし、死者の霊が子孫に祀られる宗教として現代に続いています。

 同じ民族、国民の殺人は認めないにも関わらず、他民族・他国民は殺すことは神の命令として認めるというユダヤ教・キリスト教旧約聖書派による戦争を終わらせるためにも、アフリカの類人猿をルーツとする全人類の歴史を縄文史から変えていく必要があるのではないでしょうか?

 本ブログの「スサノオ・大国主建国論」としても、縄文時代の母系制社会の神山天神信仰、巨木拝殿などの伝統を受け継ぎ、大国主は百余国で夜這いを行い180人の御子をもうけて霊継(ひつぎ)を行い、米鉄交易とあわせて「委奴国(ふぃなのくに)」=「豊葦原水穂国」を建国したのであり、全ての死者の霊(ひ)を八百万神として祀り、霊継(ひつぎ:命のリレー)を何よりも大事にした、侵略戦争によらないスサノオ・大国主一族の建国史を世界史の中に位置付け、世界遺産登録を目指して欲しいと考えます。 雛元昌弘

 

□参考□

<本>

 ・『スサノオ・大国主の日国(ひなのくに)―霊(ひ)の国の古代史―』(日向勤ペンネーム)

 ・『邪馬台国探偵団~卑弥呼の墓を掘ろう~』(アマゾンキンドル本)

 ・『奥の奥読み奥の細道』(アマゾンキンドル本)

<雑誌掲載文>

 2012夏「古事記」が指し示すスサノオ・大国主建国王朝(『季刊 日本主義』18号)

 2014夏「古事記・播磨国風土記が明かす『弥生史観』の虚構」(前同26号)

 2015秋「北東北縄文遺跡群にみる地母神信仰と霊信仰」(前同31号)

 2017冬「ヒョウタンが教える古代アジア”海洋民族像”」(前同40号)

 2017冬「スサノオ・大国主建国論1 記紀に書かれた建国者」(『季刊山陰』38号)

 2018夏「スサノオ・大国主建国論2 「八百万の神々」の時代」(『季刊山陰』39号)

 2018夏「言語構造から見た日本民族の起源」(『季刊 日本主義』42号)

 2018夏「スサノオ・大国主建国論3 航海王・スサノオ」(『季刊山陰』40号)

 2018秋「『龍宮』神話が示す大和政権のルーツ」(『季刊 日本主義』43号)

 2018冬「海洋交易の民として東アジアに向き合う」(前同44号)

 2019春「漂流日本」から「汎日本主義」へ(前同45号)

<ブログ>

 ヒナフキンのスサノオ・大国主ノート https://blog.goo.ne.jp/konanhina

 帆人の古代史メモ          http://blog.livedoor.jp/hohito/

 ヒナフキンの邪馬台国ノート      http://yamataikokutanteidan.seesaa.net/

 霊(ひ)の国の古事記論       http://hinakoku.blog100.fc2.com/

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「縄文ノート179 『ギガファイル便』での2つの資料公開」の紹介

2023-10-28 17:25:05 | 日本文明

 はてなブログに「縄文ノート179 『ギガファイル便』での2つの資料公開」をアップしましたので紹介します。https://hinafkin.hatenablog.com/

9月16日の「縄文ノート178 『西アフリカ文明』の地からやってきたY染色体D型日本列島人」から、別件で忙しくなり、1カ月半も休んでしまいました。

「仮説検証型」でいろいろ考えてきたことを確かめるため、この間、世界の女神信仰や縄文食について和食関係の本、イネのルーツなど植物遺伝学の佐藤洋一郎氏の著作、霊長類・人類学の伊谷純一郎らの著作を読んできましたが、いずれ「西アフリカ熱帯雨林人類誕生説」「半身浴直立歩行・手機能発達説」「糖質・DHA食(いも魚介食)・母子おしゃべり頭脳発達説」「米・雑穀食文化・もち食文化西アフリカ起源説」「粉食文化東アフリカ湖水地方起源説」「神山天神信仰アフリカ起源説」「黒曜石文化東アフリカ湖水地方起源説」「西アフリカ文明説」「人類起源母系社会説」「縄文母系社会説」などについて、各論を充実させたいと考えています。

