寺山修司・三島由紀夫の対談の中、寺山は笑いながら、時計じかけ。。。と三島を表現した。
三島由紀夫は、待ち合わせ時間に遅れた者とは、どんな理由があろうと絶交をその場で言い渡す。
彼の中には、まさしく精緻で寸分も遅れない/刻む方向にしか進めない時計があった。
逆巻き不能な時計。
周囲との距離・自分の体内・その間を介する刻(とき)。
その配置において何とかリスク回避する絶妙な計算と、それに従ってひたすら読み・書き・述べ続けなければ、自我が全て崩壊してしまう。
時間に呑み込まれずに、キチガイにならずにいるためには、ひたすらひたすら動き続けねばならなかった三島。
それは、自分の居る位置を確認するために、常に等高線を引き直し・・・という、中高生時代にしびれた、吉本隆明の相対化に関するくだりを想起させる。
***
IT・高速情報処理が、いつでも・どこでも可能な様は幸福か?
幸福もあろうし、便利もあろう。その反面で不幸もあろうし、不便もあろう。
ただ、各々、てきとーに生き方・しのぎ方を身に付けないと死んでしまう。
ITに限界が無くとも・人間の脳の処理能力には限界がある。
答えは、そうなるだろう。
文や武のチカラとは異なる、極めて複雑怪奇な時空に、ぼくらは居る。
***
かつて1985年、悩み深い中、えんぴつで傍線を引き・思ったことを記入して、ぼろぼろになった鴻上尚史の「say sho」。
丁度、エセ新興宗教が躍進した頃。本のタイトルは「聖書」への揶揄。
実際は生きる処=「生処」を意図していた。
自らのマイナスを愛おしみなさい。。。
そう鴻上が語る意味は、手に入れたシャブ・果実の味は、忘れた地点に戻れない、ということ。
新しモノ好きでなくても、後退出来ない世界に取り込まれて行く社会と人間。
科学の進歩と共に、自らが全能感と神の視座に押し上げられてしまう。
そんな時代はもうすぐだよ。
ただ後には戻れないよ。
超資本主義と情報化と狂気へ加速していく1985年、自分はまさにバイブルのように、この本にえんぴつを引き続けた。
***
そんな流れを、妄想職人=21世紀の精神異常者=かたちんばは巡らせるうちに、脳は周辺でココロに引っかかった出会いへと移ろっていく。
徳南さんの「人間時計」の最後の場面。
「かあさん。ぼくはとうの昔に体内が時計になっていたんですよ。」
倒れるカラダ。
散乱する部品。
坂本龍一の名曲「バレエ・メカニック」。
ーボクニハ ハジメトオワリガ アルンダ
・・・・オドオッテ イル ボクヲ キミハ ミテイルー
原曲だった「ワンダートリップ・ラヴァー」を歌った岡田有希子。
彼女の結末。
偶然ではない符合。
「全てのモノは、同時代的で在らざるを得ない。」(坂本龍一)
***
人間・社会全て「ご期待通りに」クモの糸のように連結された世界の達成。
80年代に想像した世界は、見事に実現。
ズラリと一個人に流れ込むメールの洪水・情報の海。
時計は一秒一秒・・・・
予測不能な未来という未知へと刻み続ける。
だが。
それでも。
どんな手段を用いても、かわしつつ生きていくしなやかさ。
ぼくらには、それが必要なのだ。
■Fashion 「You only left your picture」’82■
「クロスオーバー・イレブン」で1982年に初めて出会った、ファッションという男の渋いバンド。
「ムーヴ・オン」というシングル、そしてLP「ファブリック」。
この「レフト・ユア・ピクチャー」を、夜の鎮魂歌としていた頃。
***
月曜日には、ろくでもない支離滅裂な妄念が湧いて湧いて止まらない。
こんな夜は、さっさと暗闇で横になり、寝てしまうしかない。
妄想天国になった夜には、三島のような高笑いを。