作品集「音楽が終わった後に」(1973~1979評論集)より
「・・・私をロックやその他の表現に向かわせるものは何なのか。
最近読んだ文章の中に「私が私であることの不快感」というフレーズがあった。
私の基本的な精神のあり方を、いたって文学的に表現するならそういうことになる。
今まで不安とか苦悩といった言葉にどうもなじめなさを覚えていたが、今のいたたまれなさを表現するにはこの不快感という言葉が一番しっくりすつようだ。
私たちの存在の不幸は、神に等しい無限大の想像力と限界だらけの肉体を持ったことにあるのではないか。私たちの精神はひたすら不可能性へ向けて止まることのない想像力を働かす。
その時に生じるいいようのない不快感と、目まいにも似た感覚は、私たちの具体的な存在と想像力との亀裂に落ちた時の落下感覚である。
想像力はひたすら不可能性へと向かう。白紙を前にしているのだから何でも描ける。
しかし私たちの存在そのものは数々の条件に規定され身動きできないようになっている。
もしもそこに想像力の位置転倒が起こったとしたら、存在そのものの変革がなされるわけである。
私達はそこへ向かわねばならない。」
「・・・私をロックやその他の表現に向かわせるものは何なのか。
最近読んだ文章の中に「私が私であることの不快感」というフレーズがあった。
私の基本的な精神のあり方を、いたって文学的に表現するならそういうことになる。
今まで不安とか苦悩といった言葉にどうもなじめなさを覚えていたが、今のいたたまれなさを表現するにはこの不快感という言葉が一番しっくりすつようだ。
私たちの存在の不幸は、神に等しい無限大の想像力と限界だらけの肉体を持ったことにあるのではないか。私たちの精神はひたすら不可能性へ向けて止まることのない想像力を働かす。
その時に生じるいいようのない不快感と、目まいにも似た感覚は、私たちの具体的な存在と想像力との亀裂に落ちた時の落下感覚である。
想像力はひたすら不可能性へと向かう。白紙を前にしているのだから何でも描ける。
しかし私たちの存在そのものは数々の条件に規定され身動きできないようになっている。
もしもそこに想像力の位置転倒が起こったとしたら、存在そのものの変革がなされるわけである。
私達はそこへ向かわねばならない。」