 なお、7月19日の縄文社会研究会・東京で報告しましたパワーポイントの「縄文は母系制社会だった」と、その後にまとめた「ヒナフキンの縄文ノート178 『西アフリカ文明』の地からやってきたY染色体D型日本列島人」をギガファイル便で公開しましたので、添付のURL(アドレス)からダウンロード可能です。

 本ブログの「スサノオ・大国主建国論」としても、西アフリカから南・東南アジア高地を経て日本列島にまでやってきた縄文人のスサノオ・大国主一族の八百万神信仰の建国史について、世界遺産登録を目指し、世界に発信すべきと考えます。世界史にスサノオ・大国主建国を位置付ける歴史・宗教・文化・建築学・人類学などの若い研究者が数多く登場することを願っています。 雛元昌弘

 

□参考□

<本>

 ・『スサノオ・大国主の日国(ひなのくに)―霊(ひ)の国の古代史―』(日向勤ペンネーム)

 ・『邪馬台国探偵団~卑弥呼の墓を掘ろう~』(アマゾンキンドル本)

 ・『奥の奥読み奥の細道』(アマゾンキンドル本)

<雑誌掲載文>

 2012夏「古事記」が指し示すスサノオ・大国主建国王朝(『季刊 日本主義』18号)

 2014夏「古事記・播磨国風土記が明かす『弥生史観』の虚構」(前同26号)

 2015秋「北東北縄文遺跡群にみる地母神信仰と霊信仰」(前同31号)

 2017冬「ヒョウタンが教える古代アジア”海洋民族像”」(前同40号)

 2017冬「スサノオ・大国主建国論1 記紀に書かれた建国者」(『季刊山陰』38号)

 2018夏「スサノオ・大国主建国論2 「八百万の神々」の時代」(『季刊山陰』39号)

 2018夏「言語構造から見た日本民族の起源」(『季刊 日本主義』42号)

 2018夏「スサノオ・大国主建国論3 航海王・スサノオ」(『季刊山陰』40号)

 2018秋「『龍宮』神話が示す大和政権のルーツ」(『季刊 日本主義』43号)

 2018冬「海洋交易の民として東アジアに向き合う」(前同44号)

 2019春「漂流日本」から「汎日本主義」へ(前同45号)

<ブログ>

 ヒナフキンのスサノオ・大国主ノート https://blog.goo.ne.jp/konanhina

 帆人の古代史メモ          http://blog.livedoor.jp/hohito/

 ヒナフキンの邪馬台国ノート      http://yamataikokutanteidan.seesaa.net/

 霊(ひ)の国の古事記論       http://hinakoku.blog100.fc2.com/

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スサノオ・大国主ノート144 「じんざい→ぜんざい」はズーズー弁から?

2022-11-25 17:28:21 | 日本文明

 「国生み地図・表」を作成中ですが、ちょっと一息入れたいと思います。

 日テレの「遠くへ行きたい」11月6日、『「羽田美智子の島根旅!電車運転に挑戦&奥出雲でキノコ採り」』の録画を見ていたら、神在月で振る舞われていた「ぜんざい」は昔は「神在(じんざい)餅」とよばれ、ズーズー弁で「じ」が「ず」になり「ずんざい」と発音し、さらに「ぜんざい」になった、という説明がされていました。

 このズーズー弁由来説に対し、私はGooブログ「倭語論15 古日本語は『3母音』か『5母音』か?」(200218)などで明らかにしましたが、古日本語は「あいういぇうぉ」5母音であり琉球弁は「あいういう」母音が残り、本土弁は「あいうえお」母音に変わりますが、出雲弁にも「あいういう」5母音が残り「じんざい」と発音していたものが、「じ→ぜ」の変化により「ぜんざい」に変わったと考えています。

       

 松本清張の『砂の器』では犯人と被害者が交わした「カメダ」の地名が秋田の「亀田」ではなく、島根の「亀嵩」であることから犯人を突き止めるという有名な推理小説ですが、学生時代に読んだ時から「東北弁→島根弁」ではなく逆で、「島根弁→東北弁」ではないか、と考えていました。

