ヒナフキンのスサノオ・大国主ノート

「神話探偵団~スサノオ・大国主を捜そう!」を、「ヒナフキンのスサノオ・大国主ノート」に変更します。雛元昌弘

31 安土城5階八角、6階四角の謎

2009-04-09 22:11:53 | Weblog
安土城天主信長の館の復元された天守内部
(ウィキペディアより)

●ボク 21:26
奈良出身の私がまず思いつくのは、「八角」は法隆寺の夢殿ですね。
長方形の建物は多いけど、「四角」というと、金閣寺か茶室でしょうか。内部が金箔で覆われていたというのは金閣寺の模倣で、お茶を楽しんでいた信長が四角を選んだとも考えられます。

●カントク 21:27 
さすが、優等生の回答じゃのう。
しかし、それでは、天王・スサノオ、天主・信長とは、繋がってこぬではないか。

●ヒナ 21:29
スサノオの時代の山上の四角と言えば、出雲の四隅突出型方墳でしょうか。
「八角」と「四角」の組み合わせとなると、上八角下四角の古墳があります。スサノオを信奉していた天武天皇陵(天武・持統合葬陵)やその両親の舒明天皇・斉明天皇(皇極天皇)の墓も上八角下方墳の可能性が高いとされています。

●カントク 21:35 
答えは出たようじゃな。しかし、「八角」と「四角」の組み合わせは、他にもある。見落としていないかな?

●カントク 21:37 
ちょっと難しかったようじゃな。
答えは、天皇が即位する玉座の「高御座(たかみくら)」じゃ。平成天皇の即位式にも使われておる。京都御所の紫宸殿に置かれておるが、これは方壇の上に、八角形の屋形が載せられておるぞ。

●マル 21:41 
八角は、天皇を象徴しているのかあ。

●ヒナ 21:42
古墳でいうと、そうでもありません。
ウィキペディアからの受け売りですが、八角墳としては、文武天皇陵の可能性のある中尾山古墳(明日香村)、草壁皇子の可能性のある奈良県高取町の束明神古墳は天皇家の墓です。しかし、稲荷塚古墳(東京都多摩市)、三津屋古墳(群馬県吉岡町)、経塚古墳(山梨県笛吹市)、伊勢塚古墳(群馬県藤岡市)、中山荘園古墳(兵庫県宝塚市)が八角墳ですし、尾市1号墳(広島県福山市)、神保一本杉古墳(群馬県吉井町)も八角墳の可能性あるとされています。

●ヒメ 21:49 
天皇・皇族陵が八角形と定められた後に、各地の豪族が八角墳をつくることは考えにくいよね。

●カントク 21:51 
そうなんじゃ。先に各地に八角墳があって、それを天皇家が採用した、と考えるべきじゃろう。しかし、上八方下四方となると、天皇家のシンボルとなる形と言えよう。

●ボク 21:53 
カントク、「上八角下四角」から、「上八方下四方」へと言い方が変わっていません?なぜですか。

●カントク 21:55 
ヒナちゃんの影響で少し冴えてきたではないか。
ヒメやヒナちゃんに「女は推理、男は論理」なんて言われないように、推理力をもっと磨いてはどうかな。

●ボク 21:57 
それより、「八角四角」から「八方四方」など、どんどん脱線していません?

●カントク 21:58 
心配はご無用。スサノオの謎を解くためには、安土城の謎を解く必要がある。
信長は安土城で、「上八角下四角」をひっくり返して、なぜ、「上四角下八角」の天主閣を建てたのか。第4の謎解きじゃ。
「生か死か」、「八角四角か八方四方か」、ザット・イズ・ザ・クエッション。

(ネタモトは日向勤氏の『スサノオ・大国主の日国―霊の国の古代史』(梓書院)です)


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30 津島神社の領主は織田信長

2009-04-07 14:23:58 | Weblog
伊勢・安土桃山文化村にある安土城天主を模した天守風建物
(ウィキペディアより)

●ホビット 20:32 エルドラドより
おはようございます。こちらは、ちょうど朝です。
尾張の出身者にとっては、津島神社というと織田信長が頭に浮かびます。
私の名前の「海部(かいふ)」は「海部郡(あまぐん)」からきていますが、津島はその中心地で、尾張一豊かな町でした。その領主が織田信長です。
信長が生まれた勝幡城は津島神社のすぐ近くです。天王祭を信長が天王川にかかる天王橋の上から見ていた、と伝わっています。

●ヒメ 20:37 
ありがとう、ホビットさん。それって、面白いわよね。信長って、スサノオを信仰していたの?

●カントク 20:39 
安土城に飛んだところを見ると、ヒメはとっくにお見通しだったんじゃないの?

●ヒナ 20:40 
福井県越前町の織田にある剣神社は、越前二の宮で、スサノオの霊を「劔大明神」としています。国宝の梵鐘は第49代光仁天皇が奉納したといわれています。
織田氏はこの地の領主で、剣神社の神官であり、その後、尾張に移ります。信長は剣神社を氏紳として、領地を寄進し神社を保護しています。

●ヒメ 20:45 
越前町って、どのあたりなの?

●マル 20:46 
そういうのは、私の出番かな。
以前、朝倉氏の拠点の一乗谷のPRのお手伝いをしたことがあるけど、一乗谷から越前岬に行く途中にあります。近くには、日野川があったけど、出雲の「斐伊川=氷川」「日野川」とも重なってくるわよね。

●カントク 20:51 
謎解きをしてもらおうかの。一乗谷というと、誰かを思い出さないかな?

●ヒナ 20:52 
早いもの勝ち、で新参の私が答えてもいいでしょうか?
一乗谷というと、朝倉氏に仕えていた明智光秀でしょう。足利義昭が朝倉氏を頼って一乗谷に逃れてきた時に、明智光秀は信長への仲介役を果たし、義昭は尾張に移ります。

●カントク 20:56 
ヒナちゃんも鋭いのう。
光秀は、斉藤道三の娘の濃姫と従兄弟同士であり、信長の妻となった濃姫を頼って信長に取り入ったという説があるが、信長の氏神の剣神社との繋がりも無視できん。
ボクちゃん、金沢出張の帰りに、剣神社に寄って調べてきてはどうかな。

●ヒメ 21:01
戦国時代には、お寺が情報ネットワークで重要な役割を果たしていたけど、神社のネットワークも無視できない、というのね。

●カントク 21:03 
ヒメはすでにお見通しのとおりじゃが、あらためて、第2の謎解きに移ろうではないか。
信長は日本で初めて「天主閣」を安土城に築いたんじゃが、なぜ信長は自分を「天主」と言ったのか?

