教授の訃報は幸宏と同じように、亡くなってから数日経った日曜に知らされた。
日曜晩から月曜はどこも追悼だった。
テレビやネットはいつもどおり。ひどい語り口も目についてしまい・・・という具合なので、目をふさいで通り過ぎた。
その中で信頼するラジオだけは慎重に選んで聴いた。いつも生放送の番組は、緊急事態を避けては通れない。そんな番組の1つ、ライムスターの宇多丸さんのラジオは、幸宏氏のとき同様、熱い語りと選曲だった。どこもかしこもひねれば戦メリばかりで辟易する中、「ライオット・イン・ラゴス」「パラダイス・ロスト」「ニューロニアン・ネットワーク」が選曲された。
長年YMO3人の存在があることを前提で生きてきたのがYMO世代。
その元少年たちの動揺は、語りの熱さのあちこちに痛みとして感じられた。
教授はすっかり世間では映画音楽家、ピアニストみたいな扱いになってしまったが、既成概念に対して果敢に戦った激しい作品、アヴァンギャルド、現代音楽作品、民族音楽の研究者になるはずだったがゆえのエスニックな作品、クラシック、ジャズもあればボサノバもありアンビエントもあり、歌謡曲も童謡も・・・全方位的にあらゆる分野に手が伸びており、その森の全容は一言では語り切れない。
宇多丸さんが意識する「B-2unit」などのすごさは全くその通りだが、私の個人的な想い入れとして、やっぱり好きで仕方がないのはメランコリックでロマンティックな作品。
そういった曲は、坂本さん自身の名義よりも、ほかのミュージシャンの作品に投影されているものが多い。
80年代の夜明け、YMOの出現と共に知ったファミリーの大貫妙子さん。
大貫さんの好きな曲はどれも教授が渾身の力で、心血注いだアレンジ曲ばかり。くもおさんが言うように、「自分の曲ではなく誰かの曲においても惜しまない音楽への愛」によく胸を打たれ、胸踊らされた。ひと昔前、セレクションCDをよく人に贈っていたが、大貫妙子さんの曲は(失礼ながら)クレジットを「大貫妙子&坂本龍一」に勝手に書き換えていた。2人の魂の共鳴した美しい世界が好きだった。
1981年マクセルのカセットテープのキャンペーン曲に大貫さんの「黒のクレール」という大名曲がある。とても切ない別れの曲であるが、これでもかというほどに感情に訴えてくる坂本龍一のロマンティックなピアノ・シンセサイザーとアレンジが美しすぎてたまらない。
このシングル盤はあくまでマクセルのCM用としてシングルカットされたものだが、何よりすごいのが、B面にも大名曲「アヴァンチュリエール」(LP「アヴァンチュール」からの1曲)が収録されていること。実質両A面シングルといって良い。この2曲は、坂本さんが関わった曲の中でも特に素晴らしく、忘れられず、愛してやまない。時を超えて残る名曲だと思う。
■大貫妙子&坂本龍一 「A・黒のクレール/B・アヴァンチュリエール」1981■
「黒のクレール」作詞・作曲:大貫妙子、編曲:坂本龍一
キーボード・ドラム:坂本龍一、ギター:大村憲司、ベース:細野晴臣
白い光の海を
眩しく船が幻を連れてくる
夏を追いかけて行く
二人の愛がさめるのがこわくて
あなただけを待ちつづけた
この海辺の家
幾度 夏がめぐり来ても
あなたは帰らない
愛の行方 うらなう時
The Card is Black
悲しく 砂の上にすべり落ちて
ちらばり
小波が運ぶ
誰も知らない島で
子供のように暮らすのが夢だった
一人渚を行けば
あなたの声が耳元に聞える
愛し合った日々思えば
心はさすらい
幾度 夏がめぐり来ても
あなたは帰らない
いつか風にくちてしまう
思い出も あなたも
走りさった時の中で
夕映えが永遠をうつす
「アヴァンチュリエール」作詞・作曲:大貫妙子、編曲:坂本龍一
キーボード:坂本龍一、ギター:大村憲司、ベース:中村裕二、ドラム:高橋幸宏
誰もが憧れる島
サントリン アイランド
永遠の眠りから
今甦る
波間に沈んだ
一夜の夢あと