          

 縄文研究をやるようになり、柳田圀男の「方言周圏論」を批判し、縄文語ドラヴィダ語起源説、方言北進・東進説を解明してきましたが、対馬暖流を下って「島根弁」が東北に伝わったのです。―縄文ノート「38 霊(ひ)とタミル語pee、タイのピー信仰」「41 日本語起源論と日本列島人起源」「42 日本語起源論抜粋」「93 『カタツムリ名』琉球起源説―柳田國男の『方言周圏論』批判」「94 『全国マン・チン分布考』からの日本文明論」「97 『3母音』か『5母音』か?―縄文語考」「128チベットの『ピャー』信仰」「132 ピュー人(ミャンマー)とピー・ヒ信仰」「153 倭語(縄文語)論の整理と課題」参照

 『邪馬台国探偵団~卑弥呼の墓を掘ろう~』(アマゾンキンドル本:第2版)などでも書きましたが、西アフリカのニジェール川流域のヒョウタンが若狭の鳥浜遺跡や青森の三内丸山遺跡で見つかり、沖縄の貝が靑森・北海道に、糸魚川のヒスイの勾玉が奥尻島や種子島に、黒曜石がシベリアにまで運ばれ、さらに丸木船をくり抜く道具の磨製石器の丸ノミ石斧(せきふ)(琉球から南九州にかけて分布し、約5,000年前の曽畑式土器が琉球の読谷(よみたん)村や北谷(ちゃたん)町や九州西岸の縄文時代前期の遺跡、韓国の釜山市の貝塚から発見されていることからみて、縄文人の「対馬暖流海道」―「ヒョウタンの道」「貝とヒスイと黒曜石の道」「丸木舟と土器の道」があったことは明らかです。

        

 さらに、琉球開びゃくの祖が「アマミキヨ」と伝わり、琉球列島に「天城町」や「奄美大島」があり、九州には「天草」「甘木」「天瀬」「天久保」「天ケ原」があり、隠岐には「海士(あま)(古くは海部)」などの地名があることからみて、海人(あま)族は「対馬暖流海道」を行き来していたことを示しています。

     

 以上のように、縄文語は縄文人とともに対馬暖流に乗って南から北へと運ばれ、その痕跡はヒョウタン・貝・ヒスイ・黒曜石・土器や「アマ」地名として各地に広がったのです。

 「神在餅」もまた、東へと伝わるうちに「あいういぇうぉ」5母音の「いぇ」音の変化にともない、「じんざい」が「ぜんざい」に変わったのです。畿内に渡来人(弥生人:中国人・朝鮮人)が流入し、「じんざい」方言が周辺だけに残ったのではありません。

 なお、Y染色体DNA、いも食・ソバ食・稲作・もち食、霊(ひ:祖先霊信仰)・神山天神信仰(神名火山(神那霊山)信仰)、ポンガの烏まつりなどの伝播については触れませんでしたが、これら全てもまた「縄文人南方起源」を示しています。

 縄文人も食べていた小豆を使った「ぜんざい」を食べる機会がありましたら、スサノオ・大国主一族は縄文人の末裔なのか、それとも弥生人(中国人・朝鮮人)の末裔なのか、考えてみていただければと思います。

     

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「縄文ノート151 『氏族社会』から『母族社会』へ」の紹介

2022-09-15 12:20:19 | 日本文明

 はてなブログに「縄文ノー151 『氏族社会』から『母族社会』へ」をアップしました。https://hinafkin.hatenablog.com/

 1週間前、別々の友人と話す機会に、これまで書いてきた縄文ノートから、「食べ物からの人類史・日本史」と「女・子どもからの人類進化論」をリストアップしたのですが、これまで「氏族社会」と書いてきたものを「母族社会」に書き換えるべきと考えるようになりました。

 縄文ノート「148 『地・姓・委・奴・卑』字からの母系社会論」「149 『委奴国』をどう読むか?」などで、中国の甲骨文字時代の「地=土+女性器」であることに気付き、縄文文明・メソポタミア・エジプト・インダス・ギリシア文明だけでなく、地母神信仰の母系制社会が普遍的に世界に存在することが確認できたからです。