●ボク 21:06
「天主」というと、キリスト教の天主・キリストからとったのではないでしょうか?
信長は宣教師とひんぱんに会っていますし、「天主堂」の建設を認めています。また、高山右近を始め、キリシタン大名を多く抱えていますよね。

●カントク 21:10 
ボクは空気が読めないのう。
天王スサノオを祭神とする津島神社と剣神社、それと織田信長との関係から、答えは出ておろうが。

●ボク 21:13
そんなに、むきにならないで下さいよ。わざと、フェイントをかませただけですから。誰だって、流れは理解できますよ。

●カントク 21:15 
わかっておる、わかっておる。だいぶ、呼吸が合ってきたな。最後の、スサノオ実在説と架空説の大バトルまでは、この調子で楽しもうぞ。

●ヒナ 21:17
中国では、皇帝・天子のことを天王と言い、天主とも言っています。

●カントク 21:18 
最近のテレビでも、信長をキリシタンであるかのように描いたボンクラがいたが、なげかわしいのう。

●ヒメ 21:20 
今日、カントクの話からピンときて、「安土城天主信長の館」に行ってきました。
セビリア万国博覧会に向けて復元された安土城天主の一部を見てきましたが、その6階の信長の居室には、周りに中国創世の3皇5帝、老子・孔 子・七賢人などが描かれていました。

●カントク 21:24
天主・信長は、中国皇帝と自分を同列に置くととともに、自らを天王・スサノオの後継者である、と宣言したんじゃ。
そこで、第3の謎解きに行こう。安土城天主閣の5階は八角、6階は四角になっておる。何故か?

(ネタモトは日向勤氏の『スサノオ・大国主の日国―霊の国の古代史』(梓書院)です)

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29 津島神社の天王と天皇

2009-04-04 09:39:19 | Weblog
『スサノオ・大国主の日国―霊の国の古代史』(日向勤著、梓書院)


●ヒメ 080912 16:35
今、帰りの新幹線に乗ったところです。
今日は長老と別れて、大津の日吉大社を見て、カントクの話にピンときて、予定を変更して安土城と安土城天主信長の館を見てきました。
連続になるけど、夜、ミーティングをやりません?ご都合はどうですか?

●カントク 16:45
 ヒメの勘はあいかわらず鋭いのう。ワシがふと洩らしてしまった話から、安土城を見てくるとは、さすがじゃ。
ヒメは長旅で疲れておろうから、自宅に帰り着いて落ち着いた20時頃ではどうじゃ?

●マル 16:50
レンタカーで山口宇部空港に向かっている途中ですよ。疲れた~。息抜きしたいな。カントク、新宿の「卑弥呼」で飲まない?
長門では、皆さんの「海の道」に関わる、楊貴妃伝説がありましたよ。

●カントク 22:53
マルちゃん、了解。ネットミーティングとリアルミーティングの同時進行としよう。
集まれる人は、20:00にネットか「卑弥呼」で。



<第3回ミーティング>

●ヒメ 20:00
こんばんは。連日のお付き合い、ありがとう。自宅でバスタイムです(私のヌードを想像してね)。
今、書きかけている『壬申の乱殺人事件』よりこっちの方が面白くなってきちゃった。

●カントク 20:03
2度、待ったをかけられたが、津島神社に行くとしよう。
ボクちゃんかヒナちゃん、ちょっと説明してよ。

●ボク 20:06
今、出張で金沢市にいます。
津島神社は、名古屋市に近い津島市にあり、全国に約3千社ある津島神社・天王社の総本社です。中世・近世には「津島牛頭天王社」と称していました。嵯峨天皇より正一位の神階と日本総社の称号を贈られたと伝えられています。
祭神はスサノオで、仏教が入ってきてからは、牛頭天王と習合し、「天王さん」と呼ばれています。

●ヒメ 20:11 
スサノオは「阿弥陀如来」にされたり、「牛頭天王」にされたりしているけど、どういう繋がりなのかしら?

●ヒナ 20:13 
まだ研究室にいますので、いろんなデータは調べられますよ。
スサノオは「蘇民将来」伝説にあるように、疫病退散の神であり、そこからインドの牛頭天王と習合された、という説があります。

●ヒメ 20:15 
そもそも「天王」というのはなんなの?

●ヒナ 20:15 
牛頭天王など、仏教の「天部」の神の名前ですが、中国では、周王朝の歴代の王が「天王」を名乗っています。「天子」である「王」という意味です。

●ヒメ 20:17 
「天王」と「天皇」との関係はどうなの?

●ヒナ 20:18 
4~5世紀に中国の五胡十六国時代の北燕などの8王朝18人が天王と称したあと、今度は倭王がこれを受け継ぎ、「天王」と称したという説があります。
推古朝から中世にかけて「〜〜天皇」ではなく「〜〜天王」と書く例がかなり多いので、推古朝あたりまでは天王だった可能性が高い、という説ですが、学界では定説にはなっていません。

●ヒメ 20:22 
倭王が「天王」と言ったとすると、それは周王の「天王」を受け継いだ可能性もあるわよね?北燕王の「天王」を受け継いだかどうかはわからないよね。
それと、スサノオが「天王さん」と呼ばれているのは、仏教が伝来して「牛頭天王」が伝わる以前からの可能性もあるわよね。

●カントク 20:26 
ヒメの推理力はさすがだな。
日向勤氏の『スサノオ・大国主の日国-霊の国の古代史』が、まさに同じことを展開しているよ。

(ネタモトは日向勤氏の『スサノオ・大国主の日国―霊の国の古代史』(梓書院)です)


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28 スサノオの海洋民族国家起源説

2009-03-31 21:57:39 | Weblog
水俣の打瀬船

●ホビット 22:26
カントクの「海洋民族による古代国家起源説」は大賛成ですね。エーゲ海文明や地中海文明を見ても、海を渡った交流と交易が文明を育んでいます。
エジプト、メソポタミア、インダス、黄河の4大文明は、豊かな農耕文化が基礎になっていますが、河川を通した交流・交易・支配体制も無視できないのではないでしょうか?

●ヒメ 22:31
確かに瀬戸内海は世界一美しい、穏やかな多島海よね。

●カントク 22:32
九州だって、朝鮮半島から九州西海岸に沿ってずっと小さな島が連なっておる。九州西海岸から瀬戸内海にかけては、世界一の多島海と言ってよい。
海から見ると、朝鮮半島から先は、全部、島じゃ。古事記の国土創世の神話もイザナギ・イザナミの「島生み」から始まっておる。

●マル 22:37
岡山県の日生(ひなせ)で仕事をしたことがあるけど、ここの漁民は帆船の打瀬船に乗って朝鮮半島の西まで漁に行っているのよね。日生の資料館の館長に聞いたけど、ちょっと先の方まで行って来る、という感覚だったそうよ。
さらにすごいのは、愛媛県八幡浜市の漁民よ。大正時代に打瀬船でアメリカに渡っているのよ。

●カントク 22:42
堀江謙一氏の『太平洋ひとりぼっち』の太平洋横断は素晴らしい快挙だけど、それを凌ぐ話だなあ。

●長老 22:44
僕の祖父は岡山の出身だけど、岡山藩は密かに中国と密貿易を行っていた、と聞いたことがある。その拠点が日生なんだ。
「島国根性」などと日本を否定的に言う人がいるけど、事実誤認も甚だしい。「島国」はもともと開放的だったんだ。

●ヒナ 22:48
私の大好きな沖縄も、台湾から沖縄、鹿児島へとずっと島が連なっていますよね。

●ホビット 22:49
樹皮で作ったカナディアンカヌーは、ネイティブ・アメリカンのものだと思われているけど、全く同じ形の樹皮カヌーがバイカル湖のほとりから、シベリア、オホーツク海にかけてあります。アイヌの人達も同じ様な樹皮カヌー・ヤラチプを作っています。
丸木船に舷側を付けて作る沖縄のサバニは、アイヌのイタオマチプと同じ構造だし、古代にも同じような構造の船が作られています。

●長老 22:55
朝鮮半島、台湾、サハリン・千島列島、の3つの海の道は縄文時代からあったと思う。

●カントク 22:59
海の民には、世界はどこまでも繋がっておる。「海は広いな大きいな」「海路は続くよ、どこまでも」~。
ボクちゃん、魏志倭人伝に何か書かれていないかな?

