すずめのどんぐり

オットひとり ムスメ(はぼ)が小6、 ムスコ(ぐり)が小1。絵日記でしたが、さぼり中。

なかなか言葉がでない3歳

2015年01月18日 | ぐり3歳~4歳
コーヒーも好きなんですが、 ごくごく飲めないんですよね。 なんで、 寒い朝はもっぱらミルクティーです。 ルフナという茶葉を買ってみました。 濃くてうま~

あたたかいお布団で眠って あたたかい飲み物を朝から飲むことができるって、 それだけでとてもしあわせなことなんですね。 昨日やっていた テレビの震災20年の特集を見て つくづく感じました。 こんなちっぽけな人生でも だれかの夢なんですね。



さて、 ムスコ、 3歳になってはじめてでた 「ママ」。 すっかり定着し おつぎはなんと 「とうっち」。 おとうさんのことのようです。 ムスメが 「とーたん」 と呼んでるのに、 なんでうちの子たちは 教えられたとおりに だれも言葉をおぼえないんだ・・・ (ムスメには 「パパ」 と教え、 ムスコには 「とーたん」 で統一させようとしたのに・・・・)


ムスメは いまのムスコくらいの歳には まったくオットになついておらず、 オットはムスメとふたりだけになることを すごくこわがっていました。

ところが、 ムスコのほうは 一転 ものすごくなついています。

オットが 「ぐり~」 と呼ぶと ムスコが 「とうっち」 と返すので、 オットが 「ぐりっち」 と返し、 ムスコが 「とうっち」 と


 ヤ、ヤツら ラブラブですぜ~

バカップルみたいな父子になってます。 おもしろくないわ


マサラチャイの茶葉も買ってみました。 この香りがいいよね~


と、 3歳4か月、 まだかような言語能力のムスコなのですが、 とはいえ コトバ以外は 気になるところはほとんどないんですよね。

運動能力も高いし、 言いつけもよく聞くし、 まわりをよく見ていて あわせられるし。


なので、 「コトバが遅いだけで ほかは問題ない」 とずっと思っていました。 なので、 あまり心配にもならなかったんですよね。


発達検査を受けることになった理由は 「言葉は いろいろな理解の最終にして 最後の段階なので、 それが出ないということは そこまでの段階に何か問題がある可能性があるから」 という保健師さんの説明を受けてのことでした。


そして 受けた発達検査。 その中で、 以前にも書きましたが、 記憶力の項目もあって、 ムスコのモノを覚えていられる時間の短さに驚きました。

9枚の扉のなかの 3つのものの位置を すぐだと指させるのに 5分、10分たつとすっかり忘れているんですよね。


そのときの説明では、 まだ記憶力が年齢水準まで発達してないんですよ、 とのことで、 そうなんだ~ とおもってました。

でも、 ムスコは 叱られたことなんかは けっこうちゃんと覚えてて つぎしないように注意することはできるんですよね。 生活の手順 (おやつの前には 手洗いうがいをして 椅子を出して座って待つ、 みたいな) なんかも わりとすぐに体得するほうです。

あたまが覚えてなくても カラダが覚えてるのかな? ドーブツに近いと そういうことになるのかな? なんて考えてました。


長期記憶が苦手というのをつくづく感じたのが、 冬休み明け。 保育園に初登園したときのことです。

こちらの記事 にも書きましたが、 ずっとぐずっていたムスコの様子が変わったのが


「・・・・ほーくえん・・・・・」


の一言から。 そのときはじめて 「保育園」 というコトバを ムスコから聞きました。


そのコトバを発すると きゅうに気分が変わり、 すたすたとお部屋へはいっていったんです。


どうも 長い冬休みの間に 保育園のことをすっかり忘れてたみたいなんですよね。


そして、 おもいだすきっかけになったのが 保育園そのものの存在ではなく (部屋の前まできても ぐずってたくらいですし) 「保育園」 というコトバ。


言葉によって記憶がよみがえる・・・・ ってこと、 オトナでもけっこうありますよね。 言葉によって 記憶に名前がついて 定着し、 記憶が長期化するという作用があるのかもしれませんね。


そもそも 言葉は サル → ヒト に進化するきっかけのひとつではなかったでしょうか。

たとえば、 生肉は焼いて食べたほうがおいしいという情報は 身ぶり手ぶりだけでは その場にいる人にしか伝授できないけれど、 言葉があれば 孫の代くらいまでは 伝えることができる。 かなり長期化しますよね。

そこに その場で消えてしまう言葉を 形に残せる 「文字」 が生まれて、 「歴史」 にまで長期化することができるようになった・・・・ だんだん言いたいことから離れてきましたが

つまり、 言語化できる = 定着して 記憶になる、 ぎゃくにいうと 言葉が弱い = できることが定着しない、 ということになるんじゃないかと。


言葉は 発達の最終段階ではなく、 成長の礎なのかもしれない・・・・ 言葉が遅れたままだと どんどんと定型的な発達との開きがでてきてしまうのかも。


マサラチャイ


・・・・・・「とうっち」 「ぐりっち」 「とうっち」 「ぐりっち」 「とうっち」 「ぐりっち」 


おまえら、 まだやってたのか~!! いいかげんにしろ~!!

オット 「好意を寄せられすぎていて いつやめていいかわからないんだよ~
コメント (4)
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