 そこで、これまで文明論を「氏族社会→部族社会→古代国家(部族連合国家と軍事専制国家)」と整理してきましたが、「氏族社会」を「母族社会」と言い換える必要がでてきました。

 本ブログの「スサノオ・大国主建国論」としても、縄文時代から続く海人(天)族の地母神・女神信仰のルーツを全人類史の中に位置付ける必要があると考えます。 雛元昌弘

 

□参考□

<本>

 ・『スサノオ・大国主の日国(ひなのくに)―霊(ひ)の国の古代史―』(日向勤ペンネーム)

 ・『邪馬台国探偵団~卑弥呼の墓を掘ろう~』(アマゾンキンドル本)

<雑誌掲載文>

 2012夏「古事記」が指し示すスサノオ・大国主建国王朝(『季刊 日本主義』18号)

 2014夏「古事記・播磨国風土記が明かす『弥生史観』の虚構」(前同26号)

 2015秋「北東北縄文遺跡群にみる地母神信仰と霊信仰」(前同31号)

 2017冬「ヒョウタンが教える古代アジア”海洋民族像”」(前同40号)

 2018夏「言語構造から見た日本民族の起源」(前同42号)

 2018秋「『龍宮』神話が示す大和政権のルーツ」(前同43号)

 2018冬「海洋交易の民として東アジアに向き合う」(前同44号)

 2019春「漂流日本」から「汎日本主義」へ(前同45号)

<ブログ>

  ヒナフキンのスサノオ・大国主ノート https://blog.goo.ne.jp/konanhina

  ヒナフキンの縄文ノート https://hinafkin.hatenablog.com/

  帆人の古代史メモ    http://blog.livedoor.jp/hohito/

  邪馬台国探偵団              http://yamataikokutanteidan.seesaa.net/

  霊(ひ)の国の古事記論 http://hinakoku.blog100.fc2.com/

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「帆人の古代史メモ112 沖縄復帰50年記念 特別展『琉球』」の紹介

2022-06-25 17:41:23 | 日本文明
 ライブドアブログ「帆人の古代史メモ」に「112 沖縄復帰50年記念 特別展『琉球』」をアップしました。http://blog.livedoor.jp/hohito
最終日直前の23日、東京国立博物館の「沖縄復帰50年記念 特別展『琉球』」(5月3日~6月26日)を見てきました。「王国時代の歴史資料・工芸作品、国王尚家(しょうけ)に伝わる宝物に加え、考古遺物や民族作品などのさまざまな文化財が一堂に会します」という案内に惹かれてでした。
 戦災を免れた琉球王家ゆかりの独特のデザインの漆工芸や衣装や、中国の影響の濃い書画など、初めて目にする豪華な国宝や模造復元は、明・清の朝貢国となり、日本と明・清、朝鮮、東南アジアなどを結んだ中継貿易の「万国津梁(ばんこくしんりょう:津=港、梁=橋)」の海人族の琉球国の文化の広がりと交易の豊かさを感じました。
私は日本列島人起源論では、「海の道」を通ったドラヴィダ系海人(あま)・山人(やまと)族中心説であり、約2.7万年前の石垣島白保の旧石器人の日本最古の前身骨格をはじめとした考古遺物や、縄文時代の対馬暖流を利用した琉球~北海道間の貝・黒曜石・ヒスイ交易、古事記に書かれた初代大和天皇の母・祖母が龍宮(筆者説=琉球)の姉妹であるという記載など大和天皇家との関係、日本語の琉球弁伝播説などに興味があったのですが、琉球と日本の関係についての展示はほんの付け足しで回避されていました。―「『龍宮』神話が示す大和朝廷のルーツ」「言語構造から見た日本民族の起源」(季刊日本主義)等参照
2018年4~6月にすでに「沖縄の旧石器時代が熱い!」が国立科学博物館で行われていましたから2番煎じは避けて当然なのですが、当時はスサノオ・大国主建国論に集中していて見に行けておらず、今回はない物ねだりでした。
 本ブログの「スサノオ・大国主建国論」では、壱岐・対馬の海人族のスサノオ・大国主の建国と、「アマミキヨ」始祖伝説があり、縄文時代に対馬暖流を利用して琉球~北海道間の貝・黒曜石・ヒスイ交易を行っていた琉球海人族との関係について考えてみていだければと思います。 雛元昌弘