●ボク 23:02
 魏志倭人伝は、対馬国を「船に乗って南北に市糴(してき:買い入れる)する」交易国として伝えています。

●ヒメ 22:04
スサノオの「海洋民族国家起源説」は大収穫。
男どもは海や船の話をしだすと夢中になるのよね。しかし、お肌の曲がり角、三十路の私にとっては、シンデレラタイムよ。
話は尽きないけど、次回のミーティングにしない?皆さん、お休みなさい。

(ネタモトは日向勤氏の『スサノオ・大国主の日国―霊の国の古代史』(梓書院)です)


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27 スサノオはどこで死んだか?

2009-03-29 10:33:07 | Weblog
●ヒメ 21:42
ちょっと待ってよ。へぼ将棋みたいに「待って」が多いけど、カントク、熊野で考えておかなければならない事が残ってない?

●ホビット 21:42
エルドラドからの殴り込みです。ちゃんと、僕も読ませていただいています。
ここは「どこ派」の私の出番でしょう。ヒメの関心は、スサノオがどこで死んだか、ではありません?

●カントク 21:45
すまんすまん、ヒメがミステリー作家であることをうっかり忘れておった。ヒメが事件現場にこだわるのはもっともじゃ。

●ボク 20:34
前に述べたように、大国主神は兄弟神の迫害から逃れ、伯耆から木国に大屋毘古神を訪ねたあとに、さらに追われてスサノオのいる根の堅洲国に向かいます。この記載からすると、スサノオがいた場所は、和歌山市の伊太祁曽(いたきそ)神社より東になると思います。
一方、大国主はスサノオの娘の須勢理毘売(スセリヒメ)と黄泉比良坂から地上に出たとされていますから、木国から地下の黄泉国に入り、島根の黄泉比良坂(島根県東出雲町の揖屋)から地上に出たことになります。

●ヒナ 20:38
参考までに補足しますと、日本書紀の一書(第五)では、イザナミは「紀伊国の熊野の有馬村」に葬った、と書かれ、一方、古事記では、イザナミは「出雲国と伯伎国の堺の比婆山」に葬られ、黄泉の国にイザナミを訪ねたイザナギは、黄泉比良坂(出雲国の伊賦夜坂)から地上に逃れたと記しています。
紀伊国と出雲は、スサノオ神話だけでなく、イザナミ神話でも繋がっています。

●マル 20:45
全部がフィクションなのか、それとも、一部に真実が含まれているのか、謎よね。

●カントク 20:46
整理していこうではないか。まず、古事記にはスサノオから大国主までの7代の王と妻・妻の父の名前が書かれている事から見て、大国主が訪ねたスサノオと言うのは、スサノオの5・6代目の紀伊にいる後継王であろう。
代々、スサノオの名前を襲名する一族が熊野におり、大国主はそのスサノオ一族の助けをえて、スセリヒメとともに出雲に攻め上って兄弟神を破り、出雲を統一したのではなかろうか。

●ヒメ 20:52
カントクは推理小説作家に転身したらどうなの?鋭いじゃない。
そう考えると、「紀伊国の熊野の有馬村」に葬られたというのは、イザナギではなくてスサノオの可能性もあるわよね。
イザナミ伝承とスサノオ伝承がどこかで混線した可能性はある。

●マル 20:57
出雲国風土記にスサノオが死んだ場所や物語がでてこないのは、スサノオが出雲の国の外で死んだ、という可能性を示しているわよね。

●ヒメ 20:59
船に乗り、朝鮮半島と倭国を往来し、筑紫から出雲、播磨を始め、各地に交易を広げた海の民の王、英雄スサノオは熊野で死んだ、その姿が目に浮かんできたわよ。

●カントク 20:46
確かに、戦国時代のように、土地に命をかけて領土拡張を行った時代の歴史観で古代を見てはダメだな。古代ギリシアのように、海洋を縦横に行き来する通商部族による通商国家の形成、という史観が必要だと思うよ。

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26 神々のランクとスサノオ

2009-03-26 06:53:10 | Weblog
●ボク 21:16
古事記の神話時代には、「大御神」「大神」「神」「命(みこと、日本書紀では尊)」が登場します。
「大御神」はアマテラス、イザナギ、迦毛(大国主の子)の3神です。
「大神」はイザナギ、イザナミ、黄泉戸(黄泉国を塞ぐ岩)、スサノオ、猿田毘古の5神です。
「神」は天地創造の別天津神五神と神代七代の12神、イザナギ・イザナミの生んだ島や海や火などの自然神、イザナギの禊ぎによって生まれた神々、大年などスサノオの子、大国主、事代主など大国主の子、高木などの高天原の神々です。
「命」はスサノオ・大国主やオシホミミなどアマテラスの子などにも付けられています。

●ヒメ 21:27
大御神―大神―神―命のランク付けになっているのかと思っていたけど、イザナギが「大御神」「大神」であったり、大国主の子が「大御神」になったり、混乱しているわよね。

●マル 21:30
スサノオは「大御神」に次ぐ2番目の「大神」のランクだけど、「大御神」=「大神」とすると、最高ランクの神と言っていのかな?

●ヒメ 21:32
仏の世界では、お釈迦さまに次ぐ阿弥陀如来とされ、神の世界でもまた、最高位あるいは第2ランクの神とされているのよね。しかも、天皇家公認なんだ。

●カントク 21:35
面白いのは、アマテラスとスサノオの「誓い(うけい)」で生まれたとされるオシホミミから、ニニギ、ホホデミ、ウガヤフキアエズ、ワカミケヌ(後に初代・神武天皇)の天皇家5代の祖先は全部「命」となっておることじゃ。念のために言っておくと、ワカミケヌが後に初代・神武天皇とされておる。
一方、オシホミミの次に生まれたホヒは、大国主を国譲りさせてその後継者となるが、「命」とも「神」とも書かれておる。

●マル 21:43
神々と命の間には大きな断絶があるっていうこと?

●カントク 21:44
神々の時代と命の時代とでは、明らかに、違うね。そもそも、「命」というのは、「御子人(みこと)」なんだから、「人」であって「神」ではないよね。

●ヒメ 21:46
小説家は、歴史を人間ドラマとして見るから、興味があるのは、「誰が」「なぜ」なのよね。
同じ人間の目線で考えてしまうから、時代の違いなど全然気にならないけど、歴史学者は違うよね。長老?そろそろ、こっちの世界に帰って来たら?

