以前「食う寝る坐る『永平寺修行記』」という本を読んだときも思ったのだけれど
「禅の僧堂の生活」というのはどうしてこうも面白いのだろう?
「修行」の名のもとに、いわゆる世間の常識とはかけ離れたルールや
やり方が平然と、というか当然としてまかり通っている、
そのギャップが面白いというか刺激的なのではあるまいか?
「怖いものみたさ」というものかも知れない。
玄侑氏も次々と僧堂でのエピソードを語っていらっしゃるけれど
やはり「ベラボー」とは思っても無我夢中で過ごす期間というのは
人に何かを残すのかも知れない。
思えば、現代の生活では
「理屈抜きに決められたことを決められたとおりに、ただやる」
なんて機会は意外と少ないかも。
余計なことを考えず、というか考える余裕も与えられず
ただ、動いて、坐って・・・・・
そのうち自分の中の余計な理由付けやら解説やらが削られて
すっきりと余分なものが落ちていく、という感じかなぁ?
知り合いの方丈様との世間話でも
修行中の話はみなさんそれはそれは生き生きと語ってくださる。
なんだかんだ言っても、少なくとも1年以上はこの過酷な生活に
耐えてこられたのだから、それだけでも尊敬に値すると思います。