潮風に聞く
ミノアの宴
何千年の時を越えて
遙かな海は
光に満ちあふれ
果てしない記憶と
出会う喜び
訪れた春の
フレスコの壁画
ユリとツバメと
男と女
あなたと私の Shangre-la
太陽の神に
祈りを捧げる
その時海は
ふたつに割れて
逃れる人々の道をつくる
once upon a time…
ロマンと愛に満ちて
恐れを知らぬ
冒険者達
さあ船出しよう 時を越えて…
「アヴァンチュリエール」を初めて聴いたのは、1981年5月19日のサウンドストリート。
ゲストに土屋昌巳氏を迎えての回だったな。。。
山の上のおんぼろ小屋で嵐の夜を過ごして、雪山なのに土砂降りの中降りてきた。
ずっと人生の終わりについて考えていた中で、旅立って行った先人たちのことを自分に置き換えて、これからどうすべきかなどといった当たり前のことを反芻していた。
大貫さんは教授と出会って、最初のソロアルバムを作り、そして最後に共作を残した。
原点回帰こそが自分に与えられた唯一のそして最良の生き方なんだと思う。
僕は高校2年の時に大貫妙子を、教授のラジオで知ったとき、初めて手にしたアルバムがGreySkiesでした。なぜなら、まず最初から知りたいと思ったからです。そこにある幾つかの曲が教授のアレンジで、リリィの時のようにベストを尽くしたアレンジが施されています。街という曲が好きでしたが、その次のWanderLustという曲はアレンジが教授でやはり素晴らしいですね。今こうやって振り返るとはじまりはいつも素晴らしい。
きっと僕らの人生にも素晴らしい始まりがあったはずで、そこに帰ることは間違ってないと思い始めています。
明日のバラカンビートでピーターさんはなんと言って切り出すのでしょう。ぜひいい思い出を語って欲しいですね。
さて街へ帰ろうかな。
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「ずっと人生の終わりについて考えていた中で、旅立って行った先人たちのことを自分に置き換えて、これからどうすべきかなどといった当たり前のことを反芻していた。」
私も同じです。
ただ、くもおさんみたいに言語化して意識にはしてませんでした。とはいえ、ひと回り+数年の違いの先輩の連続した死には、まじめに考えざるを得ない。
じゃないと、あっという間に終わるから。
まさに人生は短し。という実感は字面ではわかってましたが、リアルに感じられるのは、今でこそです。
大貫さんのアルバムを最初にさかのぼって、そこから聞き出したお話しはうらやましいですね。私はりりぃさんも含め、おいおい知ってきた感じでした。
ピーターさん、
昨日のラジオ冒頭(ライフタイムミュージアム)で、冷静に語っていたのは、B-2unitの英訳で協力したきっかけからymoに関わる、というピーターさんの転機に教授が関わっていたこと。
昔、その話しを聞いたけど、久々にまた聞きました。
お互いうまく意思疎通ができず、その後もしばらく奇妙な英訳が続きますが、それも私には大事な想い出です。
いつでも花のかげに甘い香り……
坂本龍一氏、高橋幸宏氏
今や自分も逝くことは不安ではなくなりました。
2人が亡くなったことをココロに抱えながらも、日常時間は止めようもなく流れて行きます。
日々の暮らしという難題と格闘しながら、よく手を止め、「あの時代」を思い出しては遠い気分にはなります。ただ、死への不安が去る覚悟まで自分は悟れていません。
今はそんな具合です。
まだ一部の記事しか拝読しておりませんが、順を追って読ませていただきたいと思っております。
YMO繋がりは一通り耳通し目通ししました。ビックリハウスもスネークマンショーもS.E.TもYMOから。サウンドールも創刊から廃刊まで購入していました(´▽`)
最近は多少は冷静な記載に努めていますが、リハビリもあって、なかなか更新が出来ていません。
その点ご了承のほどよろしくお願いします。