●カントク 21:49
確かにね。ヒメと僕の世界では、ここにスサノオや大国主が加わって一緒に議論していても、全然、問題ないからね。時空を超越した永遠の人間ドラマを求めるからね。
時間軸は、確かに、歴史系の長老やボク、ヒナちゃんが考えて欲しいよね。

●長老 21:52
皆さんのやりとりを見ながら、実は、ずっと、スサノオが実在していたとしたら、その時代はいつなのか、考えてきたんですよ。
ボビットさんが「どこ派」、ヒメとカントクが「誰なぜ派」だとすると、僕は歴史学者の端くれである以上、「いつ派」になるのかな?
しかし、この議論は、「スサノオがいたか、いなかったか」の最後でやりたいね。

●ヒメ 21:56
それって、後出しジャンケンじゃない?学者って、じれったいわよね。

●カントク 21:57
まあまあ。ようやく、長老の登場かとおもったのに、お預けですか?おいしい話は後の楽しみにとっておこうではないか。
スサノオの待つ、名古屋へ行こう?ここでは、スサノオと織田信長の天下統一を結びつける驚愕の真実を明らかにしようぞ。

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25 阿弥陀如来になったスサノオ

2009-03-20 18:29:16 | Weblog
熊野那智大社(ウィキペディアより)

●カントク 20:49
ハハ~ン。ヒメの推理小説作家としての謎解き本能が疼いてきたようじゃな。いいではないか。付き合おうぞ。

●マル 20:52
カントクはいつもヒメには甘いよね。しかし、スサノオって、牛頭天王と呼ばれたり、阿弥陀如来になったり、いったいどういうことなのかしら?

●ボク 20:53
ちょっと、その前に、ヒナちゃんのデータを補足しておきます。
熊野本宮大社と熊野速玉大社では、第1殿 に熊野牟須美大神(伊邪那美大神)、第2殿 に速玉之男神(伊邪那岐大神)、第3殿に家津美御子大神(スサノオ)、第4殿に天照皇大神など、第12殿まで12神を祀っています。
一方、熊野那智大社は、第1殿には大国主を祀り、第2殿に家津御子大神、第3殿に御子速玉大神、第4殿に熊野夫須美大神、第5殿に天照大神を祀り、第13殿まで13の神を祀っています。

●マル 20:58
それって、要するに、七福神と同じで、客集めのために有名神なら誰でも祀る、っていうことなの?怪しいわね。

●ヒナ 21:00
高木さん、補足ありがとう。これらの神・仏を一覧表に整理したものがありますから、紹介します。
<熊野本宮大社・熊野速玉大社>
1 熊野牟須美大神=伊邪那美大神=千手観音
2 速玉之男神  =伊邪那岐大神=薬師如来
3 家津美御子大神=スサノオ大神=阿弥陀如来
4 天照皇大神         =千手観音
<熊野那智大社>
1         大国主神  =千手観音
2 家津御子大神 =スサノオ大神=阿弥陀如来
3 御子速玉大神 =伊邪那岐大神=薬師如来
4 熊野夫須美大神=伊邪那美大神=千手観音
5 天照大神          =十一面観音

仏のランクでは、第一のランクが如来であり、西方極楽浄土を主催する阿弥陀如来、東方浄瑠璃界の教主の薬師如来などは、このランクとなります。
次のランクは菩薩(如来をめざす修行者)で、千手観音や十一面観音などはこのクラス音なります。

●カントク 21:08
ヒナちゃんのデータベースもすごいね。
仏のランクから言うと、スサノオ、伊邪那岐大神が1ランク上で、伊邪那美大神、大国主神、天照大神はその下にきている、というのは面白いね。
しかも、天照大御神を最高神とした天皇家の、熊野御幸を行った多くの上皇は、このランク付けを認めているんだよね。

●マル 21:12
神社の祭神のランクでは、「イザナギ、イザナミ、スサノオ、アマテラス」あるいは「大国主、スサノオ、イザナギ、イザナミ、アマテラス」であったけど、仏のランクでは「スサノオ、イザナギ、イザナミorアマテラスor大国主神」となるのか。

●ヒメ 21:15
アマテラスがスサノオの姉で、高天原からスサノオを追放した、という記紀のストーリーは怪しくなってきたわね。

●マル 21:16
牛頭天王のランクはどのあたりなの?

●ヒナ 21:17
如来、菩薩(観音)、明王に続く、天部のランクに牛頭天王は位置づけられています。バラモン教の神々が仏教に取り入れられ、如来や菩薩の守護神となったとされています。

●ヒメ 21:19
スサノオが、最高ランクの「阿弥陀如来」とされて多くの上皇達に祀られた一方で、それを守護する「牛頭天王」ともされているというのは、ゾクゾクしてくるわよね。
天王ブランドの「スサノオ=阿弥陀如来」対民衆ブランドの「スサノオ=牛頭天王」、ということになるかな。面白いじゃない。

●カントク 21:21
さすがに、ヒメの勘は鋭いなあ。推理小説家としての推理力は一流だなあ。

●ボク 21:22
ヒメさまから前に紹介された姫路のスサノオを祀る広峯神社は、全国の牛頭天王社の総本宮とされていすが、唐から帰った吉備真備が聖武天皇の許しをえて、スサノオを祀る神籬(ひもろぎ=霊漏ろ木)のあったこの地に神社を創建したとされています。
また、名古屋のスサノオを祀る津島神社(津島牛頭天王社)は、嵯峨天皇より日本総社の称号を贈られています。

●カントク 21:26
ボクの記憶力はいいなあ。しかし、データを出すだけでなく、自分でもっと意見を言った方がいいと思うよ。
「スサノオ=牛頭天王というのは、天皇家も公認している」ということを、先輩に言わせよう、と気を使うんじゃないよ。若いのに。

●マル 21:19
スサノオは嵯峨天皇の頃には「牛頭天王」であったのが、白河上皇の頃には「阿弥陀如来」に大出世したのかあ。
お釈迦様に次ぐようなランクの仏にスサノオがなったということは、天皇家は、スサノオを日本で最高位の神として認めたということになるわよね。

●ヒメ 21:15
ボクちゃん、日本の神々のランクはどうなっているんだっけ。

(ネタモトは『スサノオ・大国主の日国―霊の国の古代史』(梓書院)です)

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24 熊野に祀られたスサノオ

2009-03-19 09:24:23 | Weblog
熊野本宮大社


●ヒメ 20:25
古事記の話を裏付けるスサノオの痕跡はあるの?

●ボク 20:27
田辺市本宮町にある熊野本宮大社の主祭神の家都美御子大神(ケツミコ)は素戔嗚大神とされています。
この家都美御子大神と新宮の熊野速玉大社の熊野速玉男(くまのはやたまお)大神、熊野那智大社の熊野夫須美(くまのふすみ)大神は、併せて熊野大神と呼ばれています。
そして、熊野速玉男神は伊邪那岐大神、熊野夫須美神は伊邪那美大神とされています。

●ヒメ 20:29
ちょっと、待ってよ。熊野に家都美御子大神 熊野速玉男神、熊野夫須美神が祀られているというのはわかるけど、家都美御子大神が素戔嗚大神 熊野速玉男神が伊邪那岐大神、熊野夫須美神が伊邪那美大神という証拠はあるの?