□参考□
 <本>
 ・『スサノオ・大国主の日国(ひなのくに)―霊(ひ)の国の古代史―』(日向勤ペンネーム)
 ・『邪馬台国探偵団~卑弥呼の墓を掘ろう~』(アマゾンキンドル本)
<雑誌掲載文>
 2012夏「古事記」が指し示すスサノオ・大国主建国王朝(『季刊 日本主義』18号)
 2014夏「古事記・播磨国風土記が明かす『弥生史観』の虚構」(前同26号)
 2015秋「北東北縄文遺跡群にみる地母神信仰と霊信仰」(前同31号)
 2017冬「ヒョウタンが教える古代アジア”海洋民族像”」(前同40号)
 2018夏「言語構造から見た日本民族の起源」(前同42号)
 2018秋「『龍宮』神話が示す大和政権のルーツ」(前同43号)
 2018冬「海洋交易の民として東アジアに向き合う」(前同44号)
 2019春「漂流日本」から「汎日本主義」へ(前同45号)
<ブログ>
  ヒナフキンのスサノオ・大国主ノート https://blog.goo.ne.jp/konanhina
  ヒナフキンの縄文ノート https://hinafkin.hatenablog.com/
  帆人の古代史メモ    http://blog.livedoor.jp/hohito/
  邪馬台国探偵団  http://yamataikokutanteidan.seesaa.net/
  霊(ひ)の国の古事記論 http://hinakoku.blog100.fc2.com/

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「縄文ノート124 『ヒナフキンの縄文ノート』一覧」の紹介

2022-02-17 11:28:02 | 日本文明
 はてなブログに「縄文ノート124 『ヒナフキンの縄文ノート』一覧」をアップしました。https://hinafkin.hatenablog.com/
 縄文論・日本列島人起源論・古代史論など日本文明論の取り組みの全体構成図とともに、「ヒナフキンの縄文ノート」の拙論一覧(掲載順とテーマ別)を掲載しました。なお、新説に合わせて旧説の修正はできていませんので、食い違いがある場合には新しい方が現在の私の到達点です。
 アフリカでサルからヒトになり、日本列島にやってきて建国にいたるまでの日本文明の全体史として、Y染色体DNAや農産物の起源と拡散、宗教や農耕などの倭音倭語の起源、木器・石器・土器・鉄器技術の継承・創造、焼畑農耕・水辺稲作・水利水田稲作文化、霊(ひ)信仰と地神・海神・水神・山神・天神信仰、家族・氏族・部族社会と国家(常備軍+行政組織)形成の総合的・全体的な把握に向けた「最少矛盾仮説」を考える参考にしていただければと考えます。 雛元昌弘



□参考□
<本>
 ・『スサノオ・大国主の日国(ひなこく)―霊(ひ)の国の古代史―』(日向勤ペンネーム)
 ・『邪馬台国探偵団~卑弥呼の墓を掘ろう~』(アマゾンキンドル本)

<雑誌掲載文>
 2017冬「ヒョウタンが教える古代アジア”海洋民族像”」(『季刊 日本主義』40号)
 2018夏「言語構造から見た日本民族の起源」(『季刊 日本主義』42号)
 2018冬「海洋交易の民として東アジアに向き合う」(『季刊日本主義』44号)
 2019春「漂流日本」から「汎日本主義」へ(『季刊 日本主義』45号)
<ブログ>
  ヒナフキンのスサノオ・大国主ノート https://blog.goo.ne.jp/konanhina
  ヒナフキンの縄文ノート https://hinafkin.hatenablog.com/
  帆人の古代史メモ    http://blog.livedoor.jp/hohito/
  邪馬台国探偵団   http://yamataikokutanteidan.seesaa.net/
  霊(ひ)の国の古事記論 http://hinakoku.blog100.fc2.com/
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