●ヒナ 20:34
スサノオが熊野大神と呼ばれていることからみて、関係があるともいえますが、スサノオの別名が家都美御子大神である、という記録は神社伝承しかありません。また、記紀や出雲国風土記は、スサノオがどこに葬られたか、記載していません。
日本書紀の一書(第五)では、イザナミは「紀伊国の熊野の有馬村」に葬った、という記述がありますが、一方、古事記では、イザナミは「出雲国と伯伎国の堺の比婆山」に葬られ、黄泉の国にイザナミを訪ねたイザナギは、黄泉比良坂(出雲国の伊賦夜坂)から地上に逃れたとも記しており、出雲で死んだことになっています。

●マル 20:41
出雲のスサノオを祀る熊野大社と本宮の熊野本宮大社との関係はどうなるの?いったい、どちらが本家なのかしら?

●ヒナ 20:34
出雲の熊野大社から、和歌山の熊野に勧請された、という説がありますが、全国の熊野神社はそれぞれ別系統のようです。

●カントク 20:34
世界遺産に登録されてから、熊野古道が急に注目されてきたのう。知っておるかな、院政期には白河上皇・鳥羽上皇など、9人の上皇・法皇が熊野御幸(くまのごこう)を行っているんじゃ。
中でも、後白河上皇は34回も熊野詣をおこなっておる。歴代の天皇が伊勢神宮に参拝していないのとは、大きな違いをみせておる。これは大きな謎じゃ。

●ヒナ 20:37
浄土信仰が広がるにつれて、熊野本宮大社の家都美御子大神(スサノオ)は阿弥陀如来、熊野速玉大社の熊野速玉男大神(イザナギ)は薬師如来、熊野那智大社の熊野夫須美大神(イザナミ)は千手観音とされ、天皇家の信仰の対象になった、というのが通説ではないでしょうか?
天照大御神を祀る伊勢神宮に天皇家が明治時代まで参拝していないことから見て、熊野詣ではスサノオ・イザナギ・イザナミを祀るというよりも、阿弥陀信仰が目的であったと思います。

●マル 20:42
何故か、今日も長老が静かよね。ヒメ、横に長老がいるんでしょ?

●ヒメ 20:43
おかしいのよね。黙ってチビチビやっているだけなんだから。何か、考えているんでしょうけど。今、横で「もう少し考えさせてよ」と言っています。そっとしときましょう。

●カントク 20:45
スサノオと熊野、何か深い関係がありそうじゃが、先に進もうではないか。ホビットさんの故郷の名古屋へ行こう。

●ヒメ 20:47
ちょっと待って。約束では、今は議論しないことになっているけど、ここは謎があって面白そうじゃない。もう少し、深追いしてみたいんだけど。


(ネタモトは『スサノオ・大国主の日国―霊の国の古代史』(梓書院)です)

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23 「木山(基山)」から「木国」へのイタケルの木の道

2009-03-10 22:39:57 | Weblog
伊太祁曽(いたきそ)神社(ウィキペディアより)

●ヒメ 19:52
大和の近くで他にはスサノオの痕跡はないの?

●ボク 19:53
古事記によれば、伯耆の国、今の鳥取県で兄弟の迫害を受けた大国主は、木国、今の和歌山県の大屋毘古(おおやびこ)神を訪ねたことになっています。
この大屋毘古神というのは、ヒメの故郷・姫路にも祀られている、スサノオの子の五十猛(いたける)命の別名とされています。

●ヒメ 19:55
それを裏付けるものはあるの?

●ボク 19:56
神社創建の時代の議論は後に行うとしますが、和歌山市に五十猛命(大屋毘古神)を主祭神とし、妹の大屋都比賣(おおやつひめ)命と都麻津比賣(つまつひめ)命と併せて祀る伊太祁曽(いたきそ)神社があります。紀伊国一の宮です。

●ヒメ 19:59
面白いじゃない。五十猛命は、筑紫の基山(木山)から私の故郷の姫路をへて、和歌山の「木国」に移動したのね。

●ヒナ 20:01
日本書紀の一書では、スサノオとその子の五十猛神は、新羅の国へたくさんの木の種をもって降ったものの、この地では播かずに、日本に持ち帰って日本の国中に播き、国を全部青山にしてしまったとされています。

●カントク 20:04
わが故郷の筑紫の基山がでたとなると、私の出番かな?
このスサノオ、イタケルの行動は、魏志倭人伝に書かれた、ある部分と符合しておるのじゃ。わかるかな、ボクちゃん。

●ボク 20:07 
カントク、「新説 日本ミステリー」になってきていません? 話が、飛躍しすぎているように思いますけど。

●カントク 20:09
相変わらず、頭が固いのう。
魏志倭人伝は、対馬国を「良田がなく、海物を食べて自活し、船に乗って南北に市糴(してき)(買い入れること)する」交易国として伝えているのを知っておろう。
「津島」をルーツに持つ交易部族の末裔のスサノオは、製鉄のために禿げ山になった韓地に木の種を売り、鉄を買うつもりであったのじゃ。しかし、木の種が売れなかったため、持ち帰って日本の各地、「木山(基山)」や「木国」に植えた、という。
このような失敗談は、古代においては有名な話として伝わっていたとは考えられないかの?
信じる、信じないは、皆のものに任せようぞ。

●ヒメ 20:15
カントク、信じますよ。
理由は、そのスサノオの失敗談が面白いからです。往々にして、歴史は、政治的に大事な事よりも、面白いことや悲しいことが長くエピソードとして語り伝えられるものではないでしょうか?
商売人としては失敗した、元祖エコロジスト・スサノオ、ますます好きになっちゃった。

●マル 20:18
五十猛命が紀の国に行ったのはわかるとしても、スサノオも五十猛命と紀の国まで行ったのかしら?スサノオは妻の神大市姫や子の大歳神、宇迦之御魂神と奈良盆地に拠点を構えていたのではないかしら?

●ボク 20:21
古事記によれば、大国主は伯耆から「木の国」の五十猛命のところへ行き、さらにスサノオの「根の国」へ行ったとされています。五十猛命が和歌山市に祀られていることから見ると、スサノオの「根の国」は和歌山市よりさらに先にある、とも考えられます。
また、「根の国」は出雲、今の島根県を指しているのでは、という説もあります。


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22 広瀬大社から伏見稲荷大社、日吉大社の宇迦之御魂ルート

2009-03-04 01:16:00 | Weblog
●ボク 19:11
広瀬大社の背後の馬見山丘陵には、全長は約197m大塚山古墳をはじめ、8基の大塚山古墳群があります。この馬見山丘陵には、北部、中央部、南部の3つの古墳群があり、北部がこの大塚山古墳群になります。これらは、葛城氏の墓とする説と、大王家ゆかりの墓とする説があります。

●カントク 19:15
ボクの携帯電話はすごいなあ。たちどころにデータが出てくるんだから。

●ボク 19:16
携帯電話のように見えますが、正確にいうと、スマートフォンと呼ばれています。僕のはウィルコムの通称「アドエス」と呼ばれている機種で、パソコンのデータを丸ごと移すこともできますし、USBにデータを入れておいて、アドエスに付けて利用できます。
どなたか、僕のことを「歩くデータベース」とおっしゃいましたが、手の内を明かすと、アドエスを持ち歩いているだけなんです。ヒメさまも、是非、試してみて下さい。

●ヒメ 19:21
そういうの苦手なんだけど、それだと、旅先でも使えるわよね。ブラジルに持っていこうかしら。

●ボク 19:22
重たいパソコンを持っていくことはないですよ。これだと、パソコンのキーボードと同じように原稿を入力して、メールに添付して原稿を送れますよ。

●ヒメ 19:23
 ちょっと、コロンビア行きの話は編集者には絶対に秘密よ。完全に私は失踪するですからね。
 それより、不思議よね。広瀬大社に宇迦之御魂神が祀られている以上、背後の馬見山丘陵の古墳群には、宇迦之御魂神の一族が祀られているんじゃないのかしら。
歴史学者や考古学者達は、なぜ、それを葛城氏や天皇家ゆかりの墓とするのかしら。

●カントク 19:30
そこなんじゃ。素人にはどうしても理解できないタブーがあちらの世界にはあるようなんじゃ。
戦後、戦前の皇国史観への反省から、記紀を疑ってかかるようになり、9代までの天皇は架空である、記紀が創作した歴史である、という仮説が大いに流行ったんじゃ。
ボクやひなちゃんは、どっぷりとその世界に漬かっていると思うけど、その延長上で、記紀の神代、ようするに天皇家以前の記紀に書かれた神話は、全部、後世の創作、というようになっているのよ。

●マル 19:36
カントク、「議論はしないで、データを集めよう」とおっしゃったのはどなたでしたっけ?馬見山丘陵の古墳群を造ったのは、葛城氏、天皇家、宇迦之御魂神一族、の3つの仮説がある、ということにしておきましょうよ。

●ボク19:38
宇迦之御魂神は、伏見稲荷大社にも主祭神として祀られています。この伏見稲荷大社は、稲荷神を祀る全国約4万社の稲荷神社の総本宮とされています。
渡来系氏族の秦氏が和銅年間(708~715年)に神社を創建したとされていますが、宇迦之御魂神信仰はそれ以前からあった可能性があります。

●ヒナ 19:42
佐保川を遡って奈良まで行き、奈良阪を越え、木津川を下ると伏見に出ます。

●ボク19:43
宇迦之御魂神の子の大山咋神は、古事記には「近海淡海国の日枝山に坐す」と書かれており、大津にある日吉大社(ひよしたいしゃ)の東本宮は大山咋神を祀っています。後に、天智天皇の大津京遷都の際に、大神神社から大国主神を招き、西本宮の祭神としています。

●カントク 19:46
広瀬大社から伏見稲荷大社、さらに日吉大社と、宇迦之御魂ルートがあるような気がしてきたのう。

●マル 19:48
奈良盆地の西の入り口の二上山の麓の大坂山口神社と、東の三輪山の大神神社、これを結ぶ大歳神ルートも重要よね。
なにしろ、大坂山の石を、人々が並んで手渡しで運び、三輪山の麓の箸墓が造られたんだからね。

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21 広瀬大社のスサノオ一族

2009-02-27 17:02:30 | Weblog
大坂山口神社の案内板

●ヒメ 18:32
皆さん、いかがされてますか。私はまだ奈良にいます。
今日は、朝早くからレンタカーで長老と飛鳥に行き、天武天皇陵などを案内してもらい、午後は一人で吉野に行って来ました。『壬申の乱殺人事件』の事件現場はほぼ固まりましたよ。
しかし、皆さんのご期待に反して、ほんものの事件とは出会いませんでしたよ。

●カントク 18:42
やっぱりね。まだ奈良にいるのなら、マンネリヒメのために、緊急のミーティングをやりましょうか?
スサノオをテーマに、次作のイメージが湧いてきたんじゃない?

●ヒメ 18:45
確かに。『壬申の乱殺人事件』で主人公の甘木夏彦さんには死んでもらって、新しい主人公とシリーズを始めたくなっちゃった。

●カントク 18:47
さてはヒメ、恋人と別れたな。だいたい、ヒメが主人公を変える時というのは、恋人を変える時なんじゃ。お見通しだぞ。

●ヒナ 18:49
ヒメ様、待って下さいよ。私、甘木夏彦の大ファンなんですから、殺すなんてしないで下さい。読者は怒りますよ。
甘木夏彦は恋人にふられて日本を離れ、コロンビアの黄金郷に行っちゃう、ってことにはなりません?

●ヒメ 18:51
それはいいアイデアよね。『壬申の乱殺人事件』が終わったら、私は休業宣言をしてホビットさんのエルドラドに飛ぶつもりだったんだけど、甘木夏彦がコロンビアのジャングルに消えたことにすればいいのよね。

●カントク 18:53
ヒメはすぐに登場人物を殺してしまう専制君主だからなあ。
今回の『壬申の乱殺人事件』では、持統天皇に殺された天武天皇の皇子の大津皇子や、高市皇子の子の長屋王が登場するのかな?

●ヒメ 18:57
カントクって、「勘得」と呼ぼうかしら。相変わらず、さえているわよね。

●カントク 18:58
ところで、ヒメ、明日の予定はどうなっているの?

●ヒメ 18:59
ボクちゃん、貴方の提案を受けて、1日延期して大坂山口神社を見てこようと思うんだけど、他にどこを見たらいい?今は仕事中かな?

●ボク 18:60
当然ですよ。後ろには、怖い課長がいますよ。公僕と言えども、今どき、9時―5時ではありませんからね。仕事、仕事。
奈良市内からだと、大神神社を見て大坂山口神社へ回り、引き返して広瀬大社、伏見稲荷神社、日吉大社などを見てはどうでしょうか?

●ヒメ 18:63
もうすぐ長老も研究会が終わって夕食の約束をしていますから、緊急のミーティング、やりましょう。
●マル 18:64
秋の奈良か、いいなあ。私は今、佐賀から山口県長門市の湯本温泉にきています。これから、観光協会の人達と食事をして、そのあとで参加しますよ。
ヒメも、オタクっぽくパソコンに向かって古代史なんかやってなくて、飛火野あたりを散策して楽しんだらどうなのよ。いいわよ。

●ヒメ 18:66
采女と皇子達の恋をしのびながら、夜にでも長老と散歩してみましょうかしら。
ところで、ボクちゃん、広瀬大社って、スサノオにどう関係するの?

●ボク 18:68
広瀬大社の祭神は宇迦之御魂神(うかのみたまのかみ:倉稲魂尊、おいなりさん)で、古事記ではスサノオと神大市姫との間に生まれ、大年神の弟とされています。
ただし、これらの神社はそんなに古いものではなく、仏教寺院の影響で創建されもので、仮にスサノオや宇迦之御魂神が実在したとしても、そんな古い時代のものではない、と考えていますが。

●カントク 19:03
若いのに、一言、多いなあ。正統派のボクちゃんの立場は分かっているからさあ、「ホント?」は封印して、データを集めようよ。
広瀬大社の名前は知っていたけど、どこにあるの?

●ヒナ 19:05
大阪山口神社から北東に6kmほどのところの、大和川の所にあります。法隆寺からすぐ南の、大和川の対岸です。
この地は、大和川、飛鳥川、蘇我川、佐保川などの合流点なので、奈良盆地の要となる場所だったと思われます。

●カントク 19:08
ヒナちゃん鋭いね。
大和川をさらに遡った三輪山のふもとの大神神社には兄の大歳神(大物主神)が祀られているのだから、弟がその入り口のところを守っていたことになるな。


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神話探偵団20 大坂のスサノオ

2009-02-20 10:31:39 | Weblog
大坂山口神社


●カントク 22:25
どうも、お主、日本書紀を信用しすぎではないかな?
大物主を祀る桜井市の「大神(おおみわ)神社」の祭神は、大物主大神で、配祀されているのが大国主と少彦名の神じゃ。大物主大神=大国主はありえないぞ。

●ヒナ 22:29
古事記は、協力して国造りをしていた少彦名が亡くなり、大国主が思い悩んでいた時に、海を照らして大物主が来て、私を三輪山に祀れば国造りに協力しよう、と申し出たとしているから、別の神と思います。
記紀は、大国主がスサノオの娘婿であるかのような書き方をしていますが、一方では、古事記はスサノオから大国主までの7代の代々の王の名前を載せています。また、日本書紀も「一書」は、「五世の孫」とも「六世の孫」としています。
スサノオの子の大歳=大物主の子孫は、代々、大物主を名乗り、三輪山の麓に拠点を構えており、その5代目が「大物主大神=大歳神」を大国主が祀ることを条件に、大国主の国造りに協力を申し出たのではないでしょうか。

●カントク 22:35
ヒナちゃんの推理、さすがじゃな。
同じように、スサノオの他の御子も代々、スサノオを名乗っていた可能性はないかな?大国主は根の堅洲国を訪ね、スサノオの娘のスセリ姫を娶ったことになっているが、初代スサノオ大神の5~6代後の王・スサノオの娘を娶り、後継者となったのじゃ。
夜も更けた。先に進もうぞ。

●ボク 22:39
大阪から、二上山の北側の丘陵を越える伊勢街道を通り、奈良盆地に入った大坂の地には、大阪山口神社があります。
伊勢街道を挟んで、南北に2つの山口神社があり、本家争いを行っていますが、北の山口神社の祭神は大山祇命、須佐之男命、神大市姫命(又は倉稻魂命)、南の山口神社は大山祇命、須佐之男命、天兒屋根命となっています。

●マル 22:39
歩くデータベース、さすがよね。
スサノオは大山祇命の娘の神大市姫命を娶り、大歳と倉稻魂命(宇迦之御魂神、稲荷神)を産んでいるから、大三島から金比羅、大坂と繋がってきたわね。
さらに、奈良盆地を横切ってちょうど真東に三輪山があり、大物主が祀られているのだから、大物主=大歳の可能性は高いんじゃない?

●ヒメ 22:43
今回、壬申の乱で書くつもりなんだけど、こっちの方が面白くなってきたわね。その山口神社に行ってみたくなったなあ。どの辺なの?

●ボク 22:45
奈良盆地で、二上山の北側あたりの丘陵、三輪山から真西を目指せば、カーナビなしでも行けますよ。ただ、神社は車では行きにくい古くからの住宅地の中にありますから、カーナビでも辿り着くのに苦労しますけど。

●カントク 22:48
この大坂から、箸墓まで、人々が一列に並んで手渡しで石を運んだ、という光景が目に浮かぶと思うよ。
それと、大坂を越えると推古天皇陵や聖徳太子の墓がある「近つ飛鳥」の地で、その北には応神天皇陵を始めとする古市古墳群があるよ。足を伸ばしみたら。

●ヒメ 22:52
ありがとう。長老、明日は車の運転、よろしくね。

●マル 22:53
沈思黙考している長老の話を聞きたいわよね。明日、ヒメと車の中でそっと話そう、なんて考えていないわよね。

●長老 22:54
酔っぱらいながら、面白いことを思いついたんだけど、調べて、次のミーティングには答えを出します。もう少し、考えさせて下さい。

●カントク 22:55
そろそろ、お開きにしようか。
くどいようだけど、ヒメと長老、またまた死体の第一発見者、なんてことにくれぐれも巻き込まれないようにしてね。ヒメの小説の中だけで十分なんだから。知らん顔して、無視、無視。

●マル 22:58
「猫に鰹節、ヒメに事件、長老に謎解き」よ。「カントクに火事」と同じじゃない。無理無理。

●ヒメ 22:59
皆さん、挨拶は抜きにしましょう。解散~。


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神話探偵団19 福山・大三島・金刀比羅のスサノオ

2009-02-14 16:16:06 | Weblog
福山市の素盞嗚神社


●マル 21:57 
前に、福山市の素盞嗚神社の茅の輪くぐりのことを言ったけど、吉備真備はこの素盞嗚神社から広峯神社にスサノオの神霊を移したとされているわよ。本家本元は、こちらじゃあないかしら。

●カントク 21:59
なるほど。京都の八坂神社の本家が姫路の広峯神社で、さらにその本家は福山の素盞嗚神社というわけか。

●マル 22:01
これも、前に言ったけど、スサノオが福山を通ったのは南海の王女を訪ねた帰り道、というので、この南海の王女というのは、古事記に出てくる愛媛県の大三島の大山祇神の娘の神大市比売だと思うのよ。
そして、スサノオと神大市比売の子が大歳で、古事記によれば、大和の三輪山に大物主として祀られており、ずっと繋がってくるのよね。

●ボク 22:06
「ずっと繋がって」というのは、ちょっと、話が飛躍していません?

●マル 22:07
もう歳だよね。前に何を言ったか、忘れてしまうのよ。繋がらないのは当然よね。

●カントク 22:08
貴女が「大歳」なのはわかっているからさ。先に進んでよ。

●マル 22:07
兵庫県に大歳神社が多いのは、スサノオと神大市比売、大歳がこの地域に足跡を残していたからじゃないかしら。
それと、香川県の「こんぴらさん」、金刀比羅宮も気になるのよね。祭神は大物主神だから、大物主=大歳だとすると、ここにも大歳の国があった可能性がでてくるよね。

●ボク 22:11
金刀比羅宮では、大物主=大国主として祀っていません?

●カントク 22:12
古事記の「大物主=大歳」をとるか、日本書紀の「大物主=大国主」をとるか。お主、どう考えるかのう。

●マル 22:14
金刀比羅宮では「大物主神は、この琴平山に行宮を営み、表日本経営の本拠地と定めて、中国、四国、九州を統治した」と言っているけど、もともとここは大歳の子孫の国であったのじゃあないかしら。
古事記では、少彦名命が亡くなったあと、大国主と大物主が力を合わせて国造りを行ったというのだから、大国主は同盟国のこの地を拠点とした、ということは十分に考えられるわよ。

●カントク 22:19
まるちゃんの推理、鋭いね。日向説と同じ結論なんだよね。
金刀比羅宮では大物主=大国主としているけど、大物主=大歳であった伝承に、大国主の伝承が重ねられ、大物主=大国主となってしまった可能性は十分にあるよね。

●ボク 22:23
神社がいつ頃できたか、という論争は後にとっておきますが、同時代の大物主と大国主の伝承が取り違えられる、といようなことはありえないんじゃありません?


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18 神社に祀られたスサノオ

2009-02-06 23:48:51 | Weblog
広峯神社の「御柱」を立てる場所





●ヒメ 080910 21:15
「犯人探し」のゲームは止めましょうよ。推理小説で犯人を作って、追いかけている私としては、オフにそういうのは疲れるのよね。しかし、今日、そばの長老が飲んでいるだけで静かなのは不気味なのよね。なんか怪しい。

●マル 21:18
別世界に入ってしまった長老はそっとしておきましょう。スサノオの剣を追って、吉備から大和にきたんだけど、他にスサノオの痕跡はないの?

●ボク 21:20
スサノオを祀る神社は、「日本火出初神社」とも呼ばれる出雲の熊野大社が一番古いのではないでしょうか。毎年10月15日に出雲大社で行われる新嘗(にいなめ)祭のための鑽火(きりび)祭では、熊野大社から出雲大社に燧(ひきり)の臼(うす)と杵(きね)を貸出し、火鑽(ひきり)神事が行われています。
スサノオは出雲の須我神社(雲南市)や、須佐神社(出雲市)、八重垣神社(松江市)などでも祀られています。さらに、全国各地の熊野神社、八坂神社、弥栄神社、盞嗚神社、天王社、津島神社、祇園神社、氷川神社などにも祀られています。
ただし、これらの神社の起源は、記録の上ではそんなに古くないと思いますよ。スサノオや大国主の時代よりはずっと後です。

●マル 21:35
私は須我神社が一番古いと思う。スサノオがヤマタノオロチを退治し、櫛名田比売と宮殿を建てたので「日本初宮」と言われていのよ。有名な「八雲たつ」歌を詠んだところなので、「和歌発祥の地」ともされているわよ。

●カントク 21:38
ちょっと、ちょっと、ちょっと。タッチ。はやる気持ちはわかるけど、バトルはデータを全部そろえてからにしようね。

●ヒメ 21:39
郷土自慢をしておきましょう。私の故郷の兵庫県姫路市の広峯神社を知ってます? スサノオを祀り、全国にある牛頭天王社の総本宮とされているのよ。京都で疫病が流行った時に、ここから有名な京都祇園の八坂神社が分社されているわよ。
創建は吉備真備なので新しいけど、『播磨鑑』によれば、崇神天皇の時に「神籬(ひもろぎ)」が建てられた、と伝わっているから、結構古いんじゃない。

●マル 21:44
「神籬(ひもろぎ)」があった、というのは、何か、証拠があるの?

●ヒメ 21:45
神社の正面の地面に穴が開けられており、柱を立てられるようになっていて、毎年11月15日には柱が立てられて「御柱祭」行われているのは、古い信仰を示しているのじゃあないかしら。この柱に祖先霊が降臨するとされているのよ。

●カントク 21:48
面白いねえ。日向氏は「神籬」は「霊(ひ)」が「洩(も)る木」と言っているよ。天上の天王の霊(ひ)が、降りてくる木が「霊洩ろ木」という説をとなえている。
マルちゃんの話だと、神社はスサノオの宮殿ということになり、ヒメの話だと、「神籬」があった場所に、ずっと後世に建てられた、ということになるよね。


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17 日向氏って誰?

2009-01-22 22:08:39 | Weblog
●ヒメ 21:13
ところで、カントク、そのH氏とか、日向氏っていうの、いったいどんな人物なの?小説に使えそうな話が聞けそうね。会いたくなったわ。紹介してよ。

●カントク 21:15
『スサノオと大国主の日国-霊の国の古代史』という本を出したところなんだけど、僕は彼の住所も電話も知らないんだ。

●マル 21:17
職業や出身地、出身校なども分からないの?

●カントク 21:18
何も聞いていないんだ。実を言うと、名前が本名かどうかも怪しい。研究会で一度会っただけで、年の頃が50~60歳ってとこかな。それしか、分からない。

●ヒメ 21:20
なんか臭いなあ。知り合いの古代史関係の編集者にいろいろ聞いてみたけど、誰も知らないのよ。出版社も囲い込んでいて教えないらしい。しかし、何故か、カントクだけが知っているのよね。

●マル 21:23
ひょっとして、それって、カントクの自作自演じゃあないの?自説をあたかも人から聞いてきたように話すクセがあるからさあ、カントクは。学生時代から「自作自演男、マッチポンプのガンちゃん」と言われてた、って聞いたわよ。水くさいじゃじゃない。白状しなさいよ。

●カントク 21:28
まいったなあ。誰だよ、そんなことをバラしたのは。しかし、日向氏とは研究会のあと、新宿の「卑弥呼」で飲んでいるからさあ、ママに電話して聞いてみてよ。みんなもママの記憶力抜群は知っているよね。

●マル 21:32
「研究会で会っただけ」から「飲んだだけ」に変わったじゃあない。この供述の変遷はあやしいよねえ。

●ヒメ 21:34
何か、夫の浮気を追及しているようね、マルちゃん。
実は、もっと怪しい人がいるのよね。推理小説の鉄則では、登場人物の中で、目立たないようにしているのがだいたい怪しい。
今日、やけにおとなしい長老、あなたが犯人じゃない?

●長老 21:39
いつものヒメの名推理が始まっちゃったよ。ヒメの迷推理が捜査陣やマスコミをさんざん攪乱したのを、誰がカバーしたのでしたっけ。忘れないでね。卑弥呼ママに確かめてからにしてくれる。

●マル 21:42
長老、それは証明にはならないわよ。カントクと卑弥呼ママってそもそも怪しいじゃない。共犯者の可能性があるわよ。

●ひな 21:45
皆さん、酒が入りすぎてはいません?日向氏が誰なのか、ちょっと、置いておきましょうよ。日向氏って、ひょっとしたら、私かもしれませんよ。犯人は男、と思わせておいて、実は女だった、ってミステリーもよくありますからね。
最初に告発したヒメさまも怪しいんじゃありません。真犯人は、まず自分を安全圏に置く、という話がヒメの小説にもありますよね。

●ボク 21:50
せっかくだけど、ひなちゃん、若いなあ。この人たちは、いつも探偵ゴッコをやって遊んでいるんだから。
某旅館でヒメの下着が盗まれた、って大騒ぎになって、「犯人はお前じゃ」と皆から責められて、ボクなんか肝を冷やした事があるんですから。

●ひな 22:01
そうですよね。ヒメさまや監督は、嘘をほんとらしく語ったり映画にしてしまう騙しのプロですものね。

●カントク 22:03
甘いなあ、ひなちゃん。「歴史学者、見てきたような嘘を言い」という諺もあるからね。長老なんてすこぶるあやしい。マルちゃんだって、偉そうに将来予測をたてて計画などつくっているけど、しょっちゅう予測は外れているんだから、「絵に描いたもち」の計画だらけ。「コンサルは、お見通しだよと嘘を言い」ってね。

●ボク 22:09
「ボ、ボ、ボクらは怪しい探偵団」、という事にしておきましょう。犯人は最後までわからないと推理小説にはなりませんよね、ヒメさま。

●カントク 22:11
日向氏のメールアドレスは聞いているので、皆さんにメールしておきますから、直接、問い合わせてみてよ。

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